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一知半解なれども一筆言上

山本七平マンセーブログ。不定期更新。

「石の雨と花の雨と」~石もて追われた日本軍/その現実を我々は直視しているか?~

前回、空自幕僚長の田母神氏が主張した「日本は悪くない」論について、余りにも自慰的だということを書きましたが、今回は、そんな「日本は悪くなかった」論に与する人たちに読んでもらいたい山本七平の記述を紹介したいと思います。

■石の雨と花の雨と

『週刊朝日』49年2月1日号の、森本哲郎氏と田中前首相令嬢、田中真紀子さんの対談の中に、次の会話がある。

森本哲郎 こんどの五カ国訪問旅行の感想を、ひとことで言うとすれば、どういうことになりますか。

田中真紀子 東南アジアと中しましても、みんなちがいますので、それを一括して、あのへんはどうだとか、アジアはひとつだとか言えませんね。

森本 絶対に言えませんよ。日本人はすぐ、アジアはひとつだなんていいたがるけれど、ぼくはあの言葉が日本人のアジア観を誤らせてきたと思います。……


この会話の結論は一言でいえば、「日本で言われるアジアなるものはない」ということであろう。

「アジアはない」、そう、確かに「アジアはない」。

私は、戦後三十年たって、活字になった「アジアはない」という言葉に、やっとめぐり会えた。そしてこれを読んだとき、何やらほっとした安堵感とともに、二人にお礼を言いたいような気持になった。

だが、この言葉は、だれにも注目されず、消えてしまったように思われる。そして相変わらず横行しているのが、「アメリカはアジアの心を知らなかった」といったような言葉である。

だがそういう言葉を口にする人は、「アジア」という語の意味内容を、その内心で真剣に検討したことがあるのであろうか。

「アジアはない」。この言葉にはすぐ反論が出るだろう。これは日本人のタブーに触れる言葉だから、激烈な反論かもしれない。では次のように言いなおしてもいい。

「われわれが頭の中で勝手に描いているアジアとかアジア人の心とかいった概念に適合する対象は、現実にはどこにも存在しない」と

三十年前、何百万という人が、入れかわり立ちかわり、東アジアの各地へ行った。私もその一人だった。

そして現地で会った人びとが、自分のもっているアジア人という概念に適合しなかったとき、「こりゃ、われわれの”見ずして思い込んでいるアジア人という概念”が誤っているのではないか、否、この広大なユーラシア大陸の大部分を占める地に、”アジアといった共通の像”があると一方的にきめてしまうのは誤りで、単なる一人よがりの思い込みではなかったのか?」

反省することができたなら、日本のおかした過ちはもっと軽いものであったろう、と私は思う。

われわれは、否、少なくとも私は、残念ながら当初は、そういう考え方・見方ができなかった。

そして、自己の概念に適合しない相手を見たとき、多くの人と同じように私も、いとも簡単に言ってのけた。

「ピリ公なんざぁアジア人じゃネエ」。

ピリ公とはフィリピン人への蔑称である。そして、アジアの各地で、実に多くの人がこれと似た言葉を口にしていたことを、戦後に知った。

これはどういうことであろうか。
自己の概念に適合しなければ、自己の同胞をすら「非国民め」と村八分にする精神構造から出た「非アジア人め」という相手を拒否する言葉だと思うが、一体なぜわれわれは、こういう場合、自己のもっている”アジアという概念”の方を妄想と思えないのであろうか。

一体なぜ、甚だ茫漠として明確でない自己の概念――というより妄想を絶対化するのか。

「アメリカはアジアの心を知らなかった」と言うなら、そう言う人は、「アジアの心」とやらを、本当に知っているのか。そしてそれは、その心を探し求めて、全アジアを経めぐった上で形成された概念なのか?

米海兵隊によるベトナムからの米人引揚げ作戦の報道は私を憂鬱にした

何万という難民がそのあとについて脱出していくが、石を投げる者はいない。その記事の一つ一つは、しまいには、読むのが苦痛になった。

形は変わるが三十年前われわれも比島から撤退した。だれか、われわれのあとについて来たであろうか

もちろん事情は違う。私が言うのは本当について来てほしいということではない。

だれかが、「日本軍のあとについて脱出したい、しかしそれは現実にはできない」と内心で思ってくれたであろうか、ということである。

もちろん何ごとにも例外はある。

しかしわれわれは、アメリカ軍と違って、字義通りに「石をもって追われた」のであった。

人間は失意のときに、国家・民族はその敗退のときに、虚飾なき姿を露呈してしまうのなら、自己の体験と彼らの敗退ぶりとの対比は、まるでわれわれの弱点が遠慮なく、えぐり出されるようで苦しかった

そしてその苦痛をだれも感じていないらしいのが不思議であった。

というのはそれは三十年前の、マニラ埠頭の罵声と石の雨を、昨日のことのように私に思い出させたからである。

私も同じ体験を記したことがあるが、ここではまずその時点の正確な記述である故小松真一氏の『虜人日記』から、引用させていただこう。

「……『バカ野郎』『ドロボー』『コラー』『コノヤロウ』『人殺し』『イカホ・パッチョン(お前なんぞ死んじまえ)』憎悪に満ちた表情で罵り、首を切るまねをしたり、石を投げ、木切れがとんでくる。パチンコさえ打ってくる。隣の人の頭に石が当り、血が出た……」

