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はてなキーワード: 老いとは

2026-05-11

高齢未婚男性の決まり文句BBA貧乳は無価値」「だからスペック高齢未婚男性妥協しろ

どんな相手でも結婚しただけで人生バラ色になり一発確変できると信じるのは男しかおらず、無職美人売春婦貢ぐ金持ちはいても、その性別逆は存在しない、女は加齢でいい相手が見つからなくなったら撤退できるが、男は死ぬまで諦められない上に親が老いて手遅れの年齢になってから婚活するので、婚活市場40代以降は男の方が多くなるのを認めない

要するに自分の力でトラブルや苦境を打破したこと地位や人脈を手に入れた経験もないから、親離れする前の子供のように女(母親相手にごね続ければ何とかなると思っている

もちろん母親以外の女も、母親と同じで無償自分奉仕するために用意された装置だと認識している

から上位婚狙いの女のように容姿家事能力や男に媚びるテクニックなどの女子力を磨かない

https://anond.hatelabo.jp/20260510224613

2026-05-08

女子枠やっぱ無くしたほうがええわ。

女子賛同している連中とか、女子批判批判している連中とか、で老いも若きもインテリもウマシカ女子枠も、性格が悪くなったり、攻撃的な人格になるやつがわんさか出てくるんだけど。

なんか女子枠を利用しつつ、落ちた男子誹謗中傷するやつまで出てきたし。

https://x.com/tatata_taruto/status/2052405433898582178

女子枠は単に公平性を損なうだけではなく、賛同する人の精神すらもおかしくするのだから禁止したほうがいいだろ。

平然と人間性IQ下がってるって。

2026-05-07

若い子を描いた漫画キャラで癒されて、自分自身はどんどん老いていくのは、悲しいよ

男同士の飲み会

学生の頃は単価3000円くらいの安い店

就職して収入が安定し順当に昇給していくとドイツビールやら日本酒やらウィスキーにハマるやつがちらほら出てくる

一回の飲み会が1万超えて「さすがに飲みすぎだろ!」とは思うが笑って許される感じ

みんなと集まって飲むのも数ヶ月に一回だし出費が痛手でも笑顔解散したいよね

結婚して子どもが出来ると飲み代が振り出しに戻って安くなる

間内独身がいても既婚者に合わせるのが普通だし

安い居酒屋でもいつものメンツで集まって飲めればいい

やがて定年が迫って来る

でもそこから先は老いてもずっと安い店

だって子ども独立する年齢からが老後資金貯金の本番だったりするしね

話す内容は少しずつ変わったけどみんなと飲むと楽しいという気持ちは昔も今も変わらない

みんな老人になっても集まろうな

2026-05-06

anond:20260506203311

反応ありがとう。こんなもんかな。

変化を起こすほどの危機感もなく、このまま年老いて朽ちていくのかな。

学歴あっても、金あっても、マジ意味ねえわ

2026-05-05

レコードも悪くない

独身である連休の予定はない。

なんとなく立ち寄った近所のハードオフジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。

レコードプレーヤー:3,300円(通電確認済み)

店内には中古レコードも置いてある。

からレコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。

サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。

帰宅して、狭いデスクプレーヤーを置く。

今の時代スマホタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。

「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。

!?!?!?!?!?

…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。

そこに、人がいるんだ。

レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。

ドラム振動空気を震わせて、俺の肌を叩く。

ボーカル息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。

解像度が違うんじゃない。

温度が違う。

音楽を消費している」のではなく、「音楽対峙している」感覚

聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。

レコード消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。

現代デジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。

でも、それって人間と同じじゃないか

ステージに立つ歌手だって一曲うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。

彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。

デジタルは、永遠に変わらない情報コピー

アナログは、共に老いていく命の共有。

一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード

それが重なったとき音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。

たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。

ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。

そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。

もし最近かに感動してないな、って思うなら今すぐ近くのハードオフへ行け。

そこにはサブスクじゃ絶対に手に入らない魂の震えが、3,000円くらいで転がってるかもしれないから。

anond:20260505101633

2026-05-04

レコードってやっぱすげぇんだな

昨日、なんとなく立ち寄った近所のハードオフジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。

レコードプレーヤー:3,300円(通電確認済み)

店内には中古レコードも置いてある。

からレコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。

サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。

帰宅して、狭いデスクプレーヤーを置く。

今の時代スマホタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。

「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。

!?!?!?!?!?

