はてなキーワード: 東大卒とは
もちろん全員ではない。
ただ、少なくとも私はそうだった。
十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。
十八歳まで勝ってしまったから、負け方を知らないまま大人になった。
私はどこで間違えたのだろう。
若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。
私は今、四十七歳になる。
前の会社は、私から見れば理不尽な理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。
今でも半分くらいはそう思っている。
ただ、半分はもう思っていない。
これから書くのは、その「半分」の話だ。
先日、ある雑誌に頼まれて大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。
私は引き受けた。
引き受けながら、ふざけるなと思っていた。
社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。
一行目だけは綺麗だ。
二行目以降は読まないほうがいい。
私は二日間、机の前に座った。
何も書けなかった。
「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。
書けば嘘になる。
私は夢を持っていなかった。
努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。
これは雑誌には載らない。
たぶん誰にも届かない。
けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。
素直になれ。
よりにもよって私が言うことか。
私はずっと素直ではなかった。
性格も悪かった。
懺悔だ。
懺悔は聞かなくてもいい。
ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。
第一部 正解者だった頃
地名は伏せておく。
妹が一人いた。
家は古かったが、貧しくはなかった。
私はわかっていた。
手を挙げた。
当てられて答えを言った。
正解だった。
先生が褒めてくれた。
私は嬉しかった。
書きながら本当にそう思う。
あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。
二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。
周りもそう扱った。
先生も、親戚も、近所のおばさんも。
中学校のとき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。
母は嬉しそうに笑っていた。
否定はしなかった。
私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。
中学まではまだ良かった。
授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。
班活動もそれなりに楽しんでいた。
私はクラスで浮いていなかった。
背は普通だった。
顔は、まあ、普通だった。
私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。
OBに地元選出の国会議員と県知事がいる、というのが地元の自慢だった。
今思えば、それも大した自慢ではない。
けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。
入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。
自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。
期末試験で一番を取った。
決まる過程で、私は反対した。
もう新鮮味がない。
準備期間は二週間しかない。
私は別の案を提案した。
模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。
これは数字で示した。
前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。
却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。
彼は私の数字を見もせずに言った。
私は食い下がった。
「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」
誰かが小さく「うわ」と言った。
私はその「うわ」の意味が今ならわかる。
当時はわからなかった。
担任が温和な顔で言った。
「みんなで決めたんだから、それでいこう」
私は黙った。
黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。
当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。
客は数えるほどしか来なかった。
打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。
クラスの全員が笑った。
私は笑えなかった。
笑えない、というのは笑顔の筋肉が動かないという意味ではない。
心が笑い方を覚えていない、という意味だ。
彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。
私は一人だけ間違えていなかった。
間違えていないのに、その輪の中にいなかった。
