ジェフ市原(ジェフ千葉) (2003年~2006年まで) → Jリーグは、90年代後半から00年代にかけて、鹿島アントラーズとジュビロ磐田の「2強時代」となったが、日韓W杯を終えて「主力の高齢化」や「海外移籍」等の影響で、両チームの力が落ちてきて、群雄割拠の時代に入った。リーグをかき乱したのが、イビチャ・オシム監督率いるジェフ市原(ジェフ千葉)で、「考えて走るサッカー」で他のチームのサポーターからも一目置かれる存在となった。2005年にフクアリが完成し、2004年からジェフ千葉とクラブ名が変更になったが、イビチャ・オシム監督が率いた3年半は、ジェフにとっては、まさしく「黄金時代」だった。
イビチャ・オシム監督が就任する前年(2002年)や前々年(2001年)の成績は、2001年は1stステージが「2位」、2ndステージが「5位」で、2002年も1stステージが「8位」、2ndステージが「11位」だったので、決して悪い成績ではなかったが、アグレッシブなサッカーは本当に魅力的で、選手を「その気」にさせるのが抜群に上手だった。結局、2003年の1stステージは初優勝に王手をかけたものの、最後のところで横浜FMと磐田に抜かれて「3位」に終わったが、リスクを冒して戦うサッカーは、今までの日本にはあまり見られなかったスタイルだったので新鮮だった。
中でも、もっとも印象的なのは、2003年の1stの終盤の磐田戦で、ジュビロスタジアムで対戦したが、若手中心のジェフ市原が王者に食らいついて「2対2」のドロー。試合終了間際まで両チームが攻め合ってチャンスを作るというJリーグ史上でも屈指の名勝負となった。優勝のかかった大一番であり、この試合が「オシム・ジェフ」を象徴する試合であり、この試合がオシム監督の評価を劇的に上げることになった。成績を見ると、2003年の1stが3位、2ndが2位、2004年の1stが7位で、2ndが2位、2005年は4位と、常に上位争いをして、どちらかというとアウトサイダーだったチームをJ1でもトップレベルのチームに押し上げた。
個人的には、好きだった選手はオーストリア代表としても活躍したFWマリオ・ハースで、そのプレーを観るのは、本当に楽しみだった。2005年は25試合で6ゴール、2006年は23試合で5ゴールという成績なので、数字だけ見ると、それほどの選手には思えないが、彼がボールに触ると、攻撃の流れが良くなって、周囲の選手を生かすのが最高にうまかった。非常に頭の良さを感じる選手で、彼に生かされてFW巻誠一郎も開花した。
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◆ まとめ #83 私が好きだったクラブ (Jクラブ・後編) (2011/12/18)
→ シーズンオフに突入したので、「思い出企画」として、『好きだったな。』というクラブを挙げて、それらのクラブについて、語ってみたいと思います。まずは、Jリーグ編です。ただ、書き出していると長くなったので、「前編」と「後編」に分けてみました。今回は「後編」になります。2000年代に好きだったJリーグのクラブの話になります。
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◆ 関連メルマ 2011/11/24
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