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欧州自転車レース追っかけ日記

欧州在住者が自転車レースを追い掛けてる日記とか

Tour de France 2010 Part XXXII

いつもの(2005、06、07、08、09年)場所(車を停めた場所から100m程度)を目指す。すると今年は異変が。なんと僕の予定していた区画の隣の区画に椅子に座って待ってる人が居た。近づくとミニデンマーク国旗を持っていたので安心。ここはデンマーク人区画(デンマークの国旗を飾ってるデンマーク系のレストランの前だから勝手にそうなってる)だから、心配ない。仲良く観戦できる。

この女性はデンマーク人で娘さんと2人で観戦に着てた。昨年はシャンゼリゼ通りをはさんだ向かい側に初めて来たが、こちら側にデンマーク人達が陣取ってるのを見て、「じゃ、来年は向う側で、しかも朝早く場所取り」と決めたいたそうだ。何時に来たのか訪ねると、なんと早朝5時。まだ朝帰りの酔っ払いも多数いたそうな。

僕はさっさと区画の確保と応援の準備を始めた。椅子とマットをバリアの後ろに配置して場所取りをし、木と街灯(区画と呼ぶ理由は街路樹、街灯、その他の障害物)が約4m程度どとに配置されているのがシャンゼリゼ通りの歩道なので、なんとなくそれが1区画っぽく思えるのだ。

ここで一つ気づく、今年はちょっとバリアの位置が違う。例年は歩道の縁(へり)から約1.5m近く下がった場所にバリアが並べられている。今年は1m無い程度の場所だ。もちろん、距離が無いほうが、選手に近いし、左右身を乗り出しての見通しが良いので、好条件だ。しかし、この時点ではバリアにはスポンサー広告垂れ幕が貼られていなかったので、「後に再度バリアの位置を補正するのだろう」と思っていた。実際には補正はなかった。歩道の縁から1.5mの位置は街路樹がコース(車道)側になる位置ということ。この街路樹がバリアの位置固定に役立っていたのだ。ところが、今年は街路樹が我々観客側なので、バリアは固定できずに、観客が押せば、さらにコースへ近づけるということなのだ。実際最大80cm程度まで近づいた。

理由は判らない。Doublet(スポンサー垂れ幕、レースコースのゲートやら、様々のものを設置する業者)の連中に経験者が居なかったので、こうなったのか。こう推測する理由もある。Doubletの広告貼り担当は若者達で、手が開けば、Vittelのミネラルウオーターのボトルを振って、水掛け遊びをしてた。相手は身内の同僚、キャラバン隊(キャラバン終了後)の帰路途中のお姉さん達、その他業者と、とにかく見るたびに水掛け遊びをしてた陽気な連中だったのだ。

さらに昨年は、スポンサー広告垂れ幕の上に応援の国旗等を掛けると、どけろ、と注意されたのだが、今年は全く無視。このDoubletの若者達が又来年も働いてくれることを望む。これも経済状況を反映してるのかも、経験のある人は高くて雇えない。そこで安いアルバイトを大量に確保しただけなのか。

理由はともかく、今年は左右(ゴール方向、凱旋門方向)に視界が開けた。この甘いバリア位置は僕達の辺りのみだったのかどうかも知らない。

応援の準備をしてると、懐かしい顔が。08年、09年と「アンディー、我々のどちらかと結婚して、或いは両方と」というテーマのデンマーク人の女の子2人組みだ。もちろん彼女達のために場所取りをしてたのだ。今年来るかどうかは疑問だったが、来た。その他リエージュ・バストーニュ・リエージュで知り合ったドイツ人母娘の親子も登場。以上が以前から顔をしってる人たち。

昨年のDoubletの「金を払って垂幕を設置してるスポンサーが優先だ」を知ってたので、今年は街路樹と街灯間に丈夫な紐を渡して、そこから旗を下げる準備ができていた。実際には道路バリア上に掛けれたのだが、見た目には上に配置した方が見栄えがする。

今年はそれほど熱くなかった。寒くもなかった。雨も降らなかった。雲が適度に上空を通過し、日差しを和らげてくれた。観戦にはベストの天気だった。

今年はデンマーク人の女の子(今年はFacebook友人になりました)達は今年はパワーアップしてました。フード付きパーカーの背中に上記の標語をプリントしたおそろいのアイテムもあり、標語とイラスト付きの手作り旗(アンディーがマイヨブラン資格なので、白い騎士入り)とかを揃えてた。この試みは後に成功し、レース後のチームパレード時には、Saxo Bankの選手達そしてアンディー自身がこの旗を指差して笑ってました。彼女達はアンディーからサインももらい、話もしたことで(アンディー曰く、サインしたのは結婚の約束じゃないからね、だそうですけど)、かなりの成果が得られたと思う。

レースは予測通りの展開。今年は最終日の走行距離が100kmだけ。これは昨年の反省点が反映されてるのだろう。昨年はレースが異常に遅く進行した。スプリントジャージも決定していたし、シャンゼリゼに入るまでがのんびりしすぎ。テレビの予定放送枠もあり、関係者は気をもんだことだろう。だから距離が異常に短いんだと思う(勝手な推測です)。

一方でスプリンターのチームはエースのために必死。逃げ潰しで展開に気が抜けないままシャンゼリゼ通りの周回。

レース後のパレードではアンディー、クリス、ヤコブが自転車を降りて我々の所に来てくれた。当然渦中の人のアンディーは来る義務があったわけだし。隣の区画に居たデンマーク人に応えてマティーとクリスはバイキング帽子(骨が生えた奴)を被ってからパレードを続行した。そのバイキング帽子姿はネット上のロードレース系のサイトでも観ることができます。

その後は選手達が多く宿泊するホテルまでブラリと徒歩で行ってみた。普段着の選手達を見分けるのは難しい場合もあったが、知ってる顔なら簡単だ。同行した友人は2年前のTeam CSC-Saxo Bank(スポンサー移行期に存在した名前)のマイヨジョーヌ(サストレの総合優勝を記念してチームのサイトで販売されてた)を持っていた。これを代理で購入したのは僕です。サストレがホテル前でチームメイト達と集合し祝賀会会場へ向かう待機中に、サインをジャージにもらえた。2年遅れちゃったけど、と言ったら、サストレ自身は「もらわないようり、遅くなってももらった方が良いよ」と、側に居た人(チーム関係者)は「勝利は勝利だから」というコメントだった。僕のことを覚えてくれていた(というか、それくらいしつこく追掛けたわけだが)。嬉しいことだ。

その後は、宿泊ホテルの付属レストランで食事をするミルラムの選手達を遠巻きに見たり、これまた祝賀会会場へ向かうモロー一行様を見届けたり。その後Saxo Bankの選手達も移動して行った。フランクは左肩を動かさずに歩いてた。一行には選手達の奥さん・ガールフレンドも居たし、シュレック両親も居た。アンディーは1人だった。まだチャンスあるぞ(デンマーク人の2人)!。正確にはアンディーには掃いて捨てる程取り巻きの女性は居るのだが、まだこういう席に招くほどじゃないわけだ。ニキは応援ありがとう、と言ってくれたし。まあ応援とうか、ストーカー行為というかは、紙一重だが。

その後は宿泊先を探して空港方面へ移動。同行者は翌日空の旅。翌日は空港で友人と別れて、僕はルクセンブルクへ向かった。

あっという間の3週間強の追掛けでした。また来期も追掛けたい。来期はアルプスを大フィーチャーしたコースらしい(今年はピレネーをフィーチャー)。ガリビエ峠とアルプデュエズが含まれるということだ。来期は自転車を新調し、それにキャリアー(車輪付きで荷物を運べる)をつけてペイント道具をつけて山に登ろうか。アルプデュエズなんてペイントだらけだけど。

今後は写真の整理に励みます。

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  1. 2010/07/30(金) 23:24:04|
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Tour de France 2010 Part XXX

もうレースは終了したが、まとめることはまとめなければならない。レースの写真等もまだ未整理だが。

さて、

朝8時ころ目が覚め、そのまま移動。レースコース上を移動し、補給地点からスプリント地点、そしてゴールのボルドーへと近づく。朝9時前から家の前にテーブルを出して午後からのレース観戦に備えているコース沿いの住民。朝食も昼飯もそこで食べて、庭先ピクニックだ。そして午後4時以降に通過する郊外の木陰ですでにテーブルを出して朝食しながらレースを待つ人達が居る。ピクニックというか、家族行事というか、儀式なのか。本当に関心する。これがツールドフランスのフランス人への浸透具合だ。広く云えば欧州人への浸透度だ。

途中の街でミニ渋滞に遭遇。そこで遭遇したのは車線を片側規制し、道路ペイントを行う団体。そう、Livestrong財団である。ピレネーのステージでは山の麓の街で数キロにわたるペイントを数箇所見た。それは、明らかに機械で連続的に描かれた内容だ。道路用のインクジェットプリンターがあるのか?と疑問だった。確かに道路管理上、速度制限、車線進路指示やら文字、記号を描く機械があるはずだが、それを持ち込んでまでやるのか?テレビ放送で見た人も多いかもしれない。英語、フランス語は確認できた。財団のメッセージが描き込まれているのだ。この街ではその道路インクジェットプリンターには遭遇しなかった。僕が通過した場所じゃない道路で作業をしてた様子だ。その後この機械はシャンゼリゼ通りで無事に見ることができたので、写真に収めた。

そしてさらにボルドーに向かって進む。ボルドー手前約20kmで悪魔おじさん(DiDi)の車を確認。実は僕もそこの停まろうと、ブレーキで減速したのだ。そこは緩やかな丘陵地で、沿道の木が適度な木陰を作っている場所だった。仕方なく(彼とは顔なじみだが、彼の邪魔はできないので)、彼のテリトリーを過ぎた場所(約1km先)に落ち着いた。そこにアンディーのジャージを描いた。

そこで食事したり、車内の荷物を整理したり(後に友人をボルドーで拾うために、助手席を空ける必要があったので)した。いつものようにキャラバン隊通過、そしてレース通過。その後はボルドーへ向かう。途中のLIDL(チェーンのスーパー)で簡単な食料とかを調達、ボルドーへ入る。

ボルドーで友人を拾い、そのままタイムトライアルのコース上へ。コースを上り、適当な観戦場所を探す。レースコースへ入るとすぐに翌日(レース当日)の朝8時から18時までは封鎖、と看板が見つかった。そこでのプランは、適当な観戦場所を探す、既に混んでいなかれば、キャンプ上へチェックイン、髭を剃るなどのシャンゼリゼ入りの準備をし、翌朝早く、沿道へ向かう、であった。

ゴール寄りの方が、盛り上がるし、その翌日の移動に便利だろう(実際は間違い)と予測し、ポイヤック側に重点を置き、観戦場所を探す。ポイントは上り、大きなカーブ(小さいと見通しが悪い)、なるべく混んでない場所である。適当な場所を数ヶ所発見後、キャンプ場も近くに発見。そこへチェックイン。すでに満員状態だが、入れてもらえた。洗面所でデジタルカメラのバッテリーを充電するなど、備える。

翌朝は6時30分(これがチェックアウトして良い時間で、それ以前は寝ている人に迷惑だから車のエンジンはかけちゃダメという意味)に即ゲートを出て、観戦場所へ移動。前日の夕刻よりも沿道の車が増えていたが、良い場所は確保できた。早速ペイント。その間にも数名の選手達が下見、試走に来た。アンディーを見逃した。彼の姿は見えたが、カメラには収めれなかった。

キャラバン隊が通過し、レース開始。午前中から午後までの長丁場だ。

最初の選手から、ほぼ全員撮影した。撮影できなかったのはトイレ休憩時に通過した選手数名と、構図を悩みながら、カメラを向けて、動きについてゆけず、シャッターが下りなかった数名だけだった。後半の重要な選手やらSaxo Bankの選手を撮るため練習なので、すべて真剣に撮影した。これらの写真は後に厳選してアップロードします。特定の選手の姿が見たい人はリクエストしてください。ほぼ全員ありますから。

レースの最大の見所はやはり、カンチラーラ等のTT得意な選手の攻防。そしてもちろんアンディーと彼の後ろから走るスペイン人のタイム差である。ご存知の通り、アンディーの健闘で本当に興奮した展開だった。結果はともかく、感動をありがとう。

レース後はワインを買おうと村を見たが、蔵元はすでに閉っていた。しかも高速道路に行くためには橋を渡る必要があり、ボルドーまで戻る必要があった。ボルドーから高速にのりパリへ向かった。同乗の友人の好意に甘えて、高速道路代と燃料代を負担してもらった。助かりました。お礼申し上げます。高速道路を移動していると、複数のレース関係車両を見る。チームカー、メカニックのトラック、キャラバン隊の一部、その他機材運搬トレーラー。皆宿泊先へ入るのは深夜過ぎである。ご苦労さま。

さて、パリ近くのサービスエリア(以前にもここで仮眠したことがある)に無事に到着したのが、午前2時頃だったかな。そこで仮眠。翌日の6時頃には移動開始し、凱旋門側の例年通りの駐車場所に車を停めたのが午前7時過ぎだった。

テーマ:自転車ロードレース - ジャンル:スポーツ

  1. 2010/07/29(木) 14:31:46|
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カメラの望遠レンズが欲しい

今回ツールを追掛けて、レースの写真を撮った。そして望遠レンズが欲しくなった。現在のカメラについてるレンズは18mm-200mmというレンズでf3.5-5.6という仕様だ。デジタル一眼カメラを購入したのは今年の初めで、これが最初。遠くから近づく選手を撮る為に望遠が必要なのは分かっていた。でもどれくらいの望遠が必要なのかは全く知らなかった。

今回のツールのピレネーステージでは僕の師匠(レース観戦のことで色々勉強させてもらってる友人)と一緒に写真を撮った。彼は僕よりも写真暦が長い。デジタル一眼カメラを2台持ち、望遠レンズ、近場用レンズと分けて撮影してる。僕にはここまでは投資できない。

今回は師匠と一緒に撮影し、本当に勉強になった。レースの写真を撮る上での障害は、沿道に立つ他の観客と警官達、レースと並走する報道カメラバイク、その他バイク等である。選手が近くに来る時は障害物も近づくのである。だから遠くから撮る。なるほど。峠でも観客の少ない部分まで移動して待つのである。

遠くから撮るには当然望遠レンズが必要だ。200mmでは足りない。400mmとかそれ以上が必要だ。もちろん光を集めれる明るいレンズが好ましい。そうじゃないと焦点があうのが遅くなる。そんなことが今回理解できた。要するにまだ僕は初心者なのである。

しかし望遠レンズは高価だ。

アングルについても様々試行錯誤した。タイムトライアルは選手が個別に来る(実際には3人一緒という場面があったが)。だから楽だと思ってた。だけど、撮り始めるとさっぱり構図が良くない。横から撮るのか、正面から撮るのか、とか複数のアングルを試してみた。基本的にほぼ全員の写真を撮った。撮りたい選手(Saxo Bankの選手とか)に備えて練習をしてたわけだ。何とかアンディーが来る頃までには多少の改善があった。しかし更なる練習が必要と認識してる。

ツールの追掛けをロッテルダムで初めて、平地、山、タイムトライアル等を経てシャンゼリゼにたどり着いたわけだが、腕が上がったわけではなかった。シャンゼリゼは敵(他の観客、警備の警官)が非常に多く、しかも回避できない(何処へ行ってもシャンゼリゼは満員状態)わけだ。来期の課題だ。

超望遠レンズ、一脚、と欲しいものがどんどん増える。

テーマ:デジタル一眼レフ - ジャンル:写真

  1. 2010/07/29(木) 01:31:38|
  2. Pictures and Cameras
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Team Specialized = Riis Cycling 2011??

