どうにも虫がおさまらないので、ちょっとぼやき気味に書かせてもらいます。
それというのも、先日久しぶりに、
サンデー・プロジェクトを見たからなのですが…。
仙石由人行政刷新担当大臣が出演していましたが、
田原総一朗に鳩山首相の資金疑惑を問い質されて、「形式的な法律違反に過ぎない」と答えてましたね。
まぁ、確かに与党としてはそう庇うしかないとは思いますが、それに対して、その場のコメンテーターも非常に甘いというかなんと言うか…。
高野孟なんか、
田原総一朗に問われて「何がなんだかわかりませんね。」なんていうコメントしか吐けない。
鳩山政権を庇いたいのはわかりますけど、それじゃコメンテーター失格でしょう。麻生首相の時と、余りにも対応が違いすぎませんか。
ネットでは、
吉永みち子の「支持率を支えてやってんだから」発言↓が叩かれてますけど、つくづくマスコミというのは、相手によって対応を変えるものなんだなぁ…と実感しますね。
◆吉永みち子 問題発言このような「自民党を批判する時の基準と、民主党を批判する時の基準が異なるというマスコミの態度」が、無能な鳩山政権を誕生させた一因であったことは間違いないでしょう。
全ては「政権交代」というも目的の為なら、多少の不正や不都合にも目を瞑ろうという態度は、結果的に何をしてもいいんだというモラル・ハザードがまかり通る風潮を許すことにしか他なりません。
こういう状況を見ていると、
岸田秀の次の言葉を思い出します。
正しい目的は不正な手段を正当化するのではなく、不正な手段は正しい目的を腐らせるのです。
目的と手段は一つの有機的全体を成しているのであって、切り離すことはできないのです。
不正な手段で正しい目的を実現することはできないのです。
それはさておき、マスコミの態度もそうですが、今回の鳩山首相の資金問題を庇う与党の人間の対応にも非常に疑問を感じます。
冒頭の仙石大臣も、「ゼネコンからお金を貰ったわけでなく、鳩山家のお金を使ったに過ぎない、いわば世間的に見れば、麗しい人情話で井戸塀
(註)だ。悪質性がない形式犯に過ぎない」といったような要旨を述べていましたが、実にふざけた言い訳です。いったい脱税行為のどこが井戸塀なんだ!!
(註)…政治活動の資金を作るために屋敷までも人手にわたり、井戸と塀しか残らないこと。政治には金がかかることのたとえ。 政治資金規正法で、上限が決められているのは、金持ちが一方的に有利とならないようにするためであるのに、それを単なる人情話や井戸塀にすり替えるとは…。
一国の宰相が、法律違反や脱税を行なっていること、そして、それに対する説明責任を全く果たしていないこと。
このことの重大さを余りにもわかっていない。
というかわざと無視してますな。
まあ、そうせざるを得ない事情はわからなくもないですけど…。
鳩山民主党が野党だった頃、事務所費問題、光熱水費問題を追及し、故
松岡農相を自殺にまで追い込んだ時の対応との落差を考えると、どうしても現政権の対応に激しい憤りを感じざるを得ませんねぇ。
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今話題の
事業仕分けを行なっている中で、
スーパー・コンピュータ開発や
GXロケット開発の見直し答申について、いろいろと批判のトーンが高まってますね。
このマスコミ報道を見ていて思うのですが、つくづくマスコミというのは無定見だな…と。
事業仕分けを持ち上げたかと思えば、一転、問題点を騒ぎ立てる。
まるで世論の流れを煽ることしか能がないようです。
この騒動を見ていて、思い出したのが、私のHNにもなっている「一知半解」について書かれた
山本七平の記述です。以下、ご紹介して行きます。
(~前略)
われわれには、みな、その時代時代の常識とか通念とかいったものがあり、それを前提にして新聞を読み、ラジオを聞き、テレビを見ている。
ところが、もしそれが逆用され、悪用されると、全くあり得ないことをいとも簡単に信じこますことが出来るのである。
それは今でも同じであり、その例はまた別の機会に記すが、幸い今の人の常識は戦前の常識と違うから、その点で、かえって、この記事が書かれたころの常識の検討はしやすいであろう。
「一知半解は知らざるに劣る」というが、当時の日本人はそのほとんどすべてが軍隊や戦争に対して一知半解であり、そのため文字通り「知らざるに劣る」状態になって、それが米英撃滅論的な世論を生み出してしまったと私は思っている。
何しろ世をあげての軍国熱があり、遊びといえば兵隊ゴッコ、読むものといえば忠勇美談、武勇伝、殉国美談であり、さらにマンガでは、犬まで兵隊を演じ、パンダと白黒を逆にしたような『のらくろ』は今のパンダ以上の人気もの、その上、中学校に入れば学校教練という正課の「兵隊ゴッコ」があった。
これが普通であって、私のような特別な家庭に育った者は例外者であった。
今このようなことをいうとおかしいが、私は軍隊で小銃の実包射撃の訓練をうけたことはない。
これは砲兵では当然である。
しかし高校時代に、戸山ヶ原の陸軍射撃場を借りて、三百メートル実包射撃をやっている。
歩兵戦闘というのは全く知らないはずなのに、曲りなりにも、ジャングル内の歩兵戦闘であまりまごつかなかったのは、やはり、実に九年におよぶ学校教練の結果かも知れない。
当時の学校教練はもちろん正課の学科で、これの点が悪ければ落第した。
おそらくその水準は、ある種の国の民兵程度だったかも知れない。
従って当時の日本人は、非常に軍事常識があったわけだが、これがあらゆる面で逆に作用した。
というのは、「兵隊ゴッコ」というが、これは正確にいうと「歩兵隊ゴッコ」なのである。
軍事教練というが、これは歩兵教練で、大体、中隊単位の戦闘訓練、軽機や擲弾筒の訓練まで正規の学課であった。
今では想像もつかないことであろう。
これが、「軍隊=歩兵」という観念をいつしか全国民に植えつけた。
同時に当時のマスコミも、いわばこういった読者を対象とするため、この観念をますます強めてしまったことと思う。
同時にそういった軍事常識に基づいて、少尉といえばすぐそれを「歩兵小隊長」と考えることも、だれ一人疑わぬ状態になってしまったのである。
いわばこれが当時の「常識」である。
常識や通念はもちろん虚偽ではない。
事実「陸軍少尉」といえば、そのほとんど全部が「歩兵小隊長」であり、それ以外のものは、いわば「例外者」であった。
今はもちろんだが、当時ですら「砲兵で、観通です」などといっても、「軍事常識」のかたまりみたいな、いわゆる「町の参謀」でも、何やらさっぱりわからない顔をしているのである。
「エッ、カンツー将校? 一体ナニやるんです」
まさか姦通と思ったわけではあるまいが一瞬けげんな顔をする。
そこで、いわば測量屋と、工事現場の仮設電話屋のようなことをするのだといえば、「ヘェー、じゃ軍属みたいなもんですな」といわれる。
こういうことは珍しくなく、そのため、軍事知識の普及がなっとらんと、憤慨している将校もいた。
この点面白かったのは、アパリにいた気象隊で、気象隊長のN少尉とはジャングル戦で一緒になり、彼が帰国するまで収容所で共に生活したが、内地では、気象隊と言うと、軍属扱いされたそうである。
彼の仕事は、いわば最小規模の測候所長であった。
近代戦とはそういったもので、飛行場設定隊といえば、今の宅地造成屋なみに朝から晩までの土木作業だし、自動車隊といえばマル通だし、鉄道隊といえば「動労」だし、船舶工兵といえば小型フェリーのようなものである。
実際こういう時代になると、民需軍需などという区別も、まことにあやしげになってくる。
斬込みから生還したK伍長が「少尉殿、戦車よりブルドーザーです。アイツを叩かにゃアカンです。アイツがガンガン戦車道と自動車道を造りよる。戦車道の前端はもうすぐジャングルにとどきますぜ」と言った。
事実われわれが恐れていたのはブルドーザーであった。
ひとたび戦車道ができれば、対戦車肉薄攻撃のチャンスはない。
従って当時われわれは、何にもましてブルドーザーをこわがっていた。
だがさらに奇妙なものまで兵器になる。
S中尉が短期の入院から帰ってきたとき「砲兵の兵器にゃコウモリ傘がある」と言ったら同室のものが一斉にワーッと笑ったという話をして自分も笑っていたが、これは冗談でなく事実であり、傘は、雨天の観測に、湿気を嫌う器材を濡らさぬための必需品であった。
当時の日本人の軍事常識というものが、全く時代離れのした日露戦争並みのものであり、しかもみなが、この一知半解に固執し、本当の実態を見る目を逆に自らふさいでしまっていたこと、それがすなわち「百人斬り競争」という記事をデッチ上げさせた背景であり、同時にそれは「百人斬り」的行為をしていない軍人は軍人と認めないことにもなった。
(~中略~)
「戦意高揚」と筒単に言うけれど、これは、「国民を戦争へと扇動する」という言葉とどこに差があろう。
近代戦の恐るべき実体を隠し、その戦場が「百人斬り」の場であるかの如くに書きたてたこと、それが一体どういう結果になったか。
先日、ある週刊誌の座談会で、戦史家秦郁彦氏が、戦争の末期には「プロは投げちゃって、アマばかりハッスルしていた」と言われたが、これは私の印象ともピタリと一致する。
戦意高揚という名の扇動記事・ゴマスリ記事が、軍事知識の一知半解人を完全にめくらにしてしまったのだ。
私が前に「目をつぶされた大蛇が、自らが頭に描いた妄想に従って、のだうちまわって自滅した」ような印象を日本軍に対してもっていると書いた、その目をつぶしたのは、こういった記事なのである。
戦後は軍事知識の一知半解人はいなくなったが、新聞、ラジオ、テレビは、別の面での恐るべき多量の一知半解人を生み出しているように思う。
一体これがどうなって行くのであろう。
知らないことは知らないでよいではないか。
知らないことには判断を差し控えて少しもかまわないではないか。
同時に、専門家ははっきりと専門家としての判断を公表する義務があると私は思う。
と同時に専門家でない者は、専門家の意見を冷静に聞くべき義務があると思う。
だが一知半解人は、常にそれができなくなるのである。
大分前のことだが、源田実氏が「ヴェトナム戦争は、純軍事的に見れば北ヴェトナムの実質的敗北で終ることは明らかだ」といった意味のことをいわれ、当時これが「勇気ある発言だ」と書かれていたのを何かの雑誌で見たが、瞬間、ムカッとしたのである。
今それを言うなら、なぜ、太平洋戦争の前にそれを言わないのか!
