日本教について―あるユダヤ人への手紙 (1972年)
(1972)
イザヤ・ベンダサン
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◆二十余年の放置
『日本人とユダヤ人』の中で、日本人は政治天才であると私は書きましたが、天才にはまことに困った一面があります。
たとえばモーツァルトのような天才は、美しい風景を見たらすぐそれが音楽になって、「風景を聞いてしまう」ことはあっても「見る」ことはないかも知れません。
また、何らかの理由で怒鳴られても、その音声が交響曲になってしまって、自分が怒鳴られたことを意識しないかも知れません。
日本人にもこれと似た一面がありまして、あらゆる対象を政治という観点から見てしまいます。
そして対象を、政治的観点から見たとき、はじめて真剣になり、切実になり、現実感が出てきて多くの人の共感を得、時には熱狂的にさえなります。
これは、外部から見ていますとまことに奇妙です。
非政治的な問題を非政治的に取り上げているときはすべての人はそっぽを向いて無間心なため、その問題は非政治的には解決できない。
また解決しようともしない。
しかしこれを、たとえ無理な詭弁を使ってでも政治と間連づけて政治問題として取り上げますと、たちまちすべての人がそれに関心を示し、関心を示さない者は異端者として扱われ、魔女狩りの様相を示すことさえあります。
これは、日本教の教義の「支点」である「人間」が、論理によらず政治を媒体として作用するからでしょう。
いま日本では「靖国神社法案(註)」という法案が論議の的になっており、キリスト教徒を中心に一部の宗教団体がこれに反対しておりますが、この実態が、実に何ともわれわれに理解しがたいことなのです。
(註)…1964年、自由民主党内閣部会に「靖国神社国家護持に関する小委員会」が設置され、靖国神社国家管理について議論される。1969年から1972年にかけて議員立法案として自由民主党から毎年提出されるも、いずれも廃案となる。1973年に提出された法案は審議凍結などを経て、1974年に衆議院で可決されたが、参議院では審議未了となり廃案となった(wiki参照)。
神社とは神道の霊廟で、この神社は戦死者の霊を奉祀しているのですが、これを国家が保護管理しようという法案に対して、それは憲法に定められた「信教の自由」に反するだけでなく、日本を再び侵略戦争に駆り立てることになる、というのが反対者の主要な主張のようです。
世界には確かに偽善者は多いと思いますが、見方によってはこの反対者ほど厚顔な偽善者は世にも珍しいと言えるかも知れません。
と申しますのは、――どうか驚かないでください――彼らキリスト教徒はこの二十数年間、キリスト教徒の「英霊」が神道の神社(霊廟)に奉祀されているのを、平然と放置してきたのです。
戦前のことはともかく、戦後のこの状態については、彼らに、言いわけの余地はないはずです。
マッカーサーが日本を支配していたころ、この問題について日本のキリスト教徒のだれか一人がただ一通の手紙を彼に送れば、彼は直ちに日本政府に命じて、キリスト教徒の「英霊」を靖国神社すなわちこの神道の霊廟から分離するように命じたでしょう。
神道の勢力を削り、あらゆる面における国家との結びつきを断ち切ることは、彼の主要な政策の一つでしたから。
その上、彼マッカーサーが主唱者となって「日本人キリスト教徒戦死者祈念礼拝堂」といったような一種の記念教会を建てるための資金集めぐらいはしたかも知れません。
今、日本にある国際基督教大学は彼の主唱で内外から資金を集めて建てられたと聞いておりますから。
またこうなっていれば「靖国問題」も起る余地がありません。
というのは「神道の戦死者の霊廟にのみ国家が援助を与える」ということは、政府にとっては不可能だからです。
しかし、言うまでもなく前記のようなことは起りませんでした。
それだけでなく「キリスト教徒の『英霊』が神道の神社に奉祀されている」という事態を、日本のキリスト教徒は、宗教上の問題として公にこれを取り上げようとは一度もせず、政治問題になるまで放置してきました。
ということは、
