前回までのエントリーにて、山本七平がフィリピンのカランバン収容所で一緒だった通訳のOさんの言葉と、「虜人日記」を書いた小松真一の記述を引用しながら、戦犯容疑者収容所での”暴力支配”の実態について紹介してきました。
今回ご紹介する記述部分は、日本軍の比島侵攻によって、同じような境遇に陥ったイギリス人捕虜の収容所の様子と比べた箇所です。
読んでいただくと、日本軍捕虜の収容所との違いが明らかなのがよくわかります。
では引用開始。
一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
(1987/08)
山本 七平
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(前回の続き)
だが、私は内心で、Oさんの言葉に反撥していた。
当時の収容所には、日本内地ほどひどくないにしろ、「アメリカ人立派・日本人ダメ」的風潮もなくはなかった。
もっともそれは、私が帰国した昭和二十二年当時の内地のように、昨日までの「鬼畜米英・現人神天皇」がそのまま裏返しになった「鬼畜日本軍・現人神マッカーサー」的状態ではなかったが、何しろ、収容所内の実情を見ていると、一種の劣等感を抱かざるを得なかったのも事実である。
しかし私は内心、
「アメ公だって、収容されて食うや食わすの状態になりゃ同じことだろう。
いま偉そうなツラをしていたって、結局は環境の差だけさ。
人間は環境の動物さ。
満期除隊となればみんな紳士になるのと同じさ。
あのビックリ伍長のアホウがわれわれより立派なわけがあるもんか」
と思っていた。
ビックリ伍長とかビックリ兄弟とか言われていたのは、ビッカリという名の双生児の下士官、それが第四収容所の実質的な管理者だったが、どの面から見ても、日本軍の下士官より立派とは思えず、その知能指数はゼロ以下のマイナスではないかと思えるほどの男だった。
「ヤレヤレ、あれじゃ日本軍なら万年一等兵、どうしてあれで下士になれたのか。それにしても、何であんなバカに負けたのか」
それがわれわれが日々にもらす嘆声だったからである。
そして、それと似たりよったりの米兵はいくらでもおり、従って私は、収容所の秩序は全くひどいものだと思いつつも、Oさんの言葉を素直に受けとる気にはなれなかった。
しかし、Oさんの言ったことを、よくよく思い返してみれば、彼は、何もアメリカ人が立派だと言ったのではない。
彼らは、「秩序はつくるものだ」と考えているが、われわれはそうでない、という事実を指摘しただけである。
いわば彼らは、「家を建ててその中に住むように」、「自分たちで組織をつくり、秩序を立ててその中に住む」が、日本人にはそういう発想はないと言っただけであった。
それは、その秩序の中に住む個人個人が、立派であるとかないということとは別問題なのだが、私にはそれがわからなかったのである。
そういうことがあってから三十年たった。
私は偶然に三冊の本を読んだ。
一つは今まで何回も引用した小松さんの『虜人日記』、もう一つは、イズラ・コーフィールドという一女性の日記からC・ルーカスという人が編集した『サント・トマスの虜囚たち』(日本訳名『私は日本軍に抑留されていた』双葉社)、もう一冊がアーネスト・ゴードンの『死の谷を過ぎて―クワイ川収容所』(音羽書房)という本、いずれも収容所の記録である。
私は日本軍に抑留されていた―英国婦人マニラ収容所日記 (1975年)
(1975)
シリア・ルーカス
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死の谷をすぎて―クワイ河収容所 (1981年)
(1981/10)
アーネスト・ゴードン
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『死の谷……』については後述するが、この中の『サント・トマス……』はちょうどわれわれとは逆の立場にいた人たちの記録である。
日本軍はマニラのサント・トマス大学を接収して、在比米英人等をここに収容した。
もちろん、戦局とともに移動があり、最後までここにいたわけではないが、いずれにしても、彼女たちは、マッカーサーに解放されるまで、日本軍のPW(註)であった。
(註)…prisoner of war 戦時捕虜の略
その一女性が、終始日本軍に管理されていた収容所内の生活を、日記の形態で、こまごまと三十六冊の大型ノートに記し、それを編集したのがこの本である。
もちろん政治的配慮も日本人読者も予想せずに――従って日本人はすべて「ジャップ」である――。
しかし、戦後伝説化された残虐人間「日本軍」の姿が、そのままにそこにあるのではない。
これが日本訳の出版社(双葉社)の編集者には非常に意外であったらしく、わざわざ私のところに校正刷りをもって意見をききに来たわけであった。
といってもちろん、すべての日本人が立派なわけではない。
