Category: 博物芸術
たゆまぬ努力の結果
国道46号線を雫石から逸れて来るところと言えば、此処。

小岩井農場まきば園。初めて入場しました。
しかし目的は、ファミリー向けのまきば園ではなく、こちら。

小岩井農場の中に残る、登録有形文化財を巡るバスツアーなんです。

料金1000円で参加すると、まきば園にも入場できるというわけ。

ご存知の方も多いと思いますが、改めてウィキペディアから。
小岩井農場は岩手県岩手郡雫石町にある日本最大の民間総合農場である。東京都の小岩井農牧株式会社が運営している。

岩手県盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2は雫石町、残り3分の1は滝沢村に属する。

1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。

当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。

1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。この後、後述の種鶏事業が1962年(昭和37年)より始められている。

1938年(昭和13年)より小岩井農牧株式会社として事業活動を行っており、現在は酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の事業を行っている。

宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている。

全く知らなかったのですが、この農場は森林を切り開いて作られたのではなく、全ての森は植林なんですね。

天然冷蔵庫も、国登録有形文化財。

説明がとても楽しいガイドさんは、関西出身だけど、岩手大学で酪農を勉強し、葛巻に牧場を持つ方。
週末はアルバイトで喋っているのでしょうか。

小岩井農場、昔は学校や宿泊施設も所有していたそうです。

小岩井農場の歴史や、ひとつひとつの由緒ある建築物の説明を詳しく聞くことができますが、下車して細かく観察することはできません。

今や小岩井で一番有名な場所になっている、一本桜もバス窓から。

咲いている時のレポートはこちら。
そして植林。世界でも貴重な法正林と呼ばれる実験が続けられているのだそうです。

こちらで一度だけ、バスから下車。一般車は入れない林道です。

見たかった登録有形文化財の建物とは全く異なりますが、とても興味深い場所でした。

80分ほどのバスツアーを終え、再びまきば園へ。薦められた濃い牛乳を一本。

バスで回った上丸牛舎が、すぐそばにあり、入場できることがわかったので、歩いてそちらに向かいました。

藤棚、岩手山、国内最古の煉瓦サイロ。

ここは入場無料です。

周りにも由緒ある牛舎が幾つも。

とても美しい写真を撮ることが出来る場所ですね。

ツツジも満開です。

お気に入りの場所がまた一つ増えました。

ありがとう、小岩井農場。
バスツアーの詳細はこちら。

岩手山、一周してしまいましたね。

ここでやっと昼飯です。

国道46号線沿いのやまなか家。
糞暑いのに、炭に火が。

しかし肉は我慢して、冷麺です。

盛岡名物ですもんね。

東北道に乗り、帰宅しました。

小岩井農場まきば園。初めて入場しました。
しかし目的は、ファミリー向けのまきば園ではなく、こちら。

小岩井農場の中に残る、登録有形文化財を巡るバスツアーなんです。

料金1000円で参加すると、まきば園にも入場できるというわけ。

ご存知の方も多いと思いますが、改めてウィキペディアから。
小岩井農場は岩手県岩手郡雫石町にある日本最大の民間総合農場である。東京都の小岩井農牧株式会社が運営している。

岩手県盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2は雫石町、残り3分の1は滝沢村に属する。

1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。

当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。

1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。この後、後述の種鶏事業が1962年(昭和37年)より始められている。

1938年(昭和13年)より小岩井農牧株式会社として事業活動を行っており、現在は酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の事業を行っている。

宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている。

全く知らなかったのですが、この農場は森林を切り開いて作られたのではなく、全ての森は植林なんですね。

天然冷蔵庫も、国登録有形文化財。

説明がとても楽しいガイドさんは、関西出身だけど、岩手大学で酪農を勉強し、葛巻に牧場を持つ方。
週末はアルバイトで喋っているのでしょうか。

小岩井農場、昔は学校や宿泊施設も所有していたそうです。

小岩井農場の歴史や、ひとつひとつの由緒ある建築物の説明を詳しく聞くことができますが、下車して細かく観察することはできません。

今や小岩井で一番有名な場所になっている、一本桜もバス窓から。

咲いている時のレポートはこちら。
そして植林。世界でも貴重な法正林と呼ばれる実験が続けられているのだそうです。

こちらで一度だけ、バスから下車。一般車は入れない林道です。

見たかった登録有形文化財の建物とは全く異なりますが、とても興味深い場所でした。

80分ほどのバスツアーを終え、再びまきば園へ。薦められた濃い牛乳を一本。

バスで回った上丸牛舎が、すぐそばにあり、入場できることがわかったので、歩いてそちらに向かいました。

藤棚、岩手山、国内最古の煉瓦サイロ。

ここは入場無料です。

周りにも由緒ある牛舎が幾つも。

とても美しい写真を撮ることが出来る場所ですね。

ツツジも満開です。

お気に入りの場所がまた一つ増えました。

ありがとう、小岩井農場。
バスツアーの詳細はこちら。

岩手山、一周してしまいましたね。

ここでやっと昼飯です。

国道46号線沿いのやまなか家。
糞暑いのに、炭に火が。

しかし肉は我慢して、冷麺です。

盛岡名物ですもんね。

東北道に乗り、帰宅しました。
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