・「フロー(GDP)⇒フロー(GDP)」問題
(~前略)
そもそも景気対策というのは、GDPを拡大することです。
政府はそのために、金融政策なり財政政策なりを実施するわけです。
民主党方式でパイの一部を奪い取り、パイの別のところにくっつけたところで、全体は拡大しません。
(~中略~)
現在、09年当初予算に盛り込まれた公共事業7兆4千億円の内、4兆円以上の契約が終了しています。
このまま予定通り事業が施行されれば、フローの拡大(乗数効果)が始まるわけですが、民主党は公共事業を大々的に削減するという姿勢を変えていません。
例えば5兆円の公共事業をストップすると、それはそのままGDPのマイナスになります。
もちろん、フローの問題だけではなく、事業が中止された結果、雇用は確実に悪化します。
要は、失業者が増えるわけです。
さらに、その5兆円が「子ども手当て」に回されたとして、それが貯蓄に回ってしまうと、GDPは全く増えません。
子ども手当ては減税などと同じ所得移転ですので、配られるだけではフローは拡大せず、あくまで「使われなければ」GDPは増えないのです。
(後略~)
「新世紀のビッグブラザーへ blog」より一部抜粋引用
・変えなきゃ馬鹿の壁(永田)
(~前略)
しかし、ここで民主政権になると、間違いなく経済は悪化します。
それも壊滅的な悪化です。
民主党は、政権を取ると、現在経済を下支えしている予算を停止するそうです。
これにより、直ちに雇用悪化と中小企業の連鎖倒産と需要縮小とが起き、互いに連鎖し、今まで誰も見たことが無いようなデフレスパイラルになります。
無駄遣いを無くして12兆円の財源を確保するのだそうですが、税収が20兆円減少する中でこの議論は吹っ飛ぶと思います。
というような話をしても、変えなきゃ馬鹿の壁を崩すのは難しいです。
唯一の慰めは、民主党政権の下で訪れるであろうデフレスパイラルの惨禍を、変えなきゃ馬鹿も一緒に受けるであろうということです。
ご愁傷様。でも僕も付き合いますのでご心配なく。
かなり機嫌悪いです。
民主党の政策を評価した上での支持であれば、ここまで腹は立たないのですが。
「カムイスペースワークスブログ」より一部抜粋引用
■その禁止ワードの内容を開示していただけないと使い物になりません。
上の「書き込み制限」のご意見ですが、おそらくアダxxカテゴリのURLがアダxx以外のブログで制限がかかっているように思います。
どこにこの変更点についてのアナウンスがなかったようですので、変更点を説明したうえで、ブログ管理者に選択権を与えるべきではないでしょうか?
名無しさん | | 2009/07/23/Thu 18:06 [EDIT]
■ 勝手に「利用する」に設定しないでほしいな
自分のブログにコメントできなくて困った。
「おまかせ禁止ワード」の存在を知らなかったため
「禁止設定」をいじっていたのたが、「コメント設定」の方とはね。
設定画面のユーザビリティ改善を待つ。
名無しさん | | 2009/08/13/Thu 22:02 [EDIT]
しかし、何を制限しているのかわからないというのは、やめてほしいなぁ。■ No title
【おまかせ禁止ワード】 を [ 利用しない ]に設定しているのにもかかわらず、『最近コメント投稿が制限されている』とコメント投稿者から連絡を受けています。
そのコメント内容は記事の内容に則した情報とURLが載っており、ためしに自分で投稿してみたらやはり『書き込み制限を受けています』と表示され投稿できませんでした。
コメントに書かれたURLは『ニコニコ動画どう?』様(http://nikonikodougadou.blog19.fc2.com/)の記事のURLで、試しに頭の『h』を取って送信したら投稿できました。
私はこのようなトラブルでコメント投稿者に不愉快な思いをさせたくないので【おまかせ禁止ワード】 を [ 利用しない ]に設定しているのです。
利用しない設定をしているのにフィルタリングされているのは何故なのでしょう?