こういう事態が純粋に宗教上の問題として日本人のキリスト教徒および神道の信徒に影響を与え、神道の側からもキリスト教徒の「霊」を神聖な神道の神社に祭ることは不適当だという議論(われわれにはこれが常識ですが)も出て、それぞれ神学上の問題としてこれを討議し、その結論に基づいて、これを実際問題として処理するよう迫られる、といったようなことは全くなかったわけです。
従って、これは初めから宗教上の問題ではなかったから当然のことだといえばそれまでですが、一度これが政治上の問題になりますと、たちまち、デモ、ハンスト、声明、陳情等々となり、キリスト教関係の雑誌や新聞には激越な口調の議論が次から次へと展開されることになりました。
そして、前記の宗教上の問題点も、この政治問題に付随して二十数年目にはじめて現われてきました。
だがこれは余波のようなもので、私は予言してもよいのですが、この政治問題が片づけばもうそれですべては終りで、過去二十数年間と同じように「キリスト教徒の『英霊』が神道の霊廟に奉祀される」という世界いずれの国でも想像に絶する奇妙な状態は、半永久的につづくと思います。
だがこの点をみて、日本人には宗教上の問題を宗教上の問題として解決する能力がないとか、日本人は宗教的に潔癖でないとか考えれば、それは誤りであって、日本教では政治的解決がすなわち宗教的解決であって、それですべてが解決しますから、みなが解決済みとしてその問題を忘れてしまうのです。
日本政府とは「日本教団政務院」のようなものですから、従って日本では西欧のような「政教分離」はありえません。
靖国問題もその一つの証拠です。
以上の私の言葉に対して、日本のキリスト教徒は非常な反発と嫌悪を示し、この言葉を一種の「利敵行為」のように受け取り、非常に温厚な人でもおそらく「今まで放置してきたという点では一言もない、反省はする。しかし今の時点でそういうことを言われてはまずい」というような返事をすると思います。
これが典型的な日本人の考え方で、この「まずい」はもちろん政治的にまずいという意味で、相手の言っていることの正否より先に、その言葉の作用する政治的効果(もしくは逆効果)だけが咄嗟に判断され、それにのみ気を奪われて、他のことは一切耳に入らなくなります。
まさに「天才」の証拠ですが、また天才のやり方は、われわれ凡人には何とも理解に絶することになります。
(~中略~)
以上にのべましたように、日本においては宗教上の問題は実は政治的問題であり、これを裏返せば政治上の問題もまた宗教的問題になって、両者を分けることが不可能に近いことがおわかりでしょう。
(後略~)
【引用元:日本教について/日本人の政治的反応度/P85~】
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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(前回のつづき)
比島の収容所の非常に面白い特徴は、一切が完全に混ぜくりかえしたようになって、すべての人間が同じようにPWとかWCとかCAとかペンキで書かれた一種の囚人服を着せられ、旧秩序が何もかも消滅して、みな平等になってしまった点であった。
呼び方もすべて「さん」づけで、ただ将官だけが別待遇だった。
従ってだれに何を聞いてもよかった。
もちろん返事は人によってさまざまで
「お前そういうけどなあ、そりゃ結果論だ」
「あの場合、あれ以外にしようがないじゃないか」
「そいつはなあ、今になるとオレにもわからん」
「何かかんか偉そうなこと言う奴が、つまり『バカの後知恵』よ。だからな、そういうヤツは自分がバカだバカだと宣伝してるだけさ」
と言った返事ももちろんあった。
しかし非常にまじめな人が私に言ったことには、要約すれば、新井宝雄氏の言葉と同じ発想があった。
すなわち、新井氏の「日本軍」というところが「米英軍」にかわり、「民衆のもえたぎるエネルギー」が「精神力」にかわっているにすぎないのである。
すなわち「強力な武器をもった米英軍を精神力で圧倒できる」または「できた」という考え方、いわば「武器」対「精神力」という思考図式なのである。
この図式は逆転した形で明らかに横井さんにもある。
そして私が入隊した昭和十七年ごろには、これは、あらゆる日本人の頭の中にあった図式である。
思い返してみれば、私は確かに非常に面白い時期に軍隊にひっぱられた。
