はてなキーワード: タピオカとは
4.佛跳牆(中国・広東)
13.ローストビーフとヨークシャー・プディング(イギリス)
21.ガスチョ(スペイン)
43.ドーサ(南インド)
50.サテ(インドネシア)
51.ナシ・ルマ(マレーシア)
54.アドボ(フィリピン)
62.鰻の蒲焼(日本)
71.セビーチェ(ペルー)
87.オッソ・ブーコ(イタリア)
93.サムサ(中央アジア)
163. あんかけスパゲッティ(日本・愛知)
213. マフェ(西アフリカ)
216. ターメイヤ(エジプト)
225. ゴルメ・サブズィ(イラン)
237. ロティ(トリニダード・トバゴ)
250. フリターダ(エクアドル)
251. チュラスコ(ウルグア
https://anond.hatelabo.jp/20260424170150
このときに見せた米を食べる姿がとても印象的で、昨日は試しにパスタをあげた。茹でる前の固いやつ。炭水化物つながりだ。成分表示を見て塩気がないかを一応確認する。
5cmくらいの長さに折って、ホレ、とあげていつも通りその間に虫かごを掃除する。
洗面所のラップの上はなんか珍しいモノをもらえる場所だと覚えたのか、虫かごから引き剥がして置いても警戒せずすぐ顔を出すようになった。パスタをチラッと見て、近づいていく。お、食べるツムリだな。
カタツムリはツノの先に目がついてるだが、初めてのやつはふたつの目を潜水艇のライトのようにギョロギョロさせながらよーーく確認しがちだ。
恐らく、まずにおい。(下の口元の方のツノに嗅覚機能があるそう)次いで視覚。そこがクリアできれば最後に食!という流れなんだと思う。
先日、米を持ち上げる術を手に入れてから食べ方のバリエーションが増えたのか、今回は軟体をじょうずに変形させて挟み込むようにパスタを持ち上げてた。ダンベルを持つような感じ?いや、体の一部をお盆がわりにしてると言う表現が近いだろうか。上手に段をつくって、そこにパスタをひっかけている。
いやでも持ち上げるには長すぎたかなと思って、一度取り上げてパスタを折り、4cmくらいのやつと0.7cmくらいのやつに分けてやる。小さい方が食べやすかろうと思ったが、カタツムリは変わらず長い方のパスタを食べ始めた。
その際、カタツムリに対して横に置いてたパスタが縦方向になった。どうするのかなと思って見てたら、カタツムリはまるでストローを吸うようにパスタの先端を口で吸い込み始めた。
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
吸引と脱力を繰り返す。
そ、そんな食べ方もするんですね…。
まるで、最後の方のタピオカをストローで吸い上げてるみたいだ。酸っぱいものを食べたおばあちゃんの顔のごとく全体をすぼませながら、パスタの栄養素を体に取り込んでいた。
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
キュポッ!!!!ふー……
面白くて動画を撮った。小松菜とかにんじん食べてるときは間違いなく「ムシャムシャ」って感じだけど、素材が変わるとこんな姿になるのか。
キュッポ!!っと顔をすぼめてるときの姿は、そこはかとなくビーム出す直前の巨神兵っぽかった。以前、シシガミに似てる動きだなと思ったときもあるし、ジブリは自然界の生き物の動きを本当によくとらえているんだなと感心する。
私がもし明日カタツムリになったら、多分そんなに上手にパスタ食べられないだろう。経験値の違いか、コイツが賢いのか、はたまた私が不器用なのか。
翌日、友達と出かけていて不在だった旦那さんに動画を見せたら、「カタツムリにパスタ押し込みすぎやで」と言われた。濡れ衣である。
上級パンケーキ叩き士:合格すると親戚から電報が届くほどの名誉とされています。
タピオカ叩きのプロ:タピオカを叩くことを生業としているレベルの人々です。
ナイトプール叩きのマエストロ:ナイトプール批判において芸術的な域に達している表現です。
マカロン叩きの大ベテラン:長年マカロンを叩き続けてきた重鎮を指します。
