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2026-04-22

クィア理論皮肉フーコー視点から批判

クィア理論は、ジュディス・バトラーイヴ・コソフスキーセジウィックらによって展開された、異性愛中心主義ヘテロノーマティヴィティ)を脱構築する試みとして登場した。規範を「行為の反復」として相対化し、ジェンダーセクシャリティを流動的なパフォーマンスとして再定義することで、抑圧から解放を目指したはずであるしかし、21世紀に入りこの理論制度化・政策化される過程で、皮肉にも新たな規範の再配置と生権力装置として機能し始めた。ミシェル・フーコーが『性の歴史』や『監獄誕生』で分析したように、権力は単に抑圧するのではなく、知識・言説を通じて主体生産・分類・管理する。クィア理論は、旧来の生物学的性規範批判しながら、自ら新しい「正常/異常」の線引きを導入し、人間本性を再定義し、さらには一部の逸脱者を「脱人間化」するプロセスを促進している。

新たなジェンダー規範の再配置:性自認優先の制度

代表的な事例が、女性専用スペースの「解放政策である英国では、性自認を重視した刑務所配置方針が長年続けられた結果、生物学男性でありながら女性として認識されるトランス女性囚人割合が急増した。2025年3月31日時点で、イングランドウェールズ刑務所には339人のトランスジェンダー囚人確認されており、前年比15%増という急拡大を見せている。過去公式データでは、こうしたトランス女性(出生時男性)のうち、性的犯罪歴を持つ者の割合が58.9%〜62%に達し、生物学女性囚人(3.3%)や男性全体(約17%)と比較して極めて高い男性犯罪パターンを維持していることが明らかになった。

同様の再配置はスポーツ分野にも及ぶ。国際オリンピック委員会IOC)は2026年3月女性カテゴリー参加資格生物学女性(SRY遺伝子スクリーニングによる一回限りの判定)に限定する新方針を発表した。これまで性自認尊重した参加が認められてきた結果、生物学男性身体的優位性による不公平が深刻化し、女性アスリート安全競技の公正が脅かされる事例が相次いだ。トイレ更衣室、温泉などの日常空間でも、性自認優先の通知や条例が導入され、生物学的性の境界曖昧化された。

これらは、クィア理論が唱える「規範撹乱」ではなく、新しい規範の再配置である生物学的性を「社会的構築物」と位置づけ、性自認を優先する言説は、フーコーのいう生権力として、身体と生を新たな基準管理する装置となった。旧来のheteronormativityを批判しながら、性自認という内面的真理を「知識権力」の対象に据え、人口を分類・最適化する——まさにフーコーが警告した、権力が「生」を対象化するメカニズムだ。

人間本性の再定義流動性 vs 生物学現実

クィア理論は、人間本性を「本質的」なものではなく、パフォーマティブに構築されるものとして再定義した。これにより、ジェンダー・ディスフォリアを抱える若者への「アファーマティブケア」(性自認肯定医療)が推進された。しかし、英国カスレビュー2024年最終報告)やその後の追跡調査では、思春期抑制剤やクロスセックスホルモン治療エビデンスが「極めて弱い」ことが指摘され、長期的な精神衛生身体的影響(骨密度低下、認知発達への懸念)が懸念されている。2025年以降、イングランドでは思春期ブロック剤の使用原則禁止され、ホリスティック包括的)な心理社会的支援シフトする動きが加速した。

この再定義は、フーコー医療理論を逆手に取ったものだ。19世紀同性愛が「逆性的感覚」という医学カテゴリとして生産されたように、クィア理論性自認を新しい「内面的真理」として医療教育法制度の対象に据えた。結果、生物学現実進化的に形成された性的二形性や犯罪パターン性差)を「抑圧」と位置づけ、流動性強制する新しい規範を生み出した。

ここで特に問題なのは、こうした人間本性の再定義社会契約民主的プロセスほとんど経ずに急速に制度化された点であるホッブズルソーが描いた社会契約は、個人の加害性や自由限界相互に認め、合意に基づく規範を構築する仕組みである民主的プロセス議会審議、科学レビュー国民合意形成公衆討議)は、これを支える現実的な装置だ。しかし、クィア理論の影響下で性自認優先政策アカデミアや一部の運動から行政法制度へ波及した過程では、こうしたプロセスが大幅にバイパスされた。生物学現実潜在的加害性の検討が十分に行われないまま、政策が「進歩的トレンドとして導入された事例は枚挙にいとまがない。