星一つの陸軍二等兵であった昭和十七年十月は、いわゆる”緒戦の大勝利”から十ヶ月余、「ワシントンで観兵式、ロンドンで観艦式」などという景気のよいことがいわれ、次に日本軍が進攻するのはインドか豪州かが本気で議論され、事実、北豪のポート・ダーウィンを占領すべく豪北派遣軍が編成されようとしていた時期だった。
いわば「旭日高く」「意気天を衡く……」大日本帝国の絶頂の時、そして、転落の坂道を一気に転がり落ちて破滅へと進む直前であった。
従ってこの思考図式が絶対に正しいものとして、あらゆる面で強調された時代であった。
私より後の人の話を聞くと、そのころはこの図式が一種の悲壮感をもって語られているが、私の時代はまだ楽天的で、「だから大丈夫だ」というふうに語られていたのである。
従って、反論を許さぬ「絶対」というよりむしろ「当然自明」のことであり、その言い方は新井氏そっくりであった。
しかし、当時であれ、今であれ、いずれにしてもこの図式とは議論は出来ないのである。
たとえそれが「民衆のもえたぎるエネルギー」とか「革命の力量」とか「民族精神」「革命精神」とか「日本精神」「軍人精神」とか、何と言いかえようとも、これらすべてに共通することは、それが不確定要素だということである。
もちろんそういった「精神力」とも総称すべき一種の力があることは事実であって、それがないとは絶対にいえない。
しかし、武器・兵力・補給力・資源等はすべて、正確に計算できる確定要素だから、この「確定要素」対「不確定要素」という議論ははじめから成り立たない。
従って、この「武器」対「精神力」という思考図式にぶつかるたびに私が質問したことは、この「精神力」と総称すべき不確定要素を、武器で代表される確定要素になおして組み込む方程式を示してくれということであった。
私の言うことはなかなか理解されにくい点もあった。
私はこれでも経済学部の出身――というとみなが「ヘエー」と言って笑う金銭低能だが――なので、これを一種のバランスシートのような形で説明してみた。
資本・負債の部が米英の確定戦力である。
資産の部が日本の確定戦力である。
するとだれが見ても明らかに資産の部が決定的に少ないので、そのままいけば確実に破産する。
その際もしインチキ会社のように、資産を「精神力」という言葉で水増し評価して帳尻を合わせて世を欺いたのなら、これはもう初めから問題外、私は何も質問しない。
しかし、私は、あなた方が、それを本気で信じていたことを知っているのだ。
だから私自身は、「軍部が国民をだました」などという言葉にはだまされない。
あなた方は、自らが信じていたが故に、そのバランスシートに基づいて戦争をはじめたはずだ。
従って、「精神力」という言葉は、帳尻合わせのための恣意的な水増し評価ではないはずだ。
そう思えばこそ、その「評価の算定の基礎およびそれに基づく方程式」を示してくれ、ということであった。
私かもし新井宝雄氏に質問するなら、これと全く同じ質問になる。
私はもちろん新井宝雄氏が国民をだましているとは思わないし、森康生氏に対して遁辞を弄しているとも絶対に思わない。
そう思えば何も言わない。
思わないからこそ、この質問が出てくる。
すなわち、こういうことを言った以上、「武器」という言葉で象徴される双方の戦力の確定要素を正確に算定し、また「民衆のもえたぎるエネルギー」という不確定要素も何らかの方程式で確定要素になおしてこれに加え、その結果両者はこういうバランスになり、日本は破産したと言われなければならないはずだからである。
そして、それが出来ずにこの言葉がロにできるはずがないからである。
戦犯容疑者収容所に移されたころから、すべての人が無聊に苦しみ出した。
「退屈」は度がすぎると一種の拷問に等しい。
従って私のような青二才が妙な議論を吹っかければ、みな退屈しのぎに、何時間でも相手になってくれた。
そしてある日、私は全く意外な返事をされて、一瞬、妙な気になったのである。
その人の名は覚えていない。
だいたい、話し合った人びととは、同収容所内の顔見知りというだけで、お互いに正確に名前など確かめもせず、ただ時間つぶしのお喋りをしていたに等しかったからである。
その人は、おそらく戦死した私の部隊長の少し先輩だったのであろうと思う。
