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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「なるなる論」法からの脱却を目指そう/~日本人の思考を拘束している宿命論~

今回ご紹介する山本七平のコラム『「なるなる論」の功罪』は、日本人の行う議論が陥りがちな陥穽についてかかれたものです。

いわゆる「軍靴が聞こえる」論などは、まさにこの「なるなる」論の典型といってよいと思いますが、日本人の議論が不毛になる場合には、常にこの「陥穽」に陥っているのではないでしょうか。
それでは、以下引用開始します。

「常識」の研究 (文春文庫)「常識」の研究 (文春文庫)
(1987/12)
山本 七平

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◆「なるなる論」の功罪

大分前のことだが、ある教授と話をしているうちに、大学における「議論」というものは、大変に面白いものであるという話になった。

教授が笑いながら、大学紛争のとき、火事になった際、消防士を校内に入れてよいかどうかが問題になったと言った。

「紛争が起こっても機動隊を入れてはいけない」
「では、火事になっても消防士を入れてはいけないのか」
「いけない」


といった種類の議論で、教授は「消防士は、学問の自由とは関係ないでしょうにね。大学内の議論は、時々ヘンな方向へ行ってしまうものです。余りに論理的なのですかな」と言って笑った。

これはまじめな討論ではなく、雑談の間に出てきた一笑話なのだが、後でなぜそういう結果になるかを考え、その間にどういう論理が作用しているかを想像したとき、これは大学だけでなく、われわれの社会のすべてに通ずる問題ではないかと思った。

同じ社会に存在する以上、大学だけに全く別の論理が作用するとは考えにくいからである。

論理というよりも、そういう結論が出る思考の過程を結論の方から逆にたどっていくと、次のようになるに相違ない。

「火事のときに消防士を入れてよいとなると、結局、紛争のときには機動隊を入れてよいということになる。

そうなると小さな紛争のうちに警察官をいれた方がよいということになり、次に紛争を芽のうちに摘んでしまうために刑事をいれた方がよいということになる。

となると……となり、さらにそれが……となって、最終的には学問の自由が侵される」。


これを「学問の自由」の方からたどれば、「火事になっても消防士を入れてはならない」という結論になるであろう。
議論はおそらく、そのような形で進行したものと思う。

この思考の過程にあるものは、何であろうか。

それは簡単にいえば一種の宿命論で、「こうなるとこうなり、そうなればああなる……」という「なる」の論理であって、そこには意志的な「する」がないのである。

そしてこの論理に拘束されると、人間は何も「する」ことができなくなる

では何もしなければよいのかというと、そうはいかない。
というのは「何もしないとこうなる。こうなると、ああなる……」という形になり、最小限、何かをしなければならなくなる。

そこで、何かをしているが、実際には何もしないという状態に陥り、日常業務が機械的に動いていく以上のことは一切しないという状態に安住する結果になる

以来私は、この議論を「なるなる論」と呼んでいる。

そしてこの「なるなる論」の方式をあてはめて、何かの議論の跡をたどってみると、現在マスコミで論じられているさまざまの議論が、実はこの「なるなる論」であることに気づく。

有事立法も、原子力発電の問題も、教育論も福祉論も、みなこの「なるなる論」に落ち着いていくのである。

その結論はしばしば、「火事になっても消防士を入れてはいけない」式になっているが、この結論から論理を逆にたどると、大学におけるこの種の議論とほぼ同じ過程をたどっており、到底これを笑うわけにはいかなくなる。

この「なるなる論」の面白い点は、それが反論不可能だという点である。

事実前記の教授も、消防士を入れてはならないという結論になったとき、これに的確に反論できなかったらしい。

さらにそこに、これに反対する者は、学問の自由を売り渡そうとする権力の手先だ…などという非難・糾弾が入ってくると、どうにもならなくなって当然であろう。

従って、反論されまいとすればこの「なるなる論」がもっとも便利だから、マスコミに愛用されても不思議ではない。

この「なるなる論」は、組織が、その組織を存立させている目的を見失ったときに起こる

いわば大字が「教育をする」「研究をする」というその目的への意識的な対応、すなわち「する組織」である限り、その「する」に対応して、発生するさすざまな現象にどう対処するかという「する」が問題になるが、この基本が失われれば一切は「なる」に還元される

そして「なるなる論」は、だれかの「する論」を「そうするとこうなる、こうなると……」という形で葬ってしまっても、決して自分の方から「こうすべきだ」とは発案しない

企業にこれが出てくると、それは倒産への第一歩と考えてよいであろう。
もっとも、これは企業だけの問題ではないが……。

【引用元:「常識」の研究/P128~】

私もブログ上で議論することが多いのですが、考えてみれば、この「なるなる」論法にはよく出くわします。
(そういう自分自身も意識せず使っているかもしれませんが)確かにこの論法で反論され、そこに「資本家/ペンタゴン/ユダヤ等等の手先」といった”批難”を加えてこられると、なかなか反論するのが厄介ですね。
(なるなる論のわかりやすい例としてはこちらのブログでしょうか。)

そもそも左翼の日米同盟に反対する論理なんか、まさにこの論法そのもの。
日米同盟を深化させると、アメリカの戦争に巻き込まれる……なんてのは、そこに自らの主体的な「する」という意識がまったく欠けています。

実際、このなるなる論理に拘束されている日本人って、かなり多そうですね。
宿命論に基づいた受身的な論理で、そこには能動的に「する」という考えが入り込む余地が殆ど無い。

そうすると、現状を批判すれども、一切それを変えようという「考え方」が思い浮かばず、単なる「現状追認」となんら変わらなくなってしまう。
その結果、その主張は単なる感想文/便所の落書き程度のレベルに堕してしまうことになります。

山本七平は、企業組織がこの状態に陥ったら、倒産の第一歩だと指摘しましたが、確かに企業だけではなく社会全体に当てはまる問題だと思います。

われわれは、こうした「なるなる論」に”拘束”されがちであるということを、意識的に自覚した上でそれを克服しようとせねば、実りある議論や結果というものは生まれてこないのではないでしょうか。

そうはいっても、なかなか「なるなる論」にドップリハマッている人には、難しいかも知れませんが…。
考えてみれば「なるなる論」にハマる人って、陰謀論にもハマる傾向が強いように思いますね。
受動的な人ほど、被害妄想の気も強そうですし。


