だいぶ間があいてしまいましたが、前回の記事『
日本の言論空間を支配する「空気」について【その3】~放射能という”物神”に支配された「放射脳」~』の続き。
(前回の続き)
いままでのべた例は、簡単にいえば「空気の一方向的支配」の例、言いかえれば、臨在感的把握が絶対化される対象を、仮に一つとし、しかも相互の感情移入による相互の臨在感的把握が起りえない、最も単純化された場合である。
だがわれわれの現実世界はそのように単純でなく、人骨・カドミウム金属棒・ヒヨコ・保育器の内部・車等々は、あらゆる方向に、臨在感的把握を絶対化する対象があり、従って各人はそれらの物神によりあらゆる方向から逆に支配され、その支配の網の目の中で、金縛り状態になっているといってよい。
それが結局、「空気」支配というわけだが、その複雑な網の目を全部ときほぐすわけにいかないから、まず、二方向・二極点への臨在感的把握を絶対化し、その絶対化によって逆にその二極点に支配されると、それだけで人が完全に「空気に支配され」て、身動きできなくなる例をあげよう。
この例は、日本が重要な決定を下すとき、たとえば日華事変の本格化、太平洋戦争の開始、日中国交回復等に、必ず出てくる図式である。
だがここでは、現在において、まず明確に残っている最高の例と思われる西南戦争をとろう。
これならば、すでに歴史上の事件であるし、戦ったのは同じ日本人同士だし、従って外交的配慮から虚報を「事実だ」と強弁する必要もないし、事実としなければ反省が足らんと言われることもあるまい。
またどちらを仁徳にあふれる神格化的存在としようと、どちらをその対極にある残虐集団と規定してあろうと、共に日本人だから、どこからも文句は出まい。
歴史上の事件で国内事件の場合は、こういう点で、いわば「無害化」されているので、非常に扱いやすい。
そしてその基本的図式は、実は現代と全く同じである点で格好のサンプルである。
西南戦争は、いうまでもなく近代日本が行なった最初の近代的戦争であり、また官軍・賊軍という明確な概念がはじめて現実に出てきた戦争である。
こういう見方は、戦国時代にはない。
同時に、大西郷は、それまで全国民的信望を担っていた人物である。
従って西郷危うしとなれば、全国的騒乱になりかねない、否、少なくとも「なりかねないという危惧」を明治政府の当局がもっていた戦争である。
ということは「世論」の動向が重要な問題だった最初の戦争であり、従ってこれに乗じてマスコミが本格的に活動し出し、政府のマスコミ利用もはじまった戦争である。
元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争時にすらこれがあった)だったのだが、農民徴募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった。
従って、戦意高揚記事が必要とされ、そのため官軍=正義・仁愛軍、賊軍=不義・残虐人間集団の図式化を行ない、また後の「皇軍大奮闘」的記事のはしりも、官軍は博愛社により敵味方を問わず負傷者を救う正義の軍の宣伝もはじまった。
いわば、日中国交回復に至るまでの戦争記事の原型すなわち「空気醸成法」の基本はすべてこのときに揃っているのである。
まず西郷軍「残虐人間集団」の記事が出る。次に掲げるのは、そのほんの一例である。
〈官兵を捕へて火焙りの極刑・酸鼻見るに堪へず〉
〔九・二五 郵便報知]賊徒が残酷無情なるも斯く迄にはあらにと思へど、此頃戦地より帰りし者が其惨虐を見たりとて語りしを又伝に聞きたるに、何つ頃の戦ひにや、七八人の官兵賊に獲られ、珠数繋になして某神社の境内に率き行き大樹の下に繋ぎしが、賊兵等が打寄り語り合ふに、頭を刎ね腹を割き生肝を撮み出しても興なし、何にか面白き趣向ほど耳に口寄せ私語(ささや)き、社前に在る銅華表(とりい)を中頃より二つに切り、そが中に山の如く炭火を燃き、真赤になりし時、天に叫び地に哭する生虜を一人一人に駆り立て、左右より手取り足取り此火柱を抱かせ灸り殺したる有様は、知らぬ漢土の昔し語り、殷紂夏桀が炮烙の刑も斯くやと思はるる計り、既に陸軍の属官某も比刑場に焼殺されしと。
こういう記事を次から次へと読まされると、日中国交回復前の「日本人残虐民族説」にも似た「鹿児島県人残虐民族説」が成り立ちそうだが、ちょっと注意して読めば、これが創作記事であることは、だれにでもすぐに見抜けるであろう。
まず「酸鼻見るに堪へず」という表題は、まるで自分が目撃したか、目撃者に直接取材したかの印象を与えるが、事実は、目撃者「証人」は、不明なのであって「見たりとて語りしを又伝に聞きたる」と伏線がはってある。
「事実か否か、調べるから目撃者に会わせろ」と西郷側かそのシンパから言われても(それはまず起りえないが)それは不明で押し通せる。
第二に「何つ頃の戦ひにや」で「時日」が明らかでなく、「某神社の境内」で場所が明らかでない。それでいて、賊の描写はまことに具体的で、あたかも見て来たかの如くに書いている。
