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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

日本的思考の欠点【番外】~日本陸軍の特徴と「虚報」作成の一例紹介~

以前の記事『日本的思考の欠点【その3】~敗戦直後の「実感」を消失させた「マックの戦争観」と「平和憲法」~』の続き。

今回ご紹介する記述部分は、今シリーズのテーマである「日本的思考の欠点」からちょっと離れ、虚報の作成例や陸軍と農民との係わり合いなどについて触れています。
当時の陸軍と庶民との関係がどのようなものであったのかを窺うのに参考になると思います。

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(1988/08)
山本 七平

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前回の続き)

陸軍には一種の「農民尊崇主義」のようなものがあった。

これは前に秦郁彦氏も指摘されたが、日本の陸軍は、都会人とかインテリとかを、最後の最後まで、「陸軍という身内」に入れようとしなかったそうで、これは米英軍にもドイツ軍にも見られなかった大きな特徴だそうである。

同時に反射的に「都市のインテリ」は昔から陸軍を嫌った。
どうせ兵隊にとられるんなら海軍に行きなさいよ。陸軍なんてドロ臭い」とは当時のインテリ女性がよく口にした言葉である。

従ってインテリの陸軍嫌いは戦後のことでなく、戦前からの伝統であり、おそらくこれが今でも尾をひいて、自衛隊への批判乃至はいやがらせは、ほぼ陸上自衛隊に集中し、海上自衛隊は実質的にはその対象からはずされているわけであろう。

だが当時は農村ではこの感じが一変していた。
しかし何らかの意見が活字になるのは、ほとんど「都市インテリ」の場合である

そのため、何となく陸軍は戦前から全日本人の怨嗟の的だったような印象が今では一般的になっているから、陸軍と農民との間に非常に強い「身内意識」あるいは「共同体意識」があったということは、今の人には意外であろう。

だがこの関係は、軍隊内における「農民出の下士官」と「都市インテリの兵士」との間の、一種の相互的嫌悪感といったものに、よく表われている。
下士官とか軍曹とかいう言葉は、戦後はもちろんのこと、戦時中ですら一種の「蔑称」として使われていたことが、上記の関係を象徴的に示しているであろう。

先日、出版社団体の会合で河口湖の近くに行った。
考えてみれば富士の裾野に来たのも三十年ぶりであった。

帰途同じ車に乗っていたS社のA社長が、ある場所を通過するとき、不意に「夜間演習で銃剣を紛失したのはこの辺だった」と言った。

当時は富士の裾野は一面の演習場であった。
そして、「銃剣の紛失」といったようなことは、やはりだれにとっても生涯忘れられないことで、普段は念頭になくても、その場所近くにくれば、パッと思い出すことなのであろう。

私はその場所には何の思い出もなかったが、少し行って機動隊の車とすれちがい、その機動隊が、射撃演習反対こ弾着点座り込みの「忍草」の農民排除のために行くのではないか、とだれかが言ったとき、やはりふっと昔のことを思い出さざるを得なかった。

昔の砲兵の射場の位置が今のどの辺になるかよく知らないが、その射場には「センバ塚の堆土」という有名な小丘があったから、それを探せば、案外昔の放列の位置もわかるかも知れない。

この小丘は確か戦争中写真入りで新聞にも出て、砲兵がこの堆土を目標に実弾射撃をやるので、草も木もはえず、砲弾に削られて丘が次第に変形していったと記されていたその堆土である。

おそらく当時、海軍の「月月火水木金金」の向うを張って、陸軍もこれだけ猛演習しておりますというPR記事兼戦意高揚の提灯記事であろう。
例によって例の如く、戦意高揚記事はウソである

だがこの場合はおそらく新聞記者もだまされていたのであろうと思う。
これは「虚報作成」の非常に面白い例である。

砲兵が実弾を撃ち込んだことは本当だし、丘がむき出しの赤土となったことも、ぐんぐん変形していったことも、すべて本当なのである。

従ってどこをどう調べてもこの記事は寸分誤りない事実で、総弾数からも、丘の変形の実態からも、それが断固たる事実であることは百パーセント証明できるのだが――しかしウソなのである

この丘をくずしたのは、実は貧しい農民の小型のシャベルであっても砲弾ではなかった

射撃演習で使うのは、実弾とはいえ危険を避けるための代用弾で、砲弾の尖頭に少量の火薬と発煙剤が入っているだけ、従って着地しても尖頭が欠けてとぶだけで、弾体はずぶりと地にもぐる。

従って、直径十センチ前後の穴があくだけで、小丘が変形するわけはない。
ところが、これを堀り出して屑鉄屋に売るのがこの近くの農民の副業で、従って丘を掘りくずしたのは、タマでなく、貧しい彼らのシャベルなのである。

そしてこの虚報は、彼らの存在を消すことによって、成り立っているわけである。
ただわれわれだけはその実態を知り、従ってそれが虚報であることを知り、そしてその人たちを「タマホリさん」と呼んで仲よくしていた。

兵隊とタマホリとは実に仲がよかったのである。
タマホリさんは、必ずまず最初に放列に偵察に来る。

非常にまれだが本物の榴弾を撃つこともあり、それだと破片になって四散してしまうから、商売にならない。
従ってまず弾種を確認に来るわけである。

そして代用弾だと知ると、小さな双眼鏡を出して、一心に射弾観測をはじめる。
何しろ三千から六千メートルぐらい先の、直径十センチ前後の穴の位置を的確に見出すのだから、恐るべき技能といわねばならない。

当時の冗談に「射弾観測日本一の名人はだれか?それはタマホリである」というのがあった。
何しろわれわれと違って、生活がかかっているから真剣である。

彼らは必ず馬に乗ってくる。
そして射撃終了と同特に弾着点に馬をとばして行き、穴のわきに小旗をたてる。

これが「先取権宣言」のようなもので、次から次へと競争で発見した穴に旗を立てて行き、あとでゆっくりと堀り出すのであった。
そして尖頭のかけた弾体をドンゴロスの袋に入れ、馬の背に振分けてつむと、馬をひいて帰って行くわけであった。

彼らは広大な土地を陸軍の射場に奪われた犠牲者であった。
それでいて彼らと将校や兵士の間には、都市インテリとの間には見られないような、不思議な一体感と親近感があった。

農民を「ノウキョウさん」などという一種の蔑称で呼ぶ感覚は、陸軍には全くなかった。

平生は半神(セミ・ゴッド)のように振舞う連隊長と貧しいタマホリのじいさんは、大休止のときなど、古い友人のように打ちとけた態度て話したり笑ったりしていた。

兵士と彼らは、実に仲がよかっただけてなく、本心からわけへだてがなかったので、平気で何でもいった。

兵隊サンら、ドコな
豊橋です
どうりで射撃がヘタクソじゃ、四ツ街道タア段が道うノ」。

豊橋は予備士官学校、四ツ街道は本職のいく野戦砲兵学校である。
そして彼らは自分の村の若い衆を見るように兵士を見、自分たちの共同体の貴重な共有財産、たとえば「みこし」でも見るような目で砲を見、祭りのみこしが村の広場を使っているのを見るようなたのしげな表情で演習を見ていた