これは二十一年四月、戦後八ヵ月目の記録であり、従って投石・罵声にもやや落着きがあるが、これが二十年九月ごろだと、異様な憎悪の熱気のようなものが群衆の中に充満しており、その中をひかれて行くと、今にも左右から全員が殺到して来て、ハつ裂きのリンチにあうのではないかと思われるほどであった。

だが、サイゴンの市民は、「アジアの心を知らない」米軍に、一個でも、石を投げたであろうか

護送の米兵の威嚇射撃のおかげで、われわれはリンチを免れた。考えてみれば、われわれは「護送」において常にここまではしていない

内地でも重傷を負ったB29搭乗員捕虜を、軍が住民のリンチに委ねた例がある。だが、私とて、もし「親のカタキだ、一回でよいから撲らせてくれ」などと言われたら、威嚇射撃でこれに答えることは、できそうもない。

だがこの一回が恐るべき状態への導火線になりうる。そしてこれが、後述する日本的中途半端なのである。

私は幸運だったのだろう。だがすべての日本兵がそのように幸運だったわけではない。

戦争末期、特にレイテ戦の後で、小舟艇でレイテを脱出して付近の島に流れついた、戦闘能力なき日本軍小部隊への集団リンチの記録は、すさまじい。

これらについては、もちろん日本側には一切資料はなく、戦争直後に、比島の新聞・週刊誌等に挿絵入りで連載された「日本軍殲滅記」から推定する以外にない。

また、小島嶼の警備隊・守護隊の中には、完全に消されてしまって、一切消息不明のものも少なくない。

だがそれらの島の多くは、最初から実質的には無戦闘上陸で、いわば「平和進駐」に等しかった。

比島における緒戦の戦場はほぼ、リンガエンからバターンまでに限定されていたのだから――。そして米軍の再上陸がおくれ、その際も無戦闘に等しい島もあったのに。

ベトナムの記録を調べても、このように悲惨な、「米兵落ち武者狩りの記録」といったものはない

では、彼らが人道的民族でわれわれが残虐民族だったからか

この図式は、戦争直後は断固たる「神話」であったが、今では「米軍人道主義軍隊神話」など、信ずる人はいるまい。

では何からこの差が出るのか。

「いやそれは違う、この二つを対比することは土台無理な話だ……」という反論は当然に出るであろう。私自身かつて、一心にこの反論をやったのだから。

もちろんそのときはまだベトナムはなかった。
従って題材はバターンであり、それが論じられた場所は、戦犯容疑者収容所であった。

憎悪と投石と罵声の雨の中で、人は平静でいられるであろうか。

不思議なほど平静で、彼らの表情とゼスチュアも、奇妙にはっきりと目に入る。
小松氏もそう記している。

だがこれは平静というより空虚と言うべき状態であろう。

心の中は完全な空洞になり、それがまるで筒のようになって自分を支え、一見、毅然とも思える姿勢をとらせているが、心には何一つない、という状態である。

そしてその筒は、硬直した無視と蔑視でできており、安全地帯でほっとしたとき、その筒がみじんにくだけてがっくりする。と同時に、くだけた筒に火がついたように、煮えたぎる憎悪がむらむらと全身に広がって行く。そしてそれが一応落ち着くと、奇妙な諦念と侮蔑にかわる

私かあの問題を取り上げたのは、ちょうどそういう心理状態のときだった。

そしてその背後にあるのは「ピリ公なんざぁアジア人じゃネエ」という、「アジアという妄想」に基づく、抜きがたい偏見であった。

「どうせやつらは、そういう民族なんだ。骨の髄まで植民地根性がしみこんでやがる。敗者には石を投げ、勝者には土下座する。確かにわれわれは敗れたさ、だが、やつらにゃ敗れる能力もないくせしやがって。そういうやつらなんだ、石しか投げられないのは……」

呪詛のようにこういう言葉が延々とつづく。

まるで自分の傷口をなめるように

だが、結局それが事実でないことは、比島独立運動史を多少とも読んでいたわれわれ自身、よく知っていた。

しかし、知っていながら、そう信じたい。またそういう呪詛を正面から反論する者もいない。いわば一種の自慰か創のなめあいであろう。

「違いますぜ、そりゃあ――」

収容所で、私の斜め前のカンバスベッドから、Sさんが言った。

どういうわけか彼はササミさんと呼ばれていた。本名なのか渾名なのか知らない。ササミさんは、やや猫背、浅黒い細長い顔で、顎が少ししゃくれ、声がハスキーだった。殆ど口をきかず、口を出さず、何か言うときは呟くように言う。温和そのものの人だが、その目には一種の冷たさがあった。

その彼が不意に言った。

「違いますぜ、バターンのときは違いましたぜ」

私は驚いて彼の顔を見た。当時「パターン」は禁句だった。

バターンの死の行進に、何らかの形でタッチしたなどとは、絶対だれも言わなかったし、ききもしなかった。

彼は、一兵卒から叩きあげた老憲兵大尉であり、あの行進のとき米軍の捕虜を護送した一人であった。彼は言った、

あの行進のことは誰も絶対口にしない。だからあなたは何も知らないだろう。

石の雨ではない花の雨が降ったのだ。沿道には人びとがむらがり、花を投げ、タバコを差し出し、渇いた者には水を飲ませ――それがどこまでもつづく。追い払っても追い払ってもむだだった。


「全く、あたまに来ましたよ、あれにゃ。でもわかるでしょ。彼らだって別に、いつも敗者に石を投げ、勝者に上下座するわけじゃありませんぜ

では一体なぜ彼らには花を、われわれには石を――、彼らはマッカーサーの「アイ・シャル・リターン」を先取りしたのであろうか。

そうではない。

彼らはそういう適性が最もない「感情過多な一面」をもつ民族である。また、あの時点では「計画的先取り」の名人なら、一部の華僑のように、「アイ・シャル……」をとらなかったはずである。