彼は不意に言った。
「君は砲兵だろ、だれの部下だった」。
当時はすべて「君」だった。
「H少佐の部下です」
「ソーダロ、ソーダロ、そのはずだ。ナニ、本部付。観測か、アハハハ……。すっかり薫陶を受けたな、論法がそっくりじゃ、ワッハハハハ……。だがな歩兵はそう考えたらいくさはデケンのだ」
私はいささか毒気を抜かれたが、相手の笑い方や言い方が不満だったので、少々口をとがらせて反論した。
「いや、私か言ってるのは、歩兵だ、砲兵だ、ということではないデス。精神力という漠然とした不確定要素をどういう計算方法で、戦力という確定要素に……」
「ソレソレソレだよ。ちょっと自分の言ってることを考えてごらん。君たちは、風向とか風速とか気温とかいう不確定要素まで、一定の方程式で算定して弾道に加算するんだろう。
だから言ったのさ、君は砲兵だろうって。
H少佐は典型的な砲兵だったな。当然だ、あの人は一生砲兵だった。努力家だったな。いい人たった。
しかしナ、彼の話はいつも同じことになるんだナ。
不確定要素という奴が許せないんだ、あの人にゃ。
そうそう、君んとこは師団長が砲兵出身だったろ、M閣下さ。有名だったぞ、一分一厘の誤差も許さんのだ。
K中尉、知ットルか、あれがこぼしとったよ。
隷下各部隊の人員が各何千何百何十何名、各部隊の入院者が各何十名、従って野戦病院の患者総数が何百名、それの全部をまた兵科別、階級別にし、タテヨコ碁盤のような表にしてな、それの最終計がピシャリ師団の総人員と合致せんとな、承知しなかったそうな。
一人二人は、師団の戦力には影響ない、なんて気にゃなれなかったんだナ。
確かにナ、砲兵はそれでいいんだ。
あらゆる不確定要素を何とか計算して確定要素に組みこむ、どうしてもそうなるんだろうな。五分くるったら……」
「ご、ご、五分ですって、冗談じゃない。射距離四千で五分といやあ二百メートルです。二百メートル手前に砲弾が落ちてごらんなさい、友軍の歩兵を叩いちまうじゃないですか」
「なるほどね、それじゃH少佐みたいに一分一厘うるさくなるのが当然なんだろうナ。しかしナ、君、そういう考え方を進めれば、歩兵だけでない、すべていくさというものは、デケンことになるんじゃ」
「というと……」
「つまりだな、両軍がすべてを正確に確定要素になおして一分一厘ちがわんように計算したとするナ、そうすりゃ結果はわかっとるから、だれもいくさはでけんよ。
たとえばだ、米英中国で十個師団、日本は七個師団とするか。
もちろんこれは、砲兵的にダ、あらゆる不確定要素を計算しつくして確定要素になおして師団数にしたと思えばよい。そうなれば結果はワカットルから、初めからだれもいくさはセン。
不確定要素があると思うから、はじめていくさをするわけだ。
だから、『武器』対『精神力』などというあやふやなことでなぜ戦争をオッパジめたんだ、という質問が実はオカシイのだ。
というのは、『武器』対『精神力』という考え方、いわば、『確定要素』対『確定要素』でなく、『確定要素』対『不確定要素』ではじめて戦争がはじまるのだ。
簡単にいやあ、さっきの十個師団対七個師団で、この差の三個師団は『精神力』という不確定要素でおぎなえると考えること、つまりこの部分は『武器』対『精神力』でいけると考えて、はじめて、いくさというものははじまるんだ。
そうでなきゃ、みな、計算がすんだらおしまいにするはずだ」
というわけであった。
つまり新井宝雄氏のような発想から戦争をはじめるのだから、その発想が完全に一掃されれば戦争は起らない、という意見でもあった。
彼はさらに語をついだ。
「つまるところ、砲兵だけになったら戦争は起らんな。
たとえばだ。一方の射程が二万で、もう一方の射程が一万なら、測地が終ってあらゆる要素が確定したら、それで終りじゃろ。結果がわかりきっとるのに撃ち合ってみるバカはおらんじゃろ。だからいくさにはナランのじゃよ」
これはずっと後で気づいたことだが、彼の言っていることは、いわば「冷戦」の予告だったのである。
(次回へつづく)
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平
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(前回の続き)
