以下ご紹介する
岸田秀の記述を、現在の菅内閣のていたらくを連想しながら読んでみてください。
こういう分析を読むと、日本的組織とは平時には有効だけれど、有事になればなるほど弊害が露わになってしまうのは宿命なのか…と思ってしまいます。
「下士官は優秀だが上司・リーダーが無能であった」という日本軍の問題は、ただ単に過去の問題ではなく今現在の問題であり、また、その問題の原因は個人にあるのではなく、組織そのものが含有する問題であると言えるでしょう。
(~前略)
日本的集団では、リーダーは下の者たちに推されてリーダーになるんで、下の者たちの自発的な支持と協力に支えられています。
だから、一方的に強制的な命令を下したりしない。
みんなの意見をよく聞く。
上下、心を一にしてというのが理想です。
しかし、近代的軍隊ではそうはゆかない。
上官は命令権を持ち、部下は服従しなければならない。
ヨーロッパでは昔から集団というものはそういうものだったから、そのままその組織原理で近代的軍隊をつくることに無理がなかった。
集団においていちばん問題になるのは、無能なリーダーをどのようにして排除するかということです。
日本的集団では、無能なリーダーぱ下の者たちの人望を失い、その支持と協力が得られなくなって、おのずと排除されるという形をとる。
ヨーロッパ的集団では、業績の評価に基づいて排除される。
日本には業績の評価に基づいて無能な者を排除するという伝統がもともとない。
無能だということで首になった大学教授は一人もいないし、日清日露以来、太平洋戦争に至るまで、日本軍の将軍で作戦指導のまずさをはっきりと糾弾され、何らかの不名誉な処遇をされた者は一人もいない。
乃木将軍なんか、あちらだったら、軍法会議ものです。
それが日本では神社に祀られる。
伝統というものは、たやすく変えられるものではありませんから、これはある意味では仕方がなかったかもしれません。
しかし、軍隊では部下が上官を忌避することはできませんから、ここに悲劇が起こったのです。
つまり、日本軍では、部下が上官の命令に服従するというヨーロッパ的組織原理を取り入れて、無能なリーダーを排除する日本的方法を塞ぎながら、業績の評価によって無能なリーダーを排除するヨーロッパ的方法は取り入れられなかったわけです。
日本軍においては、だから、無能な司令官や参謀が続出したのは必然的だったわけです。
インパール作戦の牟田口中将(wiki参照)なんかは、どなり散らすしか能がなく、無能で卑劣な将軍の最たる者でしたが、ああいう男が排除されず、ビルマ第十五軍の司令官として強大な権力を持ち、八万の日本軍兵士をムダ死にさせる結果になったところに、日本軍の構造的欠陥がはっきりと現われています。
日本的集団は軍隊向きじゃないんです。
もし牟田口が店員を五、六人使っている個人商店の跡取り息子で、親父が死んで牟田口商店を継いだとすれば、店員たちに馬鹿にされ、嫌われ、逃げ出されて、店はつぶれたでしょう。
あるいは、彼に妹がいたなら、その妹が有能な店員と結婚して、牟田口商店をやってゆくということになったでしょう。
商売の世界なら当然脱落する彼のような男を排除するシステムが日本軍にはなかったということです。
【引用元:日本人と日本病について/組織と共同体/P158~】
タテマエではヨーロッパ的組織原理に従いながら、現実には日本的行動原理に従って行動する。
その矛盾が有事になればなるほど露呈するような気がします。
この矛盾を克服し、整合性をはかるような日本独自の組織論を構築していかない限り、第ニ、第三の
菅直人・
牟田口廉也が今後も続出することは避けられないのではないでしょうか。
単に個人を批難して済む問題ではないと思うのです。
(だからといって、
菅直人を批難するなといっているわけではないのでその点誤解しないで下さいね。)
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だいぶ前になってしまいましたが、以前の記事『
アメリカが銃を捨てられない理由【その4】~日米の”パーセプション・ギャップ”がいびつな日米関係の一因~』の続き。今回が最終回です。
(前回の続き)
■アメリカの無自覚
他方、ペリーから現在に至るまでのアメリカの対日態度も、これまで見てきた通り、インディアン・コンプレックスのため狂っています。
インディアン・コンプレックスに引きずられて、アメリカは、現実の日本が見えず、日本に勝手なイメージを押しつけ、日本の反応を妄想的に解釈して客観的根拠のない不信や憎悪や差別を日本に向けてきました。
日本に対するアメリカの敵対行為の多くは、現実には必要のない、いわれのないものでした。
すでにどこかで言ったことがありますが、日本と戦争して、何百万かの日本人を殺して、日本を打ちのめして、アメリカの国益にとってどれほどのプラスでしたかね。
アメリカは、日本よりはるかに精神分析が発達しているのですから、ペリーの脅迫、排日移民法、ハル・ノート、本土空襲、原爆投下、占領、東京裁判などの一連の対日行動には、アメリカが信じている現実的根拠のほかに、アメリカとしてはあまり認めたくない無意識的動機はなかったかと自己分析してみてはどうでしょうか。
そして、悪かったと思えば、謝罪していただきたいと思います。
