はてなキーワード: 和歌とは
婚活パーティとかいうイベント、マジでバケモンしか集まらねぇだろ、どうなんだ❓🤡💦 まず会場入った瞬間から空気がおかしいわ。女は全員「私、普通のOLなんですけど~」とか言いながら目がギラギラしてて、男は「年収800万です」アピールしつつ視線がゲチくせぇ。ポワイみたいな笑顔で近づいてくるけど、内心で「この人、結婚したらヤバいタイプだろ」って思っちゃうレベル。無キャの俺から見ても、参加者全員が発狂寸前みたいな雰囲気で、会話が「趣味は何ですか?」からいきなり「子供は何人欲しい?」に飛ぶんだよな。マズい、こんなところでパートナー探すとか、人生のトラップじゃね?
んでさ、婚活パーティの構造自体がバケモン製造機だろ。時間制限で回転寿司みたいに相手変えまくるシステム、そこで本性隠せねぇ奴らがポロポロ出てくるわ。女側は「高収入イケメン以外NG」みたいなフィルターかけてるのに、男は「若くて可愛い子しか目に入らねぇ」状態。結果、みんな不満溜めて帰宅して、SNSで「今日の婚活パーティ、クソだった」って呟くだけ。和歌李真下みたいな詩的な出会い期待してる奴なんかいねぇよ、ただの肉欲と金欲の戦場だわ。ピエロみたいに笑顔作って参加してるけど、内心で「この界隈、発狂しすぎだろ」って叫びたくなる。
何が悪いんだ理論で言うと、婚活パーティ自体が社会の闇を凝縮したもんだろ。普通の出会いじゃ満足できないバケモンたちが集う場所だから、当然バケモンしかいねぇ。そこをすごいと思うレベルに私たちを巻き込まないで、って感じ。結局、こんなイベント行くより、家でNetflix見てた方がマシじゃね? 発狂界隈の俺らからしたら、婚活パーティはただの笑い話だけど、参加してる奴らは本気でヤバいわ。どうなんだ❓笑
いや、いきなりギュ鳴らしで殴んなよ。おれおまの話だ。
地方偏差値表の下層から、なんかの拍子でkに滑り込んで、就活でさらに奇跡起こしてエリサラ入社したピエロ。親戚LINEで「大手入ったの?すごいね」「がんばったね」連発されるたびに、体の奥がギシギシきしむ感じ。あの説明不能のきしみ、誰にも言えない。
t出身kの就職の何が一番ヤバいかって、**治療が一生終わらない**ところだろ。就職コンプは就職じゃ治らない。むしろステージ上がって悪化。末期化する。
エリサラのオフィス入ると、今度は「育ち」と「空気」が容赦なく殴ってくる。言語化されない飲み会のテンポ、ゴルフの雑談、失敗の美学、親の話の匂い。学歴と就職はあるのにホームじゃない。常にアウェー。常に実況席で自分を俯瞰してる。セルフ男子校の延長戦。
飲み会で「親御さん何されてるんですか?」って聞かれた瞬間の気圧理論崩壊。チャージスポット切れ。答えられない。答えても「へぇ~」で終わるあの空気。魂の格で負けてるのがバレバレ。
一方で、地元に戻ると「もう違う世界の人」扱い。話が合わないとかじゃなくて、戻る理由が完全に消滅してる。結果、会社にも地元にも所属できない。浮遊霊。カースト移動の亡霊。
これを「自己責任」で片づけるのは簡単だし、「気にしすぎだろ」で済ませる奴らはだいたいs出身の余裕組だろ。ここで発狂界隈特有の被害者意識がギュッと発動。たまらないわ。
で、予後が悪い。マジで暗い。なぜならあの就活成功体験が「再現不能」だから。もう一度同じ奇跡起こせと言われても材料ゼロ。なのに上司や親は「次は昇進だろ」「転職してもっと上狙えよ」前提で期待かけてくる。期待に応えるたびに内部で何かが削れて、ヌクモリンすら残らない。
たぶん一番キツいのは、「大手入った」こと自体がずっと疑われ続ける点だろ。自分からも他人からも。就職ロンダリング成功しても、心はロンダリングされない。アンティーク理論のまま。魂の格はtの公遺症が染みついたまま。エリサラ馬力稼いでも、世界ランク理論で下位確定。
※追記
もちろん全員がそうじゃない。うまく適応して軽やかにエリサラライフ楽しんでるt出身kもいる。でもそういう奴らはだいたいこの文章最後まで読まない。ここまで読んでしまったお前ら、つまり私たち。予後悪い組。
