今回ご紹介する記述部分は、今シリーズのテーマである「日本的思考の欠点」からちょっと離れ、虚報の作成例や陸軍と農民との係わり合いなどについて触れています。
当時の陸軍と庶民との関係がどのようなものであったのかを窺うのに参考になると思います。
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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(前回の続き)
陸軍には一種の「農民尊崇主義」のようなものがあった。
これは前に秦郁彦氏も指摘されたが、日本の陸軍は、都会人とかインテリとかを、最後の最後まで、「陸軍という身内」に入れようとしなかったそうで、これは米英軍にもドイツ軍にも見られなかった大きな特徴だそうである。
同時に反射的に「都市のインテリ」は昔から陸軍を嫌った。
「どうせ兵隊にとられるんなら海軍に行きなさいよ。陸軍なんてドロ臭い」とは当時のインテリ女性がよく口にした言葉である。
従ってインテリの陸軍嫌いは戦後のことでなく、戦前からの伝統であり、おそらくこれが今でも尾をひいて、自衛隊への批判乃至はいやがらせは、ほぼ陸上自衛隊に集中し、海上自衛隊は実質的にはその対象からはずされているわけであろう。
だが当時は農村ではこの感じが一変していた。
しかし何らかの意見が活字になるのは、ほとんど「都市インテリ」の場合である。
そのため、何となく陸軍は戦前から全日本人の怨嗟の的だったような印象が今では一般的になっているから、陸軍と農民との間に非常に強い「身内意識」あるいは「共同体意識」があったということは、今の人には意外であろう。
だがこの関係は、軍隊内における「農民出の下士官」と「都市インテリの兵士」との間の、一種の相互的嫌悪感といったものに、よく表われている。
下士官とか軍曹とかいう言葉は、戦後はもちろんのこと、戦時中ですら一種の「蔑称」として使われていたことが、上記の関係を象徴的に示しているであろう。
先日、出版社団体の会合で河口湖の近くに行った。
考えてみれば富士の裾野に来たのも三十年ぶりであった。
帰途同じ車に乗っていたS社のA社長が、ある場所を通過するとき、不意に「夜間演習で銃剣を紛失したのはこの辺だった」と言った。
当時は富士の裾野は一面の演習場であった。
そして、「銃剣の紛失」といったようなことは、やはりだれにとっても生涯忘れられないことで、普段は念頭になくても、その場所近くにくれば、パッと思い出すことなのであろう。
私はその場所には何の思い出もなかったが、少し行って機動隊の車とすれちがい、その機動隊が、射撃演習反対こ弾着点座り込みの「忍草」の農民排除のために行くのではないか、とだれかが言ったとき、やはりふっと昔のことを思い出さざるを得なかった。
昔の砲兵の射場の位置が今のどの辺になるかよく知らないが、その射場には「センバ塚の堆土」という有名な小丘があったから、それを探せば、案外昔の放列の位置もわかるかも知れない。
この小丘は確か戦争中写真入りで新聞にも出て、砲兵がこの堆土を目標に実弾射撃をやるので、草も木もはえず、砲弾に削られて丘が次第に変形していったと記されていたその堆土である。
おそらく当時、海軍の「月月火水木金金」の向うを張って、陸軍もこれだけ猛演習しておりますというPR記事兼戦意高揚の提灯記事であろう。
例によって例の如く、戦意高揚記事はウソである。
だがこの場合はおそらく新聞記者もだまされていたのであろうと思う。
これは「虚報作成」の非常に面白い例である。
砲兵が実弾を撃ち込んだことは本当だし、丘がむき出しの赤土となったことも、ぐんぐん変形していったことも、すべて本当なのである。
従ってどこをどう調べてもこの記事は寸分誤りない事実で、総弾数からも、丘の変形の実態からも、それが断固たる事実であることは百パーセント証明できるのだが――しかしウソなのである。
この丘をくずしたのは、実は貧しい農民の小型のシャベルであっても砲弾ではなかった。
射撃演習で使うのは、実弾とはいえ危険を避けるための代用弾で、砲弾の尖頭に少量の火薬と発煙剤が入っているだけ、従って着地しても尖頭が欠けてとぶだけで、弾体はずぶりと地にもぐる。
従って、直径十センチ前後の穴があくだけで、小丘が変形するわけはない。
ところが、これを堀り出して屑鉄屋に売るのがこの近くの農民の副業で、従って丘を掘りくずしたのは、タマでなく、貧しい彼らのシャベルなのである。
そしてこの虚報は、彼らの存在を消すことによって、成り立っているわけである。
ただわれわれだけはその実態を知り、従ってそれが虚報であることを知り、そしてその人たちを「タマホリさん」と呼んで仲よくしていた。
兵隊とタマホリとは実に仲がよかったのである。
タマホリさんは、必ずまず最初に放列に偵察に来る。
非常にまれだが本物の榴弾を撃つこともあり、それだと破片になって四散してしまうから、商売にならない。
従ってまず弾種を確認に来るわけである。
そして代用弾だと知ると、小さな双眼鏡を出して、一心に射弾観測をはじめる。
何しろ三千から六千メートルぐらい先の、直径十センチ前後の穴の位置を的確に見出すのだから、恐るべき技能といわねばならない。
当時の冗談に「射弾観測日本一の名人はだれか?それはタマホリである」というのがあった。
何しろわれわれと違って、生活がかかっているから真剣である。
彼らは必ず馬に乗ってくる。
そして射撃終了と同特に弾着点に馬をとばして行き、穴のわきに小旗をたてる。