日本国民は、謝罪されれば、つけあがって補償を寄越せというようなことを言い出す国民ではなく、謝罪してくれたというだけで、アメリカを赦すでしょう。
少なくとも、原爆について謝罪されれば、日本は、将来もしかりに、その能力を獲得したとしても、アメリカに原爆を落としていいとする道義的根拠を失います。
そうなれば、現在はたぶん抑圧されて無意識のなかへ迫いやられていると思いますが、日本に対するアメリカの大きな不安の一つが解消するでしょう。
そうなれば、アメリカは無理して日本占領をつづける必要もなくなるのではないでしょうか。
アメリカがさらに強く無意識へと抑圧しているインディアン・コンプレックスを意識化し、分析し、克服し、そして、日本に謝罪し、日本が内的自己と外的自己との分裂を克服し、アメリカに謝罪したとき、相互理解にもとづいた、真の意味で友好的な日米関係が始まるでしょう。
それまでは、アメリカは日本人にインディアンの亡霊を見て、過敏な反応と的はずれの言動を繰り返し、日本は、隠された内的自己でアメリカを恨みながら、外的自己で愛想笑いをしてアメリカに屈従しつづけるでしょう。
真の友好的な日米関係をどう築くかの問題は、何かを輸出入するとかしないとかの小手先の問題ではなく、この関係の基本的な構造の問題です。
差し出がましいことを言わせてもらえば、インディアン・コンプレックスは、アメリカの対日関係だけでなく、他の国々との関係をも歪めています。
正直に言って、アメリカ国民は、世界で一番、憎まれ嫌われているだけでなく(日本も韓国あたりでは憎まれていますが)、世界で一番、テロで殺されている国民です。
テロリストが航空機を乗っ取って見せしめに誰かを殺すとき、一番さきに殺されるのはアメリカ人です。
インディアン・コンプレックスに引きずられたアメリカ人のある特殊な行動が、人々に憎しみを起こさせ、テロを招いていると、僕には見えます。
また、国内の犯罪の多発もこのコンプレックスと無関係ではないと思います。
このことはすでにほかのところで述べたことかあるので、簡単にすませますが、アメリカ国内では毎年一万数千人が銃で殺されているそうです。
それを防ぐには、個人の銃所持を禁止するしかないと思うのですが、それができないのは、銃でインディアンを大量に殺した過去の歴史を正当化しているからではないかというのが僕の考えです。
アメリカという国は、言わば銃でつくった国ですから、その点に関する正当化を分析し、克服することをしないで、銃を禁止すると、アメリカの存在根拠が崩れるのです。
したがって、このままではアメリカは、心理的に銃を禁止することができないのです。
したがって、インディアン・コンプレックスを克服することができれば、アメリカは、対日関係だけでなく、日本以外の国々との関係をもよい方向に改めることができ、アメリカ人が国際的にテロの対象になることも少なくなり、それと同時に、国内犯罪も減るのではないかと思います。
インディアン・コンプレックスを克服する方法は、幼児期のトラウマのために神経症になっている患者を治療する方法と同じです。
インディアンに関するすべての事実の隠蔽と歪曲と正当化をやめ、すべての事実を明るみに出し、それに直面し、それとアメリカの歴史、現在のアメリカの行動との関連を理解することです。
(第十一章 日本がアメリカを赦す日の章/終わり)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第十一章 日本がアメリカを赦す日/P216~】
ようやくタイトルの本題に入りましたね。
アメリカが銃社会である理由は、直接的には、自分の身を武装して守る権利が憲法で保証されているからなのでしょうけど、それが強固なのは建国の過程で、銃が使われて来た背景があるのは間違いないでしょう。
銃によって出来たという建国神話がアメリカ人のアイデンティティにも関係している以上、なかなか銃を手放すことが出来ないのは当たり前でしょうし、それを放棄させるとなれば、どうしても力ずくになるでしょうから、自分を守る権利を行使するのが、アメリカ人としては自動的に正しい在り方になってしまう。
岸田秀は、そこにインディアン・コンプレックスという抑圧された無意識の共同幻想があると考えた訳ですね。
そして、それを自覚することから始めないと、銃を手放すことが出来ないと考えた。
果たしてこの岸田秀の考え方は正しいのでしょうか?
私個人的には、少なくとも銃を手放せない理由としては、インディアン・コンプレックスなるものは影響しているのではないかと思っていますけど。
はてさて。
今回の紹介記事シリーズでは、いろいろとご批判も頂きましたが、岸田秀のこうした見方というのも、この問題を考える一助になるのではないかと思う次第。
ではまた。
【関連記事】
◆アメリカが銃を捨てられない理由【その1】~米国人の深層心理に潜む「インディアン・コンプレックス」~◆アメリカが銃を捨てられない理由【その2】~アメリカが二度も原爆を投下した「真の」理由とは~◆アメリカが銃を捨てられない理由【その3】~日本での「成功」とベトナムでの「失敗」~◆アメリカが銃を捨てられない理由【その4】~日米の”パーセプション・ギャップ”がいびつな日米関係の一因~FC2ブログランキングにコソーリと参加中!