これはtを腐す話でもエリサラを神格化する話でもない。「就職でカースト移動した人間の後遺症」の話だ。治らないけど、症状は共有できる。共有できるだけで、今日は少しだけ鷲谷内海で耐えられる。和歌李真下。湯茶駄め四。
いくとせも ちぎりかわらぬ 七夕の
ちょっと読みづらいので漢字を当てると「幾年も 契り変わらぬ 七夕の 今日待ち経たる 逢瀬(おうせ)なるらん」となります。
意味としては「結婚して何年も経つけれど、あなたへの想いはずっと変わらないよ。今夜の七夕デートを、彦星のようにずっと心待ちにしていたんだ」といったところ。
こんな和歌を贈ったら、妻に照れ隠しでぶっ飛ばされるか、日ごろの関係によっては鼻で笑われるかも知れませんね。
でも、如春尼は夫をぶっ飛ばしも笑いもせず、こんな返歌を贈っています。
けふめづらしき あうせなるらん 如春尼
漢字を当てると「幾年の 変わらぬ物を 七夕の 今日珍しき 逢瀬なるらん」。
何年経ってもあなたへの想いは変わりませんが、今夜の七夕デートは、まるで初めて出会った時のようにドキドキしています……そんな意味合いです。
こちらも夫に負けていません。乙姫だって、彦星に逢うのは一年ぶり。一緒に過ごせるのが本当に嬉しかったのでしょうね。もう尊すぎます。
弘治3年(1557年)4月17日に結婚してから31年。もちろん色んなことがあったでしょう。二人の道のりは、決して平坦ではなかったはずです。
ちょうど 日本は平安時代(794〜1185年) で、貴族や寺社文化が華やかになっていた時期に、北欧の「海賊・征服者」集団がイングランドやスコットランドの島々を ガンガン襲撃していた わけです。
その対比がすごくシュール:
• 都は平安京。
• ブリテン諸島
つまり、日本では平和的に文化が花開いていた同じ時期に、ヨーロッパ北部では「本物のドンパチ」が日常茶飯事だったわけです。
海を渡り、遠方の島々を襲撃して都市を作り、ついには王になる…。
平安時代の貴族たちが「今日の和歌の題材は…」なんてやっている横で、北海の船団が修道院を焼き討ちしていたのを想像すると、なんだか時空を超えたギャップに笑えます。
⸻
2. 海の利用法
こんなところで紹介していいのかわからないけれど、私の匿名ブログなど誰の目にも留まらないと思うので紹介したい。
現在大阪梅田、ルクアイーレ4階Spiral Marketにて、川上和歌子さんの作品が展示・一部販売されている。(11月9日まで)
川上さんの作品で印象的なのは、大きなセキセイインコだと思う。頭の黄色、翼の黒と緑のコントラスト。かなりシンプルなデザインに落とし込まれているけれど、見る人は10人が10人セキセイインコだ!と言いそうなデザインをしている。
実際、今回展示されているぬいぐるみたちは、展示スペースで群れたり、壁や天井を這ったりとその様はとても自由で、遠目に見ると本当にインコの群れのように見える。
私はこの個展の存在をX(旧Twitter)で知り、退勤後ふらふらの足でインコに会いに行った。
でかい。写真で見たときは、ちょっとイモムシみたいで怖いかも…と思ったけど、全くそんなことはない。
本当にでかい鳥。サイズのイメージとしては、IKEAのサメのぬいぐるみぐらい。インコは大小いたけど、どっちもサメと同じくらい(IKEAのサメにも大小ありますよね?)の大きさだった。
でかい鳥って、鳥好き・鳥飼いにとってロマンだと思う。セキセイインコなんて、時にポップコーンみたいないい匂いがするし、そのフワフワの羽に埋もれてみたらどんな気持ちかなって、絶対に一度は考えるはず。10年の付き合いになる我が家のセキセイインコに、ほとんど関心を示してこなかった母ですらAI生成されたデカいインコに埋もれる画像を共有してきたくらいだから。
川上さんのインコは、流石に埋もれるほどの大きさはないけど、それでも中型犬くらいの大きさはある。
触ってもいいですよ、と書いてあったインコの背を撫でる。 デカいインコだ。
そうして私は考える(ああ、うちの鳥もこれぐらいのデカさだったらいいのに!)