さらに、事件はこれだけでないという形で信憑性をもたすため「既に陸軍の属官某も此刑場に焼殺されし」としているが、その人名・階級・日時も明らかでない。
またおかしいのは、「既に……」同じ刑なら、「銅華表を中頃より二つに切り」は、そのときに行なわれていて、今回はそれをそのまま利用したはず、さらに、これがはじめての試みでないなら、まるで見てきたように書いている”賊”の相談の状態は明らかにおかしい。
その相談の描写は、今までやったことのない新趣向でやろうという相談のはず、そうでなければ「何にか面白き趣向ほど……」と相談してから銅華表を二つに切ることはありえない。
従ってこれは『私の中の日本軍』で分析した「百人斬り競争」や「殺人ゲーム」の嚆矢ともいうべき記事である。
非常に残念なことに、日本の新聞には、一世紀に近い、この種の記事を創作する伝統があると見なければならない。
この記事は1877年だからである。
もちろん残虐記事は前述のようにこれだけでなく、「官軍の戦死者の陰茎を切ってその口にくわえさす」「強姦輪婬言語外の振舞」等様々の趣向をこらして創作しているのは、うんざりする。
言うまでもないが、このような形で西郷軍を臨在感的に把握し、その把握を絶対化すれば、西郷軍は「カドミウム金属棒」すなわち、即座に身をひるがえしてそれから去るべき、神格化された「悪」そのもの、いわば「悪の権化」になってしまう。
従って、当初は西郷側に同情的だったものも、また政府と西郷の間を調停してすみやかに停戦して無駄な流血をやめよと主張したものも、その上で西郷と大久保を法廷に呼び出して理非曲直を明らかにせよと上申していた者も、すべて「もう、そういうことの言える空気ではない」状態になってしまう。
というより、おそらく、そういう空気を醸成すべく政府から示唆された者の計画的キャンペーンであったろう。
一方これの対極は、いうまでもなく神格化された「善」そのもの、「仁愛」の極である天皇と官軍である。
そしてそれへの臨在感的把握を絶対化するためしばしば大きく紙面に登場するのが博愛社である。
次にその一部を引用するから、前述の「賊軍残虐人間記事」と対比して読んでほしい。
〈一旦頓挫したる博愛社愈々設立さる――佐野常民大給恒の主唱――〉
〔六・二七 郵便報知〕……聖上至仁大ニ宸襟ヲ悩シ玉ヒ、屡々慰問ノ便ヲ差セラレ、皇后宮亦厚ク賜フ所アリタル由、臣子タル者感泣ノ外ナク候、就ハ私共此際ニ臨ミ……不才ヲ顧ミズー社ヲ結ビテ、博愛ト名ケ、……社員ヲ戦地ニ差シ、……官兵ノ傷者ヲ救済致シ度志願ニ有之候、且又暴徒ノ死傷ハ、官兵ニ倍スルノミナラズ、救護ノ方法モ不相整ハ言ヲ俟タズ、往々傷者ヲ山野ニ委シ、雨露ニ暴シテ収ムル能ハザル哉ノ由、此ノ如キ、大義ヲ誤リ、王師ニ敵スト雖モ、亦皇国ノ人民タリ、皇家ノ赤子タリ、負傷座シテ死ヲ待ツ者モ捨テ顧ミザルハ人情ノ忍ビザル所ニ付、是亦タ収養救治致シ度……朝廷寛仁ノ御趣意、内外ニ……。
こういう形で、官軍を臨在感的に把握しそれを絶対化する。
すると人びとは、逆にこの神格化される対象に支配されてしまい、ここに、両端の両極よりする二方向の「空気」の支配ができあがるのである。
こうなると、人びとはもう動きがとれない。
そして全く同じ図式は日中国交回復のときにもつくられた。
今から三十年ぐらいたてば、日中国交回復の方法に、さまざまな批判が出るであろう。
もちろん、何事であれ、後代の批判を免れることはできないから、それはそれでよい。
ただそのときの田中元首相の言葉はおそらく「あのブーム時の空気では、ああするよりほかはなかった」「あの当時の空気を思い起すと、あれでよかったのだと当時も今もそう思っている」「当時の空気を知らない史家や外交評論家の意見には、一切答えないことにしている」という「戦艦大和出撃批判への関係者の答弁」と同じことになるであろう。
さてここで、空気支配のもう一つの原則が明らかになったはずである。
それは「対立概念で対象を把握すること」を排除することである。
対立概念で対象を把握すれば、たとえそれが臨在感的把握であっても、絶対化し得ないから、対象に支配されることはありえない。それを排除しなければ、空気で人びとを支配することは不可能だからである。
この言い方も抽象的だから、具体的な例をあげよう。
たとえば、一人の人を、「善悪という対立概念」で把握するということと、人間を善玉・悪玉に分け、ある人間には「自己のうちなる善という概念」を乗り移らせてこれを「善」と把握し、別の人間には「自己の内なる悪」という概念を乗り移らせてこれを「悪」と把握することとは、一見似ているように見えるが、全く別の把握の仕方である。
たとえ両者とも臨在感的な把握であっても、一方は、官軍・賊軍”ともに”、善悪という対立概念で把握し、他方は、官軍は善、賊軍は悪と把握していれば、この両者の把握が全く違った形になるのは当然であろう。
従って、「善悪という概念をもっているから、世界いずれの民族でも、対象を善悪で把握する点では同じだ。ただ善悪の基準が違うだけだ」ということにはならない。
ここにも、明治的誤解が未だにそのまま残っている。