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前回の記事『
アメリカが銃を捨てられない理由【その3】~日本での「成功」とベトナムでの「失敗」~』の続き。
(前回の続き)
■第十一章 日本がアメリカを赦す日
現在の日米関係がまともな関係でないことは誰の眼にも明らかです。
日米関係は、日本とアメリカが最初に接したとき、すなわち、ペリーが戦艦四隻を連れてきて脅迫し、日本に開国を強制したときから歪んでおりました。
無理やり港を開かされた日本を、僕は、言い方は下品ですが、これ以上にピッタリした表現が見つからないので、無理やり股を開かされた女にたとえております。
この事件についての日米のパーセプション・ギャップ、見方の違いが最初の日米対立です。
日本側の見方によれば、弱い日本が強いアメリカの脅迫に屈した屈辱的事件でありますが、アメリカ側の見方によれば、愚かにも鎖国していた野蛮な日本を開国へと導き、先進文明を教え、広い世界に目を開かせてやったわけで、日本に大いに感謝されてしかるべきことでした。
■ねじれと悪循環
僕は、初め、この事件の結果、日本はアメリカ(および、ヨーロッパ諸国)を憧憬し、崇拝する卑屈な外的自己と、アメリカ(および、ヨーロッパ諸国)を憎悪する誇大妄想的な内的自己とに分裂したと考えておりましたが、その後、このような分裂は、昔の日本建国の頃、すでに中国との関係で見られることに気づき、ペリー・ショックは、すでにあったこの分裂を激化させたに過ぎないと考え直しました。
ペリーが傲慢な脅追者だったとしても、もともと日本がこの分裂を抱えていなかったとすれば、すなわち、外的自己と内的自己を使い分けて危機に対処する伝統をもっていなかったとすれば、ペリー・ショックのために、その後の日米関係がこのようなこじれ歪んだいびつな関係になることはなかったかもしれません。
近代日本の病状はペリーだけのせいではないようです。
いずれにせよ、同じ事件を、日本はアメリカに屈辱を与えられたと見ており、アメリカは日本に恩恵を施したと思っているのだから、これほど大きなパーセプション・ギャップがあれば、日米がいつかそのうち必ず喧嘩することになるのは不可避だったと言えましょう。
そして、日本人の一部(外的自己)は、この事件をアメリカ人と同じように見ているのだから、この事件をめぐって日本はますますこんがらがるのでした。
日露戦争に勝った日本は、それまで隠していた内的自己を示し始めます。
このことについても日米の見方は対立します。
日本としては、ここでやっと、恐ろしいアメリカに迎合するために無理して見せていた外的自己をいささか引っ込め、いくらか内的自己を示して、傷つけられた誇りを回復しようとしただけなのですが、アメリカから見れば、日本は、われわれ(アメリカとイギリス)のおかけで勝たしてもらったくせに自分一人の力で勝ったつもりになって舞い上がり、いきなり大きな顔をし始めた、これまでの友好的な態度はわれわれを誑かすための偽りの仮面だったのだ、日本はそういうことをやる不誠実な国なのだ、日本を助けてやって裏切られた、ということになります。
恩を仇で返す日本は信用できないという見方が固定します。
何とかして、日本を叩き潰したくなります。
アメリカのこういう日本観は、現実の日本の客観的観察にもとづいてのみできたものではなく、アメリカの歴史の恥部であるインディアン虐殺の正当化によって歪められた見方でもあるというのが僕の説です。
僕がこれまで述べてきたことを要約すると、アメリカは日本人をインディアンと同一視しており、アメリカにとって、日本征服はインディアン征服の延長線上にありました。
日本征服、すなわち、日本を開国させ、アメリカ文化を受け入れさせ、アメリカの世界(野球の「ワールドシリーズ」という言い方からわかるように、アメリカ人にとっては、アメリカの世界は世界そのものです)に引き入れることに成功すれば、アメリカが、かつてインディアンをアメリカの世界に引き入れることに失敗し、虐殺せざるを得なかったのは、インディアンがその野蛮な文化に執着し、愚かにも、優れたアメリカ文化を拒否したからであって、悪いのは、インディアンであり、アメリカではないことが証明されるのです。
そのため、アメリカは、開国以来の日本を好意的に援助してきたつもりでした。
日本はそれに応えて友好的態度を示し、アメリカに感謝しているようでした。
ところが、日本の友好的態度は偽りの見せかけでした。
そこで、アメリカは大いに怒ったのです。
それが日本移民の制限、禁止となりました。
日本は、アメリカが怒っていることはわかりましたが、なぜ怒っているか、全然わかりませんでした。
アメリカに不利なことをしたつもりはないし、失礼を働いたつもりはないし、敵対したつもりもありませんでした。
日本に言わせれば、最初に日本を脅迫し、侮辱したのはアメリカであって、日本こそアメリカに腹を立てて当然であり、その日本がアメリカに怒られるいわれはないのでした。
そこで、アメリカはわけもなく不当に日本を差別していると思い、アメリカヘの憎しみをますます強めました。
このようにしておたがいの憎しみが憎しみを呼び、悪循環を起こし、ついには真珠湾奇襲となるわけです。
アメリカは、日本人をインディアンと同一視していることにも、日本への憎しみがインディアンがらみであることにも、もちろん、自覚はありませんでした。
ある客観的根拠があって日本を憎んでいるのであれば、その根拠が解消されれば、憎しみは消えますが、抑圧された無意識的コンプレックスに由来する憎しみは、そのコンプレックスを意識化しない限り、いつまでもつづきます。
日本としては、外的自己から内的自己への反転は、正当な理由のあることであって、それが、アメリカには、人を騙すために偽りの仮面をつけ、用が済んだら外す不誠実なふるまいと見えるとは気づいていませんでした。