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ipodtouchに内蔵されたbluetooth機能を利用して、音楽を古いipodスピーカーに飛ばしたら、快適音楽ライフが実現しますた(嬉)

いま世間ではiphone4が話題なんだろうけど、私はipodtouch(3rd)をいじるのに夢中です。
特に気に入っているのが、ipodでWI-FI経由でネットラジオを聴くこと。
パソコンを立ち上げずに聴くことができるのが手軽でいい。
これなら、そもそもipodの中に曲を詰め込まなくてもいいようにさえ、思えてしまう。

今まで家でipodの音楽を聴く場合は、ipodスピーカーにipodnanoをブッ刺して聴いていたのですが、刺した状態でipodをいじると、どうもコネクタに負担がかかりそうで嫌でした。

私が使っているipodスピーカーはこちら↓
プリンストンPSP-312IP
・Princeton 2.1chマルチメディアスピーカー(iPod用) PSP-312IP ホワイト

そこで、我が愛機のipodtouchに内蔵されたbluetooth機能を利用して、音楽をこの古いipodスピーカーに飛ばすことを考えた次第。

そこで買ったのが、これ↓
サンワサプライMM-BTAD16BK
・iPodスピーカーのドックコネクタに装着するだけでBluetooth対応スピーカーにできるオーディオレシーバー。ブラック。

これが、プリンストンのipodスピーカーに接続できるかちょっと不安だったのですが、大丈夫でした(嬉)。
おかげで、touchを直接ipodスピーカーに刺さなくても音楽を楽しめるようになりました。
(ただ、音量を調節できないのが非常に残念無念。これってbluetoothで制御できないのかなぁ…)

しかし、単なるipodスピーカーで、AM/FMが聴けるようになるとは…。
ネットにつながるというのは、凄いことなんだなぁ~と改めて実感。

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生物としての人間【その5】~飢餓状態がむき出しにする「人間の本性」~

以前の記事「生物としての人間【その4】~飢え(ハングリー)は怒り(アングリー)~」の続き。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平

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前回のつづき)

◆人間習性

人間の社会では、平時は金と名誉と女の三つを中心に総てが動いている。
それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。

ただ、教養や色々の条件で体裁良くやるだけだ。
それでも一家が破産したり主人公が死んだりすると、財産の分配等に忽ち本性を現し争いが起こる。

戦争は、ことに負け戦となり食物がなくなると食物を中心にこの闘争が露骨にあらわれて、他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには、死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。

◆ミンダナオ

ここは全比島の内で一番食物に困った所で友軍同志の撃ち合い、食い合いは常識的となっていた
行本君は友軍の手榴弾で足をやられ危く食べられるところだったという。
敵も友軍も皆自分の命を取りにくると思っていたという。
友軍の方が身近にいるだけに危険も多く始末に困ったという。

◆ルソン島の話

ここへ来てルソンの話を聞くと、初めは大分やったようだが、あとは逃げただけだった事が分った。
しかも山では食糧がないので友軍同志が殺し合い、敵より味方の方が危い位で部下に殺された連隊長、隊長などざらにあり、友軍の肉が盛んに食われたという。
ここに致るまでに土民からの略奪、その他あらゆる犯罪が行われた事は土民の感情を見ても明らかだ。

◆人を殺して平気でいられる場合

ストッケードで親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた。
この人はミンダナオ島で戦い、山では糧株が全くなかったので友軍同志の殺し合いをやったという。
ある日友人達を殺しに来た友軍の兵の機先を制して至近距離で射殺した事があると話してくれた。
そしてその行為に対しては少しも後悔も良心の呵責もないといい切っていた
それはその友軍兵を自分が先にやらねば必ず自分か殺されているから、自己防衛上当然やむを得ない事だといった。


もちろん小松氏は、すべての人間がこうであったとは言っていない。

こうならなかった人間も「千人に一人いるかいないか」ぐらいの割合でいた、と記されており、これらの文はその人のことを記すための前文だといえる。

確かにそういう人もいたのだ。

私の知る範囲でも、自らを殺して部下を教った非常に立派な人はいた。
だがそれは例外者であり、例外者は基準にはならない

またこのことは教育水準にも無関係である。

小松氏が「人を殺して平気でいられる場合」の冒頭に「ストッケード(収容所のこと)で親しい交際をしていた人の内に最高学府を出た本当に文化人的な人がいた……」と記している。

おそらくその人は、本当の「自然に帰った」状態を強いられることがなければ、生涯、自分にそんな一面があろうとは、夢にも思わなかった人であろう。

それはいまの多くの人が、自らがそうなろうとは夢にも思わずに、平気で「自然に帰れ」などと言っていられるのと、同じ状態であったろう。

(次回へ続く)

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第九章 生物としての人間/P236~】


今回の小松真一の引用部分などは、いわゆるネトウヨなら真っ先に否定しそうな内容ではないでしょうか。
一方、左翼なら日本軍の”残虐非道さ”を示す例として嬉々と取り上げるかもしれませんね。

しかし、左右いずれの受け止め方も小松真一山本七平が言いたかった「真意」から程遠いといえるでしょう。

彼らが指摘したかったことは、人間の醜い本性は、飢餓により露わになってしまうこと。
そしてそれは、教育水準とか人種・民族によるものではないことだったはず。

しかしながら、自らが飢餓に陥った場合を想像できない「生物的常識を欠如した」人間には、それがどうしてもわからない。
わからないでいるからこそ、平然とそうした飢餓に陥った人間のなした行為を、暖衣飽食の環境に居ながら”糾弾”できる。

そしてそうした状況に陥った先人の行為を糾弾しながら、自分自身は野蛮な彼らとは違う人間であると規定し、道徳的立場から見下す。

私が左翼が嫌いな理由は、まさにこの一点にあります。

ところが、フィリピンのジャングルで飢餓状態を経験した小松真一山本七平もそうした振る舞いとは無縁でした。

であるからこそ、左右のイデオロギーに捉われることなく、自らの視点に立って、危機状態に陥った人間が取る「醜い本性むき出しの行動」をありのままに克明に記すことができたのでしょう。