しかしそれでも、この「人工の場」にいる間だけは、人間は、人間らしい感情をもっているのである。
そのことはまた、終戦のときの氏の記述にも表われている。
人間が、人間としての感情をとりもどす第一歩は、死体に対する態度かもしれぬ。
それは人間の文化の発生が死者への鄭重な埋葬にはじまることにも表われているのであろう。
氏は、終戦と同時に、死者への礼が復活し、それで、はじめて人間らしい感情を味わったと記しておられる。
◆サンカルロスヘ
渡辺参謀、河野少尉等と共に歩く速度は実に速かった。
船越等と歩くと余りゆっくりなのでかえって疲れたが。
死臭がした、道端に外被をかぶせ日の丸で顔を被った屍があった。
今日まで見た死人は皆服や靴ははぎ取られていたのにこんな屍は初めてだ。
久々に人間らしい感情が湧いた。
夕方明野盆地に着き渡辺参謀と別れた。
そして次に、氏がはじめて、「人情」を見るのが、敵兵の日本軍負傷兵への親切なのである。
◆捕虜収容所へ
九月一日未明、六航通関係全員が台上に整列、武器を持つ最後の宮城遥拝をし、中谷中佐の訓辞有り、「我々は朝命により投降するのだから堂々と下山せよ。病人には二人ずつの兵を付けよ」と、次いで銃の弾を抜き、コウカンを開き肩にかついでサンカルロスヘの道を急いだ。
遠々二千三百名の行列だ。
途中土民達が出てきて、これでもう安心したという様な面をしていた。
三時間程山を下った所に米軍の出迎えが来てい、各中隊に二人ずつの米兵がカラパーン銃一つを持って付きそった。
出迎えの米兵は親切丁寧だった。
そして将校にはKレイションー箱ずつくれた。
十二時昼食、レイションを初めて食べる。
久々に文化の味をあじわう。
川を腰までつかって渡渉すること二十回、やっと平地に出た。
我々の隊列の中に片眼、片足を失った兵がいたが米兵が彼の水筒に甘いコーヒーを入れてやり煙草に火を付けて与えていた。
山の生活で親切等言う事をすっかり忘れていた目には、この行為は実に珍しい光景だった。
久々に人情を見た様な気がした。
人という「生物」がいる。
それは絶対に強い生物ではない。
あらゆる生物が、環境の激変で死滅するように、人間という生物も、ちょっとした変化であるいは死に、あるいは狂い出し、飢えれば「ともぐい」をはじめる。
そして、「人間この弱き者」を常に自覚し、自らをその環境に落さないため不断の努力をしつづける者だけが、人間として存在しうるのである。
日本軍はそれを無視した。
そして、いまの多くの人と同じように、人間は、どんな環境においても同じように人間であって、「忠勇無双の兵士」でありうると考えていた。
そのことが結局「生物本能を無視したやり方」になり、氏は、そういう方法が永続しないことを知っていた。
「日本は余りに人命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵隊が気付いてしまった……」
それは結局「面従腹背」となり、一切の組織はそのとき、実質的に崩壊していたのである。
社会機構といい体制といい、鉄の軍紀といい、それらはすべて基本的には、「生物としての人間」が生きるための機構であり、それはそれを無視した瞬間に、消え去ってしまうものなのである。
(終わり)
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第九章 生物としての人間/P244~】
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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(前回の続き)
新井氏は、日本は「偶然に負けたのではなく、負けるべくして負けたのである」と言っておられる。
このことは戦後、収容所で、陸大出の高級将校、特にまじめな人が、ほとんど口を揃えていったことである。
ただその意味は新井氏とは全く逆なのである。
そして彼らのこの言葉は私をひどく憤慨させた。
彼らは本職の操縦士である。
その人が「墜落することは、はじめからわかっていたんだ」と言えば、死にそこないは憤慨するにきまっている。
今はもう憤慨はしないが、『諸君!』に自分で書いたものを読み返してみても、問題がこの点にふれてくると、今でも、自分の感情が全く平静とはいい切れないことに気づく。