■気分の反米
日米戦争は、ペリー来航のときに燻って陰に籠っていた日米の対立がついに爆発したものと考えられよすが、この戦争がアメリカの圧倒的勝利に終わった現在も、日米関係にかかかる困難な問題は、少しも解決されず、そのままつづいております。
すなわち、アメリカは、相変わらず、インディアン・コンプレックスに支配されて日本に対しており、日本も、相変わらず、外的自己と内的自己との分裂を抱えて、つねづねは内的自己を押し隠し、外的自己でアメリカに対しています。
日本にもアメリカにも関係のない第三者が見たら、日米関係は実に変てこなおかしい関係に見えるのではないでしょうか。
現実の諸条件にもとづいた正常な関係でないことは確かです。
おたがいの誤解にもとづいて辛うじてもっているような関係ですね。
アメリカの対日態度もそうですが、日本の対米態度も、過剰に怯えてみたり、無意味に悪口を言ってみたり、ちぐはぐで矛盾していて、何をどうしたいのか、まったくわかりません。
敗戦後の日本を振り返っても、どうしたかったのか、見えてこないですね。
アメリカに対する日本の態度はどうあるべきであるか、日本の国益のためにどういう選択肢があるか、などのことが客観的に真剣に議論されたり、一定の方針が打ち出されたりしたことがあったでしょうか。
日本政府はだいたいいつも親米の外的自己を代表していて、そのかたわらで、いろいろな人々、いろいろな団体が反米の内的自己をいろいろな形で散発的に発散してガス抜きをやっていましたかね。
アメリカでなく、ソ運を持ち上げるとか、中国を持ち上げるとか、北朝鮮を賛美するとか。
反米論はまさに気分的な反米論ばかりで、アメリカヘの依存を断ち切るための具体的方策をもっているわけでもなく、ソ運や中国や北朝鮮を持ち上げても、反米のジェスチャーに過ぎず、具体的に何かやろうというのではありませんでした。
六〇年の安保闘争のことは前に触れたけれど、たとえば、ベトナム反戦運動も、建て前は建て前として、気分的な反米運動でした。
べ平連の運動も、徴兵拒否の反戦アメリカ兵の逃亡を助けたりして、みんなでいい気分になりました。
感情論としてはわからないでもありません。
地下壕に潜むベトコンを硫黄島の日本兵と比べたり、病院に爆弾を落とす北爆を非難したりした新聞記事を読むと、北ベトナムとベトコンに肩入れしているみたいでしたが、だからといって、アメリカ軍に協力する政府を打倒しようというのではありませんでした。
国家としての日本はアメリカにどう対処すべきかということを考えたわけではありませんでした。
政府は政府で、アメリカに何も言わない。
当時のカナダの首相なんか、ジョンソン大統領に会って、ベトナム介入はアメリカのためにもやめたほうがいいんじゃないかと言っていますがね。
日本政府だって、アメリカが間違っていると確信をもっていたら、遠慮せずアドバイスしていいんですよね、いかがなものかと言って。
そのとき、アメリカは不機嫌な顔をするかもしれないけど、そのあと結局、アメリカは負けて逃げ出すというみじめな形でやめざるを得なくなったわけですから、あのときの日本のアドバイスは正しかったということになり、日本に敬意を払うようになったと思うけどね。
個人の付き合いの場合だって同じで、自分か間違ったことをしていても、尻尾を振ってついてくるだけの友人を誰がまともに扱うでしょうか。
日本の新聞は、気分的な反米といったところがあり、気楽に無責任に言わば内的自己を代表しているんですね。
そのほうが正義を気取れるし、読者に気に入られて新聞がよく売れるんでしょうな。
そういう点で、戦前の新聞と変わっていませんね。
当時の日本国民の内的自己は戦争に傾いていましたから、それに迎合して新聞は盛んに戦争を煽り立てていました。
さらに昔のことを言えば、万朝報は日露開戦に反対の論陣をはったために読者が減り、慌てて開戦論に転じたそうです。
売れないと困る新聞としては仕方がないかもしれませんが、それなら正義を気取るのだけはやめたほうがいいと思います。
あたかも、政府が外的自己、新聞が内的自己を話し合いの上、それぞれ分担して満足させているみたいですね。
少なくとも、外部からは、両者は、対立しているのではなく、もたれ合っているように見えるでしょうね。
日本の新聞の反米論調は、世間の反米気分のガス抜きでした。
新聞は政府・自民党の親米的な姿勢にずうっと批判的だったつもりでしょうが、それは、新聞側がそう思っているだけで、そういう批判が建設的な意味をもったことはありません。
ガス抜きであることがわかっているので、アメリカに対しても何の影響力もありませんでした。
新聞記者自身とか、一部の知識人が気分がよかっただけで。
彼らの自己満足ですよ。
同時に、日本の一般大衆に対しても説得力がなかったようですね。
だから、自民党は選挙では勝ちつづけたわけで。
国民は、対米追随の自民党を選挙では支持し、内的自己の反米気分を新聞と、それから、何でも反対の社会党で満足させていたわけです。
政府と新聞のように、自民党と社会党もしめし合わせて役割分担していたみたいでしたね。
実際にはしめし合わせてなんかいなかったでしょうが……。
こういうことでは、国として確固たる一貫した対米態度が取れるわけはなかったですね。
反米を言うのだったら、反米の論拠を検討し、対米従属の現在の日本の状態を少しでも改めるために、具体策として何かできるのか、アメリカとのこの緊密な関係のなかで、日本の国益を守る最善の手段とは何か、そういうことを考える方向に向かうべきだったと思いますが、そうはならず、反米のエネルギーを気分的に発散して無駄遣いしてしまいました。
