私はこの章を読んで、軍事占領とは如何なるものなのか、どのように行なわれたのか、という事を判り易く理解することができましたね。
ある異常体験者の偏見 (文春文庫)
(1988/08)
山本 七平
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■洗脳された日本原住民
前にのべたように、新憲法が発布されたとき、私は少しも違和感を感じなかった。
そしてこれは恐らく私だけではない。
その時代における総力をあげ、そのため長い間最低生活に甘んじ、それを当然と考える状態にあって作りあげた陸海軍は、実に無用の長物で、何の役にも立たず、ただ一方的に叩きつぶされたにすぎなかったという事実は、あまりに歴然としていた。
おそらく今ではこの言葉は極端な議論にきこえるであろう。
だがそれはその人が「緒戦の大勝利」という当時の新聞のまやかしや、新井宝雄氏(註)の「強大な武器をもった日本」などという虚構にひっかかっているからに過ぎない。
(註)…毎日新聞社編集委員。山本七平の論争相手。
「真珠湾政撃」は対等の「戦闘」ではなく、忍んでいって「寝首をかいた」という行動なのである。
軍港内に一列に並んで身動きもせずに昼寝をしていた戦艦の横っ腹に魚雷を命中さすぐらいのことは「アメリカ人なら子供でもできる。ホー、日本人はあれを一人前の兵士が行う戦闘行為と考えていたのか」という彼らの嘲笑には私は返す言葉もなかった。
寝首をかきに行くのにどれだけ苦労したか、などという自慢話は、それで勝ったのならまだしも、その上で惨敗したとあっては、日本以外には通用できる話ではない。
ミッドウェー以後の日米の本格的「対戦」となると、贔屓目に見れば五分五分もあるかも知れぬ。
しかしマリアナ海戦となると、まさにバルチック艦隊なみの完敗で、ただ一方的に叩きつぶされたにすぎない。
これに対して「パイロットの訓練不足」などという言いわけは意味をなさない。
こんな「言いわけ」は、事故を起した航空会社ですら、口がさけてもいわないはずで、軍隊にとってこの言葉は「弁解の余地はありません」というに等しいはずである。
そしてこの「一方的に叩きつぶされた」図式は陸軍にもそのままあてはまり、ただその現われ方が海軍より複雑だというにすぎず、それは中国戦線でも南方戦線でも、結局は同じことであったことは前述した。
何度も言ったが、日本という国は、島国という特質、食糧・燃料という資源、カッとなる傾向(これは射撃には全く不適)、軍隊が運用できない言語等々、あげれば全くきりがないが、そのすべては近代戦を行いえない体質にあり、そのことは太平洋戦争という高価な犠牲が百パーセント証明した――これが、当時のわれわれの実感だったはずである。
ところが今それを口にすると、新井宝雄氏によれば、そういう見方は「唯武器諭」的で、それは戦争に通ずる危険な考え方だという。
これはおそらく氏が昔の帝国軍人と同様「可能・不可能」を考える能力がなく、自分たちが置かれた位置に必然的に付随する「確定要素」を算出するという小学生にもできる算術ができず、近代戦における武器(これにはもちろん食糧も燃料も入る)を、日本が持てるという前提に立っていることを示している。
それが不可能だったということは、実に大きな犠牲を払って証明ずみで、その証明を本当に「見た」のなら、別の実感があるはずである。
そしてこの実感は、新憲法に違和感を感じさせず、また、たとえ憲法を改正してもこの客観的事実が変るわけではないのだから、生きて行くつもりなら、ここを起点として、全く別の道を模索せねばならないと思わせたはずである。
当時から約四分の一世紀、その間われわれは本当に何かを模索したのであろうか。
実は何もしなかった。
そしていかに何もしなかったかを明確に示しているのが「長沼判決(註1)」である。
(註1)…長沼事件:防衛庁(当時)が、国有保安林にミサイル基地を建設するため、当時の農林大臣が国有保安林の指定を解除を許可したことに対し、憲法9条があるのだから、そもそも「公益上の理由」などないとして、当該農林大臣に対して処分の取り消しを求める訴えを提起した事件。参照HP「日本国憲法の基礎知識/長沼事件」
なぜそうなったか。
われわれにとって新憲法が何であれ、マッカーサーにとっては「占領政策」の手段にすぎず、マック制を護持するための方便であり、占領統治・宣撫工作と新憲法とがからみ合ってしまったからであろう。
「憲法」はしばらく措く。
しかしマック制が、「押しつけられた占領政策」であることは否定できない。
そして彼のやったことは、日本軍がやったに「占領政策」と根本的には差はない。
これは「軍事占領」が生み出す一種の必然的な体制であろう。
この体制すなわちマック制が、宣撫工作に新憲法を悪用し「新憲法擁護」が、結局はマック制擁護の錦の御旗になり、その結果「新憲法」と「軍政・宣撫工作」という全く相いれないものの間で、人びとが一種の循環論理に落ちこんだこと、それが「新憲法」の最大の不幸であり、同時にそれは、われわれにとっても最大の不幸であろう。
従って今に至るまで、新憲法が、日本という国のもつ一種の「体質」の結果、必然的に生み出されたという当然の見方が全くないのも、あるいは不思議でないかも知れぬ。
(次回へ続く)
【引用元:ある異常体験者の偏見/洗脳された日本原住民/P220~】
真珠湾攻撃と言えば、強大な敵を討った緒戦の大勝利という見方で私も捉えていたので、「日本以外に通用する戦闘行為ではない」という山本七平の指摘には、ちょっとした自惚れに冷や水を掛けられたような気がしましたね。
あいにく太平洋戦史には詳しくないのでマリアナ海戦の内容など全然わからないのですが、山本七平の戦争三部作などを読んで判断するに、「一方的に叩き潰された」というのは、特に南方戦線の現場を経験した軍人ならば、心底身に沁みた「実感」だったのでしょう。
ところが、その「実感」は、戦後急速に薄れてしまいました。
なぜなのか?
その理由については、山本七平がこの後、詳述しています。
ただ、私なりに他に理由はないだろうか、と愚考してみますと、それはやはり日本の戦争というものが、主に海外で展開された事が影響しているのではないでしょうか。
唯一悲惨な地上戦を戦った沖縄の人々を除いた内地の日本人にとっては、ある意味、空襲も原爆投下も形を変えた「天災」のような感じだったのかも知れません。
そう考えると、日本が近代戦を行ない得ない「体質」であると本当に痛感した人びとは、悲惨な南方戦線で戦った軍人さんだけじゃないかという考えが、ふと頭をよぎるんですよね。
まぁ、これは推測にすぎませんけれども。
それはさておき、新憲法が日本軍事占領体制(マック制)の「宣撫工作」として使われた、との山本七平の指摘がありますが、上記引用を読んだだけでは、なかなかピンと理解するのは難しいかもしれません。
それについては、下記の関連記事↓でも触れられておりますので参考にしてください。
また、後ほどご紹介する記述でも明らかになっていきますのでどうぞお楽しみに。ではまた。
【関連記事】
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