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欧州自転車レース追っかけ日記

欧州在住者が自転車レースを追い掛けてる日記とか

Enough is enough in Norwegian

Enough is enough!: Ragnarok 2013 a Norwegian film
I was watching it with an English subtitle on the screen, of course. There was a brief line where a man said "Enough is enough" in Norwegian. It sounded like "knock knock to me. It got me curious. So I had to ask Google translate to translate (this is what it does the best) enough is enough into Norwegian.

It came out as "nok er nok." It made sense to me. As I had known the German word for enough "genug" pronounced like "ge(t)-gnu-k" (please treat (t) as silent as g before nu is).

This GE- prefix existed in old English (and it seems that still exist in Dutch) but was at some point of time in English language history "systematically dropped".

I guess it dawned upon the English speaking people that this systematic ge- prefix (attached to verb's past participle) had no effect what's so ever as it was just systematically attached even though almost all verb's past participle had different ending forms (like -ed, -en or something similar) from its present or infinitive ending forms to help the speaker distinguish the difference.

Do you consider it difficult to know the difference between 'smoked' and 'smoke' and also between 'smoke' and 'gesmoked' (I'm just saying this for argumentation's sake and I don't know if in any time past gesmoked ever existed). They are different enough.

Something systematic can be dropped all together when you deem it redundant and they (such things) are not missed. The wisdom of the day!

If you need an example, in old days people (like you see in movies and dramas of, say, Sherlock Homes or Al Capone) had a hat on their head whenever they went out systematically. Today, almost nobody does so systematically but some do so for reasons of their own. This social system (a.k.a. practice) has been dropped all together.

Today, I learned a Norwegian phrase, nok er nok and I'm happy.

In English: 続きをどうぞ
9個目の最後のパーツの行方
最後の部品はPlutonium-241と呼ばれています。一種のあだ名ですが、プリヤは最初からそれがalgorithmの最後の部品と知ってます。

オスロでのプリヤと主人公との会話で、明らかにされる。(タリンの輸送トラック襲撃)作戦は、その部品をセイターに渡すことであった。部品が全部揃うことで、セイターはそれらを所謂Dead Dropに集結させて、そこをTenetの武装部隊が襲う、と云う全体の流れであった。

(もちろん、この作戦の立案者は未来の主人公となるのだが、実際には、この時代の主人公がセイターにその部品を渡してしまったことを肯定して、その上で、この計画を立てた訳です。しかも、その作戦の結果も実は知ってることになる。でも、その結果がそのまま、過去の自分たしたことを変えないように配慮しながら、一方で、未来からTenetの戦闘部員を送ることになる。これは一種の呪いですね。Back To The Futureの様に、現在、未来を「主人公の目線で」正しい姿に変えるために、行動を起こす、と云う観客にわかりやすい筋じゃない。)

最後に残った主人公が知らない情報は、Dead Dropの位置といつそれらを埋めるかです。

この会話は6月11日頃に起こります。オスロFreeportの襲撃事件の次の日です。この主人公は一旦逆行し、オスロで順行に転じた「第二の主人公」で、第一の主人公はその時点でオスロ空港で初めて回転ドアを見て、オスロのホテルでニールと会話してる段階です。

ここで、第2の主人公は、プリヤに、「二日後(6月13日頃)第一の自分に対して言ったことと違うことを言え」と言います。これも無茶な主張で、プリヤはまだ第一の主人公にはセイターへ接触するために、「プルトニウムを餌に」とは言ってません。言ってないことを、あの言い方じゃなくて、別の事を伝えてくれ、と頼んでます。しかし、実際にそれはすで(第1の主人公)に起こった事であり、この時点(11日)で何を言っても変わらない、がこの映画の重要な筋です。

この時点でも主人公は過去に何か別のことをしたら、未来を変えられると希望を持ってます。物語的には、この時点までに既にWhat's happened happened. とか、What's happened's happened.と複数回セリフに出て来てます。この会話の以前に、3度既に登場してます。