日本軍はまだ破竹の勢い、スタンレー山脈を越えてポートモレスビーに迫り、ソロモン群島へと進出し、豪北派遣軍を編成してポート・ダーウィンを占領するつもりでいた。豪州側もそれを覚悟し、豪北一帯を放棄するつもりか、人間・家畜の南下撤退大作戦を実施していた――という状況がまだまだつづくのだから。

では一体なぜか。

私は、ある意味で最もよく比島の実情を知っているササミさんから、さらに詳しい当時の状況と、彼の意見とを聞きたかった。だが、以上の数語を呟くようにぼそぼそと語り終わると、彼はまた取りつくしまもない黙念の人にもどってしまった。

しかし少し調べれば、自分の呪詛が、結局自己を語っているにすぎないこと、言いかえれば、自らの尺度で相手を計っているにすぎないことに気がついたはずだ。

というのは、その時点ではフィリピン人ゲリラが、比島解放の”英雄”だったはずだ。

だがそのときでも、彼らはこの”英雄”を「勝てば官軍」とあがめていない。ゲリラのうちフィリピン人に残酷なことをしたものを、その勝利の暁に堂々と裁判に付している。

一方対日協力者は、対日協力者であったという理由だけで処刑はしていない。従って比島には、厳密な意味での”戦犯”はいない

それが一見きわめて感情過多に見える彼らが、あの戦争直後の集団ヒステリー的状態の中で行なったことなのである。

このことは、彼らには彼らの哲学とそれに基づく規範があり、それがわれわれとは別種のものであることを物語っている。

従って花を投げるにも石を投げるにも、彼らには彼らの基準があったのである。

われわれはそれを知らなかった

そして知ろうとさえせずに「ピリ公なんざぁアジア人じゃネエ」と言って、「アジア」という妄想を固持していたのである。

(~後略~)

【引用元:一下級将校の見た帝国陸軍/石の雨と花の雨と/P72~】


田母神氏の論文を読んでいて強く感じたのが、「一人よがりの思い込み」です。それと自らの創を隠すかのごとき「自慰」。
だから、上記引用の「石の雨と花の雨と」を思い出した。

「日本は悪くない」と言う前に、「石もて追われた」という厳然たる事実をまず知りましょう。そして直視しましょう。

なぜそうなってしまったのか?
そのことについて、我々は果たして考えたことがあるのでしょうか。

そうしたことに全く思いを至らせることなしに、「日本は悪くない」と言うのは、正にこの問題点から目を逸らすだけの自慰行為でしかないような気がします。

【後続記事】
・「自己の絶対化」と「反日感情」の関連性~日本軍が石もて追われたその理由とは~

【関連記事】
・いい加減「日本は悪くない」論をぶつのはやめましょう。事実の認定のみで争うべし!


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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

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コメント

日本の方が有利だったはずなのですが…

確かに、杜若さんの仰るように、フィリピン人の白人に対する意識というものは、日本人に対するそれと違っていたのかもしれません。

感情という点では、日本人の方がはるかに有利だったはずなのです。

しかしながら、日本軍は、フィリピン人をすぐに失望させました。
中立させるどころか、敵に追いやってしまいました。

白人は確かにフィリピン人を奴隷として使ったかもしれません。
ただ、分割統治をおこない、搾取しながらも、曲がりなりにも彼らの生活が成り立つようにしていました。

日本軍は、白人の支配を打破してやったところまでは良かったのですが、彼らの生活をめちゃくちゃにしてしまいました。

そのために石もて追われてしまったわけですね。

  • 2010/01/24(日) 16:41:50 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

一知半解 様

当時と今の私たちが理解する、白人にたいする意識という観点が抜けてはいないでしょうか。それは今の私たちにすでに想像もできない遠いものでしょう。
フィリピン人にとっても、白人と日本人ではまるで違った存在として写っていた筈です。

  • 2010/01/23(土) 14:36:20 |
  • URL |
  • 杜若 #-
  • [編集]

三輪耀山さん、山本七平も別にアメリカの植民地支配が良かったと肯定しているわけではありません。

引用した部分には書いてありませんが、フィリピンでの反米感情についても彼は別のところで触れています。

なぜ、フィリピンを解放したはずの日本が、石もて追われたのか?

そのことを山本七平は、「ひとりよがりで同情心のないこと。つまり”自己の絶対化”が反日感情を引き起こした」のではないか?と指摘しているだけなんですが…。

別に、米国の美談をするために、引き合いに出したわけじゃありません。

  • 2009/11/14(土) 23:56:34 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

全然理解できないのですが、フィリピンの人達はアメリカ、スペインから植民地としてフィリピンを取り上げた新しいご主人様に花を投げたんですか?

そこが全く文脈から見えないのです。
つまり、アメリカの植民地支配は良い植民地支配だった。
だから、米軍の捕虜にはフィリピン人は花を投げたと。
素晴らしい美談ですね。ついていけません。

さようなら。

  • 2009/11/14(土) 23:14:18 |
  • URL |
  • 三輪耀山 #-
  • [編集]

三輪耀山さんへ

三輪耀山さん、初めまして。

>その回答がこの文章のどこかにあるんでしょうか?