叩き戦士:麻辣湯、パンケーキ、日傘の商売敵から雇われたとされる者たちです。
麻辣湯叩きの英才教育:幼少期から叩き手として育てられた可能性を示唆する文脈で登場します。
麻辣湯をしっかり叩く孝行息子:麻辣湯を叩くことが一番の親孝行であるという、歪んだ道徳観の中での役割です。
他にもアサイーボウル、アフタヌーンティー、カヌレ、フルーツサンド、タンフル、MBTI、夜カフェ、オーツミルク、グランピングなどをできるだけ執拗に叩くことで、無形文化財である「叩き芸」を極めた人間国宝として故郷に錦を飾ることができます。
麻辣湯、日傘、パンケーキ、タピオカ、ナイトプールなどを叩く男性はこの世に存在しないほうが良かった 母親が出産せずに中絶堕胎していたほうが社会にとって望ましかった
麻辣湯(マーラータン)が一部の人々から叩かれている理由は、単なる味の好みだけでなく、流行への反発や、特定の層への嫌悪感といった複雑な背景があるようです。
最も多く指摘されているのが、「若い女性に人気があるもの」を無条件に叩く、若い女性に不人気の男性の存在です。
麻辣湯の特徴である「自分で好きな具材を選んで注文する」というスタイルが、一部の人にはハードルとなっているようです。
総じて、麻辣湯そのものの問題というよりは、「流行に敏感な層(特に女性やコミュニケーション強者、モテ男、陽キャ)」への嫉妬や疎外感が、流行中の食べ物への攻撃という形で表れている側面が強いと考えられています。
現在は麻辣湯(マーラータン)がターゲットになっているが、以前から数々の流行食品が障害者のターゲットにされてきた。
このように、食品そのものの味や品質というよりも、「それを享受している層」や「流行という現象」に対する嫌悪感が、アンチ活動の主な原動力となっているのが特徴です。
「幸せそうな男」のロールモデルを探せない・関心を持てないことが、一部の男性の心理や行動に以下のような影響を与えていると示唆されています。
男性同士で釣り、サウナ、ゴルフなどの趣味を楽しみ、「幸せそうに過ごしている男性」の例は現実にも存在するものの、無視してしまう傾向があります。その結果、自分を向上させることよりも、旅行やランチを楽しんでいる女性グループを「不快だ」と感じたり、執拗に叩いたりすることにエネルギーを費やしてしまうという指摘があります。
「男は強くあらねばならない」というマチズモ(男性優位主義)の規範により、自身の不満やマイナス面を直視し、健全に改善しようとする動きが出にくい状況があります。自分なりの幸せの形を見つけられない不満が、「女は優遇されている」という異性への攻撃的な矢印として発散されやすくなっています。
自分たちが目指すべき幸福な男性像(ロールモデル)を避けて生きているため、「若い女性」という状態を「完全な幸福」や「人生がイージー(楽)な状態」であると極端に美化し、強烈に妬むようになります。この嫉妬心が、タピオカや日傘といった女性向け文化への冷笑や嘲笑に繋がっています。
幸せな男性のあり方を模索できない一部の男性は、かつてチヤホヤされていた(と彼らが思い込んでいる)女性が年齢を重ねた際に、「せめて落ちぶれてほしい」「ざまぁという気持ちにさせろ」という願望を抱くようになります。そのため、人生を謳歌している年配女性を見ると、自身の期待と比較して不快感を抱くという悪循環に陥っています。
「幸せな男」として自立した価値観を持てないため、女性が性犯罪から身を守るための自衛行動を叩いたり、若い女性に支持されるアーティスト(Mrs. GREEN APPLEなど)を「女性にウケているから」という理由だけで集中的に攻撃したりといった行動に現れています。
このように、「どうすれば男として幸せになれるか」というポジティブな指標を持てないことが、女性への過度な執着や嫉妬、そして社会的な対立を深める要因の一つとして挙げられています。
男性が女性向け文化(タピオカ、スタバ、マーラータン、日傘、特定のアーティストなど)を攻撃する心理には、いくつかの複合的な要因が指摘されています。