これが「先取権宣言」のようなもので、次から次へと競争で発見した穴に旗を立てて行き、あとでゆっくりと堀り出すのであった。
そして尖頭のかけた弾体をドンゴロスの袋に入れ、馬の背に振分けてつむと、馬をひいて帰って行くわけであった。
彼らは広大な土地を陸軍の射場に奪われた犠牲者であった。
それでいて彼らと将校や兵士の間には、都市インテリとの間には見られないような、不思議な一体感と親近感があった。
農民を「ノウキョウさん」などという一種の蔑称で呼ぶ感覚は、陸軍には全くなかった。
平生は半神(セミ・ゴッド)のように振舞う連隊長と貧しいタマホリのじいさんは、大休止のときなど、古い友人のように打ちとけた態度て話したり笑ったりしていた。
兵士と彼らは、実に仲がよかっただけてなく、本心からわけへだてがなかったので、平気で何でもいった。
「兵隊サンら、ドコな」
「豊橋です」
「どうりで射撃がヘタクソじゃ、四ツ街道タア段が道うノ」。
豊橋は予備士官学校、四ツ街道は本職のいく野戦砲兵学校である。
そして彼らは自分の村の若い衆を見るように兵士を見、自分たちの共同体の貴重な共有財産、たとえば「みこし」でも見るような目で砲を見、祭りのみこしが村の広場を使っているのを見るようなたのしげな表情で演習を見ていた。
そしてそれは、「都市生活者」の私にとっては、自分が考えても見なかった世界を見るような、ちょっとショッキングな体験であった。
「タマホリ」という副業に依存しなければならぬ自己の貧しさが、今、目の前に存在するもののためであるという意識は彼らには皆無であった。
それは、子の進学のため犠牲になることに喜びを感じている親のようなものだったかも知れない。
進学なんぞそれだけの犠牲を払う価値などないといえば、逆にその親が激怒するように、あなた方の貧しさも苦しさもその砲にあるのだといえば、逆に彼らに告発されたであろう。
そこに親子一体の涙ぐましい努力に似たものがあったことは、私には、否定したくても否定できない。
そして以上のような世界は、今でも、どこかの国には存在するのであろう。
それに郷愁を感じたい人は感ずればよい。
ただ比島、いわゆる「太平洋戦争の旅順」で生き残った者――長い間、多くの国民に、餓死直前同様の耐えうる限度ギリギリの負担をかけて、陸海それぞれ七割・七百万という軍備をととのえ、それを用いて、人間の能力を極限まで使いつくすような死闘をして、そして「無条件降伏」という判決を得た現実、しかもあまりに惨憺たる現実を否応なしに見せつけられた者には、二つの感慨があった。
これだけやってダメなことは、おそらくもうだれがやっても、どのようにやっても、ダメであって、あらゆる面での全力はほぼ出し切っているから、「もし、あそこでああしていたら……」とか「ここで、こうしていたら……」とかいう仮定論が入りこむ余地がないということ。
そしてあの農民のことを思い出せば、あの人たちは本当に誠心誠意であり、一心同体的に当然のことのように犠牲に耐えていたこと。
そしてもう一つは、どこでどう方向を誤ってここへ来たのであろうか、ということ。
そしてその誤りは、絶対に一時的な戦術的な誤り、いわば「もしもあの時ああしなければ……」とか「あすこで、ああすれば……」とかいったような問題ではなく、もっと根本的な問題であろうということであった。
(次回へ続く)
上記引用の中で山本七平が指摘していますが、「虚報」というのは、大抵「ある事実を消す」ことで成り立っているわけですね。
もちろん、それは「編集」という”詐術”が使われるわけですが、多くの場合、読者の社会通念を逆用する形で、都合の悪い事実を消すという作業が行なわれます。
これは著書「私の中の日本軍」において、山本七平が「百人斬り」の報道を例に挙げて散々解説しています。
拙ブログでも、過去に何度かご紹介してますので下記記事↓をご覧いただければ理解できるのではないでしょうか。
◆山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
◆いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について
このように「虚報」の構成を覚えてしまえば、マスゴミの扇動記事を読んでも「ちょっと待てよ!」と思えるようになると私は考えています。
虚報に扇動されにくくなるという意味でも、この「ある異常体験者の偏見」と「私の中の日本軍」は非常に参考になるテキストであるといえるでしょう。
それはさておき、次回はいよいよ「日本的思考の欠点」の核心へと筆が進んでいく処をご紹介する予定です。
ではまた。
【関連記事】
◆日本的思考の欠点【その1】~尖閣諸島問題と中村大尉事件の類似性~
◆日本的思考の欠点【その2】~「感情的でひとりよがりでコミュニケーション下手で話し合い絶対」という日本人~
◆日本的思考の欠点【その3】~敗戦直後の「実感」を消失させた「マックの戦争観」と「平和憲法」~
◆アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
◆山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
◆いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について
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