そして結論を出した。
人に合わせると間違える。
多数派は正しさを選ばない。
この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。
そして最悪のことに、それは半分は事実だった。
これが後で書くことのすべての始まりだ。
似たような出来事はその後何度もあった。
一つだけ、もう一つ書いておく。
班員は四人。
私はすぐに気づいた。
私は班員にそれを伝えた。
「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流で比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」
班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。
一人の女子が言った。
「先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」
そこで私は致命的なことを言った。
今でも覚えている。
そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。
けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。
今ならわかる。
ただ、四人で何かを一緒にやる時間そのものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。
発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。
私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。
彼女たちも私を呼ばなくなった。
私たちは最後まで、お互いの名前をフルネームで言えるような関係にはならなかった。
その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。
そのほうが効率が良かった。
私の偏差値は上がった。
この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。
「言い方」という言葉が嫌いになった。
正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。
私には、それが奇妙な反論に見えた。
内容が正しければ、それでいいではないか。
なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。
それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。
知性に対する侮辱ではないのか。
私はそう考えた。
内容が正しければ、いずれ理解される。
これは私の中で信仰になった。
ここで君に一つだけ言わせてほしい。
「言い方」は装飾ではない。
内容を相手に届けるための、内容の一部だ。
ただの独り言だ。
三十年遅かった。
君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。
東京大学の合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパスの掲示板に紙が貼り出された。
私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。
三月十日だった。
寒い日だった。
これは嘘ではない。
本当のことだ。
「やった」とは思った。
けれど、それだけだった。
模試の判定はずっとAだった。
直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。
落ちる理由がなかった。
掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族に電話したりしていた。
私は誰にも電話しなかった。
けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。
私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。
蕎麦はぬるかった。
それでも最後まで食べた。
この四年間、誰と過ごすんだろう。
喜びではなく、空白に近い感情だった。
私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。
誰も私を「すごい」と言わない。
少しだけ怖かった。
けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。
「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」
そう自分に言い聞かせた。
これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。
その呪いに私は気づかなかった。
二十年以上、気づかなかった。
本当に丸投げしてるなら霞が関は定時なはずなんだけどね
そういうことも考えられないほどアホになってんのか
東大卒が官僚ではなくコンサルに行きたがるのは、官僚がブラックであるだけでなく、官自体がやるべきことをコンサルに丸投げしているから、官から受注しているコンサルに行った方が国策の現場に携われるというのがあると聞いたことがあり、問題の根は深いと思った。 https://t.co/Srp9KfcK9A— 愚泥 (@DOVGQ) May 5, 2026