米・英・中三国との戦争の結果は、あなたには「純軍事的に見れば、はじめから明らか」であったではないか。
あなたは軍人ではなかったのか。
軍事の専門家ではなかったか。
他国のことに発言するくらいなら、なぜ自らの祖国とその同胞のために発言しなかったのか。
もちろんヴェトナムについて発言することすら勇気がいるのだから、当時の日本で、日本について同じような発言をすることは、死を覚悟しなければ出来なかったであろう。
しかし、たとえ、代表的な新聞が社説で「対米開戦」を主張しようと、それは本多勝一氏のように「百人斬り」を近代戦の実態と考え、これを断固たる「事実」と主張しているアマのハッスルにすぎず、それに対してたとえ一知半解人が双手をあげてこれに賛同しようと、それは専門家の判断の基準にはならないはずである。
その場合、専門家は、たとえいかなる罵言雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。
ただ私は、宮沢浩一教授の『ペンの暴力』という一文を読んだとき、つくづく戦争中を思い出したのである。次にその一部を引用させていただく。
〈わが国では、各地のいわゆる公害裁判で、原告に加担するマスコミがすでに結論がでているとばかりに、被告の訴訟活動に不当な圧力をかけている。被告会社の主張を科学的に裏づけようとする鑑定証人に加えられるペンの暴力によって、専門家は発言を事実上封ぜられる。
裁判の場では、両当事者は対等の立場で、使用しうる限りの科学的知識を動員して、その主張の合理性を争わねば、真実を誤る。
法律の適用についていかにすぐれた能力を待つ裁判官でも、科学的な判断には、専門家の助けを借りなければならない。
冷静に戦わされる専門家の意見に耳を傾け、原告・被告の言い分をじっくり聞いて判断を下さねばならないのに、先走った感情論から、被告側の鑑定人の足をひっぱる応援部隊が、「資本家の走狗」よばわりする図は、中世の暗黒裁判に似ている。
金沢大学の学長が、イタイイタイ病問題での、まわりの付和雷同性をたしなめると、今度は学生が騒ぎ、マスコミが弾劾の論陣をはる。
いつになったら、この頓馬なセンセーシーナリズムがなくなることだろう〉
教授は「この頓馬なセンセーショナリズム」と書いておられるが、戦争中は文字通り「この頓馬なセンセーショナリズム」の連続であり、「百人斬り競争」という記事は、その一つだったにすぎない。
そしてこういったセンセーショナルな記事の連続が、専門家の口を封じ、アマだけを異常にハッスルさせるという結果になった。
それが、秦郁彦氏の指摘した戦争末期の実状であろう。
そして小規模ならば、太平洋戦争と同じのこのパターンの事件は、国内の至る所でくりひろげられているように思われる。
従って「百人斬り」という記事の問題点はむしろこの方向にあるかも知れないが、しかし、その全般を解明する能力が私にあるとは思えないので、やはり、問題の焦点を二少尉にしぼろうと思う。
しかし、この問題も、読者は、考えてほしい。
おそらくこの方が重要な点と思うから――ただ一つ私に言うべきことがあるなら、この「百人斬り」的な「頓馬なセンセーシーナリズム」と「軍備」とが結合し、世界中から袋叩きに会ったのが、太平洋戦争の一面だということである。
従って再軍備の危険性はむしろこの百人斬り的「頓馬なセンセーショナリズム」と軍備との結合という点から考えるべきことであろう。
(後略~)
【引用元:私の中の日本軍(上)/扇動記事と専門家の義務/P220~】
今も昔もマスコミは扇動記事を書くのが上手なようですね。
そして、それを鵜呑みにして、科学立国の危機と言わんばかりに騒ぎたてる人のうち、はたしてどれだけ冷静に問題の本質を見抜いている人がいるのでしょうか。
(勿論、私自身、
スーパー・コンピュータ開発の是非はわかりません。ですから、軽々しく止めろとか続けろと言うつもりもありません。)
山本七平が指摘するように、一知半解人は、軽々しく決め付けずに、専門家の意見を聞く必要がありますし、専門家は、一知半解人にわかるように説明する義務があるはずです。
そうした基本的なことを怠り、生半可な知識に基づいて即断し、それに対する異論には、よってたかって批判を加え黙らせようとする。
「一知半解人のハッスル=頓馬なセンセーショナリズム」がもたらす危険に気づくことこそ、戦前を反省するということでしょうに。
そのためにも、まず我々一人ひとりが一知半解人であることを自覚する必要があるのではないでしょうか。
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前回の記事『
昔から「機能&経済」至上主義だった日本人』では、日本人がその時代の環境に自らを適応させ、その環境下で経済性を最大限に発揮することができる民族であること。そして、そのことを当たり前のこととし、自らの特徴としてなんら自覚していないこと。日本のそうした特長が前提となる環境を破壊しかねない危険性を孕んでいること等について
山本七平の記述を紹介したわけですが、今回はその続きです。
(~前回からの続き)
前にある外国人との会合で私は次のような要旨の話をした。
「過去に於て日本人は、少々不思議な経験をした。というのはある時期まで日本の軍事力は欧米の賞讃の的であった。
セオドア・ルーズベルト大統領は東郷元帥に会って最大の賞讃をしたし、また私は、所用があって、かつてマッカーサー司令部のあった第一生命を訪れたとき、不思議な経験をした。
第一生命の会長室がマッカーサーの執務室であり、その部屋は今は使われず、記念のため当時のままに保存されている。
マッカーサーの椅子に座ってみませんかと言われ、私は面白半分に座って部屋の中を見まわした。
何の装飾もない、実に質素な部屋である。
マッカーサーが執務した時代と全然変わっていませんか、という私の質問に、昔のことに詳しい管理人がいった。
彼は壁の一角を指さしながら、ただ一つ違う点はあそこに乃木大将の写真が掲げられていたことです、と。私は少々驚いていった。
だれがそれを取りはずしたのですか、と。
相手は言った。
その写真は第一生命のものでなく、マッカーサー大元帥がお持ちになったのですから、持ってお帰りになったのでしょう、と。
ことによったら、アメリカ人記者ウオッシュボーンの『乃木大将』で関心をもって調べた結果であろう。
いずれにせよ、ウオッシュボーンの賞讃記事を読めば、だれでも関心をもつ、それが、ある時点から非難と憎悪の対象となった。
◆一貫して借全国だった日本
こういう変化があった一方、明治から一貫して、日本の経済は非難の対象ではなかった。
もっとも綿業に於ては主としてイギリスからダンピングという非難があったが、イギリスの専門家は逆に、ダンピングでないと日本を弁護している。
確かに輸出攻勢への非難は一部にあったとはいえ、日本の経済政策はおおむね、好感をもって迎えられた。
理由は簡単である。
日本は外債を元利とも常に完全に期日通りに返済した唯一の国だったからである。
日本は大変な資本輸入国であり借金国であったが、カントリー・リスクは皆無の国だったといってよい。
この点では常に欧米の資本輸出国の優等生であった。
だがこれが日本にとって、どれほどの難事業であったか、理解している欧米人は殆どいないであろう。
なるほど今では欧米人は、自分たちは常に公正に振舞っていたかのような額をしている。
だが安政五年(一八五八年)にアメリカが、悪名高い砲艦外交によって日本に押しつけた日米通商航海条約は、少なくともわれわれの目から見れば公正なものではない。
日本は関税自主権を奪われ、一方的に、従量・従価はアメリカが都合のよい方を採用することで、最高五パーセントと定められていた。
これは実質的には関税ゼロに等しい。
当時の日本には何の近代産業もない。
そこへすでに工業化した先進国の製品が無関税でなだれ込めば、日本の伝統産業は潰滅するか、産業の近代化は不可能になる。
後発の国は、保護関税で先進国に対抗して自国の産業を育成しようとする。
現に、アメリカもドイツもこれをやっている。
