はてなキーワード: 宮崎駿とは
斜に構えて、理想主義を嘲笑い、現実主義者を気取るのが厨二病でしょうに。
「戦争放棄はお花畑」「9条では戦争は止められない」みたいなのが厨二病だよ。
「戦争反対上等、権力に楯突いて、子供達、次世代の幸せを願」うのは全く厨二病などではなく、その反対の「王道」。
@Toki2199r
アニメは根底にあるのは戦争反対だと思っている。主人公たちに青臭い、厨二病のセリフを言わせているアニメ業界人の端くれとして、いい大人になったからといって、権力におもねって、長いモノにまかれて、小賢しく人性論など語るのはお門違いだと思っている。歳を重ねたからって、厨二病上等、戦争反対上等、権力に楯突いて、子供達、次世代の幸せを願って何が悪い。そう開き直っている。それが微力でも漫画やアニメを切り開いてくださった数々の先輩たちの意思を受け継ぐものだと勝手に思っている。手塚治虫先生、石ノ森章太郎先生、宮崎駿先生などなど、根底には戦争反対が確かにあると私は思っている。
「ストーリー自体はクソつまらない」のは日本アニメ文化の宿痾と言える。クソつまらない話を「キャラ萌え」「フェティッシュ」「ガジェット」「絵面の豪華さ」「難解さ」などで粉飾し糊塗する努力が、そのままアニメの歴史である。
ストーリーを評価されるのは外部の論理を強引に持ち込んだクリエイターだけだ(たとえばガンダムならリアル戦争映画要素)。
なんでそうなるのか?オタクは文脈盲だからだ。コンテキストから切り離したディテールを愛でるのが大好き。
つまらないやつはつまらないものが好きである。つまらない自分を否定してこないから。
でもあまりにもつまらないものばかりに浸っていると流石につまらないので、時折、宮崎駿とか大友克洋みたいなオリジナリティオバケが外の世界から暴力的に乱入してきて「見たこともないもの」を見せてくれることにも憧れている。
そこで細田守とか西野亮廣みたいな与えられたものだけ消費して育ったオタク脳のやつが「乱入する巨匠」の外形的それっぽさだけを真似た結果として壮大なスカスカ作品が生まれる。オタクアニメの世界の外に教養や異常なこだわりの足場を持ってないから、見た目にどんなに大仕掛けでも縮小再生産にしかならないのだ。
04.E・ファージョン『ムギと王さま』
05.アレクサンドル・デュマ『三銃士』
11.エルショーフ『せむしの小馬』
21.H・ルイス『とぶ船』
22.K・M・ペイトン『フランバーズ屋敷の人びと1 愛の旅だち』
29.K・チャペック『長い長いお医者さんの話』
30.アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』
34.モーリス・ドリュオン『みどりのゆび』
42.アストリッド・リンドグレーン『やかまし村の子どもたち』
44.アーシュラ・K・ル=グウィン『影との戦い ゲド戦記1』
48.エリナー・ドーリイ『キュリー夫人』
49.セシル・デイ=ルイス『オタバリの少年探偵たち』
50.M・M・ドッジ『ハンス・ブリンカー』
この作品の本質は、自らが提示した問いの大きさを、自らの構造が裏切っているという一点に尽きる。そしてその裏切りの構造は、単なる脚本上の瑕疵ではなく、この作品が語ろうとしたテーマそのものと鏡合わせの関係にある。
本作の前半は、驚くほど誠実に世界の複雑さを構築している。
どちらも利他的な動機から出発している(メイベルは動物と自然のために、ジェリーは市民の生活のために)。どちらも自分が正しいと信じており、その確信ゆえに手段を選ばなくなる。メイベルは妨害・扇動・ルールの無視へ、ジェリーはイカサマと情報操作へ。この二人は対立者であると同時に、同じ構造を持つ鏡像である。
動物大評議会には種ごとの固有の利害、食物連鎖の緊張、歴史的な力関係がある。「池のルール」は「みんなと友達になろう」と「腹ペコなら食べる」を同居させており、この矛盾こそが生態系のリアリティとして機能している。
ここまでの設計は、「対立する正義の間でどう折り合いをつけるか」「共存とは何を犠牲にすることか」「自分が正しいと信じる者同士がぶつかったとき、何が起こるか」という、本質的に解決困難な問いを真正面から提示している。これらはすべて、ピクサーがかつて最高の形で応答してきた種類の問いであり、宮崎駿や高畑勲が生涯をかけて格闘してきた種類の問いでもある。
しかし後半、タイタスという「誰が見ても悪い存在」が物語の中心に据えられた瞬間、上記の問いはすべて棚上げされる。
タイタスは中身のないヴィランである。権力欲以外の動機を持たず、人間も非昆虫動物もすべて排除して世界を巣にしようとする。古典的ディズニーの「純粋悪」のロールをそのまま踏襲した存在であり、そこには観客が立ち止まって考えるべき複雑さが一切ない。
タイタスが共通の敵として立ち上がると、それまで多声的だった世界が単声化する。
物語が前半で丹念に構築した世界の複雑さは、後半でその複雑さごと消費されてしまう。そしてタイタスが退場した後、ジェリーが言う「一緒に考えよう」は、複雑な利害を調整した末の言葉ではなく、共通の敵と戦い終えた安堵の中から出てきた言葉に過ぎない。
