一つは、「太陽光や風力といった自然エネルギーで代替する」というアプローチ。
もう一つは、「贅沢な暮らしを見直し、自然に寄り添った昔の生活様式へと移行しよう」というアプローチ。
しかしながら、前者は「数合わせさえ合っていればその内容や質は一切問わない」という”員数主義”的なものばかり、また、原子力発電の欠点を言い立てるばかりで、「電力の質」「安定供給の大切さ」「エネルギー依存の問題」等々を全くケアしていない言説がまかり通っているのが現状でしょう。
一方、後者の「昔・自然に還ろう」的なアプローチも、根強いものがあるような気がしています。
そこで今日は、このアプローチについて、山本七平の著書「ある異常体験者の偏見」の一節を紹介引用しながら考えていきたいと思います。
まず「昔・自然に還ろう」的なアプローチの問題に入る前に、前段として「認識論」に関する記述から入っていきます。
では引用開始。
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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■鉄格子と自動小銃
言うまでもないことだが、客観的な事実とそれに対する各人の判断は、全く別である。
「事実とは何か」
「それは私の判断である」といいうるのは厳密にいえば幼児だけ。
両者を混同しやすいのはだいたい高校生までで、少なくとも一人前の人間は、両者は別だということを知っているはずである。
従って「アパリの地獄船(註)」といっても、これは船倉に入れられ、飢え、食物を支給されなかったという非常に特異な状態におかれた人間の判断であって、客観的な事実はまた別であろう。
(註)…米軍に投降した山本七平ら戦犯容疑者たちがアパリ港からマニラへ移送される際に乗った船のこと。米兵捕虜が虐待されたという「バターンの死の行進」の復讐ではないか、とも言われた。
だが人間は異常な肉体的・精神的状態で異常な場所におかれ、外部との連絡を遮断されてしまうと、単に判断が狂うだけでなく、「判断」と「事実」とは別だということすらわからなくなるのである。
(~中略~)
こういうことは確か学生時代に、哲学の時間に「認識論」とか「判断論」とかいう講義で、私も、教えられたはずである。
しかし大体、私のような怠け学生には、哲学の講義などというものはねむいだけだし、さらに、「哲学」の講義そのものを、わかり切ったことを妙な屁理屈をつけて一ひねりした言葉の遊戯にすぎないように感じ、成程「スカラー(学者)の語源はスコーレー(ヴァカンス)か」とか、確かに「大学教授と乞食は三日やったらやめられない」はずだなどという下らぬことを考えて「三日やったらやめられない怠け学生」生活をすごしていたので、何一つわかってはいなかった。
そして戦場で、「なるほど『事実』と『判断』とは無関係だ」と悟らざるを得なくなって、今度はまた、「哲学などというものは、明けても暮れても異民族と戦争をしていた民族が生み出したのではないか」という妙な妄想にとりつかれるようになった。
そしてこの点でも、「日本語では戦争はできない」とつくづく感じたわけである。
簡単にいえば、われわれは「社会的通念」というものを信じていれば、それで生きていける社会にいるわけである。
従って「世の中なぞ絶対に信じない」という人は本当には存在しないわけである。
なぜなら、そういう言葉をロにする人は、その言葉が相手に通ずることを、絶対に疑っていないし、この言葉には、みなが信じている「世の中」すなわち社会的通念が確固として存在していることを前提にしているからである。
ところが「戦場という『世の中』」は、何一つこういうものはない。
特に分断され寸断されてジャングルにこもった小集団などには、基準とすべき通念などは全くなくなっている。
こうならなくとも、戦場では、「社会的通念」がないから通常の社会で使われている言葉が、使えなくなってしまうのである。
世の中が信じられないとは、本当はこういうことであろう。
簡単にいうと、われわれは「女の人が来た」という。
これに対して、「いやその言葉は正しくない。君が見たのは一つの形象であり、『女の人』というのは君の判断にすぎない。
相手は女装した男性かも知れぬ。君がどう判断しようと相手の実体はそれと関係なく存在する。
また『来た』というのは君の推定であって、そう思った瞬間、相手は回れ右をして行ってしまうかも知れぬ。
従って、そういう不正確な言葉は使うべきでない」などといえば、全く閑人の無意味な屁理屈である。
しかし戦場では否応なしに、そういう言い方にならざるを得ないので、ここに本当に「世の中が信じられない」状態の言葉が発生するのである。
先日Aさんが遊びに来た。
彼は時々戦争映画を見たり、戦争小説を読んだりして憤慨する。
憤慨するぐらいなら見たり読んだりしなければよいのだが、彼の場合は、憤慨するのが一種の道楽になっているような面もある。
もっともこういう道楽の人は案外多い。
何でも彼が見た映画(だったと思う)では「敵が来た」と報告する場面があったのだそうである。
「バカにしてやがる、そんな報告するわけネージャネーカ」といつものように彼は憤慨した。
確かにその通りで、こういう場合は「敵影らしきもの発見、当地へ向けて進撃中の模様」という。
確かに彼が見たのは一つの形象であり、彼はその形象を一応「敵影」らしいと判断し、こちらへ来ると推定したにすぎないわけである。
そして対象はこの判断とは関係がないから、味方かも知れないし、別方向へ行くのかも知れない。
しかし、だからといって一般の社会で、「女の人が来た」といわずに「女影らしきもの発見、当方へむけて歩行中と判断さる」などといえば、それは、逆に頭がおかしいと判断されることになろう。
そしてそのことは逆に「事実」と「判断」とを峻別しなければ生きて行けない世界とはどんな世界なのか、さらに現実にその世界に生きるとは、一体どういう状態なのかが、今の人には全く理解できなくなったことを示しているといえよう。
しかし少なくとも外国で何かを判断する場合、また外国を判断する場合は、この心構えが必要であろう。
(続く)
ここまでが前段となります。
上記を読んでつくづく思うのですが、我々日本人は『「事実」と「判断」とを峻別しなければ生きて行けない世界』を想像することが出来ない世界に生きているという”認識”をすることが、問題対処にあたってまず必要とされるのではないでしょうか。
そうしないと、なんら問題の本質に迫ることが出来ず、批判も的外れ、対処もままならないという結果に終わってしまうことでしょう。
上記のなかで、山本七平は「一人前の人間は、両者は別だということを知っているはず」と書いていますが、一体今の日本にどれだけ一人前の人間がいるのでしょうか?