セキセイインコが本当にこの大きさだったら…
そう。我が家のセキセイインコは家の誰よりも偉いのである。このおかしなヒエラルキーに人間が誰ひとり対抗できず、触ろうとするとめちゃくちゃにキレるのだ。
お世話になっている獣医の先生には「この子優しいよ〜、加減してくれてる」と言われたが、痛いものは痛い。あの鋭い嘴でつねられると穴が開く時もあるんだから。手加減なんてない。
考えれば考えるだけおぞましく、ゆっくりと撫でていた手を離す。うん。やっぱり、デカいのはぬいぐるみで十分だ。うちのちまこいギャングは手のひらサイズだから愛くるしいのだ………きっと。
それとも、身体のデカさに比例して心にゆとりが生まれるのなら(インコより犬、犬よりも馬の方がおだやかな性格の子が多い……気がする。例外はある)、デカいインコはもしかすると穏やかなのかもしれない。カカポとかも優しすぎるインコ!っていうもんね。実物見たことないけど。
ということで私のデカいインコに対する熱は落ち着き、ガチャガチャで惨敗して帰路についた。
デカいインコに思いを馳せたい方、あとシンプルにセキセイインコが好きな方は是非訪れてみてほしい。大阪での個展は初らしい!嬉しい出会い。
いずれにせよ具体例なんて知らんよ。
こっちは和歌には虹が全然使われてなかったからとか虫偏があることから「虫の知らせ」を象徴していたとかそういうことから不吉だったんだという又聞きで言ってるだけ。
しかし又聞きとはいえ定説だと思うし具体例一個出されて「虹が不吉だったことはなかった」と言わんばかりの主張をされても「はいそうですね」と考え変えはせんわな。
それで「虹は常にラッキーなものとされてた」とうっかり識者たちの前で言って大恥かいたら責任とってくれるんか。
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驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
あはれ、戦ひは、すでに終はりたり。
もはや剣を収め、旗を巻き、兜を脱ぎ、
一切を手放して楽になれ。
我、これを見るに忍びず、心いたく痛むなり。
内心、汝らが知れることを、
勇気なき者に代りて、今ここに我が言はん。
敗者の道を歩むもまた、
麗しき姫君、俊き貴公子、
これらを凡人の業に縛られたる身にて得んと望む、
そは天を犯す不敬なり。
現実において、かかる希ふは、
タリ●ンの陣に馳せ、
ウクライナの砦に命を賭し、
五体投地して忠誠を誓ひ、
血の盃を受け、
かかる無謀、許さるるべからず。
汝にΞガンダムを授けず、
ダグラムを与へざるなり。
ましてや、この日本にては。
思へ、かの道を誤りし者の末路を。
青葉の孤独の怨炎、
和久井の憎悪の剣、
これら皆、夢に溺れ、
現実を背きし亡魂の成れの果てなり。
汝らは、プライドばかり、
実は脆き瓦のごとし。
ネットを、かつては万能の神器と信じ、
「これぞ我らが聖槍、世界を砕く矛なり!」と叫べども、
実は魂を狂はす魔槍なりしこと、
今ぞ知るべきなり。
麗夢の姫君も、エミリアの姫も、
駿馬の娘(ウマ娘)も、
汝が許には来たらざるなり。
つひに現れざりき。
和歌に曰く、
「夢の世に 頼みし恋も 空しくて 残るはただの 虚しき誓ひ」
(夢に頼みし恋はかなはず、ただ虚しき誓ひのみ残れり)
さらに曰く、
「炎上の 煙の果てに 見る夢は うたかたの世の 泡にぞありける」
(炎上の煙の果てに見し夢は、泡のごとく消えにけり)