前者はすなわち「善悪という対立概念」による対象把握は、自己の把握を絶対化し得ないから、対象に支配されること、すなわち空気に支配されることはない。
後者は、一方への善という把握ともう一方へのその対極である悪という把握がともに絶対化されるから、両極への把握の絶対化によって逆に自己を二方向から規定され、それによって完全に支配されて、身動きができなくなるのである。
言いかえれば、双方を「善悪という対立概念」で把握せずに、一方を善、一方を悪、と規定すれば、その規定によって自己が拘束され、身動きできなくなる。
さらに、マスコミ等でこの規定を拡大して全員を拘束すれば、それは、支配と同じ結果になる。
すなわち完全なる空気の支配になってしまうのである。
さらにこれが、三方向・四方向となると(日中国交回復のときは、大体、四方向の対象の臨在感的把握の絶対化に基づく四方向支配と私は考えている)もうだれも、その「空気支配」に抵抗できなくなるのである。
さて、ここで問題克服の要点は二つに要約されたと思われる。
すなわち一つは、臨在感を歴史観的に把握しなおすこと、もう一つは、対立概念による対象把握の二つである。
それについては次章でのべることにしよう。
(次回へ続く)
【引用元:「空気」の研究/P45~】
西南戦争が「
百人斬り」報道の”嚆矢”だったことを、本書を読んで初めて知ったわけですが、どうも日本人というのは「善悪」のフィルターを通してしか、対象を把握できない傾向が強いように思います。
AとBという対立する存在を見るとき、なぜかAかBかの立場に自らを同化させずにはいられない傾向が強い。
第三者的・傍観的立場を許容しない空気があるような気がするのです。
勿論、一見、喧嘩両成敗的に捉える場合もありますが、それですら「客観的」という立場を装ってどちらかに肩入れしているのがほとんどではないでしょうか(かく云う自分もその傾向が間違いなくある)。
善悪で物事を捉えるのは、日本人に限ったことではないのですが、なぜ日本人にその傾向が強いのかといえば、あまりにも「情緒的過ぎる」からでしょうか。
いついかなる時でも、人間教の「人として」という”絶対基準”を基に判断してしまうから、善悪の色を付けずに見る事が出来ない。そして色を付けた途端「絶対化」してしまう。
Aという対象を「善」と捉えてしまえば、たとえそのAに「非」があっても簡単に黙過してしまい、対立する対象Bに「是」があってもなかなか認められない(自分もこの気はあるなぁ…)。
要するに「是々非々」という立場を貫くことが難しいんです。
是々非々という立場を取れるようになるためには、善悪というフィルターを外し、相対評価に徹する必要があるのではないでしょうか。
空気支配の原則として「対立概念で対象を把握する事を排除する事」を、
山本七平が挙げていましたが、要するに何事も「相対的に」物事を見る事が出来ないと、空気の支配を受けやすい、という事でしょう。
私は現時点では「原発推進派」に属していますが、他のエネルギー手段と比べてマシだからという「相対的」な理由で賛成しているんですが、対立する側の反原発派を観察してると、どうも彼らは「絶対化」の権化なんですよね。とにかく「絶対」反対で一切の妥協が出来ない。だから、事実の認定すらマトモに出来ない状況に陥っている。
だから、議論も成り立たない。困ったものです。
さて、浅薄な感想はコレぐらいにしておきましょうか。
次回は、この続きを紹介して行く予定。ではまた。
【関連記事】
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前回の記事『
日本の言論空間を支配する「空気」について【その2】~日本人の親切とは~』の続き。
前回は「感情移入の絶対化」が「対象の物神化」を招き、その結果逆に「対象に支配されてしまう」処まで説明がありました。
今回はなぜ日本人が「対象に支配され易い」のか、その背景について書かれた処をご紹介したいと思います。
(前回の続き)
ここに臨在感的把握という伝統を無視した明治以来の誤れる啓蒙主義的行き方の結果があると思うが、以上のような言い方はあまりに抽象的で意をつくさないうえ、私は元来、こういう言い方は奸まないから、重複するが、次に例をあげて説明しよう。
以上の関係が最も明確に出るのは対象が物質の場合だから(いわば、感情移入による臨在感的把握の絶対化が、相互に起らない、すなわちお互いに感情移入をしあわないから)、前述の骨とカドミウム金属棒を例にとろう。
日本人が、人骨に何かが臨在すると感じ、その感じが知らず知らずのうちに絶対化されて、その結果、逆に人骨に心理的に支配されて、病的状態になる。
この原因は、おそらく、村松剛氏が『死の日本文学史』で指摘しているような伝統に基づく、歴史的所産であろう。
すなわち、人の霊はその遺体・遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるという記紀万葉以来の伝統的な世界観に基づいている。
こういう伝統は西欧にはない。