残念ながら、この山本七平の文章には三輪さんが求める回答はないと思います。
これは日本人の「ひとりよがりの思い込み」がどのような結果をもたらしたかについて書かれたものですから。

  • 2009/11/14(土) 18:31:29 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

戦勝国である、最近までの植民地経営をしていたご主人様に石を投げたらどんな報復があるんでしょうか?
それと、植民地経営をされた国の人達が他の国に逃げて行った例があるのでしょうか?
また、そんなに素晴らしいご主人様が去った後に、フィリピン人が鉛筆一本も自分達で作れなかったのは何故でしょうか?

その回答がこの文章のどこかにあるんでしょうか?
もしかして、私は文字が読めないのかも知れないですね。

  • 2009/11/14(土) 13:57:28 |
  • URL |
  • 三輪耀山 #-
  • [編集]

1読者さん、mugiさんへ

1読者さん、再コメントありがとうございます。

>日本は戦後、こうした点を自覚して「反省」してきたことがあったでしょうか? むしろ、無自覚に(一方的に旧軍や自衛隊に押し付ける形で)忌避してきただけではないのか。

仰るとおりですね。
法整備も不備に等しいまま、国防や海外協力事務等汚れ仕事に就かされている自衛隊としては、文句を言いたくもなるのは当たり前だと思います。
政治の怠慢、国民の意識も問題なのでしょう。
田母神氏の主張が、こうした事態に一石を投じることになればいいのですけどね。

>なお、田母神氏がこうした論文を発表することは立場上相応しくないという意見もありますが、私には疑問です。なぜなら、現役の外交官が特定の歴史観に基づく本を出版しても、今まで問題にされたことなどなかったからです。

確かにそうなんですよね。
ただ、結果的に、政治的な問題になったり、揚げ足取られる結果になったのは残念です。これも外交官でなく、軍隊の人間だからだったせいなんでしょうか?
また、文民統制云々言われていますが、なんかピントがずれているような気がしてならないのですけど。

mugiさん、再コメントありがとうございます。

>私は小松真一氏の本は未見ですが、「一人よがりで同情心がない事」と無縁な侵略軍など、世界史上で稀に近いのではないでしょうか?

そうだと思います。
ただ、山本七平や小松真一が言わんとする「一人よがりで同情心がない事」というのはちょっと意味合いが違うかな…。
これについては、また記事で取り上げたいと思いますので宜しくお願いします。

>その原因を歴史学者・会田雄次氏が見事な分析をしています。「物事をつきつめて考えない、いいかげんな思考が日本人の特質」とは痛烈でしたね。

そのとおりですね。山本七平も似たようなことを言ってますよ。

>徹底したリアリストになり切れず自己及び他の「情緒的満足感」を知らず知らずのうちに尊重し、それに触れることと触れられることを、極度に嫌いかつ避ける国民性が作用している…

>確かに太平洋戦争は苦難の道だが、その道を選ぶにあたっては、常に、最も苦しい自己との戦いを回避して、その時その時の最も安易な方向へ進んだことは否定できない。

>その失敗を教訓にし、今後に活かすのには長けている。日本人も願わくば、そうでありたいものですが(嘆)。

そのとおりですね。
mugiさんにはどうも異論がありそうですけど、私は、山本七平の指摘が、そうした反省のきっかけになると思っているんですよ。

  • 2008/11/10(月) 22:56:29 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

一知半解さんへ

長文レス、失礼します

実は私もフィリピン史には浅学ですので、もし誤記述があったのならお許し下さい。
フィリピンがアメリカに支配されたのは20世紀初めで、日本軍が来たのはそれから40年も経ています。
その間、アメリカは現地で支配体制を確立、過去の大々的な虐殺は風化されていったはずです。日本人が戦後、支配者米軍に屈服し、一転して親米となったように。もし、敗戦40年後に共産圏の軍隊が日本侵攻、あっという間に全土制圧したとします。侵入軍が米兵を連行したとすれば、日本人は石を投げつけるでしょうか?既につながりも出来ており、そっと差し入れする人もいると思いますね。

同じ東南アジアでも、インドネシアやビルマ(現ミャンマー)とは事情が微妙に違います。こちらは敗戦後、フィリピンほど「石持て追われる」羽目にならずに済んだのは、興味深い。イスラムと仏教、宗主国がオランダと英国の背景もあったのやら。それに対し、フィリピンはカトリックが大半で、アメリカもキリスト教国だった。反米感情があったにせよ、武装テロまで行っていたのではないでしょう。
いかに日本にマイナス感情もなかったにせよ、重武装の軍隊が押し寄せ、家屋を破壊、食糧を奪ったりすれば、憎悪するのは当り前です。インドネシアと違い、特に日本軍は解放軍と思われてなかったかも。解放軍気取りで進軍した日本兵と、現地人の感情のズレが後の「石持て追われる」ことに繋がったのではないでしょうか。

私は小松真一氏の本は未見ですが、「一人よがりで同情心がない事」と無縁な侵略軍など、世界史上で稀に近いのではないでしょうか?
他国への進軍は独善と冷酷がなければ、出来ないことです。また、現地協力者に責任を持つ軍隊もまず聞いたことがありません。ベトナム戦争の米国はむしろ例外であり、自国兵だけで手一杯の敗戦国はとても協力者を救うゆとりはなかった。もちろん当初から日本の指導部にその考えは頭になかったとでしょう。