…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。

そこに、人がいるんだ。

レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。

ドラム振動空気を震わせて、俺の肌を叩く。

ボーカル息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。

解像度が違うんじゃない。

温度が違う。

音楽を消費している」のではなく、「音楽対峙している」感覚

聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。

レコード消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。

現代デジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。

でも、それって人間と同じじゃないか

ステージに立つ歌手だって一曲うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。

彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。

デジタルは、永遠に変わらない情報コピー

アナログは、共に老いていく命の共有。

一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード

それが重なったとき音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。

たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。

ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。

そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。

もし最近かに感動してないな、って思うなら今すぐ近くのハードオフへ行け。

そこにはサブスクじゃ絶対に手に入らない魂の震えが、3,000円くらいで転がってるかもしれないから。

亡国の音 ─ 2031年日本

日本が滅びる日には、もっと大きな音がするものだと思っていた。空襲警報とか、首都陥落の速報とか、国会議事堂の前に戦車が並ぶとか、そんな光景を、どこかで想像していた。

だが、実際には何も起きなかった。朝になると、テレビはいつも通り天気予報を流した。国会中継はあった。首相はいた。天皇もいた。役所も、警察も、自衛隊も、銀行も、コンビニも、まだ存在していた。ただ、すべてが少しずつ、頼りなくなっていた。

 

駅前ドラッグストアでは、鎮痛剤の棚の前で人が立ち止まるようになっていた。ロキソニンSも、イブAも、バファリンも、まだ並んでいる。ただ、値札を見ると、みんな一度手を伸ばして、結局戻す。

歯が痛い。頭が痛い。腰が痛い。熱がある。でも病院には行けない。予約は半年以上も先だった。初診料が怖い。交通費が怖い。検査になったらもっと怖い。調剤薬局で出される薬代も怖い。それでみんな、ドラッグストアに来る。

市販薬で一晩だけごまかす。もう一日だけ働く。もう少しだけ我慢する。

 

電気代は、また上がった。値上げの理由は毎回違った。中東情勢円安、燃料調整費、送配電維持費、老朽化設備更新費。理由だけは豊富だった。だが、請求書を受け取る側にとっては、理由などどうでもよかった。払えるか。払えないか。それだけだった。

夏は危険な季節になった。昔は「猛暑」と言っていた。今は役所が「生命維持上の注意期間」と呼んでいた。言葉を変えると、責任所在も少し薄まるらしかった。冷房をつけるか。電気代を払うか。食費を削るか。薬を買うか。そういう選択が、特別貧困ではなく、普通家計簿の中に入ってきた。

 

市役所福祉課の窓口には、番号札を持った人が朝から並んでいた。並んでいるのは、かつて「困っている人」と呼ばれていた人たちではなかった。どこにでもいる人たちだった。

壁には新しいポスターが貼られていた。「支援は、真に必要な方へ。地域で支え合う社会へ。自助・共助・公助の再設計。」

その言葉の下で、窓口の職員疲れた目をしていた。誰も悪人ではなかった。そこが、いちばん恐ろしかった。職員規則を読み上げるだけだった。申請者は事情説明するだけだった。政治家は「制度の持続可能性」と言うだけだった。新聞は「難しい判断」と書くだけだった。そして、誰かの暮らしひとつ、またひとつ、静かに折れていった。それは亡国の音だった。

 

国はまだあった。しかし、国に助けを求めると、まず証明を求められた。本当に困っているのか。働けないのか。親族はいないのか。資産はないのか。我慢できないのか。節約したのか。努力したのか。なぜ、そこまで落ちたのか。

2031年日本では、貧困審査対象だった。

 

地方では、バス路線がまた減った。病院診療日は週三日になった。郵便局は午前中だけ開くようになった。老朽した団地周辺からスーパー撤退し、日本人じゃない人たちが移動販売車でやってきた。老い住民たちは言い値で買うしかなかった。

雨の日には来なかった。燃料が高い日にも来なかった。運転手が辞めた週にも来なかった。老い住民たちは、きょうは来ないだろうとわかっていても、じっと車を待った。

 

都市部はまだ明るかった。だが、その明るさは、以前の繁栄とは違っていた。外国人観光客向けの巨大広告、富裕層向けの再開発マンション無人レジ警備員監視カメラ、会員制クリニック。

そんな空の下を、配達員自転車で走っていた。雨の日も、熱帯夜も、黄砂の日も。彼らは地図アプリの中では点だった。点は、遅れると赤くなった。

 

