ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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(前回の続き)
そしてこの場合は、落ちていくのはもちろん与党だけでなく野党も同じである。
私は実は以前から、戦前、軍部や右翼が天皇を政治に利用したやり方が、この「二重の虚偽」の逆用だと思っていただけに、今回の野党の動き(註1)は、ちょっとショックであった。
(註1)…増原内奏問題(wiki)参照のこと。野党が、田中角栄内閣当時の増原防衛庁長官が天皇に内奏した際の天皇の言葉をマスコミに漏らしたことを咎め、天皇の政治利用を図ったと批判し、辞任に追い込んだ事を指す。
もっとも私は政治学者でないから、これは思い違いかも知れないので、専門の方に御教示いただければ幸いである。
というのは、「天皇を政治に利用してはならない」とは、何も戦後だけでなく、戦前もいわれたことである。
そこで「天皇を政治に利用した」という言いがかりを「政治的に逆用」して右翼と軍部は政治を支配し、その典型的な一例が幣原外相の辞任事件で、これが日本の破滅への第一歩だった。
そして彼らは常にこういう逆手を使いつづけた、と私は考えていたからである。
「天皇を政治に利用してはならない」ということを逆用して「政治に利用する」ことも、天皇を政治に利用するという点では変りがないからであり、ある面では、さらに危険だと思うからである。
従って今回の野党の動きは、かつての右翼や軍部と同じように私には見えた。
そしてそれが「利用してはならない」ということを「利用する」という型の二重の虚偽なら、その収拾方法もまた「あったこと」を「なかったこと」にする昔ながらの「二重の虚偽」による方法であった。
私の考えでは、以上のような意味において増原長官はやめるべきでなかったと思う。
そうしないとこれが先例になって、「天皇を政治的に利用した」ということを「政治的に利用」し(言うまでもなく、これも政治的利用である)次々と大臣が実質的に罷免されるのみならず、倒閣さえ可能だというようなことになれば、それは国会自身が、天皇を利用して自らの手で自らの首をしめることになるからである。
私は、戦前の議会は、つぶされたのでなく、上記のような過程で自壊し自滅したのだと思っている。
さらにまた、思い過ごしかも知れぬが、今回のことの背後には「天皇と軍部にはタッチできない」という戦前のタブーが、そのま裏返しになって登場しているように思う。
というのは、天皇との会話の話題がほかのこと(註2)だったら、こういう問題にならなかったと思うからである。――だが、以上は私の「感じ」にすぎない。
(註2)…この増原内奏問題は、昭和天皇の日本の防衛問題に対する発言を政治利用したと野党が攻撃したために起こったので、山本七平としては、天皇の発言が自衛隊以外の話題だったら問題視されなかっただろうと考えていた。
従って私の見方が誤っているのであれば、御教示下されば幸いである。
事実を事実でないと嘘を言えという。
次に嘘を言いましたという第二の嘘をついて、第一の嘘の責任をとってやめろという、そしてやめると与野党も新聞も、これで事件が落着したという。
しかし、これは本質的には今回の事件は事件の終りでなく、ここが事件のはじまりであろう。
そこで私は『百人斬り競争』の扱い方でも今回のこの扱い方でも、みなが終ったとしたところを出発点にしたい。
(次回に続く)
【引用元:ある異常体験者の偏見/聖トマスの不信/P140~】
<政教分離訴訟>原告笑顔で会見 「地域の施設」困惑も
「憲法の精神を守った」。20日、北海道砂川市の市有地の神社を巡る2件の政教分離訴訟のうち最高裁が1件で違憲判断を示したことを受け、元中学教諭でクリスチャンの原告、谷内栄さん(79)は笑顔を見せた。「1件は負け、もう1件も差し戻されたのは意外だが『憲法的には勝った』という気持ち。闘いは続くがこの判決が土台になる」と語った。
午後3時半過ぎ、最高裁前。谷内さんらは「最高裁は憲法を守った!」「富平(とみひら)不当判決」の二つの幕を支援者に掲げた。その後、弁護団が東京・永田町で記者会見し、空知太(そらちぶと)神社訴訟の違憲判決について「明確に違憲と宣言し歴史的な意義がある。国家と宗教の分離という理想への一歩」「全国に多数ある同じ事例に見直しを迫るメッセージになる」と口々に評価した。