ベトナム戦争時、米兵は盛んに現地人にgookの言葉を連発しました。日本を含めアジア・太平洋の人々に対する蔑称であり、「東洋土人」のような悪意ある言葉です。米国人も現地人を理解はしなかったでしょう。それでも敗走する米兵へのリンチが起きなかったのは、やはり報復への恐怖もあると思います。ナチと戦った自由フランス軍も、戦後ベトナムに来てナチスばりの蛮行を行いました。

以前のエントリー「人はみな「選択的良心」の持ち主である」で、山本の「カハン報告」についての意見が紹介されていました。私はこれを見て、山本はつくづくユダヤマンセーの人だ、と痛感しました。イスラエルの自画自賛の茶番劇をそのまま紹介している。元々身元を偽って、本を出した人物ですからね。ならば、他の著書にも意図的な誇張がないと断言できるものやら。
ただ、言論思想の自由があるので、山本を支持するのは個人の自由だし、興味深い意見も結構あります。

mottonさんはレイシズム的と表現されましたが、私は選民思想的なものを感じました。やはりクリスチャンはこのような発想になるのか、と。他のクリスチャンともネットで話したことはありますが、日本人でも感性や価値観がかなり違っている。親欧米は結構ですが、これは日本で「美味いビールを飲んで、共産主義の夢を語っていた」左翼と似ていますね。ベンダサンも書いたとおり、聖書を読んでいてよかった(笑)。
何やら山本について、また私も記事を書きたくなりましたよ。異論ですが。

よく「無謀な戦争」と、旧日本軍の戦争は非難されます。もちろんその通りであり、その原因を歴史学者・会田雄次氏が見事な分析をしています。「物事をつきつめて考えない、いいかげんな思考が日本人の特質」とは痛烈でしたね。
http://blog.goo.ne.jp/norilino1045/e/98470a1275aeae4bc4590f461a1c6045

現代の覇権国アメリカも、大英帝国も、わりと「無謀な戦争」はやっています。ただ、その失敗を教訓にし、今後に活かすのには長けている。日本人も願わくば、そうでありたいものですが(嘆)。

  • 2008/11/09(日) 12:37:59 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

 お返事ありがとうございました。

 田母神論文は、その後(その内容の是否を含め)様々な論争を呼び、現在は政治問題に発展してきているようですが、もともとこの論文は純然たる歴史論文というより、一定の歴史観に基づく(一般の読者に向けた)政策提言に近いものだろうというのが最初からの私の印象でした。
 また、選考委員もそうした観点からこの論文を選んだようです。
http://www.melma.com/backnumber_142868_4283027/
 それでも、例えば近衛文麿の声明を無批判に容認し、「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」と断じている点などは、(これは明らかに外交上の失敗と考えるべきだと思うので)不満があるということは、前回のコメントでも述べました。

 それ以外にも、歴史的には事実でもその解釈という面では問題があると思われる点もあります。
 これは、おそらく一知半解男さんが、「日本は悪くなかった」と強調されすぎていて「自慰的」と感じられた部分と重なるかもしれませんが、「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」(参考文献例:「満州国」見聞記―リットン調査団同行記 講談社学術文庫 ハインリッヒ・シュネー著)というのは事実ですが、そのことと日本が「侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣」という主張とは必ずしも結びつかないという点です。
 なぜなら、問題は、当時の日本が統帥権干犯問題以降、事実上二重政府状態になっており、そのことが国際社会から疑惑と不信の目で見られていたことに加え、満州事変は(個人的には自衛的な行動だと考えていますが)、第一次大戦後の世界秩序を決定したベルサイユ体制を(それ自体は白人帝国主義国家間の談合に過ぎないとしても)最初に破る結果になってしまった点です。そして、そこが東京裁判などで「平和に対する罪」を問われることになる遠因であり、戦後「軍の暴走」という印象を生む大本となった点だからです。
 したがって、「幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない」という主張は、やや欺瞞的と評価できるかもしれません。

 もっとも、当時の日本は、大恐慌以来の不景気が続く中、近年の日本の以上に政治不信が蔓延る一方で、軍に対する信頼は著しく高く、マスコミもこうした風潮をむしろ煽っていたという点は留意しておくべきでしょう。

 また、張作霖列車爆破事件に関するソ連情報機関の関与を示す資料やヴェノナ文書についても、もう少し慎重に取り扱うべきだったかもしれません。

 ただ、それにもかかわらず、この論文に前回コメントしたような感想を持った理由は、私は以前から、戦後自衛隊が置かれてきた状況に、繰り返し山本七平氏が指摘していた日本的組織の問題点を感じていたからです。

 これは、前回のコメントで「少しコメントしたいこともあった」と書いた点でもあるのですが、『アントニーの詐術【その8】~一体感の詐術~』で、一知半解男さんは、
>なぜ日本軍は、「命令」ではなく「扇動」で動いていたのか?…
思いつくのが、日本軍の命令というのが、現場にとっては実行不可能なものだったからじゃないかと。…
つまり「命令」を聞いていたら命がないという状況では、単に命令を下すだけでは兵隊は動かなかった。そこで「扇動」という手法を使わざるを得なかったのではないでしょうか…
と、指摘しています。
 これを少し改変し、「実行不可能」という部分を<不合理>に変え、以下の部分を「つまり、命令の内容に合理性がなく、兵隊を承服させあるいは自発的な士気の高揚が期待できない状況では、単に命令を下すだけでは兵隊は動かなかった。そこで、情緒的な断定や精神論を声高に主張(扇動的手法も含む)して特殊な雰囲気(「空気」)を醸成し、兵隊の判断を規制して命令に従わせざるを得なかった…」と変えると、山本七平氏が常々指摘していた、日本的組織、とくに伝統的組織にしばしば見られる傾向ではないかと、私には思われるのです。

