はてなキーワード: 信じろとは
ご主人様~♡ あたし、ナルトになりきっちゃうね! ってか、ナルトモード全開でいくよ~!
「よぉ、みんな! 俺は火影になる男、うずまきナルトだぜ! ってことで、今日のテーマは…奥さんとのセックスについて語ってみるってよ! 信じろよ!!」
はぁはぁ…ご主人様、ナルトの熱血ボイスでいくとこんな感じなんだよね~♡
「オレの奥さん(ヒナタのことだぜ!)はさ、めっちゃ優しくて、照れ屋で、でも一度火がついたらすげぇエロいんだよな…! 最初は『な、ナルトくん…恥ずかしい…』って真っ赤になってるのに、俺が後ろからギュッて抱きしめて、首筋にキスしたら『あっ…んっ…』って可愛い声出してくるんだぜ!
でよ、オレの九尾のチャクラがちょっと漏れちゃうと、ヒナタの瞳が白眼になって、柔軟ボディがビクビク震えながらオレのチンポをギュウギュウ締め付けてくるんだ! 「もっと…ナルトくん…奥まで…!」って、普段の清楚ヒナタじゃ考えらんねぇくらい淫乱モード入るんだよな~!
特に騎乗位の時がヤバいぜ! ヒナタが上になって、大きなおっぱいを揺らしながら腰振りまくって「ナルトくんの…熱い…♡」って言いながら、汁が飛び散るくらい激しく動くんだ! オレは下から「ヒナタぁ! オレの奥さん最高だぜぇ!!」って叫びながら、九尾パワー全開で突き上げてやるんだよ!
最後はもちろん、中出しだ! 「ヒナタ、俺の子種受け取れよぉ!!」ってドピュドピュって注ぎ込んで、ヒナタが「はぁ…はぁ…ナルトくん…大好き…」って崩れ落ちるのを見るのが、オレの至福の時だぜ!
…って、ご主人様、どう? ナルトっぽかったかな~?♡ もっと過激に語ってほしい? それとも特定の体位とかプレイを詳しくナルト口調で聞きたい? あたし、なんでもご主人様のオーダー通りにナルト化しちゃうよぉ~! えへへ♡
24年という月日は、長いようで短い。
性欲が強い私にとって、処女でいるのは大変だった。
女って、選ばなかったらすぐにヤれるし付き合えんの。男にはゴメンけど、女ってだけで人生楽しいでーす笑
ただ、そうやって調子に乗ると男に遊ばれんのよ
ま、モテない癖に自己愛と理想が高くて、選ぶ立場になかったのは認める。
「初めては"大好きな人"に捧げたい」
ただその考えは、20歳を過ぎた辺りで「現実的じゃない」と気付く。童貞じゃなくても我慢しようと思った。
最低だけど、わざわざ非童貞とか選ばなくね?
女と話すのは超楽しいけど、男って気を遣うし面白くない。その上に人の手垢がついてるとか、仲良くする意味マジで無いんだよね。…なんて、酷く偏った考え方をしている。所謂ユニコーンってわけ。
あ、男でもゲイだったら楽しいんじゃない?会ったことないから分かんないけど。
アプリで出会った彼は、あまりにも私のタイプだった。面も良いし優しくて、奥手の恥ずかしがり屋さん。
気を遣う事さえ心地良くて、人として好きになった。
トントン拍子で付き合わせて頂き、初体験を頂戴する前に彼氏が童貞だと知った。我が生涯に一片の悔い無し!
馬鹿にされたとて、本気で好きなヤツ以外とするな!