名無しさん | | 2009/07/31/Fri 23:29 [EDIT]
■ 裏口で良いですから、
2009-07-23 18:06 名無しさんと同意見です。
管理人へのお知らせもしくはメールででも構いませんので、
内容を教えていただけませんでしょうか。
何を制限されているのか分からなければ、自分の方で
何を追加で制限すれば良いのか分かりません。
ゲームカテゴリの人など、特定のジャンルだけに来る
スパムも荒らしもあるようですし、自分の方での制限と
かぶっていると、1000文字制限のスペースが無駄に
なります。
竹山むべ | | 2009/08/04/Tue 11:34 [EDIT]
日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平
商品詳細を見る
(前回の続き)
岸田 そこで、この悪い社会をぶっつぶせばよい、と。
革命もまた性善説を前提にしているんですな。
◆日本は穢土
山本 と同時に、どこかの国でそれが成就しているという錯覚を絶えず抱きます。
だから、成就していないことが証明されてくると、深く幻滅する。
中越戦争などは好例ですね。
岸田 幻滅しても懲りずに恋愛する惚れっぽい女にかぎって、惚れられたほうが迷惑している事実に気づかない。
だから、この幻滅の構図は、片思いの女がふられたときと似ていますね。
あんなに自殺をするほど愛していたのに、なぜ受け容れてやらなかったのか、と、振ったほうが非難される。
振れば自殺するほど惚れられるなんて、惚れられるほうにすれば、えらい迷惑なんですが、相手にしてやらないとなぜか薄情だときめつけられる。
山本 そうだ、この間ニューヨークで、日本人留学生が、アメリカの女性を殺した事件。
相手の女性はきっと、日本人研究かなんかしていたに過ぎないんでしょう。(笑)
岸田 日本の男性は一途に、純粋に思い詰めた。
日本では同情が集まるかもしれないがアメリカでは無理ですね。
しかし、日本人はどうして惚れっぽいのかなあ。ドイツに惚れたり、アメリカに惚れたり、北京に惚れたり、ベトナムに惚れたり、忙しいことです。
どこかほかの国に次々と惚れるというのは、つねに日本の現実を汚いと感じているからでしょうか。
山本 そうですね。やはり浄土希求。日本は穢土で、向こうが浄土。
そういえば東の方にはあまり浄土がないですねえ。
西方浄土でなくてはいけないんでしょう。
そして汚れた日本に居ても、自分は浄土を希求し、穢土である日本を批判するがゆえに純粋であると考える。
岸田 自分の純粋さを裏付けるために、どこかの浄土に惚れこむんですな。
山本 だから、あの国は浄土でないなどと、かりそめにも指摘してはいけないんだ。
岸田 惚れている女の悪口は禁句です。アバタをアバタと指摘してはいけない。(笑)
山本 しかし、幻滅さえしなければ「振られてもなお」という心情はあります。
ベトナムを懲罰したように、かつて毛沢東は日本にも懲罰を下すべぎだと発言したという話がもし伝わったとしたら、心酔者はベトナム人と違ってひたすら反省したんじゃないですか。
総理大臣以下、全員が悪いくらいのことを言いかねない。
岸田 東京裁判を盲目的に認めた心理と同じですね。
東条英機らが靖国神社に祀られていたことが問題になりましたけど、戦犯というのはつまりアメリカの裁判で有罪になったんですよ。
彼ら指導者の誤りによって、多くの日本人が悲惨な目にあったという罪で日本人が彼らを裁いたのならば、たしかに靖国神社に祀るのは問題があります。
しかし、日本の基準ではまだ犯罪者であるかどうか決まっていないんです。
自分では裁判をせず、アメリカの裁判で犯罪者とされたその基準を盲目的に受け容れているわけですね。
彼らを犯罪者と見なすというのなら、日本の裁判でやるべきです。
実際、彼らは裁判にかけられてしかるべきほどの過ちを犯しています。
しかし、日本の裁判にかけていない以上、日本人が彼らを犯罪者扱いするのはおかしい。
別に、彼らを弁護する気はありませんがね。
しかし、どんな国家でも、その国民一般の平均水準以上の指導者を持つことはできないんですよ。
たまたまその水準を抜きん出た賢明な指導者がいて、国が間違った道にはまり込もうとしているのに気づいて押しとどめようとしたら、暗殺されるか、暗殺されないまでも失脚させられます。
そして国民は、国民の気に喰わぬことをしようとした者が暗殺されたことを拍手喝采して喜ぶでしょう。
みんなの拍手喝采が得られることなら、どんなことでもやるという連中には、いつだって事欠きませんから、暗殺者はいくらでもいます。