そして、そうした地獄を体験した山本七平が、「生物学的常識を欠如した」人間の心無い”糾弾”に対して疑問を呈している記述を以下引用紹介して、今回の記事を終わります。

(~前略)

またNHKのように、「侵略戦争が人間を荒廃させたのデス」などといって、あれは、今の自分とは関係がない別の人間がやったことだという顔をしてはならない

現にそれは堂々と口にされ、平然と活字になっているではないか。
そして別にだれも、それを不思議としていないではないか。

それどころか、それに、喝采を送っている人すらいるではないか。

それに喝采を送っていてどうして戦場の兵士を「獣兵」などといえるのか

彼らは立派なデスクを前にした快適な落着いた雰囲気にいたのではない

こういう恵まれた環境にいて平気で生体実験が口にできる者(註)に、またそれに喝采を送るものに、彼らを批判する資格があるであろうか。

(註)…百人斬り論争において、本多勝一が「いくら名刀でも、いくら剣道の大達人でも、百人もの人間が切れるかどうか。実験してみますか、ナチスや日本軍のように人間をつかって?」と”生体実験”的発想を駆使して反論したことを指す。

【引用元:私の中の日本軍/悪魔の論理/P131】



【関連記事】
◆生物としての人間【その1】~残虐日本軍を糾弾する左翼と、インパール作戦を称揚する右翼に通底する「生物学的常識の欠如」~
◆生物としての人間【その2】~理性信仰という名の空中楼閣~
◆生物としての人間【その3】~飢えは胃袋の問題ではない~
◆生物としての人間【その4】~飢え(ハングリー)は怒り(アングリー)~
◆生物としての人間【その6】~日本は単に物量で負けたのではない~
◆生物としての人間【最終回】~人間らしく生きるために必要なこと~

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ipodtouchにハマる

ツイートでも話しているようにipodtouch(32MB)を衝動買いしてしまいました…orz。

本当は、今話題のiphone4が欲しかったけどまだ今の携帯の2年縛りが終わってないし、期待していた64GB版が出無いようなので、その代わりとして。

で、早速使って見たけれど我が家のネット環境は有線のADSLしかないので、慌ててモデムに挿す無線LANカードをアマゾンに注文。

無線LAN環境が整うまでiTunes経由で、アプリをダウンロードすればいいやと考えていた処、ここでトラブル発生。

ダウンロードしたアプリが起動しないのです。
ネット↓で調べて見ると、結構起きている症状らしい。

◆ipod touchに入れたアプリが立ち上がらない
http://d.hatena.ne.jp/hakkatabaco/20090128/1233102246

◆iPhone 社外アプリ起動不可問題解決法
http://vintagecomp.livedoor.biz/archives/51069765.html

要するに、デフォルトで入っているアプリは問題なく起動するのだが、追加のアプリは一瞬起動するもののすぐに落ちてしまうのです。
上記サイトでは、リセットや復元すれば治るとか、一旦アプリを削除して再インストールすれば治るとか、書かれているのだが、幾らやっても治らない。

はて、困ったわい…と途方にくれていた頃ようやく無線LANカードが到着。
早速つないで見る。
無線LANの設定は初めてだったので心配だったが、難なく成功。

そこで、ipodtouchに直接アプリをダウンロードしてみたところ……、
あっさり起動した(嬉)。

itunes経由じゃ幾らやってもダメだったのに~。
なんだかキツネにつままれたような気がしますが、とにかく一安心。

それ以来、しょっちゅういじっているのですが、ネットとつながるってのは実にスゴイことなんですね。
以前所有していたipodnanoのような単なる音楽プレーヤーとはまったく違う。

ネットは見れるし、ツイッターは出来るし、ネットラジオは簡単に聴けるし、youtubeも快適に見れるし…などなど。
便利な世の中になったものです。

このようにネットとつながることの威力を思い知らされると、やっぱりiphone4が欲しくなってくる…。
携帯の2年縛りが解ければ、たぶん購入しちゃうだろうなぁ…。

これからいろいろipod関連グッズを買わなきゃならんし、ちょっとした金食い虫の原因になりそう…。
これだからお金は貯まらないんだろうな。


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ある異常体験者の偏見【その1】~日本を破滅に追い込んだ「思考図式」~

今までも、何度か引用したことのある山本七平の本「ある異常体験者の偏見」ですが、今後シリーズで紹介して行こうと思います。

今まで私が読んだ彼の著作の中では、この本が一番とっつきやすいというか、非常に噛み砕いて説明しているんじゃないかと。

この本は、なぜ日本が無謀な戦争に突入していったのかという理由について、様々な角度から分析しているのですが、比較的平易な説明でわかりやすいと思うのでお勧めです。では、早速引用開始していきましょう。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平

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■ある異常体験者の偏見

ときどき「山本さんは戦争中のことをよく億えていますね」といわれるが、こういうことは、形を変えてみれば、だれでも同じだということに気づかれるであろう。

たとえば航空機事故である。

ニュースとしてこれを聞いた人はすぐ忘れるであろうが、本当に落ちて、全員死亡した中で奇跡的に助かったという人は、そのことを一生忘れ得ないのが普通である。

それは、「思い出すだに身の毛がよだつ」という体験で、本人にとっては何とかして忘れたいことにすぎない。

「戦争体験を忘れるな」という人がいるが、こう言える人は幸福な人、私などは逆で、何とかして忘れたい、ただただ忘れたいの一心であったし、今もそれは変らない。

こういう体験者には、必ず一種の「偏見」があると思う。

確かに「飛行機はそう落ちるもんじゃありませんよ」という言葉は事実であろうが、それは航空機事故の体験者には簡単には通じないし、また「落ちた」ことも確かに事実で、また「将来、落ちる」ことも事実なのである。