社会契約民主的プロセスは、一種の「遅延効果」を持つと見るべきだ。思想トレンドの変化が熱狂的に進行する中で、即時的な制度反映を「遅らせる」安全装置。審議の時間科学エビデンスの蓄積、利害関係者の声の反映——これらがなければ、流動的な人間像の再定義現実の害(身体的・心理的・社会的コスト)を十分に考慮せずに固定化されてしまう。クィア理論脱構築を掲げながら、この遅延効果を「抑圧の装置」と位置づけ、民主的チェックを弱めながら生権力を再配置した。

医療基準改定による「非医療化」の逆説——フーコー医療理論適用

ここで注目すべきは、医療基準自体改定による「非医療化」が、フーコー医療理論でこそ最も鮮やかに説明できる点であるDSM-5(2013年)では「Gender Identity Disorder(性同一性障害)」を「Gender Dysphoria(性別違和)」に改称し、アイデンティティのもの病理化する表現廃止した。ICD-112019年)では「Gender Incongruence(性別不一致)」を精神疾患から性的健康関連条件」章へ移動させ、精神疾患としての分類を正式に解除した。これらは一見クィア理論が推進した「反医療化」の勝利のように見える。

しかし、フーコー医療理論から見れば、これは非医療化の名の下に行われる新たな医療化・生権力の再配置にほかならない。フーコーは、権力が「病理化」だけでなく「脱病理化」によっても主体生産管理することを繰り返し指摘した。旧来の病理化(行為を「種」として内在化し、管理対象とする)を批判するように見せかけつつ、「合意と害の不在」という新しい基準で逸脱を再分類する。適合する軽度の逸脱(規範撹乱的な多様性)は「正常な多様性」として保護特権化され、適合しない重い衝動(非同意暴力要素の強いパラフリック障害)は、より強く「ただの犯罪」として切り捨てられる。これにより、クィア理論は反医療化を装いつつ、性自認を新しい内面的真理として医療制度的介入の対象に据え、人口の生を再最適化する装置を構築した。まさにフーコーが警告した「権力生産性」の典型である

犯罪者の脱人間プロセス二重基準階層

さらに深刻なのは、逸脱の「軽重」による選別が、犯罪者の脱人間化を促進している点だ。合意ベースの軽度パラフィリアや規範撹乱的な表現は、クィア理論によって「多様性」として保護特権化される。一方、非同意暴力要素の強い性的衝動(パラフリック障害)は、「ただの犯罪」として切り捨てられ、道徳的社会的に脱人間化される。DSM-5がパラフィリア自体を非病理化しつつ、害を伴うもの障害とする区別を設けたのも、この二重基準制度化した例である

フーコー的に見れば、これは生権力典型的な逆説だ。クィア理論は「反医療化」を掲げて旧来の病理化を批判したが、結果として新たな分類装置を構築した。「クィアであること」が文化的道徳的資本となり、十分に「クィア」でない逸脱者(重い反社会性+性的衝動の複合型)は、規範の外側に排除される。犯罪者は「宿命的な怪物」としてではなく、社会管理すべき生として扱われるべきなのに、理論は「軽い逸脱」の保護と「重い逸脱」の脱人間化を同時に推進する二重基準を生んだ。これにより、管理される自由自発的衝動抑制治療や専用環境選択肢)は十分に整備されず、宿命的な渇望を持つ人々をさら孤立させる。

フーコー批判——権力螺旋に巻き込まれ抵抗

フーコーは、権力は「抑圧」ではなく「生産」であり、抵抗のものが新たな権力装置を生むと繰り返し指摘した。クィア理論はまさにこの螺旋に巻き込まれた。規範脱構築しようとしたはずの運動が、性自認という新しい真理を生産し、身体と生を再管理する生権力として機能している。人間本性を流動的に再定義した結果、生物学現実や加害性の潜在性を直視する機会を失い、脆弱層(生物学女性子供)の安全権を再配分する事態を招いた。