まじめな高級将校は、非常に強い自責の念をもっていたことは事実である。
こういうまじめな人たちに「では、なぜ墜落とわかっていて飛んだんだ」という意味の質問をし、その点を徹底的に討論すると、最後に出てくるのが新井氏の思考図式なのである。
この点をもう少し詳しく説明しよう。
陸軍には兵棋演習というのがあって、地図の上で一種の駒を動かして、地図上で戦争をやってみて、徹底的に討論する。
何度やっても負けるという結論しか出なければ、兵団をふやすか、勝てる位置まで撤退するか、しなければならない。
それをどちらもしなければ初めから負けるときまっているわけである。
もちろん私などはこれに参加できる位置にはおらず、傍見する機会が偶然あっただけである。
収容所で親しくなったある参謀の話では、大本営では、大きな地図の上で、師団単位でこれを行う。
ところが、海軍の敗戦や戦略爆撃機による空襲を全然計算に入れなくても、何度やってみても、中国軍相手だけで、最終的には負けるという結論しか出なかったそうである。
そしてそれが逆に異常な「あせり」となっていったという。
このことをある人に話したところ、その人が、阿川弘之氏が海軍について、全く同じことを書いておられますよ、と言っておられた。
従ってこれはあくまでも伝聞だが、いわば海軍の兵棋演習(というのかどうか知らないが)では、何度やっても日本海軍は最終的には負ける、という結果しか出なかったそうである。
従って海軍側の太平洋戦争は、ほぼ、その兵棋演習の通りに進行し、予測した通りの結果で終っているそうである。
だが以上二つのほかに、大本営が出るまでもなく、もっと決定的な、小学生でもわかる「負けるべくして負けた」理由がある。
単純な算術さえ出来れば、すぐわかることである。
日本という国は、どこかから、石油、屑鉄、鉄鉱石、ボーキサイト、火薬原料を入手しない限り、近代戦は行い得ないという単純きわまりない事実である。
相手にしてみれば、連合艦隊の燃料が一年半しかないなら一年半後には動けなくなるから、それを待っていればよい。
また比島という一小部分に限ってみても、撃兵団(戦車第二師団)がいかに優秀でも、燃料がつきれば動けなくなるに決まっているから、進撃してくれば撤退して燃料ぎれを待てばよい。
陸軍がいかに土方馬方集団だとはいえ、船舶がなくなれば補給ができずに自滅するに決まっている。
ゼロ戦がいかに優秀でもボーキサイトがなければ作れないし、燃料がなければ飛べない。
戦争は相互に消耗する。
しかし日本にはその消耗を補充する能力がないことはだれの目にも明らかだから、消耗し切るのを待っていればいい。
どっちにしろ時間の問題である。
何しろ日華事変がはじまって二年目の昭和十四年に、すでに物資は欠乏しはじめていた。
話は横道にそれたが、昭和十四年にすでにその状態である。
そしてこの状態に至ったわけは今想像してもある程度はだれにでもわかることであろう。
陸軍は最盛時七百万だから、当時の日本人の一割である。
従って今に換算すれば約一千万。
最も重要な働き手ばかり一千万を集めて南海の島々におくり、ここで、全く経済性を無視したあらゆる浪費をさせる。
同時にすべての輸入はストップ。しかもこの浪費分は残った少年や老人や女性でせっせと補給する。
敵による被害を考えなくとも、いずれ破産することは、子供でもわかる。
さらに、この補給という問題を度外視した兵棋演習ですら、兵力差のため陸海ともに初めからダメ。
輸送という面からだけ見ても、小学生の単純な算術だけでもダメ。
何しろ、鉄鋼、石油、戦略物資から食糧まで自給できないということは、この供給が断ち切られた瞬間に、航空機が離陸したと同じ状態になる。
しかも着陸できる飛行場がないのだから、いわば「使い切ったらおしまい」で、墜落か不時着か、いずれにしろ大事故になるにきまっているわけである。
無条件降伏当時、日本には戦爆特攻合わせて約一千機が残っていたそうだが、燃料はすでになかった。
まことに象徴的で、すべての面での「燃料切れ墜落」をよく表わしている。
従って小学生の単純な計算から結論を出せば、毛沢東がいようがいまいが、彼が『持久戦論』を書こうが書くまいが、たとえ中国共産党が総崩れになって日本軍が延安から甘粛まで進撃するという事態になろうがなるまいが、「大日本帝国号」の燃料切れ墜落は、はじめから時間の問題である。
