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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

貴方は政治家に何を期待するのか?/~政治家に要求される4つの「期待の倫理」とは~

だいぶ更新が滞ってしまいました…orz。

その間に、菅首相から野田首相へと内閣が替わったかと思えば、もう大臣が一人辞任するとは、相変わらずグダグダな展開を維持してますね。困ったもんだ。

今日はそういった政局から離れて、政治家がどのような役割を期待され、国民がどのような期待をしているのか、そしてそれがどういう結果をもたらしているのか。

山本七平のコラムを引用しながら考えていきたいと思います。

まず、日本では、政治家はどうあるべき、と思われているのか。
山本七平の分類を見ていきましょう。


「常識」の研究 (文春文庫)「常識」の研究 (文春文庫)
(1987/12)
山本 七平

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■期待の倫理

「期待の倫理」という言葉をいまさら説明する必要はないと思うが――ある社会的地位に、ある種の特別な倫理が期待されるのは当然のことであり、この原則はいずれの国、いずれの時代であれ変わらない。

簡単にいえば一般市民には当然とされても神父には絶対に許されない行為があり、また戦場では、一般市民なら当然だが、軍人がそれを行えば軍法会議で死刑の判決を受けねばならないという行為もある。

いわば、ある社会的地位にある者に当然に期待される倫理であり、その際「だれでもやっている行為ではないか」という抗弁は当然に許されない。

これは当然であろう。

だが、この倫理のもつ問題点は、その倫理的規範の基準が明確でないときに現われる

特に最近のように政治倫理が問題とされるとき、日本の政治家にとっての「期待の倫理」の基準がどこに置かれているのか、少々、考えざるを得なくなる。

そこで以下、簡単に問題点を要約してみよう。

原則的にいえば民主主義社会における政治家への期待の倫理は、一般市民倫理と変わりはない

しかし権力は魔物であり、一般市民が聖人でない以上、長くこれを掌握すれば必ず腐敗するがゆえに、一定期間で合法的に権力を交替させる装置が必要である。
これが前五世紀のアテネのソロンの国制以来の民主主義の考え方であろう。

だが中国にはこのような考え方はなかった

ただこの国には「聖人君子」という明確な理念型があり、皇帝がもし聖人で士(官僚)が君子であれば、理想的であった。
そのため聖人の定めた「聖人君子の規範」を体得している者だけが政治に参与すべきで、それを選抜するため科挙という試験があった。

従って、この試験に合格しなかった者、またはじめからこの方面に関心がない庶民は、政治にタッチすることは一切許されなくて当然であった。

過去の中国では政治家とはつまり官僚であり、それ以外に政治家という概念は原則として存在しなかった。
従って政治家への「期待の倫理」は当然に「聖人君子」であり、その規範に違反すれば糾弾されて当然であった。

この考え方は、民主主義とは関係がない

しかし日本は中国の影響を強く受けているから、政治家へのこの種の「期待の倫理」が常に潜在していることもまた否定できない。

しかし日本では、その考え方を基とする制度を確立したことは、一度もないと言ってよい。
現実に政権を担当してきたのは武士であっても、士大夫ではなかった。

このことは政治家に武士的特に下級武士的規範を要請し、さらに維新の志士的要素もこれに加味されることになった。

特に戦前の地方政治の担い手は地主階級を基とする地方名望家であり、その人びとがいわゆる「井戸塀」となって政治に奔走したことを、今もなお一つの理想型のように言う人もいる。