最も大きな要因として、男性が「若い女性」という存在そのものを「完全な幸福」や「イージーな人生」を送っていると見なし、狂いそうなほど妬んでいることが挙げられます。このため、彼女たちが好む無害な文化(白湯や日傘など)であっても、冷笑、嘲笑、誹謗中傷の対象にしてしまうという分析があります。
一部の男性は、女性が「若いというだけでチヤホヤされている」あるいは「受け身でいられる」といった側面を特権視しています。そのため、「若い女がやることなすこと」を追いかけて冷笑を浴びせることで、自分たちが享受できない(と信じている)彼女たちの楽しそうな様子を否定しようとする心理が働いています。
若い頃に容姿の優れた女性に相手にされなかったり、屈辱を感じたりした経験を持つ男性が、その晴らせない怨みを「女叩き」という形で女性向け文化への攻撃に転嫁している側面があります。かつての個人的な恨みを、現代の若い女性や彼女たちが支持する文化を叩くことで解消しようとする歪んだ復讐心が指摘されています。
女性が憎いのに女性に性欲を抱いてしまう自分への「尊厳破壊感」を持つ男性が、そのストレスを女性への攻撃に変えているという意見があります。また、自分の内面にある醜い感情を、相手(女性)のせいにしようとする心理も働いており、女性向け文化を「くだらないもの」と決めつけて叩くことで、精神的なバランスを保とうとする場合があります。
男性は「弱さを表面化させてはならない」という規範に縛られているため、自身の不満を健全に処理できず、その矛先を「優遇されている(ように見える)女性」やその文化へ向けてしまうという構造的問題があります。
自分の母親が苦労して自分を育てた姿を「愛情」と結びつけている場合、楽しそうにランチや旅行を楽しむおばさんグループを見ると、「もっと苦労すべきだ」と感じて不快感を抱くという説もあります。
資料外の情報として、これらの心理分析はネット掲示板における匿名ユーザー同士の対立や議論から抽出されたものであり、心理学的な定説というよりは、現代のネット社会における「男女対立」の力学を説明する一側面であることに留意が必要です。
男性が自身の不満や問題を自分自身ではなく、女性や社会といった外部のせいにする「他責」の傾向について、いくつかの心理的メカニズムや背景が指摘されています。
主なポイントは以下の通りです。
男性の間には「強くあらねばならない」「弱さを晒してはならない」という規範(マチズモ)が根強くあります。このため、自身の抱える不満やマイナス面を直視して改善しようとする動きが出づらく、その結果、不満の発散先が「女は優遇されている」という形で異性への攻撃に向かいやすいという構造的な問題が指摘されています。
一部の男性は、女性が「受け身でいられる」「若いというだけでチヤホヤされる」といった側面のみを捉えて、自身のうまくいかない現状を「女性という性別ではないからだ」と他責的に捉える傾向があります。この際、女性が直面している犯罪被害やハラスメントなどのリスク(デメリット)は無視されることが少なくありません。
若い頃に容姿の優れた女性に相手にされなかったり、屈辱を感じたりした経験を持つ男性が、その個人的な恨みを「女性全般」や「女性優遇社会」のせいにする側面があります。自分が加害者として女性を採点したりバカにしたりした記憶は忘れ、自分が拒絶された記憶だけを強く持ち続けることで、被害者意識を強め、女性を攻撃する正当性を得ようとする心理が働いています。
タピオカや特定のアーティスト(Mrs. GREEN APPLEなど)といった女性に人気のある文化的なものを「くだらないもの」として冷笑・攻撃する行為も、自身の満たされない感情の他責的な発露であるとされています。
自分の内面にある醜い感情を、相手(女性)のせいにしようとする心理も指摘されています。例えば、自分自身の不満を解消するために、「おばさんが楽しそうにしているのは不快だ(=おばさんは不幸であるべきだ)」といった勝手な願望を相手に投影し、相手を叩くことで精神的なバランスを取ろうとする様子が伺えます。