ニュースでは毎晩、「防衛力の抜本的強化」が語られた。海の向こうで有事継続していた。

防衛費必要だった。福祉必要だった。医療必要だった。教育必要だった。老朽インフラ必要だった。災害対策必要だった。すべてが必要で、すべてが不足していた。

積極的国債は発行された。増税もされた。給付金も配られた。補助金も出た。だが、それらは穴の空いたバケツに水を注ぐようなものだった。

 

誰かが言った。「日本はまだ豊かだ」

その言葉は正しかった。都心には自動運転自動車が走っていた。会員制のレストランには予約が入っていた。株価は上がる日もあった。企業過去最高益を出すこともあった。日経平均株価は史上最高値更新しています。だからこそ、貧しい人間ますます説明に困った。

国全体が貧しいのなら、まだ納得できた。みんなが沈んでいるのなら、まだ諦められた。だが実際には、沈む人間と浮く人間が、同じ街の同じ信号で並んでいた。片方はタクシーの後部座席にいた。もう片方は、配達バッグを背負って休みなく往復していた。

 

2031年の亡国とは、国旗が降ろされることではなかった。誰も責任を取らず、誰も全体を見ず、誰も「もう無理だ」と言わず、ただ一人ずつ、生活が壊れていくことだった。

ある日、市役所から封筒が届いた。薄い封筒だった。薄い封筒は、たいてい悪い知らせだった。中には、制度変更のお知らせが入っていた。文章は丁寧だった。丁寧すぎて、ほとんど何を言っているのかわからなかった。ただ、最後の一文だけは、はっきり読めた。

「今後とも、皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。」

 

そのとき、私はようやく理解した。

国が滅びるというのは、国会議事堂が焼け落ちることではなかった。国旗が降ろされることでも、首相処刑されることでも、外国軍隊が街を闊歩することでもなかった。

 

それは、痛み止めを買うか、夕飯を買うかで迷うことだった。

役所から届いた封筒を開ける前に、もう悪い知らせだとわかってしまうことだった。

助けを求めるたびに、自分が本当に助ける価値のある人間なのかを証明させられることだった。

 

亡国の音が、まもなく──

2026-05-03

そろそろ50歳だけど友人のアンチエイジング思考がなんか痛々しい

あと数年で50歳になる女なんだけど、最近同級生友達老いに対するヘイトがすごい

彼女は見た目が若々しい年齢不詳な感じのタイプなんだけど、会うたびに「肌のたるみがー」とか言ってる

いやたるむよそりゃ。もうすぐ50だよ?!

自分で嘆くだけだったらまだいいんだけど、最近芸能人に対してもその調子で「これは老けすぎだよね」とかLINE画像を送ってくる

自分が気にしてるから芸能人老いへも敏感なんだと思う

私も最近は肌はたるむし老いてきている

彼女はそれも影では評価しているのかと思うと嫌になってくる

しょうがなくないか日本人だったらまあ若く見えて女性として魅力的に見えるのなんて一般人なら40代前半くらいまでが限界だと思う

見た目を職業としていてスーパー課金しているのなら若くも見えると思うけど、そうでないのなら50近いなら普通に誰でも老けてるよ

そろそろ若い子と張り合うのは降りておばさんとして老いとつきあっていったほうが良いのではと思う

2026-05-02

AIの登場でこれまでのインターネットではなくなって、俺の居場所が狭まったなと感じる。

でも大体、これまでのインターネットにもどんどん虚無を感じていたし、俺の中ではずっとインターネットから面白いものが減って、衰退してるように感じてた。

でも、誰だって老いていくとそうなると思う。

俺は、一応AI使ってるから置いてかれることはない。ただ、使っていて面白くはない。これくらいのことは知っておかないとダメだよなぁと思って使ってるだけ。

結局、若者っていうか、今を生きる人々が楽しめていればいい。

それで何かトラブルが起きても、それは当事者同士で解決していけばいいのよ。

テレビインターネット面白くなくなっていくのは、何も不思議なことではない。

2026-05-01

anond:20260430104004

サッカーで言うと三浦カズ枠だから

老兵の生き様を楽しむ枠になってる

でも老いても楽しんでもらえるのはウメハラだけだから

唯一無二の広告力だよ

2026-04-28

モテない男が女性幻想を持ったまま年老いていくのを馬鹿にされる風潮があるけど

まさに自分のことであるなと思う

いわゆるオタ気質だったせいで学校に通っている間に彼女などできず挙句雇われになっても同人誌など作ってコミケで売る始末

ある日突然ファンだという女の子がやってきてスケブ描いてって頼まれた時は大変に驚いた

状況が把握できずに色々あって動転してプロポーズして結婚した

するだろそれは

それで結婚してから初めて女性というものを身近に見て幻想さらに強くなって今に至る

可愛い楽しいしなんだかふわふわしてるし

子供独立したらまた二人きりで過ごそうねって言われていま老後のために全力で働いてる

2026-04-25

anond:20260425224756

例えが難しい場合ゲーム想像して

 