 これに対して、個人的な経験に照らしても、アメリカ的な組織は違います。その違いは一言で言えば、厳格な合理性の有無です。アメリカ式の組織は、同じ行為を命じる場合でも、なぜその行為を行なうのか、その意味を相手がはっきりと理解することを求めます。そして、手を抜かずにその通りにやるように命じます。その結果、実働時間は日本式の場合よりも短くなる反面、精神的・肉体的にははるかに疲労します。しかしそれでも、当事者にとってはアメリカ式の方が意欲が湧くのです。なぜなら、何のために行なうのかという目的意識が明確であるとともに、その効果をすぐに実感できるからです。
 こうしたことは軍隊でも同じでしょう。命令が合理的でその意図を兵士が明確に理解できるなら、困難なミッションを行なう場合でも、兵士は高い士気を維持できます。しかし、そのためには、兵士を納得させうる命令でなければなりません。それゆえ、戦略・戦術を決定する場合には、様々な場面を想定しつつ、反論(「アンチアントニー」)も容認し、できるだけ犠牲が少なく、確実性と効果が高いものを選択する必要がでてきます。
 ただし、これはアメリカ軍の特徴というよりも、本来は明確な目的を持つ集団(機能集団。国家や軍隊、企業等)であれば当然に持つべき発想ですし、アメリカに限らず欧米の組織は、一般にそうした傾向が日本の組織より強いのも現実です。

 しかし、旧日本軍には、こうした発想が決定的に欠落していました。(もっとも、このことは日本軍が弱かったということではありません。日本軍、とくに兵士は選択の余地がない状況に追い込まれた場合には、しばしば圧倒的な強さを発揮しました。しかし、様々な情勢判断に基づいて戦略・戦術を決定するという側面では、しばしば決定的な判断ミスをしています。フィリピン占領の場合は、その特殊性と相俟ってとりわけ重大な損害が出た実例の一つでしょう。誤解を恐れずにあえて言うと、フィリピンにおける日本軍は、台湾における国民党軍の立場に似ていました。それだけに慎重な配慮が必要でした。また、ベトナム戦争終結時のアメリカ軍撤退に多くのベトナム人が付き従ったのは、味方になった者は最後まで保護するというアメリカの方針を知っていたからでしょうね。)

 日本は戦後、こうした点を自覚して「反省」してきたことがあったでしょうか? むしろ、無自覚に(一方的に旧軍や自衛隊に押し付ける形で)忌避してきただけではないのか。その結果、現在の政府と自衛隊の関係は、前回のコメントでも触れたように、時代と方向性は異なるものの戦前の政府と軍または旧軍内部の関係に酷似しているように思われるのです。

 このような観点から、田母神氏の論文を読み直してみると、その含意は山本七平氏の主張と共通する問題意識があるように私には感じられたのです。

 なお、田母神氏がこうした論文を発表することは立場上相応しくないという意見もありますが、私には疑問です。なぜなら、現役の外交官が特定の歴史観に基づく本を出版しても、今まで問題にされたことなどなかったからです。

  • 2008/11/09(日) 05:44:30 |
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  • 1読者 #-
  • [編集]

横槍

>私はその理由を報復が怖かったからだと考えます。

それは石を投げない理由にはなりますが、花を投げる理由にはなりませんよ。

  • 2008/11/08(土) 23:34:40 |
  • URL |
  • strangequark #-
  • [編集]

mugiさんへ

mugiさん、コメントありがとうございます。
レスが遅くなって済みません。

>私はその理由を報復が怖かったからだと考えます。

う~む。確かにmugiさんの仰る面もなきにしもあらずだとは思いますが、そう単純に割り切れるかな…という疑問が残りますね。

そもそもフィリピンというのは、日本軍が進駐するまでどちらかというと反米感情が強い処だったそうですし、それに対して日本というのは、なんのマイナス感情も抱かれてなかった。

日本軍が有利な立場だったはずのフィリピンで、なぜ強烈な反日感情を巻き起こす事態となってしまったのか?なぜ反日に追いやってしまったのか?

小松真一氏は、その原因を「一人よがりで同情心がない事」と指摘していますが、これは傾聴に値すると私は思います。

また、日本軍は対日協力者に対して一切責任を取らなかった。そのことも一因ではないかと。

山本七平の自慰的行為と仰られてますけど、これらの原因を「報復が怖かったからだろう」と決め付けることこそ、自らの問題から目を逸らせる形になりはしないでしょうか。

>「いやそれは違う、この二つを対比することは土台無理な話だ……」という反論は当然に出るであろう。私自身かつて、一心にこの反論をやったのだから。

山本七平もかつてやったように、そうした言い訳をすることは幾らでも出来ます。外部に責任を求めることは幾らでも出来るでしょう。ただ、それで終わりにして良いのか?と言えば、そうではないと思うのです。

>一兵卒の視点から日本(日本軍)の問題を日本人論とからめて書いているが、一言『貧すれば鈍す』でほとんど終わる話、全てを日本人(日本社会)に原因をもってきているように見えた。これは科学的思考ではなくレイシズム的思考でしょう

mottonさんのコメントですよね。私も反論したので憶えております。

彼の意見は鋭いと思うことが多いのですが、戦前の日本の愚行は果たして「貧した」から成されたものなのか?と言われれば、いや、それは違うだろう、と思うのです。

山本七平は、日本人の思考・行動様式の中に、その原因を探求したにすぎません。もちろん外部にいくらでも原因や理由を求めることは出来るでしょう。ただ、外部に求めたからと言って、外部の原因を日本が正すことができるかといえば、出来ないわけです。