立派な人間もいれば、ビックリ兄弟の日本版もいれば、彼に絞首刑にされた「こんなのが中助(中隊長)だったら部下は大変だろうなあ」と思われる人物も登場している。
そのことは不思議でない。
それはおそらく、いずれの民族であれいずれの組織であれ、程度の差はあっても同じことであろう。
従って本書を読み、末尾の
「イズラも(ほかの人と)全く同じように感じている。彼女は日本人が気に入っていた……彼らは、仲間の拘留者からよりは、ジャップたちから親切にしてもらうことのほうがずっと多かった……」
のくだりで、「日本軍も案外立派だったじゃないか」という感想をもつだけなら、何の意義もないであろう。
問題はそこにはない。
彼らは強固な自治体をつくり、その組織内に摩擦があって逆に”ジャップの方が親切”と見えても、日本軍は実は一種傍観的管理者にされたという事実が、われわれとの違いなのである。
私が、読みはじめて受けたもう一つのショックは、Oさんの言ったことが本当だったことである。
彼らは最初、抑留は二、三日だと思っていた。
しかしそれがいつまでつづくかわからないとなると、たちまち自らの手で組織をつくり、秩序を立てはじめる。
その部分を引用しよう。
「三日たち、やがて一週間がすぎた。
”登録に三日”という話しがばかげたものであることは明らかだった……どうやらキャンプが組織化されなければならないことが、はっきりした。
ジャップたちは、そこに全員がそろっていることを確認すること(員数確認!)以外は、それをどう管理するかとか、捕虜たちがどうなるかとかにはいっさい関心がないようだった(秩序立てへの無関心!)。
規律正しいアングロ・サクソン魂があとを引き受けるときだった。
管理機関として、すぐれた専門家やビジネスマンたちの実行委員会がつくられ、……が委員長にえらばれた。
引きつづき、警察、衛生、公衆衛生、風紀、建設、給食、防火、厚生、教育……の委員会や部がつくられ、それぞれ委員長がえらばれた」
それだけでない。
彼らは、その秩序を維持するため自らの裁判所までつくったのである。
「裁判は秩序の法廷でおこなわれ、そのための男女からなる陪審員が任命された……」
そして彼らはまず、ゴミの一掃、シラミ・ノミ退治からはじめ、全員が統制をもって、病院、厨房、学校等の任務を分担して行き、イズラ自身が、「ニ、三週間のうちに荒地に整然としたコミュニティをつくり、限られた枠内であらゆる施設を整えた小さな町をつくりあげた抑留者たちの組織と器用さ」に驚くのである。
だがそれは絶対に、彼らが、個人個人としてわれわれより立派な人間だったということでもなければ、知能が高いということでもない。
彼らの中には、上海から流れて来たいかがわしい人間もいれば娼婦もいる。
また、このイズラ自身が、一口にいえば、無名の下級植民地官僚の妻にすぎない。
ただ彼らは、自分たちで組織をつくり、自分たちで秩序をたて、その秩序を絶えず補修しながら、その中に自分たちが住かのを当然と考え、戦後の日本人がマイホームを建ててその中に住むため全エネルギーを使いつくすのと同じような勢いで、どこへ行ってもマイ秩序すなわち彼らの組織を、いわば自らの議会、自らの内閣、自らの裁判所とでも言うべきものを、一心不乱に自分たちの手でつくってしまう国民だというだけのことである。
Oさんが指摘したのは、ただその事実なのである。
従って反撥などせずによく聞いておけば、今更驚くことはなかったのである。
Oさんには、われわれのいるこのカランバン収容所と、あのサント・トマス収容所との間の距離が、はっきりとわかっていた。
それがOさんの嘆きの原因だった。
だが、この距離を全く知らなかった小松さんも、秩序の維持は結局は暴力のみ、そして米軍が介入して暴力を一掃すればたちまち秩序がくずれる収容所内の実情を見て嘆声を発している。
そしてそれは、その場にいる九十九パーセントの人間の嘆きだっただろう。
(次回へ続く)
【引用元:一下級将校が見た帝国陸軍/言葉と秩序と暴力/P293~】
上記引用のように日本人捕虜が作り上げた秩序とイギリス人捕虜のそれとを比較してみると、明らかに違いがわかりますね。
なぜ、イギリス人の場合は、自ら整然と秩序を築き上げたのに対し、日本人の場合は、暴力に基づかねば秩序が出来なかったのか?
次回から、いよいよその「答え」に山本七平の筆が迫っていきます。
ではまた。
【関連記事】
◆言葉と秩序と暴力【その1】~アンチ・アントニーの存在を認めない「日本軍」~
◆言葉と秩序と暴力【その2】~「戦犯収容所」の”暴力政治”の実態~
◆言葉と秩序と暴力【その3】~日本軍捕虜の「暴力的性向」を嘆いた日本人~
◆言葉と秩序と暴力【その5】~日本人の秩序は「人脈的結合」と「暴力」から成る~
◆言葉と秩序と暴力【その6】~日本的ファシズムの特徴とは「はじめに言葉なし」~
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