はてなキーワード: リアリティーとは
いや~・・・主人公の設定はドン引きしたよ、共感性死んでそう・・・って思った
あのバカみたいな設定書けるの、よっぽど苦労したことないんだろうな、みたいな
でも、みんなフツーなキャラは自分と重なってフィクションとしてみれなくなる傾向があるんだってさ
なので、あの雑に盛り過ぎのキャラの方が見やすい人が多いみたいんなんだけど、
かぐや「(母の事を愛しているかと聞いた自分に)怒ったってよかったのに。“かぐやには分かんない”って言いたかったっしょ?」
「青春」という言葉は不思議だ。部活や初恋、文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から「青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。
――「青春」をテーマにした映画やアニメ、小説などが、ちまたにあふれています。
少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツは枚挙にいとまがありません。
例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生が主人公で、アニメの主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春」コンテンツに含まれるでしょう。
「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージは一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります。
――どういうことでしょうか。
1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生が既存の社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的なものだ、という社会的認識があったのです。
それが高校・大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきます。さらに2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通の日常」がテーマとして好まれるようになりました。
――こうした「青春」のイメージが、現実の当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。
「青春」が「普通の日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。
つまり、作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから、現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます。
そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドルや芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションだから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。
いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者に承認してもらえるか。いわば「ミッションをクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます。
――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。
「青春は陳腐さと特別さが混ざり合った規範だから」だと、著書では結論づけました。
現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活を経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐なものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別な意味を持ちます。
誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。
さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的な感情を入れる余地のないものだから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくまで社会的に作られたイメージであって、相対的なものに過ぎないということです。
――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。
研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通の学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいなものなのだと思います。
私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが、自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。
要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分のアイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。
◇