ただ高裁に差し戻しとなった点には「市に『待ってあげるので何とかしなさい』と言っているようだ」。富平神社訴訟の敗訴については「(土地を町内会に無償譲渡して)違憲状態から戻したのだから水に流そう、という判断で中途半端」と批判した。
谷内さんが政教分離にこだわる理由は戦中の体験にある。「皇国少年だった」という谷内さんは天照大神の札に毎日手を合わせた。15歳で海軍航空隊のパイロットに志願し合格したが、入隊直前に終戦を迎えた。玉音放送を聞きながら「神の国の世を再建する」と泣いて誓った。翌年キリスト教に出会い、戦中の世の中の異常さに気付いた。
空知太神社の問題を知ったのは91年。通勤時に見かけた神社の土地の所有者を市職員に尋ねると「市の土地です」。「政教分離は二度と神社が国と一体になってはならない戒めのためにある。行政はその意識をしっかり持つべきだ」と04年3月、提訴した。
約6年でつかんだ最高裁の違憲判断。谷内さんは「『こういう社会を作ってきた』と子供や孫に伝えたいという気持ちが私を支えている」と強調。「満足と残念、どちらが強いか」と問われると「捨てたもんじゃない。希望がある」と笑顔を見せた。【銭場裕司、安高晋】
◇「円満解決図りたい」砂川市長
最高裁大法廷の違憲判断について、1審の札幌地裁で砂川市側の証人として出廷した空知太神社の氏子総代、佐藤勉さん(83)は「神社だけは残してほしいと期待している。(撤去されれば)苦労してこの地を開き、五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を祈願してきた先人に申し訳ない」と話した。
神社には宮司がおらず、佐藤さんら世話人15人が運営。これとは別に、神社が納められている町内会館「空知太会館」の運営は町内会と老人クラブ、神社役員会でつくる運営委員会が行っている。初詣でと4、9月の例大祭で会館を使用している神社側は年間6万円の使用料を運営委に支払っているという。佐藤さんは「今も初詣でに200~300人余りの参拝者がある」と述べ、地域に根付いていることを強調した。また、町内会の会長(73)は「神社の運営に一切タッチしておらず、お話しすることは何もない」と述べた。
一方、砂川市の菊谷勝利市長は20日、市役所で会見し、「違憲状態と判断されたのなら、それを取り除くのが私の責任。弁護士と相談し、運営委の皆さんと話し合い、早期に円満解決を図りたい」と話した。その方法として「(神社の)撤去が一番いいが、賃貸や(土地の)売却も考えられる」と説明。さらに、同じく市有地に建っている一の沢神社と吉野水天宮の2施設についても、解決策を図る意向を示した。
空知太神社は1892(明治25)年、現在地近くの場所に建てられたほこらが始まり。11年後、現在地に移され、1970年、町内会館の建設に伴って会館内に納められた。菊谷市長は、神社が移転した時は民有地だったが、その後、民有地が市に寄贈された経緯を説明し、「特定の宗教団体に恩恵を与えたとは考えていない」と話した。【西端栄一郎】
1月20日21時19分配信 毎日新聞
関連ニュース↓
・市有地神社「違憲」、氏神様など数千件影響も(1月21日8時41分配信 読売新聞)
・神社撤去…信教の自由脅かす 最高裁、バランス判断 差し戻しは“配慮”(1月21日7時56分配信 産経新聞)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
(1971/09)
イザヤ・ベンダサンIsaiah Ben-Dasan
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◆全員一致の審決は無効
(~前略)
まず第一に、日本では、「決議は百パーセントは人を拘束せず」、という厳然たる原則がある。
戦争直後、ヤミ米を食べずに餓死した裁判官がひとりいた。
ということは、その人が例外なのであって、他の裁判官はもちろんのこと、この法律を議決した議員も、その議員を選出した国民も、だれひとりとして、国会の議決によるこの厳然たる法律に、百パーセント拘束されていなかったことを示している。
(~中略~)
日本では、満場一致の決議さえ、その議決者をも完全に拘束するわけでないし、国権の最高機関と定められた国会の法律さえ、百パーセント国民に施行されるわけではないから、厳守すれば必ず餓死する法律ができても、別にだれも異論はとなえない。
法律を守った人間はニュースになるが、破った人間はもちろん話題にものぼらない。
といって全日本が無法状態なのではない。
ここに日本独得の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という断固たる不文律があるからである。