大日本帝国号」という飛行機は確かに二十八年前に墜落し、何百万という犠牲者を出しただけでなく、周囲一帯に恐るべき損害を与えた。

一体なぜ落ちた

二月号の『諸君!』を読むと、一航空機の墜落事故すら、さまざまな要因が重なりあって、簡単に解明できない場合がある。

まして「大日本帝国号」ともなれば、無限といってよいほどの要因が重なりあっているであろう。

しかし本当に将来二度と墜落すまいと思うのなら、この要因の一つ一つを洗い出して検討していく以外には方法がないと私は思う。

私は、「臨時雇い」であったとはいえ、最末端の乗務員の一人であって、旅客ではない。

もちろん何の権限もないが、しかし乗務員室に入っていてその運航法を見ている。

そしてそばで見ていて、また何かやらされて、たえず「おかしい、おかしい、これはどう考えてもおかしい」「何か基本的な発想、または思考の図式に根本的な誤りがあるのではないか」「このまま行ったら墜落しないはずはないが……」と思いつづけていたことも確かにある。

従って、私が、人が何とも思わない言葉や文章の中に、そのとき感じたと同じことを感じて一種のショックを覚えても、それは私自身にも防ぎようのないショックである。

従ってそれらの言葉や文章について私が何か書いたら、当然その人からの反論もあると思う。

私が、体験者には必ず「偏見」がある、といった「偏見」の意味は、このショックのことである。

最近一種のショックを覚えたのが『文藝春秋』十一月号の『森氏の批判に答える』という新井宝雄氏の一文(ニ八五ページ参照)であった。もちろん私は中国については何も知らない。

ただ瞬間的に変な気持になってくるのが、新井氏の発想と一種の思考図式とそれに基づく一方的断定ともいえる一種の「軍人的断言法」なのである。

次にその一例を掲げる。

……強大な武器を持っていた日本がなぜ中国に敗れたのか。それは偶然に負けたのではなく、負けるべくして負けたのである。

それは、なかば、植民地化された中国を、独立した近代国家にしたいという中国の民衆のもえたぎるエネルギー、いいかえれば反帝・反封建の道を進んできた中国革命の力量によって負かされたのである。


お断りしておくが、以下は異常体験の体験者の偏見として読んでいただいてかまわない。

即座に感ずることは、少し表現を変えれば、これはわれわれが絶えず言われていたことだ、そして言い方が同じだ、ということ。

第二が、この発想と思考図式がわれわれを死ぬほど苦しめ、ついに多くの人を殺したのだ、ということ。

第三に、この考え方が日本を破滅させたのだ、ということ。

第四に、過去の図式をそのまま裏返しにして日中関係にあてはめているにすぎないのではないか、従って基本的発想と思考の図式そのものは、あの時代の軍部と少しも変っていないのではないか

と言ったようなことが渾然一体となって一種の衝撃となるだけでなく、いわば砲兵隊本部の「走り使い」をしていて、文字通り命がけで争わねばならなかった相手は、実はこの思考図式であり、「変だ変だ」と思いつづけていたのもこれであったという、実に苦々しい思い出がよみがえってくるのである。

確かにこれは、墜落体験者の偏見かも知れぬ。

それならそれでよい、ただ以下に、ではなぜそういう偏見を持たざるを得なくなったかを詳述しようと思う。

これは確かに「大日本帝国号」の墜落の一因と私は思うからである。

(次回につづく)

【引用元:ある異常体験者の偏見/ある異常体験者の偏見/P7~】


山本七平が引用した新井宝雄氏の文章を、仮に予備知識なしに私が読んだとしたら、「何か随分と断定的で、抽象的だなぁ」…と思う程度で何の違和感も抱かないし、するすると読み流してしまうでしょう。

その文章のなかに、日本を破滅においやった「思考図式」が表れているとは到底想像し得ない。

それに気付くことができるのは、山本七平の感受性・分析力の「鋭さ」なんでしょうが、そうはいっても、やはり命からがらフィリピンのジャングルから生還した「異常」体験があったればこそ、なのでしょうね。

この本を読んでつくづく考えされられたのは、日本を破滅に追い込んだのは、決して「一握りの軍部」でもなければ「天皇制」ではなく、山本七平がこの本を通じて暴いた「思考図式」そのものであるということです。

ならば、自らが”無意識的に拘束”されているこの「思考図式」というものについて、意識的に再把握し、そうした「思考図式」がもたらす「欠点」について省みることが必要ではないか。
そして、それこそが「反省」するということなのではないか、と思うのです。

それでは次回から、なぜ負けるとわかっていて開戦したのか、について山本七平の記述を紹介していきます。
ではまた。

【関連記事】
◆ある異常体験者の偏見【その2】~二通りある「負けるべくして負けた日本」~
◆ある異常体験者の偏見【その3】~戦争を引き起こす『確定要素』対『不確定要素』という構図~
◆ある異常体験者の偏見【その4】~砲兵が予告した「冷戦時代」の到来~
◆ある異常体験者の偏見【その5】~「精神力」対「武器」という発想→「地獄の責め苦」~
◆ある異常体験者の偏見【その6】~「確定要素」だけでは戦争できない日本~


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日の丸君が代問題を「思想信条の自由」と勘違いしている教師とその賛同者をプロファイリング【その2】~共同体を貶めつつ、その恩恵だけはあずかって当然とする傲慢な人たち~

だいぶ時間が経ってしまいましたが、以前の記事『日の丸君が代問題を「思想信条の自由」と勘違いしている教師とその賛同者をプロファイリング【その1】~子供の成長の機会を奪う馬鹿教師達~』の続き。

昔の記事『日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。』において、日の丸・君が代の強制というのは、子供の教育上の”しつけ”であって、大人の思想信条を侵すものではないと主張してまいりましたが、今回のエントリーでは、彼らがどのような連中であるか、思いつくまま整理もせず、箇条書きで挙げていくことにします。

●単なる嫌悪感の表明に過ぎないないのに、「思想信条の自由」という”偽看板”を掲げている。

●子供の教育よりも、己の主張を優先する聖職者にあるまじき連中である。

●「思想信条の自由」とか巧妙な宣伝文句をたくみに操り、公に反することを工夫し続ける連中である。

●都合のよい法解釈ばかり強調し、都合の悪い指摘にはシラを切るという二重基準を平気で使う連中である。

●綺麗事を唱えつつ、己の欲求を満足させようとする連中である。

●親方日の丸に寄生しながら、その日の丸を貶して恥じない自立心皆無な連中である。

●体制に反抗するポーズを取ることで、ナルチズムに酔う幼稚でわがままな連中である。

●基本を教えることの大切さもわからないで、いきなり「個性・多様性」の大切さを謳う連中である。


とまぁ、こんなところでしょうか。
しかし、親方日の丸に守られながら、権力に抵抗するポーズを取るなんて本当に甘ったれた連中ですねぇ。
このような先生方のもとで、ロクな子供が育つわけがありません。
綺麗事を唱え、他人にタカるだけの人間ばかり、量産するようなものです。

