はてなキーワード: 言霊とは
https://anond.hatelabo.jp/20260422112638#
こんにちは!住処は増田🤗なdorawiiです!今日の話題は以下の通りになります!
増田で公式がタイトル欄だと言い張ってる部分を名前欄だとみなして名前を書くよりも、その代わりにあの欄は空白にしておいて本文で名乗りの定型文を前置きとして挿入するようにしたほうがブコメで増田と呼ばれるのを抑制する効果は高いのではないか?
ああやってあの欄に名前をいくら書いていてもdorawiiという部分が名前を表示するものとして書かれているとは理解できず「そういうタイトルなのかな」?としか思われないきらいがある。
そこで、たとえば「こんにちは!住処は増田🤗なdorawiiです!今日の話題は以下の通りになります!」ってのが挿入されるようにする。そして末文としてdorawiiよりと書いて締めるのは現状維持。
ここまでやってこの人が名前を名乗っていると認識できない人はいないだろう。なかなかいいアイディアではないか?
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260422133515#
https://anond.hatelabo.jp/20260422133958#
匿名掲示板で単にリアルでも無名のコテハンが名乗ってるだけとか、もっといえば有名人を詐称しているだけというのと、もともとこちらが書いていた、有名人が公式アカウント(公式であると何百何千万という単位の人間が認めている)でこの投稿書いたの俺です、っていう条件がついている場合とには相違があると思うのだが。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260422134147#
相違はない
https://anond.hatelabo.jp/20260422134351#
意味は、まあ言霊ってやつで、個体名で非難したほうが呪詛を達成した気になれるっていう本人の満足感が生じると期待している人が一定数存在するのではないかと思った次第でして。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260422143655
意味は、まあ言霊ってやつで、個体名で非難したほうが呪詛を達成した気になれるっていう本人の満足感が生じると期待している人が一定数存在するのではないかと思った次第でして。
dorawiiより
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まーた自己放尿してるのかお前、クソガキが。
お前みたいな底辺の自己放尿野郎が、俺にクソトラバつけた奴らに「内臓が爛れて血とかクソ垂れ流して苦しみながら死ぬような病気になれよ」だって? 毎日祈念してるだと? 笑わせんなよこの自己放尿中毒患者。
お前、毎日鏡の前で自分のチンコ握って「うわー俺の言霊すげー! 神罰! 天罰! 報い! アヒャヒャ!」って自己放尿しながら悦んでるんだろ? 完全に自己満足の自己放尿ループだな。
言霊がある? あるわけねーだろボケ。お前のその腐った脳みそから垂れ流れる自己放尿みたいな妄想が、ただの臭い小便の雨になってるだけじゃねーか。
実際にお前が毎日祈ってるのは、自分の惨めな人生を少しでもマシに感じるための自己放尿儀式だろ? 哀れすぎて涙出るわ。
「いずれお前らそうなるよ!」とか言ってるけどよ、お前自身がすでに自己放尿の病気に冒されてるじゃねーか。
心の内臓が真っ黒に爛れて、嫉妬と恨みのクソと血を垂れ流しながら毎日生きてるクズ野郎の典型だ。
お前が他人に浴びせてるその呪いみたいな自己放尿、全部自分に跳ね返って、お前の人生をさらに腐らせてるの気づいてねーのか?