従って裁判もそうであって「法」と「法外の法」との両方が勘案されて判決が下され、情状酌量、人間味あふるる名判決などとなる。
日本人はこの不文律を無意識のうちに前提とするが、これは日本独得のもので外国にはないから、外国の会社などと契約を結ぶ場合、法律の専門職ですら、えてして大きな失敗をするわけである。
戦後のこういった失敗例を列挙すれば、一冊の本となろう。
ではこの法外の法の基本は何なのであろう。
面白いことに、それは日本人が使う「人間」または「人間性」という言葉の内容なのである。
今のべたような「人間味あふるる判決」とか、また「人間性の豊かな」「人間ができている」「本当に人間らしい」とかいう言葉、またこの逆の「人間とは思えない」「全く非人間的だ」「人間って、そんなもんじゃない」「人間性を無視している」という言葉、さらに「人間不在の政治」「人間不在の教育」「人間不在の組織」という言葉、このどこにでも出てくるジョーカーのような「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は、日本における最高の法であり、これに違反する決定はすべて、まるで違憲の法律のように棄却されてしまうのである。
守れば餓死するような法律などは、「そんな人間性を無視した法律を守る必要はない」と全国民が考えると、その瞬間に違憲として棄却されるから、ないも同様になる。
それならこの法律を国会で廃止すれば良いではないか、と主張する外国人が居れば、まことに日本を知らぬ奴といわねばならない。
というのはこの法律は「人間性を無視しない範囲内」では厳然として存在し、それをおかせば罰せられるのである。
従って、「そりゃ、ヤミをやらねば食って行けないし、おれもやってるけど、あいつはやりすぎるよ、あんなことまでやれば、つかまるのはあたりまえだ」ということは、人間性という法外の法の保障する範囲がはっきりきまっており、これをのりこえれば、すぐさま、国会の定める法により処断される、それが当然だ、という考え方である。
このヤミという言葉はもう昔話である。
今、同じような位置にあるのが税であろう。
日本の税法をモーセの律法のように厳格に適用すれば、結果において脱税していない日本人はひとりもおるまい。
(後略~)
【引用元:日本人とユダヤ人/全員一致の審決は無効/P105~】
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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(前回の続き)
「イエス・キリスト復活伝説」を知らない人はいないであろうし、今でも世界の多くの国で復活祭が祝われている。
ところが、イエスが処刑されて数日たって「イエスは生きかえった」という噂が広まり、それを「事実」とするムードが盛りあがったとき、弟子の一人であるトマスが言った、「私は(イエスの)その手に(十字架に釘づけされた)釘あとを見、自分の指をその釘あと(の穴)にさし入れ、自分の手をそのわきにさし入れて(槍でつかれたあとを調べて)みなければ、決して信じない」と。――非常に面白いことに、聖書は、このトマスの態度を少しも非難していないのである。
彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。
まして、「そんなことを言うやつは、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々と、これまたそう書いてあるだけである。
日本国中が「天皇は現人神だ」と言った。
もちろん新聞もそう書いた。
「お前はヤソだそうだが、どう思うか」
「私は天皇のところへ行って、直接『私は現人神』だという言葉を聞き、『疑うなら、この手にさわってみよ』といわれて、その手にさわり、その感触から、なるほどこれは人間ではない、やはり現人神だなあと感じない限り、そんなことは信じない」といったところで、「トマスの不信」が当然とされる社会なら、たとえ戦争中でも、これは不敬でなく、むしろ尊敬のはずである。
第一、「信じない」ということは、自分の状態を正直に表明しているのであっても、客観的に「天皇は現人神でない」と断言しているわけではない。
従ってそう私に質問した人間が、本当に天皇を現人神だと信じ、そう書いた新聞記者も本当にそう信じているなら、「なるほどね、そういう機会があるといいね」というだけのはずである。