だが日本はそれを封じられた。
その中で日本が近代化するのは、不可能といってよかった。
過去において、こういう仕打ちをしたということは忘れないでほしい。
幸いに日本には絹があった。
この外貸手取率百パーセントという屋根裏の牧場の製品の輸出高は、一時は、日本国政府の予算の総額に匹敵したのである。
日本は細い絹の糸にすがって近代化の進を切り開いたと言っても過言ではない。
だが、以上の状況下における急速な近代化は、多額の資本の輸入が必要であった。
簡単に言えば日本は安政五年以来、ほぼ一貫して借金国だったわけである。
もちろん例外的な一時期はあったが、戦後にまた過去の蓄積のすべては壊滅してゼロにもどり、借金で再出発した。
その間、諸外国の日本への基本的な要求は、不良債務国になるなということであった。
◆諸外国の「強制」から生まれた国の「体質」
この点で日本人は、先進国の優等生だったといえる。
実に安政五年以来、日本は内需を抑制して輸出にはげみ、ひたすら借金を返しつづけたわけである。
現在、先進国が、後発の債務国に要求していることは、内需を抑制して輸出にはげみ、債務を返済せよということである。
日本はそんな要求はされなくとも、内需を抑制して輸出にはげみ、とどこおることなく、債務を元利とも返済しつづけてきた。
この間の日本の内需抑制・輸出先行型の経済体制は、どこの国も基本的には非難しなかったし、非難しなかったことは別に不思議ではない。
これは諸外国の要請、また諸外国が日本に強制したことによって発生した体質で、実に一二〇年以上つづいた体質である。
欧米先進国の都合でこの体質を変えよというのはまことに勝手な要求だと私は思うが、日本は、大勢に順応しても自己主張をしない国だから、変えるであろう。
だが一二〇年以上つづいた体制を一気に変えろというのは少々無理である。
私に言わせれば、十年かかっても不思議ではない。
以上に述べた現象は簡単にいえば、日本がその順境に順応することによって、逆にその環境を破壊しそうになっているという状態であり、日本の伝統的な行き方は常にこの自己矛盾をはらんでいる。
私がこういったとき、著名なイギリスの日本学者が、「過去のことはともかくとして、将来のことを検討しましょう」といった。
私はそれに対していった。
「その主張は少々おかしい。
過去のことを忘れないのはあなた方であって、われわれではない。
殆どすべての日本人は、いま私が述べたような過去のことは、とうの昔に忘れている。
そして、以上のような主張もせず、いかに現在の壮況に適応すべきかに腐心している。
欧米が現在の態勢をたてなおすのに時を貸せというなら、同じように日本も、一二〇年もつづけざるを得なかった態勢を変えるのに時を貸せと言ってよいはずである」
◆成功しすぎた異端-日本人と日本経済
残念ながら日本は「自由圈の御威光」ではないし、自らが「御威光」になる気もなく、もっと呑気で責任を負う義務がなくかつ高収入を得られるナンバー2、いわば「副社長」の位置に安住したいなら、「崔家門の知恵(註)」に学ぶべきである。
(註)…拙記事『昔から「機能&経済」至上主義だった日本人』参照
だが、その場合、きわめて不合理な要求をされることは覚悟せねばなるまい。
ヘブル大学の日本学者ペン=アミ・シロニー教授は、『誤訳される日本』(光文社)の中で次のような面白い指摘をしている。
「貿易不均衡を生じた場合、赤字を出している側がその不均衡を立て直すというのが慣例になっていた」と。
これは今でも慣例であって、債務国でありかつ貿易赤字国である国に対しては、先進国・債権国は、その不均衡を立て直せと、厳しく要求している。
だが日本はこの点で奇妙な地位に置かれていると氏は指摘している。
「一九七三年のオイル・ショックに伴い、日本の対米赤字は一〇〇億ドルに膨れ上がった。
しかし、誰一人としてアメリカを非難する者はいなかった。
それは、日本のように資源のない国は、貿易不均衡のあおりを受けても仕方がないのだと考えられたからである。
つまり、日本自身の問題であって、他の誰の責任でもないということなのだ。
時は移って一九八三年、日本の対米黒字は二〇〇億ドルにも上った。
すると、突然にアメリカがわめき始めた。
購買力では、一九八三年の二〇〇億ドルと一九七三年の一〇〇億ドルは全く同じにもかかわらず……」
大変に面白い指摘である。
シロニー教授は、ここから、先進資本主義国における、成功しすぎた異端である日本人とユダヤ人の対比という問題に進む。
それは確かに一つの捉え方であり、その点に関心のある方は前掲書を読んでいただくとして、私は別の面からこの問題を捉えてみたいと思う。
◆一貫性のないアメリカの主張
確かに、アメリカはアメリカの債務国で赤字国である国に対しては「お前の責任だから何とかしろ」と要求しつつ、一方、アメリカの債権国で黒字国である日本に対して、「お前の方でこの黒字を何とか解消しろ」という。
これはまことに得手勝手な話であって、その態度には論理的な一貫性はない。
だが、この矛盾を徹底的に追究したらどうなるであろうか。
もちろん双方にさまざまな言い分があるであろうが、要約すればそのときの相手の言い分は、「そう主張するなら、お前は自由主義世界の安全と秩序に全責任を負う『御威光国』になれ」ということ、簡単にいえばアメリカの肩がわりをせよということである。
だが日本はその責任を負う気はないし、負うことも不可能である。
まことに残念なことだが、「今の掟」では、経済力だけでは御威光国にはなれず、軍事力を持つことを要請される。
では日本はアメリカの軍事力を肩がわりする気はあるのか。
全然ないし、第一それは不可能であり、そんなことをすれば経済的に破綻して、元も子もなくしてしまう。
ということは、自らの責任において秩序を保持し、それをあたかも自然的環境のように自分の責任で守る意志は日本にないということである。
その場合は「御無理、御もっとも」として、御威光国の秩序維持に協力すること以外に、方法がない。
日本は決して過去の失敗を繰り返してはならない。
「御威光国」は経済力と軍事力のみならず科学技術をも含めた総合的国力を要請される。
過去の日本は経済力なしに、軍事力だけで「御威光国」になれると夢想した。
否、妄想をしたと言ってよい。
現在もしその逆、すなわち軍事力なく経済力だけで「御威光国」になれると妄想したら、同じ失敗をくりかえすであろう。
もちろん、そんな妄想は今の日本人には毛頭ない、という人もあろうし、事実、ないのかも知れない。
しかし、経済力は持っても政治には一切無関係といいうるのは個人のみであって、国家はそうはいかない。
というのは、自らにその意志がなくても、日本の経済力がアメリカの御威光を損ずる結果になれば、日本がまるで自然的環境のように依存している現在の体制を崩壊させる恐れがあるからである。
もちろん、崩壊させて、自らの意志に基づく新しい体制を樹立する意志と計画があるなら別だが、そうでないなら、自らも発展しつつ同時に、その発展を可能にしている政治的・経済的環境を維持していくにはどうすべきかを考えるべきで、そのためには、実に矛盾した相手の要求を受け入れる覚悟をしておくことが必要であろう。
というのはその矛盾は、実は日本に内在しているからである。
だがこういっただけで反発を生ずるかも知れぬ。
というのはこういう考え方は、日本人の伝統的な機能至上主義的発想とは相容れない。
というのは、機能すること自体に価値を置くから、最大限に機能を発揮してきたことを一転して否定され、その成果も努力も無にされることに日本人は耐えられない。
それまで高く評価されていたことが、一転して罪悪視されるという結果を招くことを、日本人は理解しないし、しようともしない。
また、相手のきわめて非論理的な態度に、強者の圧力を感じて釈然としないが、それに変る自らの提案もしない。
確かにベン=アミ・シロニー教授の指摘するように、アメリカの態度はまことに論理的に一貫しないのである。
ではそれに応ずるのはなぜか。
過去において似たような問題はしばしば出て来ているが、その間、戦前・戦後を通じて一貫しているのが、次の言葉であろう。