いわば「妻は病床に伏し、子は餓えに泣く」であっても国事に奔走した維新の志士と名望家とのダブル・イメージであろう。

だが、この期待の倫理も民主主義とは関係ない

さらに日本には、京極純一教授の指摘される「カタギ」「ノン・カタギ」という職業分類があり、それぞれへの「期待の倫理」の規範が違っていることも事実である。

そして「ノン・カタギ」なら当然とされても「カタギ」には絶対に許されない行為が日本にあることもまた否定できない。

そして、政治家を「ノン・カタギ」に入れていることは、同教授の指摘される通りであり、ここで要請されるのは「ノン・カタギ」への期待の倫理となる。

以上のように見ていくと、「市民」「聖人君子」「志士・名望家」「ノン・カタギ」という相異なった四つの規範が、政治家の期待の倫理の中に混在していることがわかる。

期待の倫理は、それを期待される側には当然に自制の倫理となる。

だが、この倫理の規範は以上四つの混在だから、どの規範に従えば、それが期待に正しく対応しているのかどうか、判然としない

たとえば選挙民が代議士に裏口入学や裏口就職の斡旋を依頼するとすれば、その人が期待するのは相手の「ノン・カタギ」としての行動であっても、「聖人君子」のそれではあるまい

従って、その期待に反すれば当選できまい。

一方、政治的識見や能力はゼロでも、絶対的清純というイメージを新聞などで定着させて当選する者はこの逆で、それは科挙抜きの政治能カゼロの「聖人君子」であっても「ノン・カタギ」ではあるまい

また何かへの反対運動その他で、一切を無視してひたすらそれに専念することが評価されるならそれは「志士・名望家」型であろう。

だが以上はいずれも、民主主義下における政治家への「期待の倫理」であってはなるまい

それは、普通の市民倫理と政治的識見と能力だけでよいはずである。

【引用元:「常識」の研究/島国の政治文化/期待の倫理/P231~】
政治家の倫理の規範は上記のように四つに分けられる、という分析はなるほどと納得されられるものがありますね。
そこで、妥当かどうかかなり怪しいですが、ちょっと自分なりにパッと思いつく人物を分類してみますと、

「ノン・カタギ」の代表格:(利権配分の才能を持つという点で)小沢一郎
「聖人君子」型:(無能かつ疑いなき善意の持ち主という点で)鳩山由紀夫
「志士・名望家」型:(市民運動家であり、名声を欲するという点で)菅直人
「市民」型:(そこら辺に居そうなオジサンということで)野田佳彦

といった感じになりました。
こうやって見ると民主党も多士済々(?)ですなぁ(笑)。

しかし、こうした幾つかの異なる倫理規範が混在している事というのは、あまり宜しくないですね。
これらの異なる倫理基準を、場面場面に応じて使い分ければ、幾らでも気に入らない政治家を失脚させることが出来てしまいますから。

マスコミの報道姿勢などを見ていると、その使い分けが良く判ります。
例えば麻生首相の漢字読み間違い報道は、「無能」のレッテル貼りに役立ったし、バー通いは「清純」から程遠いイメージを植えつけることに成功しました。

ところが、民主党政権になった途端、そのような報道はパッタリと息を潜めました。
マスコミはこうした倫理規範の恣意的な適用を平然とやらかすので、注意しなければなりません。

こうしたマスコミに振り回されない為にも、やはり山本七平が指摘するように、政治家には「普通の」市民倫理・政治的識見・能力を具えていれば良し!とすべきなのでしょう。
政治家に過度の清純を求めたりするのも、(福島みずほみたいな)反対することしか知らない純粋馬鹿の市民運動家を選ぶのも間違いです。

特に英雄を必要としない守成の時代ほど、そうあるべきです。
英雄が求められるのは、乱世だけでいいのです。

しかし、国民は、一方で「ノン・カタギ」的役割を政治家に要求しつつ、他方では「聖人君子」であれ!と要求する。
これでは、偽善的な政治家ばかりになってしまうでしょう。

国民も自らが従っている「普通の」倫理規範程度で我慢すべきなのです。
刑法に触れない程度のモラル・マナー違反には寛容であるべきでしょう。

この「期待の倫理」について触れている別のコラムも以下紹介します。

■政策論争抜きの報道

(~前略)