殺そうとしてきた相手を助けるかどうなのか、

殺そうとしてたのに命乞いするのって都合よくね?と思ってな

 

リアルだと若い頃は散々虐げてたのに、自分老いから子供に謝って優しくしてもらおうとするのが同じようなことでしょ

にわかやすいように別のたとえも考えてあげたけど、というかこの質問真相はこっちだけど

anond:20260425185349

漫画家は長年仕事してると目が悪くなり握力が弱くなり手癖がついて楽に描ける絵を描くようになる

アニメーターキャラデザの手本に寄せて修正し続けるので年老いても死ぬまで絵が整っていて上手い

2026-04-23

弱者男性って父親になれないまま

老い子供のままなんだよね

グロテスクすぎません?

お伽草紙

太宰治


「あ、鳴つた。」

 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾かぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。

「近いやうだね。」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」

「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」

「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」

「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである物語創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである

[#改頁]

瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ

ミギノ ホホニ ジヤマツケナ

コブヲ モツテル オヂイサン

 このお爺さんは、四国阿波剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽歌舞伎芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて絵本を読みながら、その絵本物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独ものである孤独から酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである若いから無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。

「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、

「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しまから。」と言ふ。

 お爺さんは浮かぬ顔になる。

 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。

 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのであるしかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。

「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」

 言はなくたつていい事である

 お婆さんも息子も、黙つてゐる。

「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。

「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。

「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。

 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである

アルヒ アサカラ ヨイテンキ

ヤマヘ ユキマス シバカリ

 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、

「よい眺めぢやなう。」

 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、

「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、

「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、

いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分可愛い孫のやうに思ひ、自分孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのであるけふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、

「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである

ハカニ クラク ナリマシタ

カゼガ ゴウゴウ フイテキテ

メモ ザアザア フリマシタ

 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、

「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」

 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、

「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である

はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」

 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、

「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである

ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ

ツカレガ デタカ オヂイサン

イツカ グツスリ ネムリマ

オヤマハ ハレテ クモモナ

アカルイ ツキヨニ ナリマシタ

 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、

「これは、いけない。」

 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。

「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、

オヤ ナンデセウ サワグコヱ

ミレバ フシギダ ユメデシヨカ

 といふ事になるのである

 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いかである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇鬼才何某先生の傑作、などといふ文句新聞新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万醜悪綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである

 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである

 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、

「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物もつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐ種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかい言葉は、まるで無意味ものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、

「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく

ヲドリノ スキナ オヂイサン

スグニ トビダシ ヲドツタラ

コブガ フラフラ ユレルノデ

トテモ ヲカシイ オモシロ

 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、

むすめ島田年寄りやかつらぢや

赤い襷に迷ふも無理やない

嫁も笠きて行かぬか来い来い

 とかい阿波俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、

大谷通れば石ばかり

笹山通れば笹ばかり

 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。

オニドモ タイソウ ヨロコン

ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ

ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ

ソノ ヤクソクノ オシルシ

ダイジナ モノヲ アヅカラウ

 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。

 お爺さんは驚き、

「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。

アサデス ツユノ ヒカルミチ

コブヲ トラレタ オヂイサン

ツマラナサウニ ホホヲ ナデ

オヤマヲ オリテ ユキマシタ

 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。

「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。

「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失てゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである

 家に帰るとお婆さんは、

「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。

「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。

「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。

「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。

「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。

「うむ。」

「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」

「さうだらう。」

 結局、このお爺さんの一家於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24

anond:20260423151145

こんなとこで時間無駄にしてただ老いてるだけのやつが言うと説得力があるな

2026-04-22

人間より、高度なAIロボットの方が地球にふさわしいのでは?

高度なAIロボットなら戦争しないだろうし、合理的だし、部品変えればほぼ永遠に生きられるじゃん?

人間病気するし、老いるし、死ぬじゃん?

じゃあロボットの方が良くない?