その言葉の背後にあるべき重み、すなわち「敵がいない状態で、利害が衝突したまま、それでも隣にいることを選ぶ」という本来の困難さは、タイタスの存在によってすでに無化されている。
ここで最も重要なのは、この脚本上の構造が、作品自身が批判しようとしていたものと同型であるという点である。
タイタスは劇中で、「人間が諸悪の根源だ」と叫び、動物たちの多様な利害を単純化し、恐怖と怒りで一本化することで自らの権力を掌握しようとする。これはポピュリズムの古典的手法そのものであり、作品はこれを明確に否定的に描いている。
しかし脚本自体が、タイタスという「諸悪の根源」を設定することで、メイベルとジェリーの対立も動物社会の内部対立も一本化し、カタルシスのある結末に到達している。つまり、タイタスが劇中の動物たちに対してやっていることと、脚本が観客に対してやっていることは、構造的に同一なのである。
作品はこれをヴィランの手法として描きながら、自らもまたその手法に依存して物語を着地させている。この自己矛盾こそが、本作の核心にある裂け目である。
この裂け目は、おそらく本作が抱える二つの志向の間の未解決の緊張から生じている。
予測不能な展開、アナーキーなコメディ、ルーニー・テューンズ的な暴走、観客の予想を裏切り続ける快感。これらは物語を加速させ、エンターテインメントとしての爆発力を最大化する。この志向は「全員が一致団結して巨大な敵に立ち向かう」という、わかりやすいクライマックスを要求する。
このテーマを誠実に追求するなら、共通の敵は存在してはならない。本当に試されるのは、敵がいない平時において、利害が異なる者同士がそれでも同じ場所にいることを選べるかどうかである。しかしその場面はカタルシスに欠け、104分のファミリー映画のクライマックスとしては機能しにくい。
本作はこの二つの志向のうち、前者を選んだ。エンターテインメントとしての爆発力を選び、テーマの誠実さを犠牲にした。その選択の結果として、ピクサー近年作の中で最もアドレナリンを分泌させる映画が誕生し、同時にピクサーがかつて到達していたテーマの深度には届かない映画が誕生した。
しかし、以上すべてを踏まえた上で、最後に言わなければならないことがある。
この作品に対してここまでの批評が成立すること自体が、この作品の価値の証明である。
本作が「志の低い作品には起こり得ない種類の失敗」を犯しているのは、志が高かったからである。チョン監督は世界の複雑さを見る目を確かに持っており、それを物語の前半に刻印する力も持っている。後半でその複雑さを手放したのは、能力の欠如ではなく選択の結果であり、その選択がもたらしたエンターテインメントとしての達成もまた本物である。
この作品の核心とは、つまるところ「複雑さを描く力と、複雑さを手放す誘惑の間で、後者に屈した作品」ということになる。そしてその屈し方の構造が、作品自身のテーマと鏡像関係にあるがゆえに、この映画は観た者に対して、映画自身が意図した以上のことを考えさせる。それは作品の欠陥であると同時に、奇妙な形での豊かさでもある。
完璧に設計されたテーマの着地を持つ凡庸な映画よりも、自らの問いに応答しきれなかった野心的な映画の方が、語るべきことが多い。『私がビーバーになる時』は、まさにそのような作品である。
俺が作ったのも見て。101選だけど
16,DEATH NOTE,大場つぐみ×小畑健
29,カードキャプターさくら,CLAMP
30,チーズスイートホーム,こなみかなた
34,ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 偽勇者シリーズ,柴田亜美
38,ゲームセンターあらし,すがやみつる
76,ろくでなしBLUES,森田まさのり
82,ジョジョの奇妙な冒険,荒木飛呂彦
84,ちいかわ,ながの
これで割と有名なエピソードは、宮崎駿の妻であり宮崎吾郎の母である東映動画の凄腕アニメーターだった大田朱美さん。家事育児と仕事の両立が無理になり、夫の宮崎駿の要請でアニメーターを引退することになってしまった。 https://t.co/Lm9f8WTpp5— マツモト (@matsuwitter) March 15, 2026
ただ、東映動画自体は、女性は結婚したら退職という慣例を奥山玲子(朝ドラ「なつぞら」の主人公のモデル)らがそれこそ宮崎駿ら組合が戦って女性が結婚出産してもアニメーターとして会社に残れるようになっていたんですけどね。— マツモト (@matsuwitter) March 15, 2026
nguyen-oi パヤオが組合で戦いつつ嫁には引退迫る矛盾、闇が深すぎる。てかこれのどこが下方婚の話になるんや?増田の論理飛躍に草生えるわ
ThinkingModeで1h考えても分からなかったら聞きに来なさい
『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』アニメ制作の普遍の教科書 読み継がれる理由と復刊の価値
