一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
(1987/08)
山本 七平
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◆死の行進について
野坂昭如氏が『週刊朝日』50年7月4日号で沖縄の「戦跡めぐり」を批判されている。
全く同感であり、無神経な「戦跡めぐり」が、戦場にいた人間を憤激させることは珍しくない。
復帰直後のいわゆる沖縄ブームのとき、ちょうど同地の大学におられたS教授は、戦跡への案内や同行・解説などを依頼されると、頑として拒否して言われた。
「せめて三十キロの荷物を背負って歩くなら、まだよい。だがハイヤーで回るつもりなら来るな」と。
同教授はかつて高射砲隊の上等兵であった。
末期の日本軍が十日近くかかって這うように撤退した道も、ハイヤーなら一時間。
「そこを一時間で通過して、何やら説明を間いて、何が戦跡ですか。その人は、その地に来たかもしれないが、戦跡に来たのではない。それでいて何やかやと深刻ぶって書き散らされると、案内などすべきではなかったという気がする」と。
その通りである。
戦争において、今の人に一番わかりにくいのはこの点ではないかと思う。
事情は比島でも同じである。
たとえば有名な「バターンの死の行進」がある。
これは日本軍の行なった悪名高い残虐事件で、このため当時の軍司令官本間中将(当時)は、戦犯として処刑された。
ではこの残虐事件の現場を、ハイヤーで通過したらどうであろうか。
おそらくその人には、この事件も処刑の理由も、何一つ理解できないであろう。
それではもう「戦」跡ではない。
この行進は、パターンからオードネルまでの約百キロ、ハイヤーなら一時間余の距離である。
日本軍は、バターンの捕虜にこの間を徒歩行軍させたわけだが、この全行程を、一日二十キロ、五日間で歩かせた。
武装解除後だから、彼らは何の重荷も負っていない。
一体全体、徒手で一日二十キロ、五日間歩かせることが、その最高責任者を死刑にするほどの残虐事件であろうか。
後述する「辻政信・私物命令事件」を別にすれば――。ハイヤーでそこを通過した人は、簡単に断定するであろう。
「それは勝者のいいがかり、不当な復讐裁判だ」と。
だがこの行進だけで、全員の約一割、二千といわれる米兵が倒れたことは、誇張もあろうが、ある程度は事実でもある。
三ヵ月余のジャングル戦の後の、熱地における五日間の徒歩行進は、たとえ彼らが飢えていなかったにせよ、それぐらいの被害が現出する一事件にはなりうる。
まして沖縄での撒退は――確かに、ハイヤーで通過しては戦跡でない。
だが収容所で、「バターン」「バターン」と米兵から言われたときのわれわれの心境は、複雑であった。
というのは本間中将としては、別に、捕虜を差別したわけでも故意に残虐に扱ったわけでもなく、日本軍なみ、というよりむしろ日本的基準では温情をもって待遇したからである。
日本軍の行軍は、こんな生やさしいものでなく、「六キロ行軍」(小休止を含めて一時間六キロの割合)ともなれば、途中で、一割や二割がぶっ倒れるのはあたりまえであった。
そしてこれは単に行軍だけではなくほかの面でも同じで、前述したように豊橋でも、教官たちは平然として言った、「卒業までに、お前たちの一割や二割が倒れることは、はじめから計算に入っトル」と。――こういう背景から出てくる本間中将処刑の受取り方は、次のような言葉にもなった。
「あれが”死の行進”ならオレたちの行軍はなんだったのだ」「きっと”地獄の行進”だろ」「あれが”米兵への罪”で死刑になるんなら、日本軍の司令官は”日本兵への罪”で全部死刑だな」。
当時のアメリカはすでに、いまの日本同様「クルマ社会」であった。
自動車だけでなく、国鉄・私鉄等を含めた広い意味の「車輛の社会」、この社会で育った人は、車輛をまるで空気のように意識しない。
そして車輛なき状態の人間のことは、もう空想もできないから、平気で「来魔(クルマ)」などといえても、重荷を負った徒歩の人間の苦しみはわからない。
「いや私は山歩きをしている」という人もいるが、「趣味の釣り人」と「漁民の苦しみ」は無関係の如く両者は関係ない。
否むしろ、山歩きが趣味になりうること自体、クルマ時代の感覚である。
当時アメリカ人はすでにその状態にあった。
従って彼らは、バターンの行進を想像外の残虐行為と感じたのであろう。
しかし日本側は、もちろん私も含めて、相手がなぜ憤慨しているのかわからない。
従って「不当な言いがかり、復讐裁判」という感情が先に立つ。
だが同じ復讐裁判と規定しても、戦後の人の規定とは内容が逆で、前者は「これだけの距離を歩くことが残虐のはずはない」であり、後者は「確かにひどいが、われわれはもっとひどかったのだから差別ではなく、故意の虐待でもない」の意味である。
一番こまるのは、同一の言葉で、その意味内容が逆転している場合である。
戦無派と同じ口調で戦争を批判していた者が、不意に「経験のないヤツに何かわかるか!」と怒り出すのはほぼこのケース。
そこには、クルマ時代到来による、その面のアメリカ化に象徴される戦後三十年の激変と、それに基づく「感覚の差」があるであろう。
