The Matrix 4 Resurrections 2021I watched it. In essence, less Kunfu action and more talks because we (the audience) have a lot to catch up. Why and how Neo is alive again and so is Trinity is one of them. Explaining why and how takes place here and there and we appreciate those talks mostly.
I liked it. I am expecting the 5th movie soon.
In Japanese: 続きをどうぞ
The Matrix 4 Resurrections 2021マトリックスと日本語では言われますが、原語の英語だとメイトリックスですね。まあそんな発音はともかく、というか、僕は英語で映画を観るので、マトリックスと言われてもピンと来ないというか、イメージが湧きません。
そう云えば、高校生の頃からテレビで洋画を観る際は二ヶ国語放送の英語で観てました。一貫してそうでした。まあ英語が理解るようになるための訓練ですよね。
インターネット上のサイトにはもう筋書きが紹介されてるので、ここでストーリーに触れても問題は無いでしょう。それにこの文章を読んでる人も居ないし、まるで禅問答の、あれに似てます。英語圏でも非常に引用されて有名なやつです。
それは和訳すると、(と云うか、原文が日本語で、英語の方が訳なのだろうけど、きっと)「森の中で、木が倒れて、誰もそれを聞かなかったら、果たして倒木は音を立てたのか?」というものだ。
僕がここで、なにかを書いても、読む人が居なかったら、それは何かを書いたことになるののか?と時々自問するが、もともとこれが自分の日記なので、実は気にしてない。
これまでの三作は全て見てます。最初のDVDは日本で買い、その後の奴はドイツで買ったと記憶してます。多分。何度も繰り返して観てるので、内容は熟知してます。
さて、三部作の最終作で、ネオは死にました。トリニティーも同様です。最後の方で、ネオの亡骸をロボットが引きずって運ぶシーンがありましたね。その死体(死んでるとすれば)がどうなったかは描かれてません。
その後のシーンにて、黒猫が出てきて、マトリックスのリセットというか、リブートが行われるシーンがあります。その黒猫はデジャヴュを象徴する猫でした。今回の作品では首輪にDejavuとしっかり名前を書かれた状態で登場します。
またアーキテクトがオラクルとベンチで話し合うシーンもあります。その内容は「この機械と人類との休戦は続く限り続く」というものでした。
そして、オラクルとサティー(目的の無いプログラムである少女)の会話もありました。
一方ザイオン(英語の発音だと)では機械が引き上げて行くのを見守る人々が居ます。
これらの最後のシーンを思い起こすと、今作品はこれらの最終シーンを引き継ぐ形を取ってます。ちゃんとファンが覚えてる前作の最終シーンに繋げてるのが親切ですね。
また役柄的に前作から続く人達と、新たに加わった役者たちが居ます。果たして5作目が計画されているかはわかりませんが、あるとすれば、次回の主題が何になるのでしょうか。
今回は、新しい設定(一度死んだ主人公たちを復活させるに十分なストーリー)を紹介するのが大きな柱で、そして後に繋がる新たな問題の紹介ですね。
前作でマトリックスの責任者だったアーキテスト(意味的には建築家)は役目を終え、再起動したこの世代のマトリックスには別の人物(プログラム)がシステムの設計者(というか)になってます。その新システム責任者がちょっと意欲的な新プログラムを導入したという設定になってますね。それば、ネオとトリニティーを生かせて、再度マトリックスに繋げるということだった。
つまり、ネオは新世代のマトリックス内で生きてます。前世(一度死んだので)の記憶が一部残ってるので、その記憶と現在の自分の生き方の違いのギャップに悩まされながら生きてるという設定です。なかなか面白い設定ですよね。
とまあ、僕にはこのストーリーの続け方は充分に納得が行くものでした。つまり脚本、監督をしたワシャウスキー氏(今は女性だが)には敬意の念を持って今回の作品を歓迎してます。
機械と人類の休戦条約はまだ有効なのだが、今回はその休戦条約を人間側が破ったということになるのだろうか。次回作では、機械側がそれを理由に再度戦争を起こすのだろか。それが次回作のプロットなのだろうか。それともネオとトリニティーがマトリックスから脱出したことで、マトリックスに不具合が起こってしまって、そのために何かが起こるのだろうか。
そんな感じです。
今回は別の映画の出演があるということで、出なかったと言われるエイジェントスミス役のヒューゴ・ウイーヴィングだが、次回はどうなるのか。
そして、今回は声も掛からなかったと主張するローレンス・フィシュボーンだが、映画のストーリー中では、なんか監督と反りが合わなかったのかもしれないと思わせぶりな設定があったのを見て、ちょっと笑った。
それは、前作の機械との休戦後に、モーフィアスはザイオンでの人気が出て、指導者の立場に立ち、得意になった(天狗になった)、みたいなことが描かれてる。それは皮肉としてわざわざ挿入したストーリーなのか?
テーマ:映画レビュー - ジャンル:映画
- 2021/12/26(日) 01:07:59|
- Diary
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0