最初がタリンの倉庫で主人公、ニールとKatが逆行に転じた直後
2度目は、その後、オスロへ向かうコンテナ内部にて
3度目は、その後、オスロで回転ドアを通って、順行に転じた後
最後は、このオスロでの主人公とプリヤの会話の後で、スタルスク-12での戦闘の後

(1) Priya: If that universe can exist, we don't live in it.
(2) P: Let's try.
Priya: そんな(別のことをして、過去を変えられるような)宇宙がもし、存在し得るとしても、我々はその宇宙には生きてない。
P: 試してみようじゃないか。

この(1)が映画Tenetの世界では、この世界の時間軸は固定であり、伏線もなく、決定論です。プリヤは任務通りに行動します。自分が行うことは任務として与えられていることだけ、それ以上も、それ以下も無いと割り切ってます。非常に有能なTenetの構成員です。一方の主人公はまだその世界を受け入れるのに、苦労している状態です(2)。

そして、最後の4回目でも、主人公は、別のことをしたら、既に起こったことを変えられる可能性はないのか、と疑問を投げかけます。ここが重要で、「何か別のことをしたら、その後に起こることを変えられるのではないか」がつまり、希望であり、「何をしても、その後に起こることが変わることがない」をどう受け止めるかが、キモです。その場面で、主人公は「運命?」と言い、ニールは「現実」と返答します。テネットの世界観では、我々が持ってる希望が幻想だと気づかれうようで怖いです。

疑問
タリンの輸送トラック襲撃とその後のカーチェイスシーンが飲み込めない理由が分かりました。これまで、それを認識するのも困難でした。


それが「逆行の人間が乗った逆行の車に乗せられた順行のKatは一体どう時間軸を動くのか」であることに気づきました。


考えてみると、これは考慮したことがなかった。つまり、逆行する容器に順行するものを入れて放置したら、どうなるのか。これが映画で語られる場面があったでしょうか。

かなり前に疑問を持ったことあります。それが初期のシーンで、科学者Barbaraが主人公を倉庫みたいな部屋に案内し、見つかった逆行物が数多く保管されてることを見せます。全て逆行状態のまま保管されtます。そのシーンで思いました。「これらの逆行物は未来に向かってもそのまま保存されるのか」でした。保管してても、ある日引き出し開いたら、無くなってるみたいなこと起こらないの?。

これの答えは「過去の誰かが、その引き出しを開くまでは、そこにある」ですね。誰も過去の人間が引き出しを開いて、取らない限りは、そこにあるわけですね。

似てる疑問が「逆行するタイプカプセル(単に頑丈な箱)に、順行の品物を入れて埋めて、過去の人がそれを掘り返して、開封した時、内容物はそこにあるか、空か」ですね。多分内容物はそこにあるんでしょう。そして、そのタイムカプセルは、さらに過去の人が回収できますが、内容物は一旦取り出してしまえば、それ以降の過去の人には回収できません。

カーチェイスの場面では、順行物も逆行の時間軸で動くようですね。そう理解すると、この一連の展開が理解できます。そう理解するしかありません。

逆行のアウディに乗ると、順行の人間も時間を逆行できます。そうじゃないとあのカーチェイスシーンのセイターとKatの行動が理解できません。重要なのは外側の様子です。

逆行の車に順行の装備を持ち込んでも問題ない様子です。すると、あの場面(カーチェイス)で、逆行中のセイターが順行のままのピストル(弾丸も順行)を持ってて、そのピストルを打った場合は、弾丸が飛ぶんですか、前に?、後ろに?。逆行の人間の目線では、前に飛ぶことになるのか、それとも後ろに戻ってくることになるのか。

上述のなぞが解明されたので、やっとカーチェイスの流れを理解できました。そこで、最終のなぞを解きます。それが「algorithmの最後の部品はカーチェイス終了時に何処に行った」です。

テーマ:洋画 - ジャンル:映画

  1. 2025/01/12(日) 23:43:32|
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