Cyclingnews.comの記事によると、パリのシャンゼリゼ通りでツールの最終日にデンマーク人から聞いた噂めいた情報は本当のようだ。スペシャライズドがリースサイクリングのメインスポンサーとなり、コンタドールをツールのエースにしてアスタナから移籍させる。ここまでは僕が既に書いた通りだ。

上記の記事ではアスタナのコンタドールサポート陣もそのまま移籍させるようだ。

すると、リースサイクリングの現在のメンバーはどうなるのか。すでにシュレックチームに移籍すると噂されてるメンバーも居るが、微妙なのかクリス・アンカー・ソレンセンとかだ。彼はどうするのだろう。デンマークテレビですでにリースサイクリングに残る、と宣言したそうだ。しかもコンタドールのサポートに徹することができるか、と聞かれ、それがリース御大の指示なら従う、とも云ったそうだし。

これだと、来期は僕のメイン応援チームはやはり、シュレックチームとなるのだろうか。コンタドールの応援は?うーん、気持ちの入れ替えができそうにないから、リース御大は応援しても、アルベルトの応援はできないかも。複雑だ。確かにコンタドールにしてみれば、ツールに勝つための手段として、アスタナよりはリース・サイクリングの方が良いのかもしれないが。

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  1. 2010/07/28(水) 15:18:01|
  2. Team CSC
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Tour de France 2010 Part XXIX

ツール関係の写真は、見せる対象がルクセンブルク人、フランス人、オランダ人、アメリカ人、デンマーク人、スイス人、スペイン人(バスク人)、その他と多岐に渡るので、英語の注釈と共に、英語版に載せます。雰囲気は分かると思うし、込み入ったことは日本語でここに注釈を入れます。

知り合い(国籍に関係なく)、友人の皆様には写真をお分けします。押し付けるつもりはありません。何らかの理由で欲しいものがありましたら、お問い合わせください。例えばチームプレゼンではほとんど全員の写真がなんらかの形であります。アップにたえるものもあります。ある選手の写真が欲しい(生写真上に後にサインをもらいたい)とかのご要望がありましたら、どうぞ。欲しい理由が正当であれば、なんでも差し上げます。

でも今回良く分かりましたが、写真を撮るってことは、非常に技術を要することなんですね。工業技術(カメラの性能)でカバーできる部分を越えた領域が実に深いんですね。僕は目の前に応援する選手が着たらファインダーから目を離して応援してました。だから選手が近くなると、写真が撮れない。だから望遠に頼るしかないのですよ。遠くに居るうちに写真を撮って目の前にきたら声援を送る。これが基本です。

今後は撮影の腕を磨きます。素人の僕になんでもアドバイスお願いします。まず望遠レンズの選定からですけど。

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  1. 2010/07/27(火) 23:06:46|
  2. Tour de France
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Tour de France 2010 Part XXVIII

整理ができてませんが、写真が無いと見てもつまらないでしょうから、とりあえず。

これはあの感動的なタイムトライアル時のアンディーです。あー、興奮した。
stage19-andy01.jpg
カメラの設定はJPEG撮りなのです。オリジナルだと4MB以上の容量があります。それを縮小してます。オリジナル(とこの前後の写真、連写撮り)はとても素晴らしいので、何かに使います。とりあえず写真屋さんでプリントアウトしてもらうように編集します。飾ります。

こちらはあのツールマレー峠での決闘です。霧が濃かったので、これ以上鮮明にはなりませんが、それはテレビ放送でご存知ですよね。
stage17-andy01.jpg

テーマ:自転車ロードレース - ジャンル:スポーツ

  1. 2010/07/27(火) 15:27:15|
  2. Tour de France
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Riis Cycling 2011

ルクセンブルク人に聞けば、ルクセンブルクでの情報が噂でも伝わり、デンマーク人に聞けばデンマークでの情報がもらえる。

で、リースサイクリングに関しての情報。

すでにサブのスポンサーはSungardと発表された。タイトルスポンサーはまだ発表されてない。その辺りの噂がデンマーク人によると、

メイン(タイトル)スポンサーは自転車メーカーのスペシャライズドになる。そして、ツール等のエースとしてスペシャライズドが欲しがってるのが、アルベルト・コンタドール(アスタナでもすでに同社製の自転車を使ってる)とのこと。

本当か?もちろん、なにも確証のない噂的な情報だが。


ルクセンブルクに戻ってきました。荷物を部屋に移動し、レンタカーを返却に行ってきます。

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  1. 2010/07/27(火) 11:38:57|
  2. Team CSC
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Tour de France 2010 Part XXVI

現在現地時間25日(日曜日)午前2時前。ポイヤック近くでタイムトライアルを見て、その後ボルドーまで戻り(橋が無いので、パリ側に行けないので)橋を渡り、その後は高速道路を乗り継ぎ、パリ近郊まで到着。パリに一番近い(と思う)高速道路のサービスエリアに居ます。ここで一服。朝6時過ぎにパリへ向かいます。残り40km少しで凱旋門へ着きます。

では。

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  1. 2010/07/25(日) 00:55:21|
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Tour de France 2010 Part XXV

現在23日の午後23時。タイムトライアルのゴール地ポイヤックに近いキャンプ場です。エッジのなので、遅いですが、一応更新しました。明日は午前8時にコースの道路を締め切るので、朝早くチェックアウトしてコース沿いに行きます。

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  1. 2010/07/23(金) 21:58:36|
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Tour de France 2010 Part XXIV

レース当日の朝早く目が覚めた。放牧地の斜面にテントを設置したため、寝てるポジションは平らではない。テントの隅は水が入らないような構造だが、それでも地面が水平でなく、おうとつが多い場合は、水の進入がありえる。早朝3時?頃、目が覚めると、腰周りがびしょびしょだった(おねしょじゃないですよ)。寝袋も濡れてた。幸い気温が低くないので、冷たくは感じないが気持ちは良くない。身体の方向を変えて、そのまま寝たが、今度は右肩付近が濡れてきた。

外は雨。かなり激しい雨。時折稲妻、そして雷鳴。午前6時には車へ退避した。空は明るいが、どんよりした上空の雲と濃い霧。雨が降ると霧が引き、雨が小康状態になると下から濃い霧がもの凄い速さで上がってくる。その繰り返し。雨が上がらない。車の中でボーっとしたり、うとうとしたりで午前11時頃になった。お昼頃に短時間青空で見えたが、再度霧と雨の天気。ルクセンブルク人達ものんびりしながら天気の回復を待つ。最終的には午後2時頃には天候に関わらずコースへ上る予定だ。

僕は背中にカメラ、テレビ、旗、ジャージ、替えの靴を担ぎ、厚着のジャケットの上、パナッシュ(ノンアルコール系のビール)のキャラバンが配布してる頭に被る(本来日除け傘)傘を被り、登坂体制に入った。

僕は一足先に出かけたが、その時は土砂降り。靴はどうせ濡れるからサボー(サンダル)で上った。僕等はレースコースと並走する別の道に居るわけで、そのままその道を登ってもレースコースに合流するが、斜面をショートカットしても行ける。僕は牛糞と羊糞が散乱する斜面を途中登ってレースコースへ入った。

テレビ放送でもお分かりと思いますが、今回は沿道に自転車持ち込み禁止となった。レースコースを自転車では登れない。途中で自転車を置いて徒歩での登坂が徹底された。もちろん、規制が始まる前の日とか、早朝に上った連中等一部は自転車で上っていた。だから、今回はレースコースはクリーン。早期に自動車の登坂も締め出ししたので、さらにクリーン。こんなに徹底した規制は僕の短い経験でも始めて。従来は峠では自転車乗りはフリーパスだった。他の峠では自転車登坂OKなので、ツールマレー峠のみの試みなのか。

午後2時過ぎからは雨が止んだ。時折濃い霧が麓から上がってくるが、空は青くなり、まばらに雲が残る程度となった。上着を脱いで半そででも大丈夫な気温だ。

僕と僕の写真の師ともう2人の4人はゴール近くまで上った。ゴール手前600m?付近からはさらに規制があり、道路の方側のみに観客を立たせていた。その付近にシュレック兄弟の長男のスティーヴが居た。車(バン)があったが、一体いつ峠に車を入れたのか。

挨拶だけして、我々は写真撮影できるような空いてる場所まで下った。空気の流れと斜面の方向(日が当たらない面)だろうが、ゴール前約1kmから700m位までの部分だけ気温が違う。その部分だけ冷たいのだ。

その付近はオレンジのシャツを着てるファン、腰に旗(スペインなり、バスクなり)を巻いてるファンだらけ。ものすごい混雑。

最終的に我々が落ち着いたのはゴール前2kmの部分。上る際には霧が晴れて、綺麗なつづらおりが見えたが、キャラバン隊が到着する前から霧が濃くなり、レース後までずっと霧だった。テレビ放送でもちろんお分かりですね。当日はヘリコプターを飛ばさないというニュースも聞いてた。ヘリカメラじゃ何も映らないだろうし、危険だ。

レースの結果はご存知の通り。すばらしいレース展開だった。ニキやカンチは笑顔で声援に応えてくれた。

レース後は徒歩で車に戻る。この時点で既に午後7時前後。もうこのときには下る車が渋滞。動いてない。僕も車内で待機。目の前の車が一寸も動かない。自分の車を動かして車線に入ったのが既に8時過ぎ。9時迄には車一台分程度進んだのみ。レースコースのD918と迂回路の合流部分はスキーリフト乗り場で巨大な駐車場がある。ここに停まっていた(或いは泊まっていた)観客達の車の移動が落ち付くまでは我々の道は封鎖されていたのだろう。本当に全く動かない。9時過ぎから少しずつ進むようになった。7時から9時までの移動距離5m程度。時速2.5mだ。その後も渋滞で峠の中間の街バレージュに入ったのが10時少し前。

ルクセンブルク人達はここから南下し地中海の太陽を拝むそうだ。ナルボンヌ辺りを狙ってるということだった。僕はレースを追掛けるので、ここでお別れ。

次の日のコース上の街にあるキャンプ場へ行って、髭を剃りたかった。でもキャンプ場の受付時間をとっくに過ぎた時間にやっと麓についただけ。

そこで、車内泊となってしまうわけだが、法律上は路肩車内泊は禁止。例外はコース上で他の車が止まってる場所(赤信号皆で…の原理)。そこで補給地点の街Sabresを目指す。

到着したのが午前1時半。そしてキャンピングカーの隊列の後ろに車を停め、これを書いてます。とりあえず今夜はここで車内泊。朝に再度ボルドー方向へ走る予定です。
おやすみなさい。(でも携帯信号が弱い場所なので、アップロードはしません)

アンディーがLivestrong基金の黄色のブレスレットをしている姿がレキップの載ったらしい。これを見て「アンディーはやはりシャック入りか?」とルクセンブルク人の友人がコメント。本当にどうなるのでしょうか。もし、アンディーがシャック、フランクがチームシュレック(仮称)、カンチがBMC、リース御大は来期のチームとなった場合は、一体どうやって追掛けるべきなのか。チームバスを4台も廻るなんで不可能ですよ。2台でも難しいのに。来期の課題は八方美人サポーターになるべきか、ならないべきかだ。

今午前2時半を廻りました。たった今別のキャンピングカーと乗用車が我々の隊列に加わりました。多分ツールマレー峠の渋滞から抜けて来た連中でしょう。

ツールの追掛けも、もう終盤です。

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  1. 2010/07/23(金) 21:54:12|
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Tour de France 2010 Part XXIII

スロール峠で皆で朝食。そして移動。計画はふもとにおり、Argèles-Gazostで買い物をして食料を買い足す。そして再度ツールマレー峠を目指す。街に下りる時点で渋滞。街の中心部を通る道を閉鎖して細い道へ誘導していたためだ。理由は不明。例の機動隊警察(Gendarmerie、正式な日本語訳は何だろうか?)が立っていた。この街はもう本来の住民より、キャンピングカー・テントで滞在してる人口が多いのでは?と思うほどキャンピングカーだらけ。理由はそのせいだろう、相互通行だとキャンピングカーが行き交いできないので、一方通行状態をつくっていたのだろう。それほど街はギュウギュウ。

無事にミニ渋滞を抜け、スーパーに行く。そこでも英語の会話も聞こえる。スーパーもさぞかし売り上げがあがっただろう。

そこからツールマレー峠に向かうが、ほんの短い距離だったが、渋滞。峠を上り初めても途中の街のカフェは満員。道はキャンピングカーと乗用車とテントが延々と続く。このツールマレー峠のステージが最大の見所なのはやはり共通認識らしく、人が多い。

峠を上ると、ある場所でD918は閉鎖となっていた。そしてレースコースのD918と並走し、ところどころでD918と接続する道へすべて車は誘導される。この道は舗装され中央線もあるが、2006年版の地図の250000分の1の地図では明記されていないほどマイナーな道。ガーミンの2009年版の地図には詳細が載ってるが、それでも名前が無い。一般名のRoadのまま。もしチャンスがあれば、道理標識を読むつもり。この道でしばらく進むと最終的に再度D918につながる部分で最終的に道路封鎖されている。

この最終封鎖部分よりすこし下がった部分に落ち着いてテントを構えることにした。午後3時過ぎには落ち着いた。この頃は暑い日ざしだったが、午後4時半頃には霧が発生し、今(これを書いてる)18時では視界50mも無い。霧が濃いため、霧雨が降ってると同じだ。それでもまだ上るサイクリスト達が沢山居る。霧が深いとは云え、まだ明るいのだ。

明日の予定は、ここから見える本来のレースコース(D918)へ放牧地の斜面を登って(ハイキングできそうなトレイルは見えてるので、上ることは可能)レースコースへショートカットする。地図を見ると上手く上れば、ゴール前5kmか4kmに行けそうだ。

天気は不明だが、昼は晴れるんじゃないだろうか。希望的観測。まさに霧のピレネー。海が近いせいなのだろうか、本当にピレネーは霧が発生する。

これからの予定。第17ステージ終了後はルクセンブルク人達とお別れだ。僕はすぐにボルドー方向へ向かう。目指すは補給地点付近。ガイドブックを見ると補給地点の街Sabresにもその先のPissosにもキャンプ場がある。ここまでたどり着ければキャンプ場に宿泊する。23日のレース観戦をどこでするかは決めてない。この日は日本からの友人と合流する。彼がボルドー駅に着くのが午後1時半とのことだ。レース後にボルドーで合流となるかも。

一方でその翌日のタイムトライアルのコースについての懸念もある。この区間(Bordeaux - Pauillac間)はすぐ側を並走するGironde川に橋がない。つまり、この道を早い時間に閉鎖してもそれほど住民に問題が無さそうということだ。短いコースなので、キャンピングカー・自動車が沿道に並ぶのは間違いない。救いなのは上り区間がないので、どこかに集中するということはないだろう。

ボルドーの友人に連絡し、タイムトライアルコースの閉鎖時間が分かれば、それにあわせて計画を変更する。

さて、今年のツールについてちょっとだけ感想をまとめておく。

キャラバン隊の規模は小さくなった。団体数は減った。昨年は40位だったが、今年は30強。例えば今年はBBoxが無い。昨年と同じ団体でも、車両数が減ってる。全体的には縮小とはっきり分かる。昨年はTシャツとCDを配布したが、今年は不在。BBoxは今期でスポンサー打ち切りなので、手を抜いたのだろう。今年はEuskadiのキャラバンがない。従来から華やかさが無いのは承知の上だが。今年はEuskadiは無い。ネット上でもEuskatel-Euskadiの来期の予算縮小とコンチネンタルプロへの降格の可能性を伝える記事も見れるし、経済事情を反映してるようだ。キャラバン隊は配布物も出し惜しみ気味だ。例えばVittelもミネラルウオーターのボトルをあまり配らない。紙の新聞だけは多めだ。

景気が上向けば、キャラバンの規模も大きくなるだろう。さて来期は?