この「差」は本当に説明しにくい。
(~後略)
【引用元:一下級将校の見た帝国陸軍/死の行進について/P97~】
「常識」の研究 (文春文庫)
(1987/12)
山本 七平
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◆海上秩序の傘
「核の傘」という言葉があり、この言葉が何を意味しているかは多くの人はすでに知っているであろう。
しかし、この言葉がジャーナリズムに登場する以前には、人びとは「核の傘」の下にいて、そこで生活しているという意識はなかったに等しい。
それはいわば、空気のように意識されなかったもので、それが意識され出したのは、むしろ「核の傘」の威力がうすれて、それが本当にあるのかどうか疑わしくなってきてからのことである。
「非武装中立論」に代表される「核の傘」の下の平和論は、「核の傘があるから……」を無言の前提としていたわけで、それは、その首唱者がそれを意識しようと意識しまいと、また意識しつつ隠していようと、現実には厳然と存在する前提であった。
そして「非武装中立論」が色あせてきたのは、人びとが自ら「核の傘」の下にいたのだと意識したときである。
そしてそれを意識したとき、それなき状態における防衛論が何一つなく、この点について、何の基本的発想も確立してなかったことに気づいたわけである。
だが、われわれが「傘の下」にあるのは「核」の場合だけであろうか。
それがなくなったら急に「何とかの傘」が意識され出して、それがなくなった状態における基本的な発想が何一つ確立していなかったことに気づくのではないであろうか。
従ってそうなる前に、それは「ある」といわねばならないであろう。
それは公海自由の原則、海上航行自由の原則という世界的秩序の傘であり、同時に外交官持権の相互承認、平和時における在留外国人の自国民同様の法的保護といった原則である。
これらの原則は、だいたい二〇〇年の昔にヨーロッパ、それも主としてイギリスによって確立され、ついでアメリカによって継承されてきたわけで、日本は明治のはじめの開国以来その「英米的秩序の傘」の下におり、これを空気のように、あって当然の状態を受け取る結果になった。
だがこの状態は決して空気のように存在するわけではない。
戦前の日本はずいぶん無茶をやったように言われるが、この点に関する限りほぼ完全に秩序を守り、自らも秩序維持に参加していたといってよい。
たとえ真珠湾を叩くことはあっても、米英大公使や在留米英人を人質にするようなことはなく、相互に交換船を仕立てて、中立国のロレンソ・マルケスで相互交換を行い、その往路と帰路はそれぞれ保証するという原則は保持した。
さらに日本海軍が海賊的行為を働いたり、平和時にどこかの海峡を勝手に封鎖したり、戦時にも中立国の船舶の自由航行を妨害したりといった行為はない。
だが、長らく守られてきたこの米英的秩序、特に「海上秩序の傘」が、果たして今後も保持されるのか否かは、相当に問題と考えねばならない。
と同時に、もしこの秩序がなくなった場合、生活を海上貿易に依存している日本はどうすべきか、その基本的発想は確立しておかねばならない時代が来たように思われる。
というのは、イランにおいて米大使館そのものが人質とされ、パーレビ前国王の引き渡しが要求されている。
こういったことは、太平洋戦争中の交戦国の間でも、まず類例がない事態だといわねばならないからであり、明らかに、空気のように存在していた一つの世界秩序の崩壊を意味する事態だからである。
この事態を見れば、将来、公海自由の原則や海上自由航行の原則が維持できるか否かは問題で、これは日本にとって実に大きな問題である。
たとえば、イランがある種の要求を掲げて、それに応じない者はホルムズ海峡の通過を許可しないといった場合、日本は、それがどのような要求であれ土下座的に応ずるつもりなのか、もし応じたら同様の要求が他の国々からも出て、応じなければ船ごと拿捕されるような結果になった場合どうするつもりなのか。
この種の問題提起はもちろんのこと、こういった問題意識さえ日本のマスコミには今までなかったと思う。
公海自由の原則、海上通行自由の原則は、日本にとって死活の問題である。
それは、華々しい防衛論争のような起こりうるべき可能性がきわめて少ない問題でなく、その秩序の崩壊はある意味ではすでに現実の問題となりつつある問題である。
それが起こったときあわてないように、その際はどうすべきかの基本的な発想ぐらいは、国民的合意の下に確立しておくべきであろう。
私にはこの方がむしろ、起こりうべき死活問題と思われるからである。
【引用元:「常識」の研究/国際社会への眼/P57~】
テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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◆憲法フェティシズム
平和主義の問題へ戻りますが、平和国家日本というイメージもいかがわしい限りです。
これも、僕に言わせれば、ごまかしです。日本が平和国家なんて嘘です。
