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97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
歌舞伎座、「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部を見た。
GW最後の週末、歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」、昼の部を見物。

最初の演目は「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」。昔の正月歌舞伎興行にはつきものだった曽我物の集大成。上演も多い。

歌舞伎の様々な役を登場させ、様式美に溢れた賑やかで美しい舞台。松也が曽我五郎、尾上右近が十郎という新進気鋭の組み合わせ。しかし松也の五郎を見たのは初めてではないが、荒事の隈取りをすると誰か分からない感じもある。巳之助、新悟、莟玉、魁春らも登場。座長格で工藤左衛門祐経を勤めるのは梅玉。

懸念であった名刀、友斬丸も曽我兄弟の元に戻ってくる。この場では敵討ちは実行できないが、富士の巻狩りの総奉行というお役目が終わったら「討たれてやろう」と、敵役である梅玉の工藤左衛門祐経が、狩場に入る切手(通行手形)を兄弟に自ら渡してやるという目出度い結末。梅玉が工藤を高貴かつ鷹揚に演じて、他の人がやるより何時もの2割増して目出度い感じがするなあ。

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ここで35分の幕間。昼食は花篭で。「花かご御膳」を。最近、銀座も外国人客でごった返しているので、芝居が跳ねてから食事に出ても、土日は店が長蛇の列。歌舞伎座の中で食事済ませるほうが良いよなあ。

次の演目は「若き日の信長」

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そもそも11世團十郎に大佛次郎が当て書きした新歌舞伎。2015年11月の歌舞伎座。海老蔵の信長で見た事がある。今回は十二世市川團十郎十年祭を銘打った演目。

奔放な立ち振る舞いながらも、苦悩する心優しい純真な若者が、血みどろの戦国を智謀で乗り切らんとする勇敢な武者へと成長を遂げるカタルシスが、その時はなかなか印象的だったが、今回の印象は若干散漫。

2015年当時の海老蔵は実父の12世團十郎を2013年に失って家督を受け継いでそんなに経っていなかったから、役柄と当時の境遇が響きあって見えたというのもあるかもしれない。

僧覚円の齊入は台詞が所々入っておらず、袖から助け舟の声が出る。成田屋の長老で75歳だっけ。しかし年の割には元気。見るからにただの旅の僧ではない怪しい感じが出ている。児太郎の弥生は健気で一途に信長を思う心情が良い。右團次は木下藤吉郎で走り回っていたけれどもなぜか印象は薄い。

信長の成長をずっと見守り、最後に行いを改めよと諌言の書状を残して腹を切る育て役、平手中務政秀は今回、梅玉。悪くないのだけれども、前回の左團次は巧まずしてにじみ出る風格が実に良かった。遺言の字を一字一字息子たちに確認しながら、字を間違えれば「動揺していたのだ」と笑われ、死をもってする自分の最後の諫言が軽く思われる、と静かに述べる所は泣かせどころであった。

最後の演目は、「音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)」

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初代尾上眞秀初舞台として、狒々退治の物語を。團菊祭だけあって、松緑、菊之助、團十郎が揃って場を盛り上げる。眞秀は最初女童の恰好で登場、なかなか達者な踊りを見せるが実は男子であり、人々が困っているという狒々退治に行く事に。

眞秀はすらりとしてイケメン。顔は小さくスタイルが良い。これからまだまだ背も伸びるだろう。重心が低く顔が大きいのが良い役者と言われた昔の歌舞伎の常識は世につれて変わって行くのかもしれない。

せりふ回しもハキハキして、堂々とした舞台。少年剣士として狒々退治の立ち回りも見得も決まっている。最後は観客の目をくぎ付けにして花道を颯爽と引っ込む。万来の拍手。10歳にしてここまでやるかと感心した。

菊五郎御大も八幡神の役で台座に収まって舞台に登場。三月の「身替座禅」は松緑に代わってもらった由だが、足腰は大丈夫なのだろうか。



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