そしてそれは、「都市生活者」の私にとっては、自分が考えても見なかった世界を見るような、ちょっとショッキングな体験であった。
「タマホリ」という副業に依存しなければならぬ自己の貧しさが、今、目の前に存在するもののためであるという意識は彼らには皆無であった。

それは、子の進学のため犠牲になることに喜びを感じている親のようなものだったかも知れない。
進学なんぞそれだけの犠牲を払う価値などないといえば、逆にその親が激怒するように、あなた方の貧しさも苦しさもその砲にあるのだといえば、逆に彼らに告発されたであろう。

そこに親子一体の涙ぐましい努力に似たものがあったことは、私には、否定したくても否定できない。
そして以上のような世界は、今でも、どこかの国には存在するのであろう。

それに郷愁を感じたい人は感ずればよい。

ただ比島、いわゆる「太平洋戦争の旅順」で生き残った者――長い間、多くの国民に、餓死直前同様の耐えうる限度ギリギリの負担をかけて、陸海それぞれ七割・七百万という軍備をととのえ、それを用いて、人間の能力を極限まで使いつくすような死闘をして、そして「無条件降伏」という判決を得た現実、しかもあまりに惨憺たる現実を否応なしに見せつけられた者には、二つの感慨があった。

これだけやってダメなことは、おそらくもうだれがやっても、どのようにやっても、ダメであって、あらゆる面での全力はほぼ出し切っているから、「もし、あそこでああしていたら……」とか「ここで、こうしていたら……」とかいう仮定論が入りこむ余地がないということ。

そしてあの農民のことを思い出せば、あの人たちは本当に誠心誠意であり、一心同体的に当然のことのように犠牲に耐えていたこと。
そしてもう一つは、どこでどう方向を誤ってここへ来たのであろうか、ということ。

そしてその誤りは、絶対に一時的な戦術的な誤り、いわば「もしもあの時ああしなければ……」とか「あすこで、ああすれば……」とかいったような問題ではなく、もっと根本的な問題であろうということであった。

(次回へ続く)


上記引用の中で山本七平が指摘していますが、「虚報」というのは、大抵「ある事実を消す」ことで成り立っているわけですね。
もちろん、それは「編集」という”詐術”が使われるわけですが、多くの場合、読者の社会通念を逆用する形で、都合の悪い事実を消すという作業が行なわれます。

これは著書「私の中の日本軍」において、山本七平が「百人斬り」の報道を例に挙げて散々解説しています。
拙ブログでも、過去に何度かご紹介してますので下記記事↓をご覧いただければ理解できるのではないでしょうか。

◆山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
◆いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について

このように「虚報」の構成を覚えてしまえば、マスゴミの扇動記事を読んでも「ちょっと待てよ!」と思えるようになると私は考えています。
虚報に扇動されにくくなるという意味でも、この「ある異常体験者の偏見」と「私の中の日本軍」は非常に参考になるテキストであるといえるでしょう。

それはさておき、次回はいよいよ「日本的思考の欠点」の核心へと筆が進んでいく処をご紹介する予定です。
ではまた。


【関連記事】
◆日本的思考の欠点【その1】~尖閣諸島問題と中村大尉事件の類似性~
◆日本的思考の欠点【その2】~「感情的でひとりよがりでコミュニケーション下手で話し合い絶対」という日本人~
◆日本的思考の欠点【その3】~敗戦直後の「実感」を消失させた「マックの戦争観」と「平和憲法」~
◆アントニーの詐術【その6】~編集の詐術~
◆山本七平に学ぶ「虚報の見抜き方」
◆いまだに日中の相互理解を阻む「虚報」の害悪について


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龍馬伝「想望」とliberaの「recordare」の曲調が良く似てる件

wimaxを使い始めてから、ipodtouchでネットラジオを良く聴くようになったのですが、今のところ一番お気に入りのネットラジオは「Accuradio」というアプリです。
このアプリについて、詳しくはこちらのHP↓をどぞ。

【accuradio】様々なジャンルの洋楽を無料で聴けるすごいラジオ!しかも曲をスキップできる!

で、本題なのですが、このAccuradioでクラッシック系のチャンネルを聴いていたところ、今NHKで放映中の「龍馬伝」のBGMとよく似ている曲があったのでご紹介。
うちの嫁も、この曲↓を聴いていたら、この曲龍馬伝に流れてる曲?って訊いてきた程ですヨ。
是非聴き比べてみてください。

◆Libera - Recordare


◆龍馬伝 Ryomaden - 想望


バックグラウンドに流れている女声のメロディが似ているのでしょうけど、ふと面白く思ったもので投稿した次第であります。


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イデオロギスト伊波洋一氏は、米軍基地撤去の為なら住民の利益も無視する人物である。

選挙まであと3日と迫ってきたので、沖縄県知事選挙について再度思うところを書いておこう。

伊波洋一氏が知事になっても、仲井真弘多氏が知事になっても普天間移設反対で違いがないじゃないかという議論が一部にある。
そして、沖縄県知事選の主な争点は、基地問題ではなく経済問題であるがごとき議論もあるがこれも間違いであると私は考えている。
今回の選挙の争点は、やっぱり基地問題であり、その処理を任すに足る人物を選ぶ選挙なのだ。

そうであるなら、どちらの候補が沖縄県知事にふさわしいか、「何」を基準にすればよいだろうか?
それは、「住民のために”本当に”働く首長であるか否か」という点だと思う。

そこで参考になるのが、伊波洋一氏の過去の言動である。

まず、伊波洋一氏の宜野湾市長時代の米海軍病院への給水拒否について取り上げたい。
これについて、詳しくは次のブログ記事↓を参考にして欲しい。

ブログ「狼魔人日記」より
◆沖縄県知事選、再説・海軍病院問題
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ca2627491e61acb914cccab3552cf33c

ブログ「凪論」より
◆伊波洋一元宜野湾市長の海軍病院に対する給水停止をめぐる市議会質問と答弁
http://blog.livedoor.jp/patriotism_japan/archives/51709503.html

ブログ「しょほしょぼ」より
◆宜野湾市の水道供給拒否 行政法の観点から
http://blog.livedoor.jp/sumiin/archives/1498576.html

上記ブログ記事をみてもわかるように、伊波洋一氏は、宜野湾市長時代に米海軍病院への給水拒否という処分を行っているが、たとえこの給水を拒否したとしても、それで米海軍病院の建設を止めることができるわけでもなく、単なる嫌がらせ以外の何物でもない。

本来宜野湾市が得られるべき利益を棒に振ってでも、米海軍病院への行政サービスは許さないというイデオロギー優先の行動を取る首長だ、ということがこの事実からも明らかである。

こうした人間が、住民のために働く首長だといえるであろうか?
もちろん「否」である

また、前にも紹介したと思うが、伊波洋一氏が主張している米海兵隊についての主張↓は、デマとも呼べるほど悪質極まりないものなので再度紹介したい。

ブログ「週刊オブイェクト」より
◆宜野湾市・伊波洋一市長の「沖縄の海兵隊は全てグアムに移転する」という妄想プレゼンテーション
http://obiekt.seesaa.net/article/146978904.html