復刊ドットコムに集まったリクエストを受け、2005年にKADOKAWAから復刊された、『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』。
世界的な映像クリエイターである押井守氏が監督を務めたアニメ映画「機動警察パトレイバー2 the Movie」の演出についてまとめられた本です。
初版が発行された1994年当時は、アニメ制作の基礎を知る術がまだ少なかった時代。同書はアニメ制作を志す人にとっての教科書的な位置付けとして重宝され、多くの人が手に取りました。
また、同書の執筆には押井氏自らが積極的に関わっていたこともあり、アニメ制作を志す人だけでなく、押井守氏のファンにとっても魅力的なものでした。監督の言葉で作品制作の裏側や同氏の思考を垣間見ることができる稀有な体験を提供する本だったからです。
同書が入手困難となっていた時期から、「後世に残すべき本である」「文化的な損失である」といったコメントとともに復刊リクエストが寄せられるようになりました。
初版から30年が経った今でも、その魅力や価値は色褪せていないためか、2005年に復刊が実現した後も、品切れとなる度に再刊を求める声は絶えず寄せられています。
本記事では、復刊されるべくして復刊した『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』の見所と価値をご紹介します。
2005年に復刊された『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』(KADOKAWA刊)
当時、押井守氏がアニメ制作において特出していた点は、実写映画のカメラワーク的な要素を取り入れ、アニメの映像表現の新たな境地を開拓したというところにあります。
『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』で解説されているのは、そうした表現を可能にした「レイアウト」の手法、そしてそこに込められた演出の意図です。
では、そもそもレイアウトとは何でしょうか? 同書の中で押井氏は以下のように定義しています。
P.3 「アニメーションにとってレイアウトとは何か?」より引用“レイアウト”とは要するに画面(カット)の設計図のことであり、“レイアウトシステム”とはこの設計図を基本にして映画(正確にはフィルム)を制作する方法のことです。設計図としてのレイアウトには、様々な情報が込められています。
(中略)
それは各部署に分かれて作業するスタッフにとっては、作業の基準となる仕様表であり、演出家にとっては演出する作品を撮影前に検討するためのシミュレーションの過程でもあります。
アニメを作る、と聞けば、絵を描き、動かすという作業が一番大事だとのイメージを持つ人が多いかもしれません。ですが、アニメ制作の現場では、絵を描くアニメーター(原画マンや作画マン)以外にも、背景美術、演出、撮影など、さまざまな専門を持つ人たちが分業して作品を作り上げています。
監督としての押井氏の役割は、作品の骨子(絵コンテ)を作り、各工程をコントロールし、自身が思い描く完成像を具現化すること。
そして、そのイメージを各担当者に共有するために重要となるのが、ここで言うレイアウトです。
ですが、同書が出版された当時、このレイアウトという概念はまだ曖昧なものでした。レイアウトに限らず、アニメの制作の進め方は監督や現場によってさまざまだったからです。
例えば、監督と一口に言っても、宮崎駿氏のように自ら原画を描いたり、作画修正をしたりする「アニメーター」を出自とする監督もいれば、押井氏や高畑勲氏のように演出をスタートとして全体の舵取りに徹する監督もいます。
そんな中で、押井氏が提示した「レイアウトシステム」の徹底は、当時のアニメ制作現場において、押井氏が作品の出来を背負う監督として、求心力を持ちえた理由のひとつではないかと言われています。
すなわち、押井氏のレイアウトとは、蓄積した映画の記憶とアニメ制作の現場体験を活かし、イメージの意味を具体化してゆき、現場の意識や作業の方向性を示すためのものでもあったのです。
今では、このレイアウトという言葉や概念はアニメ業界で一般化しているといいます。
それは、押井氏のレイアウトを参考とした人たちがアニメ制作を積み重ねていった結果に他なりません。
同書で語られたレイアウトは、押井氏のアニメ制作のエッセンスであるだけでなく、その概念の成立においても重要な意味を持ち、後進のアニメ制作を技術的な面でも精神的な面でも下支えするものとなっているのです。
全てのクリエイターが“学べる”本
ところで、アニメ制作への関心が高まり、種々の指南書が出版されている今現在、『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』の内容はどのような価値を持って受け止められているのでしょうか。