そんな人間ばかり量産したら、社会が崩壊してしまうことでしょう。
そもそも、共同体に対する敬意の無い人間によって、良い社会を築けるわけが無いんです。
どんな共同体にも、聖なるシンボルが存在し、それがあるゆえに、より良い共同体にしていこうという気持ちが生まれてくる。

シンボルが誰からも敬われなくなれば、その共同体は崩壊していく。
当たり前のことですね。

しかし、彼らは平気でシンボルを否定しておきながら、一方で共同体の恩恵だけはしっかり要求する。
本当に手前勝手な連中です。

結局のところ、社会をよくするには、本当の被害者と「エセ被害者」とをしっかり見分ける必要がありますね。
もちろん、日の丸君が代に反対している教師たちというのは、明らかに後者に属するわけですが。

しかし、つねづね思うことですが、左翼というのは、権利ばかり主張して義務に対してはまったく無関心という傾向が非常に強いですね。
やっはり、左翼の論理というのは、怠け者にとっては実に都合がよい論理なのだなぁ…と痛感する次第。

余談になりますが、民主党本部には、日の丸が飾られてないと聞きます。
新しい首相の菅直人は君が代を歌わないと聞きます。

こうした共同体のシンボルを蔑ろにする政党が、この国を動かしている事実には、ある意味、ゾッとせずにはいられません。


【関連記事】
・日の丸君が代問題を「思想信条の自由」と勘違いしている教師とその賛同者をプロファイリング【その1】~子供の成長の機会を奪う馬鹿教師達~
・日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。
・日本人に足りないのは、「公の心」と「判断力」


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生物としての人間【その4】~飢え(ハングリー)は怒り(アングリー)~

以前の記事『生物としての人間【その3】~飢えは胃袋の問題ではない~』の続き。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平

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前回の続き)

現実にまだ飢えていなくても、飢えが迫ってきそうだという予感だけで、人は異常な不安にとりつかれ、いらいらしはじめる

こういうときぐらい、各人の性格がはっきり出てくるときはない。
その結果、わずか一口足らずのミルクのことで、殺したり殺されたりがはじまりそうになる

◆食糧あと一週間分になる(一部) 

(~前略)

副島老人と堀江の姿が見えない。
船越は彼等が逃亡したものと早合点し、射殺すると言い拳銃片手に彼等の下ったと思われる谷川を追って行った。
我々は、昨日寝た所まで帰り又小屋を建てた。
小屋ができ上った頃二人がやっと来た。
疲れて路から少し入った所で休んでいたという。
三時間程たって船越が帰ってき、余りに興奮していつになく早く歩いたので又発熱した。
自分の早合点で勝手に追いかけたのだから文句も言えず、心中は唯では収まらん様だった。

その夜、堀江が虎の子のミルクの缶詰を開け皆(五人)に平均に分けた。
その時隊長である船越に特別たくさんに分けなかったといって彼は激怒した。
品性下劣な男とかねてから聞いていたが話に勝る馬鹿者だ、皆あきれ返って以後話もしなくなる。
この日以来堀江は事々にいじめられた。
ミルクの執念恐るべし。
この男生れが悪いか、生来のひねくれ者か、忠告すれば隊長の威信にかかわったとでも言うのか、かえって反対の行動をとるので一切言わん事とした。
その内兵隊に殺される類に属する男だと思って。


確かにここでは人間の品性が作用する。
しかし、人が飢え出すと、品性に関係なく、何かを食べようとし出す
そしてその際、自己の品性を落さずに入手できる食物だけ食べていようとすると、これまた奇妙な結果になってしまう。

人が、胃の腑につめこめるものは、何でもつめこんで、空腹を「だまそう」とする。
われわれも、手に入るもので、食べられるものは何でも食べた。

パパイヤの木の根――これはゴボウぐらいの堅さなので煮ればどうやら□に入れられた。
パパイヤの木の芯――これは白い中空の筒のようなもので、何とか食べられた。
さらに毒イモ――舌も唇もしびれ出すサトイモに似たイモ、またドロドロするほどアクの出る、シダのバケモノのようなヘゴの一種の芯に到るまで。

しかし、生物学的常識のなかった私は、それらの「物」が「食物」という点では、実際には、何の意味もないものであったことを、三十年後に小松氏の記述で知ったわけであった。

氏はそれらに澱粉反応があるかないかを試験され、食べても無意味と記されている。
だが、こういう無意味な食物ならぬ「物」をとりに行って命を落した者さえあった。
しかしその小松氏にも次のような失敗がある。

◆果物に中毒

川辺に小さな無花果の様な実のなる本がたくさんあった。
皮をむいてなめてみれば甘いので少しずつ食べてみる。
別に毒でもない様なので皮ごと食べてみると甘味は更に強い。
これはうまい物を発見した。
これで一食米を食いのばしてやれと木に登り腹一杯食べるに急に気持悪くなったので、指をのどに入れ全部吐いてしまった。
それでもその日一日、頭がフラフラして弱った。


小松氏はまたミンダナオで靴や図嚢まで煮て食べた例を記されている。
こういう食べ物は、実際には何の栄養もないから、ただ満腹しつつ衰弱が早まっていくだけである。

そうなる頃には、人の相貌は変わり、体は骨と皮になり、目だけギラギラと光り、排便するだけの体力がなくなってガスが腹部に充満するから、「餓鬼」と全く同じ姿になる

そしてこの状態になると、その「者」が生きていようと、そのまま死のうと、それはもう人間とは別の生物と考えた方がよい。
「餓鬼」の絵に描かれている「者」の、あの独特な目つき、挙止、体形は、すでに人間のものではない。
餓鬼草紙
【上記写真↑引用元:餓鬼草紙/文化財オンラインより】