ところが奇妙なことに、この「トマス的返答」が、何にもまして徹底的に彼らを怒らせるのである。
そしてその怒り方は、まことに壮烈なものであった。
だが怒るということ自体が、その人自身が内心では、天皇を現人神だと思っていない証拠である。
『百人斬り競争』でも同じであって、たとえ「出来る限りの資料を集めて、それを『釘あとに指をつっこむ』ぐらい徹底的に調べない限り事実とは信じない」とだれかがいったところで、これを事実だという人が本当に事実だと信じているなら、怒るはずはない。
「どうぞ調べて下さい。何なら資料を集めて、お手伝いしましょうか」というのが当然であって、生体実験をやってみろといったり、「あとは死あるのみ」といったはがきを送ったりすることはありえない。
こういうことは常に、結局は、事実だと強弁する人自身が、内心では事実と思っていない証拠にすぎないのである。
伝説というのは実に便利なものだから、「トマスの不信」の物語では、八日後に、トマスが弟子たちといっしょにいるところに、不意にイエスが出現するのである。
ところが面白いことに、前述のように弟子たちがトマスを非難しないだけでなく、イエスも彼を非難しないのである。
もちろん「お前のような奴は、弟子の資格がない。破門だ」などとはいわないで、いきなり手を差し出す。
「指をここ(の穴)に入れろ、手を見ろ、手をのばしてわきに入れろ……」といい、最後に有名な「見ずして信ずる者は幸いなり」という。
しかしこの言葉は、その証拠を見せて、その上でその本人が言った言葉で、証拠を提示しえない他の弟子たちが、「見ないで『事実』ということにしろ」と強制したことではない。
それは絶対にだれもしていないのであり、それをすることこそ絶対に許されないのである。
この「トマスの不信」という伝説は、宗教・文学・美術・思想史またユダヤ人の民族性といったあらゆる面から、常に論ぜられており、ドストエフスキーもその作品でこの「伝説」を取り上げている。
だがそういう議論は私には高級すぎるので、ここでは省くが、いずれにしても、「トマスの不信は当然であって、そう思ったらそう言って少しもかまわないだけでなく、そう思ったらそう言わねばならない。
そうでなければ嘘になる。
また彼がそう思ったということを非難する権利はだれにもない。
このことは『事実があったかなかったか』という事実論は、その人の思想・信条に関係はない」ということが当然の前提とされない限り、この伝説が生れてこないという事実も示している。
北ヴェトナム軍がユエで市民を生埋めにして虐殺した、と『サンデー毎日』編集次長の徳岡氏が書いておられる。
これが事実なら、それは徳岡氏の思想・信条とは関係なく事実だから、もし何らかの名目で氏を非難する者がいたら、その者の頭がおかしいといわねばなるまい。
これは『百人斬り競争』でも同じだし、「増原長官」の辞任問題(註)の一面も同じであろう。
(註)…防衛庁長官であった増原惠吉が昭和天皇への内奏において、昭和天皇から戴いたお言葉を新聞記者に漏らしたことがキッカケで天皇の政治利用と批判を浴びて辞任する羽目になった。その辞任の際、増原長官は「天皇陛下から国政に関する御発言があったという事実は一切ございません」と以前本人が新聞記者に話した内容を否定したことを指す。拙記事「聖トマスの不信【その1】「事実論」と「議論」の違い」参照
「あったこと」を「なかったこと」にすると、正直に「あった」といった人間を「嘘つき」にしなければならない。
そこである記者の話によれば彼を「捏造大臣ということにして」「記者団に虚偽の発表をした」ということにして、辞職させたそうだが、これが事実なら、実に「二重の虚偽」である。
そして「トマスの不信」を認めないと、人は必ずこの「二重の虚偽」に落ちていく。
(次回へ続く)
【引用元:ある異常体験者の偏見/聖トマスの不信/P137~】
テーマ:侍戦隊シンケンジャー - ジャンル:テレビ・ラジオ
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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◆聖トマスの不信
新井宝雄氏(註1)の反論が載った号の目次に「論争の愉しみ」という通し題がついていたが、大変に良い表題だと思う。
(註1)…毎日新聞の編集委員。著書「ある異常体験者の偏見」は新井氏との論争を一冊の本にまとめたものである。
万人は万人考え方が違うのだから、もし論争というものが起らなければ、起らない方が異常なはずである。