いしおか・まなぶ 1977年生まれ。専門は教育の歴史社会学で、子どもや若者イメージの社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。
https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html
少女漫画的なのや、恋愛リアリティーショー的なもので、キラキラ系で、王子様と比較して、そこら辺の男を馬鹿にしてる。
ここにムカついてる男が多いんだろうけど。
ここで調子に乗った女も、20歳くらいから、「手仕舞い」に入る。
「結婚出産なんてとんでもない、お前はこのまま結婚して家庭に入ったら一生旦那の奴隷だぞ」
と徹底的にやるべき。
彼女らに、インスタやツイッターでキラキラを発信させ続けて、「逃げれないように」すべきだ。
本番は、25歳くらいだろう。
徹底的に、馬鹿にしてきた男たちの慰みものにならなきゃ、逃げられないという絶望がやってくる。
絶対に逃すな。
恋リアって恋愛リアリティーショーの略だったのか。でも読み方は俺が今までそう読んでた通りこいりあだよな?れんりあじゃねーよな?
dorawiiより
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https://posfie.com/@kekkonshimasita/p/DBHoF1m
ジャズを深く知りたい人はたぶん現在どうジャズが生き残ってるかまでは興味ないのかもしれない
ひとつ浮かんだのは、日本でジャズを好きな人はダンス文化にはあまり関心がないのもあるのかなと
戦後広まったのは米軍兵むけに日本の各地にダンスホールが生まれ、豪華なシャンデリアに演奏家と踊り子って構図ができたけど
ジャズを好きなひとたちは演奏家は愛したけど、男女が踊る文化までは恥ずかしくて受け入れられなかったんだろう
タモリさんがそうじゃん
冷笑文化の先駆者がタモリさんだと思うけど、あの人は感情に素直で罪悪感はなさそう
ジャズは好きだけど、ジャズを豊かにしたミュージカルの文化は否定する
地層オタクだけど、世界的に有名な長瀞の地層には高齢者になるまで行ったことがない
知るつもりはないから「恥」を隠す笑いを平気でできる
タモリさんや赤塚不二夫の生きた時代は文化を享受できるのはお金がある人たちだけで、国が豊かになる一方だから
いまはマウントをする人、好きなもの真面目な人を嘲笑う人がダサいって価値観だよね
冷笑をする人っていうのは
まぁそれはべつに良いんだけど
いまの時代の人から冷笑する人たちが浮いた存在になったんじゃないかな
「恥ずかしさ」のあまり否定させる空気をつくること、が通じない時代
ジャズは最初からずっとお金持ちの人が楽しむ文化で、それはなにも変わってない
地方でもジャズを演奏するライブハウスはあるし、演奏家が来れる環境を地方で用意して、頻繁じゃなくても生演奏は聴ける
東京との違いは
時間とお金を持てあました余白ある若い人がそんなにいないってだけじゃないかな
自分が行動できないこと
しかし1番人気のあるやつは真面目すぎて笑いにならない
ただ、ちょっと視点を変えて2番手3番手くらいを笑えばみんなが笑う
なんかそうやって人を冷笑して、自嘲を隠すような恥ずかしがり屋が生きてきたんだろうなと
恥ずかしがり屋や、人見知りを公言しながら
一生懸命なやつを滑稽だ、ズレた人間だと笑うっていう価値観はもう成立しなくなってきてる
吉本興業が子どもたちにEテレなどをつかってお笑いを刷り込む番組を量産してるけど
人をバカにして笑う(冷笑)=バカにされることは美味しい(自嘲)
いまは「他人を認めよう」「自分を認めよう」って子どもに教えることでお金稼いでるって
本当にそうおもってる?と思う
皮肉を言うことが知性として高等レベルとして持て囃された時代ではなくなったけど
文化としてジャンルとして、一般市民の生活に影響をあたえないなかで生き続けることは出来るんだと思う
大きくなり過ぎたお笑いはこれからどんどん小さくなって行くんだろうと思う
でも小さくなることで生き残れそう
そのままを残すのは無理で
ぜんぶ消えていくのを覚悟で全力でやってると思う
時代遅れや古いと言われて恥をかくこと
難しいのは若い人の心なんだよね
分かち合える同世代がいないというなかでの心の保ち方
その人の好き・良くしたい・練習したいという気持ちがどれだけ尊いのか
大人がつたえないと
「恋愛至上主義」に対する反発→恋愛感情そのものへ、恋愛する人への冷笑
人間らしさを失おうとしてるのか?
わたしはジャズのなかで好きなのはボーカルがある曲だし、なかでもクリスマスソング、ミュージカルソング色々あるけど
ひとによって様々な表現に変わる
「月と恋心」ってモチーフだけで色んな曲がある恋愛で痛い想いをしても
それを慰めてくれる曲もある
ジャズならそういうのないし
月が出てくるジャズの曲に
https://anond.hatelabo.jp/20260102110150
『菅原拓は悪魔です。誰も彼の言葉を信じてはいけない』という遺書を残して。
しかし自殺した岸谷君は人気者の天才少年で、彼をイジメていたとされる菅原君はスクールカースト最下層の地味な生徒だった。
他にもイジメの目撃者が誰もいなかったことなど、多くの謎が残る事件だった。
というのが、あらすじです。
低い評価をつけてはいますが、魅力的なストーリーであることは間違いありません。
まだ読まれていない方はここで引き返して、買って読んでいただけたら幸いです。
事件の真相を探るべく奮闘する自殺した岸谷君のお姉さんと、イジメの加害者とされている菅原君の視点を交差しながら進められていきます。
とにかく自己評価の低い主人公の菅原君はことあるごとに自らをクズ呼ばわりして、挙句のはてに自分のことを『キモオタコミュ障ボッチ童貞ゴミクズ野郎』と表現します。
なんてきたない言葉でしょう。