「俺はみんなと仲良くしたいんだ、喧嘩は嫌いだ、暴力はいけない」と言いながら、暴力団員(米軍)に用心棒を頼んでいる(駐留してもらっている)お金持ちのようなものです、今の日本は。
しかも、子弟(自衛隊)をその暴力団員に弟子入りさせて喧嘩の腕を磨いてもらっています。このようなお金持ちの説く平和主義を誰が信用するでしょうか。
それなのに、日本が世界に誇る平和憲法なんて言う人がいます。
アメリカと安保条約を結んでいて平和憲法を誇るのは、あくどく稼ぐ高利貨しが慈善家の看板を掲げているようなもので、平和憲法はむしろ恥じて隠しておきたいと思うのがまともな神経だと思いますが、どうでしょうか。
嘘つきの泥棒が、わが家には代々伝わる「嘘をついてはいけない、人のものを盗んではいけない」という家訓があると自慢するようなものではないでしょうか。
いや、俺は安保条約に反対なんだ、アメリカ軍に基地を貸しているのは政府だと言い訳する日本人がいるかもしれませんが、この言い訳は、収賄を疑われた政治家が「秘書が、秘書が……」と言うのに似ていませんか。
日本政府は日本国民が選んだ政治家がつくっているのですから、政府のすることは国民に責任があります。
僕は非武装中立主義者ではありませんが、もし、平和憲法を誇りたいのであれば、日本が現実に非武装中立を達成し、他の国々もそれを信用してからにすべきでしょう。
いずれにせよ、押しつけられたもの、現実の裏づけのないものを誇るのは、他人(他国)には了解不能のおかしなこととしか見えないでしょう。
現状では、日本の平和主義は偽善でしかないと思います。
どういう人がどういう状況で発言したかによって、同じことが真実になったり、嘘になったりします。そうした条件と無関係な、誰がどこで言っても真理であるような普遍妥当の真理なるものは存在しません。
それ自体はどれほどすばらしいことでも、自分一人で誇っているだけでは、精神分裂病者の誇大妄想と同じです。
誇るには、他者の支持がなければなりません。
ナポレオン自身が自分をナポレオンだと思っているのは誇大妄想ではないわけだけれど、それは、周りの人たちも彼をナポレオンだと思っているからです。
押しつけられた憲法を、日本人が金科玉条のごとく守っているのは、何かおかしいですね。
近頃いくらかタブーか弱くなったようだけど、しかしまだ、憲法改正というとあちこちから非難が飛んできそうだね。
護憲派というのがいて。憲法と結婚したなんて言ってた土井たか子さんとか。
憲法であれ何であれ、とにかく法というものは、国民のためにあるんで、国民のためになるかならないかで、いつでも変えることができるのでなければなりません。
それなのに、憲法と結婚したというのは、本末転倒です。
何か貞節を守らなければならない崇拝の対象みたいです。
言わば、憲法フェティシズムですね。それでは昔の国体と同じです。
国体というより、今はナショナル・アイデンティティというほうがわかりやすいかもしれませんが、いずれにせよ、国体も国民のためのものなのに、国体の護持のためとかで、無数の日本人が命を捧げたか、捧げさせられたかしました。
これも、国体を国民が命を犠牲にしても守らなければならない絶対的なものに祭り上げていたわけです。国体フェティシズムというわけですね。
性倒錯としてのフェティシズムは女体、女性器には興味がなく、それよりも女の下着とか靴とかに興奮するわけで、まさに本末転倒ですが、本末転倒であるという点では、憲法フェティシズムも国体フェティシズムも、さきに説明した勇気フェティシズムも、まったく性倒錯と同じです。
平和憲法は戦火に倒れた三百十万の生命という大きな犠牲を払って獲得したのだから、彼らの死を無駄にしないためにも、断固として守らねばならないとも言われます。
これもどこかおかしいですね。
憲法の是非は、現時点でそれが国民のために役立つかどうか、国民が守るべき正しい規範を示しているかどうかによって判断しなければならないわけで、それを獲得するために払った代償が高かったかどうかには関係ありません。
これも、戦争中の大陸撤退反対論の論拠に似ています。
山本七平さんが言っていましたが、日中戦争が泥沼に入り、これ以上中国と戦っても国に益するところはないから、撤退すべきだという意見が何度も出たそうですが、そのたびに、それでは英霊に相済まぬという反対論が出て、撤退論は潰されたそうです。
ここで矛を収め、大陸から撤退したら、これまで尊い命を祖国に捧げた英霊の死は無駄だったことになる、そんなことは認めるわけにはゆかないというのです。
だから、戦争をつづけて、もっとたくさん英霊をつくろうというわけです。
戦争と平和の問題は、日本という国をどのような国にしたいかということともかかわることで、これに関しては、いろいろな態度があり得ると思いますが、どのような態度を選ぶにせよ、まず自己欺瞞から脱して考えるべきでしょう。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第5章 平和主義の欺瞞/P111~】
なぜなら私たちは、第二次世界大戦後、軍隊を外に出さなきゃ守れないような「国益」は放棄したはずだからです。