嬉しいのは踊るお姉さん達の数が多いことだ。一方で嬉しくないのはExtraという洗剤のキャラバン隊。ダンシングチームが男なのだ。ダーティーなイメージの団体で、それを洗剤で綺麗にする、という意味なのか。上半身裸の男達が腰を振るのが見たい人には楽しめる内容となってます。

配布物で面白いものはない。残念。Tシャツを配布するのは、FDJ、ケッセデパーニュ、ヴィッテル、カルフールの山岳ジャージTシャツだ。ケッセデパーニュ以外はゲットできた。ケッセデパーニュは昨年のと同じデザインだろう。昨年は沢山もらった。やはり経済事情なのか、今年は配布が少なめなのか。

今年は買い物ワゴン用のコインの配布がない。これは実用品のカテゴリー。今年は実用品のカテゴリーとしては従来からのパナッシュ(フルーツ風味のノンアルコールビール)の栓抜きくらいか。

スコーダ、コショヌー(サラミ屋さん)の縁付き帽子(日本名はなんでしたか?)は従来通り、LCLはキャンプ。今年のお菓子系キャラバン隊はSt. Michel。ここはお菓子のほか、とても綺麗な縁付き帽子を配布してる。これはデザイン的におしゃれで、普段街で使えそうだ。被り物カテゴリーではパナッシュも配布してるものがある。ミニ傘で、頭に被れるものだ。日本に存在するものに非常に近い。でも名前が出てこない。なんでしたっけ。時代劇でよく見る奴。現在でも売られてると思うけど。

その他は昨年と大きく変わりないようだ。既に書いたがLCLのキンチャクがグレードアップしてる。

雨が降ってきた。ここツールマレー峠中腹ではエッジの電波が拾える。前回のエントリーはここでアップロードした。プリペイドカードの残り通信時間が30分になった。ボルドー・パリの都市圏では3G回線が使えると思う。すると接続時間を短くできるのだが、エッジだと待ち時間だけが長い。

地上デジタル波も拾えない。明日のレース当日は無線ラジオだけが頼りになるだろう。

皆さん、ウインタースポーツは好きですか。欧州では人気があるスポーツのバイアスロン(ノルディックスキーと射撃)ってご存知ですか。僕のレース観戦仲間の友人(現在も一緒に行動中)はある意味僕の師匠で、無線スキャナー、三脚、その他を教えてもらった。その彼が冬季の課題として取り組んでるのがこのスポーツ。写真を撮って、選手(女性)にプレゼントしたり、レースに応援に来てる選手の家族に進呈したりしてたそうだ。そしてフランスチームと特に仲良くなり、ある選手のホームページ(オリジナルフランス語)のドイツ語版をもう1人の友人(彼も現在一緒に行動中)と一緒に担当してるそうだ。彼女の父親に招かれてグルノーブルに行くそうだし、かなり入れ込んでる。

彼曰く、「あるチームを集中して追掛け、選手の方から話しかけるようになる程頻繁に追掛けて仲良くなる」というのは逆に僕から学んだことだ。見知らぬファンが押しかけても選手達が警戒するのは当然だ。そこで彼は頻繁にレース会場に行き、選手達に馴染んでから次のステップに進んだわけだ。僕も冬季に有給が取れれば、同行を誘われてる。そりゃ、行きたいさ。

僕も上記の選手のホームページの日本語版を担当しましょうか。ドイツ語を一旦英語に直し、ドイツ語担当の友人にチェックしてもらい、それを日本語にすることになるだろう。いきなりフランス語からはとても翻訳できない。

彼は80mm-400mm(もちろん彼はアマチュアです)の望遠レンズで撮影してる。彼曰く「800mmが欲しいが、価格が…」。800mmがあると、遠くからでも撮れるので、自転車レースでの敵(報道バイク、警備バイク、プロカメラマンのバイク)をかわして選手の写真が撮れるそうだ。ただし本当に価格がシャレにならない。800mmクラスは価格的には小型車だ。

僕は来期は自転車を新調したいと思ってる。レンズに予算をつぎ込めるとは思えない。一度カメラを趣味にするとレンズがどんどん欲しくなる、とは言われたが、実感する。お花を撮る人は、近接できるレンズが欲しくなるだろうが、僕は逆の方向だ。現在の200mmでは敵をかわすのが難しい。もちろん、800mmとかの望遠を使うようになると、近場をとるためにもう1台カメラが必要になる。プロのカメラマン達はカメラを2台首から下げている。当然だ。そこまではいけそうにない。でも望遠はいずれ欲しい。僕の師匠もカメラ2台だ。

現在午後7時半。雨が降ってきて霧が薄くなった。飽和しきった空気が冷たい上空からの雨で、水滴になってしまったのだ。霧が濃い時はむしろ暖かい位なのだが、現在は気温が下がる方向だ。明るくなった。遠くに青空ものぞく。ここも牛さんたちの放牧地なので、あたりは牛糞だらけ。

来期のことも考える。まだルクセンブルクに居るだろうか。自家用車(現在使えないので、レンタカーだが)を整備する。ルーフボックスもあり、自転車を積む装置もある。これがあれば、レース追掛けは楽だ。自転車を新調したい。初めて買ったロードなので、今所有してるバイクはサイズが合っていないようだ。もう一つ小さいサイズのカーボンバイクが欲しい。フレームと変速機(SRAM?)部分だけを買って、自分で組み立てる。これでトレーニングし直しだ。

カメラにはあまり予算が廻らないかも。望遠が欲しい。

一番肝心なこと。来期はどのチームを中心に応援するのか。選手個人レベルだとこれまでに仲良くなった選手のことは当然応援する。チームとして応援するかどうかが微妙だ。昨日(オビスク峠)だって、チームカーからリース監督が僕に笑顔で手を振ってくれたし、リース御大のチームも大事にしたい。でもシュレック兄弟(もしかするとアンディーは別チームかもしれないが)のチームも地元チームだし。難しい。

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  1. 2010/07/23(金) 21:52:58|
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Tour de France 2010 Part XXII

ここでバーベキューを一緒にご馳走になる。ソーセージ主体。でもサラダもあったし、メロンとハム、ワインとか。ありがたくいただく。

ここに集まっていたのはキャンピングカー2台、乗用車3台のルクセンブルク人達。遠い昔2007年のALBIでのタイムトライアル(一旦ヴィノクロフが勝利したが、その後のドーピング検査でツールから排除された)の時に凍えてた僕にジャケットを貸してくれた人もいた。乗用車の2台の連中はこれまで数年にわたって一緒にツールやら別のレースを一緒に廻った。

午後9時過ぎに「これから出発するが一緒に行くか」と乗用車組に言われ、同行。行き先も不明のまま、深夜少し前に到着したのはPort de Balèsだった。細い道(中央線が無い)をぐねぐね上り頂上へ到着。ふもとでの規制はなかった。途中の路肩も狭く、ところどころにキャンピングカー、乗用車が止まっている程度。頂上では治安警察の警官が数人居て(深夜ごくろうさん)上ってくる車を誘導。誘導された先は辺りの放牧地の施設(山小屋)とかにつながる非舗装道路で、ここの比較的勾配の無い部分に大量の車が駐車していた。

車を止め、就寝。翌朝明るくなって、目を覚ますと、辺りは放牧地。深夜にもカウベルがカランコロン音がしてたが、そこは牛さんの食事場所。付近一帯に散乱する牛・ヤギ?の糞。我々は糞の中にいた。

本日の予定はここでペイントしながら、レースを待つ。道が狭い。テレビでもお分かりでしょうが、ほとんど中央線の無い区間。よって、黄色ジャージもミニサイズ。10分程度で一着完了。結局7着か8着のマイヨジョーヌを描いた。後には頂上から3km近くさがった部分で観戦。

この日は僕等の区間を過ぎてから、アンディーがメカトラブル?で遅れた。そのアンディーのトラブルの際にコンタドールがアタックしたらしい。その光景を目撃した別のルクセンブルク人は憤慨。フェアプレイじゃない、と。

クリス・アンカー、ヤコブ、ニキが手を振ったり、笑顔で応援に答えてくれた。

レース通過後は移動(先に来てた知り合いも含め総勢5台)。でも峠が狭いので、渋滞。我々はしばらく待ってから移動。麓の街を過ぎた辺りで先頭車両が停止。トイレ休憩か?と思いきや、シャワータイム。側の川でシャワーだ。男4人が川で身体を洗う。それをカメラで写真にとって笑ってるのが女2人。彼女達(姉妹)の夫はすでにシャワー済みなので、我々他の4人が冷たい水で、奇声をあげる様子をみて楽しむ。

その後は平坦な道を選んで移動(遠回りだが、時間的には近い)し、Col de Soulorの麓の街に到着。午後11時頃だが、麓の街では子供をつれた親達がまだぞろぞろ歩いてる。一帯にはキャンピングカーの波。そこからさらに上ってもキャンピングカーの波。そしてCol de Soulorまで上ると、道路封鎖。後日レースコースとなる道の方へ誘導される。ここから先のオビスク峠は車の進入禁止。

牛・ヤギの放牧地にてキャンプ。一帯は牛の糞(丸い円形、直径25cm)とヤギの糞(親指の頭程度のつぶつぶ)だらけ。避けて歩くのも、避けてテントを張るのも不可能なくらい。

翌朝は8時前には起床。みんで食事し、午前10半過ぎには出発。一部は自転車、他は徒歩でオビスク峠を目指す。僕はペイント缶に必要な白ペイントをつめて上る。途中で水を補給し、例の如くマイヨブランを大1、小2で描く。頂上付近で皆と合流。キャラバン隊の到着少し前に下方へ移動。人が沢山だと写真が撮れないのだ。最終的は頂上から2.5km程度の場所に落ち着く。ここでレース到着を待つ。先頭の小グループ、サンディー・カザー、アームストロンググループ、そして本体。遅れて、数個の集団。

クリス・アンカー・ソレンセンに声をかけると「I'm done today.」というコメントが返ってきた。明日の休養日は休んで、少しトレーニング、そして木曜日が本当の勝負の日だ。そのために力をセーブしながら上ってるわけだ。

レース後はまた徒歩で戻る。そして食事。そして就寝。ここスロール峠では携帯電波が非常に弱い。よってブログの更新等はできない。移動は翌日の朝(水曜日)。目指すはツールマレー峠。もちろん、交通封鎖されてる。ゴールから手前12km程度の部分から閉鎖だそうだ。水曜日はそこでキャンプ。木曜日はまた徒歩で上ることになるだろう。頂上までは行かず、どこかでレースを待つ。,

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  1. 2010/07/21(水) 14:49:12|
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シュレック新チーム

Team Schleck(仮称)ですが、その話を一緒に食事したルクセンブルク人から聞きました。例のAuchan(ハイパーマーケットチェーン)の名前もでました。しかし、Cyclingnews.comに載った通り、「フランスの本家オーシャン」にコメントを求めても「否定」されるわけです。ルクセンブルクにあるオーシャンはフランチャイズなわけで、ルクセンブルクのオーシャンに出資してる地元の金持ちビジネスマンが…というわけです。

どうですか。なぞが解けた感じがしませんか。このビジネスマンが自分が関係してるいろいろな商売のうちのどの名前を全面に出すかが新チーム名に関係してくるわけです。オメガファーマが、サイレンスという薬を宣伝したくて昨年はサイレンス・ロトだったわけで、この原理がシュレック新チームの名前にも適用されるようです。

で、もうひとつ。アンディーのブログ(Cyclingnews.com上)で、4つの選択肢がある、と書いてましたよね。一つは上記新チーム、一つはリースサイクリングにとどまる、一つはテキサス人のチームへ行く、もう一つは?です。世間の予想ではアンディーが新チームに行くことは既成事実のように考えられてるのに、何故こんなことを書くのか?と謎でした。

しかし、こう書いた理由はやはりあったのです。フランクは上記の新チームに最初から絡んでいるという憶測ですね。でも親父さんのジョニーはツールを勝つなら、テキサス人のチームが適切じゃないか、とアンディーに勧めてるようです。ノウハウがあるわけですから。

アンディーもちょっと迷ってる状態なのかもしれません。

ということで、ルクセンブルク資本の新チームに関する情報をお伝えします。同時に新チームに行きそうな選手の名前も聞きましたが、それは現時点では書きません。

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  1. 2010/07/18(日) 21:06:47|
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Tour de France 2010 Part XXI

どうやらツールマレー峠にはいけないようです。今日は日曜日エタップドトゥール(一般時ののツールステージ)がツールマレー峠を使って行われていた。そしてツールマレー峠は人が一杯でもうすでに締め切ったとルクセンブルク人のネットワークで伝わってきました。今彼等と一緒に食事をしたところです。

さて、どうするか。明日以降の展開は現時点不明です。

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  1. 2010/07/18(日) 21:05:35|
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Tour de France 2010 Part XX

夏は花火大会へ行きません。そんなものは欧州にありません。かろうじて云うなら、この前のルクセンブルクの大公の誕生日の夜の花火、ちょっと前のフランスの祝日の花火とかがありましたが、花火大会ではありませんし、あっても行きません。

Millauのキャンプ場ではカメラのバッテリーの充電もできた。このキャンプ場は街の中心から近く、ほんの300メートルほどで街の中心部へ入れる。街自体が小さいのもあるが。昨日受付で銀行が近くにあるかを聞いた。500メートル街方向へ行くと銀行がある、と云われたが、その通り、ケッセ・デパーニュ、LCL、CA(クレディ・アグリコール)の看板がすぐ見つかった。LCL(リヨン銀行)のATMにて現金を下ろす。この時点で8時10分位。あとは買い物(食料)をどこかですませる予定で、一路AX-3をめざす。食料が十分にあれば、AX-3のステージのあとは直ちにツールマレー峠へ移動だ。とにかく忙しい。AX-3の次の日は休息日なので、多少の余裕があるのだが、良い場所を確保するには、油断禁物だ。

途中のIntermarcheにて買い物。食料のみ。日持ちするものだけ。クロワッサン(日持ちする安いやつ)、タリヤテイユ(きしめん状のスパゲティー、もちろん、ご存知の方は多いでしょうが)をそれぞれ3袋。クルミオイル(これと例の唐辛子ペーストで、偽ペパロンチーノをつくる)、そして移動中に食べるパン・オ・ショコラ(チョコレート入りクロワッサンとでも謂いましょうか)、オリーブの塩付け1袋を購入。総額20ユーロ以下。果物類とか肉類についつい目が行く。アプリコットが旬だ。1キロ1ユーロで買える。でも買わなかった。これと前に買ったスパゲティー等で4日間を生き延びる予定。水を買わなかった。ペイント用に水はあるが、飲料水が無い。高山の湧き水を利用するか、休息日の移動中にどこかで購入しようか。

この買い物をしたスーパーのすぐそばの街は翌日のステージの補給地点だった。道路にレースコースをしめす矢印があった。

その後もひたすら走り、AX-3へ到着。だんだん日差しが弱まり、霧がでたり、空は曇り。AX-3は曇り・霧の天気。ゴール1km強の部分から道路両脇にバリアが始まる。そこまで行き、引き返す。そして現在の位置へ落ち着いた。狭い道路の路肩に停車。既に居たフランス人おじさんが親切に車のバック誘導をしてくれた。霧(から降る雨状の水滴)で道路が濡れる程度だ。

周辺にはスペイン人(バスク人も)多い。車のナンバープレートもEが多いし、観客の顔もスペイン顔が多い。ピレネーに来た感じがある。ゴール手前1.5km程度の部分に大きな駐車場所が数ヶ所ある。ここに大量のキャンピングカーが停まってる。この部分より上は観客が多いだろう。そこはさけて下に行くのが正解だ。

テレビ電波と携帯電波をチェック。いずれも驚いたことに非常に良好。地上デジタル波で10局以上受信できる。必要なのはFrance 2だけだが。携帯電波も3G(CDMA)だ。ツールマレーも同様だと助かる。USBモデムのプリペイドは時間料金なので、通信速度が速ければ、それだけ得する。

レーステレビで観戦。昨日はペタッキがマイヨヴェールを着てたが、今日はウソフトだ。レースは無事に終了。道路が濡れてるのでペイントは明日だ。運転で疲れたので、早く寝よう。

隣のフランス人のおじさんの話だと、夕刻5時には峠を閉めるらしい。これ以上は人が増えない方が安心だ。峠を上りながら、ゴミ袋の設置は確認できたが、トイレの設置は確認できなかった。近くには無いのだろうか。

隣のおじさんにテレビを見せてあげて、お酒をいただいたアニスの水割りと赤ワインだ。アニスは水でわると白濁すうのが特徴。今はちょっとほろ酔い加減です。今夜はけっこう冷えそうだ。明日の天気はどうだろうか。

ピレネーだとエタ(ETA)のペイントが見れる。皆が寝ている間にいつのまにか出現するのだ。おとぎ話の小人みたいな(靴職人のおじいさんが寝ている間に靴を縫ってくれる小人)みたいな存在だ。ETAのペイント職人はアーティストだ。正確に綺麗にペイントする。昼間にどうどうとせず、深夜にこっそりするのはやはりテロ組織として認定されているからだろうか。

レース後に車のシートで転寝(うたたねって、こういう漢字を当てるのですね)してると、昨年のツールでしりあったアメリカ人(AX-3で落ち合う予定だった)とオランダ人に遭遇。彼等は麓まで行って、散歩がてら徒歩で上ってきたのだ。

彼等の他の残りの連中は前日の夜に頂上に駐車してキャンプ泊したそうだ。一緒に上って再会。昨年しりあった3人のアメリカ人のうち1人は鎖骨を4ヶ所骨折で今年は棄権。オランダ人2人はこのステージのために飛行機・レンタカーで乗りつけた。

頂上でマドレーヌ峠で知り合ったノルウエー人4人に会った。彼等のために緑のペイント缶を買っておいた。寄付金にみあったお返しをしなくてはならない。当然緑はスプリンターのマイヨヴェールジャージのためだ。

頂上のホテル街はMorzine-Avoriazに比べると断然ひっそりだ。スキー場リゾートだが、規模は4分の1だろうか。現在は午後10時過ぎ。道路バリヤや頂上の設備を運搬する大型トラックが峠を上ってきはじめた。沿道の観客が手を振ったりすると、爆音のクラクションで応える。こんなのが深夜過ぎまでつづく。パーティーしてる連中が多い。

天気は相変わらず、霧とシトシトの雨。明日は晴れるとのこと。彼等と別れて車まで戻ってきた。すると暗闇の中で僕のペイントを勝手に使ってる人が。それは隣のフランス人おじさんだ。頭に来た。僕の車の側に適当なマイヨジョーヌを描いている。明日は移動しようと思う。このおじさんには明日晴れたらマイヨジョーヌとAndy、11、Schleckと描くと話をしたが、それを勝手にはじめたらしい。意味無し。

仕方ない。とにかく明日明るくなったら、よく確認して、おじさんが勝手に描いたペイントを消せるなら、消そう。もしだめなら移動も考える。せっかく見つけたスポットなのに、残念。本当に残念。台無し。