ああいう相貌を描いた人こそ、本当のリアリストであろう。
だが、人間はなかなか本当のリアリストにはなれない

そのため、あの「餓鬼」の絵は空想の産物と思い、一方では平気で「自然に帰れ」などといい、そしてそういうスローガンを掲げれば、本当に自然に帰れると思っているらしい。

そのくせ、ビアフラの写真を見て「かわいそうだ」という。
これはまことに奇妙で、空想的というより妄想的、支離滅裂的発想である

そしてそういうことをいう人の話を聞いていると、言っていることは結局、現代の資本主義的生産物の恩恵だけは十分に供与されながら、自然的環境の中で生活がしたい、簡単に言えば、自然的環境の中で冷暖房つきの家に住み、十分な食糧と衣料がほしい、ということにすぎない。

だがそれは、最も不自然な生活だから、それを自然と誤解しているいまの日本人が本当に自然状態に帰らざるを得なくなったら、おそらく全人口の七割ぐらいは、生存競争に敗れて死滅してしまうであろう

自然には、人間を保護する義務はない――ということは、自然状態のかえった人間も、ほかの人間を保護しないということである。

(次回へ続く)

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第九章 生物としての人間/P233~】


山本七平の戦争三部作「私の中の日本軍」「一下級将校のみた帝国陸軍」「ある異常体験者の偏見」においても、飢餓状態における人間がどうなってしまうかとか、死んでいく兵士の様子があちこちで詳細に綴られているのですが、こうした鋭い描写というものは、フィリピンのジャングルから何とか生き延びて出てきた人間でなければ描けないのかもしれません。

暖衣飽食が当たり前と考えている我々が、リアリストになりきることは大変難しい。
「虚構の論理」ばかり飛び交っている安全保障に関する議論一つを見ていても、それは明らかです。

このような山本七平小松真一などの「飢餓体験者のエピソード」を通じて理解に努めることこそ、リアリストに近づく方法だし、それに努めなければ、いずれ戦前の二の舞を演ずることになるでしょう。

次回は、人間の習性について記述された部分を紹介してまいります。
ではまた。


【関連記事】
◆生物としての人間【その1】~残虐日本軍を糾弾する左翼と、インパール作戦を称揚する右翼に通底する「生物学的常識の欠如」~
◆生物としての人間【その2】~理性信仰という名の空中楼閣~
◆生物としての人間【その3】~飢えは胃袋の問題ではない~
◆生物としての人間【その5】~飢餓状態がむき出しにする「人間の本性」~
◆生物としての人間【その6】~日本は単に物量で負けたのではない~
◆生物としての人間【最終回】~人間らしく生きるために必要なこと~

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「抑止力」論争を見て【その2】~日本の立ち位置~

以前の記事『「抑止力」論争を見て【その1】』の続き。
前回、「海兵隊抑止力無効」論者による普天間基地を「撤去」すべきとの主張が、単なる一基地の廃止にとどまる問題ではないことを指摘しましたが、今回は引き続き、今後どう考え、対処していくべきか考えていきたいと思います。

そのためにも、まず、日本の立場と役割を正しく認識することが真っ先に必要になります。
そもそも日本の置かれた立場や役割を正しく把握することなくして、正しい対策を講じることは出来ないからですね。
要は「敵を知り、己を知れば…」というやつです。

「海兵隊抑止力無効」論者には、情緒的反米という感情に捉われ、ひとりよがりで自己中な言動が目立ちますが、そうなってしまうのも、日本の立場・役割に対する正しい認識が全くないからか、若しくは1+1=2というような自明な事柄ですら、感情に左右されて理解しようとしないから…のいずれかだと私は分析しています。

それでは日本の立場とは一体如何なるものなのか。
簡単に箇条書きしてみますと…

●世界でも有数の対外債権国家(要するに金満国家)
  ↓
世界中から妬まれる立場にいるということ。
今のところアメリカと組んでいるので安全ですが、立場が悪くなれば、すぐに強請タカリの対象になるってことです


●エネルギーや資源、食糧の大半を輸入に頼る国家
  ↓
ライフラインを遮断されればお手上げということです。

●自由貿易体制における貿易立国として勝ち組
  ↓
自由貿易体制が崩壊すれば真っ先に困るという立場だということです。

●世界の主要国としては、物凄く防衛コストが低い(GDP比1%以下)
  ↓
「義務を負担せず、カネばかりもうけている」と世界中から思われているわけです。

●隣国に失地回復願望が強い中国がある
  ↓
中国のナショナリズムの標的ということ。
中国の理性には期待できないということでもある。


ざっと思いつくまま挙げてみましたけど、これだけ見ても日本の立場って実に脆弱だと思いませんか?

こうした現実を正しく把握しようとせず、「日米同盟がアメリカに利するばかりだ」とか、「日米同盟が日本の防衛に役に立たない」などと、自分勝手な寝言を唱えているのがいわゆる「海兵隊抑止力無効」論者なのです。

反米感情に流されて、そうした現実を見たくないのかも知れませんが、そういう人たちの主張が、仮に通ってしまったとしたら間違いなく日本の安全は脅かされ、現在の繁栄を保つことはできないでしょう。

現在の日本の立場は、その世界における異端でありながら繁栄を極めたという点で、ローマ帝国時代の古代ユダヤと非常に良く似ています。
そこで、過去記事↓でも紹介したことがありますが、山本七平がその類似性について指摘した部分を改めて引用紹介していきましょう。

◆”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-264.html

一つの教訓・ユダヤの興亡一つの教訓・ユダヤの興亡
(1987/11)
山本 七平

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(~前略)

ユダヤ人とギリシア人の争いは一転して、ユダヤ人対ローマ帝国の戦いとなったわけである。
なぜ、こうなったのか。

それはユダヤ人が富と特権をもち、これを当然の「権利」としてきたことへの反動があったであろう。

彼らはローマの市民権をもっても兵役を免除され、それでいながらパクス・ロマーナと広大で平和な市場を享受し、ユダヤの律法通りの自治を許され、富を蓄積してきた。

そのことへの反感、さらにギリシア・ローマ文明の優越性を認めようとしないこと、これが傲慢と感じられたのであろう。

◆ユダヤ人より上まわる現代日本人への反感

それは戦後の日本と一脈通ずるところがある

彼らが「カエサルの与えた特権」をもつように、日本人は「マッカーサーの与えた憲法」により軍備の重荷はなく、パクス・アメリカーナの維持にこの面で何一つ寄与せぬとされつつ、これを市場として百パーセント活用して富を蓄積してきた