ギリシャ人は肉体を牢獄と見、そこに「霊」がとじこめられており、死は、この霊の牢獄からの解放であり、解放された霊は天界の霊界の中にのぼって行ってしまうと考えた。
そして残った「牢獄」は物質にすぎない。
その牢獄のまわりを霊がうろうろしていることはない。
ヘブライ人の見方はこれと違い、こういう見方に非常に懐疑的な一面があったことは、旧約聖書のコーヘレスの書の「人の霊が天に昇るなどというが、そんなことはだれに証明できよう」といった意味の言葉にも表われている。
とはいえ、ヨセフスの『ユダヤ戦記』は、最も伝統的と自己規定したエッセネ派の考え方が、ギリシャ人と極めてよく似た考え方であったことを記している。
従って両者の差は、別の研究課題であるが、しかし、少なくとも両者には共に、人骨に何かが臨在すると見る伝統はない。
ただこういう伝統は、日本であれ西欧であれ地下水の如くに絶えまなく執拗に流れつづけているにしろ、その存在の証明は、村松氏の著作のような膨大な文猷による裏付けを必要とする。
この点、カドミウム金属棒は、それへの臨在感的把握の絶対化、その絶対化に基づく、金属棒による被支配と、それに至る歴史的過程が非常に明確にきわめて短期間に出ているから、長い歴史に基づきかつ表面に表われにくい人骨よりわかりやすい。
もっとも、わかりやすいということは、その醸成の歴史的過程がすぐわかるからだが、しかし反面その「空気」は簡単に雲散霧消してしまうので、別な面で、すぐわからなくなるという欠陥がある。
いずれにせよ、イタイイタイ病発生以前に、カドミウム金属棒を見て記者がのけぞることも、逃げ出すことも、またそれに対して金属棒をナメて見せる必要も、絶対にありえないであろう。
従ってこの歴史は人骨と比べるときわめて新しくかつ短い。
文明開化の明治以降の出来事なのである。
カドミウム鉱山は世界に数多いが、イタイイタイ病が存在するのは神通川流域だけだそうである(もっとも、私自身それを調べたのではないから確認はできないが)。
もちろんカドミウム金属棒は、普通の金属棒であって、それから何かが発散しているわけではない、遺跡の人骨という物質と同じである。
こんなことは、小学生にもわかる科学的常識であろう。
従っていま、イ病について何も知らず「科学的常識」しか持たぬ外国人と、前述の日本人記者とが、同席で「あの本の持参者である某氏」と記者会見したとする。
カドミウム金属棒が出される。
これはだれにとっても同じ物質すなわち「金属棒」にすぎない。
それは人骨が、だれにとっても同じ「物質」にすぎないのと同じである。
ところが日本人記者団はのけぞって逃げ出した。
何でもありませんと言って某氏はペロリと金属棒をナメた。
この状態は、そこに同席した外国人記者団にとって、全く理解できない状態であろう。
そしてもしこの金属棒を、発刑場の人骨のように、毎日毎日運搬させたら、日本人記者団の方はおそらく熱を出し、外国人の方は平然としているであろう。
この状態の差は、言うまでもなくその時点までの「イ病史」という「写真と言葉で記された描写の集積の歴史」の所産である。
もちろんそのことは、その歴史の内容の価値とは関係ない。
記者たちは、イ病の悲惨な状態を臨在感的に捉え、そう捉えることによって、この悲惨をカドミウム金具棒に「乗り移らせ」(すなわち感情移入し)、乗り移らせたことによって、その金属棒という物質の背後に悲惨を臨在させ、その臨在感的把握を絶対化することによって、その金属棒に逆に支配されたわけである。
絶対化されているから、この際、自分と同じ人間がその金属棒を平然と手にしていることは忘れられる。
これは人骨処理でも同じである。
従ってこの図式を悪用すれば、カドミウム金属棒を手にすることによって、一群の人間を支配することが可能になるのである。
言うまでもなくこれが物神化であり、それを利用した偶像による支配であるが、明治以来の啓蒙され”科学化”された現代人は、これを「カドミウム金属棒の振りまく」「その場の空気」に支配されて、思わずのけぞったり逃げ出したりした、と表現するわけである。
もちろんカドミウム金属棒はその一例にすぎず、対象は前述した自動車でも、またその他のどんな物質でも可能であり、昔の人の表現を借りれば、「イワシの頭」で十分なのである。
神という概念は、元来は「恐れ」の対象であった。
多くの神社は、悲惨を体現した対象がその悲惨を世にふりまかないように、その象徴的物質を御神体として祭ってなだめている。
従って、カドミウム金属棒を御神体とする「カドミ神社」の存立は可能である、というよりむしろ、ある「場」にはすでに存立したのであり、昭和の福沢諭吉は、それが御神体ではありえないことを証明するため、ナメてみせたわけである。
そして、この物神化と、イタイイタイ病の科学的究明および「究明史」とは全く無関係なのである。
この「無関係」の意味は、たとえ両者が医学的に関係があっても「無関係」の意味である。
そしてこれを無関係と断じ、人類が偶像支配から独立するため、実に長い苦闘の歴史があり、多くの血が流されたわけであった。