上記ブログ記事をみてもわかるように、伊波洋一氏は、米軍基地を撤去するためなら、自らの主張に都合が良いように事実を改変し、プロパガンダを行うことも辞さない人物である。
典型的な「目的の為なら手段を選ばない」人間である

このような人物が、本当に沖縄県民の利益を守る人物だろうか?
もちろん「否」である。

本来ならば、このようなトンデモ候補は箸にも棒にもかからない扱いをされた筈である。
しかしながら、ルーピー鳩山民主党政権の愚かな失政により、当選有力候補になってしまった。

物事はイデオロギストでは解決しない。
イデオロギストは破壊するだけ。

伊波洋一候補を選べば、米軍基地を撤去できるというのは幻想に過ぎない。
普天間基地の継続使用が固定化するだけ。
しかも、一旦、墜落事故でも起きれば、日米同盟が瓦解する恐れすらある。

そうしたリスクを避け、普天間基地周辺の住民の安全のためにも(沖縄県にとってはベストな解決策ではないが)辺野古移設が必要なのだ。

確かに仲井真弘多氏も、伊波洋一氏同様、県外移設を訴えている。
しかしながら、過去の彼の言動を見る限り、イデオロギストの伊波洋一氏と異なり日米同盟の大切さを理解しており、日本政府が今までの非礼を改め、真摯な対応を尽くせば交渉自体には応じる度量の広さをもった現実主義者である。

どちらが知事にふさわしいか明らかだと思うのだが、沖縄県民の選択や如何に。

民主党政権への抗議を示すのは、仲井真弘多候補で十分である筈。
伊波洋一候補に投票することは、自ら沖縄の安全を危うくする行為でしかないことを指摘しておきたい。

願わくば、沖縄県民の皆さんが反基地感情・反本土感情に捉われて、一時の快をむさぼるような愚かな選択をしないでほしいと願う次第である。

【関連記事】
◆国防の一端を担う知事としての資質を決定的に欠く沖縄県知事選候補/伊波洋一氏

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言葉と秩序と暴力【その5】~日本人の秩序は「人脈的結合」と「暴力」から成る~

以前の記事『言葉と秩序と暴力【その4】~自ら”秩序”立てるイギリス人~』の続き。
前回は、収容所に入れられたイギリス人がどのように秩序を確立していった過程について説明がありました。
今回ご紹介する記述部分は、日本人が作りあげる秩序にはなにが必要とされたのか、日本軍の実態を引用しながら説明している箇所です。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
(1987/08)
山本 七平

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前回の続き)

ではなぜ何もできなかったのか?
なぜ暴力支配になるのか
これはわれわれだけの問題ではない。
同様の事件はシベリアの収容所にもあった

では敗戦が理由か、否、帝国陸軍には悪名高い私的制裁があり、それは天皇の命令に等しいはずの直属上官の直接の厳命でも、やまなかった
従って、暴力支配は、勝利敗北には関係なく、一貫してつづいているのである。

なぜ、なぜなのか?

考えてみれば、収容所とは、サント・トマスであれカランバンであれ、少々残酷な言い方だが「民族秩序発生学」を研究する実験場のような所である。

帝国陸軍とはいえ、徹底的に潰滅させられた残り二割が、降伏・収容・輸送の途中で残存のかすかな指揮系統さえ払拭されてごちゃまぜにされ、さらに将官・将校・下上兵と分断され、兵科も各部も階級も無視して機械的に五百人ずつの一組にされ、それが数組ずつ各収容所に入れられ、そこで勝手に秩序をつくらされる。

これは互いに顔も知らない、米英蘭等のさまざまな人間を、サント・トマス大学に入れ、そこへ囲い込んで勝手に秩序をつくらすのと、同じような実験であろう。

ただ彼らとわれわれとの違う点は、日本軍が秩序をつくろうとせず放置していたのに対して、米軍はその”民主主義教育癖”を発揮して、しきりと民主的秩序を造らすべく指導したことである。

従って外形的には何やら”員数組織”があった。
だがその内実は、帝国陸軍内務班同様、自然発生的な別秩序に支配されていた

帝国陸軍の「兵隊社会」は、絶対に階級秩序でなく、年次秩序であり、これは「星の数よりメンコ(食器)の数」と言われ、それを維持しているのは、最終的には人脈的結合と暴力であった。

兵の階級は上から兵長・上等兵・一等兵・二等兵である。
私的制裁というと「兵長が一等兵をブン撲る」ようにきこえるが、実際はそうでなく、二年兵の兵長は三年兵の一等兵に絶対に頭があがらない

従って日本軍の組織は、外面的には階級だが、内実的な自然発生的秩序はあくまでも年次であって、三年兵・二年兵・初年兵という秩序であり、これが階級とまざりあい、両者が結合した独特の秩序になっていた。

そしてこの秩序の基礎は前述の「人脈的結合」すなわち”同年兵同士の和と団結”という人脈による一枚岩的結束と、次にそれを維持する暴力である。
二年兵の兵長が三年兵の一等兵にちょっとでも失礼なことをすれば、三年兵は、三年兵の兵長のもとに結束し、三年兵の兵長が二年兵の兵長を文字通りに叩きつぶしてしまう。

従って二年兵の兵長は三年兵の一等兵に、はれものにさわるような態度で接する。
表面的にはともかく、内実は、兵長という階級に基づく指揮などは到底できない。
それが帝国陸軍の状態であった。

このことは「古兵殿」という言葉の存在が的確に示している。
一等兵は通常、階級名をつけずに呼びすてにする。

しかし二年兵の上等兵は、三年兵の一等兵を呼びすてにできず、そこで「○○古兵殿」という呼びかけの尊称が発生してしまうのである。

考えてみればこれは、収容所に入ったあの夜「牢名主」の幕舎長から言われたことであった。

そして、虚構の階級組織が消失し、収容所で自然発生的な秩序がでてきたときは、その実情がむき出しになり、人脈・金脈・暴力の秩序になった
サント・トマスの「秩序維持の法廷と陪審制度」などは、連い夢のおとぎ話に等しい

小松さんは『虜人日記』で、この暴力支配の発生・経過・状態を、短く的確に記している。

「暴力団といっても初めから勢力があったわけではない」のだが、自ら秩序をつくるという意識の全くない「PW各人も無自覚で」「勝手な事を言い、勝手な事をしている」うちに、暴力的人間は、食糧の横流しなどで金脈・人脈を構成し、いつしか全収容所を抑えた。

「各幕舎には一人位ずつ暴力団の関係者がいるのでうっかりした事はしゃべれず、全くの暗黒暴力政治時代を現出した……彼らの行うリンチは一人の男を夜連れ出し、これを十人以上の暴力団員が取り巻き、バットでなぐる蹴る、実にむごたらしい事をする、痛さに耐え兼ね悲鳴をあげるのだが、毎晩の様にこの悲鳴とも唸りとも分らん声が聞こえて、気を失えば水を頭から浴せて蘇生させてからまた撲る、このため骨折したり喀血したりして入院する者も出て来た。

