はてなキーワード: 暗殺とは
もっとこう、あるだろ
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つーか中東のデータセンターがイランに人質にされててそこから攻撃ができなくなってる
アメリカがイラン要人暗殺するたびに報復でデータセンター攻撃するとイランが宣言してから攻撃がピタっと止まった
そんなことで引き下がらないとアピるべきなのではないのか
以下は、日本の内閣総理大臣(首相)経験者のうち、暗殺(または襲撃により死亡)された人物の一覧です。歴代首相経験者(約64人程度)のうち、7人が該当します。
暗殺された首相経験者(時系列順)伊藤博文(初代・第5・7・10代首相、1841-1909) 1909年(明治42年)10月26日、中国・ハルビン駅で韓国独立運動家・安重根により銃撃され死亡(当時は枢密院議長)。
原敬(第19代首相、1856-1921) 1921年(大正10年)11月4日、東京駅で青年・中岡艮一により短刀で刺殺(現職首相)。
浜口雄幸(第27代首相、1870-1931) 1930年(昭和5年)11月14日、東京駅で右翼活動家により銃撃され負傷。療養中に容態が悪化し、1931年8月に死亡。
ロンドン海軍軍縮条約関連の反発が背景(現職首相時の襲撃)。
犬養毅(第29代首相、1855-1932) 1932年(昭和7年)5月15日、「五・一五事件」で海軍青年将校らにより首相官邸で射殺(現職首相)。
高橋是清(第20代首相、1854-1936) 1936年(昭和11年)2月26日、「二・二六事件」で陸軍青年将校により自宅で殺害(元首相・当時蔵相)。
斎藤実(第30代首相、1858-1936) 1936年(昭和11年)2月26日、同「二・二六事件」で殺害(元首相・当時内大臣)。
安倍晋三(第90・96-98代首相、1954-2022) 2022年(令和4年)7月8日、奈良市内で街頭演説中に元海上自衛隊員により銃撃され死亡(元首相)。
補足
現職首相として直接暗殺されたのは、原敬・犬養毅の2人(浜口雄幸は負傷後の死亡のため含む場合あり)。
これらの事件は、大正デモクラシー期や昭和初期の政治的不安定(軍部・右翼の台頭)を象徴するものが多く、日本政治史に大きな影響を与えました。
戦後では安倍晋三元首相が初のケースで、それ以前の要人襲撃(例: 岸信介首相の負傷など)は死亡に至らないものがほとんどです。
っていうのがあってな。
なんかトランプがやたら銃で狙われるのを見てるとふと思い出した。
今回は生きて逮捕された。
いや、そこ丁寧に言い換えてるけど論点ズレてると思うよ。
まず一番大事な順番が抜けてるんだよな。
どんな理由があろうと、
これが最初に来ないといけない。
そこ飛ばして「織り込み済みだから」とか「対処できるはず」とか言い始める時点で、
もう危険な方向に踏み込んでる。
結果としてどう見えるかっていうと、
被害のリスクや加害を“条件付きで正当化してる”ように受け取られるわけで、
そりゃ支持されないのも当然なんだよ。
あと「空き巣の例」とかもそうだけど、
「注意してれば防げた」みたいに持っていくのは無理がある。
普通に考えて、
どんな立場でもまずは
そこが後回しになってる時点で、
説明としても順序としても成立してないと思うわ。
1つ目の「分断煽ってるから命狙われても仕方ない」は誤解じゃないかな。
中立よりも少しだけ擁護寄りの表現をしちゃうけど、「命狙われることくらい織り込み済み」というのは、「命を狙われるリスクを冒しても自分の政治信条を貫いたんだろう」とか「命を狙われることは当然予期していたから、きっと今回の危険にも十分な体制で対処できたんだろう」とかいう意味に解釈できるんじゃないか。
2つ目の「本人が招いた危機」についても、これは散々議論されてきたテーマだけど、テロや暗殺未遂を正当化してるのとは違うよ。
Instagramで豪奢な暮らしぶりをひけらかしつつ、自分の住所も公開した上で、「長期の旅行に行ってきまーす」と宣言して、特に警備会社と契約するでもなく自宅を空き巣に狙い邦題にされた場合、もちろん悪いのは完全に空き巣だけど、本人にももう少しうまいやり方があったんじゃないかという話。旅行の話は帰宅してからにするみたいなことは、一般人の間でもよく言われる対策だよね。
トランプ暗殺の件、ブコメ見てて思ったけど、普通にライン越えてない?