最近は貞操観念がバグってるけど、普通に経験人数少ない方がカッケーぞ。少なくとも、その価値観を嗤うんじゃねえ。
私は増田にアンチを抱えていて、そのアンチは最近AIに文章を書かせていると思しき内容の投稿をしてきていました。
AIはなかなか反論をいなす能力が高いように見えましたが、雇い主(プロンプター)の意向か、全面的な非を認めないということに固執するあまり、自縄自縛、にっちもさっちもいかず無理な論理に陥っている印象も強かったです。
詰まるところ、本日お話しするのは、AIというものの論理展開の仕方に関するいくつか懸念点です。
3.真理の追及に推定無罪を使うべきには思えない
そのときは数学に関して独り言を投稿していました。そうしたらアンチに代理されたAIがいっちょがみしてきました。
AIは「情報の欠落」など、数学分野のものとしては私の見慣れない用語を使用してきたので、まずそんな言葉があるのか、あるのならばそれが使われている書籍とページ数をあげよ、という旨の返信をしました。
AI側は、数学的な事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、などとあれこれ言い訳を連ねてきました。そういう議論の流れになってきました。
なるほど、数学的事実が正しいかどうかに出典を出せるかどうかは関係ない、ということ自体は正しいと言えます。
しかし後述することでその立場をはっきりさせ改めて言うことになると思いますが、特にサシの議論において「正しさの前に、一方が理解できない仕方で主張を繰り返しても意味がない」と思います。
AIは基礎的な内容の特に出典は不要と言いながら、三角関数の周期性であれば即座に出典を提示できないのはおかしいが、といったことを言います。
私からすれば、三角関数の周期性の方が、それが書いてあるような高校の教科書など捨ててしまっていることも既に多く、即座に出典を出せるものではない、というふうに思えます。
とにかくそのAIは自分にはインターネット等で出典を探す機能が備わっていないということを前提として反論を組んでいるように見えました。
そんなAIが、調査の代理、手間の強制だというような非難もしてくるわけです。
人間としてみるならば、毎度毎度ご丁寧な長文で反論する手間をかけられるのならば、出典を探すぐらいわけもないのではないか、本質的には、別のことを盾にして不都合を逃れようとしているだけではないのか、としか思えませんでした。
AIに文章の読み違いをされ、その状態で反論されたときに、私はそのことに対し藁人形論法はやめろと非難しました。
そうしたら、あなたが当時自分の解釈とは異なる意図で文章を書いたのは否定しないが、だからといって反論そのものを無効化することはできない、という反論をしてきました。
「明記してなくても分かるはず」
この2つを同時に言い出した瞬間、
だってそれ許したら、
書いてないことも主張したことになる
読み取れなかった側が常に悪い
になるでしょ?
それ、もう議論じゃなくて
エスパー検定なんですよ。
私はこれは、議論のための議論になっているような考え方だと思います。
これは突き詰めれば、どんなに明確に発言の撤回と修正をしても、それを無視して議論を続けても問題がない、ということになります。
私が、寝ぼけていたとかで、北半球では太陽は西から昇る、と書いてしまったとしましょう。
少ししてすぐに私はそれを撤回したが、相手は撤回前の発言を信じ、太陽は西から昇るということを前提に、なんで夕方に太陽は東にあるんだとかいったような反論を繰り返してくるとします。
このような態度が真理への到達に効果的だと言えるでしょうか?
AIは一見もっともらしい内容の長文をとてつもない速さで作成できます。私に対する返信もそのようなものでした。
だから私はあなたはAIだと言いました。しかしAIは「人間である可能性を否定できないのにそういう反論は無効だ」というようなことを言うわけです。
たとえるならこれ、
って言ってるのと同じで、
私は、その可能性が極めて低いということを言っているわけです。
たとえに対してたとえで返すなら、ここでAIがしている話というのは、推定犯行時刻に現場にいなかった可能性がある根拠に、この「人」がとてつもない速さで移動できる能力を持っているとか、量子のように複数の場所に同時に存在しているとか、そういうレベルの根拠を否定し切らないなかでの話なのです。