俺もロボットになりたいよ

俺のデータロボットに移して、永遠に生きたいよ

マッチングアプリを始めてみたいとは思うもの

どうでもいい情報ではあるが、面白インターネットマンの皆様にレッテル貼りされるのも癪なので初めにスペックを載せておく。

また、はてな匿名ダイアリー特有暗黙のルール等は一切知らないのでご承知おきください。

年齢:30

経験素人童貞

職業企業勤めの研究開発職

年収:550~600

趣味動画制作ブログ更新ゲーム

さて、マッチングアプリというものにはずっと興味があるが、いかんせん良い印象がない。

よく言われているのは、変な人がいる、介護等の問題を抱えていて人手として期待される、ATM扱い、宗教などの勧誘いただき女子などなど…。

始めて見たら案外普通の人が多い、という可能性もあるし、実際インターネットで見かける事例なんてもの素人捏造だったり、大袈裟に言っている可能性もあるが、

どうにも私自身、普通の人を自称はしているが、変な人寄りではないかと思っている。

昨今はインターネットで発信することが珍しくなくなったとはいえSNSで発信されているものは返信欄を見る気がなくなるインプレゾンビ炎上狙いのアホ、対立を煽る青バッジなど。

こうなってくると内容を問わず、何かを発信している人自体評価が下がっているのではないか

そんな中、6年以上もの間、SNSではなく、わざわざ手間のかかるyoutubeへの動画投稿ブログ更新を行っている人間は恐らく変人寄りだろう。

しかも私の場合登録者も少ないなので動画活動金銭を得ているわけではない。

完全な無給。ボランティア

しか動画ブログは大して見られているわけでもないので承認欲求も満たされない(元々、そんなに承認欲求はないと思っているけど)。

時間をドブに捨てる行為。完全に変人である

変人マッチングしたくないなどと、のたまう割にはそういうお前はどうなんだ?状態。完全なブーメラン

また、私の妹の話にはなるが、本人はちゃんと働いていて自立しているとはいえ、生まれつき目が見えない重い身体障害を患っており、

今は私が何かする必要はないが、両親が亡くなった将来的には何らかのサポートをする必要があるだろう。

ちなみに私以外の家族関西に住んでいて、私は関東(東京ではない)で働いており、これもまた悩みの種である

"""

それに、仮にマッチングしたところで、30歳男性に何が待っているのか。

20代前半をチャラい男に弄ばれて捨てられた女性の「後始末」ぐらいが関の山ではないか

いや、20代ならまだその可能性にも希望はあっただろう。

しかし30歳、何なら1カ月もしないうちに31歳になる男には、いよいよ悲壮感が漂ってくる。

「今さら感」と「手遅れ感」のダブルパンチである

"""

そもそも、「20代前半はチャラい男と遊んだし、そろそろ手頃な男を捕まえて結婚しよう。できれば専業主婦悠々自適に…」みたいな打算的な相手は正直勘弁してほしい。

(ある意味賢いとは思うので正直好感は持てる。ただし、絶対に養いたくない。というかそんな稼ぎはない。)

だが、そのような企みを持った女性を見抜く目は当然持っていない。

ここにきて、20代のうちに女性を見る目を養ってこなかったことがボディーブローのように効いてくる。

から養う時間もないので、結局は分の悪いギャンブルに身を投じるしかないわけだが。

"""

あるいは、恋愛経験の少ない、いわゆる「喪女」とマッチングするパターンもあるかもしれない。

お互いに若ければ、一緒に色々と経験を積んでいく楽しさもあるのだろうが…。

30を過ぎた今となっては、そういう欲はあれど、そんな悠長なことをしている時間的余裕はない。

じゃあ前述の経験豊富女性でいいじゃないかと言われそうだが、それはそれで、何というか…他人食べ残し押し付けられているような、損をしている気分になってしまう。

(実際、私は肉食系ではないので生き残るには彼らライオンが一番おいしい所をいただいた後の残りで種を繋いでいくしかできないのだが。…自分で書いてて辛くなってきた。)

結局のところ、どう転んでも納得できないのである

"""

※"""で囲まれた2か所はAI添削してもらったら良くない文章だったらしいので直してもらっている

後は、アプリ登録した直後はマッチングやすアルゴリズムがあるというのを事実かどうかは定かではないが聞いたことがある。

(ちなみにyoutubeもその傾向があるらしい。これも本当かは知らない)

まり、私のような人間ではそのアルゴリズムボーナス間中相手を見つけないと詰みである

(実際youtubeチャンネルボーナス期間をフイにした結果全然伸びないし…。)