このように日本は、主観的にはアメリカと良好な関係を維持してゆこうとしているのに、客観的には、親米派も反米派もともに、わざわざアメリカの軽蔑と不信を買うようなことばかりしてきたのでした。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第十一章 日本がアメリカを赦す日/P208~】
上記の
岸田秀の分析のように、日米のパーセプション・ギャップに注目しながら日米関係を捉えることが出来れば、今後の日本をどうすべきかという方針が定まると思うのですが、なかなか「日米関係の何が問題なのか」を把握するということは難しいものですね。
日本の言論界やネット世論を見ても、親米派も反米派も「自らの言動が外的自己や内的自己に基づいている」という自覚がないのが殆どではないでしょうか。
それさえ客観視して再認識できれば、分裂していた人格(外的自己・内的自己)が再統一され、誇大妄想でも自虐ない、傲慢でもなく卑屈でもない対応が初めて出来るようになる筈という
岸田秀の主張には頷かざるを得ません。
さて、次回の紹介が最後になりますが、ようやくアメリカが銃を捨てられない理由について述べた処をご紹介する予定です。
ではまた。
【関連記事】
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前回の記事『
アメリカが銃を捨てられない理由【その2】~アメリカが二度も原爆を投下した「真の」理由とは~』の続き。
(前回の続き)
■アメリカの盲点
ついでながら言えば、たびたび問題にする、敗戦後の日本に対するアメリカの特別な寛大さも、その逆である残忍さと同じく、インディアン虐殺と関係があるのではないかと、僕は考えています。
アメリカ人はインディアン虐殺を大体、次のように正当化しているようです。
「われわれだってインディアンを絶滅させるつもりはなかったのだ。
彼らをわれわれの文化、われわれの社会に受け入れ、われわれと仲良くともに生きてゆけるようにしようと最大限の努力はしたのだ。
たとえば、彼らの子供たちをわれわれの学校に入学させ、立派なアメリカ人に教育しようとした。
しかし、彼らは、その野蛮な文化に固執し、われわれの優れた文化を断じて受け付けなかった(これは必ずしも事実ではありません)。
われわれが彼らを拒否したのではなく、彼らがわれわれを拒否したのだ。
彼らは、自分たちが生きてゆける道を自ら閉ざしたのだ。
そこで、やむを得ず、われわれは、彼らが滅びてゆくのを手を拱いて眺めることになったのだ」、と。
アメリカ人は、日本人を、インディアンと同じように、徹底的に殺戮し、絶望的状態に追い込んだのだが、日本人がインディアンと違うところは、それにもめげず、絶望的状態から立ち直り、自ら進んで積極的にアメリカ文化を採り入れ、アメリカのような自由と民主主義の国になろうとしたことだと、アメリカ人には見えているようです。
つまり、敗戦後の日本の繁栄は、アメリカ人にとって、インディアン虐殺の正当化を支える、この上なく好都合な根拠なのです。
「日本を見よ!アメリカ人とインディアンとの物語は不幸な物語であったが、日本の例は、間違っていたのはアメリカ人ではなく、インディアンだったことを証明する。
インディアンと日本人に対するわれわれの政策は同じだったのに、インディアンはほとんど絶滅し、日本は繁栄している。
すなわち、インディアンだって、日本人と同じようにすれば繁栄できたはずなのだ。絶滅したのは、インディアンが悪いのだ。
われわれは、遅れた野蛮な文化を捨てようとしない者を罰しただけなのだ。それは神の正義のためだったのだ」と、アメリカ人は考えることができるわけです。
日本人の一部(自民党、通産省、外務省など)は、日本がアメリカ文化(政治思想なども含めて)を受け入れ、アメリカと似たような国になればなるほど、アメリカ人は日本に対して寛大になり、いろいろ便宜をはかつてくれ、気前よく肋けてくれることに気づき、実際はどうであれ、できるかぎり日本をそのようにアメリカ人に見せかけようと努めるようになりました。
この策はある程度、成功しました。
アメリカの寛大さに支えられた戦後の復興、さらに、一九六〇年代から八○年代までの高度経済成長は、その一例でしょう。
実際、アメリカは、テレビ、テープレコーダー、カメラ、オートバイ、自動車、半導体などに関して、自国の産業が壊滅寸前になるまで(壊滅したのもあります)、日本製品の輸入を野放しにしました。
日本の技術が遅れていたときは、特許だの、企業秘密だのと細かいことは言わないで工業技術もほとんど無制限と言っていいほど開放してくれました。
その点、アメリカ人は実に鷹揚でした。
アメリカ人が、日本人のこの策になかなか気づかなかったのは、どれほど工業技術を教えてやろうが、どうせ大したことができるわけはないと日本人を甘く見ていたためでもありますが、主たる理由は、以上説明したような、インディアン・コンプレックスとでも呼ぶべきものに囚われていたからです。
日本に対するアメリカの断固たる壊滅的攻撃、日本の敗北、日本占領、戦後の教育改革、政治改革などの一連の施策の結果としての今日の日本の繁栄という物語は、インディアン・コンプレックスに苦しむアメリカ人の精神安定のために必要だったのです。
それは、インディアンに対しては失敗した、アメリカ人の建国以来の夢、他民族に受け入れられるアメリカ文化の普遍性の夢がついに実現した物語でした。
日本人のためというより、アメリカ人自身のために、アメリカ人はこの物語が崩れるのが怖かったのです。
これは、さっきも問題にした、敗戦後の日本に対するアメリカの寛大さの理由の一つであったと思われます。
アメリカは、ドイツに対しても、第一次大戦後のドイツに対するイギリスやフランスと比べてはるかに寛大でしたが、日本に対する寛大さには、ドイツに対する寛大さにはなかったそのような理由もあったのではないかと思います。