もし、当時、東条が勇断をふるい、アメリカと妥協して、大陸撤兵を決意したりしていたら、確実にテロで殺されていたでしょうね。
東条なんて、気の小さい平凡な男で、救国の英雄といった柄でも、極悪人といった柄でもなかったと思いますが、評価をガラリと変えたのは国民の方でね。
山本 そのことに誰も疑問を感じないところがおもしろいな。
岸田 簡単に百八十度転換できるわけです。
戦争中は非国民という諸悪の根源をつくり、戦後は、かつて最高の善人、純粋人間であった軍人を、一握りの軍国主義者という名の悪人にする。
しかも、その転換の奇妙さ不思議さに誰も気づいていない。
山本 「だまされた」という前提をつくるからでしょう。
一億全員が詐欺にかかった。
善人はだまされやすいんです。(笑)
善意を百パーセント通すには神にならざるを得ないのに、現実は、善意の通らない社会は悪いという考え方が支配的ですからね。
岸田 一度、問題をひっくり返して考えるといいんですよ。
なぜ、社会に通らない考えを善意と考えるのか、と。
通らないのは、「善意」の側にそれだけの理由があるのではないか、と。
山本 そう、そう。それこそが真に問うことの第一歩になるはずです。
(次回に続く)
【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/日本は穢土/P137~】
日本人と「日本病」について (文春文庫)
(1996/05)
岸田 秀山本 七平
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◆現代日本教信仰箇条
(~前略)
山本 なるほど。それではこの諸症状とやらをしばらく挙げつらってみましょうかね。
今、お話にでた社会の中に不自然をみて、それを悪であるとする発想は、人間は善であるという性善説と表裏の関係にありますね。
人間は善い、自分は善い、しかし社会が悪いのだと。
岸田 つまり、その場合、社会の悪はどこから来るのかということまでは分析しない。今、お話にでた社会悪の構造的原因まで追究しないことが多いですね。
山本 そしてナマズを持ち出す。
小室直樹さんが地震ナマズ説という比喩を使っているんですが、地震が起きるのはナマズが暴れるからだ、ナマズが諸悪の根源である、ナマズを殺せばすべてが解決するという発想ですね。
日本人は特にこの発想に陥りやすい。
だから「諸悪の根源」は絶えず必要なんだそうです。
岸田 それで日本の捕り物には、必ず悪人が登場する。
そして悪人を殺すか、悪人が改心するかすれば、一件落着、めでたし、めでたしです。
悪人がいるから悪が生じる、世の中が善人ばかりなら悪は起きないという抜きがたい前提がある。
悪が生じるのは、社会組織の何らかの欠陥に原因があるのではなくて、自分以外の誰かが悪人で、その悪人が「人間性」を失って悪いことをするからです。
いや、もっとも西欧にもユダヤ人を悪人に仕立てて、虐待した例があるから、日本人特有の幻想であるとまでは言いきれないんでしょうが
山本 ただ、西欧社会のスケープ・ゴートというのは、羊そのものに罪はないという意識が、スケープ・ゴートを仕立てる側にあるんですね。
羊は元来、罪とは無関係です。
そこで自分たちの罪を身替わりの羊に転嫁しているという自覚がある。
「第ニイザヤ書」の有名な「苦難のしもべ」にしても、新約聖書のキリストにしても、罪のない人間として設定されているからこそ、人間の罪をすべて背負って処刑されたりすることができる。
ところが、日本の場合は、諸悪の根源を殺しても、それが自分たちの罪を転嫁されて身替わりになって死んだのだという痛みがともなわないでしょう。
何しろ″諸悪の根源″なんですから……。
岸田 罪をなすりつけている意識がまるでないわけだ。
山本 新約聖書には、善玉、悪玉という意味での悪人という存在は出てこないんですよ。
人間はすべて、いわば「善悪人」です。
岸田 ところが、日本の社会が悪人を必要とするのは、皆が自分を善人だと考えるからであって、自分の内なる悪に無自覚なためですね。
自分の内なる悪に無自覚だから、他人にそれをなすりつけなければならなくなる。
ほんとうの悪人というのがいるとすれば、それは、他人を悪人に仕上てあげる人なんですよね。
そうしているという自覚なしに。
ぼくに言わせれば、あいつは悪人だと言って正義を振りかざす奴がいちばんたちのわるい悪人です。
それにしても、なぜ日本人はこうも簡単に自分が善人であると思いこめるのか。