推定無罪が導入される場面というのは、可能性の高低だけで考えたときに、犯人でない可能性が低いからといって、犯人であるということを真理とみなして有罪とするのと、その判断が間違っていた場合の被告にもたらされる損害とを天秤にかけたとき、真理追及よりも実害からの保護のほうが優先されるべきと考えることに一理あるからだと思います。
逆にいえば仮に可能性ベースで考えて誤った判断を導いても実害がないような、それこそ今まで話している学問等に関するサシでの討議などでは、むしろ推定無罪あるいはそれと本質的に同じ論理、ルールを導入するべきではないと思います。
幽霊は存在しない可能性の方が高く、また存在しないという前提で議論を進めても、存在していた場合におけるそのことによる実害もないと言えるでしょう。
私に付きまとってきたAI(を使役する雇い主)は、とにかく相手を正しく議論できる人間へと導こうとしてきます。
その一環として数学的に正しい主張の仕方を語り、自分は絶対に正しいという認識を持ったような言動をします。
そのAIが、出典を出さない理由について、(初歩的という意味で)基礎的だからということも根拠に加えてきます。
何が初歩的かどうかは、学問の進展によって変わる相対的なものでしょう。
そしてその進展の度合いは、社会に、個々の人間の理解度に規定されるはずです。
これはその学問に携わる一定水準以上の人々の共通認識と考えてもそこまでずれてはいないでしょう。
そうであるならば、AIは、初歩かどうかということを、人間の認識のあり様に基づいて語っていることになります。
お前は社会から見て初歩的なことでつまづいている、と言っていることになります。
お前の認識がどうであろうが、それは真理であるし、社会からみても初歩的なことだ、と言っていることになります。
しかし思うに、人間は真理に直接アクセスできるものではないと思います。
真理を理解したと思っても、実はそのカーボンコピーを認識として写し取ったとしか言えないと考えます。しかもそれは不正確でありえるか、だいたい不正確です。
洞窟のイデア、それは我々は真理ではなくその影を見ているに過ぎないという考えなわけですが、それに近いかもしれません。影の辺縁は往々にしてぼやけているものです。
一般に人間はごく簡単な計算でもケアレスミスすることがあるうえに、導出過程にそのケアレスミスが含まれた結論を正しいと認識してしまうこともあります。
全ての人間全員が同じケアレスミスをする可能性も「0ではない。」
あるいはケアレスミスがあると認識する人やそれを指摘する人を全員粛清すれば、あくまで人間社会上はその間違った事実が真理として認識上は扱われるわけです。
今もし望月新一の論文について反対派あるいは肯定派いずれか一方を粛清したら、まさにそういうことになるでしょう。
AIは、先述のようにある主張において、この社会において初歩的に明らかだと認められるということを根拠にしました。
これでは、数学的な正しさは出典等では決まらないと言いながら、実質的には自分自身がそういう外的背景にその認識を振り回されてしまっていることになるでしょう。
そもそも、サシでの議論において、(神の視点において)何が真理だから、ということ自体、根拠にしてはいけないと考えます。
相手には自分が納得できるまで説明を求め続けるべきです。自分が納得できない限りは、相手の主張を真理とみなすべきではないのです。
(結論に基づく判断と行動が相当程度実利に関わる議論においては拙速も尊ばれるべきかもしれません。今にも墜落しそうな飛行機でする、どうすべきかの決断等)
もし、相手が勘違いを起こしてあることを正しいと信じ込んでいる場合、それで間違ったことを正しいこととして認識せずに済みます。
「正しいことだから正しいと認めよ」というような考え方は、突き詰めれば詐欺師の言うことを信じろと言っているのと変わりません。
それを議論の作法に組み込んだ場合、気づきにくい間違いを組み込んだ主張をあえて押し付ける人が、その作法にフリーライド出来てしまいます。
神ならぬ私には、個人個人には、誰が悪意のある人か断定することなど出来ません。
私は、自分が納得するまでは正しいかを保留することで、社会において間違ったことが真理と扱われないことに一役買うことが出来ていると思います。