彼らに抵抗したり口答えをすれば、このリンチは更にむごいものとなった。
ある者はこれが原因で内出血で死んだ。
彼らの行動を止めに入ればその者もやられるので、同じ幕舎の者でもどうすることもできなかった。
暴力団は完全にこの収容所を支配してしまった。
一般人は皆恐怖にかられ、発狂する者さえでてきた」。


そして米軍が介入して暴力団が一掃される。
するととたんに秩序がくずれる。

何んと日本人とは情けない民族だ。暴力でなければ御しがたいのか」。

これが、この現実を見たときの小松さんの嘆きである。

(次回に続く)

【引用元:一下級将校の見た帝国陸軍/言葉と秩序と暴力/P298~】

上記の記述を読めば、日本人の組織においては、戦前の帝国陸軍での私的制裁、戦後の収容所での暴力支配と戦前戦後一貫して、暴力的性向が存在したことがわかるのではないでしょうか。
同じような指摘は、著書「日本はなぜ敗れるのか」においても見ることができます。
以下、引用しておきます。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2004/03/10)
山本 七平

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前回の続き)

以上の引用は、だれにとっても「いやな」記述であろう。

人間にとって、「苦しかったこと」の思い出は、必ずしも苦痛ではない。
否、むしろ楽しい場合さえある。

老人が昔の苦労を語りたがり、軍人が戦場の苦労を楽しげに語るのは、ともにこの例証である。
従って、人にとって「思い出すのもいやなこと」は、必ずしも直接的な苦しみではない。

結果的には、自分にとって何ら具体的な痛みではなかったことでも、それがその人間にとって最も深い「精神の創(きず)」、永遠に癒えず、ちょっと触れられただけで、時には精神の平衡を失うほどの痛みを感じさせられる創になっている場合も少なくない。

以上のことは、人が、そのことを全く語らないということではない。
語っても、その本当の創には、本能的に触れずに語る

収容所のリンチについては時としては語られることはあってもそれを語る人は、なぜそれがあり、自分かなぜ黙ってそれを見ていたのかは、語らない
そして、だれかがその点にふれると、次の瞬間に出てくるのはヒステリカルな弁明であっても、なぜその事態が生じたかの、冷静な言葉ではない。

時には一見冷静な分析のように見えるものもある。

だがそれを仔細に検討すれば、結局は一種の責任転嫁――戦争が悪い、収容所が悪い、米軍が悪い、ソヴェト軍が悪い、等々である。

しかし、同じ状態に陥った他民族が、同じ状態を現出したわけではない、また同じ日本人の収容所生活でも常に同一の状態だったわけではない、という事実を無視して――。

だが人が夢中でその転嫁を行なっているとき、それは、その人の最も深い創に、だれかが触れた証拠にほかならない。

収容所におけるリンチ問題をとりあげ、日本人は一種の「暴力性向」があると、歯に衣を着せずはっきり指摘したのは、おそらく小松氏だけであろう。

一番いいにくいこと、それに触れられれば殆どの人が「かえりみて他を言う」という態度をとって逃げる問題を、はっきりと「余程考えねばならない」問題として氏が提起したこと、これは本書のもつ一つの大きな価値である

では一体なぜ、的確に、小松氏が記しているような事態を招来して行くのか。

そこには”一握りの暴力団”と”臆病な多数者”がいたのであろうか。
そうはいえない。
例外者を除けば、そこにいるのはジャングル戦の生き残り、みな銃弾の洗礼をうけ、餓死体の山を通り抜けて生きてきた、強靭な人びとであった。

では一体なぜこの人びとが、かくも唯々諾々と暴力の支配をうけ入れていったのであろうか
小松氏のいた労働キャンプでは、確かに、「作業」が、暴力団発生の一つの契機となっている。

では作業もなく、給与も余瑕も十分で、何の苦労もなければ、暴力団は発生しなかったのであろうか。
実をいうと、そうではなかったのである

(後略~)

【引用元:日本はなぜ敗れるのか/第四章 暴力と秩序/P107~】

これらの記述を読んで最近つくづく思うのですが、日本人の組織というものを解明して、客体化して再把握しない限り、戦前の愚行を避けることは出来ないのではないのではなかろうか、ということです。

それはさておき、ようやく次回より、なぜ日本人がやすやすと暴力支配を受け入れてしまうのか、その原因について山本七平が分析している記述部分を紹介していきます。
ではまた。


【関連記事】
◆言葉と秩序と暴力【その1】~アンチ・アントニーの存在を認めない「日本軍」~
◆言葉と秩序と暴力【その2】~「戦犯収容所」の”暴力政治”の実態~
◆言葉と秩序と暴力【その3】~日本軍捕虜の「暴力的性向」を嘆いた日本人~
◆言葉と秩序と暴力【その4】~自ら”秩序”立てるイギリス人~
◆言葉と秩序と暴力【その6】~日本的ファシズムの特徴とは「はじめに言葉なし」~


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”神”動画「MC ken」/平成22年11月9日 衆院予算委 斉藤健(自民)

いやぁ、これ↓を作った人はすごい。演説のリズム感とBGMの音楽が上手くマッチしている。一見の価値ありですよ。

ニコ動の流れるコメントで、しつこく自民党を批難するコメントがあったけど、図星を指された民主党の支持者にとってはよっぽど癇に障る動画クリップなんだなぁ…。しかし、このBGM気に入った。なんていう曲名だろう?)

それはさておき、斉藤健といえば、昔埼玉県の副知事やってた人だよなぁ。
「最初はグー、齋藤健」という当時の武部勤自民党幹事長の稚拙な選挙キャッチフレーズで足を引っ張られちゃって、落選した人としか記憶になかったが、ググってみると今は千葉県の選出議員なんだね。

公式HPをみるとなかなかの人物のように思える。
小泉進次郎と同期の一年生議員だけれど、共に将来期待が出来そうだ。

ニコ動が見れない人は、youtubeの元動画↓をどうぞ。
BGMがない分、面白みがないけど、その代わり菅総理のジミンガー答弁が付いてます(笑)。
◆11・9【期待の超大型新人 齋藤健が言っちゃった政権を激しく叱責】


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言葉と秩序と暴力【その4】~自ら”秩序”立てるイギリス人~

だいぶ間が空いてしまいましたが、以前の記事『言葉と秩序と暴力【その3】~日本軍捕虜の「暴力的性向」を嘆いた日本人~』の続き。

前回までのエントリーにて、山本七平がフィリピンのカランバン収容所で一緒だった通訳のOさんの言葉と、「虜人日記」を書いた小松真一の記述を引用しながら、戦犯容疑者収容所での”暴力支配”の実態について紹介してきました。

今回ご紹介する記述部分は、日本軍の比島侵攻によって、同じような境遇に陥ったイギリス人捕虜の収容所の様子と比べた箇所です。
読んでいただくと、日本軍捕虜の収容所との違いが明らかなのがよくわかります。
では引用開始。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
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山本 七平

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前回の続き)

