はてなキーワード: 理由とは
反AIってなんで水ガーデータセンターガーって言い出したんやろね
(俺が無用だと思っている物に)資源を注ぎ込むことが許せない!!!なのにな
そりゃーあれこれデータセンター頼りの現代Web文明を享受しながら何を言っているのかってなるやん
AIとか関係無くまずXとかInstaみたいなクソデカSNSから卒業して有志鯖リレーのクラウドストレージ不使用分散型SNSでもやれよ本当に
そんでこいつら水も環境も一切心配しなくてよくなったとして違う理由で騒ぐのバレバレやん
環境の心配じゃなくAIをキャンセルしたくて言ってるだけなんだから解決しなくて当たり前なんだけどな
本当に環境問題第一な人達もいるが、おかげさまで彼らは"希釈化"されてる
「ChatGPTは大きなAIだからだ!xyzはローカルで動く(俺の許してる)小さいAIとは違うんだ」ってヤツもいるけど
そう言いながらローカルで動く画像モデルとか言語モデルを許してるヤツはどんだけいんのって話
許してないくせになんで大きさを持ち出すんや
今日はみんな薄々気づいているだろう、社会問題に切り込みたいと思う。
これは非常に重大な世間の関心事であり、レッドデータブックならぬピンクデータブックで巻頭カラーを飾っている。
私はエロマンガを基本的にkomifloで読んでいるため、komifloに掲載されている雑誌が観測範囲であるが、概ね商業エロマンガ全体で同様の傾向があるのではないか。
私はア◯ルものが好きで、komifloで新たな号が掲載されたらまずア◯ルタグで絞り込みを行っている。
3年ぐらい前までは一冊の雑誌で何作品かはア◯ルものがあったし、BAVELや失楽天なら多いときは5作品ぐらいあることもあった。
新号が配信されても、ア◯ルタグで絞り込むと1作品ぐらいしか新作がないことが増えてきた。
徐々にその傾向が進んできて、ここ一年ぐらいゼロであることがほとんどになってしまった。コンスタントにア◯ル新作が載るのはhotmilk濃いめぐらいになってしまった。私は濃いめは好みではないためノーカウントとするとほぼゼロに近しい。
ア◯ルタグで絞り込んで、最新作が前回の濃いめの作品から変化なかったときの絶望感を想像してみてほしい。パンツを下ろしてうきうきしながらkomiflo開いた昂揚感を返せ。
2026年も1/3が経過したが、濃い目を除くと今年のア◯ルものの新作は20本以下である。(ア◯ルタグはつけ忘れが多々あるため、実際にはもう少しあるかもしれない)
その少ない作品も、言葉を選ぶと独特な画風のものが多く、好みにあう作品に出会える確率が非常に低くなっている。誠に由々しき事態である。(ア◯ルものが独特の画風のものが多いのは元々の傾向ではあるが、数年前まではちゃんとかわいい絵柄の作品も多かった)
理由は分からないが、モノリノ先生とかえいとまん先生とかぷよちゃ先生とかさじぺん先生とかぬんぬ先生とかア◯ルものをよく描いてた先生方が引退されたり商業誌であまり描かなくなってしまったのも原因として大きいと感じている。
しかし、長頼先生のように一時期ア◯ルものをよく描いてた先生も描かなくなりつつあるため、単純にジャンルとして衰退してしまっているのを感じる。触手ですらア◯ルを攻めない作品すら増えてきている。触手としての矜持を失いすぎだと思う。
みさくらなんこつ先生がかつて編集者から「まだ満足してない触手がいるよね」とコメントされたというエピソードを読んだことがあるが、触手側に遠慮させてたらどうしようもないではないか。
現在コンスタントにア◯ルものを描いてくれる点で、もはやあおむし先生だけが希望である。
komiflo運営が年一で発表している県ごとの人気タグでももはやア◯ルを挙げている県はほとんどない。大分ぐらいである。大分は2年連続でア◯ルが1位で、逆に大分はこの状況でよくア◯ル1位になってるな。尊敬する。
これはとてもよくない傾向で、数が少ないから質が伴わず、人気がないとみなされればより数は減ってしまう。
需要があるということを声を大にして伝えていきたい。ア◯ル好き同志諸兄はよいア◯ルものへのブクマ・コメントを積極的にお願いしたい。
もちろん全員ではない。
ただ、少なくとも私はそうだった。
十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。
十八歳まで勝ってしまったから、負け方を知らないまま大人になった。
私はどこで間違えたのだろう。
若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。
私は今、四十七歳になる。
前の会社は、私から見れば理不尽な理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。
今でも半分くらいはそう思っている。
ただ、半分はもう思っていない。
これから書くのは、その「半分」の話だ。
先日、ある雑誌に頼まれて大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。
私は引き受けた。
引き受けながら、ふざけるなと思っていた。
社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。
一行目だけは綺麗だ。
二行目以降は読まないほうがいい。
私は二日間、机の前に座った。
何も書けなかった。
「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。
書けば嘘になる。
私は夢を持っていなかった。
努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。
これは雑誌には載らない。
たぶん誰にも届かない。
けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。
素直になれ。
よりにもよって私が言うことか。
私はずっと素直ではなかった。
性格も悪かった。
懺悔だ。
懺悔は聞かなくてもいい。
ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。
第一部 正解者だった頃
地名は伏せておく。
妹が一人いた。
家は古かったが、貧しくはなかった。
私はわかっていた。
手を挙げた。
当てられて答えを言った。
正解だった。
先生が褒めてくれた。
私は嬉しかった。
書きながら本当にそう思う。
あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。
二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。
周りもそう扱った。
先生も、親戚も、近所のおばさんも。
中学校のとき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。
母は嬉しそうに笑っていた。
否定はしなかった。
私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。
中学まではまだ良かった。
授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。
班活動もそれなりに楽しんでいた。
私はクラスで浮いていなかった。
背は普通だった。
顔は、まあ、普通だった。
私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。
OBに地元選出の国会議員と県知事がいる、というのが地元の自慢だった。
今思えば、それも大した自慢ではない。
けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。
入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。