極端なことを言うと、私たちの国に原油が入ってこなくなり、電気が止まろうが、それでも私たちは、軍事行動で国益を求めない、そう誓ったはずです。
【9条は日本人には”もったいない”より一部抜粋】
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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◆第5章 平和主義の欺瞞
戦争に負け、多くの日本人がそのために命を捧げた大日本帝国は解体され、敗戦後の日本は平和主義国家ということになりました。
連合軍総司令官、マッカーサー元帥がやってきて、日本は東洋のスイスたれ、ということを言いましたね。
言うまでもなく、朝鮮戦争のとき中国への原爆投下を主張したことからもわかるように、彼は軍人のなかでも戦争が好きなほうで、平和主義からそう言ったのではありませんでした。
自分が信じていない理想を涼しい顔をして他人に説くなんて、彼はどういう人だったんでしょうね。
要するに、日本は二度とふたたびアメリカに戦争を仕掛けるような国になるな、ということでした。
敗戦後の日本の平和主義は、アメリカの都合で押しつけられたものです。
◆平和の観念化
日米戦争は、アメリカ側の圧倒的勝利で、日本人は三百十万人ぐらい死にましたが(大東亜戦争の死者数ですが、大部分はアメリカとの戦争の死者)、アメリカ側の死者は五万人ぐらいでした(対独戦争の死者を含めれば、三十二万人ぐらい)。
日本側から見れば、日本の被害に比べて、アメリカの被害は、本土を空襲されたわけではないし、大したことはないとしか思えませんが、アメリカとしては、やはり痛手ではあったようで、戦争が終わるかなり以前から、今後、日本をして二度とふたたびアメリカに敵対させないようにするにはどうすればよいかということを考えていました。
原爆投下だけでなく、対日戦一般における、日本軍および日本国民に対するアメリカ軍の未曾有の残忍な作戦は、日本人に、アメリカは恐ろしい国なんだぞ、舐めるんじやないよ、アメリカを敵に回すとひどい目に選うんだぞ、ということを骨の髄まで思い知らせるためというのが目的の一つであったと言えます。
戦後の平和主義の押しつけもアメリカのそういう努力の一環だったと考えられます。
実際、日本占領中のアメリカ軍は、日本人が戦意とか闘争心とか後讐心とかをふたたびもたないようにしようと、おかしいほど神経質に用心していました。
『忠臣蔵』は復讐心を煽るとかで、上演を禁止されました。チャンバラ映画も禁止でした。
(~中略~)
僕の中学生のときは、占領軍のお達しにより、剣道部や柔道部は廃止されていました。
演劇、映画、中学校の部活にまで及んだこの平和主義の押しつけを、日本はあたかも日本が望んだかのように自己欺瞞しました。
(~中略~)
念のため、断っておきますが、敗戦後の平和主義がアメリカの押しつけだと主張するからといって、言うまでもなく、僕は、反平和主義者でも戦争賛美者でもありません。
戦争は人間の最大の愚行であり、戦争より平和がいいに決まっていますが、それとこれとは問題が別です。
僕は、押しつけられた平和主義を、自ら選び取った平和主義に変えたいのです。
さっきも言ったように、両者は決して同じではありません。
押しつけられた平和主義を自ら選び取った平和主義と偽っている限り、本物の自ら選び取った平和主義を永遠に遠ざけることになります。
押しつけられた平和主義は平和の敵です。
押しつけられた平和主義は、自分で考え、自分で身に付けたものではありませんから、観念化します。
観念化した平和主義は、平和とは具体的にどういうことであり、それへと至るにはどういう具体的方法があるかということについて何も指し示しません。
平和、平和と大声で叫ぶことしかできません。
侵略されても武器を取らないとか、いかなる場合も戦争は絶対反対だとか言うのは、平和について具体的に何も考えていないことを示しています。
また、たとえば、日本は唯一の被爆国だと主張するのはいいですが、それは、自分たちは被害者だと言っているだけのことで、論理的に平和主義の根拠にはならないでしょう。
被害者として平和運動をやるというのは悪くないかもしれませんが、他の国の人たちに対する説得力はないでしょう。
他の国の人たちには、日本人は原爆を落とされて、二度とこんなひどい目には遭いたくないと怯えているとしか見えないでしょう。
それでは、日本人の平和主義は、戦争が怖いからに過ぎず、したがって、戦争が怖くなくなれば、すぐ捨てられるに違いないと思われるでしょう。
誰がそのような平和主義を信用するでしょうか。
日本の平和主義が本物であると信用されるためには、押しつけられた平和主義を排し、自分自身の根拠と論理で平和主義を構築しなければならないと思います。
ひどい目に遭って怯え、戦争が怖くなって平和を唱えているだけなのに、あたかも、人類のため、正義のために平和主義者になったかのように振る舞っていては、まともに相手にされないのではないでしょうか。
現在の日本人の平和主義は、平和主義ではなく、降伏主義、敗北主義です。