だが、私は内心で、Oさんの言葉に反撥していた。

当時の収容所には、日本内地ほどひどくないにしろ、「アメリカ人立派・日本人ダメ」的風潮もなくはなかった。

もっともそれは、私が帰国した昭和二十二年当時の内地のように、昨日までの「鬼畜米英・現人神天皇」がそのまま裏返しになった「鬼畜日本軍・現人神マッカーサー」的状態ではなかったが、何しろ、収容所内の実情を見ていると、一種の劣等感を抱かざるを得なかったのも事実である。

しかし私は内心、

アメ公だって、収容されて食うや食わすの状態になりゃ同じことだろう。
いま偉そうなツラをしていたって、結局は環境の差だけさ。
人間は環境の動物さ。
満期除隊となればみんな紳士になるのと同じさ。
あのビックリ伍長のアホウがわれわれより立派なわけがあるもんか


と思っていた。
ビックリ伍長とかビックリ兄弟とか言われていたのは、ビッカリという名の双生児の下士官、それが第四収容所の実質的な管理者だったが、どの面から見ても、日本軍の下士官より立派とは思えず、その知能指数はゼロ以下のマイナスではないかと思えるほどの男だった。

ヤレヤレ、あれじゃ日本軍なら万年一等兵、どうしてあれで下士になれたのか。それにしても、何であんなバカに負けたのか

それがわれわれが日々にもらす嘆声だったからである。

そして、それと似たりよったりの米兵はいくらでもおり、従って私は、収容所の秩序は全くひどいものだと思いつつも、Oさんの言葉を素直に受けとる気にはなれなかった。

しかし、Oさんの言ったことを、よくよく思い返してみれば、彼は、何もアメリカ人が立派だと言ったのではない
彼らは、「秩序はつくるものだ」と考えているが、われわれはそうでない、という事実を指摘しただけである。

いわば彼らは、「家を建ててその中に住むように」、「自分たちで組織をつくり、秩序を立ててその中に住む」が、日本人にはそういう発想はないと言っただけであった。

それは、その秩序の中に住む個人個人が、立派であるとかないということとは別問題なのだが、私にはそれがわからなかったのである。

そういうことがあってから三十年たった。
私は偶然に三冊の本を読んだ。

一つは今まで何回も引用した小松さんの『虜人日記』、もう一つは、イズラ・コーフィールドという一女性の日記からC・ルーカスという人が編集した『サント・トマスの虜囚たち』(日本訳名『私は日本軍に抑留されていた』双葉社)、もう一冊がアーネスト・ゴードンの『死の谷を過ぎて―クワイ川収容所』(音羽書房)という本、いずれも収容所の記録である。

私は日本軍に抑留されていた―英国婦人マニラ収容所日記 (1975年)私は日本軍に抑留されていた―英国婦人マニラ収容所日記 (1975年)
(1975)
シリア・ルーカス

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死の谷をすぎて―クワイ河収容所 (1981年)死の谷をすぎて―クワイ河収容所 (1981年)
(1981/10)
アーネスト・ゴードン

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『死の谷……』については後述するが、この中の『サント・トマス……』はちょうどわれわれとは逆の立場にいた人たちの記録である。

日本軍はマニラのサント・トマス大学を接収して、在比米英人等をここに収容した。
もちろん、戦局とともに移動があり、最後までここにいたわけではないが、いずれにしても、彼女たちは、マッカーサーに解放されるまで、日本軍のPW(註)であった。
(註)…prisoner of war 戦時捕虜の略

その一女性が、終始日本軍に管理されていた収容所内の生活を、日記の形態で、こまごまと三十六冊の大型ノートに記し、それを編集したのがこの本である。

もちろん政治的配慮も日本人読者も予想せずに――従って日本人はすべて「ジャップ」である――。

しかし、戦後伝説化された残虐人間「日本軍」の姿が、そのままにそこにあるのではない

これが日本訳の出版社(双葉社)の編集者には非常に意外であったらしく、わざわざ私のところに校正刷りをもって意見をききに来たわけであった。

といってもちろん、すべての日本人が立派なわけではない。
立派な人間もいれば、ビックリ兄弟の日本版もいれば、彼に絞首刑にされた「こんなのが中助(中隊長)だったら部下は大変だろうなあ」と思われる人物も登場している。

そのことは不思議でない。
それはおそらく、いずれの民族であれいずれの組織であれ、程度の差はあっても同じことであろう。

従って本書を読み、末尾の

イズラも(ほかの人と)全く同じように感じている。彼女は日本人が気に入っていた……彼らは、仲間の拘留者からよりは、ジャップたちから親切にしてもらうことのほうがずっと多かった……

のくだりで、「日本軍も案外立派だったじゃないか」という感想をもつだけなら、何の意義もないであろう。

問題はそこにはない

彼らは強固な自治体をつくり、その組織内に摩擦があって逆に”ジャップの方が親切”と見えても、日本軍は実は一種傍観的管理者にされたという事実が、われわれとの違いなのである。

私が、読みはじめて受けたもう一つのショックは、Oさんの言ったことが本当だったことである。

彼らは最初、抑留は二、三日だと思っていた。
しかしそれがいつまでつづくかわからないとなると、たちまち自らの手で組織をつくり、秩序を立てはじめる
その部分を引用しよう。

三日たち、やがて一週間がすぎた。
”登録に三日”という話しがばかげたものであることは明らかだった……どうやらキャンプが組織化されなければならないことが、はっきりした。

ジャップたちは、そこに全員がそろっていることを確認すること(員数確認!)以外は、それをどう管理するかとか、捕虜たちがどうなるかとかにはいっさい関心がないようだった(秩序立てへの無関心!)。

規律正しいアングロ・サクソン魂があとを引き受けるときだった。
管理機関として、すぐれた専門家やビジネスマンたちの実行委員会がつくられ、……が委員長にえらばれた。
引きつづき、警察、衛生、公衆衛生、風紀、建設、給食、防火、厚生、教育……の委員会や部がつくられ、それぞれ委員長がえらばれた


それだけでない。
彼らは、その秩序を維持するため自らの裁判所までつくったのである。

裁判は秩序の法廷でおこなわれ、そのための男女からなる陪審員が任命された……

そして彼らはまず、ゴミの一掃、シラミ・ノミ退治からはじめ、全員が統制をもって、病院、厨房、学校等の任務を分担して行き、イズラ自身が、「ニ、三週間のうちに荒地に整然としたコミュニティをつくり、限られた枠内であらゆる施設を整えた小さな町をつくりあげた抑留者たちの組織と器用さ」に驚くのである。

だがそれは絶対に、彼らが、個人個人としてわれわれより立派な人間だったということでもなければ、知能が高いということでもない
彼らの中には、上海から流れて来たいかがわしい人間もいれば娼婦もいる。

また、このイズラ自身が、一口にいえば、無名の下級植民地官僚の妻にすぎない。

ただ彼らは、自分たちで組織をつくり、自分たちで秩序をたて、その秩序を絶えず補修しながら、その中に自分たちが住かのを当然と考え、戦後の日本人がマイホームを建ててその中に住むため全エネルギーを使いつくすのと同じような勢いで、どこへ行ってもマイ秩序すなわち彼らの組織を、いわば自らの議会、自らの内閣、自らの裁判所とでも言うべきものを、一心不乱に自分たちの手でつくってしまう国民だというだけのことである。