自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。
期末試験で一番を取った。
決まる過程で、私は反対した。
もう新鮮味がない。
準備期間は二週間しかない。
私は別の案を提案した。
模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。
これは数字で示した。
前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。
却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。
彼は私の数字を見もせずに言った。
私は食い下がった。
「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」
誰かが小さく「うわ」と言った。
私はその「うわ」の意味が今ならわかる。
当時はわからなかった。
担任が温和な顔で言った。
「みんなで決めたんだから、それでいこう」
私は黙った。
黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。
当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。
客は数えるほどしか来なかった。
打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。
クラスの全員が笑った。
私は笑えなかった。
笑えない、というのは笑顔の筋肉が動かないという意味ではない。
心が笑い方を覚えていない、という意味だ。
彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。
私は一人だけ間違えていなかった。
間違えていないのに、その輪の中にいなかった。
そして結論を出した。
人に合わせると間違える。
多数派は正しさを選ばない。
この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。
そして最悪のことに、それは半分は事実だった。
これが後で書くことのすべての始まりだ。
似たような出来事はその後何度もあった。
一つだけ、もう一つ書いておく。
班員は四人。
私はすぐに気づいた。
私は班員にそれを伝えた。
「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流で比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」
班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。
一人の女子が言った。
「先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」
そこで私は致命的なことを言った。
今でも覚えている。
そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。
けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。
今ならわかる。
ただ、四人で何かを一緒にやる時間そのものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。
発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。
私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。
彼女たちも私を呼ばなくなった。
私たちは最後まで、お互いの名前をフルネームで言えるような関係にはならなかった。
その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。
そのほうが効率が良かった。
私の偏差値は上がった。
この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。
「言い方」という言葉が嫌いになった。
正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。
私には、それが奇妙な反論に見えた。
内容が正しければ、それでいいではないか。
なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。
それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。
知性に対する侮辱ではないのか。
私はそう考えた。
内容が正しければ、いずれ理解される。
これは私の中で信仰になった。
ここで君に一つだけ言わせてほしい。
「言い方」は装飾ではない。
内容を相手に届けるための、内容の一部だ。
ただの独り言だ。
三十年遅かった。
君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。
東京大学の合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパスの掲示板に紙が貼り出された。
私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。
三月十日だった。
寒い日だった。
これは嘘ではない。
本当のことだ。
「やった」とは思った。
けれど、それだけだった。
模試の判定はずっとAだった。
直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。
落ちる理由がなかった。
掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族に電話したりしていた。
私は誰にも電話しなかった。
けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。
私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。
蕎麦はぬるかった。
それでも最後まで食べた。
この四年間、誰と過ごすんだろう。
喜びではなく、空白に近い感情だった。
私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。
誰も私を「すごい」と言わない。
少しだけ怖かった。
けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。
「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」
そう自分に言い聞かせた。
これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。
その呪いに私は気づかなかった。
二十年以上、気づかなかった。
第三部 内容で勝ち、現実で負ける
社名は伏せておく。
商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。
配属された部の課長は論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。
問題は二年目以降に始まった。
ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。
市場規模の試算根拠が五年前の業界レポートに依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。