それは、臨在感的把握の絶対化によってその対象を物神化し、それによってその対象に支配される者、いわば「カドミウム金属棒の発する空気に支配される者」を異端と宣告し、それは、「カドミウム公害究明史」とその成果に関係なきものとして排除することによって、はじめて成り立つものであった。
そしてそれは、われわれにとって実にわかりにくい、初代キリスト教徒の正統・異端論争の背後にある問題である。
いわば、カドミウム公害と最も熱心に取りくみ、その悲惨を知りつくしている(乃至は知りつくしていると自認している)がゆえに、その金属棒に、その「究明という自己の歴史」の歴史的所産として、対象を、その悲惨の臨在感的把捉でしか捉え得なくなった者、従ってその把握を絶対化せざるを得なくなったもの、いわば「最もまじめで、熱心で、真剣なもの」、当時の状態で表現すれば、その物神への信仰の最も篤きものを、その物神をたとえキリストと呼んでも、逆に、異端として断罪し、排除するという結果になったからである。
だがそれをしなければ、しなかったものは、物神の支配すなわち空気の支配から逃れることは、永久にできない。
だがこの問題は後にゆずるとして、上記のような空気支配が、どのような形をとると完成するかを記すことにしよう。
(次回へ続く)
【引用元:「空気」の研究】
キリスト教などの一神教であれば「ものさし」は一つなので、物神化された存在(新たなものさし)が出現すれば、その真贋を見極めようとする「意識」を否が応でも持つのでしょうが、多神教の世界では、その「意識」そのもの自体を持つのさえ難しいのかもしれません。
八百万の神をいただく我々日本人が、かつてカドミウムを物神化し、今現在は「放射能を物神化」することに何ら抵抗を持たないのは仕方ないのかもしれませんが、容易く物神化してしまうが故に、それが発する「空気」に拘束されてしまうことにもなることは問題とすべきではないでしょうか。
放射能を、3・11以後、急速に勢力を増大した「物神」と考えれば、それに拘束された”
放射脳”の言動が理解できます。
彼らにとっては、放射能という荒ぶる”タタリ神”を鎮める為ならば、福島や被災地など切り捨てても仕方がないどころか、当然なのでしょう。
彼らの主張は、一見「科学的」な主張であるように装っていますが、科学的見地から検証すれば”
放射脳”の主張はケガレを祓う「お清め」程度の意味しか持っていません。
科学的な装いをまとっているだけであって、科学ではないのです。
こうした「症状」から脱却するためには、やはり「感情移入の絶対化」の弊害に気付く必要があると思う次第。
それに気付くためにも、日本人が常日頃、行動規範として無意識にしたがっている「人間」という尺度を極力排していくべきでしょう。
”
放射脳”達は常に「人として許せない」「人でなし」「人間のやることではない」という”価値観”を論争に持ち込みます。
それで相手の口をふさぐ事は出来るかもしれないが、問題が解決するわけではないのに…。
善意であろうが悪意であろうが、根本の「対策」を誤れば人は死ぬのです。
エネルギー問題などはその典型。
一見「人でなし」に見える行為が結果的に人の役に立ったり、「思いやった」行為が逆に仇になったりすることは、身の回りでもザラにあることですが、なぜかエネルギー問題のようなマクロな問題を考える際、そうした”パラドックス”に気付けなくなってしまう。
それはやはり「人として」価値観を無節操に持ち込み、感情移入を絶対化してしまうから…としか思えない。
この弊害に気付かない限り、日本人は
太平洋戦争のような愚をまた繰り返してしまうことでしょう。
戦前の轍を踏まないためには、我々は、ある程度「人でなし」になる必要があるのかもしれません。
さて、次回は
西南戦争を素材に、空気の支配がどのように醸成されていったのかについて、
山本七平の分析をご紹介する予定です。ではまた。
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すっかり更新サボり癖がついてしまいました。
年内に何とか更新せねば…という思いで、手抜き気味ながら本年最後の記事をUPします。
前回の記事『
日本の言論空間を支配する「空気」について【その1】~臨在感的把握が「空気」の基本型~』の続き。
(前回の続き~)
臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。
感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。
従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。
聖書学者の塚本虎ニ先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。
氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。
そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。