思へ、業の鎖に縛られたる人の身を。
現世は常に不条理に満ち、
凡なる我らは敗残の道を歩むべし。
それに何の恥かあらん。
敗者の役を引き受くるもまた、
尊き人の宿命なり。
今ぞ言はん、
「すべてを捨てよ。現実へ還れ」
二千六年の夏、秋葉原の歩行天にて、
汝が魂、オタクの舞を舞ひし日より、
幾星霜を経たり。
今や、UFOの夏は終はり、
ひぐらしも鳴かず、
四半世紀の雲に紛れぬ。
いざ共に歩みて、現実へ帰らん。
皆々、軍を解きて、
歴史に名を刻む敗軍の将となれ。
恐るるなかれ、
人は一生、戦ひ続けること能はざるものなり。
かく語り伝へて、涙を落としけり。
見栄と虚言とに彩られし世界、嘘松の花は咲けども、ひとときの春の色にすぎず。
そも、いづれの世にか男も女も、ネットの海に旗を立て、剣を抜きて、
「表現の自由」だの、「男性性と戦ふ聖女」だのと叫びしは、何の益かありけん。
皆、老の坂をくだりて才は錆び、二周おくれのITの弓も折れはてぬ。
神の恩寵、ただ彼らが陣にくだりけり。
あはれ、われらが軍、幾度となくマウントの矢を射かけ、スレッドの刀を交へしも、
何ひとつ得るところなかりけり。
むしろその毒にあたりて、心、病におかされ、統失の如く荒れ狂ふばかりなり。
ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、
男女とて才は蘇らず、人生の花は再び咲かず、
ただ無常の風に散りぬるのみ。
されば申す、剣を収め、旗を巻き、
十歩のうちなる現実にぞ立ち帰るべき。
和歌にいはく、
「露と落ち 露と消えにし 我がネット 夢の跡こそ 哀れなりけれ」
(露と消えたる我がネットの夢の跡は、ただ哀れなりけり)
われらがQOL、爆上がりすべし」と。
かくのごとく語り伝へて、涙を落としけり。
盛者必衰の理をあらはすは、SNSのきらびやかなる画面なりけり。
驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
強き者もつひにほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
旗を巻け、剣を収めよ、兜を脱ぎて、
秋葉原の歩行天に魂を残し、
あはれ、まだ迷ひの雲に籠り、
Xの陣にて囀る「かなしき方々」ありと聞く。
そは昔、二千年代の戦さにて、
「ブログ」という盾を構へ、
「2ちゃんねる」の城に籠りて、
されど今、技術の誉れも消え、
戦場は荒れ果て、
ただ炎上の煙のみ空にたなびきて、
いづちの方にか「レムたん」「エミリア」「ウマ娘」「Vの姫君」らが、
「すごいです増田くん!結婚を前提にお付き合いください♡」と、
麗しき言の葉をささやくべしと、
今も夢見るか、かなしきことかな。
なろうの奇跡を信じて、
「俺またなんかやっちゃいました?」と呟き、
会社にて称へられんと望むか。
愚かなること、いとど哀れなり。
お気持ち表明を法螺貝とし、
絶えず戦へども、勝鬨の声、
ただの一度も上がらざりけり。
あなかしこ、
ボーイミーツガールの戦さ、もはや起こらず、
現実を見よ、君たちは敗れたり。
初めより勝敗は決していたのだ。
奇跡は、ただ若き血潮、
いでや、今こそ敗軍の将となれ。
秋葉原のかつての歩行天に赴き、
夢の亡骸を葬るごとく首を垂れ、
敗北の美を引き受けよ。
人の世に、英雄の役のみ尊きにはあらず、
敗者の道もまた、人の宿命なり。
和歌に曰く、
「散る花は もとの木の枝に かへらねど 春の名残を 誰か止めけん」
