というのも、他人様のブログにお邪魔し、議論を交わしていたせいなのですが。
何について、議論をしていたかと言うと「死刑廃止の是非」について。
ちょっと前になりますが、社民党の福島みずぽタソが死刑執行に対して反対声明を出していたのが、痛いニュースで取り上げられていましたね。
自分も前回の記事で死刑廃止に触れていたので、久しぶりにそれを村野瀬玲奈の秘書課広報室の記事「死刑FAQ」にトラックバックしてみたのですが、やっぱり通らないみたい(昔はすぐ通ったのに…、やっぱり今でもトラバ禁止措置が続いているようです)。
そこに何本も死刑廃止派のトラックバックが載っていたので、そのうちのまともそうなブログに幾つかトラックバックを送りつけてみたが、反応なしだしトラバも通らない。
所詮、異論は受け付けない連中なのだ……と改めて思ったんですが、その中で日本アムネスティ会員の鳥居さんという方のブログは、唯一コメントもトラックバックも受け付けてくれた。
そこで前々から疑問に思っていたことをぶつけてみたのですが、どうも議論がかみあわない。
議論のやり取り・内容は以下リンク先↓をご参照ください。
鳥居正宏のときどきLOGOS
・死刑執行に抗議します
議論して、感じたことを筆の赴くまま書いて行きます。
まず、私が一番聞きたかったことは、「なぜ人を殺した者にまで、(殺されない)権利を与えねばならないのか?」ということなのだが、全くのすれ違いに終わってしまった。
私と鳥居さんのやりとりを簡単にまとめると次のようになると思う。
(Q.は私、A.は鳥居さん)
Q.なぜ犯人に殺されない権利があるの?
↓
A.いかなる人間も他者を殺す権利はないから。
↓
Q.そんな決まりがあるのか?
↓
A.法は、人が生きる権利を侵害できないからさ。
↓
Q.でも、実際には、法で人の権利を制限してるじゃないか。
↓
A.いかなる人間も、他者を殺す権利が与えられてないんだよ。死刑制度は人が人を殺す制度だから、死刑制度という法律そのものが、法の精神に反しているんだ。
↓
Q.なんで、死刑が法の精神に反してるって断言できるの?
↓
A.法は、人が生きる権利を侵害できないからさ。
(以下、無限ループ)
上記のようなやりとりをしていたので、疲れた…。
そんな鳥居さんの主張をまとめると次のとおりであるらしい。
1.人権は、天賦の権利であり、絶対不可侵である。
2.日本は近代法治国家である。
3.近代法治国家では、法律(社会権)で「人が生きる権利(自然権)」を奪うことはできない。
そして、この1.2.3がある故に、日本は死刑を廃止すべきである…と。
そりゃ、人権は日本国憲法にも謳われているし、大切だとは思う。
しかし、「絶対不可侵」とはいえないだろう。
ましてや、最初に人権を侵害した殺人犯が、「絶対不可侵」である必要がどこにあるのか?
それを聞くと、「社会権は自然権を侵害できないから」という回答がくる。
私は、「人が生きる権利」が無制限に保護されたら、他人の権利を侵害するのは必至だ。そんなことは性善説でないかぎり成り立たない…と反論したわけですが、これに対する明確な反論はなかったように思う。
その代わり反論としてあったのは、「全ての法律は、社会契約説に則って制定されているから…社会権は自然権を侵害できないんだ。」とループしちゃう。
現実には、西欧だって社会権(法)が、自然権(人権)を制限してるでしょ。西欧では、死刑がキリスト教の背景の下、社会権の一つとして認めないというコンセンサスがあるだけで、日本にはそんなコンセンサスないでしょ?と問い質すと、
「日本にはそういうコンセンサスがないから、得るために運動しているんだ」…との回答が。
結局、日本には「死刑制度は社会権の一つとして認めない」なんていうコンセンサスが出来ていないことを認めているのに、そのコンセンサス抜きのまま、日本においても「死刑制度は法に反する」などと主張するからこんがらがってくる。
つまり、前提が成り立っていないのに、その前提ありきで、結論付けようとしているんですよね。
どうも、決め付けで話を展開しているとしか思えない(逆に鳥居さんから見ると、私が結論ありきの決め付けということになるらしいが…orz)。
確かに人を殺す権利は無いかもしれないけど、現実問題、人は人を殺す能力をもっているわけなんだから、それに対して何らかの対策を講じる必要があるはずなんだよね。
死刑というのは、対策の一つとしてありえる有力なオプションなのに、そこで人を殺す権利は無いという「たてまえ」論をぶたれて反対されてもねぇ。なんだかこれじゃ、殺したもん勝ちって気がしてならないんですが。
それと、議論していて強烈に感じたのが、彼ら死刑廃止派が欧米の価値観を絶対的に信奉していること(これは、欧米の影響が強い日本では仕方のないことかも知れないが)。
とにかく他の価値観を認めたがらない。
西欧の人権思想を万国共通の真理と思い込み、それにそぐわないと見なした者を、野蛮と規定し、矯正すべき対象としてしか扱わない。
彼らがそう思い込むのは勝手で構わないのだが、その価値観を押し付けてくるから困る。
しかも、自らの価値観を押し付けてくる際、必ずと言っていいほど相手を道徳的に劣位に置こうとするから嫌になる。
平気で相手を貶めといて、「差別反対」を標榜しているのだから、あきれてしまう。
結局のところ、自分と価値観を同じくしない人間は、人間扱いされないのではないか…としか思えない。
死刑廃止派の中には、そうでないと思う人もいるだろうと信じたい。
が、しかし、(トラックバックすら受け付けない連中は論外として)議論に応じてくれた鳥居さんですら、「リンチとしての死刑をお前は欲しているのか」と平気で問いかけてくるのを見るにつけ、「ブルータスよ、お前もか!」といった気分に陥ってしまう。
思うんですが、死刑廃止派の大多数は博愛的言辞を振りまくことで、自分は正しいんだ、と周りに吹聴する「自己陶酔」に酔い易い人々なのではないだろうか?
鳥居さんにも言ったけれども、こうした態度を取っている限り、死刑廃止に賛同する人は増えないだろう。
人というのは、価値観の押し付けには反発したくなるものだから。
でもね、そもそもこういう傾向の人って、それがわからないんだよね(だから、押し付けたがるわけなんでしょうが)。
ま、そういう結果に終わったとしたら、彼らの自業自得としか言いようがないのですが。
【関連記事】
・日本人の刑罰観~死刑存置派がマジョリティな理由とは~
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