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  1. 2010/07/17(土) 22:02:13|
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Tour de France 2010 Part XIX

現在午後3時半。現在地AX-3 Domainesのゴールから約3kmほどさがった場所。ここではなんと地上デジタル波がバンバンに入るし、携帯網は3G回線が使える。田舎のようで、都会なみの快適さなのです。さすがピレネー。ということで、後に再度ブログを更新します。

霧のピレネーです。寒いほどではないが、肌寒い天候。低い雲(霧・霞)が垂れ込めてます。明日のレース後はそのまま(交通規制解除後)ツールマレー峠に向かいます。そこで3泊します。食料は買いました。今日は300km移動しました。食料を買った街のすぐ近くが明日の補給地点でした。

では、また。霧のピレネーより。

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  1. 2010/07/17(土) 14:29:24|
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Tour de France 2010 Part XVIII

シャビュイユのキャンプ場をでたのが午前10時半前。比較的ゆっくりな出発。のんびりしてたわけではありませんよ。朝8時にはもう撤収準備をしてたし、カメラのバッテリーも充電したり、その後の複数ステージの観戦ポイント、移動路のチェックをしていました。GPSナビのルートを鵜呑みにすると、痛い目にあうからです。移動距離が短いからと、とんでもない狭い峠道を選択する場合が多いのです。地図に高度情報が無いために、機械的に(実際機械だから)短い距離のルートを選定する。

それを地図(高度の情報がある)に照らし合わせて、チェック。急がば廻れで、なるべく平坦な広い道を選ぶ。

そんな作業をしてました。

このシャビュイユの街もレースコースです。ここからレースコースを走って、観戦ポイントを選ぶことにしました。そして最終的に選んだのがゴール前3.5kmの地点。広いまっすぐな道路です。木陰に車をとめて、いつもの準備。でっかくマイヨベージュじゃなく、マイヨジョーヌにANDY 11 Schleckを描く。それだけ。もう力尽きた。

キャラバン通過。もうゴール地に近いので、当日消費分の在庫が多いキャラバン隊は大判振る舞い。スコーダ帽子、アリボ、スナックは多めにもらえた。LCLのキンチャク風買い物袋も3つもらえた。

そしてレース通過。先頭のスプリンターチームの連中はすごいスピードで飛ばす。アンディーもそこに混じり、コンタドールと同じ集団でゴールへ向かう。一方スプリンターチームが先頭を取った地点からリラックスしたSaxo Bankの選手達は後方からのんびりグルペットで通過。カンチ、クリス、ニキとかニコニコ手を振ってくれた。アンディーがマイヨジョーヌだからレース序盤から終盤まで責任引きで相当疲れてるはず。みんなご苦労さま。

レース後は移動。どこへ移動し、どこへ宿泊するかは事前に検討した。翌日の第12ステージの補給地点へ行くか、最後の登りローラン・ジャラベール山へ行くかはいまだ迷っている。宿泊は補給地点の近くの湖のほとりのキャンプ場へしようと考えた。

移動してたが、ナビが狭い峠道に僕を誘導しかけたので、停車して紙の地図をにらむ。時間的に当初のキャンプ場へ着くのが21時過ぎになりそうだったので、急遽予定変更。翌日に広い道N(つまり国道)を使えるように、一旦南下してPrivasの街へ来た。そしてこのキャンプ場(クークス)に来た。Privasの街は山間の斜面にできた街。4方向が山。

最初はPrivasの街の中のキャンプ場へ行った。料金が高かった(税込みで22ユーロ強)。理由を聞くとプールがあったり、カフェがあったり、施設が充実してるからだ。受付のおばさんは親切に、すこし安いキャンプ場が5km先にあるよ、と教えてくれた。それがこのキャンプ場。施設は無い。ベーシックな設備だけ。でも僕には十分。

さて、明日は朝から移動。一旦補給地点を通過し、様子をみる。もし良かったらそこで観戦。そうじぇなければ、ジャラベール山へ向かう。たった3kmの登りで、ゴール地点が空港?らしい。当日の昼まで入山を制限してなければ、そのまま上る。どうなることやら。

そうそう、第11ステージの観戦ではクイックステップのビドンを拾った。誰が落としたかはしらないが。

朝7時前には起き、撤収作業。午前8時前にはすでにOn the roadでした。この地域は平坦(例えば川沿い)を走る道路もなく、国道(名前がNで始まる)にしても峠を越える起伏の多い地域です。ひたすらジャラベール山をめざす。補給ゾーンはやめて、ゴール地をめざす。ゴールの街Mendeに入ったのは午前10時50分ころ。まだジャラベール山は締め切ってない。一般車がのぼれる。ゴール地が空港?なので、駐車はできるようだ。しかしたった4km程度の上りなので、下で車を降り、徒歩で上るのが良い。なぜなら、一旦上まで行くと、降りれるまで時間が掛かる恐れがある。

ふもとで車を停めた。ここにはあの悪魔おじさん(Didi Senft)の車もあった。そこで必要最小限の荷物を担いで徒歩で上る。水(ペイント用)2リットル、飲料水0.7リットル、テレビ、旗(と立てる道具)、ジャージ、ペイント缶、ローラー等である。食料はない。買う時間もなかった。

上りながら、Andyを描く。ゴール手前1.5km地点から道路わきにバリヤーが設置された。オーストラリア国旗を飾ってた男性に(英語が話せるはずなので)「上まで行ったか、それならこのゲートは切れ目無く、ゴールまで続くのか」と質問。答えはすべてイエス。そこで踵(きびす)を返した。つまり、ゲートで仕切れた部分は面白くない。ペイントしたくても制限がありそうだし。

最終的に落ち着いたのがゴールから2.5km位の地点。そこに旗を立て、ペイント開始。マイヨベージュ(仕方ない)をANDY、11、Schleckのリバースペイント(文字部分がアスファルトの地で、他がペイント)をする。その後あまったペイントでAndyの連呼。

近くに居たカリフォルニアから来たアメリカ人夫婦と話をして、ピザの切れ端のお礼にLANCE、LEVIペイントをした。

経済事情なのだろうが、キャラバンの規模は昨年より小さい。しかし一方で踊るお姉さん達の数は増量である。多分経済事情を反映してお姉さんのギャラは押さえ気味なのだろう。配布する品物の数は減量である。Vittelは水をケチってる。水屋なのに、紙の新聞(ツールのことの情報が簡単に載ってるが、総合順位とかそういう情報はない。なぜならそんな情報をのせたら、エキップ誌が売れなくなるので、商売の邪魔になるからだ)を配布してお茶を濁す。

レース通過。僕の部分ではヴィノクロフ、クローデン等が通過後、アンディー達が通過。結果は、日本の皆様の方がよくご存知。アンディーは10秒リードを失った(と皆が言ってたので、多分そうだ)

レースのとりをつとめたのはロビー・マキュアン(と他もう1人)だった。レース終了直後に雨模様。最初はポツポツ。その後豪雨。しばらく降り続いた。Mendeの街のメイン道路をレースに使ったため、レースの渋滞が鬼のようにすごかった。たった1km程度の街を抜けるのに、2時間近くかかった。悪夢。停車するたびにエンジンを切ったり、10m進んで停車という渋滞。それで、当初の計画より手前で宿をとることになった。それがこのMillau(ミローと読むのか、ミヨーなのか?明日受付の人に聞いてみよう)の街。キャンプ料金16ユーロ。現金の残りが3ユーロくらいだ。

(アップロード地点はMillauの街のキャンプ場のシャワー室。洗面台併設で、コンセントから電気が取れる。ここに折りたたみ椅子をもちこんだ)

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  1. 2010/07/16(金) 23:18:09|
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Tour de France 2010 Part XVII

さて、現在はPrivasという街の郊外の小さな街のCoux(クークスと読む)のキャンプ場に居る。ここではエッジの電波が拾えるのだが、あまりにも安定せず、遅いのでメールのチェックも満足にできなかった。明日にどこかの街へ行き、なんとか再トライだ。すでにプリペイドの可能利用時間が2時間程度になった。ピレネー(AX-3か、ツールマレー峠での電波状態が不明だが、ツールマレー峠でオンラインにできれば、そこ辺りで追加でプリペイド追加となるだろう。オレンジの接続画面に、追加プリペイドの料金設定がでるが、ヴァカンス限定4時間という料金設定がある。利用期限が短いが、その分料金が多少安いのだろう。それを追加しようか。パリのシャンゼリゼでもオンラインにしたいので、4時間じゃ足りないかも。

前回からの続きを書きます。

テレグラフ峠を再度越え、そのまま北上し、比較的起伏の無い部分を走る高速と並走する道路で向かったのは第10ステージの最初のスプリントポイント地点のLa Buissiereである。これより、先の補給地点へと深追いすると、引き返してから次のステージのコースへ向かうことになり、時間が掛かり、燃料代がかさむ。そこで、このスプリントポイントとした。午前10時半過ぎには現地到着した。キャンプ場をチェックアウトしたのが午前8時ですから。

特に際立って特徴の無い地形。スプリント地点を過ぎて800m程度の場所にクルミ(洋風の殻が柔らかく、手でつぶせるタイプ)の木が植えられてる畑(小規模なクルミ園だが、出荷用なのか、農家の自家用なのかは不明)があった。そこは来るまで入れるし、木陰だし、すでに2台程度の乗用車が駐車していた。沿道にシュレック兄弟旗を立て、お昼前からペイント開始。それほど交通量が多くない。炎天下のなか黄色(混ぜる白のベースペイントがもう無いので黄色の生塗料)でマイヨジョーヌとゼッケン11を描いた。ベースの白が混じってないので、透け気味でできばえは良くない。でも完成。

キャラバン通過。レース通過。望遠レンズで覗いた感じではペタッキかウソフトが争ってたようだ。集団は疾風のごとく通過。おしまい。撤収作業をして移動。移動先はBourg-les-Valenceである。途中にグルノーブルの街を通過する。街に入る手前にカルフールがあった。ここで買い物。祭日だがカルフール系のお店は開いてる。ありがたい。がっちり買い物である。

10Lの白ペイント缶2個、黄色が無い(考えてみると、部屋の内部全体を黄色に塗る人間は居ないだろう、アクセントに模様を描くことはありえるが)か、有っても小さな缶でとても予算的に合わない。そこで一番近い色のサテンベージュ系の缶(2.5L)を購入。ローラーブラシの換えとか、大きめのローラーとか、そんなこんな応援グッズ。その他Tシャツ(安売り品)、歯ブラシ、クロワッサン、オリーブ入りのミニパン、スパゲッティ、きしめんみたいな形の麺、と味付け用に唐辛子(フランス語だとピーマン)ペースト、フィッシュソース(ベトナム系の魚発酵醤油ですね)を買う。これらのソースを使ってできる麺料理は、カテゴリー超級の4流グルメパスタ料理である。

相変わらず肉・野菜が無い食生活だ。この日購入したペイント関係のものだけで70ユーロくらいある。食費は2日分としても10ユーロ少しである。足りない分はキャラバン隊が落としてくれるアリボのお菓子、サン・ミッシェルのマドレーヌ、その他スナック菓子である。

そんなことはさて置き。グルノーブルの街を通過。初めてこのグルノーブルの街を訪れたのはドーフィネ・リベレの追掛け(全ステージ)をした2007年?である。グルノーブルの街の中央通りでタイムトライアルをして、ブラッドリー・ウイギンスが勝利した時である。彼はまだコフィディスに在籍してたと記憶している。

懐かしい。実際にはグルノーブルの郊外のデカスロン(スポーツ用品店チェーン)とスーパーで買い物をしたのがその前の2005年だったと記憶する。グルノーブルの街には入らなかったが。

さて、グルノーブルを通過、ひたすら非高速道路を走り、次の日のゴール地Bourg-les-Valenceへ到着。ゴール地点には仮設スタンドが有った。近くのLIDL(スーパーチェーン)の駐車場の木陰(この日はもちろん休日で閉店)で休憩し、レースを観戦した。デジタル地上波のFrance 2が観れた。レース終了後はGPSとガイドブック等で翌日の移動路のチェック、キャンプ場捜索。近くの街Chabeuil(シャビュイユみたいな発音だった)のキャンプ場へ向かった。このキャンプ場のことはすでに書いた。

(これをアップロードしたのは、16日金曜日の深夜ちょっと前で、Millauという街のキャンプ場です。ステージ後にAX-3へ向かったのですが、ここで休息。翌朝に銀行でキャッシュを下ろし、さらに300km以上を走行し、AX-3へ登ります。お昼過ぎには入山可能だと思います。食料ももうすこし買い足す必要がありそうです。)

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  1. 2010/07/16(金) 23:16:46|
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Tour de France 2010 Part XVI

前日にアンディーのマイヨブランはほとんど仕上げてあったので、タッチアップ程度で完了する予定だった。朝8時過ぎから作業再開。Saxo Bankの選手名とかイサシとかを描きなが下る。前日の夜に雨が降って中止したのだが、中止直前に描いたFが生き残っていたので、Fuglsangを完了。選手名が一旦終わると、あとはAndyの連呼をする。写真で見ると分かり易いが、10mから20m間隔でおよそ30から40近い数のAndy連呼である。周りのフランス人やら、ノルウエー人やらからのリクエストもあったが、交換条件の無いリクエストはお断り。

デンマーク人のおばさんが僕を捕まえて、これをお願い、と差し出した紙にあったのが、ER VI HERである。何?ときくと、We are hereという意味とのこと。交換条件にジュースで引き受けた。後に話をしたが、デンマークでデンマーク人が車を購入すると、破格180%の税金が掛かるので、欧州で一番車が高いんだ、ということだった。逆に外国人がデンマークで車を買って自分の国に持ち帰ることができれば、一番車が安い国だ、とも言ってた。またデンマークの海抜最高高度が180m程度だから、デンマーク人は山にあこがれるんだ、ということも認めていた。この夫婦はこれからスイスに行くそうだ。家にある乗用車より、このキャンピンクカーの方がだんぜん走行距離が多い、と笑ってた。

デンマーク人とノルウエー人は多い。特にノルウエー人の多さは際立つ。もちろんオランダ人はもっと多い。小数はだがチェコ人も多い。みな総じてローマンの応援である。

この日は白ペイントを使いきってしまった。黄色の添付塗料が残っただけだ。翌日はフランスの記念日でほとんどの店舗は閉ってる。一部のカルフール等は7月14日も開いてる、と看板に但し書きを貼ってるので、カルフールが見つかればなんとか塗料の買い足しはできそうだ。

カルフールと云えば、もう一つ。今年はフランス国内でシャンピオン(スーパーマーケット)を見ないな、と不審に思っていた。いつもは(例年)は見るのだが。ツールの山岳ジャージのスポンサーをカルフールにバトンタッチしてから注目してなかったし、規模からして塗料は売ってないので敢えて買い物に寄ることもなかった。

一方で今年初めて気づいたのが、カルフールマーケット(Carrefour Market)である。昨年まで気づかなかった名前だが、あちこちに大量にある。実際もう数回買い物した。規模からするとスーパーマーケットである。

あれっ?と思った。もしかするとシャンピオンが転換されてカルフールマーケットになったのか。そう思いはじめたのがステージ3位から。そして決定的場面に遭遇した。場所は忘れたが、ステージとステージの間の移動中にカルフールマーケット(田舎の街)と付属のガソリンスタントの前を通過した。そのガソリンスタンドの看板にもカルフールマークがあるのだが、下地を適当にしたまま以前の看板に上塗りしたものだった。そして透けていた以前の店舗名はシャンピオン。やはり。

もともと系列だったのを事業統合とか、ブランド名の徹底を目的に名前を変えたのか、それとも別資本だった会社組織を買収したのかは知らない。フランスの経済ニュースは観ないし。でももうシャンピオンは無い。水玉模様のあのスーパーはありません。

ペイントが終わり、戻ってみると、仲良くなった例のノルウエー人4人は大きな旗(赤いシーツに二枚をあわせたサイズ、実際にシーツを利用して製作)を製作中。青いペイントと白を塗ってた。僕は彼等の名前とTHORとEDVALDを描いて協力。彼等からなんと気前よく、ノルウエー帽子とノルウエーショットグラスと50ユーロもいただいた。彼とも今後連絡を取り合うようにした。

さて、キャラバン通過。このころには僕の周りは小さなノルウエー村状態。レース前に来たノルウエーテレビの車も停まって、彼等の様子を撮ってた(写真も沢山あるのだが)。

衛星放送を観ながらエースを待つ。マドレーヌ峠を登り始める。緊張と興奮が高まる。展開はテレビでご存知でしょうが、アンディーのために逃げグループに潜り込み、マドレーヌ峠中間で休みながらアンディーを待つイエンツ。そしてコンタドールとアンディーの2人の決闘開始。イエンツ合流して先頭を引く。