論争があるということは、人も社会も正常である一つの証拠であろう。
論争をするということは、自分の「考え方・見方」は改めうる可能性があることを、相互に前提にしているはずである。
そうでなければ論争自作が肺活量の問題になってしまう。
だがこういう論争と「事実の探究」は、はっきり別である。
一つの「事実」があったかなかったかという問題は「証明」の問題であって、もし論争が起りうるとすれば、その証明方法が正しいか否かという点、すなわち証明の過程の検証に関連してのみ起ることで、「考え方・見方」の差によって、一つの事実が現われたり消えたりするわけではない。
従って「事実か否か」の検証にまつわる議論を、一応「事実論」と名づけると、この「事実論」と「議論」とは全く別であり、この両者は絶対に混同してはならない――とするのが議論の前提であろう。
実は、後述するように「軍人的断言法(註2)」は、この二つを故意に混同することによって成り立っているからである。
(註2)…山本七平が作った造語。即ち「判断を規制していって命令同様の一種の強制力を発揮する言い方」を指す。
過去記事↓参照。
・アントニーの詐術【その1】~日本軍に「命令」はあったのか?~
・アントニーの詐術【その3】~扇動の原則とは~
この点で私は、『諸君!』に連載している『百人斬り競争』の究明と、新井宝雄氏との論争は、全く別のものと考えている。
前者はいわば「事実論」であり、後者は「議論」である。
前者の「事実か?」「新聞記者の創作か?」という問題の探究は、もちろん、探究する人の思想・信条等とは一切関係ないことである。
『百人斬り競争』を「事実」とする人間は平和的・進歩的・友好的人種で、「虚報」だとする人間は、保守反動の軍国主義者だ、などということはもちろんありえない。
要は事実か虚報かという問題だけである。
従ってこの問題そのものは「究明」の対象であっても、「討論」の対象ではない。
従ってもし、何らかの脅迫的方法で「事実」でないことを「事実」だといわせようとし、また「虚報」だと証明しそうな者に、罵詈讒謗や中傷やいやがらせでそれをやめさせようとする者がいれば、それは拷問をつかって虚偽の自白や証明をさせた特高的人間と同じはずである。
鈴木明氏が『百人斬り競争』の究明をはじめた瞬間に、差出人が「本多勝一、警視庁捜査第三課柿崎純三」という連名の妙なはがきが来た。
もちろん差出人が御本人かどうか知らないが、さまざまな悪口と共に「なぜそんなことをするのだ」お前のような奴は「あとは死あるのみ」だと書かれていた。
このはがきを見た瞬間、私は、「ははあ、やっぱり創作記事だな、そして先方も内心ではそう思っているんだな」と感じた。
おそらく差出人は、私と鈴木明氏が連絡をとっていると思ってのことであろう。
私は鈴木氏には、今年の五月の「大宅賞」授賞式ではじめてお目にかかったので、当時は全く面識はない。
またまことに非常識な話なのだが、私はまだ文藝春秋を訪れたことがない。
まことに失礼をしているとは思うが、どうも出不精は徹底してしまったらしい。
そういう事情があるので「この見方にはひどい疑心暗鬼があるな、内心では事実と恩っていないな」と感じた。
内心そう思わねば、こんなはがきをよこすはずはないし、本当のことを証言されてはこまると思わなければ拷問的方法などとるはずはないからである。
実はこのはがきが、『百人斬り競争』を取りあげた発端の一つだった。
以後、こういう手紙はずいぶん来た。
半ば組織的らしく、ガリバン刷りのものまであり、また差出人が「『諸君!』編集部内部告発者」などという面白いのもあった。
これらが来ると、私の事務所では、みなで面白がって読み、さまざまな推理をしてたのしむ。
しかしそういう手紙を何千通送りつけても、それによって「虚報」が「事実」になるわけではない。
「事実」を究明するということはその人の思想・信条・宗教的信仰等に一切関係がない――という原則は、実は「聖書学」という学問の原則なのである。
聖書学というのは、語弊がある言い方だが「エジプト学」とか「日本学」とかいったような総合的科学であって、これが語学・史学・考古学・史料学・古文書学・地理学・思想史等々にわかれ、世界的規模で大発掘をやり、また時には電算機やカーボン14法まで使って、あらゆる面から聖書の世界を究明しようとする学問、「二十世紀で最も進んでいる科学は原子物理学と聖書考古学」といわれるほど進歩している学問である。
しかし日本ではほとんど知られていないので、「キリスト教書」の出版社と「聖書学図書」の出版社を、区別してくれないのが現状である。