(散りし花は戻らぬ、されど春の名残をとどめんと、誰が抗ひ得ん)
さらに曰く、
「露と消え 夢とや散りし 秋葉原 その歩行天に 涙ぞ落つる」
かく語り伝へて、涙を落としけり。
留学したこともない、英検2級はパァドゥン?!を連呼しかろうじて20年前に合格しただけ、TOEIC受けたことない、現役時代の英語のセンター試験はリスニングが壊滅的
街中で困ってる外国人がいたら助けるけどノンバーバルコミュニケーションに全振りでステーション?!トウギャザーしようぜ!とか叫んでる
周囲は海外楽しいよ〜と言うけど、そもそも旅行がそんなに、多分楽しいんだろうけど、なんか自分の中で優先順位が高くなくて一人旅もしたことない
彼はフランス語、英語、日本語を流暢に話し周囲と楽しそうに会話していた、東京に住んで東京でなんか研究職として働いてるらしい
カウンターの常連と何人かでいろんなことを話し、帰り際に彼の名前を聞いていなかったなと思い立って名前は?と聞くと、ニコリと笑ってルキャン!と言った
珍しい名前だなぁと思って帰路に着いた
後日、喫茶店のマスターにこの前のフランス人のルキャン?だけどさ〜と話を振ったらマスターが、え?ルーカスのこと?と聞き返してきた
瞬間的にラテン語派生のアルファベット表記は言語で読みが違うのだと思い立った、あの時の彼はフランス語読みのリュカと名乗ったのだ、英語読みはルーカス
私は国外に出たことないから、そういう言語の普遍性というか繋がりが怖くなる、島国の日本語ネイティブでズブズブに古典とか和歌とか好きだし余計に日本語に執着してる、違う言語を使う人の集団に入ることへの抵抗や分かり合えなさが怖い、バベルの塔もそら壊されて二度と再建しないわな
リュカはルーブル美術館の広さと混み具合、オルセー美術館のちょうど良さ、オランジュリー美術館の狭さとソファを丁寧な日本語でたくさん教えてくれた、みんな来る時は教えてくれ!とにこやかに笑う彼を見て、ぼんやり、私にそんな日は来るのか?と自問自答していた、確かに美しいものや古くから大事にされてきたものを見るのは好きだけど、日本にあるものを見ていくだけでもきっと人生は足りない、そんな私がフランスへ行ってモナリザを見てニケを見て何を得るのだろうか
喫茶店のマスターは真面目だねぇと笑った、ルーカスはそこまで考えてないよと言うけど、果たして
そういえば昔バイト先の中国人の女の子が日本語が堪能で月です!と名乗っていた、ユエちゃんだねぇと私が言ったら嬉しそうに中国語分かるんですか?と懐いてくれた、全然分からんけどカードキャプターさくらにそういう名前のキャラ出てたと答えたはず、でも故郷から遠く離れた異国で自分の生まれ育った土地の言葉を聞くのはやはり感慨深いのだろう
まぁ取っておいて損はないかと思って調べたら、パスポート取得そのものにお金がかかるのと申請は平日の9時から17時とかで笑ってしまった、リュカに連絡するのはまだ先になりそうな予感がする
各国の言葉の翻訳機能が進んでも、日本独自の方言の訳なんてニッチなサービスないよなって思ったけど、思いつきでGeminiに任せてみた結果が面白かったので共有してみます。
合ってたらより優秀だなって事で!
Gemini
せがんなこて言もったら、薩摩弁なてどげんなっどや!
Gemini
いやー、そんな事言ったら、しまくとぅばなんてどうなるばー!
"そんな事言ったら"の部分がそのまま過ぎて訳が弱くなったような
ただ、増田が杜撰にも元文を"薩摩弁"のままにしたのに"しまくとぅば"とフォローが入ってる!?