政府の弱腰、アメリカベったり、対米媚態外交、等々々。
だがそういいながら多くの場合、日本は屈伏する。
すると屈伏の連続が屈辱感となり、それがある程度たまって来ると、どこかで爆発する。
これは簡単にいえば、そのとき自分がなぜそれをしなければならないかを明確に意識せずに、「無理難題に屈伏させられた」「外圧に敗れた」と受けとっても「自分がそれによって発展して来た環境を、その発展のゆえに破壊することがあってはならない」と考えないからである。
ではそう考えずに、屈伏・屈伏の屈辱感から、あくまでも屈伏せず、外圧をはねのけたらどうなるか。
自らがそれに即応することによって維持・発展してきた環境を自ら破壊して、自らも崩壊する結果になってしまうことになる。
◆論争をしない日本
もっとも現代の日本にはまだその徴候は現われていない。
現われていないから安心だと言えるであろうか。
実はそれが言えないのである。
ベン=アミ・シロニー教授の言う通りアメリカの主張は理不尽である。
こういう場合ユダヤ人なら徹底して相手に論争を挑むであろう。
そして一つでも譲歩すれば、別の面で相手に何かを譲歩さす。
だが日本人はそれをしない。
またはっきり言って出来ない。
シロニー教授のように、相手の理不尽を相手の論理でつかむという術にたけていないからである。
彼らはこれを反射的に行いうるが、それは伝統の違いであって、日本人にこのまねはできない。
しかし日本人は、言葉にはならなくてもカンは鋭いから、何となく、納得できないという気持は抱いている。
だが、それがしだいに蓄積して来ると、いつかは爆発する。
日本人がよく口にする「今度という今度はがまんならない」が出てくるのである。
これが出てくるのは非常に危険だから、以上のように整理して、日本が何が故に理不尽な要求に従わねばならぬかを、はっきり納得しておく必要があるであろう。
だがそれだけでなく、過去の失敗を振り返っておくことも無駄ではあるまい。
(次回へ続く)
【引用元:危機の日本人/P219~】
上記の引用を念頭に置きながら、最近話題の
普天間基地移設問題を巡る鳩山内閣の対応についてちょっと考えてみます。
この問題に対する鳩山政権の対応を見ていると、アメリカの(理不尽な)要求に何とか逆らいたいという気持ちが伺えます。
確かに、その感情を抱くのは、極めて自然でしょう。
しかしながら、鳩山政権やそれを支持する人達には、「日本が何が故に理不尽な要求に従わねばならないか」という理由を、ハッキリと把握せず、全然納得できていないようなのですね。
要は、日本自らの立場を、
鳩山首相は自己把握できていないのです。
それだから、対応がブレまくる。
一般庶民ならそれでも構いませんが、一国の首相がそんな状態では正直危なっかしくて見ていられません。
どうしてもアメリカに逆らいたいのなら、アメリカへの依存を減らす対策なり方針なりをしっかりと国民に示すべきでしょう。
(彼は彼なりに東アジア共同体という対策を示しているつもりなのかも知れませんが、全く現実的ではありません。これでは対策が無いも同然です。)
ノーを言うにも、責任が必要なはずです。
無責任なノーを突きつけることは、決して「対等な関係」を意味しません。
それとも、
鳩山首相は、ただ単に「対等の日米関係」と唱えていれば、対等になるとでも思っているのでしょうか?
仮にそうだとしたら、とんでもないアホを首相にしてしまったものです。
彼の言動を見ている限りでは、口では日米同盟の強化・対等な日米関係を謳いながら、実際の言動では、アメリカに逆らう行動を取りたがっています。
なぜ、そのような行動を取りたがるのか。
それは、「なぜそれをしなければならないかを明確に意識していない」故の反発心が原因なのでしょうが、その他にも、彼の人に嫌われたくないという八方美人の性格にも帰することが出来そうです。
先だってアメリカの雑誌に、「歌舞伎の真似をやめるべきだ」と指摘されていましたが、まさに「見栄を切りたい」だけなのです。
そして、鬱屈した反米感情を抱いている日本人から、拍手喝さいを浴びたいのです。
そう考えてみると、
鳩山首相は、おそらく自ら進んで決断をしようとしないでしょう。
言を左右にし、名護市長選の民意という「言い訳」が出来るまで時間を稼ぎ、
普天間基地を辺野古に移設することは駄目になったと開き直るつもりでしょう。
そうさせないためには、周囲の説得如何に掛かっているわけですが、果たして
鳩山首相が説得に応じるかどうか…。
この問題を、
鳩山首相が年内解決をしなければ、泥沼化することは避けられないでしょうね。
結局のところ、この問題を、
鳩山首相のような民意の迎合というレベルで政治利用することは決して日米両国にとって、いい結果をもたらさないでしょう。
両国の不信と反発を増幅させ、いずれ日本人をして「今度という今度は我慢ならない」という臨界点に到達させかねない恐れがあります。
再び”真珠湾攻撃を望む”という状況に日本を陥れてはならないのです。
たとえ庶民がそれを望んだとしても、それを止めるのが、本来政治家に課せられた役割なのではないでしょうか。
ましてや、一国の首相がそう誘導してどうするんだ!と私は言いたいですね。
そう考えると、鳩山首相は、政治家として余りにも不適格なのではないか…と思わざるを得ません。
何だか話が矮小になってしまいましたが、次回は過去の日本の失敗について
山本七平が述べた箇所を紹介していく予定です。
ではまた。
【関連記事】
・昔から「機能&経済」至上主義だった日本人・八百長のある国、日本。八百長の無い国、アメリカ。【追記あり】・「普天間の辺野古移設に反対/2万1000人が結集」報道一考FC2ブログランキングにコソーリと参加中!
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テーマ:日本人論 - ジャンル:政治・経済
今、話題の「
事業仕分け」ですけど、見ていて面白いですね。
民主党の
枝野幸男議員や
蓮舫議員が、相手のグダグダした言い訳や反論をピシッと遮って、裁定を下す様なんて、非常にテレビ映りがよくてスカッとします。
でも、聞いたところによれば、この裁定を下したとしても、それを受け入れるかどうかは最終的には鳩山首相の政治判断に委ねられるみたいですね。
てことは、単なる茶番劇に終わってしまう可能性もあるんじゃ…。
「
真相報道バンキシャ」でたまたまこの「
事業仕分け」の特集を見たのですが、これに対するアンケート結果が出ていて、実に回答者の7割強が賛成しているそうです。
また、番組では、
国立女性会館のケースや、農水省の農園?整備事業などが紹介されていましたが、一方でスパコン開発の縮小などは一切放送されてませんでしたね。
事業仕分けのこうした一面もきちんと報道すれば、少しは評価しなくもないのに…。
そういうところにも、マスコミお得意の
編集の詐術というものを感じますね。
それはそうと、今回の
事業仕分けを見ていて、幾つか自分なりに問題だと思った点を挙げてみると、
①一体何の権限があって、やっているのかが不明。
②余りにも審議が短時間で強引すぎる。
③長期的・大局的な視点がなく、全ては費用対効果で判断されてしまう。
④この結果が生かされるかどうか保証がまったくない。
⑤仕分けの対象となる事業が、一部にとどまっている。
⑥まずパフォーマンスありきで、本当の問題がはぐらかされる恐れが強い。
ぐらいでしょうか。
確かに、国民の前でこうした審査が公開されたという点では、ある程度の意義はあるのでしょうが、全ての事業が、そうした対象になじむとは思えない。
むしろ、公開することで、国民目線の判断レベルで物事が整理されてしまい、長期的・大局的な観点が失われてしまうマイナスが怖いですね。
スパコン開発の減額なんて、まさにそうした犠牲ではないでしょうか。
本来、こうした審査は、国会の予算審議で議論を尽くせばいいはずでしょう。
予算審議がそうなっていないと言うのなら、工夫をすればいいだけの話のはず。
これってある意味、議会民主主義の軽視ではないでしょうか?