我々の前を通過したのは逃げグループの残党でした。そしてモロー。面白いのは後に写真をみて気づいたのだが、先頭の3人は僕達の部分を通過した際、奇怪な扮装をしたノルウエー人達をみて、噴出しそうな顔をして、実際、視線ではなく、顔をそちらへ向けて凝視してる。そんなに、面白かったのか。この写真もなんとか近いうちにアップロードしたいです。

そして、アンディーグループの通過。いつに無く、真剣な表情のアンディーでした。その後はクリスアンカーも来て、クリース!!と叫んだら、大きく手をふって、答えてくれた。

ずっと遅れたきたカンチも笑顔で答えてくれた。ノルウエー人達が待つのは、後方(サポート陣)で来るボアソン・ハーゲン、そしてグルペットで超遅れてくるトールである。つづら折なので、遠くから選手達が見える。で、カメラの望遠200mmでなんとか選手の判別をして、彼等にウソフトはあのグループには居ない。緑に見えるのはリクイガスだ、とか情報を伝えていた。

そして、グルペット通過。もうレースは終わりか。と誰もが思って、自転車で来た観客がどんどん下るなか、延々遅れて選手が上がってきた。後ろにガーミンのチームカーとカチューシャのチームカー等が居たので、んっ?負傷してるタイラー・ファーラー?ロビー?と望遠で覗く。そしてオオトリを勤めたのが、ご存知の通りデイヴィッド・ミラーである。平地(タイムトライアル)はめちゃくちゃ強いのに、重力には全く歯が立たないミラーである。

その後の撤収は速い。あくまでも通過点でしかない峠なので、峠頂上でゲートの撤収作業があるので、断続的に渋滞するが、その他はレース通過直後から観客が動いて撤収だ。僕も一刻も早くキャンプ場に着いてシャワーを浴びたかった。

麓の街(ゴール地)のキャンプ場は満員御礼の看板。自転車で乗りつけた客を断るのを目の前で見たので、もう僕(車)を断るのは一目瞭然だ。実際、断られた。GPSナビに登録してある別のキャンプ場に行くことにした。もうこのころには頭も朦朧で、思考回路が焼きついていたので、考えもしなかったが、この2個目のキャンプ場はテレグラフ峠を越えた街のキャンプ場。途中引き返すことも考えたが、引き換えして別のキャンプ場に行く頃にはもう閉ってることもありえる。で、結局テレグラフ峠(もう3回以上来たことがある、これで4回目?)を超え、チェックイン。疲れを癒す。翌日の観戦地を最初のスプリント地点と決め、食事をして、寝る。

このキャンプ場の特徴は側を流れる川。川というか横になった滝。つまり、流れが凄い勢いがあり、大きな岩がごろごろしていて、水がすべて泡立っている。写真を撮って、90度回転させたらさがなら滝の光景。当然音も凄い。トイレ・シャワー・洗面所・洗い場のユニットの内部に張り紙があって、もしアラームが鳴ったら、全てを放棄し、ID(パスポートとか)のみを持って高台に非難せよ、と書いてある。そうか、急な雨で増水したら、危ないんだ(汗)。その他は特に特徴はない。

起きたのは午前7時。8時が受付が開く時間なので、8時出発と決めていた。前日は遅めのチェックインで受付ではレジを閉めていたので、翌日の朝支払いと言われていた。11.85ユーロだった。

そして前日検討したルート(だまってGPSにルート選定させると、なんとガリビエ峠を越えて、行けとか、無茶苦茶するので)で走り、無事に平地を走って現地入り。

これをアップロードしてるのはValence(Bourg-les-Valenceはその郊外)から南へ12kmくだったChabeuilという街にあるキャンプ場。ミシュランのガイドブックには別のキャンプ場が紹介されてた。ここはそのちょっと手前にあるキャンプ場。これまで停まったキャンプ場の中でもいちにをあらそうひなびたキャンプ場だ。味がある。受付の小屋(石造り)の机の側にその受付嬢のおばさんのベッドがある。うーん。

なんとかエッジの電波が拾えるので、アップロードを試みた次第。現在は7月14日の深夜の11時だ。さっき花火の音がしてた。今日はフランスで一番大事な祝日なので、サルコジ大統領出席の式典とかの映像がテレビで流れてた。

inakiisasionmadeleine
マドレーヌ峠にて、バスクの旗を掲げたキャンピングカーがあったので、その前にこのイサシペイントをした。すると中からでてきたおばさんが、やはりバスクの自転車系の人。旦那さんがイニャキ・アサンサさんという写真家で(のちに彼の作品の自転車レース関係の写真集もらった)、エウスカルテルに居るアサンサはファミリーだ、ということでした。当然イサシも友達だ、とおっしゃってました。とても喜んでもらえたようです。ハッピーです。


andyandandy

こちらは同じマドレーヌ峠での応援風景。僕の描いたマイヨブラン上を通過するマイヨブランのゼッケン11番のアンディーです。アンディーの後ろにいる選手が居なければもっと良い構図の写真なのにね。 [Tour de France 2010 Part XVI]の続きを読む

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  1. 2010/07/14(水) 22:34:38|
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Tour de France 2010 Part X

現在午後10時半。辺りは暗くなりました。さっきまで明るかったんですけどね。現在強い雨です。山の天気ですが、昼間に晴天の日でも夕刻やら夜に豪雨がきます。アルプス地方では良く遭遇します。

近くにとまったキャンピングカーのノルウエー人達と仲良くお話しました。バルセロナでキャンピングカーをレンタルし、アルプスからピレネーまでのステージを追いかけ、バルセロナで返却という計画だそうです。肉(チキン)をご馳走になりました。肉ですよ。あとワインも。仲良く強調しながら明日はペイントと応援です。

もちろん彼等の興味はトー・ウソフトのグリーンジャージとバオアソン・ハーゲンの活躍です。一人の人はボアソン・ハーゲンは体重を落として登りもこなせるよになって欲しい、という希望ですが、彼(ボアソン・ハーゲン)自身はカンチラーラのようにタイムトライアルやパリ・ルベーのようなワンデイで活躍することを目指すそうです。現時点ではオールラウウンダーですが、今後は得意分野をしぼるようですね。

酔いながら午後9時過ぎからペイント再会。でも雨で中止です。フランス人の女の子3人が来るまで観戦にきてました。彼女達に「誰が好き?」と英語できくとAG2Rのブエだそうです。なぜなら同じ街の出身だそうです。もちろんBOUETと描いてあげました。明日明るくなったら、彼女達の写真を撮ります。同じ街の出身だからと応援する、それが正しい応援ですね。

僕が構えた部分は実に眺めが良い。下から上がってくる選手達が一目瞭然だ。双眼鏡が欲しいが、カメラの望遠で我慢しよう。峠の上から選手が確認できたら名前を叫ぶ。これが楽しいんです。メガフォンが欲しいです。

そうこうしてる間に雨はやみました。通り雨ですね。山の上ですから、風の吹く方向が1日の間に変わるし、雲の流れで雨が降ったり、雷がきたり。

では、テントで寝ます。明日は朝からペイントです。新城とも描きましたが、城の字のバランスを崩してしまい、ちょっと不満。だって漢字なんてまったく普段書かないしね。

昨日遭遇したスイス人親子とフェイスブック友達になりました。お友達が増えて楽しいな、なんて浮かれる訳ではないですけど。

明日もオンラインになって、ブログ更新します。ステージが終わって、交通規制が解除されたら、下界に下り、翌日の補給地点か何かを目指します。優先はキャンプ場です。やっとキャンプ場へチェックインできる。そこのキャンプ場で3G回線が使えると良いのですが。最初6時間込みのプリペイドUSBモデムですが、後残りは4時間を切りました。パリまでもたないでしょう。どこかで写真をアップロードしたいので、時間をかなり使うことになるでしょう。今回はムービーもありますし。追加でプリペイドカードをリフィルすることになるでしょう。賞味期限(有効期限)があるので、なるべく無駄なく使いたいですね。パリのシャンゼリゼから生で何かを中継したいですね。プレペイドカードの時間に余裕があれば(そしてバッテリーに余裕があれば)生Twitterができるでしょうか。それをするためには40ユーロのデータ量500MBのリフィルが必要でしょうか。ノートブックのバッテリーが持たないので、無理ですね。小型発電機が欲しいです。シャンゼリゼから生中継したいな。来年は何か企画しましょうね。USBモデム(或いはもよりのマクドナルドにWifiがあれば、そこを利用して)でテレビ放送されないレース後のチームパレードとかをお伝えできるかもしれませんね。


そうそう、リース御大が新しいスポンサーを見つけたようですね。Cyclingnews.comで読みました。名前は明かしてませんが、契約済みだそうです。すると、来期はどうなるの、リースサイクリングのチームとシュレック兄弟のチームと2チームの応援体制で進行でしょうか。難しいですね。カンチラーラは一体どこのチームへ行くのか。

現在(アップロード時)は13日(火曜日)朝7時半です。晴天です。カウベルが下の牧草地から響いてきます。すぐ下に農場があって、牧羊犬達が昨日は牛達を道路を挟んだ放牧地へ移動させてました。おもしろい光景でした。

これからコーヒー飲んで、ペイント再開です。

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  1. 2010/07/13(火) 06:31:05|
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Tour de France 2010 Part XIV

レース当日は快晴。朝からペイントの準備をし交通量が減ったころ(お昼前)からペイントを始める。カンチラーラがマイヨジョーヌを失ったので、黄色の色はセーブ。白ペイントのみ。イサシ、Saxo Bankの選手名、アンディーのマイヨブラン、新城(チバリヨー付き)等をペイント。さて、この頃から新たな展開があった。

ペイントをしてるとそれをうらやましい目で見てる人たちが居る。つまり自分のしたいのだ。彼等の一部はLivestrong基金の車が配布する黄色いチョーク(ナイキのJust do itロゴ付き箱に入ってる)でアスファルトに描いたりもするのだが、しょせんチョークは粉。車が通過すると舞上って、すぐに消えてしまう。

僕に「ペイントしてくれない」と話しかける人たちも多かった。そこで、何かと交換できるならしてあげるよ、と交渉する。アメリカ人のグループ(4夫婦?)と交渉成立し、2人(夫婦)の苗字を縦1m程度の文字で書いてあげて、3ユーロとなった。そのペイントが終わるころに、グループの別の夫婦が、「我々も」と希望し(記念写真にすると良い構図になる)、結局4苗字をペイント。その分に見合った報酬をもらう。その間にもノルウエー人(やたらと多い)の子供がEDVALDを注文。増えた注文をこなすため、何度か車にもどってペイントを調合することになった。子供(とそのお父さん)から多めに報酬をいただいたので、B. HAGEN (NOR)も追加で描いてあげた。

その他別のノルウエー人若者達の希望でTHOR、報酬はビール(コーラを希望したのだが、ビールしか無いと言われた)。僕の近くに停まってたキャンピングカーのスイス人親子(両親と娘さん)が気さくに話をしてきたので、無料で彼等の車の側にCancellaraとMORABITOを描いた。結局簡単なお昼とビールをいただいた。お母さんの話だとモラビトのお母さんがこの先500mのところに居るということだった。確かに型取りしたロゴでモラビトのペイントが周辺に多くあった。この家族とも今後メール交換なりフェイスブックなりでコンタクトを取ることになるだろう。

その他ではフランス人なのになぜかキャンピングカーにでかいウクライナの旗を掲げ、ポポヴィッチのPOPOを希望した家族(娘さん3人、三つ子じゃないだろうけどそっくり、双子と一つか二つ違いの妹?)のためにPOPO(UKR)でコーラとワインを少し。その他オランダ人家族にペイントを使わせてがげて(報酬)、フランス人団体にもそうして(サンドウイッチ、ここでハムとツナを食べた)、David De la Fuenteファンクラブ員達のためにDAVID DE LA FUENTE RAMALES(出身の街らしい)とかで報酬。なんやかんやらで、30ユーロ強の現金と飲み物・食べ物を得た。30ユーロあると室内用白水性ペイントが10L程度買えるのだ。助かる。

そんなこんなでキャラバン到着。FDJのTシャツはゲットできなかった。位置取りを間違えた。シャツを配布するお姉さんと逆側に立ってしまった。次回はトラック上の配布お姉さんの位置を確認して鋭意努力。

衛星放送を観てレース展開をチェック。サポートが多いアスタナに対してサポートが居ないアンディー。展開が心配されたが、アンディーは先頭グループで僕達の地点まで来た。すぐ手前でビドンから水分を取るアンディー。そしてそのままビドンを捨てる。ころがったビドンをゲット。やったー、記念のビドンだ。中身は水の様子。透明。

そしてステージ勝利。その後も後方からSaxo Bankの選手があがってくる。ニキ・ソレンセンの姿は確認できなかった。大きな集団で反対側に居たのだろう。ヤコブ・マティーは2人で並走してあがってきた。当然チームの無線で勝利は知ってるだろうから「アンディー」と叫ぶと、二人はVサインしてニコニコして通過して行った。その他イエンツは相変わらずしゃべりまくり(隣に居た選手は良い迷惑??)で、上ってきた。僕を見つけてニコニコ手を振ってくれた。ブラッドリー・McGeeの運転する車も来て、後方席のメカニック、パスカルが腕を出してくれたので、タッチ。

さて問題はカンチラーラである後方でのんびり上ってくるのは分かっていた。回りの連中にカンチがリラックスして上ってくる時は僕にハイタッチしてくれるんだよ、と自慢(分かってます、驕り・虚栄心は良くないことです)してたので、カンチラーラが上ってくるタイミングで上記のスイス人親子のお嬢さんが僕の側に待機。彼女もカンチファンなのだ。ここでカンチに無視されたら面目丸つぶれ?嘘つき扱い?かっこ悪い?

多少の緊張感(もしカンチのグループが大きくて、反対側に居たら?)と不安で待つ。そしてカンチラーラ登場。2人か3人の小さなグループで来た。80m手前から、大声でFabian!! Fabiaaaan!!コール。隣の選手と談話中だったが、僕と分かったようすで、逆サイドだったので、カンチはわざわざサイドチェンジしてくれた。そしてめでたく(本当にありがたいよ、ありがとうカンチ!)ハイタッチ成功です。

嘘つきでは無いことを証明できました。

その後はレース終了。BMC、FDJ、Lampre、HTC-Columbia、Cofidis、Caisse、Shackの選手達のほとんどが自走(自転車ね)で峠を下って行った。それを写真に収めた。

19時まで動けない(一般車両への規制)なので、19時までまつ。これまでにはほとんどのキャラバン隊、チームカー、チームバス、その他関係車両が下っていった。19時を廻ってからのんびりと下り始めたが、結局停められる。下から上がってくる車両(運営の一部、例えば機材を運搬するとか、VIP送迎バスとか)が大きな下りカーブを通過するために、その前後で下る車両を規制してたのだ。1時間程度途中で待機。その後も断続的に渋滞し、麓の街に来たのが21時ちょっと前だった。Saxo Bankのチームバスが駐車してたホテルに寄るかどうか一瞬迷ったが、通過。一路マドレーヌ峠へ向かう。140km強の行程だ。高速道路(有料区間)をつかわず、辛抱。

峠(24kmもある)を上って頂上から約2km地点で一旦駐車し、睡眠。朝明るくなってから再度良い駐車場所を探すことにした。この間(峠を上る間)に既に位置取りしてるキャンピングカーの多いこと。彼等はこの前日から来てるのだ。

本当は休息日なので、下界(キャンピング場で熱いシャワーが、...)でちょっとのんびりしたいとも思ったが、万が一油断してよい場所が取れなかったらという心配の方が大きい。このステージが終われば平坦(多少起伏があるにせよ)ステージが続くので、毎日キャンピング場へ行くのは簡単だ。だから、我慢。

朝、再度廻りを視察すると、実は九十九折の見晴らしの良い場所だと気づく。昨晩寝た場所から800m程度上った部分がさらに見晴らしが最高なので、ここを拠点とすることに決めた。前日の寝る前に携帯電話をオンにしてみた。普段は面倒だからオフのまま。そしたら、サービス無し。電波の届かない地域だった。

しかしこのほんの数百メートル離れた部分ではエッジが使える。この数百メートルが実は重要で、周りを観察すると僕が前日寝た一帯に居る人たちは、徒歩で僕の車の近くまで来て携帯電話を使ってる。ある男性の会話(フランス語)が聞こえたが、「こちらから連絡するから」ということだった。彼の電話も車の位置ではつかえないので、連絡する場合は彼が僕の車の位置まで動くしかないようだ。

朝は快晴。待ちきれずペイント開始。重要で時間の掛かるペイントを済ませれば、翌日は楽なのだ。でかくマイヨブランに白抜きでゼッケン11、そして白抜きのANDYを仕上げの手前までした(仕上げは再度タッチアップ程度)。通過する車・自転車(それほど多くない)を避けながら炎天下で2時間近く掛かった。あとは深夜か翌日に選手名、イサシとかを仕上げれば完了だ。