しかしこの世界こそ、思想・信条と「事実論」とを絶対的厳密さをもって峻別しておかないと、聖書学という学問自体が成り立たなくなってしまう。
たとえば発掘によってある「事実」が出てきた。
もしだれかが「私は私の宗教的立場から、それを『事実』とは認めるわけにはまいりません」と言ったら、その瞬間、この学問は消えてしまうからである。
もっともすべての学問は、結局は同じことで、「私は私の政治的立場(もちろん「思想的立場」でもよい)から、それが『事実』でも『事実』とは認めるわけにはいきません」といったら、その瞬間に、その学問は消え、政治的・宗教的プロパガンダになってしまうはずであり、これはまたすべての報道機開にも適用される原則のはずである。
少なくとも西欧では、聖書学は、以上の危険が最も大きい学問なので、逆に、「事実論」に思想・信条・宗教的立場が絶対に入ってはならない、という点で神経質なぐらい峻厳になる。
無理もない。
彼らの対社会的問題は、ここに集約されてくるからである。
そしてダイスマンが西洋古典学の方法を聖書の研究に導入して以来、彼らは実に長い戦をつづけつつ、一つの原則と方法論とを確立してきた。
日本ではキリスト教伝統というものがないから、「聖書学」の本はあまり売れないかわりに、罵詈讒謗の手紙もあまりこない。
だがこれがいわゆるファンダメンタリストの多いお国では、なかなか大変な面もあるらしい。
『死海写本』の訳者の新見教授は有名なマイレンバーグ博士のお弟子さんだが、留学中、毎朝起きるとすぐ同博士のところに行って、夜のうちにだれかが博士邸にはりつけた「マイレンバーグは悪魔の手先……」といったポスターをはがすのが日課だったそうである。
同教授はこれてアメリカの悪口やスラングを研究されたそうで「その研究の方が権威?」と冗談を言っておられた。
私自身は今まで余り経験はなかったが、今回『百人斬り競争』の究明で大分似たものをいただいたので、新見教授のまねをして研究させていただいた。まだ到底「権威?」とはいいかねるが、大変に面白い点もあるので、いずれ資料として利用させていただこうと思っている。
「事実論」は、その人の思想・信条に関係ないという行き方は、そう言ってしまえば当然とはいえ、時には私などにも非常に不思議に見えることもある。
たとえば、エルサレムの有名なドメニコ会聖書学研究所などで、高名な学者である神父さんが、写本断片――と一口に簡単にいうが、これが、くちゃくちゃに破いて丸めて屑龍にすてた新聞紙を二千年間砂漠にさらしたような惨状のものもある――を整理し、一片一片をつなぎ合わせて穴だらけの一ページをやっと復原し、写真にとり、活字転写版を作るという作業を、昔の修道僧通りに一生黙々としてやっている――だがその中から、カトリックニ千年の伝統的教義をひっくりかえすものが現われて来ても不思議ではないのである。
そして今まてもずいぶん、センセーショナルな報道が、外国紙をにぎわした。
しかし何か出てきても「事実」は「事実」で、神父さんは黙々と作業をつづけている。
これは日本でいえば、宮内庁に発掘部というのがあって、どんなセンセーショナルな報道が新聞をにぎわそうと、その職員は生涯ただ黙々として仁徳天皇陵の発掘をつづけている、というに等しいからである。
もっとも、天皇陵とさらに似たケースをあげれば、ヴァチカンのサンピエトロの地下の発掘いわゆるペテロの墓の発掘である。
ルドウィヒ・カース博士による発掘でペテロの墓廟の一部と、二世紀の信徒の掻き文字――簡単にいえば巡礼たちの落書で「ペテロよわがために祈れ」とか「わがために取りなしを」といった稚拙な文字がほとんどである――が発見され、一部の成果はすでに公刊されている。
朝日新聞のローマ特派員の記事に、ヴァチカンはペテロの殉教の地に建てられていると書かれていたが、これは誤りで、発掘によればやはり、エウセビオス以来の伝承通り墓の上で、殉教の地の上ではない。
殉教の地は伝承によればネロの宮殿のあったパラティン丘であってヴァチカン丘ではない。
だがいずれにしても、こういう種類の発掘は日本ではむずかしいであろう。
なぜむずかしいのか。
あらゆる点からみて、日本では、どっちの方向を見ても、「事実論」は「議論」でなく、「事実論」は「その人の思想・信条とは関係ない」という状態は、当分、望めそうもないからである。
何しろ、『百人斬り競争』のように「なかったこと」が「あったこと」になるかと思えば、増原長官の辞任の弁(註3)のように「あったこと」が「なかったこと」になってしまうからである。