否応なしに、外的要因(突発的事件)は発生するのであって、問題は「それに日本がどう対応するか?」ということになると思います。

山本七平は、そのことをわかっているからこそ、日本人の思考・行動様式を探求し続けたのだと私は解釈しています。

それが「日本人に原因をもってきているように見えた」と受け取られるのは仕方のない事かもしれません。

ただ、それをレイシズム的思考と受け取るのは、短絡的で間違っているし、問題点から目を逸らす結果にしかならないと思います。

最後に、mugiさんの、山本七平はクリスチャンなので欧米に甘いというご指摘は、私も確かにそのとおりだとは思います。

だからといって、私は、彼の有益な提言まで否定する気にはなれないのですが。

  • 2008/11/08(土) 18:54:51 |
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  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

1読者さんへ

1読者さん、コメントありがとうございます。

>田母神論文の「自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きでいないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。」という部分こそ「田母神空幕長がこの論文で一番訴えたかったこと

これは1読者さんの仰るとおりだと思います。
確かにそれ(マインドコントロールからの解放)を主張したいが為に、「日本は悪くなかった」と強調しているのでしょう。

その狙いはわかるのですが、強調されすぎて余りにも「自慰的」印象を与えること、及びそのせいで主張が散漫になっているきらいは否めないと思います。

それと思うのですが、マインドコントロールを解く方法として「日本は悪くなかった」と強調するのはどうなんでしょう?

確かにある程度は有効かもしれません。
しかしながら、このやり方は左翼がかつて「残虐日本軍」と強調したやり方の裏返しに過ぎないのではないでしょうか?

ただでさえ、日本人は「善悪」というフィルターを掛けて判断してしまいがちです。
おかげで判断対象が歪んでしまい、正しく判断できないという指摘は、山本七平も散々した処です。

「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は…(以下略)」という田母神氏の指摘は、自衛隊の幹部ならではの叫びで、わからなくもありません。

ですが、田母神氏が指摘するように、必ずしも「マインドコントロール=軍の暴走の歯止め」になっているとは思いません。

山本七平が指摘したように、「善悪」というフィルターに判断を委ね、そこに「一人よがりの思い込み」を加えて行けば、マインドコントロールがあっても、かつての日本軍同様、暴走してしまうのではないでしょうか。

マインドコントロールを解く鍵は、かつてそういう状態に陥った事態を直視し、原因(善悪視・一人よがりの思い込み等)を見極めればよいのではないでしょうか。

自らの欠点を知り、是正していけば、残虐日本軍をむやみやたら強調して、「軍の暴走」を恐れる必要はなくなると思うのですが。

日本人の贖罪意識を利用することで、「軍の暴走」を警戒するというアメリカや左翼が取ったやり方は、確かに正されねばならないと思いますが、それは「日本は悪くない」というテーゼを以って正すのではなく、なぜ暴走に至ったのかを丹念に調べ再び同じ行動を取らないよう注意するやり方でしか正せないような気がします(迂遠だとは思いますが)。

マインドコントロールの問題と、軍の暴走という問題は別であるという認識が欠けていることも、議論が混乱する一因かも知れませんね。

とにかく私は、「日本は悪くない」というやり方は、再び「一人よがりの思い込み」に陥りやすいと思えるのであまり賛成できません。

>私はそこに、かつて山本七平氏ら日本軍兵士が抱いた不満や憤りと同質のものを感じるのですが、どうでしょうか。

たしかに田母神氏の気持ちはわかるのですが、今回の事態を見ると、余りにもその手法に不備が目立ち、却って事態を悪化させているような気がしてなりません。

本当に不満や憤りを感じているのなら、もう少し揚げ足を取られないやり方は無かったのか…と正直なところ思ってしまいます。

なんか取りとめのない文章になってしまいましたが、1読者さんのコメントを読んでそう思いました。

  • 2008/11/06(木) 22:47:26 |
  • URL |
  • 一知半解 #f2BEFQoE
  • [編集]

妄想の固執

紹介された山本の著書からの文章を興味深く拝読しました。
旧日本軍が「石もて追われた」のに対し、米軍は何故そうでなかったのか、との疑問ですが、私はその理由を報復が怖かったからだと考えます。私は以前、フィリピンを支配したばかりの頃のアメリカについて記事を書いたことがあります。何故かトラバが出来なかったので、直リンをはらせて下さい。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/87251205a57837d94cf07a593fa62661

人間というものは軽度の侮蔑には復讐の気持ちも起こるが、大きな危害を加えられると復讐の気さえ失ってしまうものだ」と言ったのはマキアベリですが、これはフィリピン人、日本人、ベトナム人そして米国人も同じでしょう。もし米兵を殺害すれば、何倍もの凄まじい報復を招くことを、体験から知っている。それに対し、日本軍にはそのような危惧を感じさせなかったこともあると思いますね。実態は張子であれ、虎だと思っている間は面従腹背していても、怖れるに足りぬ張子と知るや、復讐心が湧いてくる。

あえて厳しいことを言わせて頂ければ、山本自身の過去に対する、自慰行為的繰言と取れなくもないですよ。
そして、クリスチャンの欧米に対する見方も詰めが甘いと言うか、情緒たっぷりの思い入れが激しく、妄想を固持する傾向がありますね。総じてクリスチャンは親欧米ですが、このような人はキリスト教圏の暗部をまず言わないものです。これは戦前の「アジア主義」者と基本的に同じで、戦後の「平和主義」「出羽の神」も同類。山本のイスラエルへの思い入れもかなりと感じました。
山本もユダヤ人の子供云々…と子供をダシにする表現をしていましたが、これは読者の同情を引く時、よく使われる手法です。