皆さん、これを読んだら、マドレーヌ峠の頂上から約2kmから1km程度の部分のヘリコプター画像に注目です。イサシとかがあったらそれは僕の汗と努力の結晶ですからね。

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  1. 2010/07/12(月) 18:42:04|
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Tour de France 2010 Part XIII

クレムシーの街へ向かう途中。ちょうどゴール時間頃に車を木陰に停め、テレビ観戦できた。地上デジタル波がキャッチできたのだ。今はCerese(どこかにアクセント記号が付くが)の時期らしい。英語だとCherryなんろうか。何となく綴りも似てるし。さくらんぼ(らしきもの?)を沿道で販売してる。カルフールで激安の単三乾電池を買った。これはランタン用と無線スキャナー用としてだ。一方でちょっと高いアルカリ単三乾電池も買った。これはカメラ駆動ようの非常電源である。Nikon D90用のパワーグリップ(MB80)にはリチウムイオンの専用バッテリーを2本収納できる他、汎用の単三(アルカリなり、充電式なり)を4本セットして使えるという機能がある。これは助かる。

しかし(しかしが多い、なぜならば)、キャノンは車の12VDCから専用バッテリーを充電する機器がオプションで売られてる。ニコンには無い。ここが問題なのだ。車で直接充電できれば、移動中等にバッテリーを充電できるのに。

クレムシーのキャンプ場をチェックアウト(前日に清算済みなので、10ユーロ)。補給ゾーンへ向かう。

クレムシーのキャンプ場ではカメラのバッテリー二個、無線スキャナー用のバッテリー4本(単三電池)を充電できた。カメラのバッテリー充電には頭を悩ます。

補給ゾーンへ到着。補給ゾーンが始まる街にはディスプレイが施されていた。街灯に原寸より一回り大きいサイズのジャージの形をしたもの。10枚程度あり、ペドロ・デルガド意向のマイヨジョーヌ(総合優勝者)の苗字と優勝年が描かれている。リース御大のものやらを写真に収めた。

補給ゾーンの終わりのゲートから約1km程度に構える。ここは坂(終わりゲートが坂の途中)を超えたなだらかな部分。シュレック旗を立てる。そしてペイント。黄色いジャージと逆さま13の他、Saxo Bankライダーの名前。イサシは忘れた。

すぐ側に停まったフランス人夫婦はFDJサポーター。キャンピングカーにあの大きなFDJサポーター旗を2本立てていた。そしてキャラバン通過の際はFDJのキャラバン隊にFDJのジャージのようなものをみせてアピール、見事にTシャツゲット。そこで思いついた。僕も小物入れとしてFDJのミュゼットを持って来てる。次回はこれを見せて、Tシャツゲットを試みてみよう。うまく釣れるかもしれない。

逃げが通過。そして集団通過。集団の先頭付近にいたアンディーとばっちり目が合った(向うはサングラスしてたけど)。そしてアンディーが僕にアゴで合図してくれた。その時アンディーは何かを食べようとしてた。一方のカンチは集団の一番最後にいて、(チームカーに下がって何かしてた様子)これから前へ加速して追いつくところだった。

さて、レース終了。移動だ。翌日の第7ステージはスキップの計画だ。第8ステージのモルジン・アヴォリアスの山に潜り込むことを優先するために、第7ステージは衛星放送観戦と決めたいた。移動距離は410km以上だ。休む暇はにない。途中燃料を入れるために、山中の農機具(トラクター等)屋さん併設のガソリンスタンドでちょっとだけディーゼルを追加。そしてまた走り、Intermarcheというスーパーでちょっと買い物(クロワッサン、涙)、側のガソリンスタンド(Total)にて燃料満タン。そしてひたすら走る。トイレ休憩も無いまま、ひたすら一般道(フランスは高速道路は基本的に有料)を走る。キャンピング場に行きたかったが、どうも時間が無い。

いつのまにかスイスの国境検問所へたどり着く。誰も居ないので、スルーパス。ジュネーブの市街を抜けて、ルマン湖のほとりを走り、またフランスへ入国するというルートだ。ただジュネーブに入ったすぐの道が工事中で、迂回路が不明。しばらくうろうろする。ちょっと時間ロスだったが、なんとか道を見つけた。

アヴォリアスには表道(レースコース)と裏道(狭くてうねうね)がある。僕の進路からは裏道が近かったので、裏道を登った。裏道とはしらなかったが、あまりにも狭いし、路肩も無いので、これはレースコースじゃないと走りながら気づいた。

アヴォリアスのフィニッシュからくだって約1km位の地点で裏道は表道に合流。すでにキャンピングカーの波(おおがげさじゃなく、波のように連なってる)。とにかく車を停めて寝たかった。最終的な応援場所・駐車場所は明るくなってから探すのが賢明だ。道路にはなんと新城と感じで描かれてる。だれだろう。

ちょっとしたわき道にそれて車を停め。そのまま就寝。翌朝早く起き、下ってフィニッシュから3kmの場所に駐車。本当にもう車・キャンピングカーが多い。沿道はびっしりだ。

その後フィニッシュのある山頂の街まで徒歩で視察にでかけた。すると僕の場所から約300m程度の場所にSaxo Bankのロゴやらテントがあるコテージを発見。どうやらSaxo Bank(選手ではなく、スポンサーのSaxo Bankの関係者)がここに陣取ってる様子だ。観に行くと、液晶テレビを設置したテントやらバーベキューから配布物等が準備されている。Saxo BankがVIPとして招いた北欧人やら地元フランスでの関係者がここで飲み食いするのだろう。

フィニッシュの街は大きくは無いが、結構充実してる。写真を貼れば分かり易いのだろうが、現時点では文章だけです。すみません。休息日に時間を取って写真を準備します。カメラで取った生のファイルは一枚分が5MB以上あり、とても直接貼れません。縮小・編集する必要があるのです。

面白いのはホテルの外側が木でできていること。それも油につけたような仕上げの板だから、雨風で風化し、古い廃墟みたいな雰囲気をかもし出してる。内部はコンクリートなのだろうが、外側を板で囲ってるのだ(あー、写真があれば)。これは外観にこだわる地元ホテル組合の申し合わせなのだろうか。

街にはスーパーもあり、プール、テニスコート、スキー・スノーボードレンタル、バー、レストランとリゾート地としてのすべてがある。20ユーロで7本のソーセージ(サラミ風になてる奴)と1本オマケという看板に目がとまった。でも誘惑を振り切って、写真だけ撮って車にもどった。

衛星受信機をセットしレース観戦準備。このころから雲行きが怪しくなってきた。そして15時前頃から稲妻、雨、ヒョウが降った。Leopardじゃなく、hail、氷の塊だ。最初は小さいもの(直径5mmから8mm程度?)だったが、後に1cmから1.5cm以上の大粒もまじって、車の中にいたのだが、ドンドン・パンパン・ガチガチとすさまじい音をたてて降った。その後雨がしとしと降り続け、レースは終了。その後からまた雨になり、現在雷です。明日の天気が気になる。雷がおさまって、晴れて欲しい。ペイントするためには道路が乾燥してる必要があるからだ。

その後は天気は回復した。

隣に止まったフランスナンバーの車の住人達(3人)と話をした。こちらがルクセンブルクナンバーだから向うは興味があっただ。彼等のうち2人(カップル)はティオンヴィル(フランスのルクセンブルク国境沿いの街)に住んでる。しかし2人ともルクセンブルクで働いている。ルクセンブルクは住宅費(レント)が以上に高い(パリ並み)ので、越境通勤する人は多いのだ。ドイツ・フランスに住めば、家賃は半分近い。通勤費が掛かるが、家が広いというのはそれにも増して利点があるのだ。

男性(仮名O)は10年もドイツで働いていたので、ドイツ語もペラペラ。一方彼女はドイツ人でフランス語も上手。ドイツで知り合ったそうな。もう1人はこの男性の弟で、パリで学生してる。彼女が日本人でイギリス(の街、名前失念)に住んでるそうな。

Oはレース大好き。彼女にも自転車を乗ることを進め、二人でおそろいのキャノンデールのカーボンバイクを積んできてた。リクイガスを応援。弟は別にレース好きじゃないが、休暇中に安く両親の家に帰郷するために、最初兄に合流し、ここで一泊し、翌日車で来る親父さんの車に乗って無事に帰郷するという段取りなそうな。

このOとは今後(来期なり)一緒にレースを観に行くことになるでしょう。今回は10日間の有給をツール追掛けに費やそうと思ってたが、彼女が思いがけなく、有給が取れてしまって(彼にとってはちょっと残念)、同行することになり、ツールはちょっと見て、その後地中海のリゾートへ行くそうな。

そしてもう一方のお隣さんはスイスナンバーで着てた親子(母娘、ちょっと年配ね)。彼女達も僕の車のナンバーに興味があった。なぜなら彼女達はルクセンブルク出身なのだ。いまでも両親から引き継いだ家があるそうな。

で、彼女達とも話しをした。車の中にルクセンブルクのライオン旗(小型)の棒が折れてしまったものがあったので、進呈した。さっそく持ってた旗(なぜか英国のユニオンジャック)をスポッと抜いて差し替えしてた。気に入ってもらえたようだ。彼女達ともメールやらで連絡を取ることにした。ステージ2の最中に紛失してしまったスイス国旗を彼女達に買って送ってもらうことになるかも。

就寝。そしてレース当日の朝になる。

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  1. 2010/07/12(月) 18:40:27|
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Tour de France 2010 Part XII

クレムシーの街へ向かう途中。ちょうどゴール時間頃に車を木陰に停め、テレビ観戦できた。地上デジタル波がキャッチできたのだ。今はCerese(どこかにアクセント記号が付くが)の時期らしい。英語だとCherryなんろうか。何となく綴りも似てるし。さくらんぼ(らしきもの?)を沿道で販売してる。カルフールで激安の単三乾電池を買った。これはランタン用と無線スキャナー用としてだ。一方でちょっと高いアルカリ単三乾電池も買った。これはカメラ駆動ようの非常電源である。Nikon D90用のパワーグリップ(MB80)にはリチウムイオンの専用バッテリーを2本収納できる他、汎用の単三(アルカリなり、充電式なり)を4本セットして使えるという機能がある。これは助かる。

しかし(しかしが多い、なぜならば)、キャノンは車の12VDCから専用バッテリーを充電する機器がオプションで売られてる。ニコンには無い。ここが問題なのだ。車で直接充電できれば、移動中等にバッテリーを充電できるのに。

クレムシーのキャンプ場をチェックアウト(前日に清算済みなので、10ユーロ)。補給ゾーンへ向かう。

クレムシーのキャンプ場ではカメラのバッテリー二個、無線スキャナー用のバッテリー4本(単三電池)を充電できた。カメラのバッテリー充電には頭を悩ます。

補給ゾーンへ到着。補給ゾーンが始まる街にはディスプレイが施されていた。街灯に原寸より一回り大きいサイズのジャージの形をしたもの。10枚程度あり、ペドロ・デルガド意向のマイヨジョーヌ(総合優勝者)の苗字と優勝年が描かれている。リース御大のものやらを写真に収めた。

補給ゾーンの終わりのゲートから約1km程度に構える。ここは坂(終わりゲートが坂の途中)を超えたなだらかな部分。シュレック旗を立てる。そしてペイント。黄色いジャージと逆さま13の他、Saxo Bankライダーの名前。イサシは忘れた。

すぐ側に停まったフランス人夫婦はFDJサポーター。キャンピングカーにあの大きなFDJサポーター旗を2本立てていた。そしてキャラバン通過の際はFDJのキャラバン隊にFDJのジャージのようなものをみせてアピール、見事にTシャツゲット。そこで思いついた。僕も小物入れとしてFDJのミュゼットを持って来てる。次回はこれを見せて、Tシャツゲットを試みてみよう。うまく釣れるかもしれない。

逃げが通過。そして集団通過。集団の先頭付近にいたアンディーとばっちり目が合った(向うはサングラスしてたけど)。そしてアンディーが僕にアゴで合図してくれた。その時アンディーは何かを食べようとしてた。一方のカンチは集団の一番最後にいて、(チームカーに下がって何かしてた様子)これから前へ加速して追いつくところだった。

さて、レース終了。移動だ。翌日の第7ステージはスキップの計画だ。第8ステージのモルジン・アヴォリアスの山に潜り込むことを優先するために、第7ステージは衛星放送観戦と決めたいた。移動距離は410km以上だ。休む暇はにない。途中燃料を入れるために、山中の農機具(トラクター等)屋さん併設のガソリンスタンドでちょっとだけディーゼルを追加。そしてまた走り、Intermarcheというスーパーでちょっと買い物(クロワッサン、涙)、側のガソリンスタンド(Total)にて燃料満タン。そしてひたすら走る。トイレ休憩も無いまま、ひたすら一般道(フランスは高速道路は基本的に有料)を走る。キャンピング場に行きたかったが、どうも時間が無い。

いつのまにかスイスの国境検問所へたどり着く。誰も居ないので、スルーパス。ジュネーブの市街を抜けて、ルマン湖のほとりを走り、またフランスへ入国するというルートだ。ただジュネーブに入ったすぐの道が工事中で、迂回路が不明。しばらくうろうろする。ちょっと時間ロスだったが、なんとか道を見つけた。

アヴォリアスには表道(レースコース)と裏道(狭くてうねうね)がある。僕の進路からは裏道が近かったので、裏道を登った。裏道とはしらなかったが、あまりにも狭いし、路肩も無いので、これはレースコースじゃないと走りながら気づいた。

アヴォリアスのフィニッシュからくだって約1km位の地点で裏道は表道に合流。すでにキャンピングカーの波(おおがげさじゃなく、波のように連なってる)。とにかく車を停めて寝たかった。最終的な応援場所・駐車場所は明るくなってから探すのが賢明だ。道路にはなんと新城と感じで描かれてる。だれだろう。

ちょっとしたわき道にそれて車を停め。そのまま就寝。翌朝早く起き、下ってフィニッシュから3kmの場所に駐車。本当にもう車・キャンピングカーが多い。沿道はびっしりだ。

その後フィニッシュのある山頂の街まで徒歩で視察にでかけた。すると僕の場所から約300m程度の場所にSaxo Bankのロゴやらテントがあるコテージを発見。どうやらSaxo Bank(選手ではなく、スポンサーのSaxo Bankの関係者)がここに陣取ってる様子だ。観に行くと、液晶テレビを設置したテントやらバーベキューから配布物等が準備されている。Saxo BankがVIPとして招いた北欧人やら地元フランスでの関係者がここで飲み食いするのだろう。

フィニッシュの街は大きくは無いが、結構充実してる。写真を貼れば分かり易いのだろうが、現時点では文章だけです。すみません。休息日に時間を取って写真を準備します。カメラで取った生のファイルは一枚分が5MB以上あり、とても直接貼れません。縮小・編集する必要があるのです。

面白いのはホテルの外側が木でできていること。それも油につけたような仕上げの板だから、雨風で風化し、古い廃墟みたいな雰囲気をかもし出してる。内部はコンクリートなのだろうが、外側を板で囲ってるのだ(あー、写真があれば)。これは外観にこだわる地元ホテル組合の申し合わせなのだろうか。

街にはスーパーもあり、プール、テニスコート、スキー・スノーボードレンタル、バー、レストランとリゾート地としてのすべてがある。20ユーロで7本のソーセージ(サラミ風になてる奴)と1本オマケという看板に目がとまった。でも誘惑を振り切って、写真だけ撮って車にもどった。

衛星受信機をセットしレース観戦準備。このころから雲行きが怪しくなってきた。そして15時前頃から稲妻、雨、ヒョウが降った。Leopardじゃなく、hail、氷の塊だ。最初は小さいもの(直径5mmから8mm程度?)だったが、後に1cmから1.5cm以上の大粒もまじって、車の中にいたのだが、ドンドン・パンパン・ガチガチとすさまじい音をたてて降った。その後雨がしとしと降り続け、レースは終了。その後からまた雨になり、現在雷です。明日の天気が気になる。雷がおさまって、晴れて欲しい。ペイントするためには道路が乾燥してる必要があるからだ。

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  1. 2010/07/10(土) 19:15:59|
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Tour de France 2010 Part XII

ドンマリ・ドンティリに到着したのは午後8時頃だった。キャンプ場をガイドブックで探したが、近くにない。約20km先にあったので、そこまで行ったが、門が閉っていた。リゾート風(湖の側)の経営で時間通りに事務員が帰るタイプのキャンプ場だ。見込みなし。引き返して補給ゾーンの道沿いで夜を明かす。

朝、木陰の緩やかな登り区間に移動。ここでレースを待つこととした。補給ゾーンの始まり・終わりのゲートは確認していない。PowerBarがこの補給ゾーンのゲートのスポンサーだ。