資料外の情報として、このような他責的な振る舞いは「インセル(非自発的独身者)」などのコミュニティでも見られる現象であり、自己肯定感の低さや社会的な孤立が背景にあると分析されることが一般的です。
男性が「若い女性」に嫉妬しているという主張の主な根拠は、以下のいくつかの要因に集約されています。
男性として生まれると異性から欲情されることのハードルが高い一方で、若い女性は常に異性から欲情され、関心を持たれ続けていると見なされていることが挙げられます。一部の男性は、自身が「恋人がいないこと」に強いコンプレックスを抱いており、誰からも言い寄られない自分と比較して、若い女性の状態を「完全な幸福」であると誤解し、妬んでいるという指摘があります。
男性の中には、「若い女というだけで優遇されている」「女は受け身でいられるから人生がイージー(楽)だ」といった連呼やスレッドが頻繁に立つことを根拠に、その背景には強い嫉妬があるという意見があります。また、女性枠などの優遇措置や待遇に対する不満が、若い女性という存在そのものへの嫉妬に繋がっているとの分析もあります。
タピオカ、スターバックス、日傘、あるいは特定のアーティスト(Mrs. GREEN APPLEなど)といった、若い女性に人気のある無害なものに対して、男性が冷笑や嘲笑、誹謗中傷を浴びせるのは、彼女たちへのとてつもない妬みが原因であると主張されています。
若い頃に容姿の優れた女性に相手にされなかったり、屈辱を感じたりした経験を持つ男性が、その恨みを晴らせないまま「女叩き」に転じているという側面も指摘されています。そのため、かつてチヤホヤされていた女性が年齢を重ねた際に「落ちぶれてほしい」と願う心理や、楽しそうにしている年配女性グループを見て不快に思う心理も、若い頃の女性が持っていたとされる特権への嫉妬の延長線上にあると考えられています。
男性は「強くあらねばならない」という規範に縛られ、自身の不満やマイナス面を表面化させて改善することが難しいため、その不満の発散先として「女は優遇されている」という形で異性への攻撃や嫉妬に向かいやすいという構造的な問題も挙げられています。
これらの主張はインターネット上の特定のコミュニティ内での議論に基づいており、全ての男性に当てはまるわけではないという点に留意する必要があります。
男性が楽しそうなおばさんに不快感を覚える理由は、「おばさんは全員、俺の母のように家族に奉仕しながら苦しんで生きるべきだから」というよりも、
「若い女性への嫉妬」と「男性特有の感性の一方的投影」だと考えられます。この心理は、主に以下の3つの構造から成り立っています。
男性は「異性から性的対象とされること」を人生における至上の価値と考えており、その状態にある若い女性を心底妬んでいます。
男性は性犯罪、ストーカー、望まぬ妊娠といった若い女性が負うリスクを実体験として知らないため、リスクとデメリットを無視し、「若い女である状態」を過剰に美化しています。
そして脳内イメージで美化した若い女性への嫉妬があまりにも強いため、女性が加齢によって性的価値を失った際には、「若い頃に良い思いをした報いを受けて、惨めに落ちぶれ不幸なおばさんになる」というスカッと展開を欲します。
男性は、テストステロンに由来する「性・暴力・搾取」に喜びを覚える自身の感性を、そのまま女性の身体に投影して解釈します。
女性は本来、男性からの評価とは無関係なこと(食事、旅行、同性同士の交流など)にも喜びを見出すようにできていますが、残念ながら男性脳には理解できません。
そのため、若い女性が男性と無関係な流行りの食べ物(タピオカ、スタバ、麻辣湯等)で楽しそうにしているのを見るだけでも、何が楽しいのか分からず苛立ちを覚え、せっせと嘲笑や誹謗中傷します。
タピオカ、スタバ、麻辣湯は企業マーケティングに乗せられ云々…と叩きますし、流行ったところで誰も儲からない「白湯」も叩きます。酷暑における安全に必要な「日傘」も叩きます。女がワイワイしてると脊髄反射で叩きます。