そして日本人はそれを当然のこととし、高らかに平和論を口にしつつ、この面のアメリカの努力には全く敬意を払わず、むしろ批判し非難しつづけてきた。

そして自らの独自の生き方を当然とするだけでなく、それが欧米よりはるかに勝ると信じ、勝るがゆえに今日の富強を招来したと信じて疑わなかった。

そして、確かにそれは一面では正しい。

それをしていれば、「お前たちは貸す者となっても借りる者とはならないであろう」という旧約聖書の『申命記』の言葉は確かに日本にもあてはまる。

だが、それがどれだけ大きな反感になるか。

現代の日本人への反感が、かつてのユダヤ人へのそれを上まわっていることには多くの例証がある。

かつてある国際会議で、天谷直弘氏が、「ソビエトヘの防衛が問題になっているが、各国の自国産業の防衛が自由貿易体制を崩壊させようとしている、この”防衛”も問題とすべきだ」と述べた。

それに対して「GNPの一パーセントも自由世界の防衛に負担しようとしない日本があのようなことをいっている」といった趣旨の返答があり、同時に満場われんばかりの拍手になって、その雰囲気に異常なものを感じたという。

義務を負担せず、カネばかりもうけている

これが二千年間つづいた反ユダヤ感情の一つであり、それは実にローマ時代にはじまっている。

ラッセル・ブラッドンの『日本人への警鐘』のように、警鐘を鳴らしている者もいるのだが、それは日本人の耳に入らない。

ユダヤ人にもう少し協調性があれば、あのようにはならなかったであろうというユダヤ人が今ではいる。

だが律法絶対、憲法絶対という絶対主義はつねに、人をある世界の中に心理的に閉じこめて一人よがりにするために、そのような協調性はもち得ない状態に陥れるのである。

彼らはそれで破滅した

他山の石とすべきであろう。

【引用元:ユダヤを破滅させた”ひとりよがり”の教訓/一つの教訓・ユダヤの興亡/P260~】

この山本七平著「一つの教訓・ユダヤの興亡」を読んでいただければわかることですが、戦前の日本が太平洋戦争に突入していった過程と、古代ユダヤ王国がローマ帝国に滅ぼされる過程には、極めて似通ったものがあります。

歴史を学ぶ意義というのは、過去の事例から教訓を得ることのはずですが、いわゆる「海兵隊抑止力無効」論者に見られるような”ひとりよがり”な人間にはそれがわからないようです。

そういう人間ほど、戦争責任とか反省やらを口にする。
その反省というのも、「戦争は悲惨で怖いから二度としてはいけない」というような、過去の痛い体験を語ることばかり。
まさに「羹に懲りて膾を吹く」ような行為に過ぎません。

賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」とはビスマルクの言葉ですが、こうした人間の言動を見るとまさにそのとおり…と思わざるをえない今日この頃です。

次回は、今後の日米同盟のあり方について考えてみたいと思います。
ではまた。



【関連記事】
◆「抑止力」論争を見て【その1】
◆”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?


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鳩山政権崩壊をアメリカの仕業に帰する陰謀論者たち/精神の自立なくして、自主独立などありえないはずなのだが…

あ~ぁ、鳩山首相小沢幹事長が、ダブル辞任しちゃいましたねぇ…。
そして後任は菅直人かぁ…。
つくづくロクな人物がおらんな、民主党は。

前記事でコメントしてくれた1読者さんが指摘したように、民主党の崩壊スピードが速すぎます。
民主党政権の駄目さ加減が、まだ国民に強烈に印象付けられていないまま、表紙が替えられちゃ、またコロッとだまされちゃう人たちが多いんだろうなぁ…。

しかし、選挙直前に党首を替えるってのは、随分と国民も舐められたものです。
これで民主党が惨敗しなくなれば、またぞろ強権政治が続くことになるのか…orz

それはさておき、どうやら鳩山首相は辞任記者会見を開かないようですねぇ(歴代の自民党総理は退任の際、そうした記者会見を開いていましたけど)。

お仲間内の両院協議会で、一方的に自分の思いを語って辞めていくってのは、本当に勝手で、無責任で、対話の姿勢に欠けるもので許しがたい。
民主党ってのは、国民との対話を謳いながら、実際は問答無用な対応ばかりだったけど、最後の最後まで無様な対応を貫いたね。

その演説内容も、ひどかった。
ここでは論評をしませんが、数あるブログの中で、なるほどと思った短評を紹介しておきましょう。

◆麻生首相の退任演説
「私は日本と日本人の底力に一点の疑問も抱いたことはありません。
これまで幾多の困難を乗り越え発展してきた日本人の底力というもの信じております。
日本の未来は明るい。
未来への希望を申し上げて国民の皆さんへのメッセージとさせていただきと存じます。」


◆代用の退任演説
「国民が聞く耳を持ってくれなかった。結果として私の秘書が政治資金違反をしていて、巻き込まれてしまった」


★最後の最後まで他人のせい。
まぁ、日本人の集団無意識を象徴する男ではあったな。
日本人が一番見たくない自分自身の真実の姿を無理やり見せられていた
だから拒絶反応が出たのだろう。


【引用元:陳さんのWorld view/本日のリーベンオチ/2010年6月3日より】

いや、陳さんの短評は実に鋭い指摘ですよね。
特に、鳩山首相の自覚なき「悪意」といいますか、無反省の善意がもたらす底なしの”悪行”というものを否応無しに見せ付けられましたが、ある意味、これは日本人の「自分は善で、社会が悪だ」という抜きがたい”通念”と相通ずるものがあります。

それはさておき、本日の本題。

今回の辞任劇を見て、あちこちのブログで、アメリカの「陰謀だ」とか「仕業だ」と唱えられているようです。
私が見かけたので、一例を挙げれば次のようなブログ記事。

◆アメリカは何人の日本国首相の首を撥ね続けるのか?国内に外国の軍事基地があると言う事は、その国の属国であり続ける事だ。/ブログ「株式日記と経済展望」より
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/210b10083094367fdbec84f1daae2ab8