第5ステージ(木曜日)
木陰にシュレック兄弟旗を設置。ノートブックを開いてインターネット接続を試みる。しかしこの場所ではエッジの電波さえ来てない。諦める。シュレック兄弟の旗を見て近くに駐車したファンが「フランク残念だったね」とか声をかけてくる。

交通規制が始まり、静かになったのがお昼頃。ここからペイント始める。イニャキ・イサシに始まり、13逆さまのマイヨジョーヌ、Saxo Bankの選手、The Go-Go's Foreverまで描く時間があった。その後キャラバン通過。今年はキャラバンの配布がちょっと少ない。同じような構成のキャラバンだが景品は出し惜しみだろうか。LCL(キャラバン先頭のマイヨジョーヌ提供のスポンサー)は帽子を配布してるが、いつものキンチャクがない。このキンチャクの件は翌日に判明する。

結局僕が居た場所は補給ゾーンを終えて2kmかそれくらいだったようだ。落し物はない。しかしである。集団前方に居たカンチラーラが僕を発見、そして、大きく左手(僕は左側に立っていた)あげて、ニコニコと手を振ってくれた。やった。

しかしその笑顔は写真に残ってない。そんなもんだ。

その後は移動。次の補給ゾーンだが、先にキャンプ場を探し、補給ゾーンの街(Brinon-sur-Beuvron)の手前のClamecyへ向かう。クレムシに到着したのが午後8時位だっただろうか。ここは夫婦経営の小さなキャンプ場。受付時間があって無いようなもの。このタイプが僕には役に立つ。フランス語しか話さなかったが親切な夫婦の対応だった。ここはかろうじてエッジの電波が届いた(しかし遅い)ので、多少オンラインとなったが、ネットが使えるとはいえない程度だった。

さて、これをアップロードしてるのは云わずと知れたMorzine-Avoriazである。昨夜(金曜日)の深夜少し前に到着。補給ゾーンを終了して延々400km以上移動した。高速道路無しで、一部スイスに入国するというオマケ着きの移動。ここはなんと3Gが使える。快適だ。

暑いフランスから。

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  1. 2010/07/10(土) 09:20:55|
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Tour de France 2010 Part XI

水曜日(第4ステージ)
補給地点である。多分フランス語読みでウセッだろう。前日はGuiseという街にて宿泊した。この街はフランスである。この街はずれのキャンプ場へ宿泊。到着したのはすでに20時ころだったかな。受付は閉っていて人は居ない。僕の直前に到着したベルギー人(フランドル系、なぜならオランダ語っぽい言葉を話していた)3人のキャンピングカーも受付で停車していた。

こういう場合の対処法、門が開いてる場合は、大概の場合、「勝手に宿泊しろ、翌朝オフィスが開いたら清算してね」という規則なのである。そう丁寧に受付前に明記してる場合もある。

ベルギー人は既に宿泊してた客にそう勧められたらしく、宿泊を決めた。僕も宿泊することにした。ここはフランスなのでやりたいことがあったのでだ。それが例のUSBモデムのセッティング。フランス国内のオレンジの携帯網を使えるUSBモデムを購入していた。だが、フランス内で携帯網の電波をキャッチしないと設定が進まないのだ。ルクセンブルク内でセットアップしようと試みたこともあったがモデムのインストールさえできない。

ここで早速セットアップ開始。USBモデムにはSIMを入れるスロットとマイクロSDカードを入れるスロットがある。そして、モデムのデバイスインストールとモデムコントロール(携帯網へのログイン等)プログラムは別途小さな記憶領域に書き込まれているという仕様だ。だからUSBスロットに挿すと、2つの記憶デバイスとして認識される(はず)のである。ところが、このオレンジのデバイスはインストールのスプラッシュ画面が延々と表示されるままでさっぱりインストールが進まないのである。

ここフランスで始めての際チャレンジ。でも結果は一緒。考えら得るのはすでにインストールされているルクセンブルクオレンジ(購入当時はVox.lu)の同型USBモデムのドライバーとコンフリクトを起こしている、という可能性。

そこで奥の手。すでにこの可能性を購入当初から予想はしていた。オレンジ・フランスのサイトを巡って、自動プログラム(この手のプログラムは大嫌い)を使わないで、手動で設定する方法を探しておいた。これをルクセンブルクUSBモデム+オレンジフランスSIMの組み合わせにてチャレンジ。無事接続完了である。

さっそくメールのチェックやらを済ませた。幸いグイーズは比較的大きな街なので3G電波がキャッチできた。僕が音信不通なのを心配されてる方からのメール等が数通含まれていた。

現在これを書いてる第六ステージの補給地点のBrinon-sur-Beuvronは3G無し、エッジ無しで、GPRS(音声通信の基本電波網)のみが利用できる。エッジで繋がっても遅くて仕方ないので、GPRSでは繋ごうとも思わない。

翌朝支払いをしたが料金は破格に近い7ユーロだった。設備もベーシック(トイレ・シャワー)だけだが、僕にはちょうど良い。支払いをしに事務所が開く9時に事務所へ行ったのが僕が最初、追掛け上記のベルギー人が来た。一番遅く来た奴が最初にチェックアウトである。

グイーズの街に入った前日にカルフールマーケット(カルフールのスーパーマーケット版だ)を確認していたので、そこで軽い買い物をすませて補給地点へ移動。晴天。

補給地点の真ん中過ぎの登り区間に駐車。ペイントをする。カンチがマイヨジョーヌに復帰したので、ペイントに黄色を加え、ジャージと13を逆さまに描く。そしてイサシ(ISASI)である。後に逃げグループで来たイサシをイサシペイント上で撮影することに成功。ダブルイサシである。実はこれがしたかった。

終了。

次の移動地点へ向かう。暑い。第5ステージの補給地点だ。目指すはDonnemarie-Dontillyという街。ドンマリ・ドンティリとでも読むのか。フランスに入って有料高速道路は一切使ってない。節約。食事も節約。ツールが始まって口にした肉は、キャラバン隊のコショヌー(加工肉、サラミソーセージ屋さん)が配布する超ミニサラミ数個と後に拾ったエウスカテル・エウスディの補給ミュゼットに残っていたミニサンドイッチのハムだ。このまま肉無しでどこまで行くのか。もちろん野菜(生野菜)も口にしてない。食事はスーパーの安売りクロワッサン、チョコ入りパン、その他パン、ミネラルウオーター、ダイエットコーラ類、そしてたまにキャラバン隊が配布するお菓子類である。貧乏自慢だ。簡単に煮て準備できるパスタ類も用意してある。時間さえあればそれらを食べよう。

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  1. 2010/07/10(土) 09:17:47|
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Tour de France 2010 Part X

翌朝(火曜日、第3ステージ)
平坦だが石畳がまじるステージである。後半がさながらパリ・ルベーなのである。すでにここからはスタートを見る気は無い。ツールでは普段はスタートは見ない。今回は同伴のオランダ人がいたからそうしただけである。人が沢山いるし、事前にペイントする時間も避けないし。

で、この日からペイント開始である。前日の逃げが決まって、シルヴァン・シャヴァネルがマイヨジョーヌを着てる。せっかくカンチラーラのために黄色のペイントをしようと思ってたのに。

補給地点とパヴェの最後のセクター7を狙っていた。補給地点へ午前10時過ぎにたどり着く。すでに先客がいる。補給地点の終わりが坂になっている。この中腹に駐車。キャラバン隊が通り過ぎて静かになった頃にペイント開始。とりあえずISASIだけを白くペイント。Saxo Bankの選手の全員の名前を描く時間もないので、今回はこれだけ。

逃げが通過。そして移動。パヴェの最後のセクター7へたどり着く。着いたといっても降雨通規制があるので、パヴェ開始部分から少し距離がある部分で駐車。シュレック兄弟旗を竿にさし、背負って約1kmほど歩く。セクターのゲートをくぐり先へ行くと、シュレック兄弟旗とルクセンブルクのライオン旗が遠くではためいていることに気づく。そこでそこまで行くことにした。そこには父親に連れられた3人の息子達が居た。話好きなルクセンブルク人だったので、ずっと話をしてレースを待った。前日のアンディーの転倒のことやら、と。

息子の1人がテレビ観戦してる母親と電話をして速報を入れてきた。それがフランクのクラッシュである。立ち上がっていない、どうやら棄権ということまで続報がきた。なんてこった。落ち込む。

レースが到着。ガーミンのライダー・ヘスジェダルが僕が立ってた側の路肩(石畳じゃない土の部分)を通過。そして、まるでエンジンが付いてるかのごとく、パヴェの中央のふくらみ(石が丸まってないので、デコボコが大きい)部分をガリガリと先頭を引くカンチに歯を食いしばって付いてゆくアンディー。エヴァンスやら。まわりのエンジン付きのバイクに負けない感じのスピード感なのである。あの迫力はテレビで伝わっていたのか。

後にバラけた小集団・大集団が通過。皆ある程度の同じスピードで通過したはずだが、カンチラーラのあの迫力には全然匹敵するものが居なかった。パンクを避けるため、敢えてパヴェの中央部分(石と石の間が大きいし、膨らんでるので、パンクの原因になる尖った小石は皆無)を走る。

大勢の選手が路肩、或いはパヴェのサイド部分を走行してる。あー凄かった、としか云い様がない。

パヴェのセクターから車へ戻る途中Saxo Bankのチームカーが僕等の所で停車し、顔なじみのマッサーが「フランク鎖骨骨折で棄権」と直接伝えてくれた。ありがたい。彼はいつも愛想が良いのである。来期もどこかのチームで働いていて欲しい。

その後、このルクセンブルク人親子の車(BMW)にお邪魔してテレビ観戦。その時にはすでにゴールしてて、その後の解説やらフランククラッシュシーンだったが。その解説者がヨハン・ムーゼウである。ちょっと訛ったフランス語(彼はフランドル語が本来の母国語なのだろうけど)で解説。ランス・アームストロングのホイール(カーボンのハイプロファイル)はパヴェの振動を強く伝えるので、適切な選択じゃない。選択した理由はスポンサーのためじゃないのか、みたいなことを云ってたらしい(フランス語は良く理解できなかったので、ルクセンブルク人のお父さんの親切な翻訳で)。

そして、彼はピレネーステージにキャンピングカーで乗り付けるとのこと。友人は峠規制内(つまり峠の麓から上がった部分)のコテージをレンタルしてそこを基地にして観戦する。彼もその友人と合流し、後にキャンピングカーで峠を上るそうだ。

ここで事前のコース検討不足の僕に良いアドバイスをいただいた。実は今回はツールマレー峠は2回上る。峠を2方向から上るわけだ。すなわし、月曜日に峠に登り(つまり峠規制の始まる前)、火曜日・水曜日の2ステージを観戦できるのだ。知らなかった。勉強不足だ。ツールマレー峠にはできるだけ早く登りたい。押しかける客が多いので月曜日の昼頃にひょっとしたら締め切りするかもしれない。3泊することになるので、食料多めに買い込んで山篭りである。

カンチのおかげで無事にアンディーはパヴェを走りきり、コンタドールに差をつけることに成功。カンチはさらにタイムを稼いだことでマイヨジョーヌ復帰である。

フランク無念である。

つづく。フランスは広い。3G網は大都市部にあるようで、ここClamecyではエッジ網しか使えない。すると速度が非常に遅い。亀だ。でも我慢。

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  1. 2010/07/08(木) 21:23:26|
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Tour de France 2010 Part IX

スタートを見送る前に移動開始。選手達がバスから離れた時点で移動開始だ。人込みをかき分けて、車まで戻る。そして次のポイントへ。補給ゾーンだ。高速道路で移動し、キャラバンの過ぎた後の補給ゾーンへ到着。高速(自動車専用道と区別が付きにくいが)の一部がコースに設定されていた様子で、目的地へ至る高速の二番目に近い降り口でランプ道路閉鎖。全車両そこで降りることになる。ここで下りて、迂回して補給ゾーンへ向かう。補給ゾーンの約1km手前でストップ。そこの細い道には観客の車が駐車されてる。そこから歩いて補給ゾーンへ。あまり長く歩くと返りも時間が掛かり、最終ゴールへ行く時間が惜しくなるので、注意。

中野さんのリクイガス・ドイモの車両を発見。しばらくお話する。晴天。周りはオランダ人が沢山。この補給ゾーンではFDJのビドンを一つゲットした。選手が捨てたビドンがダイレクトで僕の足をヒット。ちょっとだけ痛かった。足元に転がるビドンを取ろうと、駆け寄る少年がいたので、まるでサッカーのトラッピングのように足でビドンを抑える。本当に油断もすきも無い。

そして補給ゾーンの活動終了。車へ戻りゴールへ向かう。ガイドブック(一般向け)は詳細が載ってない。だからゴール位置も正確ではない。通り名だけを頼りにインプットしておいた地点はゴールまで5kmの地点だった。同行のオランダ人が「ゴールはエキスポ・スタジアム付近」と知っていたので、再度移動し、なんとかエキスポへたどり着き、駐車場(無料開放)へ入れる。ちょうどそのタイミングでキャラバン隊がゴールへ到着したらしく、キャラバン隊が音楽を消して、静かに移動するのが見えた。彼等はこれから指定場所のガソリンスタンドへ行き、燃料を詰めて、宿泊先のホテルへ向かうのだ。さて、そこからは約1km歩いて、ゴール方向へ。ゴールを過ぎたチームバス待機場所へ付いた。Saxo Bankのバス側にて待つ。レースはその後約40分程度で到着した。

暑い。Saxo Bankの関係者?らしき人が「Saxo Bankのロゴ入り、空気を入れて含まらせて両手ももってお互いに打ち付けて応援するグッズ」(分かる人には分かる奴)を大量に配布してた。そうだよね、来期は無いから、ここで惜しんでも仕方ないもんね。

その後選手達が帰還。ペタッキが勝ったらしいのはすぐ分かった。マキュアンがムッとした顔で帰ってきた。後で分かったが、惜しくも2位だったようだ。どうりで。とにかく暑いステージだった。そうそう、一瞬雨が降った。タイミングは忘れたが、確かゴール直前だった気がする。本当に一瞬の雨。

次の日のスタートもここブリュッセル。だが場所が違う。翌日のスタートは宮殿前公園らしい。同行のオランダ人達はスタートから2km程度の場所のホテルを予約してる。そこへ送ってあげる。その後ガイドブックで見つけたブリュッセル北の郊外にあるキャンプ場へ行く。12ユーロ(一泊、1人、車一台、テント一つ)だった。

翌日の作戦は、郊外に車を停め(市内は混んでるし、駐車場所確保困難、有料)、メトロで宮殿前公園へ行く、である。キャンプ場でガイドブックを開く。この「ルクセンブルク・ブリュッセルガイドブック(英語)」はロッテルダムのキャンプ場をチェックアウトする前にテントを朝日で乾燥させながら、談話したアメリカ人親子のお父さんからもらったものである。彼等(父・息子)はアムステルダムで自転車を借り、電車等も利用しながらオランダを観光し、ツールも観に来てたのである。帰りに荷物になるので、よかったら、とこの本をくれた。この本がここで役に立った。偶然である。ブリュッセルの地図とメトロ図がある。そこで、GPSとPC上のマップソースでどのメトロ駅が適当かをしばし検討。するとDemeyという駅の側にショッピングセンターがあり、そこから一本で目的地へ行けることを発見。ショッピングもできるし、車も無料駐車できるし一石二鳥。

翌朝チェックアウトし、Demeyという駅へ直行。カルフールで急ぎの買い物。そしてメトロ駅へ。ここでルクセンブルクで使ってる銀行の現金支払機を発見。なんと一石三鳥だった。現金を下ろした。難関はチケットの購入。地元民が使い易いようになっている。駅には駅員は居ない。自動販売機だけがあるのである。販売機の内部は普通のPCでウインドウズがOS。なぜ分かるかというと4台あった機械のうち、一台は再起動中に止まったらしく、普通のPCの起動画面(PCIだの、CPUがなんだの)というままだった。もう一台はウインドウズ上で動くプログラムがハングしたらしく、エラーメッセージを出したままだったからだ。偶然だが面白い光景だった。

結局、現地人が皆もってる磁気式のカードでチケットを買うか、観光客用にはコインも使えるようになってる。画面上の言語はオランダ語、フランス語、英語、ドイツ語(?だったかな)に切り替えできる。一応観光客のことも考慮してある。

さて詳細はともかく、無事に王宮前公園(名前は適当)に到着。結構な人だかり。到着したのはキャラバン隊が出発のスタンバイをしてる時だった。

チームバス駐車場は例の大きな区画で、移動も困難。バリアは低いが、人も多い。Saxo Bankのバス近くへ行ったが、二列目だし、人多いし、ろくな写真も撮れなかった。