でも、これが人から避けられるタイプだというのなら、この正反対の人格ならみんなの人気者になれるのではと思い、せっかくなので考えてみました。
この物語の根幹に関わるルールに全く共感できないから、その一点のみです。
ここが最終防衛線です。ここから先はネ○バレのパレードです。未読の方は今すぐ商品をカートに入れて読んでから戻ってきてください。
では、はじめます。
『この時代、○○に重要な能力はなんだと思いますか? 以下の群から三つ選びなさい』
『同じ学年の中で、××を持つ人物を挙げてください』
その二種類だ。
○○にはリーダー、上司、人気者、などといった言葉が入る。リーダーに必要なものは何か? 友達になりたいのは何を持つものか? 文化祭ではどんな能力を持つ者がいれば役に立つか? 将来、仕事で活躍するのに必要な能力は何か? などとなる。
そして、××には、優しさ、真面目さ、外見の良さ、などが書き込まれる。
生徒は各々の理想像やその理想に合った人間を答案に書き込むのだ。「リーダーシップには勤勉さ、優しさ、カリスマ」「学年の中で、一番勤勉なのは加奈子、二番目は妙子」などと。
最後に、すべてを点数化する。現在、生徒が重要視する能力を持った人間ほど高得点というわけだ。生徒全員の順位を公表することはないが、生徒たちは自分の順位や点数を目の当たりにすることになる。
以上が、本作の柱というべき『人間力テスト』を説明しているくだりです。
自殺した岸谷君のお姉さんは、この人間力テストの存在と岸谷君の自殺に関係があるのではと推理します。
後述しますが岸谷君の自殺と人間力テストにそこまでの関係性はありませんでした。
これの生みの親である主人公たちが通う中学の校長先生がまだ若い教師だったころ
学業は優秀だったのにコミュニケーション能力がないせいで自殺した生徒がいて
そういう生徒をもう出さないために発案したのだそうです。
マッドサイエンティスト的といえるかもしれませんが、全く問題の解決になっていません。
コミュニケーションで必要なのは相手を理解する気持ちと伝達能力ですが
他者を格付けするこの人間力テストが生徒に要求しているのは比較と区別による差別です。
校長先生曰く、『このテストを批判するやつは何も分かってないマヌケだ。』そうで。
いいですか、みなさん。つまりこのレビューはマヌケが書いてます。いえーい。
100歩譲って人間力テストがコミュニケーション能力を養うために開発されたものとしましょう。しかし、根本的な問題が他にもあります。
この学校には人間力テストはあっても、人間力の授業がないのです。
グループワークが多い学校だと後で説明が入るのでそれが授業なのかなと思うと
それも人間力テストの採点素材だと書かれていますし、そもそもコミュニケーション能力の低い人にとってグループワークは地獄ですから。
人間力テストはコミュニケーション能力が低いせいで自殺した生徒のために作られました。
言葉を変えると、
英語ができないせいで自殺した生徒のために毎週英語テストをすることにしたけど、英語の授業自体はしない。
校長先生のやり方だと生徒の自殺するタイミングが早くなるだけだと思うのですが。
まずはその内の一つ。
生徒がお互いを格付けして採点して順位を出すこのテストですが、安心できる要素もあります。
トップだからといって学校内で何か良いことがあるわけでも、最下位だからといって悪いことがあるわけでもないということです。
そして、それこそがこの物語全体を異常なほど理解しがたいものにしているのです。
セミロングの黒髪を持つ美少女で、人間力テストの順位も高いみたいです。
出会って数分しか経ってないのに、石川さんは菅原君にこんなことを言います。
「わたしのおっぱい触らせてあげる代わりに、次の人間力テスト、わたしに投票してくれませんか?」
ご覧ください、みなさん。まさに小綺麗な非処女です。
彼女はおそろしく人間力テストの順位を気にしていて精神を病んでいるみたいなのです。
石川さんに限らず、この学校の生徒たちはカルト的に人間力テストを信奉しています。
「学生さんたちにとって学校こそが社会であり世界。そこでの評価こそ全て」
みたいなことがいいたいのかもしれませんし、そういう描写もあるのですが、そんなことってありえますか?
この作品が1950年くらいを舞台にしているならそういうのもわからなくないですけど、おもいっきり現代が舞台の話ですし。
なぜ人はコンビニのアイスケースに入ったりファミレスのソースを鼻の穴に突っ込む姿を撮影してネットにアップするのかといえば「頭がおかしいから」・・・というのは大前提として、そこに過剰な承認欲求があるからです。
すなわち、もっとリツイートしろ、いいねボタンを押せ、動画の再生数よ伸びろ、ということです。
みんなに自分を評価してほしい。そしてどれほどの数字を稼いだか見てほしい。
見せびらかせない評価に価値などないのです。異論は認めません。
誰かがよくわからない基準で投票した公表もされなければ学校生活に支障もない点数にどれほどの意味があるというのでしょうか。
実際、人間力テストがほぼ最下位の菅原君もトップクラスの岸谷君もそれが理由で学校生活は良くも悪くもなっていません。
余談ですが私も小中学生のころ、人間力テストみたいなことは何度かやらされました。
特定の項目に該当する生徒の名前を書いて採点をさせられました。
ご丁寧なことに後で順位と点数をプリントアウトして配ってきたので、この作品の学校よりも鬼畜です。
自分の順位は菅原君と同じく最下位あたりだったと記憶していますが
性病の検査並みに自分には関係のないイベントでしたし、それを理由に嫌な思いをしたこともないので
作品内で人間力テストにおびえる生徒たちの姿にリアリティーを感じないのです。
物語内で最重要ともいえる人間力テストですが、作中でテストを受けているシーンが一度もないのです。