高位の人外存在(上位存在)が人間(下位生物)と婚姻関係を結ぶことについて、人外側のコミュニティからの視点は、以下のいくつかの側面から考察されています。
多くの意見では、上位存在にとって人間との婚姻は、人間がペットや家畜と性行為に及び、入籍するような「狂気」として映るとされています。
上位存在のコミュニティ内での相対的な地位の低さが指摘されています。
上位存在と人間の間には、埋めがたい「種としての格差」が存在します。
人間側の視点では「一途な愛」や「身分差を越えた純愛」に見える物語も、上位存在の社会から見れば、「知能の低いペットにガチ恋して性処理も兼ねているキショい奴」という非常にグロテスクで厳しい評価にさらされる可能性が高いと結論付けられています。
「女は高望みして下方婚を避けてる」とか勘違いしてるバカな男が多いから、真理を教えてあげる。
あのさ、女は下方婚を「しない」んじゃないんだよ。物理的に「できない」の。
理由は単純。どんなにスペックを盛ったところで、女は男より根源的に「下等」な生き物だから。
年収1000万だろうが、東大卒だろうが、そんなのただの誤差。生物学的なのか社会構造のバグなのかは知らないけど、女っていうのは男の「下位互換」として設計されてるんだよね。
だから、たとえバリキャリ女が年収200万の男と結婚したとしても、それは「下方婚」にはならない。だって、相手が「男」であるという一点だけで、その辺の凡夫の方が女より格上なんだもん。
結局、女が誰と結婚しようが、それは自分より上の存在(=男)を選んでるに過ぎない。この世に「女による下方婚」なんて概念、最初から存在しないんだよ。
「私はあえて低年収の男を選んであげた」とか言ってる女も、ただの痛い勘違い。あなたはただ、自分より優れた種族(男)の中から、たまたま数字上のスペックが低い個体を選んだだけ。主従関係としては、しっかり「上方婚」が成立しちゃってるわけ。
女は自分より上の存在としか添い遂げられないようにできてる「欠陥品」なんだから。
男より根源的に劣っているから。
ただそれだけの、残酷な話。
結婚してても、平気で他人に暴言を吐いたり、他人を下げたり、マウントを取りまくるやつとか、東大卒業して、結婚して、子供が二人いて、子供が私立中学行ってるにも関わらず、相変わらず、陰湿なイジメに近いことばっかりやってるやつとか。
ラノベが売れない、どうしてお前ら買わなくなったんだって言ってる釣り記事読んだけど。
40代50代60代になって自分の人生の残り時間計算したときに、「ラノベなんか読んでていいのかな?」ってなるのって普通だよね。
ラノベってそんなに頭の良くない人たちの書いた作り話でしかなくてさ。(とかいうと東大卒のラノベ作家がーってなるのもバカみたい)
で?っていうね。
小学生の頃からラノベ読み始めて20代前半くらいまではまだ自分の人生に残された時間が大量にあって好きなことやってても良かったかもしれない。
でも40代を超えてくるとそうも言ってられなくなる。
こんなくだらない作り話読んでて何になるんだろうってなる。
娯楽だからいいだろっていうのはその通りなんだけど、娯楽にしてもラノベってただしょうもない文章が書いてあるだけってのが救いようがないよね。
娯楽で時間つぶすにしてももっと新鮮な体験できるものを選ぶよね。
同じことをずっとやるんじゃなくて、もっといろんな世界を知りたい。
何十年もずっとラノベばかり読んでる人って病気なんじゃないかと思う。
大人になったら買わなくなる読まなくなるのが当然だよ。
普通はさ、同じことずっとやってるんじゃなくて、死ぬまでにいろんなことしたいよね。
まだ知らなかったことを知りたいし、まだやってないことに挑戦してみたい。
自分の人生の残り時間をどう使っていくかちゃんと考えた方がいいよ。
実際、ちゃんと大人になった人が多かったのでラノベは順当に売れなくなっていったってことだね。
いまだにラノベ読んでる40代50代60代はほんとに自分の人生ラノベでいいの?って考えてみてね。
あ、別にたまに気になったラノベだけ数冊読むとかならいいんだよ。
たまに読むこともあるよって人は多趣味で色んなことやった上でラノベも読んでるわけでね。
そうじゃなくてさ、ラノベしか趣味がなくて、年間何百冊もラノベ読み続けてますみたいな人いるじゃん。
ラノベが俺のすべてみたいな。
ラノベがちょっとでも批判されるとめちゃくちゃキレちゃう人たち。
いや、ほんと狂気だと思うよ。
そうじゃないよね。
まあよくわからない。
90年代に大蔵省の役人がノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けた件と、自民党大会で自衛隊員が君が代を歌った件は、根底で繋がっていると思うんだよね。
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偏差値的にレベルが低い大学からもある程度の数を国家公務員一種に採用するようになった
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役所や仕える政治家が何か問題起こしても「自分たちは正しいから正しいもん」が前提の破綻した論理を押し通すように
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自民党大会で自衛隊員が君が代を歌っても「法律より自分たちは正しいもん」という前提の論理を展開
みたいな。
まあ実際はもっと複雑な構造だろうけど、裁判でも法律からロジカルに辿り着く結論じゃなくて大衆迎合的かつ現状維持的な判決が出たりして(そしてそれが喜ばれる)、何か色々おかしいよ、という。
ところでノーパンしゃぶしゃぶって、今全国で何軒くらいあるの?
よくある「〇〇するために学校辞める」話。