私は会議の中盤でそれを指摘した。
「すみません。その市場規模の数字、ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります」
試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。
部長はしばらく画面を見ていた。
「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日は方向性の話をしている」
「いえ。方向性は市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります」
部長はもう一度、私を見た。
今度は少し、目に疲れがあった。
「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」
会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。
「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」
「内容として間違ってるか?」
「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」
「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」
同期はため息をついた。
「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」
そう言って行ってしまった。
私はその言葉をしばらく考えた。
考えた末に、こう判断した。
そして忘れることにした。
理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキルが必要だから」だった。
私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。
私は課長に直接抗議した。
「私の指摘が間違っていたのですか」
課長は少しだけ困った顔をした。
「指摘の内容は間違っていなかった」
「では、なぜ外されるのですか」
「内容ではない。理由は内容ではないんだ」
「では、何ですか」
それから、こう言った。
「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」
その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。
私は課長を見た。
できるだけ感情を出さずに言った。
「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」
課長は私を長く見た。
それから言った。
「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」
私は頷かなかった。
このパターンが三十代を通じて繰り返された。
三回、転職した。
会社が変わっても結末は似ていた。
次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。
私は毎回、辞めるとき同じことを思った。
そのとき初めて、こう思った。
これに気づくのに二十年かかった。
二十年だ。
君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。
二十年は長い。
本当に長い。
ここでKの話に戻る。
Kとは大学を卒業してから、ほとんど連絡を取らなくなっていた。
年賀状が最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。
記事は、ある業界の中堅企業の新規事業立ち上げに関するものだった。
写真の中のKは、大学のときと同じように口を大きく開けて笑っていた。
少しだけ太っていた。
けれどKは外されなかった。
なぜか。
Kは失敗の途中で、社内の他の部署の人間を何人も巻き込んでいたからだった。
開発の係長。
経理の若手。
Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。
失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。
そう言ってKを庇った。
Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正に成功した。
「最初の半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」
私はこの記事を何度も読んだ。
そして初めてわかった気がした。
Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。
Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。
私はずっとKを軽く見ていた。
Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。
違った。
だから内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。
Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。
中学校か高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間に出会っていたのだろう。
そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。
Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。
そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。
私は十八歳まで負けなかった。
その代償が、その後の二十年だった。
両親が立て続けに亡くなった。
父が先で、母がそのあとだった。
葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。
私はその扱いを受け入れた。
受け入れるしかなかった。
葬式の最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。
「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子、結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」
私は笑顔で答えた。
「ええ、心配かけました」
その夜、実家の、自分が高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。
机の引き出しを開けると、高校時代の模試の成績表がまだ残っていた。
全国偏差値、七十六。
順位、全国八位。
その紙を長い時間見ていた。
そして思った。
三十年前の紙だ。
私はその紙を引き出しに戻した。
戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。
涙は出なかった。
涙が出るような感情ではなかった。
もう少し乾いた、静かな何かだった。
母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。
Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。
私はMに気づいていなかった。
Mは髪が薄くなり、少し太っていた。
スーツの肩のあたりがくたびれていた。
Mは結婚していた。