混迷の時代には、人びとの意識は保守化する。
これは何も政治だけの問題でなく、たとえば私自身の出版業にしても、先行きがわからないときに、社の性格を根本から変える大転換をやろうなどとは思わない。

何か新しい試みをやろうとするときは、先行きが安泰ですべてが予想できると思われる場合に限られる。

人間にとって、政治意識だけが、他の意識とは無関係に独立しているわけではない。
そして政治が身近に感じられれば感じられるほど、それは全般的な生活意識の中に組み込まれるはずである。

こういう状態における「政策論争抜きの選挙」は、人を現状固定へと向かわせて当然であろう。

もちろん人間は倫理問題に敏感である。

しかし、社会的体験のある人間の倫理感が、いずれの時代、いずれの国であれ、一種の「期待の倫理」であることは否定できない。

たとえば俗にいう「飲む・打つ・買う」でその点では倫理的にゼロだが、仕事の腕はよく、また絶対に手抜きをしない職人と、ちょうどそれと逆の職人とがいたら、人はどちらに発注するであろうか

この場合、人は前者に発注しても後者に発注しないのが普通だが、これは前者の一般倫理には期待しないが職業倫理には期待しているということである。

この場合、この人間の存在が否定されるのはその職業倫理にさえ期待できなくなった場合である。

そしてそれ以上のことは周知のことだから、いくらそれを批判しても人は別に驚かず、そのために発注をやめることはしないのが普通である。

と同時に、もし後者が、一般倫理の点で批判されれば、その人間の存在理由はそれだけで喪失してしまう。
一部の政党の凋落にはこの面が表れていると思われる。

結局、選挙運動中日本におらず、投票直前に帰国した者の印象は、政策論争抜きの倫理的誘導方式は、その意図する者の逆効果しか生じなかったということである。

自らこの方式をとりながら、社会に向かって嘆息するのは偽善であろう。

【引用元:「常識」の研究/世論と新聞/政策論争抜きの報道/P96~】

「一部の政党の凋落にはこの面が表れている」との指摘は非常に面白い。

共産党などは、まさにこの典型例でしょう。
政党交付金も貰わずに清貧を貫くことで、一定の支持を得ている。

「能力」ではなく「姿勢」で信頼されている支持層に支えられている訳です。

このように、いわゆる「能力」ではなく「姿勢」で支持されている政党が、そのイメージを否定するような不祥事を起こせば、ただでさえ数少ない支持がますます減ってしまうのは自明の理でしょうね。

そう考えると、民主党なんて元々労組・日教組等を母体とする旧社会党と自民党から離脱した金権田中派の野合でしかなかったのに、看板の掛け替えで、自民党に代わり得る国民政党に脱皮したかの如く装い、清新なイメージを国民に植え付ける事に成功した訳です。

しかしながら、政権に就くと、もともと疑われていた「能力」が無いことがハッキリと露呈し、なおかつ清新な「姿勢」すら虚像であったという事が明らかになってしまった。

こうなると近いうちに存在理由すら否定されてしまうでしょう。

おそらく、民主党は、次回の衆院選で崩壊してしまうのではないでしょうか。
ま、民主党は消えてもらった方が日本の為ですから、それはそれで慶賀すべきことですが(笑)。

ちょっと考えてみれば、あれだけ失言し放題の石原慎太郎都知事が失脚しないのは、彼が期待されている「職業倫理」に忠実であるからとしか思えません。

何はともあれ、誰しも政治を語る時は、まず自らの批判が「職業倫理」に基づいているのか?それとも「一般倫理」に基づいているのか?

まず、そこを整理しましょう。

そして、その二つを都合よく使い分け、政治家を批判する事は慎むこと。
そうしないといつまでたってもマスコミの扇動に振り回されるだけだと私は思うのですがねぇ…。

なんかまとまらないですが、本日はこの辺で終わりにいたします。ではまた。

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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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