社会契約民主的プロセスという「遅延効果」を欠いた再定義は、こうした生権力の再配置を加速させた。人間らしい社会とは、逸脱の宿命を認めつつ、害の度合いに基づく透明な線引きと、加害衝動者への「選択肢」(任意医療的介入や構造化された環境)を拡大する社会であるフーコー物差しで測れば、クィア理論実践規範の単なる置き換えに過ぎない。脱構築の名の下に生まれた新たな抑圧を避ける——それが、今求められる成熟した視点だろう。

2026-02-23

インフルエンザになったらカップヌードルを食べる」とかい記事に筆者の悪い意味での老化を感じる

雑過ぎる。医学バックグラウンドのある方なら、流感発熱時の管理項目や緊急受診必要徴候が何かくらいの知識はあるはずで、

それに対して「インスタントラーメンはこう悪い」がたとえば「過剰ナトリウムに対してはこうすれは緩和できてデメリットを避けつつカップラーメンを最大限楽しむことができる」とか「実は管理栄養食で使われる〇〇は減塩カップラーメンとほぼ同じようなものだ」みたいなトリビアとか実用的な知識とか正しい医学的背景が全くない。「おれは自分を良く知っていて熱にカップラーメンと桃缶はよく効くんだガハハ、俺にしか効かないがな。」みたいなの喜んでブクマしているブクマカも惰性と老化しか感じない。

百歩譲って、「病気ケアには生化学的な身体ケアと同様に精神的、魂の容器のケアの両面のホリスティックケア大事なので、それに自分場合ラーメンが効く。」くらいなことは言えないものか。

2025-04-14

ケネディ保健長官サラダ油健康に悪い

ソース

Kennedy and influencers bash seed oils, baffling nutrition scientists

https://www.rarejob.com/dna/2025/04/06/kennedy-and-influencers-bash-seed-oils-baffling-nutrition-scientists/

最近まで、ほとんどのアメリカ人は、おそらく何十年もの間、種子油を使って料理したり、摂取したりしてきたにもかかわらず、「種子油」という言葉を聞いたことがありませんでした。

これは、インターネットの有力者、健康第一人者、一部の政治家が、長年多くの家庭の台所定番となっている一般的調理油(キャノーラ油、大豆油コーン油など)を指して作ったキャッチー表現である

こうした辛辣批評家たちは、精製された植物油トップ8を「憎むべき8種類」と呼び、それらが炎症を助長し、肥満糖尿病などの慢性疾患の発生率を高めていると主張している。

新保健長官ロバート・F・ケネディジュニア氏は、米国人種子油によって「知らないうちに毒されている」と述べ、ファストフード店に対し、フライヤー牛脂動物性脂肪使用するよう呼びかけた。

消費者懸念に応えて、一部の食品メーカー製品から種子油を取り除いていますサラダチェーンのスイートグリーンのようなレストランは、メニューから種子油を削除しました。業界団体である国際食品情報評議会最近調査によると、多くのアメリカ人現在種子油を避けていると回答しています

種子油をめぐる議論栄養学者激怒させており、数十年にわたる研究により、特にバターラードなどの代替品の代わりに種子油を摂取すると健康に良いことが確認されていると彼らは主張している。

種子油が悪者だというのはどこから来たのか分からない」とオハイオ州立大学の食品科学教授マーサベルリー氏は言う。

上院公聴会で、米国食品医薬品局長官に指名されたマーティマカリー博士は、製品のより綿密な調査を求めた。

種子油は、科学証拠統合によって恩恵が得られる良い例だと思います」と彼は語った。

種子油は主に不飽和脂肪酸構成されており、これには一価不飽和脂肪酸多価不飽和脂肪酸が含まれますほとんどの種子油は、オメガ6脂肪酸が多く、オメガ3脂肪酸が少ない傾向があります。これらの脂肪酸人間健康に不可欠ですが、体内で生成できないため、食品から摂取する必要があります

種子油の批評家たちはさまざまな主張をしているが、多くの科学者はそれらは研究によって裏付けられていないと指摘している。

salada oil is one of the seeds oil?