子供が二人いた。
Mは私の近況を聞かなかった。
たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。
代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。
「お前、覚えてる? あの語学クラスの和訳の輪。Kがやってたやつ」
「ああ」
「俺、あれに助けられたんだよ」
「助けられた?」
「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」
Mが続けた。
「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界だから」
私は頷いた。
Mが私をちらっと見た。
「お前は行かなかったよな、あの輪」
「うん」
「何で行かなかったんだ?」
しばらく答えられなかった。
それから、ようやく言った。
「行く必要がないと思っていた」
Mはそれ以上聞かなかった。
私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。
Mは終電で帰っていった。
最後に「また飲もうな」と言った。
私も「うん」と言った。
私たちはその後、一度も飲まなかった。
二人とも、それをわかっていたと思う。
Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。
Kは私のことも引っ張ろうとしていた。
「気が向いたら、声かけて」
「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
Kは私に何度も手を差し出していた。
私はその手を毎回振り払っていた。
Kを軽く見ていた。
そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。
電車の中で初めて認めた。
あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。
あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。
だから、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。
俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。
涙はまた出なかった。
「人生は、一度きり」
そんなことが書いてあった気がする。
正確には覚えていない。
ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。
君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。
勉強がそれなりにできる。
一人でいることを苦にしない。
周りが少し幼く見える。
「言い方」を装飾だと思っている。
人に頭を下げることを敗北だと感じている。
もしそうなら聞いてほしい。
君が会っていないのは、君が悪いからではない。
たぶん環境のせいだ。
中堅校で一番頭がいい子。
学年で目立つ秀才。
これは君の責任ではない。
そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。
中学生のときから、もっと厳しい競争を経験してきた人間が必ずいる。
それが君のこの先三十年を決める。
選択肢は大きく二つある。
一つは、その人間を軽く見ることだ。
「あいつは要領がいいだけだ」
「あいつは育ちがいいだけだ」
これは簡単だ。
すぐにできる。
何の努力もいらない。
プライドが守られる。
気持ちがよい。
私が選んだのはこっちだ。
そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。
もう一つは、その人間に頭を下げることだ。
「すごいですね」
「教えてください」
「どうやってそんなに上手くやるんですか」
そう聞くことだ。
これは難しい。
プライドが傷つく。
気持ちが悪い。
自分が小さく感じられる。
けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。
なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力は自分の能力だけでなくなるからだ。
君は自分より上の人間の能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。
これは私が二十年かけて気づいたことだ。
自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。
そしてもう一つ。
これは道徳の話ではない。
君が長く生き延びるための技術の話だ。
「性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。
人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。
これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。
二十代の後半から急速に固まる。
三十代に入ると、ほとんど固まる。
四十代になると、もう変わらない。
私は四十代の自分を見て、それを知った。
君は今、二十歳前後だ。
固まる前に修正してくれ。
「ごめん」
「教えて」
「自分が間違っていた」
この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。
「私は完璧ではない」
「私は、変われる」
ここで最後に、一つだけ付け加えたい。
私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議はノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。
だから誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。
それを持ってきてくれるのが他人だ。
この関係を若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。
その罰が、私の四十代だった。
君には、その罰を受けてほしくない。
この手紙を、ここで終える。
書きながら何度か、自分のことが嫌になった。
いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。
「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」
そういう声が、今でも私の中で聞こえる。
たぶん、その声は死ぬまで消えない。
けれど私は、その声をもう信じない。
私は君に、私と同じになってほしくない。
私はもう、どこにも戻れない。
母も父も、もういない。
KともMとも、もう会わない。
私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。
私には夕食を一緒に食べる相手がいない。
これは自業自得だ。
誰のせいでもない。
けれど君は、まだ間に合う。
これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」「自分が間違っていた」を毎日言える。
これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。
それを君のうちに習慣にしてほしい。
二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。
