それは、日頃から愛読しているCSW(カムイスペースワークス)ブログにて北大教授の永田先生が書かれた記事でした。
護憲派の人たちと議論すると決まって、国家権力は憲法によって拘束されるべきであるという考え方(いわゆる立憲主義)というものを前面に押し出して、だからこそ、憲法改正してはならない、と結論付ける傾向が強いですね。
これは、単なる宗教的護憲論に比べて、理論的なので一見反論しづらいものがあります。
そしてまた、彼らは立憲主義を主張する一方で、国民の義務とか国の在り方というものを憲法に記すことを非常に嫌がる傾向にあります。
憲法には、権力を拘束すると共に、国民の義務をキチンと記すべきだと思っていたので、この点については、私は非常に不満でした。
しかしながら、そうは思いつつ、なかなか護憲派のこうした論法に対してどのように反論するか、上手く表現できないでいました。
ところが、永田先生は、非常にわかりやすい表現を用いて、立憲主義が陥り易い陥穽についてズバリ指摘しています。
この記事の中から、その該当箇所を引用紹介していきます。
・憲法記念日(永田)
(~前略)
憲法とは、国の在り方を規定するためのものです。
憲法は権力を縛るためのものだと思っている人が多いですが、大間違いです。
誰が権力を握っても大したことができないようにガチガチに縛った上で、誰が政権を取っても同じとばかりに政治に関心を持たないのは有権者の怠慢です。
我々の投票行動こそが権力を縛るのです。
これ以外のもので、権力を縛るべきではありません。
条文で権力を縛るのを自縄自縛といいます。
我々国民が付託した権力なのです。
縛られるのは我々なのだと気付かなければいけません。
また、権力を縛ると有権者が劣化します。
例えば、日本国総理大臣に核ミサイルのボタンを押す権利が与えられていたとしたら、それでも「お灸を据えたい」という傲慢で無責任な投票動機を保持する人がどのくらいいるでしょうか。
(後略~)
【引用元:CSWブログ/憲法記念日(永田)】
上記を読むと、結局のところ、民主主義というものがキチンと機能するためには、主権者自らが、権力の負託について責任と結果を持たなければいけないということを改めて考えさせてくれるように思います。
いくら立派な憲法条文が出来ようとも、権力を監視するのは、主権者である国民自身であるはず。
それを条文で縛るのは、永田先生が指摘するように、国民自らを縛り国民の無関心と怠慢を招き、結果的に民主主義そのものを駄目にしてしまう。
現状の民主党政権というものが、民主主義の劣化ぶりを見事に証明しているのではないでしょうか。
「自民党にお灸を据える」という非常に無責任かつ軽率極まりない判断で、”ルーピーズ”民主党政権を誕生させてしまいました。
小選挙区制というのは、主権者であることの「重み」を自覚しない有権者にとっては、危険な選挙制度であるといえるのかもしれません。
こういう状態になってしまったというのも、「押し付け」られた憲法を戴き、自らの判断を失ってしまった状態に慣れてしまった所為もあるかもしれない…と私は考えているのですが…。
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