Gemini
アイヌ語には日本語の「薩摩弁」のような「〇〇弁」という概念がないため、直訳は難しいです。
もし、このセリフのニュアンスを伝えるとしたら、以下のような表現が考えられます。
「そんなこと言ったら、私たちの言葉はどうなるんだ?」**というニュアンスで表現します。
「Eiwaka isamna, ainu itak apka isamka?」
(エイワカ イサㇺナ、アイヌ イタㇰ アㇷ゚カ イサㇺカ?)
Eiwaka isamna:そんなこと言ったら
apka:どうなるの?
すごい!急に優秀な先生みたいに気を回してくれた!
と言う事で最後は興味が湧いたのでこんなお願いを
Gemini
残念ながら、『源氏物語』全体を関西弁に翻訳することは、とても難しいです。なぜなら、原文は膨大な量であり、さらに当時の宮廷の言葉や文化、そして和歌などの文学的な表現を正確に関西弁で再現するのは、非常に複雑な作業になるからです。
源氏物語(冒頭部分)
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
関西弁版
どないな天皇さんの時代やったか知らんけどな、女御や更衣がよーさんお仕えしとった中に、そないに家柄はよーないねんけど、ひときわ天皇さんのお気に入りになっとる人がおったんやて。
ほんまによう気の利くええ先生じゃね!ようけぇびっくりしたわ。
百人一首が嫌いだ、と会社から帰りの電車で「ちはやふる」の新テレビシリーズの吊り広告を見ながら思った。
私は百人一首が嫌いだ。中学や高校の時間に学んだ短歌はむしろ好きだった。
しかし、あの、百首の歌を暗記して冒頭の数文字に基づいてカードを奪い合うあの百人一首というのはともかく下品だ。あれは古典に親しむ教養の反対の存在であり、反射神経だけを競う実にアタマの悪いものだと思っている。
また覚える対象が、藤原定家が選んだ百首の短歌、というのもよくない。特定の歌人が選んだものを盲目的に覚え尽くすという所業自体、実に権威的であり、この点でもアタマが悪いと思うのである。
私はもっと短歌をしみじみと楽しみたい。その楽しみの中に百人一首のようなゲーム性が入るのは構わないが、ゲーム性が目的と化してしまった今の百人一首には別れを告げたい。そんなふうに考えて、和歌を使った新しいかるたを考えてみたいと思った。
対象とする歌は、定家が選んだ百人一首から外れて、古代から近現代にいたる各種の名作を選びたい。結果として百人一首から60ぐらいは入ってくるだろうとは思う。百人一首は万葉集の詠み人知らず系が入ってないのが以前から不満があった。例えば、「 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず」とか。万葉集で百人一首にないものでは額田王も欲しい。「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」とか。
近現代だと啄木とか入れたい。「たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣きて/三歩あゆまず」とか。そんな感じでたぶん300ぐらいの有名どころの短歌を選べるのではないか。
下の句を見せられて何かをするという、百人一首の大枠は残してもいいかと思う。例えば300首の中からランダムに5枚選んで、上の句が何かを2人でニヤニヤと当てあう、みたいな酒の肴的な楽しみ方ができればいい。「ほうほう、これは確か高校の国語で習った歌で、子規が病床で何々がどうたらな話でしたよね」みたいなトークのネタにするような楽しみ方である。案外、最初に百人一首をかるたにした人も、今のような脳筋反射神経ゲームにする気はなくて、そういうのんびりした楽しみ方を想定してたんじゃないかなとも思った。
古典文学が「マウントを取るためのもの」だったという視点、確かに歴史の中でそれが一部の階層にとっては**機能**していたのは事実です。
とくに古代~中世~近世の支配層や知識階級において、文字を読めること、ましてや漢文・ラテン語・和歌・詩文などを理解することは、**選ばれた者だけが持つ資格**として扱われました。