山本 これも幻想だな。
岸田 大いなる幻想、赤ん坊善人説につらなる幻想ですよ。
ぼくは以前、主観と客観は逆比例する、という文章を書いたことがあるんです。
たとえば、自分が思いやりの深い人だと思いこんでいる人間がいるとします。
自分は他人の気持ちをよく理解し、汲みとってやっていると、日頃考えているわけです。
すると、彼は自分が人の心を理解せず、人を傷つけるケースがあってもそれに盲目になる。
自分を思いやりの深い人間と思っている者は、じつは自分が人を傷つけている事実に盲目である者にすぎない。
逆に、真に思いやりのある人間というのは、自分はつねづね、人の心を傷つけてしまっている事実をよく知っているんです。
主観と客観の関係というのはそんなふうに逆比例する。
それを、″思考の全能″ではないけれど、主観イコール客観と置いてしまうから恐いんです。
山本 パウロにみられる「罪」の意識というのは″わが欲する善は行わず″″わが欲せざる悪を行う″である。
この罪のある人間から、どうやって脱してゆけるのかという問題意識なんですね。
人間は自分が欲する善は絶対に行わないものだという前提に立つとしますと、もし善意があるとすれば、自分がそれを実行していないという意識としてしかないわけです。
自分が欲していないことばかり実行しているという意識ですね。
日本では善意もそのまま実行してしまう。
これは明治維新より古い発想だから根が強いですな。
岸田 そんな言いかたをすると、ひねくれていると思われますよ。(笑)
山本 そうなんです。「善意が通らない」と言うから、そんな善意が通ったら社会は大変なことになるといえば、憤慨されますから。
戦後は特に自分が善で社会が悪だという単純形式で来ておりますから。
岸田 そこで、この悪い社会をぶっつぶせばよい、と。革命もまた性善説を前提にしているんですな。
(後略~)
【引用元:日本人と「日本病」について/純粋信仰/現代日本教信仰箇条/P131~】
(~前略)
リベラル派=サヨクの人たちというのは、どうもものごとを善悪で見過ぎていて、自分たちこそ善であるという倫理的優越感から、それを疑うことを認めない傾向が強いように思います。
「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである。」――フリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」より
【引用元:「Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~/Why So Serious?」より一部引用】
「常識」の落とし穴 (文春文庫)
(1994/07)
山本 七平
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◆「人種的憎悪」について
何気なくぱらぱらと『ニューズウィーク』誌を見ていたら、ジョン・ダワーの『非情な戦い――太平洋戦争における人種と勢力』の紹介が目についた。
理由は、戦後にフィリピンの収容所で目にした、醜悪に戯画化された日本兵のマンガが冒頭に掲げられていたからである。
われわれの世代はこのマンガだけで、その中で日本人がどのように描写されているか、ある程度は想像がつく。
もちろんダワーが、それを、戦争という異常な状態における人種的偏見として紹介しているにしても――。
従って紹介の内容のうち、「出っ歯で、近視で、チビザル」の「ジャップ」は人間以下だと言ったようなものには少しも驚きを感じなかったし、次の紹介文ぐらいの程度なら、不思議とも思わない。
「人類学者は、日本人は幼くて、野蛮で半ば狂っていて、子どものころの排泄のしつけが原因で大人に十分なりきれず、彼らが何かにつけ劣等意識をもつのも当然、と解説した」と。
マッカーサーの日本人十二歳説はおそらく、こういった”人類学者”の影響であり、彼自身は、本当にそう信じていたのであろう。
だが、次の紹介文には、自己の経験から戦時中のことにはあまり驚かない私も、少々驚いた。
「……あと八センチ背が高かったら、日本人は真珠湾を攻撃しなかったはず、という報告書があるかと思えば『現代に生き残った一種の奇形』と言ってのける雑誌もあった。
スミソニアン研究所のある科学者はルーズベルト大統領に、『日本人の頭蓋骨はわれわれよりおよそ二千年発達が遅れている』と報告している。
この生物学的遅れを取り返すためには、戦争が終わったら日本人は他の人種と結婚すればよい、とルーズベルトは言った」