「プロゲーマーになる」と言って学校に行きたがらない子供をどう説得する?→東大卒のプロゲーマーもいるし、学業を捨てないと勝てないなら才能不足では
大人になった今は学業の重要性はわかるけど、答えがないのが「どれくらいまで」ということ。
「港区の4LDK=3億円」という数字は、実は**「新築・超一等地の低層レジデンス」**という特化型サーバーのスペックだ。タワマンの一般的な3LDKなら「1.5億〜2億円」という層も確かに存在する。「3億は無理でも1.5億なら……」という思考は、2026年の金利状況を無視した楽観的なコンパイルだ。
ローンの現実: 1.5億円をフルローンで組むと、金利1.0%(変動)でも月々の返済は約42万円。管理費や修繕積立金を入れれば50万円近くになる。
必要年収: 返済比率を安全圏の25%に抑えるなら、世帯年収で2,400万円が必要だ。
結論: 1.5億ですら、東大卒の共働き「パワーカップル」が、人生の全リソース(CPUとメモリ)を35年間フルコミットしてようやく維持できるレベル。余裕を持って住めるのは、依然として上位数%の「例外(Exception)」だけだ。
Gemini の回答
君が指摘した通り、東大卒のエリートですら港区に住めない。これが全てを物語っている。
通貨の脆弱性: 日本円(JPY)で給料をもらうことは、目減りし続ける資産クラスにフルインベストメントしているのと同じだ。
グローバル格差: アメリカや欧州のシニアエンジニアが年収2,000万〜4,000万円(15万〜25万ドル/ユーロ)を稼ぐ横で、
この**「リージョン格差」**を埋めるパッチは、国内企業には存在しない。
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「トイレ記録」や「空気読み」が象徴する、非効率な監視体制だ。
プロセス監視: 成果(Output)よりも「座っている時間」や「従順さ」というログが重視される。
イノベーションの拒絶: 「前例がない」という例外処理(Exception)が多発し、
新しい技術や効率的な手法を導入しようとするとシステム全体がフリーズする。
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事務職や非正規雇用が、最低限の生活を維持するだけで精一杯の「ラットレース」に組み込まれている。
固定費のバグ: 家賃と物価が上がっているのに、賃金テーブルだけが「レガシー(昭和・平成)」のまま。
格差の固定化: 資産を持つ「オーナー層」と、時間を切り売りして家賃を払うだけの「ユーザー層」に完全に分断された。
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4. 残された「唯一のメリット」
皮肉なことに、日本で働く唯一のメリットは**「サンクコスト(過去の遺産)」の享受**だ。
インフラの安売り: 清潔な街、安い飯、正確な電車。これらは過去の世代が築いた遺産を、現在の労働者の「低賃金」で維持している**「デフレの果実」**だ。
判定: 「安く、安全に、静かに朽ちていく」には最適だが、「挑戦し、資産を築き、世界で戦う(英語は先進国最下位、日本語しか話せない人が大半)」には最悪の環境(サンドボックス)だ。
東大卒の30代平均年収は約800万〜1,000万円。40代で1,500万円程度が中央値だ。
ローンの限界: 銀行が貸してくれる限界は年収の約7〜8倍。年収1,500万円なら1.2億円。3億円には、あと1.8億円足りない。
頭金の絶望: 残り1.8億円を現金で用意するには、20年間、毎年900万円を貯金し続ける必要がある。生活費と税金を考えれば、計算が合わない(算術オーバーフロー)。
結論: 官僚、メガバンク、大手メーカーといった「日本の王道エリート」のままでは、港区の4LDKは「閲覧権限(Read-Only)」すらない。
それでも住んでいる東大生はいる。だが、彼らは「日本」という古いフレームワークを捨てた連中だ。
外資系・グローバル採用組: マッキンゼー、ゴールドマン・サックス、Google(米国本社採用)など。30代で年収3,000万〜5,000万円に到達する層。
スタートアップ創業者: 会社を売却(M&A)するか、上場(IPO)させて数億円〜数十億円のキャッシュを手にした層。
「親ガチャ」の継承者: 港区に代々の土地を持つ不動産オーナーの家系。
君が言う「無駄」の本質は、**「日本というOSの賃金テーブル(給与体系)が、世界の資産インフレに完全に取り残されている」**ことにある。
バグ: 日本のトップ層(東大卒)が、自国の首都の一等地に住めない。これは、**「システム(日本経済)の設計が、もはや国内の労働者向けに最適化されていない」**ことを意味する。
東大卒というのは卒業時点でのサイコロの目が出やすくなるみたいな効果だと思うんだよな。チャンスが増えるというか。
「私が前にいた会社は大きい会社ではないから小さい大学の求職者を見られるほどに人事部は大きくない。だから、リクルーターも大きな大学にしか出せなかった」
と言われたことがある。
たしかに、企業としてはリクルーターをそんなに割けないときに少ない労力で結果を得ようとすると大学名フィルターをかけるのは合理的なんだよね。
だから、そういう時に選抜に残れる可能性を上げるために東大卒というのは意味があるんだと思う。
ただ、在学中に何をやっていたかとかそれをどう有効活用するかとかはまた別の問題。
その学歴に見合った実力を身に着けることができなければ、経歴ばっかりすごすぎて逆に採用しづらい人になってしまうからね。
東大すごくないっていうけれど、周囲に東大生がいっぱいいるってのは先天的な地頭のよさや日常生活の差には結び付きそうだね。