はてなキーワード: 老後の楽しみとは
ありがたいことに両親は健在で、正月は実家に家族が集まりました。
50代のおばさんの近況報告は場にそぐわないだろうと思い、
姉妹の子どもたち(私から見て姪・甥)を含めた家族の話を聞きながら、
私は一人で帰宅し、元旦でも開いているスーパーに寄って簡単な夕食。
その時ふと、「ああ、一人なんだな」と実感しました。
結婚や家庭を持たなかったことを後悔しているわけではありません。
30代・40代の頃は「一人最高」と思っていましたし、
ただ、50代になり、
「これからをどう生きていくか」「どんな心構えで過ごしていくか」を
改めて考えるようになりました。
また、不幸だとか寂しさを誰かに埋めてもらいたい、という気持ちでもありません。
同じように50代でおひとりさまの方が、
どんな目標や楽しみを持って日々を過ごしているのか、
心の持ちようや、60歳までにやっておいて良かったこと
やっておこうと思っていることなどがあれば、
私は、体が動くうちは旅行を楽しみ
武蔵小杉のタワマンから落ちてくる花瓶をヘルメットで壊す仕事をしている。
当たり前だが、花瓶が頭に当たるととても痛い。
だが1花瓶当たり500円もらえるので、我慢している。
1日当たり平均50花瓶落ちてくるので、25,000円の報酬だ。
1日30,000円を30日行えば、なんと90万円の月収だ。
その報酬は武蔵小杉のタワマンの最上階に住んでいる物好き老人から支払われる。
この物好き老人が老後の楽しみとして花瓶を落としているのだ。
だが歩行者などに当たっては危ないため、俺のような人間を雇い、事故を防いでいる。
もし俺がその事故を防げなかったら?
その罰は俺に降りかかることとなる。
老人が落とした花瓶の罪は、俺が被ることになる。
そういう契約を俺は老人と交わしている。
ある日
(早送り⏩)
そうして、俺は武蔵小杉のタワマンから花瓶を落とすようになった。
毎日平均50の花瓶を落とし、雇った若者がそれをヘルメットで壊す。
これが俺の余生だ。
あなたがタワマンから投げた数多の花瓶、それが時空の歪みを生み、あなたの頭に当たるとは。
その謎、俺が必ずや解いて見せます。
私はタワマンから花瓶を投げますが、ちゃんとヘルメットをしている。
負けない。俺は負けない。
来い、花瓶よ!
俺がお前を闇に葬ってみせる!!
花瓶に水をあげましょう
心のずっと奥の方
30代半ば、結婚して約5年のDINKsです。これからもDINKsでいこうと思っている。
自分の場合DINKsという選択を後悔するかなーと考えてみたので書いてみます。
なので習い事に行き始めたり、「暇は悪」という思考の癖を直そうとしたりしている。
起伏が減るのは全くその通りだと思う。自分でイベント作らないとただ食う寝る働くネサフだけで一週間が終わる。事件が起きない代わりに、ひとりでに喜ばしい行事もやってこない。
なのでちょっとでもやりたいと思うことがあれば手を出すようにしている。新作食品を買ったり、話題の映画を観に行ったり、旅行の計画を立てたり。腰の重い引きこもり性分を矯正しようとしている。
自分の場合これはどうかな……30代の現時点では生活水準維持できていることに満足している。家を買ったけど貯金に余裕はあるし、ローンの不安もない。最近の値上げラッシュも「値上がりしてるなー」と思うだけで、生活の苦しさもない。
小遣い制でもないので夫婦ともに好きな時に好きな浪費ができるの、単純に楽しいしありがたい。
「水準が上がらない」より「水準が下がらない」ことに満足しているのかも。
4.精神がかなり摩耗する
幸い、自分の場合これはない。夫婦ともにきょうだいがいて、かれらに子供がいるおかげだと思う(つまり両親にとっての孫はもういる)。盆や正月は孫が賑やかに過ごしていて、両親も楽しそうに世話しているから、私たちにはプレッシャーがこない。
30代なのでまだ全然想像がつかない……夫婦で老人ホーム入れるくらいのお金は貯めねばとは思っている。確定拠出年金や投資信託にはお金入れてる。
6.友人が減ってしまう
確かに友人と過ごす時間は確実に減っているのだけど、子供を持っていないせいかというと微妙……。元々友達少ないし社交的な性格じゃないからなぁ。
子供を持っていたら子持ち同士で続く話題があるとは思う。けどその分独身の友達とは話が合わなくなるから、トレードオフというか仕方ないというか、一般化できる話じゃない気がする。
これも、まだ30代なので何とも言えない。後悔しないとは言い切れない。
年取ってから後悔しないよう、人生で絶対やりたいと思っていたペットお迎えはしようとしている。老後の楽しみと思ってたけど、寿命考えると老後じゃ間に合わないなーと。