(註3)…防衛庁長官であった増原惠吉が昭和天皇への内奏において、昭和天皇から戴いたお言葉を新聞記者に漏らしたことがキッカケで天皇の政治利用と批判を浴びて辞任する羽目になった。その辞任の際、増原長官は「天皇陛下から国政に関する御発言があったという事実は一切ございません」と以前本人が新聞記者に話した内容を否定したことを指す。以下HP↓参考のこと。
・増原内奏問題(wiki)
・「天皇のご発言の政治利用」に関する二重基準
おそらく同じ精神構造から出ていることであろう。
「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。
というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。
(次回へ続く)
【引用元:ある異常体験者の偏見/聖トマスの不信/P132~】
まぁ、日本ではフランス革命のように天皇をギロチンにかけるといった事は起こらないだろうとは思いますが、万一仮にそのような事態が起きたとしたら、間違いなく上記のような混乱状態に陥るでしょう。
二十世紀を精神分析する (文春文庫)
(1999/10)
岸田 秀
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◆十二、近代国家の妄想
近代西欧人が理性と呼んだものは、要するにキリスト教の唯一絶対の神の後釜であった。
このことは神と理性の多くの共通点からも明らかである。
神と理性との唯一の違いは、神は個人の外にあり、理性は個人の内にあるという違いで、それ以外の違いがあるとしても、この唯一の違いから派生した違いに過ぎない。
理性とは、いわば外なる神を殺して内在化したものであって、なぜ西欧人がそのようなことをしたかは、すでに述べた。
神と理性の共通点を挙げれば、まず第一に全知全能性である。
もちろん、個人の内にある理性が全知全能であるということは、あまりにも事実に反しているので、あからさまには主張されないが、この誇大妄想は、あれこれの条件つきであれこれの口実のもとにスキがあれば噴き出してくる。
理性はときには誤るかもしれないが、究極的には無謬であって、いつかは真理に到達できるという信仰もこの誇大妄想の一形態である。
そして、全知全能の神が世界を創造したのだから、全知全能の理性だって同じことができないはずはないと考えられ、この誇大妄想にもとづいて世界の創造が試みられた。
その第一回目の試みがフランス革命である。
フランス革命は『創世記』に記述されている世界創造のやり直しであった。
まず、時間と空間がつくり直される。
一週間が七日という神の秩序が廃止され、一週間は十日となる。
メートル法が採用されて空間が合理的に組織される。
ルイ十六世をはじめとする王侯貴族、そのほかとにかく旧秩序に属すると見なされた人たちが大量にギロチンで処刑されて世界の住人が新しくなり、パリの街路のほとんどは改名されて世界は新しい名で呼ばれる。
神の秩序の代りに法の秩序が制定される。
「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(『創世記』第十一章)原初にならい、少なくともフランスの国家権力が及ぶかぎりフランス語で統一しようとして、アルザス語やブルトン語などの方言が弾圧される(成功しなかったが)。
これらのことからもわかるように、フランス革命は抑圧された民衆が腐敗した支配階級を打倒して権力を握ろうとした運動ではなく、必ずしも抑圧された民衆ではないある種の人々が全知全能の理性にもとづいて新しい世界を創造しようとした誇大妄想的企てであった。
ロシア革命はフランス革命のコピーであるが、コピーはオリジナルより過激になるという一般法則の例に漏れず、理性の誇大妄想性をさらに強める。
たとえば、共産主義の計画経済は、国家と人民にとっての最善の需要と供給のあり方を理性によって計算し、実行できるという前提に立っていたが、この前提は誇大妄想の最たるものであろう。
神と理性の第二の共通点は、その普遍性、絶対性である。
このことは必然的に、普遍的、絶対的である神または理性に従わない人々に対する軽蔑、差別、残忍さを招き、かつそれを正当化する根拠となる。
理性信仰は絶対神信仰に優るとも劣らぬ大量殺人をもたらした。
この殺人の恐ろしいところは、単に大量に行われるだけでなく、正義の名のもとに平然と行われることである。
◆十四、フランスの狂気