何の権限も持っていないはずの「
事業仕分け人」が、こうした問題に容喙し、それによって国の予算が左右されるということが、とてもいい結果を生むとは思えない。
バンキシャでも、コメンテイターの
河上和雄さんが、「
彼らは何の正当な権限も持っていない、法律違反だ(というようなことを言っていたと思う。)」と述べて批判してましたが、他のコメンテイターらは、そうした面もあるかも知れないけれど、やっていること自体はいいことなのだから評価してもいいのでは…みたいな事を言ってました。
こうした反応を見ていると、目的が正当であれば、不正な手段も許される…的な感想を抱きますね。
むしろ、不正な手段は、正当な目的を達するどころか、正当な目的を腐らすだけの結果に終わるような気がします。
そして、個人的に一番嫌悪感を感じるのが、こうしたパフォーマンスで、国民受けを狙っている点ですね。
実際、このパフォーマンスにコロッとやられちゃっている人もネットを見ると多いみたいですし…。
これは、バンキシャのアンケート調査結果からも伺えますね。
これで
鳩山内閣の無能ぶりが、ごまかされてしまうとしたら非常に問題だと思います。
正直なところ、今回の民主党政権のパフォーマンスをみて、とても素直に賛同する気にはとてもなりません。
だまされないように、今後も見守っていく必要がありそうです。
【関連記事】
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民主党鳩山政権が誕生してからひと月以上過ぎましたが、野党の立場で唱えていたかつての主張と、現在の与党の立場での主張との違いがどうにも目立ちますね。
もちろん、実際与党の立場にたてば、現実的にならざるを得ないですから、主張も当然変化があって構わないのですが、あまりにも節操がなさすぎる。
そう思いませんか?
一方ではマニフェストに書いてあるから…と強引に実行に移し、都合の悪くなったマニフェストについてはあっさりと前言を翻す。まさにいいとこ取りなんですね。
政治とはそういうものかも知れませんが、自民党の頃はこれほどひどくなかったと思う。
そうなった理由のひとつに、民主党のマニフェスト成立過程に原因があるように思います。
何日か前の読売新聞に、イギリスにおけるマニフェストが作成される過程と、民主党のそれとの違いについて記事が載っていました。
イギリスの場合、まず政党の下部組織でどのようなマニフェストにするかオープンな議論が戦わされ、それが集約され、党員の合意の下にマニフェストが出来上がるわけです。
それが民主党の場合、選挙直前まで情報漏えいのないよう一部の政治家のみが関わることしかできず、大半の政治家・党員は蚊帳の外に置かれていた。
なぜそうなってしまったかと言えば、元々民主党というのは、安全保障や外交といった基本政策においてすら、合意が形成されていない単なる反自民の組織であるからでしょう。
オープンな場で、討議していたら収拾がつかなくなるからでしょうけど、マニフェストの成立過程一つ取ってみても、マニフェストという言葉は同じかも知れませんが、中身は全然違うわけです。
皆を納得させた上でのマニフェストではなく、合意に基づいたマニフェストではない。
そのため、マニフェストそのものに自信を持てず、それが故に、例えば前原国交相が八ッ場ダム建設中止で見せたような硬直姿勢になったり、逆にあっさり前言を翻す態度にもなる。
そうなってしまうのも、ニセモノのマニフェストだからなんでしょうね。
マニフェストもそうですが、鳩山首相以下閣僚の発言の軽さ。
これどうにかならないですかね。
もう少し、政治家が発する言葉に重みと言うものがあったはずなのですが、民主党の閣僚にはそれが微塵にも感じられない。発言が軽すぎるんですね。
そしてまた、マスコミも自民党政権の頃と違って、それほど追及しない。
それは政権発足間もない蜜月期だからなのかも知れませんが、もし自民党政権であれば間違いなく内閣が倒れるくらい追及したでしょう。
それほどの失策・醜態を、わずかひと月ちょっとでこれだけ晒しているにも関わらず、相変わらずマスコミの論調が鳩山政権に対して甘いのは、日本にとって間違いなく不幸なことだと私は思います。
まぁ、マスコミに期待する気持ちなど、はなから抱いていないので、やっぱりマスゴミだ…と改めて思うだけなのですが。
それはさておき、今日は、政権を取る為だったら、どんな空約束でも乱発した民主党の態度について関連すると思う
山本七平の記述について紹介していきたいと思います。
正確に言うと、
山本七平の記述を引用しながら解説をしている
谷沢永一の著書「
山本七平の知恵」からの記述になります(アマゾンで販売されている1992年に出版された「
山本七平の知恵」はその後、改訂・改題され、現題は「
山本七平の叡智」となっています。)
(~前略)
私は軍が全く一方的に積極的に政治に関与したという戦後の見方に非常に疑念をもつ。
逆に、当時の政治家が、自己の立場を有利にするため、軍を政治にひっぱり込んだという面が確かにある。
記録は、特に「自民党の前身」政友会にこの傾向が強かったことを示していると思う。
軍には「軍人勅諭派(註1)」という非常に強いブレーキがあったのだが、政争以外眼中にない政治屋が、その手でこのブレーキをはずしたこと、これは否定できない。
(註1)…明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭。「政論に惑わず政治に拘わらず」と軍人の政治への不関与を諭している。wiki参照。
ところが戦後その人びとが、一切の責任を軍に押しつけ、ケロッとして「オレは戦時中アカだといわれたもんだ」などとヌケヌケと言っていた事実がある。
もちろんマスコミにもこれがある。
従って本多氏(註2)などの戦争責任の追及は、まるで名目的責任者を追及することによって責任を他に転嫁して自らを守る一種の「企業防衛」としか私には見えない。
(註2)…本多勝一。朝日新聞社の記者として活躍。wiki参照。
(後略~)
【引用元:私の中の日本軍(下)/捕虜 空閑少佐を自決させたもの/P263~】
本多勝一らが行なった戦争責任の追及が、マスコミによる「一種の企業防衛」に過ぎないという
山本七平の指摘には鋭いものがありますね。
それはさておき、上記記述を引用しながら、
谷沢永一が次のように解説を加えています。
◆戦争責任は議会にあり
軍が一方的な横車を押した場合に、その軍の横車というものが、決して軍の力だけによって日本の政治を動かしたことはいちどもないのである。
日本は、丸山真男などの言うような「ファシズム国家」ではない。
ドイツはファシズム国家になって議会を停止した。
議会政治がドイツから失われてファシズム独裁になったが、日本の場合は、議会はずっと機能しつづけて、昭和二十年の五月のときにさえ帝国議会は正常に開催されていて、その開催に対して何らの抵抗、妨害はなく、粛然として行われていた。
だから終始一貫して日本は議会主義政治を守っていたのである。
そして、軍の意向、軍の横車は全部、議会に議席をもつ政治家の承認を経てそれが予算化されたのである。
チャーチルの一世一代の名文句「戦争責任とは軍に予算をつけたヤツだ」という名言がある。
軍は予算がなければ動けないわけで、その予算をずうっとつけてきたのは日本の議会である。
もちろん、先にも述べたとおり、その日本の議会の議会政治家および内閣の人たちを暗殺をもって脅迫したことは事実である。
しかし、少なくとも議員の相当多数が暗殺されて、議会が開催されなくなるということはいちどもあり得なかった。
だから責任は日本の議会政治家にあり、その議会政治家を選出した選挙民にある。
これはもう理の当然である。
それから、当時は民政党と政友会という二党政治が行われていて、今度は民政党か政友会かというようにバトンタッチが実際行われていたのである。
だから世に二党政治があって、それがひょこひょこバトンを交代したら最高だという人は、それなら昭和元年から昭和二十年までの政治史をもういちど日本にやろうということか、と私は言いたいぐらいである。
この場合に、この二党の最大の特徴は、いったん野に下ったら、こんど与党を責めるのに手段を選ばなかったということである。
それはどちらも共通している。
ところが、山本七平がいみじくも言っているように、どちらがその度がきつかったかというと、実は政友会のほうが度はきつかった。
だから、民政党の浜ロライオン内閣が軍縮をやったときに、軍縮をやったということを糾弾したのは政友会であって、鳩山一郎(註3)の有名な演説がある。
(註3)…現鳩山由紀夫首相の祖父。wiki参照
統帥権干犯というのは、北一輝が言い出して、軍部の青年将校がそのイデオロギーを担いだが、それだけでは野にあった単なる雑音にすぎなかった。
ところが、それを帝国議会の議場に持ち出しだのは政友会の生粋の政党政治家であったのだから、戦争責任というものは、最終的にはそこへいかなければならないということではないか。
【引用元:山本七平の知恵/第五章 日本軍と戦争責任/P188~】
wikiにもありますが、当時の
鳩山一郎が、政争に明け暮れて軍の政治介入を招く片棒を担いでいたことが、後々の日本の破局にまでつながっていくわけで、
谷沢永一が指摘するように戦争責任の一端があることは免れ得ないように思います。
戦前の政治家は、軍部を政争に引っ張り込んだ挙句、暴走させてしまいました。
自らの主張にとって如何に有利なことであっても、禁じ手を使うことは慎むべきであるし、それがその時、一時的に国民受けするようなことであっても、やってはならないことがあるはず。
戦前の反省をするとしたら、この点でしょう。
まぁ、鳩山民主党政権は、そういう禁じ手を使っているとまで思いませんが、偽のマニフェストを謳ったり、空手形を乱発したり、自民党を追及していた姿勢を自らには全く取らなかったり…と、どうしようもないですな。
挙句の果てには、一国の首相が、「
恵まれた家庭に育ったものですから…」なんて言い訳するのですからひどいものです。
こういう政治家では、たとえ二大政党制が実現したとしても、うまく行きっこないですな。きっと。
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今日は、次のニュース↓をキッカケに、思ったことを書いていきます。
【号外】普天間の辺野古移設に反対 2万1000人が結集上記のニュースを読んで、まず感じたこと。
それは果たして本当に2万1千人も集まったのだろうか?という疑問なのです。
なぜ疑問に思ったのか?といえば、沖縄戦の住民集団自決における軍命令の有無を巡って、沖縄で行なわれた集会の人数が水増しされていた過去↓があったからですね。
・集団自決と検定 秦郁彦 沖縄集会「11万人」の怪・沖縄県民大会の規模を2.5倍も誇張する朝日新聞本来ならば、新たな事実が発見された時に限られるべき教科書の記述が、この政治集会の圧力を元に変えられそうになったことは、由々しき問題だったと言えるでしょう。
今回は、どうなのか?