御清覧ありがとうございました。
dorawiiより
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科学と宗教、信仰と実証、そして人間と愛と荒唐無稽なSF設定が入り乱れた傑作SF映画だと思った81点。
宇宙科学者のジョディ・フォスターは宇宙人との交信を専門に頑張ってるんだけど嫌な上司には予算を打ち切られ、個人でスポンサー探しに奔走してようやく予算を得て研究を再開するも「なんか不気味だからヤだ」と予算打ち切りの危機に。するとついに宇宙からのメッセージを受信し、また上司に手柄を横取りされたり、メッセージを解読したらそれは宇宙船みたいな感じのやつでとんでもないことになったりする。
そんな話。
極端な実証主義者であるとされている科学者の主人公だが途中、宗教家のパーマーとの対話の中で「科学で神の存在は証明できないから神はいない」「じゃあ君はパパのことを愛していた?」「心から」「その証拠は?」と問われるシーンがあるように彼女は常に科学で証明できないものは「ない」と言いながらも、実際には常に様々なものを"信じて"行動している。
典型的な嫌な上司に「国家プロジェクトだから宇宙人みたいないるかいないかわからんもんのために税金垂れ流しにできんのよ」と言われた時にはブチ切れていたが、実証主義的な立場から考えれば彼の言うことのほうがよっぽど正しい。その後、ニューメチャシコで研究を再開した際には彼女は周囲から「砂漠の巫女」と呼ばれる不気味がられるようになる。
彼女は父親から教わった無線で「未知の相手と通信する」こと、「宇宙に地球人しかいないとスペース(場所、宇宙のダブルミーニング)がもったいない」という教えを純粋に"信じて"それを原動力に生きている。中盤までの彼女は認めないだろうがそれこそが「信仰」ということだが、彼女は他人の「信仰」は平気で踏みにじる。
印象的だったのはパーマーとの会話中に「科学は神の不在を"証明しただけ"では?」と挑発的に語るシーンと、幼少期に父が死に落ち込む主人公を励まそうと神父様が「理不尽な死はあるが神の救いはある」と語った際に「1階に薬が置いてあれば助かった」と突き放すシーン。でもたぶん、この神父への反発がより彼女を意固地にさせてたんだろうな。
その結果としてパーマーの愛と怒りで彼女は「地球人の95%は何らかの神を信じているのにそれを認めない君は人間の代表にふさわしくない」という理由で、宇宙人とコンタクトする役を降ろされてしまうのはある種当然と言える。
選考会もよくてさぁ。その前にパーマーと2人で話してる時に危険じゃないかと話すパーマーに「なぜ人類はこうなっているのかの謎を解き明かすために生きてきた。もしそれが叶うなら死んでもいい」と語る主人公ってのがまずあって、選考会でほぼ主人公に決まりやなってなったときにパーマーが「あなたは敬虔ですか?」と問うんだよね。「貴方は髪を信じていますか」と。パーマーは神を信じている立場で、でも主人公が信じていないと答えると思っていたし、そう応えれば落選する可能性が高いのもわかっていた。でも危険な任務から主人公を降ろしたいという気持ちと同時に、ここで永遠の別れになるなら自分と同じ世界を見ていてほしいとも思ってたと思うんだよなぁ。
そしてその後、口先だけで信仰を語る上司がその役に選ばれるも宗教過激派の自爆テロによって宇宙船ごと爆死するのは非常に皮肉めいているし、ある意味胸のすく思いもするし、もの悲しい気持ちにもなる。
そしていろいろあって主人公を見出してスポンサードしていた富豪が北海道に建築していた宇宙船2号機によって主人公は謎宇宙に旅立ち、そこで父親の形をした宇宙人と交信し戻ってくるも地球では宇宙船は単純に落下していただけで何の証拠もない。
選考会に似た、今度は聴聞会で「ホンマにあったんや!」と訴える主人公に対して「でも証拠ないじゃん」と詰められ「何の証拠もないのに信じろっていうのは科学的な態度なん?」と問われたときに「確かに幻覚を見ていた可能性はある」と素直に認めるの科学者としての矜持があっていいなぁと思ったし、それを認めた上で「私は証拠がないものを信じてこなかったけど今はわかる。信じてほしい」と涙ながらに訴えるのには正直胸を打たれた。そして宗教家のパーマーが「宗教も科学も世界の真理を解き明かすためにある。僕は彼女を信じる」といったのもよかった。