私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を思い出した。
それは、若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。
これはヒヨコにお湯をのますのと全く同じ行き方であり、両方とも、全くの善意に基づく親切なのである。
よく「善意が通らない」「善意が通らない社会は悪い」といった発言が新聞の投書などにあるが、こういう善意が通ったら、それこそ命がいくつあっても足りない。
従って、「こんな善意は通らない方がよい」といえば、おそらくその反論は「善意で懐炉を入れても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」ということになるであろう。
だが、この場合、善意・悪意は実は関係のないこと、悪意でも同じ関係は成立つのだから。
また、ヒヨコにお湯をのませたり、保育器に懐炉を入れたりするのは”科学的啓蒙”が足りないという主張も愚論、問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのかにある。
というのは、ヒヨコにお湯をのまし、保育器に懐炉を入れるのは完全な感情移入であり、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態だからである。
そしてそういう状態になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在感的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。
この現象は、簡単にいえば「乗り移る」または「乗り移らす」という現象である。
ヒヨコに、自分が乗り移るか、あるいは第三者を乗り移らすのである。
すなわち、「自分は寒中に冷水をのむのはいやだし、寒中に人に冷水をのますような冷たい仕打ちは絶対にしない親切な人間である」がゆえに、自分もしくはその第三者を、ヒヨコに乗り移らせ、その乗り移った自分もしくは第三者にお湯をのませているわけである。
そしてこの現象は社会の至る所にある。
教育ママは「学歴なきがゆえに……」と見た夫を子供に乗り移らせ、子供というヒヨコの口に「教育的配合飼料」をむりやりつめこみ、学校という保育器に懐炉を入れに行く。
そして、それで何か事故が起れば「善意から懐炉を入れたのだ、それが事故を起すような、そんな善意の通らない『保育器=社会や学校制度』が悪い」ということになる。
そしてそういわれれば、だれも一言もない。
一体、臨在感的把握は何によって生ずるのであろうか。
一口にいえば臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。
そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。
【引用元:「空気」の研究】
「空気」がどのようなメカニズムを経て醸成されるのかを、実に判り易く解説している
山本七平の筆力には改めて驚かされます。
3.11以降の日本の
反原発運動を眺めていると、上記の図式がそのまま当てはまりますね。
最近、とみに思うのは「善意」の恐ろしさ。
反原発派の疑いなき「善意」ほど、恐ろしいものはありません。
こうした「善意」に対抗する為には悪役にならねばならないのがツライ。
本来ならば政治家が責任を持ってヒール役を演じなければいけないのですが、民意に迎合するのが政治家ですからなかなか難しい。
残念ながら、選挙互助会的傾向が強い民主党政権にそれを求めるのは無理でしょうね。
ますます日本が沈没していく…orz。
それはさておき、
反原発派の頑なな態度というのは、「物神化」した放射能に支配されていると考えれば、すんなりと納得行きますよね。
如何に日本人がこの図式に捉われて行動しているか。
それをまず意識して把握しないことには、この図式から脱却できない。
そのためのキーになるのが本書だと思っています。
そのためにも、この次も紹介していく予定。
来年はもう少し、頻繁に更新したいと考えてますので、今後とも宜しくどうぞ。
それでは皆様、どうか良いお年をお迎えください。
ではまた。
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だいぶ更新が滞ってしまいました…orz。
それはさておき先日、職場の先輩から「
山本七平の「空気の研究」持ってる?持ってたら貸して」と言われて、久しぶりに本書を手に取ったのですが、今、読み直して見ると現在の日本の言論空間を支配している「空気」について解説しているのではないか…と錯覚するほど鋭い分析がなされていて、改めて
山本七平の凄さを再認識した次第です。
昔、読んだ時にはいまいちピンと来なかったのですが、科学的知見が素直に受け入れられない今の日本の世論状況を見、なぜそのような状況になってしまっているのかについて、その答えを本書の中に見出すことができると私は思っています。