それは主催者発表以外にないので、真相はわかりませんが、鵜呑みにすることは出来ません。
そこで、今日は主催者発表の数(員数)について書かれた
山本七平の記述を著書「日本はなぜ敗れるのか」から紹介して行きます。
この「日本はなぜ敗れるのか」は、虜人日記を書いた
小松真一氏が挙げた日本の「敗因21ヶ条」をひとつひとつ解説していく形を取っていますが、紹介するにあたって、次の敗因を頭に入れておく必要がありますので、以下ご紹介。
◆敗因二十一ヵ条の第一条
一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。
然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。
武器も与えずに。
米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
では、この敗因がどう「員数」と関わっているのかを、
山本七平が書いた「日本はなぜ敗れるのか」から紹介して行きます。
◆実数と員数
(~前略)
ある一つの主義に基づき、ある対象が在ることにする。
奇妙なことに、これが、歴史的にも同時代的にも、そして昔も今も日本で行われてきたことであった。
精兵主義は確かにあった。
しかしその主義があったということは、精兵がいたことではない。
全日本をおおう強烈な軍国主義があった。
だがその主義があったということは、強大な軍事力があったということではない。
ところが奇妙なことに、精兵主義があれば精兵がいることになってしまい、強烈な表現の軍国主義があれば、強大な軍事力があることになってしまう。
これはまことに奇妙だが、形を変えれば現在にも存在する興味深い現象である。
そしてこの奇妙な現象が日本の敗因の最大のものの一つであった。
そしてそれを思うとき、小松氏が、これを二十一ヵ条の冒頭にもって来たことは、私などには、なるほどとうなずけるのである。
なぜこういう奇妙なことが起るのであろう。
日本人全部がいかに激烈な軍国主義者になったところで、昭和のはじめの日本の常備兵力は、実質的には日露戦争時と変らぬ旧式師団が十七個あるだけであった。
総兵力十七個師団。約三十万人余。
これは、当時の日本の経済力を考えれば、ほぼ精一杯の師団数であったろう。
通常、完全編制の一個師団の兵員は一万五千だが、日本の師団は二万。
その理由は、自動火器の不足を単発の小銃の数で補うためだったといわれる。
その火力はアメリカの戦艦の五分の一以下、簡単にいえば、五個師団半の火力の総計でやっと戦艦一隻分の総火力である。
そして伊藤正徳氏によると、この十七個師団の中で、アメリカの海兵師団と対等にわたりあえる能力のある師団は、一個かせいぜい二個であったという。
日本全体がどのような主義を奉じようと、奉じただけでは、現実にはこの数がふえるわけでも減るわけでもない。
全日本人が強烈な軍国主義者になれば一気にこれの能力が十倍百倍するわけではなく、海兵隊と対等でわたりあえる師団が一個師団か二個師団という現実には、何の変化もありえない。
そしてまたその逆が到来したからといって、それだけで、その能力が十分の一になるわけでもない。
強烈な言葉や激烈な表現また誇大なスローガンの氾濫も、それだけでは何の実質的変化をもたらすわけがない。
そしてそれが日本人全体にどのような心理的効果を与え、それがどのように日本を規制しようと、外国にとっては、所詮、犬の遠吠えに過ぎない。
以上のことに、反対する人はいないであろう。
だがそのわかりきったことが通用しなくなり、精兵主義があれば精兵があり、軍国主義があれば強大な軍隊が存在することになってしまう不思議な現象。
一体これは、どういう図式で、どのようにして、そうなるのであろうか。
昔の例はかえってわかりにくいと思うので、その図式とほぼ同様の最近の例をあげて解明しよう。
われわれにとって、動かすことが出来ないものに、まず単純な「数字」がある。
たとえば、十七個師団という数、その中に含まれる火器の数と火力の合計、それらの総計としての全師団の総軍事力という「数字」は、主義主張によって変化するわけではない。
ましてある「数」の実数を軍国主義者が計算しようと平和主義者が計算しようと「数」は「数」であり、もし、両者の間に差が出るなら、どこで誤差を生じたか厳密につきあわせれば、それも解明できるはずである。
従って、それを行わずに、その数を多く見れば何主義者、少なく見れば何主義者といった分類を行う者がいれば、それは実にこっけいな存在といわねばならない。
まして、その実数を無視して、この数をある数量と見ない者には何らかの資格がない、といった発言は、こっけいを通りこして馬鹿げている。
ところが奇妙なことに、昔も今も、このばかげた発想が存在するのである。
その昔、火力その他から厳密に計算して、日本の師団のうち海兵師団と対等でありうるのは一、二個師団、と公然と発言する者がいれば、それだけで、その者は日本国民の資格のない者、すなわち非国民であった。
だがしかし、それへの反論は、常に、厳密な合理的数字による反論ではないのである。
そして現在、しばしばこれと似た発想が表われるのが、春闘などに動員された労働者の「数」である。
この「実数」は厳密に計算すればだれが計算したとて同じ「数」であって、その人の奉ずる主義主張によって、現実に実在する数が増減することはありえない。
しかし最近の「春闘決起大会」の動員数などでも、その数のいずれをとるか、「大」をとるか「小」をとるかが、明らかに一つの資格審査すなわち一種の「踏絵」になっており、その踏絵としての力の方が、「実数の正確な調査」に優先しているのである。
主催者の春闘共闘委員会の発表した「数」は二十万人、警視庁調べでは三万一千人である。
この差は一対七であり、もし「一」が実数、「七」が虚数、そしてこれが「戦力」の計算だと仮定したら、太平洋戦争の開始時の情況もある程度理解できるのではないかと思う。
というのは、両者の国力の差も、どうひいき目に見ても一対七か一対九であった。
従って日本がもし「三万一千」が実力数でありながら「二十万」という”虚数”を基にして両者を対等と見なしていたなら、開戦は必ずしも気違い沙汰といえなくなる。
そしてその場合、問題は、開戦そのものより、なぜ虚数を実数としたかにあるはずである。
では一体、この二十万と三万一千は、どちらが実数なのであろう。
新聞には、「ニ十万については、発表寸前まで内部からも批判があり、大会に参加した一般組合員からも失笑を貿った」とある。
だが面白いことに、大会の責任者井ロ幹事にとっては「正確な実数」は問題でなく、どちらの数をとるかは、その人の資格問題なのである。
従って氏は「ホコ先を新聞記者諸氏に向ける。『新聞記者が三万一千という警察の数字を信ずるようじゃ、もはや労働記者の資格ないよ』」と。
また内部の批判者も結局、大会責任者の「『発表が二十万人になっているんだから……』”公式数字”はニ十万だといい直す」(以上「週刊新潮」所収)という形になる。
では一体全体、本当にそのままのそこにいた人間の数は何人か、といえば、結局わからないのである。
そしてそれがわからない理由の一つは新聞の態度にある。
主催者側二十万、警視庁側三万一千と書いてあるが、当新聞社の調査では何方という数字は常に書いておらず、新聞は新聞として独自の調査をし、国民が判断を誤らぬよう、自らの責任で正確な数字を発表する義務があるとは、昔も今も考えていないわけである。
以上の図式は、太平洋戦争勃発時と非常に似ている。
もしアメリカが、「海兵師団と互角に戦える戦闘師団は日本に一、二個師団しかない」と発表すれば、これはいわば「警視庁の発表」であって、その「数字を信じるようじゃ、もはや日本人の資格ないよ」つまるところ非国民なのである。