従って、非常に単純な計算しか出来ない人間には、「負けるべくして負ける」ことは、始める前から自明のこと、いわば1+1=2ぐらい自明のことで、他の要素を何一つ加味する必要もないことである。
一方私は「死にそこない」である。
墜落機から命からがら這い出して来たら、機長が「いや落ちることは、燃料をはじめあらゆる面から計算して、実は初めからわかっていたのだ」と言ったら「それじゃ一体なぜ飛んだ」と言って憤慨するのも当然であろう。
そして最後には、一体全体、どういう基本的発想のもとに、いかなる思考回式によって飛び立ったのか何としても知りたい、というのが一種の執念のようになってしまった。
(次回へつづく)
【引用元:ある異常体験者の偏見/ある異常体験者の偏見/P10~】
◆日本が負けた理由
(新井氏の場合)
・物量を圧倒する”中国民衆の燃えたぎるエネルギー”という「精神力」によって敗北。
(収容所の高級将校の場合)
・戦力のシミュレーション結果からもわかるように、「近代戦の能力がないこと」によって敗北。
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平
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(前回の続き)
一体、人がこうなったとき、どんなときに「救い」を感ずるのであろうか。
皮肉なことに、「人工」に接したとき、人工の産物があるらしいと知ったとき、人びとはほっとして「希望」を感ずるのである。
人間は好むと好まざるとにかかわらず、そのようにつくられた生物であり、人工によって自然を自分に適合するように変え、それによって食物を生産することによってのみ生存が可能なのである。
中国軍がまだ延安にいたころ、まず農地を整備して「食」を確保した。
彼らは、それが基礎であることを知っていた。
これは米比軍も同じで、米軍の再来まで頑張りつづけた彼らは、まず山中のジャングル内に「隠田」ならぬ「隠畑」を、焼畑農耕の方法をつかってつくりあげ、それで「食」を確保してから、ゲリラ戦を展開した。
これがない限り、日本軍が呼号した長期持久も遊撃戦も、実行不能なスローガンにすぎないのである。
本当に、人間が生物であるという認識に立っていたら、これらの準備は日本軍にもできたことであった。
日本が単に「物量で敗れた」のでないことは、この一事でも明らかであろう。
そして皮肉なことに小松氏たちは、かつての米比軍ゲリラの根拠地に入って、そこで「人工」に接してはじめて「希望」を見出し、これを「希望盆地」と名づけるのである。
この例は、実は、比島戦に意外なほど多い。
レイテでも、撤退に撤退を重ねて、第三十五軍司令官鈴木中将が、カンギポットという山に逃げこむ。
そしてそこの洞窟に入ってみると、それが数日前までゲリラの根拠地、彼らが、米軍の上陸・進撃に符牒を合わせて、つい数日前にそこを去ったらしい痕跡まで発見されるといった例まである。
小松氏は、そういったかつての敵の根拠地にたどりついたときの状況を記しているから次に引用しよう。
◆食糧あと一週間分となる(末尾)
十九日、珍しい晴天だ。谷川を下る。石を飛び本の根につかまって苦心、谷川下りだ。
(~中略~)
ジャングルの中に入ると良い道があった。
しばらく行くと大きな家がある。
最近まで米軍が居た跡だ。
無電装置がしてあり、アンテナが張られていた。
この道は敵に通ずる危ない道ではあるが、近くに畑がある事が予想され気分が明るくなった。
米軍の永久抗戦の用意の良さに感心した。
日本のそれは口だけであるのに反して。
(後略~)
◆糧抹あと一食分となる
二十日も好天に恵まれた。マンダラガンのジャングルの中で毎日雨に打たれ山蛭がはい回る陰湿な所に永く住んだ者には、日当りの良いこの谷川は春の国に来た様な気がした。
行き倒れがニ、三人いる。
糧株は今日の昼食が終ると、あと籾が一握りか二握りしかない。
一昨日山で見た畑まで早く出たいものとあせる。
他の連中も気はあせっているが、体力がないので遅れがちだ。
(~中略~)
小さな山を一つ越えて別の谷川へ出た。