そこで、今回より何回かに分けて、「空気の研究」の記述をご紹介していこうと思います。
■三
一体「空気」とは何か。
これを調べるための最もよい方法は、単純な「空気発生状態」を調べ、まずその基本的図式を描いてみることであろう。
以下は大変に興味深い一例なので、『比較文化論の試み』でも取り上げたが、もう一度ここで取り上げさせていただく。
大畠清教授が、ある宗教学専門雑誌に、面白い随想を書いておられる。
イスラエルで、ある遺跡を発掘していたとき、古代の墓地が出てきた。人骨・されこうべがざらざらと出てくる。
こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶことになった。
それが約一週間ほどつづくと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人二名の方は少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。
ところが、この人骨投棄が終ると二人ともケロリとなおってしまった。
この二人に必要だったことは、どうやら「おはらい」だったらしい。
実をいうと二人ともクリスチャンであったのだが――またユダヤ人の方は、終始、何の影響も受けたとは見られなかった、という随想である。
骨は元来は物質である。
この物質が放射能のような形で人間に対して何らかの影響を与えるなら、それが日本人にだけ影響を与えるとは考えられない。
従ってこの影響は非物質的なもので、人骨・されこうべという物質が日本人には何らかの心理的影響を与え、その影響は身体的に病状として表われるほど強かったが、一方ユダヤ人には、何らの心理的影響も与えなかった、と見るべきである。
おそらくこれが「空気の基本型」である。
といえば不思議に思われる向きもあるかもしれないが、われわれが俗にいう「空気」とこの「空気の基本型」との差は、後述するように、その醸成の過程の単純さ複雑さの違いにすぎないのである。
従って、この状態をごく普通の形で記すと、「二人は墓地発掘の『現場の空気』に耐えられず、ついに半病人になって、休まざるを得なくなった」という形になっても不思議ではない。
物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態、この状態の指摘とそれへの抵抗は、『福翁自伝』にもでてくる。
しかし彼は、否彼のみならず明治の啓蒙家たちは、
「石ころは物質にすぎない。この物質を拝むことは迷信であり、野蛮である。文明開化の科学的態度とはそれを否定棄却すること、そのため啓蒙的科学的教育をすべきだ、そしてそれで十分だ」
と考えても、
「日本人が、なぜ、物質の背後に何かが臨在すると考えるのか、またなぜ何か臨在すると感じて身体的影響を受けるほど強くその影響を受けるのか。まずそれを解明すべきだ」
とは考えなかった。
まして、彼の目から見れば、開化もせず科学的でもなかったであろう”野蛮”な民族――たとえばセム族――の中に、臨在感を徹底的に拒否し罪悪視する民族がなぜ存在するのか、といった点は、はじめから見逃していた。
無理もない。
彼にとっては、西欧化的啓蒙がすべてであり、彼のみでなく明治のすべてに、先進国学習はあっても、「探究」の余裕はなかったのである。
従ってこの態度は、啓蒙的といえるが、科学的とは言いがたい。
従ってその後の人びとは、何らかの臨在を感じても、感じたといえば「頭が古い」ことになるから感じても感じていないことにし、感じないふりをすることを科学的と考えて現在に至っている。
このことは超能力ブームのときに、非常に面白い形で出てきた。
私かある雑誌に「いわゆる超能力は存在しない」と記したところ、「お前がそんな科学盲従の男とは思わなかった」といった投書がきた。
超能力なるものをたとえ感じても感じていないことにすること、いわば「福沢的啓蒙主義」をこの人は科学と考え、この啓蒙主義への盲従を科学への盲従と考え、それに反発しているのである。
従って多くの人のいう科学とは、実は、明治的啓蒙主義のことなのである。
しかし啓蒙主義とは、一定の水準に”民度”を高めるという受験勉強型速成教育主義で、「かく考えるべし」の強制であっても、探究解明による超克ではない。
従って、否定されたものは逆に根強く潜在してしまう。
そのため、現在もなお、潜在する無言の臨在感に最終的決定権を奪われながら、どうもできないのである。
ではここで、上記を証明するに足る、まことに現代的な臨在感支配の一例を記そう。
考えてみれば三年前のことである。
何やらややこしい紹介経路を経て、ある人と会うことになった。
用件はよくわからないが、なんでもこの広い日本で、もう私以外に話す相手はなくなったと、その人は思い込んでいるのだそうである。
私に会って話したって、別に、何かが解決することはあり得ないが、面会を拒否する理由は全くないから、会った。