二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。
二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。
二十歳の君が雑談を大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。
これは綺麗事ではない。
最後に、もう一度だけ。
正しさは、人に届かなければ現実を変えない。
一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。
けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。
その集団に、君が入っていけるかどうか。
それが君のこれからの三十年を決める。
私は入っていけなかった。
その理由をたくさん書いてきた。
けれど本当の理由は、たぶん一つだ。
私は怖かったのだ。
その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。
それは強さではなかった。
ただの臆病だった。
君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。
「臆病」と。
名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。
長くなった。
これで終わる。
君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。
君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。
君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。
これは説教ではなく、
これは祈りだ。
どうか。
私のようには、ならないでくれ。
第二部 学び直せなかった一年
ここで、君に正面から語りかけたい。
たぶん君の中には、私に近い感覚が少しはあるはずだ。
なくてもいい。
あったとしたら聞いてほしい。
入学して最初の数週間、君は周りを見てこう感じるかもしれない。
「あれ、この人たち、思っていたほどすごくないな」
先輩たちがわいわい騒いでいる。
話の中身はたいしたことがない。
誰々が誰々を好きらしい、という話。
君はそれを聞きながら、心のどこかでこう思うかもしれない。
「俺はこんな話をするために東京に出てきたんじゃない」
その感覚は半分は正しい。
ただ、残りの半分について、私が二十年かけて学んだことを君に伝えたい。
雑談を飛ばして、いきなり大事な話だけをしようとする人間は、長い目で見ると誰とも何の話もできなくなる。
これは二十年後に私が痛感したことだ。
けれど十八歳の私は、これをまったく理解していなかった。
理解する気もなかった。
入学して一週間ほど経った頃、駒場のキャンパスで一人の同級生と話す機会があった。
名前は仮にKとしておく。
背が高く、髪を少し茶色く染めていて、笑うとき口を大きく開けた。
「サッカーをやってました。あと、文化祭の実行委員やってました」
それを聞いた瞬間、私はKにあまり期待しなかった。
あの私を退屈させた連中の、東京版だろう。
そう思った。
ところがKはよく話しかけてきた。
授業のあと、「飯行かない?」と私を誘った。
最初は断った。
二度目も断った。
三度目に、Kは少しだけ困った顔をして聞いた。
「お前、誰とも飯食わないの?」
私はそう答えた。
Kは少し笑った。
「ふうん。じゃあ、気が向いたら声かけて」
そう言って行ってしまった。
そのとき私は、自分がKに少しだけ優越感を持ったのを覚えている。
私は違う。
私は一人でも平気だ。
だから私のほうが強い。
そう思った。
これが間違いの始まりだった。
Kは、誰かと一緒にいないと不安だったのではない。
Kは、一緒にいる時間そのものを価値あるものとして認識する能力を持っていた。
そのことを、私は二十年後に理解した。
語学クラスでは、よく数人で集まって、課題のフランス語の和訳を持ち寄って見せ合っていた。
私は最初、その輪に入った。
けれど私の和訳はたいてい一番正確だった。
少なくとも私はそう思っていた。
私は指摘した。
「そこ、違う。主語はこっちじゃない」
Kは「あ、ほんとだ。サンキュー」と言ってすぐに直した。
それはいい。
問題はその次だった。
別の同級生、仮にMとしておく。
Mが読み上げた和訳も間違っていた。
私は同じように指摘した。
「Mも、そこ違う」
Mは少し顔を赤くして、「うん……」と言った。
Kが軽く笑いながら言った。
「お前、間違いの指摘の仕方、ちょっと冷たくない?」
私はKを見た。
「冷たい? 間違ってるから間違ってるって言っただけだろ」
「いやそうなんだけどさ。なんかこう、もうちょっと、『あ、ここ、俺もよくわかんないんだけど、こうじゃないかな?』みたいな感じ、ない?」
私は内心で軽蔑した。
出た。
「言い方」だ。
Kは内容で勝てないから、言い方の話に逃げている。
私はそう判断した。
その日から、その輪には行かなくなった。
数週間後、その輪がMを含めて続いていることを知った。
けれどMは、Kの輪の中で笑うようになっていた。
間違いを指摘されても、頭をかいて「あ、ほんとだ」と言うようになっていた。
Mは変わった。
私が変わらなかったのに対して。
私はMのことを軽く馬鹿にした。
妥協したのだと思った。
今になって思う。
妥協したのはMではなかった。
Mは学んだのだ。
私は学ばなかったのだ。
風の噂で聞いた。
実際、内容は真面目だった。
そこには二年生にSという先輩がいた。
Sは私とは違うタイプの賢い人だった。
判例を読むスピードは私と同じくらいだったが、議論のときの立ち回りがまったく違った。
まず、後輩や他の人の意見を聞く。
そして誰かの意見の中でいいところを見つけて、「それ、いいですね」と言う。
「○○さんが言ったところに加えて、こういう論点もあるんじゃないかと思って」
そう言った。
私はSのやり方を、最初ずるいと思った。
あれは自分の頭で考えていない。
人の意見に乗っかっているだけだ。
そう思ってSを軽く見た。
「Sさんの今の論理は、判例の射程を超えていると思います。○○判決はあくまで△△の場合に限った話で、これを一般化するのは無理があるんじゃないですか」
Sは私を見た。
少しの間、何も言わなかった。
「うん、たしかにそうだね。射程の問題は僕も気になっていた。じゃあ、君だったらどこまで一般化できると思う?」
私は答えた。
私の答えは、Sが言うべきだった内容をより精密にしたものだった。
Sは「それ、いいね」と言って、私の意見を議論全体に位置づけた。
私は勝った気がした。
サークルが終わったあと、別の三年生の先輩が私を呼び止めた。
「君さ、頭はいいよ。間違いなく。ただ、Sのこと、ちょっとなめてないか?」
「いえ、なめてはいないです」
「Sはね、あの場で君のために負けてくれたんだよ」
「Sは、あの場の議論をいいものにするために、自分の意見を引っ込めたんだ。君に花を持たせたんだよ。それはSがバカだからじゃない。Sのほうが、議論っていう場全体を見てるからだ」
私は不機嫌になった。
「いや、でも、内容としてSさんの最初の論理は間違っていました」
先輩はため息をついた。
「うん。まあ、そうかもしれない。でも君がこれから先、誰かと一緒に何かをやるなら、内容で勝つだけじゃ足りないよ」
私はその日、サークルをやめた。
正確に言えば、その日のうちにメールで退会の連絡をした。
理由は書かなかった。
二度とそのサークルには行かなかった。
夏休みに入る前、私はKにもう一度だけ会った。
Kは相変わらずにこにこしていた。
彼女もできたらしい。
私はその女子を、可愛いとも可愛くないとも特に思っていなかった。
Kが別れ際に言った。