そこにも米軍のいた家が三軒程ある。
四、五十名は暮していたらしい。
いよいよ畑は近いらしいが、敵のいる可能性も大きいので拳銃を片手に進んだ。
後続はさっぱり来ない。
半時間程行くと林が切れて開墾地が見えた。
いよいよ敵地かと本の陰に隠れながら林を出た。
一面甘藷畑だ。これで肋かった、もう敵の事等忘れてしまった。
手近かな芋を引き抜いて土も落さずかじりついた。
甘い汁が舌に滲み通る様だ。
三、四本続けて食べた。
こうしてはいられんとあたりを見れば、木の皮で造った家やニッパーの家が十五、六軒見える。
人がいる。倒本の陰から様子をうかがった。
どうやら土人ではなく友軍らしい。
おそるおそる近づいて行けば向うの倒本の上に兵隊があお向けにひっくり返っている。
急に大声で「建設の歌」を歌い出した。
もう安心だ。
拳銃をサックに収めその具に近づけば、昨日はぐれた当直の安立上等兵だ。
この辺の様子を聞けば敵はいず、爆撃もなく、甘藷やトマト、山芋、里芋、砂糖黍等たくさんあるという。
ちょうど藷の焼けたのがあったので御馳走になる。
甘藷がこんなに旨い物とは知らなかった。
安立が砂糖黍とトマトを取ってきてくれた。
腹が一杯になった頃、ボツボツ後続の連中が来出した。
芋畑を見て狂喜して皆土のついたまま生芋をむさぼリ食べている。
副島老等泣いて喜んでいた。「助かりました、助かりました」と言いながら。
空屋三軒に一同分宿した。
当分ここで芋を食べ放題食べて体力を作る事とした。
久々に床と屋根のある家に超満腹の太鼓腹をなぜながら、命が肋かった喜びを語り合い寝た。
この畑地を、生きる希望を得たという意味から希望盆地というようになった。
◆希望盆地
六月二十日、鶏鳴に目を覚ます。
「おい鶏がいるぞ」と、朝食の芋を皆で掘りに行く。
希望盆地はネグロス最大の河、バゴ川上流(の支流)マンダラガン連峰の南端にある。
南にバゴ川本流をへだててカンラオン山が見える。
東南の傾斜面の五抱えも十抱えもある大森林の大本を切り倒し焼き払った後ヘ畑を作ったのだ。
これは皆米軍のやった仕事だ。
小高い所へ登ってみると、南の方はこんな畑の連続で小屋もたくさん見える。
甘藷、カモテカホイ(キャッサバ)、トウモロコシ、里芋、太郎芋、陸稲、イングン、煙草、唐辛子、ショウガ、カボテャ等が栽培されている。
米軍の自活体制の規模の仕大さに驚かされた。
毎日芋やカモテカホイを腹一杯食べて、体力はメキメキと回復した。
一日に三回位大糞をする程食べた。
(後略~)
◆希望盆地を通過する人達
自分達がここに根を下してから、四、五日すると、毎日大勢の兵隊が山から出て来た。
皆糧秣を失い、或いは病気となりヒョロヒョロになっている。
皆初めて見る芋をむさぼる様に生のままかじり付いている。
我々の家は小高い所にあるので、彼等が登って来るのが一目で見える。
五十メートルの坂道がどうしても登れず泣き出す兵隊もいた。
(~中略~)
多い日は二百名位の兵隊がこの盆地に来、手当り次第芋を掘って食べるので一面の芋畑もすっかり食い荒された。
我々の糧秣も毎日遠くの畑まで行かねばならなくなってきた。
希望盆地には椰子の木も有り、三階建の大きな家も有り、この家には三階までかけ樋で水が引いてあり七十名位は入れた。
読み方によっては、何とも皮肉な記述である。
「大東亜戦争は百年戦争である」とか「現地自活・長期持久」などと呼号していた日本軍には何一つ長期的な準備はなく、三年ぐらいで比島を奪還するつもりでいた米軍の方が、何年でも持ちこたえうる準備をしてゲリラ戦を展開していたとは。
さらに、彼らが捨てていった基地にたどりついて、そこではじめて「希望」を感じて希望盆地と呼びながら、たちまちそれを食いあらし、食いつぶしてしまうとは――。
しかしそれでも、この「人工の場」にいる間だけは、人間は、人間らしい感情をもっているのである。
(次回へ続く)
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第九章 生物としての人間/P239~】
Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
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