またたとえ軍の内部に批判的なものがいても、公式発表たとえば、大本営発表があれば、その公式発表が正しいといい直す。
そのほかに、以上のいずれにもよらぬ第三者、たとえば新聞社自体が示す「数=評価」といったものもない。
従って、その実体は最後には、だれにも把握できなくなってしまう。
「二十万」と発表した人自身が本当は実数を把握していない(と私は思う)のと同じである。
そして激烈な”軍国主義”が軍事カとされてしまうから本当の軍車力はなく、”精兵主義”が精兵とされるがゆえに精兵がいない、という状態を招来し、首脳部は自らの実状すら把握できなくなってしまうのである。
それが最終的にどういう状態を現出したか。
小松氏は的確に記している。
■日本軍の火力
友軍の火力としては高射砲が三門あるだけで、他は若干の重軽機銃と少数の迫〔撃砲〕、飛行機からはずした機関砲、旋回機銃位のもので、三八銃もろくになかった。
自分達の今井部隊は二千名の兵員に対し三八銃が七十丁という情けないものだった。
全ネグロスの友軍の兵員(陸軍、海軍、軍属、軍夫)二万四千のうち、陸軍の本当の戦闘部隊は二千名そこそこで、あとは海軍軍需部、海軍飛行場設定隊、陸軍は航空隊、飛行場大隊、航空修理廠、航空通信連隊等の非戦闘部隊が大部分だった。
(後略~)
確かに総兵力二万四千、しかし戦闘部隊は二千で十分の一以下、さらに今井部隊では兵員二千に対して、明治三十八年式の歩兵銃が七十丁、簡単にいえば、少なくとも全員の九割は戦闘力としてはそこに存在していない。
ただ標的として殺されるために存在しているに等しい。
これが軍国主義はあっても軍事力はなく、精兵主義はあって精兵がなく、客体への正確な評価を踏桧にかえ「二十万なら資格あり、三万一千なら資格なし」としつづけた一国の終末の姿である。
そしてこのことは、もう一方から見れば、陸軍の宿痾ともいえる員数主義を生む。
「数があるぞ」といえば質も内容も問わない。
これが極端まで進めば、「数があるぞ」という言葉があれば、そしてその言葉を権威づけて反論を封ずれば、それでよいということになる。
これは実に奇妙に見えるが、形を変えれば今もある。
前述の春闘の共闘委の西野事務局次長は「二十万?三万一千?問題」に次の通り答えている。
「つまらんことを聞きにくるんだねえ。二十万人招集したわけだから、ま、二十万人集まったと発表した。ただそれだけのことですよ……」。
これは実に面白い考え方である。
「ニ十万招集した、しかし三万一千(?)しか集まらなかった」という事実は、問題でないのだというわけである。
結局、招集数と実数の差は「実体なき員数」(これこそ員数の極致)でうめ、「ニ十万集まったと発表した」わけである。
なぜそうしたか、「――要は東京で中央集会をやりましたということ。こんなに気合が入っています、と新聞に出れば、いよいよ春闘が始まったゾという空気が、下部や地方に流れて行く。そこにこそ意味があるんだからねえ」。
大本営も大体これと同じ考え方をしていたらしい。
大兵団を比島に送りこむゾ、マレーの虎山下大将が総司令官になったゾ、大航空兵団が来るゾ、南方総軍司令部が寺内元帥以下天王山のマニラに乗りこむゾ、……ゾ、……ゾ……ゾ……ゾゾゾゾ……。
だがそれは結局、それをやっている人間の自己満足にすぎない「員数主義」である。
そして、小松氏のような普通の常識人には、バカバカしくて見ていられないのである。
(後略~)
【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第三章 実数と員数/P75~】
上記の引用を読むと、沖縄の集会の「数」を巡る論争などにも、はっきりとその傾向が現れてますね。
マスコミは主催者発表をそのまま垂れ流し、自ら調査して検証するどころか、むしろ一部の新聞社などは、その数を強調し、自らの主張の正当性を裏付けるものとして利用したりさえする。
そこには、実態はどうなのか検証しようとか、事実を知らせようという意図は一切見受けられず、読者を一定の方向に誘導しようとする意図しか感じることが出来ません。
それでいながら、不偏不党・公正中立という衣を平然と被って報道するところが、日本のマスコミの大きな問題点ではないでしょうか。だからマスゴミと言われてしまう。
マスコミは、まずこうした集会に集まった「実数」を、主催者発表に頼らず、自ら調査し検証すべきでしょう。それも出来ずに、事実報道を謳うのはおこがましい限りだと私は思います。
また、情報を受け取る側も、主催者発表を鵜呑みにしない態度が求められるのではないでしょうか。
「員数」主義に陥らない為にも。
それはさておき、考えてみると、戦前の日本は激烈な「軍国主義」でしたが、戦後は一転して激烈な「平和主義」だと言えるでしょう。
平和国家日本、平和憲法、などとお題目を唱えたとしても、それで平和が維持できるわけでもないのに、なぜかそれによって日本が平和なんだ、ということになってしまう。
そして、
日米同盟と自衛隊によって平和が保たれているという「現実」は、あっさり無視されてしまう。
「数」というのは、わかりやすく言葉でごまかし得ないはずですが、それですら
山本七平の指摘するような「馬鹿げた現象」が起こってしまうことを鑑みれば、「日本の平和が何によってもたらされているか」という”現実”などは、激烈な「平和主義」にかかれば、簡単にごまかされてしまうのは、ある意味、当然なのかも知れません。
結局、政治的立場で「事実の認定」を歪めてはならない!という”姿勢”を取り続けなければ、こうした現象からは逃れられないのではないでしょうか。
そうしない限り、戦前の人間がだまされたように、我々もまただまされる結果になるでしょう。
【関連記事】
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テーマ:日本人論 - ジャンル:政治・経済
ここ数年、文化の日となると、
入間基地航空祭に出かけるのが恒例となっておりますが、今年も行ってまいりました。
川越からだと、西武新宿線の狭山市駅が入間基地の最寄り駅。駅からの歩きも含めて1時間もかかりませんのでちょっとしたピクニック気分で行くことが出来ます。
一番の目的はと言えば、もちろん
ブルー・インパルスの演技ですね。
今年は例年に無く好天に恵まれました。
ちょっと風もあったけど、これほどの晴天に恵まれれば文句は言えません。
おかげで、
ブルー・インパルスの演技を十分堪能させていただきました。
(本来ならデジカメでとった画像を貼り付けたいところでしたが、なぜかパソコンで画像ファイルが開けないので今回は断念します。しかし、なぜだろう?)
それはさておき、ここ何年かずっと見ているのですが、毎年演技が変わっていないような気が…。
贅沢な不満だとは思いますが、新しい演目を入れて欲しいです。
そこでちょっと気になって、ネットを探していたらあるんですね。
ブルー・インパルスの演目を解説しているHPが。
そこの演目解説を見ていたのですが、これ↓は見たことないので来年は是非やって欲しい。
◆さくら CHERRY BLOSSOM
http://www.masdf.com/blue/sakura.shtml【この写真↑は上記リンク先HPより引用させていただきました。】
あと、
サンダー・バーズがよくやる演技「cross」なのですが、この演技↓もお願い!
◆
Thunder birds 演技解説・写真より「
Cross」
要は、四方向から進入してきて、一点でクロスする演技です。単なる一直線のクロスですら大歓声があがるのだから、東西南北からクロスすればもっと受けるはず。
サンダー・バーズに出来て、
ブルー・インパルスに出来ないはずは無いでしょう。
是非来年は新演技の披露をお願いしますヨ。
ブルー・インパルスの皆さん!!