Oさんが指摘したのは、ただその事実なのである。

従って反撥などせずによく聞いておけば、今更驚くことはなかったのである。
Oさんには、われわれのいるこのカランバン収容所と、あのサント・トマス収容所との間の距離が、はっきりとわかっていた

それがOさんの嘆きの原因だった。

だが、この距離を全く知らなかった小松さんも、秩序の維持は結局は暴力のみ、そして米軍が介入して暴力を一掃すればたちまち秩序がくずれる収容所内の実情を見て嘆声を発している

そしてそれは、その場にいる九十九パーセントの人間の嘆きだっただろう。

(次回へ続く)

【引用元:一下級将校が見た帝国陸軍/言葉と秩序と暴力/P293~】

上記引用のように日本人捕虜が作り上げた秩序とイギリス人捕虜のそれとを比較してみると、明らかに違いがわかりますね。

なぜ、イギリス人の場合は、自ら整然と秩序を築き上げたのに対し、日本人の場合は、暴力に基づかねば秩序が出来なかったのか?

次回から、いよいよその「答え」に山本七平の筆が迫っていきます。
ではまた。


【関連記事】
◆言葉と秩序と暴力【その1】~アンチ・アントニーの存在を認めない「日本軍」~
◆言葉と秩序と暴力【その2】~「戦犯収容所」の”暴力政治”の実態~
◆言葉と秩序と暴力【その3】~日本軍捕虜の「暴力的性向」を嘆いた日本人~
◆言葉と秩序と暴力【その5】~日本人の秩序は「人脈的結合」と「暴力」から成る~
◆言葉と秩序と暴力【その6】~日本的ファシズムの特徴とは「はじめに言葉なし」~



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民主党政権の体たらくにみる「目的は手段を正当化する」ことの恐ろしさ。

今日は手短に思ったことをつらつらと書いてみます。

最近、WIMAXipodtouchの組み合わせのおかげで、通勤時にyoutubeニコニコ動画の国会討論を見ることが多くなりました。
その国会討論における民主党の醜態ぶりを見たり、内政外交の失態続きを見るにつけ、つくづく思うのはマスコミの罪深さ。

麻生政権当時、日本のマスコミは「とにかく日本には”政権交代”が必要なんだ。政権交代しなければ日本の未来は無い」という”政権交代至上主義”で、無能者ぞろいの民主党を持ち上げ、自民党の取るに足りない過失を責め立てた。

まさに「(正しい)目的は、(不正な)手段を正当化する」ということを日本のマスコミはやったわけですね。
その結果が、このザマです。

岸田秀が言うように、「正しい目的は、不正な手段を正当化しない」のです。
不正な手段は、正しい目的を腐らす」だけなのです。

以前の拙記事『小沢幹事長の”居座り”を座視すれば、民主党の強権的体質がますます露わになるだろう。』でもこうした事態になるであろうことは予測しましたが、案の定、思ったとおりの展開です。

そもそも、不正な手段でその地位を得た無能者が正しい目的を果たせるわけが無いのです。

だから、民主党の姿勢は、徹底した応答拒否・開き直り・逆切れ・自己弁護・責任転嫁に終始している。
自民党政権の頃に比べてはるかにヒドイもんです。

こうしたザマを見てもまだ、民主党を支持する人がいること自体、不思議でなりません。
そうした人たちは、やっぱり自分達が実際に痛い目に遭わないと気が付かないのだろうなぁ…。
思うに、こうした人たちはやはり「目的は手段を正当化する」誘惑に乗りやすい気がする。

今の政治の惨状をみると、「(政権交代という)大義名分」という名の下に「不正な手段」を正当化することの”恐ろしさ”というものを改めて思い知らされる。

それを率先して行なったマスコミの罪は許しがたいが、それに易々と乗せられてしまった人たちもある意味、同罪だと思う。

「目的は手段を正当化する」ことの”恐ろしさ”について認識しない限り、こうした過ちはなくならないのでしょうけど、果たしてそれを反省できるかどうか…。
現状を見るにどうにも怪しいものですねぇ、ふぅ…orz。


【関連記事】
◆小沢幹事長の”居座り”を座視すれば、民主党の強権的体質がますます露わになるだろう。


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日本的思考の欠点【その3】~敗戦直後の「実感」を消失させた「マックの戦争観」と「平和憲法」~

以前の記事『日本的思考の欠点【その2】~「感情的でひとりよがりでコミュニケーション下手で話し合い絶対」という日本人~』の続き。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平

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前回の続き)

そして金大中事件は、私にとっては、「あの実感が、もう完全に消失したんだな」と思わせた事件でもあった。

そんなことを考えていたとき、いわゆる「長沼判決(註1)」が出た。
(註1)…長沼ナイキ事件。以下wikiより抜粋。札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)は1973年9月7日、「自衛隊は憲法第9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」とし「世界の各国はいずれも自国の防衛のために軍備を保有するのであって、単に自国の防衛のために必要であるという理由では、それが軍隊ないし戦力であることを否定する根拠にはならない」とする初の違憲判決で原告・住民側の請求を認めた。(wikiviswiki参照)

私は法律家ではないから、判決への批判はできない。
しかし何回も読むうちに非常に強く感じたことは、この憲法が出来るに至った一つの民族の体験、それに基づいて、当時、程度の差こそあれ、すべての人がもっていたはずの「実感」が、これまた完全に消失したのだなと思わせた判決であった。

否、これは福島裁判長だけの問題ではない。

上告すれば合憲ときまっている」とか、やれ青法協(註2)がどうのこうのとか、やれ判決が事前にもれたとかもれないとか、こういった議論自体が、この憲法の背後にあった民族の体験とも言うべきものが、すでに忘れられていることを示していよう
(註2)…青年法律家協会(wiki参照)の略。

否それ以前にすでに、この憲法はマッカーサーの押付けだ、否、幣原首相の発想だという議論の仕方が、すでに最も重要な点を欠落させている

もちろんマッカーサーという存在は無視できない。

戦功を横取りして部下を憤激させた」このメイ将の目的が、占領政策を成功裏に終らせ、それによって政治家として名声も確立して次のステップヘと進むことだけであり、「平和憲法」も彼にとってはその手段の一つにすぎなかったであろう。

それは否定できまい。

彼が日本人のために何かをしてくれたなどと考える者があれば、それは「占領ボケ」が未だに抜けていない証拠であろう。
またヴェトナム戦争に関する日本の報道と西欧の報道をつき合わせてみると、日本の報道における戦争観は、ほぼ完全にマックの戦争観だといえる。

無理もない。
すでに多くの人が、プレスコード(註3)によってマック宣撫班となった当時のマスコミにその思考を統制され、そこで育ち、そのままに成長してきたマック制下の申し子であり、またマスコミはその体質をそのままもっているのだから。
(註3)…以下wikiより抜粋。プレスコード(SCAPIN-33:最高司令官指令第33号「日本に与うる新聞遵則」昭和20年(1945年)9月21日付)とは、大東亜戦争(太平洋戦争)後の連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(以下GHQ)によって行われた、書物、新聞などを統制するために発せられた規則。