アメリカに降伏して、平和主義を押しつけられて、そのままそれに従って今日に至っているのですから、それを平和主義と思っているのは日本人だけで、他の国の人たちには、当然、降伏主義、敗北主義と見えているでしょう。
これは一種のマゾヒズムと見ることもできるでしょうね。
マゾヒズムというと、鞭でしばかれたり、繩で縛られたり、侮辱されたりして性的興奮を得る性倒錯の一形態ですが、性的興奮とは関係のないマゾヒズムもあります。
フロイドが「道徳的マゾヒズム」と呼んだものです。
あえてわざわざ自分を貶めたり、卑しめたり、屈辱的立場においたりするのですが、それで性的興奮を得るわけではありません。
なぜ、そんなことをするのでしょうか。
僕は、この種のマゾヒズムは屈辱回避(もちろん、自己欺瞞による主観的な屈辱回避であって、客観的には屈辱を回避できるどころか、ますます屈辱にはまり込みます)を動機とするのではないかと考えています。
同じような現象を、僕は、第三章では「精神分裂病」または「ストックホルム症候群(註)」として説明しましたが、マゾヒズムとして説明することもできますね。
(註)…拙記事・「自己欺瞞」と「精神分裂病/ストックホルム症候群」参照。
とにかく、敗戦後の日本という現象は、心理学的、精神分析的になかなか興味深い現象で、いろいろな観点から、いろいろなものに引き比べて検討するに値すると思います。
たとえば、敵が圧倒的に強く、屈辱的敗北を喫することが決定的であるとき、必死に抵抗するのをやめ、あたかも初めから勝敗にこだわっていなかったかのように見せかけ、そう自分でも思い込む、あるいは、敗北してしまったあと、もともと勝てないことは初めからわかっていたんだ、こんなことで争うなど馬鹿げていることぐらい知っていた、負けてよかったんだと思い込むことによって、敗北に屈辱を感じることを避けようとする自己欺瞞がこの種のマゾヒズムの背景にあると考えられます。
すなわち、あえて自分で自分を貶めることによって、俺は敵に負けて強いられてこうなっているわけじゃないんだ、俺はこういうのがもともと好きなんだと、敵にも見せかけ、自分でも思い込むのです。
たとえば、敵が十の譲歩を要求しているようだったら、こちらからわざわざ二十の譲歩をしてみせて、これこの通り、これは強いられた譲歩ではないんだ、もともとこういうことをしたかったんだ、だから、このように自分からやっているではないか、というわけです。
敗戦後、この戦争は負けてよかったとか、初めから負けるのはわかっていたとか、アメリカ占領軍は、日本国民を苦しめていた軍部を追っ払ってくれたとか、もともと日本国民が望んでいた改革をやってくれたに過ぎないとか、これで新しい平和日本が始まるとか、などのことが繰り返し言われましたが、これらは、道徳的マゾヒズムに特徴的な自己欺瞞です。
敗北の正当化が敗北主義へと、マゾヒズムヘと至るのです。
敗戦後の日本を特徴づけたのは、この種の自己欺瞞です。
日本人自身がこの自己欺瞞に頼っただけでなく、アメリカも、たぶん、それがアメリカにとって有利だと気づいたのでしょう、それを助長するように努めています。
たとえば、マッカーサーは、新憲法の不戦条項は幣原喜重郎首相が申し出てきたもので、氏の熱意に感激したなんて大嘘を言っています。
日本は、いまの憲法、とくにこの不戦条項を、初めは抵抗したが、抵抗しても無駄だとわかって、仕方なく受け入れたわけですよね。
受け入れて、あとから、これでもいい、いやこれがいいという気になったのは確かでしょうが、日本側から自発的に申し出たというような嘘をつくるのはよくないです。
しかし、敗戦後、日本国民がもう戦争は懲り懲りだと本心から思ったという面もあったことは否めません。
しかし、自己欺瞞を覆い隠すために、そうした面が誇張され過ぎています。
みんな、戦争中は戦争を大いに楽しんでいました。
日中戦争には、志願兵が陸続と応募しました。今で言う、ボランティアです。南京陥落を祝って、大勢の者が旗行列をしました。真珠湾奇襲の成功の報に舞い上がって喜びました。
決して軍部に強制されて嫌々ながら戦争に引きずり込まれたのではありません。
むしろ、戦争好きの国民の人気を失うのが怖くて軍部が戦争へと傾いていったという面さえないではありません。
戦争を回避しようとする軍人は民間右翼の暗殺を恐れなければなりませんでした。
この民間右翼というのもボランティアです。
敗戦後は、それらのことはみんな忘れてしまったかのようです。
この忘却が自己欺瞞でなくて何でしょうか。
(次回へ続く)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第五章 平和主義の欺瞞/P104~】
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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◆服従の作法
アメリカに対して日本はそのような無意味な反抗、反発をときどきやりますねえ。
安保騒動なんかがそうでしたね。
あの騒ぎは僕に言わせればまったく無意味でしたよ。
あれはアメリカから見れば反米暴動に他ならなかったでしょう。
やってる日本人も、動機は明らかに反米でした。