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テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
今回は、前回の記事「
”ひとりよがり”がユダヤを破滅させた。翻って日本はどうか?」の続きです。
日本は成功するが故に、嫉妬の対象になっていることは、前回ご紹介した
山本七平の記述でお分かりいただけたかと思います。
そこで、今回は、それでは日本は、一体どう対処したらよいのか?と浮かぶ疑問について、「危機の日本人」から
山本七平のサジェスチョンの部分を紹介していきたいと思います。
◆思想や宗教の商品化
日本人の具体的価値を重視する傾向は、当然に経済性の重視になる。
『人鏡論(註1)』で道無斎が神・儒・仏を嘲笑しているのは、彼らがその「思想」や「教え」乃至は「秘伝」そのものに価値を置かず、それが「売れる」という点、すなわち経済性に価値を置いている点がある。
(註1)…徳川時代に広く読まれた著作者不明の本。殆どが「神・儒・仏はフィクションで人間万事カネの世の中」を論証することに費やされた娯楽本。
こうなれば当然に、買えるものしか相手にしない。
いわば宗教や思想の商品化で、その意味では「商業左翼」と同じであり、そしてこの商品化が、身分・地位・結婚・医師や技能士の資格にまで及んでいる点である。
これは別の表現でいえば宗教や思想も売れるがゆえに価値があるのであり、売れなければ価値はない。
「商業左翼」とはもちろん嘲笑の言葉だが、道無斎が笑った対象はその中世版である。
これを別の面から見れば日本人は、直接的に機能しないものは評価しない、機能するものは高く評価するという伝統が古くからあるということである。
これは機能至上主義と言ってよい。
これを姜[カンハン](註2)は二つの面から指摘している。
(註2)…豊臣秀吉の朝鮮侵略のおりに捕らえられた朝鮮の儒学者。日本での幽閉滞在中の生活を記録に書き記し、三年後帰国した姜は「看羊録」と名付けた記録を刊行した。藤原惺窩らと交流があった。
一つは何事であれ「天下一」となれば評価され、それが材木を縛る天下一でもよいのである。
また各大名はあらゆる技能者を集めている。
役に立つ兵書を読ますため「物読み坊主」も集めている。
だがこの「物読み坊主」が直接には何の機能もしない理気論や礼論を読みかつ論ずれば、すぐに失職であろう。
さらに小銃だが、韓国ではこれを鳥銃といい、前述のように対馬の宗氏から手に入れていたのに、何の興味も示さなかった。
ところが日本人は、この方が機能するとなると、たちまちその製造技術を覚え、あっという間に量産して国中にその妙手が生ずる。
さらに姜が日本人の異国の品物に対する異常なほどの好奇心を指摘している。
この機能主義と異国への好奇心が一体化したとき、非常に危険な存在となると見たのがゴローニン(註3)とオールコック(註4)である。
(註3)…ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍軍人、探検家。wiki参照。
(註4)…イギリスの医者、外交官。初代駐日総領事、同公使を務めた。wiki参照。
産業革命後の機械と技術は直接に役に立つと見れば、異常な好奇心をもってこれを導入し、すぐさま習得すると共に、その機械をつくり出す。
いわば対外的好奇心と、機能主義と、宗教でも主義でも教義でも商品化するという経済至上主義とが一体化すれば、確かに危険な競争者となるであろう。
それは日本人自らが気がつかないだけで、幕末に日本に来たゴローニンにもオールコックにも、はっきりと見えたことであった。
◆カネが無限の効用を持つ社会
機能至上主義と経済至上主義とが結びつけば、すべてが産業化する。
前にあるベンチャー・ビジネスの会合で、有名なソフト産業の社長が次のような面白いことをいった。
「一次産業、二次産業、三次産業という分け方は正しくないと思います。
問屋・小売店など、またごく普通のサービス業や娯楽業、さらにわれわれのような仕事を第三次産業と呼ぶなら、私大を経営する学校屋、塾、予備校など教育屋は第四次産業、このほかに情緒を売るのが第五次産業、宗教が第六次産業で、利益率は六、五、四、三の順ですな」と。
このとき、「いや、政治産業も入れるべきだ」という声もあったが、確かにこれも入れるべきかも知れない。
そのことは一先ず措き、その歴史を見ると、これらの産業は実に道無斎の時代からあったわけである。
こういう社会では、精神的救済まで買えるから、カネは無限の効用をもつと言ってよい。
そうなれば、各人は無限に経済的になりうる。
カネによって入手できるものがきわめて限定されている社会では、カネの効用も限界がある。
上和田八郎左衛門のようにカネで「士」になることができず、同じようにカネで三位の「大夫」になることができないならば、普通の衣食住を支えるだけのカネがあればよいことになる。
カネで権力者になれないなら、余分の富を持つことは危険なだけである。
李朝の韓国はそういう状態だった。
◆世界に通用しない国内原則
金日坤氏の『韓国、その文化と経済活力』の中に、「崔家門の知恵」という面白い話がある。
崔氏の家門は、米にして一万石の収入を得つつ十代つづいたので有名な家だが、次のような厳しい家訓があった。
(一)官職は『進士』以上の位に就いてはならない。
(ニ)財産は一万石を越えて増やそうとするな。
(三)凶作の年には田畑を買うな。
(一)の進士というのは郷試に合格すると与えられる最低の称号で実務のない名誉職。
だが官職にあれば役人の横暴を防ぎ、収奪は免れる。
だが余り高い官職に昇れば、権力争いに巻き込まれ、財産没収などの憂き目に会うから絶対に上位に昇らない。
いわば「末は博士か大臣か」などということは絶対に望まないのである。
(ニ)は一万石も収入があれば否応なく資産は増えていく。
だが余り大きくなると危険だから余剰分は小作人に還元するか公益事業に寄付して、使用人や世間の人の怨みや嫉妬を受けないようにする。
「出羽の本間か、本間の出羽か」といわれるようになってはならない。
いわば銭屋五兵衛にならないためである。
(三)も同じで、貧乏人や困窮者の弱昧につけこんだという非難や憎悪の対象にならないようにせよ、ということである。
現在の国際社会の中で日本が生きる道を求めるにあたって、ある種の示唆を与える家訓だが、一国の経済という枠組の中で見れば、これでは資本の蓄積は不可能であろう。
もっとも蓄積しても意味がなく、逆に危険を招来するだけなら、確かに意味はないが、六次産業まである国はまた別である。
ただ日本で通用するこの国内原則が、そのまま世界に通用すると考えてはならないことは、常に自戒していないと危い。
◆二十一世紀への日本の課題
以上に述べて来たこと、これは本書で今まで述べて来たことの要約だが、これをさらに要約すれば次のようになるであろう。
「日本人は”自然化された自然”によって形成され、”御威光”によってそれが保持されている秩序を、イデオロギーと無関係に自然的環境のように受けとり、それを”今の掟”として受容し、柔軟かつ誠実にそれに対応することによって摩擦を避け、その中で現実に社会に機能するもののみに価値を認め、その結果すべてを、経済性と有効性に還元しうる民族である」と。
明治時代のように植民地化されそうな危険があった時代には、戦国時代に鉄砲の有効性を認めたように、軍事力の有効性を認めた。
が、同時に経済性も重要視した。
「富国強兵」というスローガンが何よりもそれをよく示している。
この行き方は一見きわめて合理的である。
それが合理的であることは、日本の急速な発展が示しているであろう。
日本人は、以上の思想を借りものとしてでなく、自らのものとして完全に身につけているので、自分の思想を少しも意識していない。
そして意識していないが故に、この合理性のもつ問題点をも意識していない。
問題はここにあり、日本の落し穴は常にこの点にあるといわねばならない。
過去において日本はそれにつまずいた。
将来つまずくのもその点であろう。
ではその問題点とは何なのか。
日本の発展が、それが軍事力であれ経済力であれ、その発展を可能とした前提、すなわち「御威光によって保持され自然的に形成された国際秩序」を崩壊させそうになることである。
この点で、以上の合理性は、きわめて危険な非合理性を含んでおり、これを、どのように克服するかが、簡単にいえば、二十一世紀への日本の課題なのである。
【引用元:危機の日本人/二十一世紀への課題/P213~】
一体どうしたらよいのか?というはっきりした答えはまだ出てきませんが、問題点ははっきり出てきました。
国際秩序の中で、機能至上主義と経済至上主義を活かす環境を与えられさえすれば、日本はその実力を発揮し、国際競争を勝ち抜くばかりか、一人勝ちという結果すら得ることによってその秩序を崩壊させてしまいかねないというのが、日本が陥り易い問題点だということですね。
また、仮にそうして秩序を崩壊させたとしても、新たな秩序を作りあげるだけの実力を持たないところも問題なのでしょう。
しかし、一番問題なのは、
上記の問題点を日本人自らがまったく意識していないという点に尽きるのかもしれません。
次回は、こうした問題が、日本に対する理不尽な要求を引き起こしていることについて書かれた
山本七平の記述を紹介していきたいと思います。ではまた。
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