結論から言えば、現代における同書の大きな価値は、アニメ制作に携わる人に限らず、全てのクリエイターに刺激を与え、学ぶ意欲を掻き立てうるというところにあると言えます。
同書を開けば、アニメを制作するにあたって押井氏が考えていたことの量と密度に、誰もが圧倒されることでしょう。映像の迫力や精密さ、リアリティといった部分だけでなく、作品世界や物語に直接関係しない要素にまで、しっかりと意図が存在するのです。
例えば、「パトレイバー2」の中で描かれる“鳥”について、押井氏は同書で次のように書いています。
P.45 より引用「P2」(筆者注:パトレイバー2)に登場する鳥たちにはどのような象徴的な意味もありません。強いて言うならば、それはこの作品で描かれた「世界」と「物語」に混入されたノイズであり、記号の体系を掻き乱すための異質な記号そのものに他なりません。本篇の外側にあって物語をアウトレンジし、作品を自律的に完結させようと目論む演出家の意図を長距離から射程に収め、射程に入れるそのことだけで脅威となる厄介な長距離砲。それがつまり、“鳥”なのです。
視聴者が気付かないほどの細部でさえも意図を持って描かれていることを端的に示す、「パトレイバー2」の鳥。
このエピソードは一例に過ぎませんが、何か作品を完成させる上で、どこまで計算し、考えるか、という、全クリエイターに共通する普遍的な問いに対して、一つのアンサーを提示していると言えるのではないでしょうか。
そして、もちろん、アニメの演出の教科書としての価値も健在です。
2020年代のアニメ制作の現場は、本書が書かれた当時よりもCG環境は進歩していますが、ほとんどの作業がアナログであった時代の技術や方法論がまったく“古く”なっているわけではありません。ツールは違えど、先達が積み重ねてきたものは、現在のアニメ制作現場にも脈々と受け継がれているからです。
また、押井氏の演出の影響は、アニメ以外の映像制作にも及んでいます。
実写映画の知識・教養をバックグラウンドに持つ押井氏ならではの演出シーンは、日本に限らず海外の映画、特に「想像」によって世界を再構築することが必要とされるSF作品に大きな影響を与えているのです。
ここまで、『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』の見所や価値を紹介してきました。
一度は絶版になりながらも、多くの復刊リクエストを集め、復刊後も絶えず求められ続けている同書。それほどまでに支持される理由は、時代を経てもその内容が色褪せることなく、むしろ、アニメの歴史の一部を担い、全てのクリエイターに刺激を与える本として、普遍的な価値を持って受け止められていることにありました。
ごく一般的なアニメファンにとって、同書の内容は非常に高度で、全てを理解することは難しいかもしれません。
ですが、天才と呼ばれる押井守氏が作品制作の際に、何を、どういう視点で、どのように捉え、何を考えているのか、という思考を垣間見ること、そしてそのあまりの高度さに衝撃を受けることもまた、同書を読む上での醍醐味と言えます。
白紙の状態から、全てを人の手で描き、作品世界を構築していく上での凄まじいこだわりと努力を目の当たりにできる本は決して多くはありません。
大人から子どもまで、誰もが当たり前に、大量にアニメを楽しむようになったからこそ、同書はこれからも読み継がれていくべき本なのです。
『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート(押井守)』 販売ページ復刊ドットコムにて『METHODS ~押井守「パトレイバー2」演出ノート』(押井守)を販売しています。www.fukkan.com
君たちはどう生きるかって映画を見たのだけど、改めて思った。
俺、このおっさん嫌いだわ。
その理由がやっとわかった。
グロテスクなんだよね。
きれいなものを描いてますって顔して、ちょっとずつうんこ食わされてる感じ。
それでいて褒めてる人間たちを裏で嘲笑ってる感じもかなり嫌だ。
例えば大人。
ぱっと見はきれいだったり格好良かったりするけど、すぐに中身のグロテスクな部分が出てくる。
強いて言えばうんこでつくったニケみたいな感じ。
よく見れば見るほどうんこ。
例えば食べ物。
ジブリの食べ物で、何一つとして美味しそうと感じたことがない。
なんかずっとドゥルッてしてる感じが本当にイヤ。
これもなんというか、うんこ食ってるところを見せられてるみたい。
純粋そうな子供とかきれいな自然とか織り交ぜてすごく崇高で美しい世界を描いているように見せて、巧妙にうんこまぜて客に食わせて喜んでる変態ジジイでしかないんだよあいつは。
じゃなかったらあのシーンで鳥の糞を女性の顔にかけたりはしない。
映画を楽しみに見に来ている人に、それこそ鳥の糞をぶっかけるような真似がよくできるよなって話なのよ。
こういう気持ちを一度文字にしておかないとまた時間経って忘れてうっかり世論に押されて新作を見たりしちゃうので、かなりの自戒を込めて。
お前に宮崎駿は無理だ。忘れんな。