しかし、反米という意識がありましたかねえ。
平和のためとか民主主義のためとかのスローガンを掲げていましたから。
騒動が終わってみると、津波が引いたように、あとに何も残りませんでした。
屈辱的状態にあるのを認識するのは苦痛だ、というのはわかりますがねえ。
しかし、現実というのは、苦痛なことがいっぱいあるわけですよ、個人の場合だって、屈辱的なことをいっぱい経験するじやないですか。
それに耐えて、現実を見失わず、屈辱的状態を解決する現実的で有効な道を進んでいくか、あるいは、現実を見ずに苦痛から逃げて、気分的なごまかしと偽りのブライドと表面的な安心感に縋って、非現実的で愚かな道を進むか。
個人でも国でも、どっちかしかないのではないでしょうか。
現実を見ないとどうなるかというのは、非常に単純なことですよ。
何度も繰り返しますが、日本軍の作戦なんて、現実を見てなかったから失敗したわけです。都合の悪い現実を無視して作戦を立てるから、どれほど必勝の信念をもとうが、死を恐れぬ勇気をもとうが、身を犠牲にして戦おうが、不可避的に負けます。
現実を見るか見ないか、その差が現実の結果を決定します。
国家にしろ個人にしろ、同じことです。
神経症も、幼いときの親子関係とか、自分に関する苦痛な都合の悪い現実を見ないから起こるのです。
これまで見ていなかった現実を見さえすれば、神経症は基本的に治ります。
非常に単純なことですよ。
その場合、神経症が治ったからといって、天にも昇るような素晴らしい気分で人生が送れるようになるわけではありません。
いやな現実を見るわけだから、前より不幸になるかもしれません。
しかし、生きるということは、現実を見て現実に生きることだと思います。
現実を見るというのは単純なことです。
しかし、それができなければ、国も個人も、長い目では必ず失敗します。
日本の場合、屈辱的現実をごまかさずに認識した上で、結果として、いまと同じ、アメリカの子分として生きる道を選択することだってあり得ると思います。
独立を唯一絶対の目標にすることはありません。
軍事的にも経済的にもアメリカから独立するとなれば、いろいろそれなりのデメリットがあるでしょう。
いまより貧乏になるかもしれません。
いまのような経済的に豊かな生活を第一に守りたいというなら、このままの道を選択することもあり得ます。
また、日本国民が、軍事的にアメリカに依存しているほうが日本にとって有利だと、ゆっくり考えた上で結論するのなら、それでもいいと思います。必ずしも反対ではないですよ。
しかし、その場合は、屈辱感をごまかさず、引き受けなければなりません。
イコール・パートナーなんて言わないことです。
この道を選べば、日米関係においては何に関しても親分・アメリカの都合が優先されるでしょう。
アメリカ軍の兵士に日本の女の子がときどき強姦されるのも必要経費みたいなものかもしれません。
場合によってはアメリカから一方的に捨てられる可能性もあります。
不安な関係でアメリカに依存しつづけることになります。
親分ってのは、なんたって勝手だからね。子分が望むほど気を遣ってくれることはありません。
その不都合にも、不安にも、屈辱感という苦痛にも、耐えていかねばなりません。
それでもいい、そういうデメリットもアメリカの子分であることのメリットと比べれば大したことはないし、それに耐えていけるということであれば、それも一つの道です。
世界の歴史においては、右や左の大国に翻弄され、そのご機嫌を取りながら、そして踏みにじられながら、何とか生き抜いてきている小国もたくさんあります。
航海・航空技術が未発達だった昔には、日本海と太平洋に守られていた日本も、現代はそうもゆかなくなり、そうした小国の仲間入りをしたと考えればいいでしょう。
それに、現実の諸条件を考えて、子分であることを選んだとしても、アメリカに絶対的・盲目的に服従しなければならないということはありません。
子分は子分である限り、親分の言うことを全部聞かなければならないというのは、日本人的発想かもしれないですね。
親分子分関係を情緒的な信義、忠節、献身の関係のように捉える発想は欧米にはないでしょう。
親分子分関係といっても、一種の取引関係、契約関係ですから。
弱い国は弱い国なりに主張すべきことは主張すべきだし、強い国に生殺与奪の権を握られているわけではありません。
子分としての権利と義務の範囲をわきまえて、アメリカを納得させてそれなりにやっていけばいいわけです。
しかし、アメリカの子分であることは屈辱であり、個人と同じく国家も誇りを大切にすべきだと考えるのであれば、かつてのように腹を立てて突如、真珠湾を奇襲するのではなく、アメリカの子分でなくなることのデメリットを冷静に計算した上で、そうしたらいいでしょう。
アメリカに対抗できるほどの軍事力をもたなければ、アメリカから独立できないわけでもないのですから。
その場合は、日本が屈辱的な被占領状態であることをアメリカに認識させ、そこから脱出したいという意思を表明して、アメリカとの間で話し合いを始めればいいと思います。
アメリカだって、鬼でもなければ蛇でもないのですから、日本から言い出せば、全然相手にしないということはないでしょう。