DINKsという選択を改める気はやはり起きないけれど、元増田さんが記事を書いてくれたおかげで考えるきっかけになりました。ありがとうございます。
シンガーソングライターの発掘をもう今から老後の楽しみにしている草野さん渋いー☺
俺が初めてコミケに出品したときは、50部刷って2部しか買ってもらえなかった。
最終的には1000部刷るようになって(今じゃたいしたことない数なのかもしれないけど、4桁刷るやつなんて俺のもともとの友人にはいなかった。)、ゲームに転向して、その流れで今の仕事にたどり着いたけど、
俺たちの頃は、レベル1でコミケからスタートして、その多くが散っていった。
一方、今はpixivやtwitterやなろうがレベル1でデビューする舞台のようで、コミケに行く頃にはレベル20くらいあってそうそう爆死はしない気がする。
オンラインだと、同じ人が何度も名前を変えて再挑戦しているのを見かける。
絶対に自分の方向性を変えない人、迷走しちゃう人、常に流行に乗っかろうとする人、
ハンドルネームも、わかるように変える人、わからないように変える人、それぞれの考えが見えるようで面白い。
いずれにせよ、対面の場で1日きっつい思いをして再挑戦なんてなかなかできなかった時代とは違うな、と感じる。
そんな初めてのコミケで余らせた48部のうちの1部を受け取ってくれた見知らぬ人が今の職場の上司の上司だった、と、つい先日気づいた。
彼の退職に当たってオフィスを片付けていた際、部屋に積まれたダンボール箱にその1部が入ってるのを見つけた。
素知らぬ顔で「何ですか、このダンボール?」と尋ねると、「ん? 老後の楽しみ」。
奥付には住所氏名を書いた時代だけど、開きもしなかったのか、開いても記憶には残らなかったのか。
いずれにせよ、老後の楽しみに貢献できれば嬉しい。
東京23区に住んでいる。私が住んでいる街はもともと左派が強い街だ。商店街や駅前では、自民党の支持者が多いが、駅から離れるにつれ、住環境は悪くなっていき、低所得な独居高齢者がボロボロなアパートに住むというような地域がポツポツ現れる。そういう街では、公明党、共産党、れいわなどのポスターや左派諸派のポスターが増える。環七の向こうは別の街だ。普段、駅周りで生活していると気が付かないが、違う小学校区に足を運ぶと、この街は本来、左派の街なのだな、と思う。
ただ、その左派の一つ一つがかなりの存在感を放っていることもあり、逆にひとつになるということは難しかった。というより、そもそも、保守派がマイノリティな地域であるから、二元的な対立に持ち込まれると基礎票で完全に負けるのだ。いままでは左派が分散していたため、基礎票も割れていた。その結果、現職の大物議員は開票、即当選での勝利を繰り返していたのだ。それが今回小選挙区ではじめての敗北を味わった。
では今回、大物議員が票を減らしているかといえばそんなことはない。前回より多くの得票をしている。陣営もしっかりと基礎票の積み重ねは行ってきた。勝って傲慢になるのではなく、しっかりと対策はしてきていたのだ。しかし、地元では「明確なメッセージを持たない」と思われているその政治家は、ある一定以上のリテラシーを持つ層、街に永住すると決めていない層には刺さらない。彼は政策型の政治家ではなく、陳情窓口型の政治家だと地元では思われている。おらたちの村を発展させてくれる政治家、つまり区議や都議の大将という位置付けなのである。大学で学ぶ政治学や政策はほとんど関係ない。それより公園をつくったり、スケートボードを禁止するほうが大事なのだ。
今回、彼が勝つためには、左派の自滅、浮動票の獲得しかなかった。基礎票は年単位で構築するものであるから、選挙が始まってからここを増大させるのは難しい。今までは左派の自滅で勝てていたのだが、今回は左派は一枚岩になっていた。そうなると、浮動票の獲得しかなかったが、自民党という追い風は、自らのコロナ優先入院騒動で相殺された。小選挙区は、個人に投票するものであるから、党派に賛成していても、その個人への不信感があれば追い風は無風になる。選挙が始まってしまえば、打てる手は実は、ほぼない。選挙前に仕込みをし、あとは選挙前に加速度をつけて、最高速度を更新続けるのが選挙だ。選挙期間の前に、選挙はほとんど終わっている。今回は、左派の作戦勝ちだった。
左派の基礎票は、そのイデオロギー性にある。社会的正義や不平等、不公平感などから生ずる怒りがイデオロギーとなり基礎票を形成する。では、右派、とくに彼の場合の基礎票の正体とはなんであろうか。一体誰が投票しているのであろうか。これは地元にいないとなかなか見えてこない。彼に投票しているのは、利害関係のある業界団体、宗教法人、地域のおじいちゃん、おばあちゃんコミュニティーである。おじいちゃん、おばあちゃんについて、もう少し詳しく話すと、区議の後援会の面々である。この区議の後援会の面々をうまく組織しているのが、彼の事務所であった。