ちょっと切り口は違うものの、このブログ記事↓も中身は同じような捉え方。

◆鳩山辞任で試されるのはアメリカ /ブログ「超左翼おじさんの挑戦」より
http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-460.html

こうした記事に共通するのは、「アメリカ=諸悪の根源」という図式。
アメリカ=加害者/日本=被害者」という意識が顕著に滲み出ている。

今回の鳩山首相辞任劇は、本人の無能さによる”自爆”に過ぎないのに、上記のブログ記事では、なぜか「アメリカのせい」という論調に”転化”してしまっている。

確かに、一見そのように見えなくも無いが、こうしたブログでは、全てアメリカに責任を転嫁して、アメリカを批難し、日本自らを被害者の位置に置く。

これでは、単なる「問題のすり替え」であり、「現実逃避」であり、「自己欺瞞」に過ぎません。
そして、そうした人間ほど、陰謀論にハマっていく。

どんなに言い繕うとも、陰謀論にハマる人間というのは、現実を直視できない人間の「言い訳」です。
なにしろ醜い現実を直視するより、他者を悪者にして、そいつが悪いと罵っているほうが楽ですからね。

でも、そういう人間ほど、簡単に騙されてしまう者もいない。

なぜなら、現実を把握できないですし、次々に「諸悪の根源」という存在を、自らの心の内につくってしまうから。
あるときは「ユダヤ資本」、あるときは「アメリカ」、あるときは「中共」、なんて具合に。

陰謀論を唱えれば唱えるほど、自ら陰謀論に巻き込まれ、まるで本当に陰謀があったかのように受け止めてしまう。
まさに負のスパイラルですね。

以前にも『内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?』という記事のなかでご紹介したことがありますが、山本七平岸田秀との対談の中でもこの症状について指摘した部分をご紹介します。

日本人と「日本病」について (文春文庫)日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平

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(~前略)

山本 なるほど。それではこの諸症状とやらをしばらく挙げつらってみましょうかね。

今、お話にでた社会の中に不自然をみて、それを悪であるとする発想は、人間は善であるという性善説と表裏の関係にありますね

人間は善い、自分は善い、しかし社会が悪いのだと。


岸田 つまり、その場合、社会の悪はどこから来るのかということまでは分析しない。今、お話にでた社会悪の構造的原因まで追究しないことが多いですね。

山本 そしてナマズを持ち出す。
小室直樹さんが地震ナマズ説という比喩を使っているんですが、地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズが諸悪の根源である、ナマズを殺せばすべてが解決するという発想ですね。

日本人は特にこの発想に陥りやすい

だから「諸悪の根源」は絶えず必要なんだそうです。


(後略~)

【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/現代日本教信仰箇条/P131~】

このように陰謀論にハマる人たちは、必然的に「諸悪の根源」を追い求め、トンチンカンな地震ナマズ説を唱えるようになってしまうわけです。

しかし、陰謀論に縋る人間というのは、いったいどのような人間なのでしょうか。

まず、反省力が皆無ですね。
何しろ全部「他人のせい」ですから。

それと「ひとりよがり」がひどい。

例えば、ある対象に一方的に惚れ込んで(心情移入して)、その対象が自分の期待にそぐわないとみるや、一転して裏切られたと勝手に思い込み「憎悪」する。
(終戦直後のアメリカ・ソ連・”地上の楽園”北朝鮮・文化大革命時の中国・興隆時のナチスドイツなど、時代につれて、この対象が移り変わってきました。)

「青い鳥症候群」でもあるといえるでしょう。

私は、反米を唱える日本人ほど、このような傾向が強いと見ています。

相手に勝手に期待し、裏切られたと勝手に思い込む。
それは相手に甘えているからです。
あたかも、(実際は赤の他人なのに)親しい相手であるかのように受け止めるのは、根拠なき「甘え」でしかない。

要するに”甘ちゃん”なのです。
精神的に”親離れできていない子供”同然なのです。

だから、アメリカのことを罵りながら、実際にはアメリカが本当に裏切った時のことまで彼らは考えない。
いくら悪態をついても、”保護者の”アメリカが鷹揚に接してくれると思い込んでいる。

反米を唱えておきながら、いざアメリカが反日行動を取ったら、一転あわてふためくのは彼らでしょう。

「甘え」という感情ゆえに、アメリカの怖さというものを把握していないから、簡単に威勢の良い反米論調を唱えられる。
敵としてのアメリカに、60年以上前に徹底的にやられながら、まだアメリカの怖さが身に沁みていないらしい。
余談ですが、これ一つ取ってみても、マッカーサーの洗脳占領政策が如何に見事だったかわかりますね。

結局のところ、彼らの反米とは、「甘え」に基づく”情緒的”反米に他なりません。

以上のことから、陰謀論にハマる人間ほど、「精神的に幼い」と言うことができると思います。

不思議でならないのはなぜか、そうした人間ほど、「自主独立」を唱えたがることです。

まさに、お笑い種ですね。
精神的に自立できない人間が唱える、「自主独立」って一体なんなのでしょうか?
私には想像もつきません。

ましてや、そうした”精神的幼児”の人間から、「親米のポチ」呼ばわりされることほど、頭に来ることはありません。

そもそも、日本はスイスやスウェーデンのように自主独立・中立路線を歩めるような立場・条件に恵まれてませんし、その覚悟も無いのに…。

中立を保つということは、全てを敵に回す覚悟を持たねばなりません。
「みんな仲良くお手つないで…」式の思考様式しか持ってないくせに、中立を夢見る。
まさに甘ったれた考えです。

妄想もいい加減にして欲しいです。
こんな幼児的精神状態では、いつまでたってもアメリカから自立できないのも当然ですね。
(というか、自立しうる条件・立場に無い日本というものを把握できていない時点で駄目なんだが…)。

【追記】
一応、念のため断っておきますが、陰謀そのものの存在をまったく否定しているわけではありませんヨ。


【関連記事】
◆内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?
◆平和主義の欺瞞【その3】~現実を直視しなければ不可逆的に失敗する~


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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