アメリカは、日本が屈辱的な被占領状態にあることを、当然、知っていると思いますが、日本がこの事実から目を逸らしていて、文句を言わずに屈辱的状態に黙って甘んじているのだから、別にアメリカのほうから、これでいいんですか、と気を回すことはない、このまま子分扱いしていればいいと思っているんじやないでしょうか。
親分のほうから親分をやめたいと申し出ることはまずないんで、子分の身分から脱出したければ、子分自身がなんとかしなければね。
日本が不満な屈辱的現実を認識し、それを解決する方向に動き始めれば、アメリカが、そんな現実はないよと頭から否定することはないと思いますよ。
子分でいるのも、独立するのも、それが現実を冷静に認識した上でのものなら、どちらを選択したっていいんですよ。
いずれにせよ、事実上はアメリカの属国なのに、対等だと思い込もうとしたり、アメリカなんかやっつけられると誇大妄想に陥ったりするのだけは避けなければなりません。
日本の国益を第一に考えればいいんで、親米か反米か、なんてレベルで考えるのは間違いです。
日本はふらふら、ぐらぐらしているからダメなんだ、もっとしっかりしなければと、ことあるごとに繰り返されますが、首尾一貫、毅然として確固たる所信を貫けと言われても、そういうことは、「今日から毅然とするぞ!」と決心すればできるというものではなく、そうできるためには、言ってみれば人格の統一が必要です。
精神の意識面と無意識面とが一方がこっちを向き、他方はあっちを向いて分裂しているような状態では、それはそもそも不可能です。
人格の統一のためには、外的自己と内的自己とをともに認識して、意識的人格に組み込む必要があります。
現実に存在する自分のある面を、変だとか、とんでもないとか、けしからんとかで否認している限りは、人格の統一は絶望です。
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第三章 ストックホルム症候群/P77~】
何百年の昔から、隙間を通ってやってきては、この世を恐怖に陥れる化け物”外道衆”。
奴らを退治し、この世を守っていたのは、5人の侍たち。
彼らの力は親から子へ、子からまた子へ受け継がれ、人知れず戦い続けた。
時を経て現代、再び外道衆がこの世に現れた。
そこに奴らを退治せんと、5人の”侍”が集結する。
武芸に優れ、代々受け継いだ不思議な文字の力”モジカラ”で戦う志葉家の殿様と4人の家臣たち。
天下御免の侍ヒーロー”侍戦隊シンケンジャー”、ここに見参!
丈瑠を育てあげた志葉家の家臣“ジイ”こと日下部彦馬役を演じるのは、初の特撮番組出演に「3人の孫から、非常に期待を受けています」という伊吹吾郎さん。
17年間「水戸黄門」で格さんを演じていた伊吹さんは、「これまで、毎週、“この紋所が目に入らぬか~! こちらにおわすお方は…”と同じ台詞を言っていたのですが、今回は“外道衆どもよぉく聞け!こちらにおわすは…”と、こう言う。
第1話の台本を見たとき、来るべくして来た役だとびっくりし、うれしくも思いました」と、名ゼリフを披露しながら、シンケンジャーへの意欲を語ってくださいました。“こちらにおわすは…”の続きは、2/15(日)放送の第1話をご覧あれ!
【引用元:「侍戦隊シンケンジャー」会見の記より引用】
テーマ:侍戦隊シンケンジャー - ジャンル:テレビ・ラジオ
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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(前回のつづき)
敗戦後の日米関係に関して日本の側に自己欺瞞があることは否定し難いですが、自己欺瞞している日本人も、公式には日米は緊密な同盟関係にあるイコール・パートナーだなどと言いながら、心のどこかでは日本がアメリカの属国、子分であることを知っているんですよ。
アメリカの占領下にあることをどこかで知っています。一般的に言って、宙に浮いている偽りのブライドではあるが、偽りにせよそのブライドを保とうとして、あることを意識の上では強く否認するものの、心のどこかでは知っているということかあります。
そういう場合、それを知っているということが、図らずも態度や行動の面に表れます。
しかし、それは、自分のある考えを、現実的・合理的判断にもとづいて意識的に態度や行動に表したのではないから、その際の態度や行動は、確信を欠いており、どこかちぐはぐで、あやふやで、ふらふらしています。
アメリカに対する日本がまさにそうですね。
たとえば、日本でアメリカ人がひどいことをしても、堂々と非難しない、あまり怒らない、あるいは、遠慮しいしい怯えながら怒ったふりをしてみるだけ、とか。
沖縄で小学生の女の子をアメリカ兵が強姦した事件のときもそうでした。
一応怒ってはみせるけれど、どこかでブレーキがかかり、徹底的には追及しない。
アメリカは親分で、子分はあまり文句を言えないと、どこかで知っているからです。
湾岸戦争のとき、日本は軍事費として初め四十億ドル出して、もっと出せと言われてあとから九十億ドル出しましたね。