しかし皮肉なことに「マックの戦争観」と「平和憲法」とは絶対に相いれないのである。
この矛盾は後にマック自身が自ら露呈するわけだが、結局は、この矛盾が、戦後の、戦争に関するすべての報道、記述、解説にそのまま出てくるのである。

そしてあるときは「マックの戦争観」で、ある時は「平和憲法」で、と使いわけて、マック同様に、それが自己矛盾でないような顔をしているか、マック的な尊大な態度でごまかしつづけているわけである。

『朝日ジャーナル』で穂積龍哉氏が、戦争中は「全国の津々浦々に無数の”東条”さんが存在した」と記されているが、戦後は未だに「無数のマックさん」が健在で、この矛盾にちょっとでもふれると、「占領軍総司令官」の如くに激怒するわけである。

最近もある人が激怒して、「理由はいわない、ただもう絶対何も書くな」という手紙を送って来た。
マック制下に、今までのようなことを書いていれば、一種のプレスコード違反だから、最終的には、いわば「黙れ」といわれるのが当然であろう。

これは、「この点に触れるな、その前で思考を停止せよ」ということであり、そしてここで停止すると、金大中事件長沼判決とを、同一の基準で見ていくということが、できなくなるわけである。

だが「マックの戦争観」の日本人に与えた影響は、後まわしにして、この平和憲法発布の当時、これに少しも違和感を感じさせなかった一つの「実感」へとまず進もう。

それは一言でいうなら「あれだけやってダメだったのだから、日本国が生存をつづけようとするなら、発想を変えて、別の方向に生存の道を探らねばならない」といった感じてあろう。

この感じは、少しくわしく説明しなければならない。

それは「……いざというときに役に立たない自衛隊……」といった言葉があるが、それよりもはるかに強烈な「あの陸海軍が、いざというときに役にたたなかった」という実感である。

「無条件降伏をした」という事実、それは否定できない事実であり、その現実を直接目にした者には「大日本帝国陸海軍は無用の長物であった」という判定への、いかなる釈明も受けつけ得ないのである。

少なくとも軍隊にとって「無条件降伏」とは、釈明できる事態ではない

しかし人は、自分が払った犠牲がすべて無駄であったとは考えたくない――従って種々さまざまな「言いわけ」は出てくるであろう。

しかし「無条件降伏」とは、その軍隊が「一国の安全保障も、独立の保持もなし得なかった」という決定的な最終的判決であって、その判決には「長沼判決」のような控訴の余地などはないのである。

そこでまず何よりも前に、この判決をはっきりと再確認しておこう。
そして私がのべた「あれだけ……」という言葉は、この結果と戦争中のこととの対比だけではないのである。

戦前の日本の軍備が、海軍においては、当時最大の軍事国家来英の六割から七割、陸軍は装備は劣悪とはいえ最盛時で七百万人であったという。
中ソ国境にソヴィエト軍百万が集結したとか、ヴェトナム派兵最盛時のアメリカ軍が約五十万とかいう数と比較すれば、この七百万がどれほど膨大で、従ってどれほどの大負担かは想像できよう。

海軍が一流軍事国家の六~七割ということは、今になおせば、米ソそれぞれの六~七割ということになろう。
海空軍、戦略爆撃機からミサイル・原水爆まで、もし米ソの約六~七割の軍備を保持すれば、今の日本はどうなるであろう。

おそらくその生活水準は終戦直後ぐらいにならざるを得ないであろうが、戦前の日本は確かに、それだけのことをやったのである。
そしてそれだけやっても、無駄だったのである。

今とは規模は違うであろう。
しかしそれが国民生活に及ぼす影響は、今それをしたら現出するであろう状態に似ていたように思われる。

零戦は世界一であった。
アメリカ兵の中で「ゼロ・ファイター」の名を知らない者はいなかった。

それが人類の生み出した最高のプロペラ戦闘機であったことは彼らも認めていた。
また戦艦大和が人類史上最大の戦艦であったことも事実であろう。

しかしそれらが造られているとき、東北の農民は飢えていた
凶作でカユをすすり、凶作で娘を売る、といったさまざまな悲惨な物語が伝えられた。

今、街頭で、西アフリカやバングラデシュの飢饉のため募金が行われている。
ところが私の学生時代には、専ら「冷害で餓死に瀕した東北の農民」のために、街頭募金が行われたのである。
今では想像もつくまい。

トチの実もドングリも食べつくし、ワラモチで飢えをしのいでいます」といって、その実物を机に並べて街頭に立ったグループもあった。
私はどうもこういうことは苦手で、「寄付はするが、街頭には立たない」とことわったため、ひどく非難されたので、今もおぼえている。

こういうこと、すなわち「国民が飢えに瀕しても原爆や戦艦を造る」といったことは、多くの民族が通過しなければならぬ一段階なのかも知れない。

だがそれはいずれの国民が行おうと結局はすべて無駄なのである

いまどき一、二個の原爆や水爆をつくるということは、太平洋戦争の直後に戦艦大和をつくるぐらいの愚行であり、軍事的に見れば、栄光を追うおいぼれの老将軍や軍事委員会主席の白昼夢に基づく浪費にすぎない

だがここで誤解してならないことは、そういう状態を、その国民であれ当時の日本人であれ、圧政とは受けとらないことである。
ここに軍備というものがもつ奇妙な魔力、子供を異様にひきつけるある魅力にも似た魔力がある。

当時の日本人が、物すごい軍備の重圧下に苦しみうめき、かつ怨嵯の声をあげていたかのように言うのは、戦後に創作された虚構であり、当時はそういうことを言う人は例外であり異端者であって、一般はむしろ逆で、われわれのような「いわゆるインテリ」(この言葉は当時は一種の蔑称であるが)が、ちょっとそういった批判を目にすれば、最もそれに苦しんでいるはずの農民から面詰されるのが普通であった。

彼らは軍備を、軍艦や戦闘機や砲を、血と汗できずきあげた誇るべき自分たちの共有財産のように考えており、それらにケチをつけるような者は、ただではおかない、という面があった

一方、軍の側にも明らかにこれに対応する考え方があった。
人間より兵器を大切にしたことは、前にもいったように事実であるが、兵器について必ずいわれたことで、今では忘れられている言葉は、「御紋章」と同時に「お前たちの父母の血と汗の結晶である」という言葉である。

この考え方は海軍にもあったようで、大和出撃の動機の一つが「国民に多大の犠牲を強いて造った戦艦を戦わずして敵の手にわたすことは出来ない」ということだったそうである。

いわば「身分不相応」な軍備が国民に極限ぎりぎりの犠牲を強いつづけて来たことを実感している当時の軍人には、「共有財産」を活用もせずに、勝手に敵手にわたして平然と「降伏」することは、何としても出来ないことだったのであろう。

誤解を恐れずにいえば、私がその位置にいれば、やはり同じことをしたであろうということである。

(次回に続く)