すでに述べたように、個人の場合も集団の場合も、そのようなことは起こらなかったと思いたい苦痛な、不安なあるいは屈辱的な事件が避けがたくときには起こる。
そのとき、誰しもそのような事件の経験を否認し、その記憶を抑圧し、その意味を歪曲しがちである。
そうすれば、一時の気休めにはなるが、その結果必然的に狂気に陥る。
狂気とは現実からの離脱であり、個人も民族も国家も都合の悪い現実から眼を起らせば、眼を逸らした程度に正確に比例して狂うことになる。
どのような個人も集団も都合の悪い現実から多かれ少なかれ眼を逸らしており、したがって多かれ少なかれ狂っているが、フランスという国家に関して言えば、近代においてこの国が狂いはじめ、いまだに狂いつづけている端緒となった事件はフランス革命である。
大革命は誇大妄想に駆られたあげくの一大愚行であった。
一七八九年のバスティーユ襲撃から一八一四年の王政復古までの二十五年間に、外国人の被害は別としてフランス人だけで二百万人が死んで(殺されて)おり、経済的、社会的、文化的損害は測り知れない。
それだけ大きな犠牲を払って実質的に得たものはほとんど何もない。
得たのは「自由、平等、兄弟愛」というむなしいスローガンだけであった。
(後略~)
【引用元:二十世紀を精神分析する/P39~】
一つの教訓・ユダヤの興亡
(1987/11)
山本 七平
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◆伝統的秩序を破壊すれば自己の安全も失う
(~前略)
大祭司(註2)を殺したことは、一種の”歯止め”がはずされたことを意味する。
(註2)…ユダヤ教の最高位の祭司。第1次ユダヤ戦争当時の大祭司は、アナニアス。
メナヘム(註3)が暴君になれば、大祭司を殺した者は彼を殺すぐらい何とも思わなくなる。
(註3)…大祭司アナニアスを殺害した過激派の指導者
これは多くの革命的集団が、大はボルシェヴイキより小は新左翼まで、必ず内ゲバヘと進んでいく道である。
いわば伝統的文化的秩序を破壊してしまえば、それによって保護されていた自己の安全をも失う結果になる。
(~中略~)
◆始末が悪い己が心情の絶対化
叛徒側が誓約したので、ローマ兵は塔を出、全員が何の疑念もなく剣と盾を置き、立ち去ろうとした。
そのときエレアザロス(註4)とその部下は彼らに襲いかかり全員を殺してしまった。
(註4)…メナヘムを内ゲバで殺害した過激派のリーダー。後にマサダ要塞で自決する。
ただ1人助かったのは隊長のメテリオスで、彼は命乞いをし、割礼をうけてユダヤ教徒になると誓約してやっと命が助けられた。
全エルサレムはこれを聞いて悲嘆にくれた。
ローマの復讐はもう避けられない。
そしてそれだけでなく、これで一切の秩序が失われたことを感じた。
というのはその日は安息日であり、たとえ誓約があろうとなかろうと、そのような行為は絶対に許されなかったからである。
いわば殺されても戦わなかったポンペイオスのエルサレム攻略のときのユダヤ人から見れば、彼らの行為は、ローマの怒りだけでなく神の怒りをも招く行為だったからである。
ローマの支配から独立して神政制(テオクラティア)を目指すはずの者が、大祭司を殺し、律法に違犯する。
それでいながら、彼らは自分たちが最も神に忠実な神政制の信奉者だと信じて疑わない。
奇妙なようだが、これは歴史においてしばしば起った現象である。
共産圈にもこの例があるが、もちろん日本にもあり、典型的なのが.ニ・ニ六事件の将校である。
外国人がしばしば不思議がり、また『天皇陛下の経済学』の著書ベン=アミ・シロニー教授が『日本の叛乱』を記す動機の1つとなったのが、彼らが主観的には最も天皇に忠誠であったという事実である。
ちょうど過激派(ゼロータイ)が自らが神の意志を体していると信じたように、彼らも「大御心」すなわち天皇の意志を体していると信じきっていたことであった。
そして、過激派が大祭司を殺し神の律法を平然と蹂躙したように、彼らも天皇が任命した総理大臣以下を殺しまた殺そうとし、さらに、天皇が定めた欽定憲法も「御名御璽」が記されている『作戦要務令』も『陸軍刑法』も平然と無視し蹂躙した。
そして、そうしながら最後の最後まで自分たちこそ天皇に忠誠なのだと信じて疑わなかった。
結局、これは「天皇絶対」という自己の心情の絶対化である。
(後略~)
【引用元:一つの教訓・ユダヤの興亡/ユダヤを破滅させた”ひとりよがり”の教訓/P245~】
Author:一知半解
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