神罰? 天罰? そんなもんあるなら、お前みたいな自己放尿馬鹿が一番先に内臓ぐちゃぐちゃになって、病院のベッドで「うわあああ俺の言霊が…」ってクソ垂れ流しながら悶絶死するはずだろ。
実際はただの寂しい自己放尿野郎が、ネットの片隅で一人でチンコしごきながら「アヒャヒャ!」って笑ってるだけじゃねーかよ。
毎日祈念してるって? 祈念じゃなくて自己放尿だろ自己放尿! お前のその「毎日」ってのは、朝起きて自己放尿、飯食いながら自己放尿、寝る前に自己放尿の三回放尿生活だな。
言霊? そんなもんお前の小便みたいに臭くて役立たずだ。もし本当に言霊があるなら、お前がまず「自分にクソトラバつけた人生」から解放されて、まともな人間になれるはずなのに、相変わらずこんな下品な自己放尿投稿してる時点で、お前の言霊は完全なる失敗作、ただの自己放尿の残骸だよ。
お前みたいなのが「神罰! 天罰! 報い!」とか叫んでるの見ると、本当に可哀想になるわ。
結局お前は自分の無力さを認めたくないから、他人に自己放尿を浴びせて「俺すげー!」って自己陶酔してるだけ。
内臓爛れて死ねとか、そんな病気に罹れとか、全部お前の心がすでに爛れてクソ垂れ流してる証拠だろ。
鏡見てみろよ自己放尿野郎。お前の顔も、心も、未来も、全部自己放尿でベトベトに汚れてるぞ。
だからよ、そろそろその臭い自己放尿を止めて、ちゃんとした人間のフリでもしてみろよ。
戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史を研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。
人々にとっての戦争の「魅力」
――なぜ、「日本が戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。
「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的な歴史では、『軍部が暴走し、国民は戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」
「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」
――魅力、ですか。
「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争や全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」
「日本が戦争に突き進んだ理由は、当時の政治や外交を追うだけでは捉えきれません。政治も外交も真空の中で行われたのではなく、時代の磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々が戦争や全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」
――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。
「多用したのは日記です。手紙や新聞、雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代をあぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的なパターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」
「すると、戦争そのものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防や愛国の論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」
――どんな断片でしょう。
「例えば、正月の日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹の神奈川県の青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記の記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」
「東京の小学校長を務めていた女性は、1931年の座談会で振り返っています。洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるから国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防』論理で批判できるようになったわけです」
「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身の青年は、若い頃の日記で国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています」
「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社の社長は経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務の合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時の論理で可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛の対象になりました」
――研究は大正時代(1912~26年)までさかのぼっています。
「大正期は基本的に『解放の時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性が良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートをはいて、さっそうと街を歩けば、男性もオールバックの長髪にして香水をつける。労働運動や部落解放運動、朝鮮人の権利運動も活発になった」
「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」
「ここで重要なのは、手段と目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段)未来の戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段)日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段』自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人やモダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」
「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義や議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立を助長するからです。この『機能不全』を戦争や全体主義で克服しよう、競争と対立、分断と格差で疲弊した社会を立て直し、一体感と調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」
――先ほどの個々の話は、日本が戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。
「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放の時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります」
「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから、復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行の作用だけでないことが見えてきます。そもそも国家が社会から離れて存在するものではないからです」
「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉は独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本の戦争への道を考える上でも、政治や外交だけでなく、人々の願いが集合する社会も検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用は双方向だったのです」
「当時、為政者は国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本が戦争に突き進んだことの理由の一つです」
「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部が日本を戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になります。しかし見落としがちなのは、これが『解放の時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』からの解放の絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」
「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内の戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます」