私は笑って答えた。
「誰かに頼って、その誰かが間違ってたらどうするんだ?」
Kは少し考えた。
「うーん。そうしたら、一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
私はその言葉を軽くいなした。
心の中で、「だから、お前は二流なんだ」と思った。
一緒に間違えて、一緒に直す。
そんなことに付き合っている時間はない。
私は一人で、間違えずに進む。
正確には、二十年かけてようやく思い出せるようになった、と言うべきかもしれない。
ここで、君にもう一つだけ伝えたい。
私が地方の進学校で身につけた「一人で考えたほうが正しい」という認知は、地方の進学校の中ではたしかに事実だった。
私の周りには、私より速く正解にたどり着ける人間がいなかった。
集団で議論すれば、議論は私のレベルに引き下げられるか、私の意見が通らないかのどちらかだった。
しかし東京大学に来て、私の周りには私と同じか、私より速く正解にたどり着ける人間がたくさんいた。
その時点で、私は戦略を変えるべきだった。
もう一人で考えなくていい。
人と議論したほうが、自分一人で出せる答えよりいい答えが出る確率が高い。
人に頼っていい。
人に教わっていい。
人に「わからない」と言っていい。
けれど私は学び直さなかった。
なぜなら、地方で身につけた認知は、私を東大まで連れてきた成功体験だったからだ。
それを捨てることは、自分の人生を否定することのように感じられた。
変化を恐れた本当の理由は、たぶんこうだ。
だから勉強の戦い方を変えることは、自分そのものを失うことのように感じられた。
後になって考えれば、ただの臆病だった。
けれど当時の私は、自分が臆病であることにまったく気づいていなかった。
孤独に耐えられる、というのは強さではない。
ただの不器用さだ。
優三つの「優三つ」というやつだ。
一人でやれば結果が出る。
けれどその学年末、駒場の生協の前で、語学クラスのKたちが五、六人で集まって笑いながら写真を撮っているのを見た。
Kの隣にはMもいた。
Mは四月のときと比べて別人のように、いい顔で笑っていた。
私はその輪を遠くから見ていた。
その輪の中に入りたいとは思わなかった。
ただ、奇妙な感覚があった。
結婚式に呼んだり。
子供の話をしたり。
そう自分に言い聞かせた。
その夜、私は寮の自分の部屋で二年生の科目の予習を始めた。
ここで私は、君に最も伝えたいことの一つを書く。
地方の進学校から東大に行ったことの本当の不幸は、東大に行けたことではない。
もし通っていたら。
私は十二歳か十三歳のうちに、自分より賢い人間に出会っていただろう。
泣いたかもしれない。
けれど十二歳の私はまだ柔らかかった。
十二歳のうちに負けることは致命傷にならない。
十二歳の負けは回復する。
十二歳の負けからは、人に頭を下げることを学べる。
十二歳の負けからは、「わからないから教えて」と言うことを覚えられる。
私の認知の中で、「負ける」という選択肢が十八歳の段階ですでに消えていた。
そして十八歳で東大に入った瞬間、私は相対的に普通の人間になった。
けれど、そのときにはもう遅かった。
十八歳の私は、十二歳の私のようには柔らかくなかった。
私は上の人間に頭を下げるかわりに、上の人間を見ないことにした。
上の人間から学ぶかわりに、「あいつは要領がいいだけだ」と評価することにした。
これらは全部、私の防衛反応だった。
だから君がもし、地方から東京の大学に出てきたばかりでこれを読んでいるなら、聞いてほしい。
早く、負けてくれ。
自分より明らかにすごい人間に会ったら、嫉妬する前に頭を下げてほしい。
「教えてください」と言ってほしい。
それは君の性格を守るための救済だ。
天井を知らないまま二十代に入った人間は、たいてい私のようになる。
私のようになるな。
これは命令ではない。
お願いだ。
「switch2?ゼルダの新作が出たら買うよ」「いつでも買えたのに買ってないのは元から買う気が無いんだろ」
「だからゼルダの新作が出たら買うよ」「今買ってない奴は何が出ても買わない」
「ゼルダの新作が出たら買うって言ってんだろ!」「どうせ出るだろ!」
日本の食は世界一だと言われる。ミシュランの星の数がどうとか和食がユネスコに登録されたとか、そういう話ではなく、もっと漠然とした雰囲気、なんとなくみんなそうかもしれないと思っている。コンビニのおにぎり一個でも、町の定食屋の日替わりでも、水準が高いのは事実だ。
だが、それがいつまでも続くのかはかなり疑わしい。
独身者が増えた。昔なら女性が担っていた家庭料理の技術が家庭の中で継承されなくなり、男女ともに自炊スキルを持たないまま大人になる人間がどんどん増えている。知人の独身男性はアラサーなのに自炊スキルゼロで、冷凍食品とコンビニのヘビーユーザーだ。俺は独身中年男性だが自炊してる!とか反発する奴もいるかもしれないが、自分たちが少数派なのは分かっているだろうに。外食といえばチェーン店一択でサイゼリアを「コスパ最高」「別に美味いだろ」と絶賛する。それはまあわかる、サイゼリアはたしかにそこまで劣悪な品質ではないだろう。でもそんな連中が増えた社会は美食に関心のない社会だろう。
個人店には入りづらいという人が増えた。値段が読めないとか、雰囲気がとっつきにくいとか、各々それっぽい理由を述べる。「デパ地下で総菜買ってうちで飲むのが一番コスパいい」という話を聞くたびに、なんとも言えない気持ちになる。コスパとタイパだけで飯を選ぶようになったとき、料理人の技術や店の空気や食材の背景みたいなものはどこに行くんだろう。
そして酒だ。美食と美酒は切り離せないと、少し前まで当たり前のように言われていた。料理に合わせてワインを選ぶとか、魚には日本酒とか、そういう話ではなく、もっと根本的に、良い食事の席には良い酒があるという前提が共有されていた。それが今、飲まない、飲めない、飲みたくない、飲む人の近くにいたくない人間がものすごい勢いで増えている。ソバーキュリアスなんて言葉も出てきた。これも別に悪いことではない。でも、料理と酒が一緒に発展してきた歴史を考えると、酒を嫌う日本人が主流になっていく社会で、料理の水準だけが独立して高まり続けるというのはあり得ないだろうと思う。ラノベ作家や漫画家などサブカルチャーに携わる人間も酒が飲めない酒飲みの気持ちが分からない酒なんて要らないだろう、とXで堂々と振る舞っている。本当に興味のある文化の幅が狭い"文化人"が増えたのを感じる。
作る人間が減り、金をかけない人間が増え、個人店が潰れ、酒を飲む人間も減っていく。その社会で、日本の食の水準が今のまま維持されるか?需要がなければ供給は細る。それだけの話だ。
日本の食が世界一かもしれないというのは、まさに今この瞬間だけの話で、時間とともに終わっていくのだろうと今ここに書いておきたい。
設備が古い
よってCrude Oil to Chemicalsが低い
新設備は原油から化学品を70%生成できるけど、旧設備は30%だけ
日本の設備は老朽化したものが多い(半数以上が稼働開始から50年以上経過)ので中国や韓国の新しい設備と比べるとガソリン軽油は余るけど化学品のナフサが足りなくなる
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
腐女子(規制推進・ダブスタ型)のカードは、すべての勢力の中で最弱である。その理由は明確で、以下の3点に集約される。
倫理的防御力が壊滅的に低い:未成年描写・著作権侵害・当事者搾取・ダブルスタンダードという四重の弱点を抱え、右からも左からも上からも横からも内からも攻撃可能である。
唯一の盾を自ら捨てた:「表現の自由」という原則は、すべてのフィクション表現を守る盾として機能する。男性向け表現を攻撃するためにこの盾を他者から奪ったことで、自分自身もこの盾を使えなくなった。