身体は大人でも、この区別が出来ていない人間が多いのではないか…とつくづく思ってしまいます。
それはさておき、この続きからが本題です。
私は「昔・自然に還れ」という主張は、上記の”黄害賛美”と同じ類いのものだと思っています。(続き)
事実、別種の生活形態は非常に理解しにくいものである。
「幻の日本兵」事件の原因にも明らかにそれがあるが、同じ日本人のわずか三十年前の生活形態すら、今ではもう理解できなくなっているようである。
たとえばカトリックの『世紀』という雑誌に、武市英雄氏が「中国の農民は、日本の農民よりも物事をよく知っている……」として、人糞利用の例をあげている。
もちろん、こう明言された以上、中国の農民と日本の農民を徹底的に比較研究した上での対比であろう。
そうでなければ、日本の農民への実に失礼な断定といわねばならない。
しかしその短いパラグラフを読んでいるうちに、私のように人生の半分を人糞利用の世界で生きていた人間には、瞬間的に「公害」ならぬ「黄害」の世界が実感としてよみがえってくるので、何ともいえぬ奇妙な気持になってしまうのである。
光化学スモッグで窓があけられないのは大変にこまるが、しかしその昔、郊外にあった私の家では、真夏にどんなに暑くとも畑に肥料がまかれると、「黄害スモッグ」で窓があけられなかった。
周囲ことごとく畑であり「肥料をやってはならん」などという権利はだれにもないから、これ以外に方法がない。
しかも当時は冷房はないから、炉に入れられたようになってしまう。
排気ガスは確かにこまるが、何町もつづく肥車の列をすり抜けて登校するのもなかなか大変であった。
「田舎の香水」などといっても今では意味が通じまいが、田舎ならずとも郊外から着飾ったお嬢さんがパーティーなどに出てくると、香水の如くに異臭をふりまくことは少しも珍しくなかった。
何しろ全日本の田畑にことごとく人糞がまかれるから、「西洋人はバタ臭く、日本人はアレ臭い」といわれたものである。
ピクニックやハイキングが盛んになったのは、人糞利用の率の低下と比例しているのではないかと思う。
さらに「肥料会社に勤めていると世の誤解があって娘が嫁に行けないから転職した」などといっても、今では一体それがどういうことなのか理解できないであろう。
もちろん、こういう偏見や感覚的なことはどうでもよいことだが――といっても当人にとっては「どうでもよいことではない」が、それよりも何より恐ろしいのは回虫の蔓延であった。
水銀中毒の恐怖がなかったかわりに回虫への恐怖があり、公害で日本人は滅亡するという話はなかったが「結核亡国」と並んで「回虫亡国」「脚気亡国」という一種の「滅亡教」的発想は当時もあって「死のう団」などという団体まであった。
また、日本軍の最大の敵は敵軍でなく、結核・回虫・脚気だといわれていた。
子供がひきつけを起せば反射的に人びとはその原因を「虫」だと考え、「虫切り・虫封じ」という職業があって、大きい看板をかけており、また新聞・雑誌を開けば必ず大きなスペースで「虫下し」の広告があり、気味の悪い回虫の絵が入っていた。
回虫卵は風でもとんで来るといわれ、神経質な母親は、そのために子供にマスクをかけさせたそうである。
従ってこのことへの神経質ぶりは、到底今の汚染魚への状態の比ではないであろう。
回虫は胃壁を破って移動して肺や脳に入り、時には眼球のうしろに入って失明さすなどともいわれて、人びとは恐怖した。
さらに体内の虫を殺す駆虫薬は、一種の「毒」らしく、軍隊のそれは、人によっては翌朝太陽が黄色く見えるといわれ、これをもじった戯歌があった。
回虫卵は絶えずロからとび込んで来るから、つい駆虫薬を連用する。
女性が連用すると不妊症になるなどともいわれた。
こういうことすべて、一時期の魚への恐怖ぐらい根拠のないことかも知れない。
しかし人びとが恐怖しためは事実であった。
生野菜にも一種の恐怖があった。
陸軍は「禁ナマモノ」の世界である。
今では、水銀を連想しながらトロを食べている人はあっても、回虫への恐怖を頭のかたすみにおきつつ生野菜を食べている人はいないであろう。
それだけ「黄害は遠くなりにけり」である。
しかし、公害を克服するということは、すっかり忘れてしまったこの黄害にもどることではないであろうし、人糞を畑にもどすという循環が、回生卵の拡大的再循環を巻き起し、それがどれほど日本人を苦しめつづけたかも、忘れるべきでないであろう。