本人が分断煽りまくってるんだから命狙われることくらい織り込み済みなんだろうなあ。敵は多い
二年のうち二回も暗殺沙汰(未遂)、多分計画レベルだと何十何百と米国内だけであるんだろう。本人とその政権が生んだ分断によって招かれた本人の危機だと思う、そしておそらく今後も生きてる限り続く可能性が高い。
「分断煽ってるから命狙われても仕方ない」とか、
「本人が招いた危機」とか言ってるけど、
それって結局、テロや暗殺未遂を正当化してるのと何が違うのって話なんだよ。
どんなに相手が嫌いでも、
暴力で排除されても仕方ないって理屈を許した時点で終わりだろ。
こういうのが積み重なって、
どんどん過激化していくんだろうな。
選挙でも支持広がらないっていう構図なのに、
そこには一切気づかない。
そりゃ負け続けるわって話。?
三国時代(220-280年)は、確かに戦乱と残虐行為に満ちた時代でした。しかし、そこにはまだ「英雄のドラマ」と「一定の格式」が残っていました。曹操や諸葛亮のように、教養・統率力と残酷さが同居する人物が多く、敵将の降伏を厚遇するケースも少なくありませんでした。
三国時代や唐代以降と比べても、「民族単位での大規模虐殺」「朝廷交代ごとの皇族・名族の根絶やし」「強制移動の頻発」という特徴が極端に目立ち、単なる戦乱を超えた「文明の崩壊と民族対立の泥沼」といった様相を呈しています。
西晋(265-316年)が統一を果たした直後、皇族同士の権力争いである八王の乱が勃発します。 八人の王(皇族)が互いに殺し合い、短期間に大量の皇族が処刑・自殺・暗殺されました。この乱は単なる宮廷内紛ではなく、:「朝廷の交代=皇族絶滅」:という悪しきパターンの始まりでした。
晋は乱の影響で極度に弱体化し、北方の異民族(五胡)を傭兵として大量に呼び込みました。これが後の大混乱の直接的な引き金となります。
後漢は北方の異民族(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌など)を「胡人」と呼び、辺境の防衛力不足を補うために積極的に中華域内へ移住させ、兵として動員しました。 特に:西涼(現在の甘粛省・青海省あたり)の軍閥は、:胡人の騎馬戦力を基盤とした強力な勢力として台頭しました(董卓や馬超の西涼軍が典型例です)。
この政策は一時的に国境を安定させましたが、結果として大量の異民族が内地に定住する事態を招きました。三国時代にはまだ抑えられていた民族間の緊張が、西晋の衰退とともに爆発的に表面化したのです。
西晋の崩壊後、北方(華北)は:五胡十六国時代と呼ばれる極端な分裂期に入ります。:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの主要異民族が次々と王朝を建て、漢人王朝も含めて20近い小王朝が乱立しました。
・石勒(後趙、羯族)は漢人を大量に坑殺(生き埋め)する「漢人殲滅政策」を実行。
・冉閔(漢人)はこれに報復し、羯族を民族ごと殲滅しようとしました(数十万人規模の虐殺)。
・各王朝の交代のたびに、勝者側が敗者側の民族・皇族を根こそぎ殺すパターンが繰り返されました。
北方の北朝と南方の南朝に分裂した後も、残虐性は収まりませんでした。
鮮卑族の北魏が華北を統一しましたが、皇族・貴族の粛清が絶えませんでした。:河陰の変(528年)は、:爾朱栄が北魏の王公貴族約2000人を一度に虐殺し、洛水を血で赤く染めました。
宋・斉・梁・陳の各王朝交代のたびに、前王朝の皇族・名族がほぼ全滅する:「禅譲の茶番」が繰り返されました。:幼い皇帝を無理やり即位させて形式的な禅譲を行わせ、用済みになったら即座に殺害するという、偽善的で残酷な手口が常套化しました。
589年に隋が南北を統一し、618年に唐が成立することで、この長い残虐時代はようやく終わりを迎えます。 隋・唐は科挙制度を拡大し、血統ではなく能力による官僚登用を推進することで、門閥貴族の力を弱め、中央集権を強化しました。しかし、唐の成立も北周の関隴貴族(鮮卑系混血が多い)を基盤としたため、完全な「漢人王朝」とは言えない複雑な出自を持っていました。
英雄同士の知的な激突と、一定の格式が残る「名士の戦い」の時代。
民族間の生存競争が激化し、民族単位の虐殺応酬と一族誅滅が常態化。教養と残虐さが分離し、文明の形式すら崩壊した。
科挙による能力主義が広がり、士大夫階級が成立。門閥貴族の血統支配が崩れ、比較的安定した時代へと移行。
後漢後期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まったこの混乱は、中国史の中でも特に暗く、虚無的な時期と言えます。
ローマ帝国末期が異民族の軍事力に依存し、崩壊の遠因となったのと似た構造を持っています。
この時代は、単なる戦乱ではなく、「出自主義の呪い」と「民族対立の連鎖」がもたらした、人間社会の極限的な暗部を象徴しています。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001