その人は私に一冊の相当に部厚い本を差し出して言った。
「いまの時点で、このことはこのように、はっきりわかっています。そしてわかっていたことを、後日の証拠とするため、これをお預かりいただきたい」と。
開いてみると、イタイイタイ病はカドミウムに関係ないと、克明に証明した専門書である。
だが私は専門家でないから、内容は、批判どころか十分に理解することもできない。
理解すらできないものを私は何とも評価できない。
従って私が預かっても無意昧だし、第一、本を出版せずに預けておくという態度に驚いた。
そこで言った。
「発表すりゃ、いいじゃないですか」
彼は言った。
「到底、到底、いまの空気では、こんなものを発表すればマスコミに叩かれるだけ、もう厚生大臣にも認定されましたし、裁判も負けましたし、この時点でこれを発表すれば、『居直り』などといわれて、会社はますます不利になるだけです。
従って、せっかく出来たのですが、トップの決断で全部廃棄することになりました。
しかしあまりに残念です。
今の時点で、すでに事実はこれだけ明らかなのだということを、後日の証拠に、どなたかに一部だけお預けしたいと、私は個人としてはそう思っていたのですが……『文春』を拝読しまして、これは山本さん以外にはいないと思い……」
「ヘエー、だけどネ、私はおしゃべりだから、見知らぬ人から預かったことも、この内容も、平気で書くかも知れませんよ」
「どうぞ、それは一向にかまいません……」
「では、あなたが発表すればよいでしょう」
「いえ、いえ、到底、到底。いまでは社内の空気も社外の空気も、とても、とても……第一トップが、『いまの空気では破棄せざるを得ない』と申しまして回収するような有様で……(「破棄」を「出撃」と変えれば、戦艦大和出撃時の空気と同じだ)。
無理もありません。
何しろ新聞記者がたくさん参りまして『カドミウムとはどんなものだ』と申しますので、『これだ』といって金属棒を握って差し出しますと、ワッといってのけぞって逃げ出す始末。
カドミウムの金属棒は、握ろうとナメようと、もちろん何でもございませんよ。私はナメて見せましたよ。無知と言いますか、何といいますか……」
「アハハハ……そりゃ面白い、だがそれは無知じゃない。
典型的な臨在感的把握だ、それが空気だな」
「あの、リンザイカンテキ、と申しますと……」
「そりゃちょっと研究中でネ」
といったような妙な問答となった。
記者を無知だといったこの人でも、人骨がざらざら出てくれば、やはり熱を出すであろう。
彼はカドミウム金属棒に、何らかの感情移入を行なっていないから、その背後に何かが臨在するという感じは全く抱かないが、イタイイタイ病を取材してその悲惨な病状を目撃した記者は、その金属棒ヘ一種の感情移入を行ない、それによって、何かが臨在すると感じただけである。
この人は、すべての日本人と同じように、福沢諭吉的伝統の教育を受けたので、諭吉がお札を踏んだように、”無知”な新聞記者を教育しその蒙を啓くため、カドミウム金属棒をナメて見せたわけである。
ナメて見せることは、たしかに啓蒙的ではあって、のけぞって「ムチ打ち症」にならないためには、親切な処置かも知れぬが、この態度は科学的とはいいがたい。
というのは、それをしたところで、次から次へと出てくる何らかの”金属棒的存在”すなわち物質への同様の態度は消失しないからである。
一体なぜわれわれは、人骨、車、金属棒等に、また逆の形で戦艦大和といった物質・物体に、何らかの臨在感を感じ、それに支配されるのであろうか。
それを究明して、「空気の支配」を断ち切ることの方が、むしろ科学的であろう。
(次回へ続く)
【引用元:「空気」の研究/P32~】
なぜ「空気」が生まれ、それに我々がなぜ「拘束されてしまう」のか?
その負の影響を従軍体験を通じてイヤと言うほど味わった
山本七平だからこそ、本書「『空気』の研究」を世に出すことができたのではないでしょうか。
現実には「物質から何らかの心理的・宗教的影響をうけて」いるにも関わらず、それを「迷信」として頭ごなしに否定してしまった事が、逆に、この「空気の支配」から逃れられにくいものにしてしまった、という彼の指摘は実に鋭いと思わざるを得ません。
”明治的啓蒙”は、日本が先進国に追いつく為には役立ったのでしょうが、それで決して「空気の支配」から逃れた訳ではない。
それが「潜行」してしまったツケが昭和以降、敗戦となって表れた訳ですね。
そして、その症状は敗戦後にもう一度”アメリカ的啓蒙”を受けて更に酷くなってしまっている。
また、「かくあるべし」というだけの受験戦争型教育もそれに拍車を掛けている様に思います。
まずその「啓蒙」という弊害を意識することから始めなければ、到底「空気の支配」から脱却することは無理でしょう。
さて、次回は「日本人の親切」とは一体どんなものかについて書かれた記述部分を紹介していきたいと思います。
ではまた。
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テーマ:日本人論 - ジャンル:政治・経済