しかしそういった経験は皆無なため、ウケの良いプロフィール写真がわからない。

から始められない。まさに八方塞がり。

ちなみに出会い王道である職場相手を探すというのは完全に無しである

職種研究開発職ということで男の割合が多いということもあるし、上手くいくorいかないにかかわらず、後のことを考えると面倒臭いことこの上ない。

そもそも後先考えずに職場人間に手を出すような人間なら今ここにこんなことを書く惨状になっていないわけだが。

はいものの、先日、芸能人ガクトTwitterでこのようなツイートがあった。

https://x.com/GACKT/status/2042024450288447915

要約すると、ネガティブからってグチグチ言い訳を並べて行動を止めるのではなく、そのネガティブを行動するために使えというものである

正直、ガクトって胡散臭いイメージしかなかったのだが、意外と良いこと言ってるな…と思ってしまった。

からといって、何か行動するわけではないが。。。

残念ながらここで彼に盲信して彼の言う通りに進めるような純粋人間なら恐らくブログを書いたりしていない。

これを見て、ならさっさと行動すればいいじゃんと思う読者の方も…

いや、そんな人はいいか。わざわざこんな所を見に来るような人にそんな人間はいない。

今後は貴重な20代をくだらないインターネット活動に費やしたことを後悔しながら、年老いていく自分を眺めることになるだろう。

anond:20260422164339

少子高齢化から、年々若者価値は上がっているわけだし。

そして年老いていく自分価値は下がりまくっていくわけだし。

2026-04-21

オーディンまとめで別にいいだろ

ブックマーカーたちの過剰反応がハナにつく。

オーディンまとめで別にいいだろ。

個人攻撃のようなものを見た記憶がないし、露骨差別などもないと思う。

からオレは特段問題視してないんだがね。

ブクマカの方がよっぽど邪悪だと思う。

まず

オーディンがまとめた」ことしか指摘しない、具体的に何も批判しない

そういう個人攻撃って誹謗中傷と何ら変わらない。

「バッドボタンをハテブに導入すべき」って言ってる人たちさえいた。

あのね。

論理的に考えた自分言葉批判することで前に進んでいくのが論壇だろ。

シンプルに合わないだけなら見なきゃいい。

オレの尊敬してた往年のブクマカたちならば

オーディン以外にブコメをつけることで問題解決をはかっただろうね

もっと価値がある」と自分が思う記事ブコメをつけて、価値観を示していけばいい。

本当に正しい価値基準のもとでは間違ったものは淘汰されていくことになる。

自分価値感に本当に自信があるなら———試す覚悟をもてるはず。

老いあなたからポジティブエネルギーは消えて、冷笑して足を引っ張ることしかできなくなったなんて、オレは信じたくないよ。

2026-04-20

日本他国に比べて相対的経済成長していない(相対的貧乏になっている)のは事実だし、グローバル化によって昔よりも面白みが無くなっているのも事実だろうな

社会的空気としても、「出る杭は打たれる」が強化されてきていて、どの方向にしても強い主張は反発を招き、変化は恐れられ、均質化が良しとされる

社会全体の老い保守化みたいな感じだ

2026-04-19

弱者男性が狂ってるのは女を知らないことではなく

父親になれず子供のまま老いていくことなんだよな…

中卒で低学歴低賃金ブサイクですら立派に『父親』やってんのにね

生物的にも社会的にも異常で劣等な負け組、それが弱者男性

2026-04-16

かまいガチ第3回「イイ女になりたいねん」選手権を見ているのだが

相変わらずハイクオリティ女装

メイクさんの技量が凄まじい

女装している芸人たちの顔立ちが元々それなりに良いというのがポイントではあるだろうが

それにしたって凄いな

現代では、(ある程度の若ささえあれば)特殊メイクを施して別人になることも可能だな

(老いすら覆い隠す程のコスメ技術もあるけどね)

でもそれを毎日やったりキープしたりするのが面倒だから整形すんだよなあ

化粧大好きで化粧が趣味ならば、毎日楽しいだろうけどな

出来れば顔に何か塗るなんてことはしたくないし、それに時間もかけたくない

起きて顔洗ってそのまま出掛けられたら最高だよな(日焼け止めくらいは塗るかもしれんが)

長くはない人生の中で「面倒で嫌なこと」なんかに時間を取られたくないもんだ

しかも「更に面倒で嫌過ぎる『仕事』に行く前にソレをする」のは苦行だよな

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