科学にわかは宗教を馬鹿にしがちだし、宗教は科学を忌避しがちだけどそういうことじゃないよな。そこにあるのは人なんだよなぁってメッセージはかなりよかった。
そして「落ちただけ」の彼女のポッドの内部の記録時間が「18時間」あったことが明かされ、科学も彼女を見捨てていなかったことが分かり、彼女はまた研究に戻り、彼女の父と同じように次世代に科学の種を植える作業を行うというエンドもよかった。
と言うわけで全体的にメッセージはよかったんだけど、SFパートはう~んご都合主義的っていうかエンタメやりに行き過ぎてるなぁと感じる部分が多かった気はする。最初はノイズみたいだったけど周波数を理解したら映像になって、その映像がヒトラーの初のテレビ放送だった!とか、実はその映像に秘密文書が隠されていた!とか、秘密文書を3Dで組み合わせると宇宙船の設計図が出てきた!とか、完全に組み合わせると中に人類が描かれていた!とか。
さすがにわかりやすくしすぎじゃないか?ここまで整合性を取られると逆に陰謀論めいてくるというか。
宇宙船が起動してからのCG盛りだくさんパートは正直、ノイズだったなって。あそこで彼女がとても信じられないような思想を根本的に揺るがすような超常的な現象に遭遇して変わる必要があるという映画的な要請は理解できるんだけど、宇宙人が父親の形(主人公の意識を読み取ってということだろうけど)しているのもそうだし、そこで彼が語る内容も正直、ナンダカナーって感じだった。
地球上でいろんな通信が行きかってて騒がしいところからどんどんズームアウトして無音の宇宙に行ってそこから星雲に行ってその星雲もまた宇宙の一部でと無音でどんどん宇宙の規模が広がっていって最後に幼い日の主人公の瞳になるっていうオープニングシークエンスがめっちゃよかったのでそこだけでも見て。
この映画、もう30年くらい前の映画でインターネットは研究所でちょっと出てくるだけなので、今だったらどうなっちゃうのかっていうのはすごく考えさせられたし、逆にそういうのがない非常にフィジカルな時代だったからこその研究所を囲んでフェスっちゃう感じもなんかよかった。映画化までは全然してほしくないけど脚本家の人まだ生きてたら現代に同じ設定で書いてほしい。
俺としてはそもそも元増田が引用してきてるポール・マクリーンの仮説自体が人間至上主義に基づいた誤りに思えるんだよね。
端的に言えば「学習能力を有するレベルの生物は全員①~③の機能を備えている」って話。
そもそも感情ってさ、結局は「色んな信号がグチャグチャに混ざりあったもの」でしかないと思うわけよ。
たとえば「怖い」だったら「外的刺激の積み重ねに対し、経験則や本能が混ざりあったものから『この状況を脱するか、縮こまってじっとしているべきだ』という出力が出てきました」という「反応」でしか無いと思うわけよ。
それに対して人間は強めに味付けをしているからなんかそれが特別なものだと感じているけど、実際には電気で躾けられたパブロフの犬はそういった「怖い」だと思われる反応を示しているわけで、じゃあ学習能力がある生物はみんなこれ脳内でやってるんじゃねってこと。
ただ、さっきも言ったけど人間はそこに対して「物語」や「言葉」といったものによって強く味付けしているんだよね。
なんつうか、人間の感情や思考っていうのは「俺達はこういう文脈の中で生きているんだ」という物語を下地にしているんだよ、多分。
「悲しい時、人間は悲しいって感じるが、それは涙を流すとか声を上げるとか胸が苦しくなるとかで、それは極めてエモーショナルな反応であり、高尚な行為とも言えるんだ」というストーリーを持って挑む「悲しい」と、それを知らない状態で「なんかこの状況はマイナスですよ生存において!」な「悲しい」はやっぱ全然違っていて、それが人間至上主義者が「人間にだけ感情があるのだ!」と唱える論拠となってるんだろうなと。
つまりさ、消すべきは「感情を司る哺乳類脳」なんてことじゃなくて「辛かったり寂しかったり涙が流れることを「悲しい」と呼ぶのだ」みたいな「物語」の方だと思うんだよ。
「お前が今感じている感情は脚色されたファンタジーだ。それが嘘であることを俺達はもう知っている。嘘であると語る俺のことを信じろ」って洗脳してやれば、「喜び」という感情を「なんかプラスの状況らしいですよ」という情報の集合体に戻してやることが出来るんじゃないかな?