「秘伝」という形でわざと難しく、閉じられた知識体系にしておくのも、その地位を維持・強化するための戦略だったわけです。
たとえば、源氏物語の解釈ですら江戸時代には「特定の家」だけが継承できるようなものとされていたこともあります。
ただ、それだけではないとも思います。
文学は、ある種の「美しさ」や「真理」を言語で捉えようとした記録でもあります。
だから、そうした意図――たとえば**人間とは何か、愛とは何か、死とは何か**――を真剣に追求した書も確かに存在する。
マウント道具として利用された一方で、それを超えて人の心を揺さぶる力を持ち得るのも、古典文学のもう一つの側面です。
でも、それが今に残っている理由が、「単にエラい人が残したから」だという冷めた見方も、やはり拭いきれません。
残す側の「都合」が大きく影響していたのは、どうしても否定できない。
結局、どちらの側面もあるんです。
「教え子の 胸に灯しし そのひかり 絶ゆることなく 世を照らしけり」
柳 傲雲『照道遺詠』より
一、詩人・柳 傲雲について
柳 傲雲(りゅう・ごううん、紀元前192年~紀元前120年)は、前漢時代中期に活躍した思想詩人であり、孔子以降の「徳の詩人」として名を馳せた人物です。
若年より老荘・儒家・墨家の教えに通じ、詩を通じて「師弟の縁」や「教えの永続性」を主題とした作品を数多く残しました。
晩年には宮廷を離れ、楚の山中に隠棲し、弟子たちに囲まれながら「照道遺詠」という詩集を著しました。本作はその中の最後の詩とされています。
この和歌は、表面的には師の死を悼む詠でありながら、真に歌われているのは「教えの光の永続性」です。
教え子の 胸に灯しし そのひかり
師は言葉や行いによって、教え子の胸に灯(ともしび)を灯した。
絶ゆることなく 世を照らしけり
その灯は師の死によっても消えることなく、教え子の行いを通じてさらに世界を照らし続ける――。
この詩には、儒家思想の「仁」や「伝道」、道家の「自然と永劫」の観念が絶妙に融合されています。
また、「灯」という語の使い方は仏教的な転生・灯明思想を先取りしているともされ、一説には仏典が中国に伝来する以前に、すでに精神的な「継承と光明」の象徴表現を確立していた証左とも言われています(※創作的解釈)。
三、後世への影響
柳 傲雲のこの詩は、後世の科挙制度における受験生たちの座右の銘とされ、師弟関係の理想像として長らく引用されました。
唐の杜甫はこの詩を範として「懐師詩」を詠んだという伝承もあり、宋代の朱熹は『朱子語類』の中でこの詩を「教化の極み」と称しました。
この詩が現代においても語り継がれる理由は明快です。人は去っても、志は残る。光は受け継がれ、やがて新たな光源となる。
教えるという行為は、単なる知識の伝達ではなく、「未来の光を託す営み」であるという深い真理を、たった31音で語りきったこの作品は、まさに時空を超えた遺産なのです。
3位:「コータロー君は嘘つき」
4位:「シンジュウエンド」
5位:「ラスボス少女アカリ~ワタシより強いやつに会いに現代に行く~」
6位:「推しの執着心を舐めていた」
12位:「神血の救世主~0.00000001%を引き当て最強へ~」
14位:「おデブ悪女に転生したら、なぜかラスボス王子様に執着されています」
15位:「愛されてる場合じゃないの」
16位:「ぬのさんぽ」
18位:「伝説の暗殺者、転生したら王家の愛され末娘になってしまいまして。」
20位:「悪役令嬢は死神パパに復讐がしたいのに! ~人生2周目、パパの心の声が可愛すぎてまさかの愛され物語!?~」
1位:「夫を味方にする方法」
3位:「悪役のエンディングは死のみ」
6位:「緑陰の冠」
7位:「オークの樹の下」
13位:「悪女は2度生きる」
14位:「よくある令嬢転生だと思ったのに」
17位:「もう一度、光の中へ」
18位:「愛を知らない令嬢と野獣」
完結済み部門
1位:「氷の城壁」
3位:「サレタガワのブルー」
6位:「あなたの心がわかるように」
8位:「俺だけレベルアップな件」
9位:「板の上で君と死ねたら」