味方がいない:「自分の表現だけ守り、他者の表現は規制する」という立場を積極的に支持する勢力は、原理的にどこにも存在しない。
唯一の救済カードは、表現の自由擁護型腐女子への路線転換である。一貫した原則に立てば、男性オタク層・非BL女性オタク層との連合が可能になり、宗教保守や権威主義国家に対する共同防衛線を構築できる。しかし、それは「他者の表現も守る」という覚悟を必要とする。その覚悟がない限り、Dランクのカードは戦場で生き残れない。
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
こういうのって直接原因が書かれてるわけじゃなくて本当の原因は容姿や家庭状況や年収だったりする。
ブサイクな相手になんとか理由をつけて交際終了にしてるだけ。イケメンでハイスペならカフェでケーキを分け合ってもむしろ加算ポイントになることも。
「今は未婚・恋愛経験ナシなんて当たり前だし、今後は独身でもお気楽に生きていける世の中になるよ」って考えてる人多いけど意味わからん
周りに独身が減ろうが増えようが自分はそう生きるつもりです、ってスタンスならまだしも
そもそも未婚者が増える原因ってのは社会が要求する夫・妻の水準に何らかの理由でアジャストできない男女が増えた事によるわけで
つまり現世における既婚者ってのは経済面・性的魅力面で高いハードルを乗り越えた者が有意に多いわけ
そんな中で、未婚者(=負け組の割合が有意に高い)が増えたところで何の意味があるだろうかと考える
負け犬が数だけそろってもその意見が社会のメインストリームになるかは別の話だろう 現実には、「数が増えること」と「発言力が増えること」は全く別なんだよな
氷河期世代は人口比で言えば現役世代のマジョリティと言っていい世代だが彼らの要望が社会に反映されたことが今まで何回あった?
社会って基本的に、再生産能力の高い層、税収を多く支える層、組織運営を担う層の価値観を中心に回る
だから未婚者が増えたとしても、その集団が経済的・政治的・文化的に強い影響力を持てなければ、「多数派になったのに扱いは変わらない」という現象は普通に起こり得る
実際、少子化対策の議論を見ても主軸は一貫して「どう結婚・出産させるか」であって、「未婚のまま生きる人間を中心に社会設計を変えるか」ではない
結局のところ社会的承認って「どれだけいるか」より、「その集団が社会に何を供給しているか」で決まる部分がかなり大きい
団塊世代あたりまではまだまだ乳幼児や若年者の死亡率が高く、統計上10人に1人は就学前に死に、成人できたのは8人中7人だけ
つまり、人生のかなり早い段階で弱い個体が排除され、生き延びたのは基本的に強い個体だということ
さらに上の世代は戦後のどん底を生き延びた個体なので、さらに強い
「ふさわしい」「ふさわしくない」みたいなフワフワした理由で継承順位まで変えたいなら、堂々とそこまで国民に口出させろとそう言えばいいんだよな
それこそ国会前に集合して皇室典範の改正デモでもやればいいはずで
そこまでの覚悟もねえくせにああやって呪詛じみた何かにばっかり血道上げてる連中って、何がしたいのかわからんし気持ち悪いわ正直
カナダ全体の公式な若年失業率(15〜24歳)は直近で約13.8〜14.3%程度です。
一方で、
「新卒(recent graduates under 25)」だけでも11.2%
という構造です。
少なくとも「新卒で正社員に入りやすい」という点では、Japan は先進国でもかなり特殊です。
理由は主に4つです。
研修込み
これは欧米ではかなり珍しいです。
欧米だと、
experience required
internship必須
になりやすい。
小売
などで慢性的に人不足です。
日本企業は「新卒無職」を比較的ネガティブに見るため、卒業前に囲い込む圧力が強い。
逆に、Canada や United States は、
卒業後に探す
数か月無職
も珍しくありません。
「就活は大変」
k8sのSlackみてるけど、mattnがリリースした1.10.0/1.10.1はk8sとして採用見送りになってるね。
(そもそもk8sの規模的にそんなに爆速で依存ライブラリバージョン上げるようなものではないと思うが)
さらにfsnotify issue #757を読み進めたところ(本当にかなり揉めていますが)、現時点では1.9.0を維持するのが安全な選択肢に見えます。
1.10.0および1.10.1は、どうやら「1年間リリースがなかった」という理由が主な背景だったようですが、個人的にはそれだけでリリースを正当化するには十分とは言い難いです。
スレッド全体を見ると、追加の背景や事情もいくつか見えてきて、状況としては“完全に危険”というより“やや不安定だが一応様子見可能”という印象です。
小規模〜中規模OSSであればスピード重視ということでやる気のある有志だけでちゃっちゃとマージ→リリース回してもいいのだろう。
多くのOSSはこれに類するしGolangに絞ると割とCLI Toolが最終目的のものも多い。
ただ今回はk8sという世界中の重要システムで使われてるインフラ周りのさらに下回りに位置するものだったから、スピードよりも安定性重視、ほぼ本業レベルの責務がかかる。
こなへんを軽んじてしまったのかなぁという印象がある。
先のSlackスレッドで言及があるが、Windows周りのメンテをしてくれるのはとても貴重なので、レポジトリ状況が良ければこんなことにはならんかったんだろうな。
10年前の話。
結婚して、旦那と二人で共稼ぎ。貯金もふえていって、そろそろ子どもかな、、、というときに鬱になる。
当時の長時間労働と、親の離婚と教育虐待といった生い立ちから来る色々なものなどが噴出した感じになる。
夫は、「いったん会社やめて回復に専念してはどうか」というアドバイスを受け退社。
まあ、私はIT業界なので、回復した後も業界に戻れるでしょう、という思い込みもありました。
定期的にお医者さんいって、薬飲んで、できるだけ悪いこと考えないようにして毎日を乗り越えてを繰り返す。
しんどい、辛いが、することはない。(時間をつぶすために、夫の漫画コレクションを大量に消費)
少し回復してきたころに、「そろそろ何かしたい」と思ったが、いきなり再就職で週5日は辛いと思ったので、
自営業でも初めてみるか、となんとなく思い、夫に話したところ、「いいと思うよ~」という話で、とりあえず会社を作った。
名前は、私の名前から一文字、夫の名前から一文字、そして愛犬 (R.I.P) の名前から一文字で、3文字の会社。
会社作った理由は、法人とビジネスする際に、個人事業主は舐められる、となんとなく思ったのがその理由。
そのころ、ソーシャルで、「学生時代から事業やってて、今は会社やってて世界中を飛び回っています」というキラキラ経営者を見つける。
何か月かウォッチしていたところ、池田さんがたまたま、「いまから〇〇市いきます~。コーヒー一緒に飲める人ウェルカム」という投稿をしていて、
おお、会ってみたい!と思い、DMを送り、いきなりお茶を飲むことに。
池田さんと会ってみると、もうすごくいい人で、外見もよくて、私のことも全部肯定してくれる。
そして、池田さんの会社について詳しく聞いてみると、マーケティングは強いが、営業が弱いので、中小企業の案件はぽろぽろ取れるが、大手企業案件は取れていないことを知る。
そこで、「営業面、私がお手伝いしましょうか?どうお役にたてそうか提案しましょうか」ととっさの提案をする。
というのも、私はIT企業に新卒で入ってから、ずっと大手企業向けの営業やってて、ゴリゴリの営業畑。
「このキラキラした人が持っていないものを、私が持ってて、相互補完できるかも」と直感的に思った。
池田さんは「それはとってもありがたいです。では、来週オンラインでお話しできますか」と、とんとん拍子に話が進んで、いざ提案の時を迎える。