例えば都議選のときなどは、区議は都議候補のところへボランティアにいく、事務所を貸す。国会議員である彼も応援演説にいく。彼のコネで大物政治家を投入する。逆に区議選では都議、国会議員がサポートに回る。そのような互助会が、後援会の正体だ。国会議員の後援会は、都議の後援会であり、都議の後援会は区議の後援会でもあるのだ。区議が対処できない陳情は都議に持っていき、都議が解決できない陳情は国会議員に投げる。逆に選挙のときは、手伝ってもらう。なぜなら、その後援会の中で一番結束が固いのが、地元の名士をトップとした地域コミュニティーである区議であるからだ。区議の後援会は最強である。そこには政策はいらなく、区議の人望があればいい。その家の看板があればいい。それを旗印に、みんなで戦うというレジャー、人生のスパイスが、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっての選挙なのだ。そして勝てば、みんなでお祭り騒ぎをする、それが楽しいのだ。普通の人がテレビでみるイベントに参加できるという老後の楽しみが選挙という面もあるのだ。シルバー民主主義とかあんまり考えていない。多くの人は楽しいから政治活動に参加している。
私も街頭演説を見てびっくりしたが、彼は抜群に演説がうまい。それは政策を語る、というものではなく、人心掌握という点である。彼の陣営は、おじいちゃん、おばあちゃんのそういう気持ちを熟知していて、街頭演説などでは、後援会の会長の奥様などを見つけて声をかける。国会議員本人が演説中に演説を中断し、「あ!◯◯さん、お久しぶりですね!お元気でしたか?」と高いところから声をかけたりするので、声をかけられた本人はもちろんうれしい。だから、友人たちをたくさん動員し、演説では人一倍拍手をし、がんばって、と声援をかける。そんな友人たちの前で声をかけられれば、「いつも誘ってくる人」から「有名人の知り合い」にランクアップである。そんな区議の後援会のお礼に、彼やその秘書たちは担当を決めて、その地区のお祭りや、野球チームや、寄り合いなどに普段着で遊びにいくのだ。そして、後援会の人にみつかり、なにか一言、というような展開によくなっている。打算的といわれようが、なんだろうが、そこまでするのか、と私はびっくりした。また、私の母も、彼の主催するバスツアーに呼ばれて、旅行に行っていた。高くもなく、安くもなく、普通のバスツアーだったが、帰ってきた母は嬉しそうに話してくれた。
ご飯のとき、本人が横に座ってくれ「困ってることないですか」と聞かれた、だけど、政治のことはわからないので、「近くの側溝から蚊がわいて困ってる」というどうでもいい話をしてしまった、はずかしいと帰ってきた母は嬉しそうに話していた。そして、後日、後援会(というか、なかよし会)のみんなで写った集合写真が届き、そして側溝は掃除された。後援会ごとに写真を取っているんだと思う。それを経験した母はあんなすごい人が私の話を聞いてくれた、となり、そのままファンになっていった。総理大臣を目指すといえば、ときめくのは実はおばあちゃんなのである。おらが村の政治家を総理大臣にするべ!となる。政治家は、バスツアー、街頭演説、選挙、後援会活動などの老後のたのしみとやりがいを提供してくれるエンターテイナーなのである。
新聞ではブランドの崩壊など書かれているが、住んでいる人間、しかも、生まれ育った人間からすると実態を捉えていない。地場の人たちは、とても近くに彼を感じている。政策を語らせるとちょっと頼りないけど、困ってるとき相談するとなんとかしてくれる大将であり、自分の老後人生にハリを与えてくれる人なのだ。彼は自分の身の回りの話しの解説、生活密着といった地上戦の話には強いが、空中戦、つまり憲法、経済、ジェンダーなどの話で深く語ることができない。次回の挑戦までに、秘書たちはもう一度地盤を固め、彼自身は今回取りこぼした浮動票にささる空中戦を体系的に学ぶ必要があると思う。後援会は、高齢化が進んでいる。おじいちゃんおばあちゃん達のアイドルもいまや、還暦を過ぎていて、ここからファンクラブを拡大するのは難しい。そして経年減少を迎えている。だから、選挙に勝つためには、浮動票を取るしかない。リテラシーのある層を取りに行くしかない。それが出来ないと、構造的に負け続ける構造になってしまう。空中戦も戦える候補にならないと、次がない。マーケティングを施したキャッチフレーズは刺さらない。
軍団は解散した。今度はあなたが軍団の大将だ。赤いポロシャツ軍団を率い、今度は高いところから理念を語る姿を見たいと思っている。