■ 「日本男児」日本代表でインテルに所属する長友佑都の「日本男児」という本を読んだ。2011年5月25日に発売されているので、約1年半が経過しているが、当時、「印税は全額、東日本大震災の被災者に寄付をする。」ということでも話題となった。
彼らしい飾り気のないフランクな言葉で書きつづられているが、惹かれたのは、小学校時代・中学校時代・高校時代・大学時代の話である。244ページある中で、約半分がプロになるまでの話で、約半分がプロになってからの話で構成されているが、子供の頃、両親が離婚したときの話など、隠したくなるような部分にも触れられている。
プロ入り前のエピソードとしてメジャーなものというと、中学生のとき、ゲームセンターで遊んでいたところを先生に見つかって怒られたという話や、大学時代に太鼓叩きをしていたという話であるが、これらについてもくわしく書かれている。
それ以外で印象に残った話を挙げると、小学6年生のとき、愛媛FCのジュニアユースの入団テストを受けて落ちてしまったときのエピソード、東福岡高校を受験することを決めるまでのエピソード、東福岡高校への入学が決まって地元を離れた日のエピソードである。特に、愛媛FCのテストが不合格になったときの心情の描写などは、興味深いものがある。
■ プチ・ヤンキーだった頃読み進めていくと、「優等生ではない。」ということも、よく分かる。愛媛FCのテストが不合格になったため、普通の公立の中学校のサッカー部に入部することになるが、中1の頃は、サッカーへの情熱を失って、部活をサボって、ゲームセンターなどで、遊び回っていたという。
また、授業中は、教科書も出さず、ノートを取ることもなく、先生の話を聞くこともなく、ジッと先生の顔をにらんでいたこともあったというので、「プチ・ヤンキー」といった感じであるが、サッカー部の顧問の井上先生の手助けもあって、サッカーに打ち込むようになると、中三の最後の県大会では3位という成績をおさめたという。
入学当初は、「サッカー部も荒れていた。」ということで、中学時代は、80年代の青春ドラマのようなストーリーを歩んできているが、長友にとっては、大きな3年間だったと想像できる。サッカー部を引退した後、駅伝の大会に出場することになって、ここで長距離のトレーニングをしたことが、長友という選手の原点になっているところも興味深いところである。
中学を卒業した後は、名門中の名門の東福岡高校に進学することになるが、愛媛県から単身で乗り込んでいくので、相当な決意があったと思われる。ただ、正直なところ、「東福岡高校で育った。」というイメージは薄い。どうしても、東福岡というと、本山雅志であったり、宮原裕司のようなテクニシャンを連想するので、東福岡っぽくない選手であるが、当時のポジションは、ボランチであり、高3のときは、選手権にも出場している。
■ 意志の強さ「大学時代に太鼓叩きをやっていた。」というエピソードが浸透しているので、「非エリート」に分類されることが多いが、東福岡高校でレギュラーポジションを確保し、高校選手権にも出場しており、明治大学でも、1年生の頃からチャンスを得ているので、普通のサッカー少年ではなかったと思うが、「意志の強さ」というのは、至るところから感じられる。
名門の東福岡高校を選択したこともそうであるし、明治大学を選んだところもそうであるし、また、大学卒業を待たずに、1年早くプロの道に進んだこともそうであるが、中学時代のある時期を除くと、自分を客観的に見つめて、成長できるところを選んで、自ら、決めた道を突き進んでいる。
指導者にも恵まれてきたと思うが、岡田監督との出会いも大きかったようである。南アフリカW杯前の岡田監督というと、相当なバッシングを浴びていたが、「どんなに非難されようとも、監督はブレたり迷うことが無かった。逆に悪いときこそ、成長できるチャンスなんだということをずっと僕たちに言い続けてくれた。」と語っている。
南アフリカW杯のエピソードで興味深かったのは、岡田監督から、「お前にエトーをみてもらいたい。エトーが左サイドでプレーするならば、右SBで出場してもらう。」と言われたという話である。結局、エトーは右サイドでプレーしたので、左SBでプレーすることになったが、本戦で、DF内田ではなくて、DF駒野がレギュラーで起用された大きな理由と言えるだろう。
■ 自分のことを知るということ長友という選手を見てきて感じるのは、「自分のことを良く知っている。」というところである。自分がどういう選手で、何がストロングポイントで、何がウイークポイントで、何を改善しなければならないのか、理解しているので、トレーニングに打ち込むことができるし、弱点を補いながら、ステップアップすることができる。
「自分のことを良く知る。」というのは、サッカー選手にとって、非常に大事な要素だと思う。過大評価することもなく、過小評価することもなく、客観的に自分を見つめることが重要で、そうでないと、試合で活躍することも出来ないし、また、移籍先を探すときも、自分に合ったチームを見つけることが難しくなる。
この点に関しては、香川や本田や内田なども、同様に優れていると思う。近年、CLに出場するようなクラブで主軸として活躍する選手が出てきたが、それ以前の選手たちと比べて、恵まれた環境で育ってきたわけでもないし、若年層の世界大会で活躍してきたわけでもないが、意識が高くて、自分がどういう選手なのかということを、よく知っている選手が日本代表に増えてきたように感じる。
■ 世界一のサイドバックへ・・・この本は、先のとおり、2011年5月に発売されているので、インテルでの2シーズン目以降の話は、書かれていないが、読み終わって感じるのは、「この先、どうするのかな・・・。」ということである。長友という選手は、小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、大学のときも、トップを走ってきたわけではなくて、常に、目標を見つけて、一歩一歩、道を切り開いてきた選手である。
南アフリカW杯の後は、「現状に満足し、安心してしまうことが怖い。もっともっと厳しい環境に行かなければ。」と思ったと書かれているが、インテルというと、世界最高峰のクラブであり、これから先、さらにステップアップしたいと考えても、これ以上の場所というのはなかなか見つからないだろう。
セリエAに挑戦することが決まったとき、味の素スタジアムでFC東京のサポーターに約束した「世界最高のサイドバックになる。」という夢はまだ達成されていないが、これまでに掲げてきた目標のほとんどすべてをクリアしてきたという事実と、最近のパフォーマンスを合わせて考えると、決して不可能な話ではないと感じるし、また、そこに到達したとしても、貪欲に戦い続けるだろう。
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