餓死直前となると、この回虫の有無と脚気の有無は、実に大きく作用した。
「ガ島は餓島」にはじまる日本軍の飢えとの戦いは、一面、回虫との戦いであり、それはいわば「黄害」との戦いでもあったわけである。
ジャングルでは「虫(回虫)がつくとシラミもつかん」といわれた。
回虫のいる人間には本当にシラミもつかなかったか、と問われれば、この実態は私には確信できないが、虫のいる人間はシラミも敬遠するほど衰弱がひどかったとはいえたであろう。
回虫さえなければ、もっともっと多くの人が、生きてジャングルから出てきたであろう。
尚武集団(十四方面軍)の大部分は餓死であると、アメリカの戦史にも記されている。
大体、戦勝国の戦史は、相手が餓死しても、大激戦の結果絶滅したように書きたがるものだが、それがこうはっきり書かざるを得なかったことが、その実情を示している。
しかしその餓死の現場にあった者が、もう一つの原因をあげれば、回虫すなわち黄害である。
何しろ最低の食糧を同じように分配しても、回虫がいる者はそれが自分の養いにならず、いわば虫に横取りされてしまう。
そこで同じように食べながら普通人には見られない異常な飢餓感があるから、たえずイライラし、また自分の養いにならぬからぐんぐん衰弱し、顔がたちまち土気色になり、骨と皮になって、性格まで一変していく。
「虫が毒素を出すからだ」などともいわれた。
口から虫をはき出すようになれば、もうだめだともいわれた。
不思議なことに、虫がつく体質とつかない体質とがあった。
同じように生活していても、全く回虫がつかない人もいるのである。
私も幸い「虫がつかない」体質であった。
戦後しばらくたって、収容所で、ある軍医さんが一心に「駆虫薬をのんで回虫が出たという経験があるかないか」を聞いてまわっていた。
今ならばアンケートというわけであろう。
この軍医さんの話によると、何しろ生き残って収容所までたどりついた人間は、ほとんどすべてが、「虫のいた経験のない」人間だったそうである。
「虫の好かんヤツが生き残ったわけですなあ」といって彼は笑ったが、綿密な統計をとっても、おそらく同じ結果が出たであろう。
飢えのほかに、マラリア、アメーバ赤痢、熱帯潰瘍で、四十度の高熱を出しながら、血のまじった鼻汁のようなものを肛門から流しつづけたり、体にウジがわいたりしても、回虫がなければ何とか生きのびることも可能だったわけである。
そうなると飢えについでわれわれを苦しめたのは、実は「黄害」だったわけである。
人がいかに化学肥料を非難し、中国の人糞使用を賛美しても、私は、黄害時代の再来はまっぴらである。
そのことの賛美自体が、その人が「黄害」の苦しみを知らぬ「良き時代」の生れであることを示しているにすぎない。
というのは黄害の最大の被害者は農民であって、その害は今まで記したことでつきているのではないからである。
私は武市氏とは逆に、中国の農民が一日も早く黄害から脱却できるように願っている。
周恩来首相も、おそらくそれを願っているであろう。
公害の克服は、絶対に黄害や黄害時代を賛美しても、美化しても解決はしない。
というのはそれも結局は、「女形らしきもの発見……」の世界を知らぬ者の事実と関係なき虚妄の一判断にすぎないからである。
【引用元:ある異常体験者の偏見/鉄梯子と自動小銃/P175~】
なぜ危険な原発が必要とされ、たくさん作られたのか?
それは、その当時のエネルギーの「黄害」問題を解決するためでしょう。
エネルギー問題が、一国の安全保障を左右するという事実。
それは戦前の日本の歴史を振り返って見れば、いくらでも見つけることが出来る筈。
戦前の失敗を繰り返さない為にも、原発は必要とされた現実。
その現実を忘れ、まるで「利権団体・官僚組織・自民党が推進したから」などと決め付け、批判対象を「諸悪の根源化」「悪魔化」するだけならば、それは「黄害」を知らない者の”たわごと”ではないでしょうか。
単に知的怠惰であることを自ら晒しているようなものだと思います。
今、我々日本人に最も必要とされるのは、リスクを正確に見極め、メリットとの比較考量を冷静に行なう態度です。
要は「判断」と「事実」を峻別することです。
それが出来なければ、放射能による健康被害どころか、安全安心な生活を送る為の基礎となる生活基盤までをも喪失してしまうことでしょう。
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