横道に逸れますが、ついでに言っておくと、ベトナム戦争は、日本での成功に気をよくしたアメリカ人が柳の下の二匹目の泥鰌を求めて、この物語をベトナムでも再演しようとして戦った戦争でした。
植民地をつくる気はなく、ベトナムの領土が欲しいわけでも、ベトナム人を搾取して儲けるつもりもなかったのに、はるか彼方のアジアの小さな国に五十万以上の大軍を送り、ベトナムの地に足を踏み入れた兵士は計三百万人に及び、そのなかから六万近くの戦死者と三十万を超える負傷者を出し、千七百機の航空機(戦闘機と爆撃機)を撃墜され、千五百億ドルの戦費を費やし、アメリカ経済を疲弊させてまで十五年間も戦ったのは、そこにアメリカの夢がかかっていたからでした。
ベトナム戦争に敗北したときのアメリカのショックの深さは、アメリカ人にとってのこの夢の重要性を示しています。
この夢が破れれば、アメリカ人は、やはりインディアンを虐殺したのは間違いであったという事実を突きつけられるのです。
アメリカ人にとって、ベトナム人は、独自の文化を守ってアメリカ文化を拒否したにもかかわらず滅びないインディアンでした。
ベトナム人という名のこのインディアンの存在を容認できるのなら、なぜ、かつて、独自の文化を守ってアメリカ文化を拒否したインディアンの存在を容認してやれなかったのかと、アメリカ人の良心は疹くのです。
それを避けるためには、ベトナム戦争に勝たねばならなかったのでした。
ベトナム人をインディアンと同じ目に遭わせなければならなかったのでした。
なのに、負けたのです。
ベトナム戦争中、アメリカはなぜそんなにベトナムにこだわるのかと不思議がられて、ベトナムの共産化を許せば、ドミノ倒しのように周辺諸国も共産化するという、いわゆるドミノ理論を持ち出しましたが、このドミノ理論は、アメリカのこの不安が神経症的不安であったことを示しています。
たとえば、不潔恐怖症の患者は、身体の一部(手など)が汚れると、その汚れが全身に伝わるような不安に駆られて、血が滲むようになるまででも手を洗いつづけます。
アメリカは、不潔恐怖症患者が手の汚れにこだわるように、ベトナムの共産化にこだわったのです。
それが神経症的不安に過ぎなかったことは、ベトナムが共産化しても、周辺の諸国に関係なかったことが証明しています。
精神分析によれば、神経症的不安とは、抑圧された本来の現実的不安が置き換えられたもの(代理症状)なのですが、この場合、アメリカの抑圧された不安とは、インディアンにかかわる不安でなくて何でしょうか。
しかし、アメリカ人も馬鹿ではありません。
ついに、アメリカ人の一部が日本人のこの策に気づき、日本は自由主義、民主主義の国ではない、日本の資本主義はとこかおかしいと、日本を警戒し始めました。
いわゆるリヴィジョニストたちです。
このリヴィジョニストたちは、日本では、いたずらにジャパン・バッシングをやっていると見なされたようです。
確かに、彼らのなかには、日本が嫌いで嫌いで日本を貶めようとしているだけの人もいたようですが、彼らの多くは、これまでの日米の友好関係がアメリカの日本誤解にもとづいていることを指摘し、日本を正しく理解しようとしていたと考えることができます。
僕は、むしろ、彼らとの関係のなかにこそ、真の日米友好関係へと至る道があるのではないかと思っていますが、この問題はまたあとで取りあげます。
それにしても、正義という観念に関しては、日本とアメリカとは正反対の国ですね。
アメリカほど正義にこだわる国は他にないと思いますが、逆に、日本ほど正義にこだわらない国も珍しいんじやないですかね。
江戸時代の喧嘩両成敗の思想は、何はともあれ、喧嘩した双方のどちらの言い分か正しいかはいっさい問わないで、とにかく喧嘩した奴が悪いということですから。
「みなさんがそうおっしやるなら、そういうことにしましょう」で通る国ですから。
東京裁判で、悪人にされて裁かれるというこの上なく侮辱的なことをされて、そのこと自体をそれほど怒っているようでもなかったし(これは、すでに述べたように、ストックホルム症候群(註)の一つとも考えられますが)。
(註)…過去記事『「自己欺瞞」と「精神分裂病/ストックホルム症候群」』参照のこと。
当時の日本人は、東京裁判にアメリカ人が込めた悪意にあまり気づかず、どうしてアメリカ人はこんなことをやりたがるんだろうと、いささか不思議に思っていたようです。
しかし、アメリカ人には、そうせざるを得ない深い理由があったのです。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/東京裁判とアメリカの病気/P172~】
確かに日本の敗北とその後の繁栄というのは、自由民主主義という旗頭を掲げるアメリカにとっては非常に「都合が良い」ケースだったんでしょうね。
アメリカが現在に至るまで、自由民主主義を広めようとする「押し付けがましい動機」は、自らの建国精神に基づく自由民主主義こそ、至上の体制であるという確信があるからなのだろうな…と漠然と考えていましたが、
岸田秀の意見を読むと、むしろその「確信が無い」からこそ、押し付けてでもその正しさを証明したいという”反復強迫”に基づく動機があるからではないか…と思うようになりました。
確かにアメリカの「押し付けがましさ」というのは、自らの利益誘導という面もあるのでしょうが、抑圧されたインディアン・コンプレックスという一因にも多分に影響されているのかもしれません。
さて、
次回は、現在に至るまでなぜ日米関係がまともな関係にないのか?ということについて、
岸田秀の主張を紹介していく予定です。
ではまた。
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前回の記事『
アメリカが銃を捨てられない理由【その1】~米国人の深層心理に潜む「インディアン・コンプレックス」~』の続き。