その後移動。補給ゾーンへ行く。川沿いの原子力発電所の対岸にある村だ。モクモクと煙を上げる原子炉を間近に見ながら選手を待つ。この村に住む人の健康状態(肺がん等の発ガン率)は?新生児の先天性奇形率は?と余計な心配をしたくなる。

ここでもシュレック兄弟の旗を立てた。車を停めた場所から補給地点開始部分は近いのだが、実際にチームカーが停まってるのは街中でかなり遠かったので、そこまで歩くのは辞めた。結局補給地点開始前の坂部分で観戦。

レース通過後はゴールのスパへ向かう。スパ(SPA)にはミネラルウオーターの産地でブランド名はSPAである。後に帰り際スパの街の道沿いの空き地に数千本のパレットに乗りパッキングされたミネラルウオーターボトルを発見した。無造作に放置されてるのを見て、そばに居た人も「無防備ね、一本取ろうか(笑)」と言ってた。

SPAへ近づくと、Navetteと表示されたバスが運行してるのに気づいた。これは英語的に云うとShuttle Busである。つまり、あまりにも小さな田舎街であるスパには観光客の自動車を入れる余地がない。よってスパの手前の道路の両脇に車を停めさせ、無料シャトルバスでツールの観戦客を移動させるという自治体の作戦だったのだ。車を止め、最寄のバス停へ移動中に背後からクラクション。振り返ると例の自転車ジャージ売りのおばさんと娘さん。彼女達の車にはテクニーク(フランス語読み)とステッカーが貼られてた。つまり主催者に登録しているので、この道路閉鎖に関係なく先へ進めるのだ。僕のことを発見してわざわざ呼び止めてくれたのだ。ちょっとお話し。

さてシャトルバスでスパへ到着。本当に小さな街。ゴール会場にはチームバスが集結してた。サーベロのバスはいつもだが、ファン達に配布するものを用意してる。それを飾る台も用意してる。今回はさらにバス側にテントを設置し、衛星放送を液晶テレビでファン達にみせてた。実に細かい。消費者に訴えようとする態度がある。PR(パブリック・リレーションズ、つまり大衆とのコミュニケーション)に気を使うのがこのチーム。他のチームにはあまり見られない一面を持つのだ。

ゴール会場は曇りだったが、画面は雨だった。他のバスをながめたりしながら時間をつぶす。この街に入るまではデジタル地上波が受信できたが、スパでは受信できないのだ。谷間にある街だからだろう。

で、しばらくしてルクセンブルク人達も発見。ファンクラブ会長さんやらなんやら。フランクの嫁さんとレイア姫も登場した。彼女曰く、今日だけ来て、後はピレネーのステージに行く、ということだった(ファンクラブツアー)。だが、後日のフランク転倒・鎖骨骨折・リタイヤを受け、果たしてピレネーに来るのか。もしかするとフランク自身がパリには来るかもしれないが、ピレネーに慰安訪問しに来るかは不明。ファンクラブ員がホテルを予約してるだろうから、ひょっとすると来るかも。

そして、スパにも雨が到着。レースも到着。到着前にアンディー転倒のニュースが入る。心配。実際アンディーのジャージは破けてた。

まあ、こんなところ。その後オランダ人とは別れ、次の目的地へ向かった。翌日の補給ゾーンである。近くでキャンプ場を探そうと思ってたが、遅くなったし、疲れてたので、サービスエリアで仮眠し、もう移動する気が無くなったので、そこで一夜を明かした。翌朝に移動開始。

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  1. 2010/07/08(木) 21:19:35|
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Tour de France 2010 Part VIII

日曜日(第一ステージ)
ロッテルダムからのスタート。スタート場所はチームプレゼンテーションが行われた橋のたもとの場所からさらに西に1km弱離れた場所(道のり)。小規模な港風(停泊してる小さな船は当然、例の住居となってる船である)で雰囲気は良い。暑い。キャンプ場をチェックアウト(預けていたパスポートを受け取り)して、車で橋の反対側のたもとへ大迂回して到着。事前に予想していたので、GPSにダミーの迂回ポイントを設定しておいた。駐車場所はレースコースと交差しない場所で、ここからなら高速道路へのアクセスが楽。

会場にはすでに人。サイン台の前には2重、3重の観客。でもここには興味ない。チームバスの駐車場を探す。非常の大きな場所が用意されていた。岸壁沿いの駐車場。つまり、バスがどこの場所に停まるか分からないため、どこで待ったらよいか困る。バリアで仕切られているので、移動も困難だ。

ここで一昨日に逢った(言葉を交わしたわけではない)あのGO Andy Go girl(名前も知ってるし、メール交換もしたが、ここでは匿名)に再度遭遇。今度は一緒に写真撮ったり、話をしたり。彼女はアンディーファン(あまりにも明らかだが)で、ライデン出身だそうだ。その後話しをしたが、面白かったのが彼女の父親の心配事。彼女が自転車選手にあこがれて自転車選手と結婚でもしないかということ。現役時代が短く、引退後の生活が決して約束されているわけじゃないので、心配だといういう訳だ。確かにね。

さて、チームバスが集結始める。バスの位置がバリアから遠い。その状況にたまりかねたファン達がバリア(低いタイプ)を開けて中に入りだした。GO Andy Go girlも警官が見てないので突破。僕も入る。オランダの警察はすこしルーズというか、まあファンの心理を察して見てみぬフリだ。

内部に入って待つとSaxo Bankのバスも到着。あとはお決まり。

さて、現在(これを書いていて、これからオンラインにしてアップロードしようとしてる時点)は火曜日(8日)のお昼少し前で、場所は今日のステージの補給ゾーンです。もうすでにシュレック兄弟の旗は立てた。風がそよ風なので助かる。これからキャラバンが来るだろう。そして隙をみてペイントする。ここ数日もちょっとだけペイントしてた。黄色のペイントでジャージに13をさかさまに描いたり、ISASIを描いたり。でも本格的にするには至らない。時間の制約だ。今日はがんばる。

では。

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  1. 2010/07/08(木) 11:06:34|
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Tour de France 2010 Part VII

チームプレゼン後にキャンプ場でテレビを観た。するとあの司会者の1人が仕切ってるラボの選手やらOBやらが出てる番組が観れた。ほんの少ししか観なかったが、その一部では、テンダムがラボのジャージ上下で登場。回答者チーム(片方には歯の綺麗な男性が居た)が彼の物まねを当てるというゲーム。自転車にのり(ローラー台風に固定)、ゴールシーンを彼が再現する。それが誰かを当てるのだ。コンタドール(あれ)、ランス(天を指す)、カーヴェンディッシュ(受話器)をした。なんかだるいが自転車ファンなら観れる内容。


翌日の金曜日は休息日(ではないが、ある意味)。この日は選手達の宿泊するホテルを訪れるのが普通(ファンが普通にすること)。いくつかのホテルを訪ねたかったが、この日はオランダ対ブラジルの試合を控え、またロッテルダムという大都市という事情もあり、交通渋滞がひどかった。よって、Team Saxo Bankのホテルだけとなった。

このホテルにはカチューシャ、AG2R、レディオ・シャックの合計4チームが宿泊していた。ここで宿題の一部を済ませることとなった。イエンツ・フォークトのサインをTeam Saxo Bankの帽子にもらうこと、ロビー・マキュアンのサインをもらうことである。前日のプレゼンの帰り際に顔なじみのテントで表彰台帽子を白(サイン用)、黒(自分用)と購入済み。

ドイツ語版のオフィシャルガイドのカチューシャの紹介ページにはなんと見開きの右が一ページ勝利ポーズをとるマキュアンの写真である。これはイケル。ここにサインをもらうこことにした。同行してるオランダ人知人に僕がサインをもらう時は証拠写真として写真撮影をしてもらうことをお願いしておいた。証拠が無いから、自分で適当に描いた真似サインだということではありません。僕がレース関係で得たものすべて本物です。ある特定選手が使ったビドンとか、何とか細工することはありません。

ホテルに着いたのは11時半だった。仕事をしてるメカニックに聞くと、帰るのは1時半頃じゃなかという。実際にその頃に帰ってきた。ただしニキ・ソレンセンだけは別枠で、同時刻だが、普段着でホテルに来た。なんかの用事でもあったのか。

その前にAG2Rの選手達、カチューシャの選手達、シャックの選手達がトレーニングから帰還してきた。無事にマキュアンのサインはゲット。イエンツのサインもゲット。その他は後にとした。

ホテルのロビーにはジョヴァンニ・ロンバルディーも居た。関係者と談笑したり、トレーニング帰りの選手に声かけたりしてた。

取り立てて何も無い1日だった。
この日もキャンプ場で宿泊。

翌日(土曜日)
プロローグである。朝起きてシャワー、そして出かける準備。街の真ん中は混雑するし、駐車場所を見つけるのが面倒だろうから、キャンプ場から街までバス・地下鉄を乗り継ぐことをキャンプ場の受付で勧められる。もちろん、彼等の目論見としては、バス・地下鉄の共通1日券が売れるので、儲かるわけだ。このツール記念の特別1日券を購入。図柄がちょっと違う。ロゴ入りだ。

用意したのはカメラ、三脚、シュレック兄弟旗、旗固定の棒・紐、水、折りたたみ椅子、簡単な雨具(薄いウインドブレーカー、なぜなら、多少の雨の予想があったので)である。これらを担いで街へ向かう。メトロ(地下鉄だが、一部地上を走る)に乗るのにちょっと手間どったが、無事に到着。

狙うのは行きと帰りが重なる区間。2回見られるからだ。ここを視察。ベストなアングルではないが、旗を立てるのに便利な場所を選び撮影アングルは妥協。バリヤからちょうと良い距離に支柱(看板)がある部分を選んだ。

すでに朝9時半には現地入りした。選手達の練習風景を見たかったが、結局FDJが数周、エウスカルテルがさらに数周、コフィディスが軽く、フートンも軽く、BBoxも軽く、シャックは数人が一周?程度しか見られなかった。

選手達は前日にコースを廻ったということを実は朝キャンプ場でオランダ人夫婦(奥さんはドイツ人だけど)から聞いた。橋を渡りきった大きなカーブの部分でトレーニングを見てたそうだがボアソン・ハーゲンがコケタ。でもすぐ立ち上がって、観客に大丈夫とゼスチャーで示したそうだ。

で、キャラバン隊(規模が小さいし、配布物もちょっと)が通過。かなり手抜き(フランスに戻るまでまばらな編成だった。実際あのタイムトライアルマンが登場したのは第4ステージからだったし)だった。外国スタートではこんなものか。

そして雨。ほぼ全ての選手がウエット状態で走行。初期は半乾燥だったので、当然トニー・マーチンが非常に得をした。そして上位20人も比較的乾燥しかけた状態の道路。後はかなり不利な路面状況。

ここでアメリカ人夫婦に声を掛けられた。顔に見覚えがあった。彼等とは昨年アルザスステージの山で知り合った。その時は話をしただけだったが、今回はメール等の情報を提供した。よくあることだが向う(白人なりの自転車観戦ファンの90数パーセントをしめる人たち)からすると僕のようなアジア人はターゲットにし易いのだ。ほんの一握りのアジア系のファンでSaxo Bank(前身はTeam CSC)のジャージを着てるか、それっぽい人相の人を覚えるのは楽なのだ。

写真の整理をしないとだめですが、クリストフ・モローは当然舌を出してる写真が撮れた。

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  1. 2010/07/08(木) 11:05:34|
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Tour de France 2010 Part VI

水曜日の夕刻から記述
出発するまでに一苦労。今回はEuropcarにレンタカーを借りた。その際にオンラインではいくらいくらという数字がでる。オプションの保険は加入しない予定だった。

で、当日事務所へいくと、オプションの保険込みでの金額をはらえということだった。問題は僕のクレジットカードの月限度額。そして今月すでに購入した物品(例えばEasyTaggerとか)で借りる際に必要な金額に足りない。困った。レンタカーの人曰く、銀行に電話して限度額を一時的にあげてもらえば良い。一時間程度でできる。その時に銀行の担当者の名前を覚えていたわけでもない。銀行の代表番号に電話して担当を探してもらおうとしたが、名前がないとダメと言われる。一旦家に帰り、銀行の担当の名前等を確認し、レンタカーのオフィスへ戻る。電話して、限度額を上げてもらった。しかし、即時にできるわけでもなく、時間切れとなる。翌日出直すことにした。

木曜日の朝
朝銀行に電話して再度確認して、限度額を十分に上げてもらう。やっと午前10時頃レンタカーが手に入る。急いで家にもどって、荷をつめて、出発。11時半に出発し、休憩もせずにひたすら走る。借りた車はフォルクスワーゲンのポロTDI1.9だった。ディーゼルエンジンで5ドア、黒。僕の好きなタイプの車。色が黒で、コンパクト。


ロッテルダムに着いたのは午後3時だった。すでに各地で交通規制があった。GPSにあらかじめ登録した場所はプロローグのスタート地で、チームプレゼンテーションの場所ではなかた。近くの警官に聞いても知らないという。結局観光客らしき家族(オランダ人)にきいたら橋の袂にあるもう1ヶ所のPeople's Villageだそうだ。そこへ向かう。確かにこの辺らしいが、すでに橋自体が閉鎖されていて向こう岸には渡れない。橋の袂で迂回路へ誘導され、近くの駐車場所を探す。場所はあった。道沿いの駐車スペースである。停めて近くのパーキング券発行機へ行くが、コインを入れる場所がない。機械の上に放置されてる紙製の磁気入りカード(クレジットカード風)を発見し、これがおそらく支払いに使う特別のカードだろうと分かる。しかし何処で購入するのか。すぐに近くの通行人のおじさん達(オランダ人)にきくと、機械の脇を見て、ここに最寄の販売所の住所が書かれてる。ここからなら、交差点二個目の本屋さんがよいぞ、あっちだ、と教えてくれる。そして本屋さん。カウンターに居たおばさん(オランダ人)にきくと、丁寧に説明してくれた。額面20ユーロだが、価格23ユーロ(不合理な)で、駐車券発行機他、一般の店舗でも使える場所が多い、などなど。
無事に駐車券を買えるようになった。そこで橋のできるだけ近くに駐車し、そこで荷物をかづぎ、会場へ向かう。会場到着はすでに午後4時だ。そこには知り合いのオランダ人カップルも居たし、知り合いオランダ人夫婦もいた。

結局前列から2列目に陣取る。ここで問題。すぐ前の一列目に構える男性がすでに壁。身長は大げさでなく2mだ。オランダ人は背が高い。そこで、一旦車に戻り、三脚(じゃないが、そんなステップ式階段)を取りにもどることにした。一列目じゃないので、シュレック兄弟の旗も上方に掲げる必要があるわけで、テントの骨(旗用につかってる)も取ってくる必要があった。

最終的に準備が整ったのは午後4時40分位だっただろうか。

オランダ人夫婦の方はステージ左側の隅の前列に居た。彼等に会いにいった。そこでお前のライバルがいるぞ、と云われる。???指差した先(3メートルほど離れた場所)にはGo Andy Goと書かれたタンクトップを着る女性(オランダ人)が居た。彼女はもうすこしセンターよりの最前列に居た。彼女とは後に再会する。

その後、プレゼンが開始。テレビ中継をご覧になった方が多いだろうから、詳細は省く。太鼓軍団と曲芸女性のショーがあり、そしてプレゼン。テレビ中継に映ったかどうかはしらないが、途中にサクソフォンを吹く女性とDJの簡単なショーもはさみながら進行。残念ながらサクソフォンの女性に興味のある人は少なく(自転車ファンが前列を占めていたので)、のりは今一。

僕はチームがそろうと、三脚に乗り写真。なるべく短時間で済ませて下りる。後方から文句がでるのが嫌だったからだ。

Saxo Bankの時は三脚を知り合いに譲ったので、あまり良いアングルのものがない。仕方ない。しかし、三脚持参の観客はほとんど居なかった。オランダ人は我慢強いのか、それとも面倒なことが嫌なのか。これが無きゃろくな写真はとれないだろうに。

もし、テレビ映像にシュレック兄弟の旗が映ったとしたらそれは僕の旗です。当日会場には他の旗はなかった。壇上のインタビューでフランクが僕の旗のことに触れました。お分かりですね。

そんな感じで終了。演出はいまいち。チーム間の間合いが長すぎる。長い橋を自転車でくるという演出(ロッテルダムは橋だらけだし、地元民の自慢なのだろうけど)はやり過ぎ、結局壇上での時間が少ないだけ。ファンからすると、全く自転車好きを無視した演出だ。考えたプロデューサーはダメ。失格。

残念ながら写真はまだ整理できてません。外付けのHDDに保存してあります。大きい容量なので、小さくしないととてもアップロードできません。

この日は、上記のオランダ人夫婦のアドバイス(彼等も宿泊してる)で近くのキャンピング場へ行く。3泊することになる。

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  1. 2010/07/07(水) 10:55:38|
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