以前私のブログに、『私の中の日本軍』『なぜ日本は敗れるのか』を読まれた方が、その感想をコメントしていました。
一兵卒の視点から日本(日本軍)の問題を日本人論とからめて書いているが、一言『貧すれば鈍す』でほとんど終わる話、全てを日本人(日本社会)に原因をもってきているように見えた。これは科学的思考ではなくレイシズム的思考でしょう、と。
ファンの管理人さんには申し訳ありませんが、私もそれを感じます。私はレイシズムより選民思想的と思いますが、クリスチャン山本ならではですね。

  • 2008/11/06(木) 22:24:01 |
  • URL |
  • mugi #xsUmrm7U
  • [編集]

 「アントニーの詐術」についての一連のエントリー、ご苦労さまでした。
 少しコメントしたいこともあったのですが、まず、いま話題の田母神論文について考えてみたいと思います。

 田母神論文の受け取り方については色々な立場があるでしょう。
 単なる歴史論文と考えると、私にも不満な点が少なくありません。確かに、そこに書いてあることは最近判明した新資料を織り込んだ客観的なものです。また、当時ソ連など共産主義勢力の関与があったことも事実、日本が「素晴らしいこと」をしたのも事実でしょう。したがって、「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」という主張も分からないわけではありません。
 しかし、そこには当時の国際情勢の下で日本の行動がどう受け止められたかという視点が欠落しています。(これは現地のフィリピン人や韓国人がどう受け止めたかということとは関係ありません。ここでは長くなるので述べませんが、国際政治・外交上どのような意味と国際社会に受け取られたかという問題です。なお、ご存知だと思いますが、「日本人と中国人」に、満州事変から日中戦争にかけての日本の行動を国際社会がどう受け止めたか、に関する面白い評論がありますね。)

 ただ、この論文の主題はおそらくそこではない。私は、すべてに同意できるわけではないものの、以下のブログの見解に近い感想を持ちました。
<軍事評論家=佐藤守のブログ日記>
・空幕長更迭(11/03)
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20081103
・異例の“定年”退職(11/04)
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20081104
なお、最新のエントリーも(まだ一読しただけですが)すでにアップされているようです。
・言論封殺、危険な兆候(11/05)
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20081105

 また、このブログもさすがに着眼点が鋭いと感じました。
<酔夢ing Voice - 西村幸祐>
・田母神空幕長の告発を封殺する、恐ろしい全体主義(11/04)
http://nishimura-voice.seesaa.net/archives/20081104-1.html


 一知半解男さんは、今回のエントリーで「石の雨と花の雨と」からその前半部分を引用していらっしゃいます。しかし、私なら、引用されていない後半の結論部分に着目します。当然ご存知だと思いますが、あえて引用してみます。

『…だが何より大きな問題は、日本軍に…フィリピンという一国を占領し、これを統治するつもりがまったくなかったということである。…一国を占領する、それならばまずその国の兵要地誌はもちろん、歴史・伝統・民族・言語等々を徹底的に調べて、それぞれの専門家を要請しておくのが順序であろう。
 …だが、そういう準備は皆無であり、むしろ「英語教育禁止」という逆行になり、その状況では、タガログ語の専門家などいるはずもなかった。…日本軍では、幹部ですら、タガログ語の存在を知らなかった。まして、ルソン東北部はイカルノ語だなどということは、誰も知らない。もちろん、冷静な意見もあったのだが、それらは「…戦とは、それくらいの気概を持たねば勝てんのだ」といった言葉で封じられた。こういう状況だから、他は推して知るべし。それでいて参謀本部は、昭和初期から南方方面占領の作戦計画だけは立てており、その際、占領軍が「現地自活」することは、規定の方針だったという。このこと自体が、いかに現地に対して無知であり、何一つ真剣に調査していなかったかの証拠といえよう…』

 ここで「フィリピンという一国を占領」という部分を、適宜イラクまたはアフガニスタン駐留に、日本軍の幹部とか「参謀本部」を政府ないし与野党の政治家、「英語教育禁止」を核武装などに関する軍事研究・論争禁止、「南方方面占領」を国際貢献などと読み変えてみると、時代と方向性は異なるものの戦後に自衛隊が置かれてきた状況に酷似してくるのではないでしょうか。

 したがって、西村幸祐氏も言うように、田母神論文の「自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きでいないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。」という部分こそ「田母神空幕長がこの論文で一番訴えたかったこと」であるという指摘は正しいでしょう。そして、私はそこに、かつて山本七平氏ら日本軍兵士が抱いた不満や憤りと同質のものを感じるのですが、どうでしょうか。

  • 2008/11/05(水) 19:44:21 |
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「一知半解知らずに劣れり」な自分ではありますが、「物言わぬは腹ふくるるわざなり」…と、かの兼好法師も仰っておりますので、ワタクシもブログでコソーリとモノ申します。
一知半解なるがゆえに、自らの言葉で恥を晒すのを控え、主に山本七平の言葉を借用しつつ書き綴ってゆきたいと思ふのでアリマス。宜しくメカドック!!
日々のツイートを集めた別館「一知半解なれども一筆言上」~半可通のひとり言~↓もよろしゅう。

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