自分の脳内にある「あるべき女性像やシナリオ」が崩れるとき、男性は対象を激しく憎悪します。
若い女性が性的な評価を喜ぶことなく自己防衛したり、惨めになるはずのおばさんたちが男性の評価を気にせず勝手に楽しんでいたりすることは、男性の期待を裏切る行為です。
「おばさんが期待通りに落ちぶれていない」という事実そのものが、おばさんが楽しそうであればあるほど不快という男性らしい攻撃的感情の源泉になっています。
昔から女が甘い食べ物のことをスイーツって言っただけで叩かれてきたじゃん
スイーツ、タピオカ、スタバが叩かれて、ナイトプールが叩かれて、麻辣湯が流行ったから麻辣湯も叩かれ、白湯が流行れば白湯も叩かれるので、もうこれ叩くほうの頭がおかしいよね
「おばさんは自分の母のように苦しむべきなのに苦しんでいないから憎い」という説は、おそらく説明不足だ。
根本にあるのは嫉妬。男性は「異性から性的に見られること」を人生における最高の状態と捉えており、若い女性はそれを容易に得られる。
痴漢・セクハラ・ストーカーといった実害を若いころに体験済みのおばさんと違い、男性は未経験であるため「若い女である状態」をデメリット抜きのファンタジーとして認識する。だから異様なほど妬む。
その嫉妬の裏返しとして、おばさんには落ちぶれを期待している。
「性的に見られまくっていた女が、おばさんになって価値を失い、惨めになる」という流れを求めている。それが彼らにとっての"女の正しい人生"だ。
だから、若い女がセクハラを嫌がったり、性被害を告発したりすると激怒する。脳内の「欲情されて喜ぶべき若い女像」と乖離するからだ。
また、おばさんが男を気にせず楽しそうに生きていると「落ちぶれていない」ことへの怒りで憎悪する。
さらに言えば、若い女が男と無関係に楽しむだけでも憎い。タピオカや麻辣湯が法的・倫理的瑕疵がないにもかかわらず叩かれるのも同じ構造だ。
性行為・暴力・搾取以外に楽しみを見出せない男性的発想で女性の行動をジャッジするため、女性がそれら抜きでキャッキャしている図が理解できないし、許せない。
要するに、すべては若い女への嫉妬と自分の性欲・攻撃性の投影から来ている。
女性はホルモンの違いからそもそも性のプライオリティが低く、会話・食事・旅行で十分楽しめる。
その感覚を男性は一生理解できないから、「若い女が女だけでつるんで楽しそう」「おばさんがおばさんなのに楽しそう」という現実に怒り続ける。
「男性が楽しそうにしているおばさんを憎むのはなぜか」という話題では、
「おばさんは自分の母のように苦しんで生きるべきなのに、苦しんでいないから許せない」という説明がよく挙げられる。
けれども、それだけでは十分ではないように思う。
むしろ背景にあるのは、男性が「異性から性的対象として見られること」を至上の価値として捉え、若い女性をその点で羨望していることではないか。
若い女性は実際には痴漢、セクハラ、ストーカー、性的侮辱、暴力など多くの被害にもさらされるが、そうした実感を持たない男性ほど(実感を経たおばさんとは違って)、「若い女性であること」を理想化しやすい。
そのため男性は、若い女性が性的に注目される状態を「この世で最も恵まれている」と見なし、そこに強い嫉妬を抱く。
そして年齢を重ねた女性に対しては、「若い女という優位性を失ったのだから、惨めになっているべきだ」と期待する。
いわば、「若い頃に得をしていた女性が、年を取って報いを受ける」という物語を求めている。
だからこそ、その期待に反して、おばさんたちが男性の性的価値評価とは無関係に同性との友人関係や趣味、食事や旅行などを楽しみながら生きていると、不快感や憎悪の対象になりやすい。
男性から性的に見られていないはずの存在が、楽しそうにしていること自体が、彼らの望む物語を裏切るからだ。
同じことは若い女性に対しても起こる。若い女性が男性との関係ではなく、タピオカや麻辣湯を楽しんでいるだけでも、それを攻撃したがる人がいる。