答えはイエスサラダ油は複数植物油を混ぜて作られるため。

the hateful 8

https://www.417integrativemedicine.com/articles/the-hateful-8-seed-oils

ヘイトフル8」と呼ばれる種子油(キャノーラ油、コーン油綿実油大豆油ヒマワリ油ベニバナ油グレープシードオイル、米ぬか油)には注意が必要です。これらの油はオメガ6脂肪酸を多く含み、炎症や心臓病、糖尿病などの慢性疾患の原因となりますホルモンバランスを乱し、ミトコンドリアダメージを与え、エネルギー細胞健康に影響を与えます。これらの油は多くの加工食品に含まれており、肥満ホルモンバランスの乱れにつながる可能性があります。炎症を抑え、全体的な健康サポートするために、オリーブオイルアボカドオイルココナッツオイルなどの健康的な脂肪を選びましょう。簡単代替摂取健康改善できる方法をご紹介します。

憎き8つのシードオイルとは何ですか?

健康改善し、慢性疾患を予防したい人にとって、8つの有害種子油を理解することは非常に重要です。これらの油には、キャノーラ油、コーン油綿実油大豆油ヒマワリ油ベニバナ油グレープシード油、米ぬか油が含まれます。これらは加工食品によく含まれており、避けることで健康維持に大きな違いをもたらす可能性があります

これらの油がなぜそんなに有害なのか疑問に思うかもしれません。それは、オメガ6脂肪酸を多く含んでいるためです。オメガ6脂肪酸は過剰摂取すると炎症を促進する可能性があります。炎症は、心臓病や糖尿病など、多くの慢性疾患の根本原因です。ですから、これらの油を摂取しないことで、炎症を軽減し、より健康な体づくりに向けて積極的に取り組むことができます

他者奉仕し、より良い健康へと導くには、これらのオイルの影響を認識することが不可欠です。オリーブオイルココナッツオイルアボカドオイルといった健康的な代替オイルについて、自分自身だけでなく周囲の人々にも知ってもらうことで、健康効果を大きく向上させることができますクライアントや大切な人は、代謝健康と全体的な健康サポートするオイルへの移行を高く評価するでしょう。食生活の小さな変化が大きな改善につながり、より健康幸せな人々のコミュニティを育むことを忘れないでください。

隠れた危険性を解明:特定の油の過剰摂取健康に与える影響

特定種子油を過剰に摂取すると、炎症を増加させ、心臓病や肥満などの慢性疾患につながる可能性があるため、健康危険さら可能性があります。また、これらの油はホルモンバランスを乱し、ミトコンドリアダメージを与え、全体的な健康状態に影響を与える可能性があります。(中略)

ミトコンドリアの損傷

ホリスティックアプローチ採用するということは、食生活健康のあらゆる側面に与える影響を考慮することを意味します。ミトコンドリア機能細胞全体の健康サポートするオリーブオイルアボカドオイルココナッツオイルなど、より健康的な代替品を選びましょう。これらの選択肢を優先することは、あなた自身利益をもたらすだけでなく、他者ケアし、サポートする能力を高めることにもつながります

そのほか

肥満心臓病、ホルモンバランスへの影響、心臓に良いとよく宣伝されるキャノーラ油は、通常、高温と化学溶剤を用いて抽出されるため、有害トランス脂肪酸が発生する可能性があります

種子油を含む一般的食品

サラダドレッシングからスナックバーまで、日常的に口にする多くの食品に、健康に悪影響を与える可能性のある種子油が含まれていることに驚くかもしれません。これらの油は、植物油、キャノーラ油、大豆油などと表示されていることが多く、加工食品に多く含まれています。次にポテトチップスの袋やマヨネーズの瓶を手に取ったら、原材料名をチェックしてみてください。きっと、そこにこれらの種子油が隠れているはずです。(後略)

補足

アメリカでもこの説は否定する向きもあるが、仕掛人ビル・ゲイツがいるとされ、信用されていない。

そもそも油は取り過ぎないようにすることが大事なのだが。。。

2025-03-18

悲報】話の粒度が合わない、話が通じないことがある理由がわかったわ

話の粒度が合わない、話が通じないことがある理由がわかったわ

どうやらワイの情報の処理の仕方が原因の模様

ワイは基本的逐次処理しないからな。ワーキングメモリが小さいのですぐ溢れちゃうし、非効率もの

情報全体を絵か地図のように捉えて、情報関係性(パターン)を優先して捉え、細かい部分の確認は後回しにしてる

 