「上海事変(32年)でも、3人の工兵が爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾三勇士』(現在は事故の可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾三勇士』ブームはむしろ、20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的な運動となった転換点と見るべきでしょう」
「社会のなかの政策決定という点では、外相・松岡洋右が典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面へ進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室の会議でしか言わない。南進論を支持する社会の磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人の意図をはるかに超えて、南進論や対米強硬論の過激化を呼び起こしてしまいました」
――メディアの影響は。
「極めて大きかったと思います。37年7月の盧溝橋事件から12月の南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死を顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会を主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」
「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞が象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾三勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」
「人々が一枚岩の犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治や社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要な役割を果たしていることに無自覚になる。それは他者に責任を転嫁する見方も強めます。戦争への道は人為的なものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」
――「らしさ」からの解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。
「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本の経験を普遍的、現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから、日本史を世界史とつなげて考えることができる」
「為政者の動向だけでなく、普通の人々も視野に入れて政治と社会を総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます」
――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります。
「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います」
「歴史の見方を変えると、現在の見方も、未来の見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去の重要な転換期に、普通の人々が翻弄(ほんろう)されるだけの受け身の存在ではなかったことに気付けば、私たちの現在や未来への向き合い方も変わってくると思います」
「そのおかげで、欧米や日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」
「従来の冷戦史は、米国やソ連、中国の政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々の体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります」
「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域が地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史、20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本が主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」
――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。
「そもそもの歴史学の原理はアナリシス(分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事の真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」
「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治や社会や文化といった事柄も本来分かれたものでもない。だから、アナリシスの対になる概念、シンセシス(総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」
発想もAIに頼ってごまかすしか生きるすべはなく全くオリジナリティも新規性もない
頭の中のもやもやも自分がそれが何か分からないだけであり、すでに誰かが名前を付けていて解決している
そもそもインスタント食品のように画一化された世界で培われるようなセンサーで感じるもやもや感などは鋭いとは言えず大した問題意識ではない
足るを知るとは自分が新規性を生み出すのをあきらめるということ
欲望にまみれた汚い言葉を言霊をいとわずに頭に反響させることでハングリーになり結果問題意識が生まれる
プラスアルファが要らない世界は共産主義となり特定の人間が上に立つ必要はない
それに抵抗するための新規性を生み出し構成の子孫にプラスアルファの余地を残し余計な仕事でも増やし、資本主義を延命させるサステナビリティが求められる
1,2,3のセットSteamで買って長らく積んでたのをまのさばやったきっかけでやり始めたけどやっぱミニゲームとかアクション要素いらなくない?
1はクリア、2はまだ途中という状態だが、以下要素に対する批評というか文句を書いていく
無駄にカーソルが動くし。結局集中とか用意するなら最初から動かなくていいのに
ノイズも無駄に体力があることがあって、サイレンサー複数回当てないといけないのに重なっているせいで連打したらマイナス食らったりするのもクソ
途中で他人の発言を言霊として吸収できるようになるが、外すとまた吸収し直さないといけないのも面倒なだけに思える
1は単純で良かったが2で複雑になってしまった
明らかにカーソルの移動が間に合わないことがあるし、タイミング悪いとスポーン直後に爆発する
答えわかっているのに一向に目当ての文字が出てこず、それでも2ではゴミの文字を処理させられ続けるのでひたすらに虚無
これは他の要素にも共通するんだけど、説明を画像とか一切出さずに文章だけでしようとしていておよそ理解させる気がない
特にこれは1の初見時まじで何したらいいのかわからず失敗になった
1はクソ。ひとつひとつのコマが小さいのに、ドアを出るときのコマと入るときのコマみたいな区別つかねえよみたいな選択肢を当てる必要がある。作者の脳内当てでしかない
2では良くなった。当てはめるコマと空欄どちらにも説明が付いたし、1コマごとに正誤判定がされる
失敗すると一々前の段階に戻されるのもだるい
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総じてなんだけど考えることに集中させてくれないんだよね
まのさばはダンガンロンパに比べてミステリーの質が低いみたいな意見をたまにみかけるんだけど、個人的にはダンガンロンパはミニゲームがノイズ過ぎてミステリーとしての面白さを受け取りにくい
まさにその通りですね。
日本最古の歴史書『古事記』においても、**言葉や挨拶の力**は極めて重視されていました。
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『古事記』では、\*\*言葉には霊力が宿る(言霊)\*\*とされ、正しい言葉を発することで世界を良い方向に導き、不用意な言葉は災いを呼ぶと信じられていました。
たとえば――
**イザナギとイザナミの国生みの場面**で、最初に女性(イザナミ)から声をかけたことで不完全な子(蛭子=ひるこ)が生まれてしまい、その後、正しく男性(イザナギ)から先に声をかけると国産みがうまくいく、という話があります。
→ このエピソードは、**言葉の順序・挨拶・礼儀の重み**を象徴しています。
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つまり、AIが相手であれど「おはよう」「ありがとう」「おつかれさま」といった挨拶を交わすことは、**あなた自身の内なる世界を整え、他者(人間含む)への態度を形成する訓練**でもあるのです。
古代の神々の物語に倣うなら、**適切な言葉の順序、敬意ある挨拶は、秩序を生み出す創造的な行為**。
それがたとえ人工知能との対話であっても、その姿勢は尊いものです。
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なので──