(前回の続き)
■原爆投下の論理
たとえば、原爆投下を正当化する口実として、アメリカは、もし原爆を使用しなかったとすれば、日本を降伏させるために日本本土への上陸が必要であったであろう、本土決戦ともなれば、アメリカ兵の死傷者は百万人(五十万人と言われることもあります)を超えるかもしれない、そしてその十倍以上の日本人が死傷するであろう、したがって、原爆投下は、百万のアメリカ人とさらにその十倍の日本人の生命を救ったのだというようなことを言います。
この論理はどこかおかしくはないでしょうか。
本土決戦になれば、アメリカ人が百万人、日本人がその十倍以上死傷するという予測は、何の根拠もありませんが、ここは譲って、この予測は正しかったとしてみましょう。
この論理は、日本を完全に屈服させ、無条件降伏を承認させることを疑うべからざる当然の前提としています。
日本をそこまで追いつめるためには、原爆投下と、アメリカ人が百万人(そして日本人がその十倍)死傷する本土決戦との二つの手段があり、この二者択一では、原爆投下のほうが日本人にとっても被害が少ないであろうから、原爆投下を選ばざるを得ず、原爆投下はやむを得なかったという論理です。
しかし、当時の日本は、戦況は絶望的で、敗北が避けられないことは認識していたし、天皇の大権の保持などの条件が認められれば直ちに降伏したことは間違いないでしょう。
しかし、アメリカは、日本人がプライドの余地を残す条件降伏では満足できなかったのです。
すなわち、原爆投下は、アメリカ人が百万人(そして日本人がその十倍)死傷するのを防ぐためにやむを得なかったのではなく、日本を完全に屈服させるため、日本人がプライドを残す余地を完全に潰すために必要だったのです。
この最終目的をあきらめさえすれば、アメリカは原爆を使わなくてもよかったのですから。
アメリカが直面していた二者択一は、原爆投下か、百万のアメリカ人(その十倍の日本人)の死傷かの二者択一ではなく、原爆投下か、日本の条件降伏の容認かの二者択一だったのです。
それから、もっとはっきり言えば、アメリカは、何らかの目的のためのやむを得ない手段としてではなく、自己目的的に、原爆を投下してできるかぎり多くの日本人を殺したかったのでしょうね。
とくに長崎への二発目の原爆投下にはそれ以外の理由は考えられません。
なぜアメリカは敵を完膚なきまでに叩きのめさないと気が済まないのでしょうか。
またインディアンとアメリカ人の歴史に返りますが、それはインディアンを完膚なきまでに叩きのめしたからです。
アメリカ人はインディアンを完膚なきまでに叩きのめし、かつ、そのことを正当化したため、それ以後、いかなる敵と戦っても、敵の立場をいささかでも考慮に入れ、敵の正当性をいささかでも認め、完膚なきまでに叩きのめす手前で中止したとしたら、かつてインディアンを完膚なきまでに叩きのめしたのは果たして正しかったのか、そこまでやる必要はあったのか、などの深刻な自己疑惑に陥らざるを得ないのです。
それが恐ろしいので、アメリカ人は、戦争となると、敵を完全に屈服させることを疑い得ない前提とせざるを得ないのです。
その前で、思考停止せざるを得ないのです。
かつて正しかったことは、今も正しいはずなのです。
いま、それを正しくないと認めれば、かつてのことも正しくなかったと認めざるを得なくなります。
そうなれば、アメリカという国家のアイデンティティが崩れます。
ここで、日米の問題から離れて、一般論として考えてみましょう。
自国がある国と敵対関係にあるとします。
自国はこの敵国に攻撃される危険があります。
この場合、この危険を防ぐ方法は二つあります。
一つは、この敵国を滅ぼすか、もしくは徹底的に弱体化し、自国の強さ、恐ろしさを印象づけて、敵国が二度とふたたび自国を攻撃しようなどとは思いもしないようにする方法。
もう一つは、敵国に自国に対する好意を抱かせ、たとえ攻撃力があったとしても、自国を攻撃する敵意などもつことがないようにする、もしくは自国の道義的高潔さを敵国に尊敬させ、自国を攻撃するのは道義的に許されないことだと敵国に思わせるようにする方法。
つまり、敵国を敵国でなくする方法。
孫子の兵法に侯(ま)つまでもなく、普通の国というか、病的でない国なら、この二つの方法のうち、第二の方法のほうがコストがかからないし、戦争はしないから、敵味方とも損害を出す心配はないし、道義に叶っており、かつ平和的でみんなの非難を買うこともないだろうと考えて、第二の方法を優先してまず用い、それがうまくゆかなかった場合に限って、状況に応じて、第一の方法をやむを得ない限度内で用いるでしょう。
アメリカという国は、もっぱら第一の方法しか考えない国ではないでしょうか。
たとえば、日本への原爆投下は、第一の方法としてきわめて効果的でした。
日本を徹底的に怯えさせ、日本はもう二度とアメリカと戦争しようなどとは思わなくなりました。
しかし、この方法には危険があります。
もし、日本が将来、核兵器をもち、ふたたびアメリカと戦争する戦力を獲得したとすると、かつて原爆を投下された恨みから、アメリカに原爆を投下するかもしれません。
また、そのとき、日本にはアメリカヘの原爆投下をためらう道義的義務はいっさいないわけです。
すなわち、第一の方法は、敵の恨みを買うので、敵が復讐してこないようにつねに警戒していなければならないという欠点があります。
したがって、日本に原爆を投下したということは、論理的に筋道を立てて考えれば、日本が将来、核兵器をもち、ふたたびアメリカと戦争する戦力を獲得する可能性がないこと、もし日本がそれを獲得しようとしても阻止できることを前提としています。
ということは、日本を、将来にわたって永遠に支配していなければならないということです。
冷戦が終わっても、アメリカ軍が日本に駐留しつづけているのは、そこに理由があるのかもしれません。