【引用元:ある異常体験者の偏見/マッカーサーの戦争観/P205~】

平和憲法成立の背後にあった「民族の体験(軍事力だけで覇権国になろうと限界まで頑張った末の無条件降伏)」があっさり忘れ去られてしまった原因に、戦後GHQの宣撫工作があるわけです。

そしてまた、戦後、日本人が憲法問題を考える際、必ずと言っていいほど不毛な議論に陥ってしまう一因として、このGHQが行なった宣撫工作の影響を見逃すわけには行きません。

そのことについては、次回以降、詳しい山本七平本人の説明に委ねる予定ですが、憲法論議を不毛なモノに終わらせているのは、何もGHQの宣撫工作だけではなく、「日本人の思考の型」そのものも一因なのではないか…と私は考えます。

過去記事『ある異常体験者の偏見【その6】~「確定要素」だけでは戦争できない日本~』に於いて、日本人が戦争を考える際、必然的に「不確定要素」対「確定要素」という”思考の型”に陥るという山本七平の指摘を紹介しましたが、これが「民族の体験」を忘れさせ、神学的憲法論争を助長しているように思います。

そうした状態から脱するには、どうしたらよいか。

まずGHQの行なってきた宣撫工作の実態、そして、憲法がGHQにどのように利用されたかについて把握することがファーストステップだと山本七平は指摘するわけですが、これについても、私の拙い解釈ではなく、ご本人の記述を読んでいただくのが一番でしょうから、次回以降のお楽しみとしてください。

それはさておき、今回引用した記述の後半では、戦後直後に日本国民が感じたはずの「実感」について詳しく述べられていますが、山本七平が指摘したこの日本の立場・条件というのは、戦後60年以上経っても変わりがありません。

この立場と言うものをまずしっかりと認識できれば、最近喧しい「自主防衛・核武装」という主張が、如何に不適当かを理解できるはずなのですが、それが認識できていない人達がだんだん増えているのが現状ではないでしょうか。

こうした威勢のいい危険な主張が、今後ますます増加するように感じられるのは、ちょっと心配なところです。

さて、次回は、少々日本的思考という論点から離れ、日本陸軍と海軍の違いについてと、虚報作成のわかりやすい実例について触れた記述部分を紹介していきたいと思います。
ではまた。


【関連記事】
◆日本的思考の欠点【その1】~尖閣諸島問題と中村大尉事件の類似性~
◆日本的思考の欠点【その2】~「感情的でひとりよがりでコミュニケーション下手で話し合い絶対」という日本人~
◆日本的思考の欠点【番外】~日本陸軍の特徴と「虚報」作成の一例紹介~
◆平和主義の欺瞞【その1】~日本人の平和主義は「強姦された女の論理」~
◆平和主義の欺瞞【その4】~押しつけられた平和主義は平和の敵~
◆ある異常体験者の偏見【その6】~「確定要素」だけでは戦争できない日本~

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国防の一端を担う知事としての資質を決定的に欠く沖縄県知事選候補/伊波洋一氏

今回の沖縄知事選に出馬する伊波洋一候補について、ちょっと書いておこう。

いささか旧聞になるが、10月22日の読売新聞記事に伊波候補のインタヴュー要旨が載っていたのを読んで改めてその主張の過激さに驚いた。
以下、箇条書きで紹介させていただく。

1)今の日米安保条約は時代錯誤的だ。日本は同盟深化より日米平和友好条約の締結を視野にいれるべきだ。

2)沖縄は明治時代、日本に併合されるまで中国と朝貢などの関係にあり、中国はとても身近に感じる。先島諸島への自衛隊配備には反対だ

3)米軍基地撤去を有効な武器にして中国と対話を進めるべきだ。


これらの主張を読んだだけでも、かなり左寄りの反米姿勢を伺うことが出来る。

特に気になったのが、3)の主張。
米軍基地撤去をして、中国と対話するという主張には、率直に言って正気か?とさえ思う。
軍事力の背景無しにどうやってあの中国と対話できるというのか?
本気で信じているとしたら、まさにお花畑左翼としか言いようが無い。

沖縄県は国境の県である。
その知事ともなれば、国防についてもより重い責任を担わねばならないはずの立場であるはずなのに、先島諸島への自衛隊配備に反対するわ、米軍基地撤去を強硬に主張するわ、とてもまともな候補の主張とは思えない。

しかも、1)の日米安保にもはっきりと反対の姿勢を出している事も、知事候補として不適格。
こんなトンデモ候補が当選したら、沖縄の安全は間違いなく中国によって侵されると思う。

ちなみに、この伊波氏というのは、普天間基地移設問題について、週刊オブイェクトさんに指摘されたように、デマをまき散らしている人物でもある。
この件については、下記記事リンク↓を参照して欲しい。

◆宜野湾市・伊波洋一市長の「沖縄の海兵隊は全てグアムに移転する」という妄想プレゼンテーション
http://obiekt.seesaa.net/article/146978904.html
◆有田芳生さんの言い訳は「ペンタゴンに聞いてごらん」でした。
http://obiekt.seesaa.net/article/149080487.html

余談になるが、本日、現在行なわれている選挙活動に於いて、次のようなニュースも流れている。

◆県知事選は「逮捕覚悟で」 照屋議員、社民党員前に(琉球新報)2010年10月31日

社民党県連顧問の照屋寛徳衆院議員は29日夜、県知事選の応援のため来県した社民党員らとの交流会であいさつした際に、「沖縄は『公職選挙法特区』。公選法を守ろうという人は最終便で帰っていい。腹を据えてやってもらいたい」「もし逮捕されたら、私ではなく、弁護士の福島党首を呼んでください」などと述べた。

伊波洋一氏(58)を推薦する社民党は、全国から福島瑞穂党首ら100人近くが来県し、30日には那覇市内でチラシ配りや街頭演説を行った。照屋氏は琉球新報に対し、「一行を鼓舞するつもりでの冗談だ。選挙違反を助長するつもりはない」と述べた。

沖縄の選挙戦は、景観を損ねる違法ポスターが目に余るなど、選挙運動のモラルの低さが指摘されてきた。公職の立場にあり、伊波氏の選挙母体の共同代表も務める立場の発言としては、不適切との批判は避けられそうもない。


照屋議員本人は冗談のつもりだったのかもしれないが、冗談で済まされる発言ではない。
こうした発言に「自らの主張の実現の為には、不正な手段をとっても構わない」という左翼ならではの本質を窺うことができる。

まさに、「(正しい)目的は、(不正な)手段を正当化する」ものに他ならない。
このように、自らの主張を実現させる為には、デマであろうと不正な手段であろうと躊躇しないのが左翼。
そうした彼らの言動を許してはならないと思う次第。

何はともあれ、沖縄県民には、是非、現職の仲井真知事を再選するという「良識」を示していただきたいと切に思う。
目先の反基地感情・反本土感情に捉われて、国境の島の安全を疎かにするという”愚かな”選択をしないで貰いたい。

【関連記事】
◆テレビ朝日放送番組『英霊か犬死か ~沖縄から問う 靖国裁判~』にみる「地震ナマズ説」


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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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