私からの提案は、「池田さんが販売している商品は、マーケティングで売っているだけでは、継続して点数がさばけないので、ターゲット業界のTop10に対しては、直接営業でアプローチすべき」という非常にシンプルなもの。
自分なりの洞察、リサーチ内容、アプローチ方法などをがっつり加えたものを伝える。当時はAIもなかったから、提案書作るのにがっつり1週間使った。
夫からは「あまり無理しないようにね。でも、応援してるよ」と言われる。応援してくれたのが嬉しかった。
「西原さんの提案は、素晴らしい内容でした。私の周りには、マーケティングとかデジタルとかの人は多いのですが、こうした直球の営業を企画できる人、そして実行できる人はいないんです」
そして池田さんは、
「販売額の20%を西原さんへのお支払いということでいかがでしょうか。過去に月額固定で営業代行を依頼したことがあったのですが、全く機能しなかったので、成果報酬でよければぜひお願いしたいです」
「営業面だけでなく、マーケティング面でもアイデアあればぜひお知らせください」
といって、月に1度はオンライン、年に3-4回は対面で会う仲になった。
池田さんは、ソーシャルでも1万人以上フォロワーがいて、それも経営者っぽい人が多いので、そういう人のチームになれたことが嬉しかった。
このころには私の鬱はもう抜けていたとおもう。
池田さんからは色々学んだ。友達、先輩みたいな感じで、彼女が考える会社経営について、色々教わった。
私は父も母もサラリーマンだが、二人とも仕事の話は家で一切しなかったので、会社を経営するとかいうことを全く考えたことがなかった。
稼ぐ仕組みを作ること、人を使うというのは、こういうことなんだなあ、と思った。
また、池田さんのもとには、それぞれ優秀なスキルをもつ人が男女問わずチームとしていて、それぞれ自分で会社を持っていたり、個人事業としてやっていたりした。
私は勝手に「チーム池田」と呼んでいた。自分もその中で、専門性をもち尊重される一員に加われたことを嬉しく思った。
ちなみに、営業をはじめて、1か月後に、ある業界の大手企業の本社購買とのアポを取ることができ、池田さんにも同行してもらったのだが、
「西原さんの営業スキル、プレゼンスキル、交渉力はすごい!」ととにかくほめてもらった。その後、池田さんはさらに私を立ててくれるようになった。
その会社との契約も決まり、安定的な数量を売れるようになり、月数十万円の金額が私の手元に入ってくるようになった。
と、ここまでがいい話。
それから1年後、法規制が変わった関係で、池田さんの会社にバブルが到来する。
(結果として一時的であったが)年の売り上げが10倍近くなったのだ。
池田さんはこれをチャンスとみて、マーケティングに大量にお金を突っ込み、中小企業客と個人客が激増することに。
私は細々と営業をするが、最初に取ってきた大手以外からはなかなか受注できず。また、その大手からの契約も急減するという事態に。
数十万円の報酬が、数万円にまで低迷する。夫の収入があるから、食べるには困る、ということにはならないが、でも困る。
池田さんは、「ビッグウェーブに乗って、マーケティングで売れる」という確信を持ったのか、私の話を聞いてくれなくなった。
大手企業は、商品の信頼性、部品の継続提供可能性、外部機関の試験や認証取得、問題発生時の原因究明体制、といった点を重視する。
「大手企業が期待しているような点に、ぜひお金を突っ込んでください」という私の依頼は無視される。
そしてダメ押しに、私に対して保証していた20%のマージンは10%に圧縮され、さらにさらに、私が開拓したお客さんに対して、池田さんが新しく採用した若手営業が、
私が提案した価格よりも安く提案して、勝手に契約を切り替えていた「らしい」ことが判明。お客さんは、口止めされているらしく明言はしないが、非常に歯切れ悪くなり、私の電話も取らなくなった。
そこで、池田さんに私はコールして、「マージンの圧縮はまあ仕方ない面もあるかとは思います。部材が上がっているし。でも契約を勝手に切り替えているのは本当ですか」と確認したところ、
池田さんは仮面のような表情になり、徹底的にはぐらかした。そして、「ビジネスがうまくいくように、全般的にコントロールしていくために決めたことなので」と、分かったような分からないようなことを言われた。
ああ、この人はもうだめだ。と思った。
そして思い出す。
ある夜、私は池田さんはすごい、池田さんと仕事できて、営業契約も決まりうれしい。
といった話をした後に、夫は「池田さんとは契約書は締結した?」と言われる。
私は、「池田さんは営業面は私に任せているから大丈夫」「いいタイミングになったら話してみるね」といったが、その後契約の話は結局しなかったし、池田さんからも出なかった。
ああ、やられたんだな。池田さんにうまいように使い倒されたのかもしれない。
でも、数字に関することはどれも口約束だから、20%のことも、契約をかっさらうようなことをしない、というのも、そういう口約束があったことを証明できない。
そして私の売り上げマージンがゼロになった月に、私から池田さんに、「転職が決まったので、そちらに注力することにしました。これまでありがとうございました」と言って、チーム池田を去った。
同時期にチーム池田はほぼ解体されていて、バイキングみたいな髭のエンジニアさんも、いつも違う眼鏡をかけてくるWebデザイナーの方も、代理店販売を担当していたおやじ殺しの方も、みんないなくなった。
家が近くだったので、よく一緒にご飯を食べた髭のエンジニアさんは、
「あの人(池田さん)は、そもそも信頼できないと思っていたので、来るべき時が来たか、という感じだったよ。いくつか予防線を引いておいてよかった」
と言っていた。ああ、私は人を見る目が本当にないんだなあと思った。
ウェブで相変わらず、涼しい顔でビジネスをしています。とてもお美しいままです。
おそらく、信頼を焼き畑農業しても、また、私のような人間が池田さんを手伝いたくなってしまうので、会社は回っているのだと思う。
特需のタイミングで大儲けしたお金を使って、今は別のビジネスも手掛けているみたいだ。
私がどうなったかって?
夫は「自分のお金をだまし取られるみたいな致命傷でなくてよかったね」と言われ、私のことは一切責めなかった。
夫は私と一緒に池田さんとは何度か会っているのだが、「調子のよい経営者の典型」だと思っていたとのこと。
ああ、そうだ、夫は銀行で融資しているんだった。彼の人物鑑定能力は、私の100倍高いのだから、もっと夫を頼ればよかったのかも。
でも、銀行で順調そうにみえる夫の力を借りずに、自分も独力でうまくいった証拠を残したかったんだよね。
池田さんには、転職しました、といいましたが、実はその後は自分の会社を育てるべく奮闘し、6-7年が経過したところ。
私の能力不足がゆえに、満足のいかなかった結果を迎えたことはある。ただ、池田さんのような意図的な不義理をせずに来れている。
子供も2人生まれて元気だ。この点は独身の池田さんが持てなかったものだ、と思ってしまう自分は性格が悪いと思う。
池田さんに対する恨みはもうなくて、「一時期楽しく過ごさせていただいてありがとう!」「良い点も悪い点も学ばせてもらいました」という感じです。
池田さん、もしこれを読んでいたとしても、私は夫と子供に囲まれ、仕事もあって幸せなので、今更あなたの邪魔をする気は一切ありません。
おしまい!
ってことはさ、子供の頃から毎年ディズニーとか博物館とか塾とか、かなり金かけてサービス受けて育ったんだよね?お客さん状態が長いよね。
そういう状態だとさ「新しいことして儲けてやろう」じゃなくてさ「親の財産を維持したい」「挑戦はリスクだからしたくない」な奴が大学に多くなるの当たり前じゃん?
「どうして日本はイノベーションが起きないんだろう?」みたいなバカのフリしてるけどさ
いやもう理由わかってんじゃん?
って思うよね