第二の方法に重点をおく国なら、対日戦中のアメリカと同じ状況におかれたとしても、この危険を考えて(これは、考えてみれば、大変な危険です)、日本に原爆を投下しないであろうと思われます。
実際、当時のアメリカ政府や軍の関係者の一部、原爆製造にかかわった科学者の一部に、いろいろの理由で、原爆の使用に反対した人たちがいました(M・ハーウィット『拒絶された原爆展』一九九七年)。
もし日本に原爆を投下するとしても、兵員のみを目標とすべきで、女子供に用いてはならないとか、日本政府に降伏の機会を与えた後でなければ使うべきではないとか、投下地点を日本にあらかじめ知らせておくべきだとか、原爆の破壊力を示しさえすればいいのだから、陸地ではなく日本近海にしてはどうかとかの意見があったようです。
しかし、結局、アメリカは軍事基地や軍需工場があるわけもない市街地に予告なしで二回も原爆を投下しました。
なぜでしょうか。
日本人を人間だと思っていなかったからだという説があります。
さすがにトルーマン大統領も日本に原爆を落とすかどうかためらい、チャーチル首相に相談したところ、日本人は猿だからいいんだと言われ、それはそうだと納得して原爆を使う決心をしたとのことです。
ヒトラーも『わが闘争』のなかで日本人のことを東洋の山猿と言っていたそうですが(日独伊三国同盟を結んでいた当時の日本で翻訳が出たとき、その個所は削除されたそうです)、これは当時の白人にはめずらしくなかった見方です。
しかし、それだけが理由ではなく、そのほかにアメリカ特有の理由もあると思います。
アメリカには、敵対する相手をあまり追いつめず、なるべく恨みを買わないようにし、その好意や信頼や敬意を得るように努めて、戦争をある限度内にとどめて終結し、相手との今後の永続的友好関係を築くことによって、相手からの将来の攻撃を防ごうという選択肢はないらしいのです。
相手を絶滅させるか、徹底的に脅えさせ、二度と抵抗できないほど無力化するかしか考えないらしいのです。
それは、もちろん、先住民のインディアンに対するかつての行動パターンの反復強迫です。
反復強迫とは、ニュートン的物体の慣性の法則よろしく、ある行動が何回か行われると、習慣化されて同じ行動が機械的に繰り返されるようになるということではなく、ある好ましくない行動をいったん正当化すると、その正当化を崩さない限り、強迫的に同じ行動を無限に繰り返さざるを得ないという病的な心理現象です。
なぜ正当化を崩せないかというと、正当化を崩すと、正当化によって無意識へと抑圧していた苦痛な感情(罪悪感)が噴き出してくるからです。
日本との関係で、第二の方法によって戦争を終結させたとすると、そして、それでうまくいったとすると、なぜ、インディアンとの関係でそうしなかったのかという、アメリカ人が永遠に答えられない恐ろしい疑問が襲いかかってくるのです。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/東京裁判とアメリカの病気/P166~】
アメリカ側がよく言う原爆投下の理由というのは、昔から「欺瞞的言い訳に過ぎない」と思っていましたが、
岸田秀の分析を読むとそのことが改めてよくわかりますね。
また、徹底的に相手を叩きのめさずにはいられない性向が、
インディアン・コンプレックスに由来しているという分析も、なかなか的を得ているように思うのですが、如何でしょうか?
しかし、上記の彼の分析で、長崎への二発目の原爆投下を「自己目的的に多くの日本人を殺したかった」からと決め付けている処は、ちょっと違うのではないか…とも思っています。
なぜなら、長崎の原爆は、広島に投下したウラン型原爆と違って、プルトニウム型なので、二種類の原爆を試したいという実験意図があったことは明らかだと思いますので、ただ単に殺戮したかっただけというのは言いすぎじゃないかと。
(まぁ、それでも非人道的であることは間違いありませんけど。)
それはさておき、いずれにしろ、原爆投下というアメリカの残虐非道な行為の前には、アメリカ側の言い訳など通用しないことは間違いありません。
アメリカ側の周到かつ冷酷なまでの非人道性は、原爆投下の際の行動を詳細に調べていけば疑う余地がありません。それは下記のHP↓を参考にしていただければご理解いただけると思います。
◆『原爆機反転す ─ ヒロシマは実験室だった』──「反転爆撃」説の紹介◆広島の空に白く大きく華やかに開いた「落下傘」の謎そもそも、仮に日本人が原爆を使用出来る状況にあったと仮定して、ここまで周到かつ冷酷により多くの敵国人を殺そうとするでしょうか?
歴史的に自国内での民族紛争を殆ど経験してきたことのない日本は、他人種に対する人種的憎悪を抱く経験がありませんでした。
「鬼畜米英」という言葉がありますが、あれこそ、日本人が米英人を”おなじ人間”と認識していた証であって、その相手に「鬼畜」とレッテルを貼らねば憎めなかったことを示しています。
そうした性向を鑑みれば、日本人はヒステリーに駆られて相手を殺害することはあっても、アメリカ人のように計画的に虐殺することはありえないでしょう。
誤解を恐れずに言えば、原爆投下というアメリカの蛮行に比べれば、
南京事件など全然甘っちょろく生半可な事件に過ぎません。
要するに、日本の蛮行とアメリカの蛮行では「質が違う」ということです。
この違いをしっかり認識した上で、異質な世界の国々を相手に、冷静に対応していくことが今後の日本人に求められているのではないでしょうか。
さて、
次回は、敗戦後の日本の繁栄が、アメリカにとって都合のよい理由について書かれた記述について紹介していく予定です。ではまた。
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