1. 情報全体を「スレッドプール」に投入

2.「意味のまとまりコンテキスト)」を先に構築

 

3. 全体を把握した後、必要な部分だけ詳細チェック

 

からないことが多くて、絵や地図として塊で捉えられない、逐次処理する必要がある話題は、いったん止めるよね

だってどう考えても時間無駄もの。前提知識がないか理解できないし、前提知識を埋めるのが先でしょうよ

あるいは、抽象度をもっと上げて概念的な話、事例(結果)の話を頼んで全体像を把握するよね

実際的知識は後ほど自分のペースで個別確認みたいな。その方が時間効率がいいからね

 

 

なお、ホリスティック処理(全体処理)だけでなく、メモリ不足+高圧縮から自然習得した抽象化もズレの原因の模様

(後ほど消して続きをもう一度書く)

 

以前書こうと思ったけど面倒になったのよ

anond:20250504211254

2025-03-15

anond:20250315152631

「長文」という言葉を使う場合、少なくとも5000文字程度の文章量が必要なのではないかと考えています

 

読書認知プロセスについて気付きがありました。文章を読むことに抵抗感を持つ方々は、テキスト視覚的処理方法が異なるのではないでしょうか?

 

私自身は文章全体を一種地図や絵のように俯瞰的に捉え、まず全体の意味を把握してから詳細を確認するという読み方をしています。この方法認知心理学では「ホリスティック処理(全体処理)」と呼ばれ、文章を全体として一度に処理する傾向がありますホリスティック処理では、個々の要素よりも全体のパターン関係性を重視し、情報統合的に捉えます

 

これに対して、文章抵抗を感じる方々は、おそらく「逐次的処理」というアプローチをより多く用いられているのではないかと推測されます逐次的処理では、一文字文字、または一語一語を順番に丁寧に追いながら、段階的に意味を構築していきます。この処理方法では、文章の細部に注意が向けられますが、全体像を把握するのに時間がかかることがあります

 

このような読解プロセスの違いが、文章の長さに対する感覚抵抗感にも影響を与えているのではないでしょうか?

 

ホリスティック処理を主に使用する傾向がある人は長文でも負担を感じにくい一方、逐次的処理に主に頼る傾向がある人にとっては、同じ長さの文章でもより大きな認知的負荷となる可能性があります。これはあくまで仮説ですが、読書体験における個人差を理解する一つの視点として検討する価値があるのではないかと考えています

2015-08-22

ロランバルトとかマーシャルマクルーハンとか

いまどきのデザイン業界って知識も教養も基本デッサン力もなくて、

コミュ力」で適当なことやって売れたらOKみたいなイメージある。

オリンピックエンブレムとか、どうみても、墓標であり、落日であって、

昂揚感とか平和繁栄とか飽くなき挑戦とか祝祭とかそんなイメージないよね。

佐野氏だけじゃなくて、

他の有名若手デザイナーの皆様の作品で立ち止まってにやにやする、みたいな

そんな経験ってほとんどない。

文原聡の低燃費少女とか醜悪だったし、佐藤可士和ウイダーinゼリーなんかもやっつけ感

半端なかった。

ここ20年位の悲劇は、デザインを裏打ちする哲学や大きな流れが貧困になっていることで、

愚民から100円ずつ携帯で掠め取るとか他人の作ったコンテンツ劣化再編して

アフィリエイト広告貼って楽して金儲けしたものが勝ちとか、そんな流れになっているなぁと思う。

安い仕事は下っ端にやらせネットから切り貼りしてくていかに手をかけないかライフハックだ!

みたいな。

以前モダンだ、モジュールだ、システムだ、実存だ、ポストモダンだ、脱構築だ、ホリスティックだ、オーガニックだ、複雑系だ、

って言ってたのが

今はコミュ力だ、ネット拡散だ、みたいな安いもの劣化してる。

とうとう大学文系やめようぜ、みたいな話が出てきているのももっともらしい。

おまえらもっと人間の可能性を見せろください。

 
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