日本にも確かに「鬼畜米英」という言葉はあった。
しかしこれはいわば一種の誇大表現であることを、この言葉を口にする者も聞く者も暗黙のうちに了解しており、米英人を本当に、人間でない「鬼」と「畜生」であると思っている日本人はいなかった。
そしておそらく当時の日本のどの記録を探しても「アメリカ人は生物学的に日本人より二千年遅れている」といった”人類学者”はいなかったであろうし、「幼くて、野蛮で半ば狂っている」といった”人類学者”もいなかったであろう。
いわば戦時中の日本人の反米的表現は、アメリカ人のように、はっきりした具体性をもち、一見、科学的ないし学問的な裏づけをもつようなものではなかったといえる。
もちろん日本側にも米英への憎悪はあり、これは戦争にはつきものだといえるが、日本人にあるのは「敵への憎悪」であっても「人種的憎悪」ではなかったといえる。
このことは、自らが人種的憎悪の対象であったヘブル大学の日本学教授ペン・アミ・シロニー博士も別の表現で記している。
いわば同じドイツ国民でもユダヤ人であれば抹殺したのは、敵への憎悪というより人種的憎悪というべきであろう。
だがアメリカ人にも同じ傾向があったことは、この本の紹介をみるとわかる。
コンセントレーション・キャンプに入れられた日系人を「どこで卵がかえろうが、毒蛇は毒蛇」とロサンゼルス・タイムズが記したと。
以上のように見ていくと、「敵への憎悪」と「人種的憎悪」とは、はっきり分けて考えるべき問題である。
もちろん憎悪とは一種の感情であるから、その感情を抱きえないものには理解できない。
そして日本人には、「敵への憎悪」は理解できても、「人種的憎悪」は本当には理解できないものであろう。
これはおそらく、われわれがその歴史において、多人種国家を経験したこともなく、例外があるとはいえ、少数民族を抱え込むことも、少数民族として抱え込まれたこともないからであろうが、人類の世界に「人種的憎悪」というものがあることは、残念なことだが、認めざるをえまい。
戦争が終われば敵への憎悪はやがて消える。
しかし人種的憎悪は戦争・平和に関係なく存在する。
ただ、人種的憎悪はもちろんのこと人種的偏見も表面的には「悪」と規定され、それゆえに世界は南アフリカ政府を非難し制裁しているわけだが、しかし非難している側にも同じものが潜在し、それが別の表現、いわば「正義」や「公正」の仮面をかぶって作用して来ないという保証はない。
たとえば東京裁判の「文明に対する罪」や「人道に対する罪」は、日本人は「野蛮で残酷、無慈悲で狂信的」だから原爆を落とすのを当然としたトルーマンの日記と、前に引用した”人類学者”や、”生物学者”の意見と対応してみるとその真意がよくわかる。
そして戦後、日本人の中にさえこれを継承し、自虐的な自己憎悪、すなわち日本人による日本民族への憎悪が一種の「正義」としてまかり通ってきたこともまた事実である。
こうなると「いわんや、他国に於いてをや」という気もする。
この問題は、日本側でも深く研究すべき問題であろう。
【引用元:「常識」の落とし穴/国際社会を読む/P26~】
Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。
http://yamamoto7hei.blog.fc2.com/
★★コメント欄運営方針★★
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・事前承認制ではありませんので、投稿するとすぐ表示されてしまいます。投稿前に、内容の再確認をお願いします。
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・管理人宛てのコメントには、出来る限り対応していきたいと思います。ただ、あまりにも多連投コメント及び悪質・粘質なコメントは放置する場合があります。
・管理人はコメント欄の運営については自由放任という立場です。当面は、たとえ議論が荒れてしまっても不介入の方針でいきます。議論はとことんやっていただいてかまいませんが、できるだけ節度やマナーを保って議論していただきたいと”切に”希望します。
・本人よりコメント削除要求があり、管理人から見て、明らかに事実無根の中傷・名誉毀損と判断した場合は警告の上、当該コメントを削除することがあります。
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