百三十億ドルなんて、実感がないですが、ちょっとやそっとの金額ではないですね。
(~中略~)
アメリカに言われたので、断る決心がつかず、しぶしぶ出したという感じで、非常にみっともない最悪の行動パターンでした。
アメリカにいびられているイラクが、かつて日米戦争でアメリカの圧倒的軍事力によって散々な目に遭わされたわが国を思い出させるとかで、同情論があったりして、日本は本音のところではあまりアメリカに協力したくなかったんですね。
しかし、日本経済を支えている中東の石油に関してもアメリカのお世話になっているわけだから、協力しないわけにはゆかず、あのようなふらついた仕儀とあいなりました。
アメリカの立場に立ってみれば、鼻白む思いだったんではないですかね。
いやいやながら出してくれた協力金に誰が感謝するでしょうか。
それで、アメリカはますます日本を軽く見るようになったのではないでしょうか。
言えば出す、言わねば出さない所信なき国として。
湾岸戦争が起こったときに、アメリカに言われる前、日本が自ら決断してポンと百三十億ドル出したのであれば、非常に生きたんだけどね。
戦争が終わったとき、クェートが各国に感謝の表明を出したけど、日本の国名は入っていなかった。
あれだけのお金を出して、無駄金になったわけですよ、要するに。
イラクに恨まれ、アメリカに馬鹿にされ、クェートのような国かどうかわからないような国に無視され、誰にも感謝されませんでした。
アメリカとの関係でふらふらしているから、ああいう馬鹿げたことになるのです。
アメリカの子分でありながら子分でないかのごとく自己欺瞞しているからです。
子分でないならお金なんか全然出す必要はありません。
何だ、俺に断りもなく戦争なんか始めやがって、俺には関係ない、お前ら勝手にやれと言っていればいいのです。
日本政府が堂々とそう言ったら、日本がアメリカの子分であることを否認している国民の一部は拍手喝采したでしょうがね。
しかしそこまで言う自信はない。あとが怖い。出せと言われると出さなければまずいなと思って出す。
まったく拙劣な行動をしたよね。
アメリカが親分であって、日本は子分だという関係を明確に自覚していれば、子分であるがゆえにせざるを得ないことという線がちゃんと見えるわけね。また、子分だとしても、それ以上はすることないという線も見えるわけ。
それが、現実を否認して、意識的には子分でないつもり、無意識的にはどこかで子分であることを知っているというどっちつかすの状態で、心の動きにただ任せて気分的に行動していると、子分だからやむを得ない、やらざるを得ないと、理性的に納得できる必要なことでも、心のどこかから屈辱感が湧いてきて、反発してやめてしまったりします。
また逆に、子分としても主張すべきことは主張すべきなのに何か怖くて主張しなかったり、がまんする必要のないところでがまんしたり、必要以上に卑屈になったりします。
何をどうやるべきかの判断に自信がもてず、どっちに転んでも、現実とずれつづけるのです。
好ましくない現実の一部を見ていないのだから、つまり現実の一部を視野から排除しているのだから、判断が現実とずれるのは当然です。
それでも何とかやっているつもりかもしれませんが、結局は、その場しのぎのごまかしにしかならないと思います。
卑屈さに関して言えば、個人でも国家でも、状況の如何によっては、卑屈にならざるを得ない場合もあると思います。
しかし、その場合には、卑屈さを卑屈さとして明確に認識した上で卑屈にふるまうべきです。
そこで自己欺瞞して、卑屈さを卑屈さと認めず、好意とか献身とか忠節とかの口実でごまかしたりすると、客観的に冷静に現実をつかめなくなり、現実の卑屈さに対するブレーキが利かなくなります。
たとえば、実際にはもう卑屈である必要はなく、自分一人でやっていけるようになっていても、親分に過剰に依存してしがみつくということになったりします。
現実を認識していないから、いつ親分の機嫌を損ねるかわからず、心の奥で不安で、現実に不安を解消する道があっても気がつかず、ただただ不安から逃れようとして親分にしがみつく。
(~中略~)
卑屈さを卑屈さとして明確に認識し、卑屈さを必要とした現実の諸条件を認識していれば、現実にそれらの条件がなくなれば、ただちに卑屈さを撤回できます。
しかし、その認識が欠けていれば、もう現実に卑屈である必要がなくなっても、いつまでもだらだらと卑屈でありつづけることになります。
そして、そういう状態では何となくの屈辱感はいつも底流していて、ときにそれが爆発し過激な反抗に走ったりしますが、そのような反抗は、単なる鬱憤晴らし、ガス抜き、気休めでしかなく、現実の卑屈な依存を解決するためには何の役にも立ちません。
いや、現実に無効どころか、場合によってはかえって事態を悪くするだけです。
(次回へつづく)
【日本がアメリカを赦す日/第三章 ストックホルム症候群/P72~】
Author:一知半解
「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
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