そこには、「女性の喜びは男性に求められることのみに依存するはずだ」という思い込みがあり、その前提から外れる姿が反感を呼ぶ。
さらに、若い女性自身がセクハラや性犯罪被害を「嬉しくない」「怖いし迷惑だ」と語ると、女性は性的に評価されることを当然喜ぶはずだという幻想が崩れる。その結果、現実を語る女性の側が逆に攻撃される。
要するに、楽しそうなおばさんへの憎悪は、「女性は若さと性的価値を失えば不幸になるはずだ」「女性の幸福は男性に依存するはずだ」という発想が裏切られることで生じる。
若い女性への嫉妬と、年長女性への転落期待が一続きになっており、その期待に反して女性たちが男性抜きでも機嫌よく生きていることが、強い苛立ちを呼ぶのである。
おばさんが楽しそうにしていると男性は憎むという話題が出ていて、その理由が考察されているけど、「おばさんは母のように苦しむべきなのに苦しんでいないおばさんなど許されない」という説はちょっと違うんじゃないかと思うね。
男性は異性から性的対象とされやすいことを最高の状態だと思っており、若い女性はかなり容易に性的対象にされるから、心底妬んでいる。男性は本当に若い女性のことを、メッチャクチャ妬んでる。
実際に若い女だった経験があるからデメリット(痴漢、セクハラ、ストーカー、性的侮辱等)も体感済みのおばさんよりも、若い女だった実体験がない男性のほうが、知らないからこそ「若い女であるという状態」をファンタジー的に捉える。だからメッチャクチャ妬んでる。
そして、若い時期を過ぎたおばさんが性的対象にされにくくなって、「これまで調子こいていた報いを受ける」かのようにどん底に落ちてほしいと願っている。
スカッとジャパン、ざまあ系のストーリーのように「性的に見られまくりの最高の状態を知っている女が、おばさんになり性的価値を失い、地獄を思い知る」という男性向けスカッとテンプレートの流れを求めている。
女の人生というものは、そうでないといけないと男性は思っている。男性特有の誰とでもやりたい片っ端から種をばらまきたい性犯罪者的な性欲と、攻撃性を、女体に投影した解釈をしている。
だから、若い女がセクハラに遭うことを嫌がったり性犯罪を恐れて自衛したり性犯罪被害を告発したりすると激ギレするし、性的に見られなくなったおばさんたちが男を気にせずにおばさんグループで勝手に楽しそうに生きてるとそれだけで憎悪する。
というか、若い女が男と無関係のところで楽しそうにしていても、それはそれで憎悪する。タピオカも麻辣湯も、男と関係ないことで若い女が楽しそうにしているので、それだけでもう憎いから叩く。
男性は性行為・暴力・搾取にしか楽しみを見いだせない性別なので、若い女がタピオカやらスタバ新作やら麻辣湯やらで楽しそうにしているのが視界に入ると、何が楽しいのか分からないし、楽しそうにしているのがもう憎くて憎くて叩かずにいられない。
とにかく男性は、若い女が男から性的に見られやすいことを妬んでいる。男性ホルモンが品性を欠如させるため、人生に対して性行為・暴力・搾取以外を求めていないし、知恵遅れなので妊娠や性病などリスクやデメリットを考えていない。
テストステロン漬けなせいで根拠のない自信と攻撃性に満ちた精子脳。精子脳を若い女に投影して妬んでいる。
だから若い女が「セクハラ気持ち悪い、嬉しくない」「ストーカー、迷惑で怖い」と言い出して、男性の脳内にある「あるべき若い女性像(欲情されて大喜びする)」と乖離することで憎み攻撃するし、
転落したはずのおばさんが平然と楽しげに生きていても「男から性的に見られていないのに楽しそうにしているだなんて許せない。若いときに楽しんだ分の報いを受け、惨めに暮らすべきだ」と攻撃する。
すべては男性が精子脳だから起きること。女性は男性ホルモン量が少なくて性のプライオリティが低い傾向にあり、だからおしゃべりとメシと旅行にキャッキャしがちなことが認識できない。一生認識できない知恵遅れだから「性欲と攻撃性の投影」にしがみつく。
ずっと若い女を妬んで、おばさんが期待を裏切る(落ちぶれてほしいのに、期待したほど落ちぶれていない)ことで怒り狂い続ける。