どれくらいの頻度で行われているのか、今回はどういう出題で、その回のトップと最下位は誰で、その人たちはその後の学校生活にどういう影響があったのか。
最低でもそれくらいは描いてもらわないと、人間力テストのおそろしさについてイメージできません。
特殊なルールのある学園ものといえば、幾原邦彦監督の『ユリ熊嵐』や衣笠彰梧先生の『ようこそ実力至上主義の教室へ』などがあります。
クラスメイト全員で気に入らない生徒に投票して見事1位に選ばれたら教室から排除されるとか
現実味はゼロですが、敗者をしっかり描くことでその物語の中ではリアリティーがあるし、ストーリーから目を離せない魅力となっています。
「このシステムの中で敗北すると、人間としての尊厳を奪われてしまう。だから立ち向かわなくてはいけないんだ」
作品内リアルも緊張感もない人間力テストに異様なまでに血眼になっている登場人物がわんさか出てくるこの作品には説得力がありません。
人間力テストに苦しむ石川さんを救うべく菅原君はそれを破壊するための革命を起こそうと決意します。
詳細を書いていたら文字数制限に引っかかったので割愛しますが、
「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな
一見よくわからない理屈でも順を追って説明されたら納得いくようなもの・・・ではありません。
一歩目から破綻しているし、仮にうまくいったとしてもテストがなくなるとは思えませんし、実際、作中では失敗します。
くどいようですが
人間力テストの結果が良かろうが悪かろうが生徒たちの人生には何の影響もないのです。
それなのになぜそこまでテストに執着しているのかわかりません。
あまりにも価値観が違うので実は物語の舞台が地球ではなく猿の惑星だったみたいなどんでん返しがあるのかなと勘ぐったくらいです。
とりあえず『人間力テストをやめないなら自殺します』といった内容の手紙を学校とマスコミに送ればそれでよかったような気もします。
小説の中盤で菅原君は読者に、この物語は僕の愚かさを笑いながら読むのが正しい読み方であると推奨してきます。
わざわざ言われるまでもなく、今のところ順調に愚かとしか思えません
それに、頭の中で完成した完璧で素晴らしい計画が後から考えたら清々しいほど無意味だった、なんてことは誰でも一度は経験あると思います。
これまであれこれ書いてきましたが、ここまでの印象は決して悪くありません。
さて、物語も残りわずかとなりました。ページ数でいうと248ページ。問題はここからです。
万策つきた菅原君は最終手段として人間力テストの生みの親である校長先生を殺害しようとします。
紗世さんは岸谷くんのお姉さんの幼馴染みです。
小学校から高校まではずっと一緒で、岸谷君のお姉さんに依頼されて今回の事件の解明に協力をしていました。
人間力テストのせいでどれだけの人が傷ついているのかわかっているのか、と叫ぶ菅原君。
「もちろんわかっている。テストは不完全だ」「だからこそ順位の低い生徒には個別に連絡を取っていた」
そこで菅原君は気づきます。「お前が『ソーさん』だったのか?」と。
ソーさんというのは、主人公とネット上でメッセージのやりとりをしていた友達です。
校長先生は言います。「キミがソーさんに学校のことを相談していれば今回の悲劇は起こらなかったのに」と。
意味がわかりません。
どこの世界に
ハンドルネームしか知らない赤の他人にリアルの情報を提供して問題解決を頼む人がいるのでしょう。
「いやー実は僕、学校でむちゃくちゃなことされて困ってるんだけど、もしあなたがその学校の校長だったりしたら、なんとかしてもらえませんか?」とでも言えと?
このソーさん(校長)はすごいんです。
イジメの起きたクラスの担任のYouTubeのページに匿名で突撃して荒らしをはじめることですからね。
それだけじゃおさまらなくて、あろうことか、その担任の個人情報をマスコミに拡散します。
・落ち度のある人間には何をしても許される。
・なぜならそいつは悪であり、それに怒りを覚えた自分たち正義の側は無限の制裁を与える権利がある。
・・・なんていう歪んだ価値観は教育者が絶対に認めてはいけないものだ思うのですが。
「ただ、キミは情けない。困ったら周りに相談しなさい。それだけのことを言わねばならないなんて」
あのですね
『コミュニケーション能力が低くて自殺した生徒のため』だったはずです。
コミュニケーション能力が低い人がどういう人なのかというと
そこまで追いつめられても、それでも声をあげることができない人なんです。
そういう人をさらに追いつめたらどうなるか。説明の必要はないと思います。
物語のラストで突然異世界に転移した校長がそこにいたオークとゴブリンに惨殺されてしまえば、私は迷わず本作の評価を五つ星にしたのち、もう一冊買って近所の図書館に寄贈したことでしょう。
多少の矛盾やご都合主義、後出し設定についてはそこまで気にしません。
どうしてここまでふざけた話になってしまったのか、そのこたえは簡単で、作り手が信じていないからです。
作者の松村涼哉先生は信じてないんです。こんな話あるわけないって。
後出し設定は気にしないと書きましたが、この作品に関してはちょっとひどすぎます。
あいのりみたいな恋愛リアリティーショーって同性愛者が混じる恐れないの?
面接とかで同性愛者かどうか訊いてそれで番組の暗黙の趣旨に反するとして落とすの?
いや知的障害でも持ってなきゃ同性愛者はお呼びでないことぐらいわかるだろって感じ?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251225172052# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaUz+TAAKCRBwMdsubs4+ SADpAQDMrws83MdlRftqbsxF8imTLcP4upITNKbLw2sbgdEmAwD/Y2UR2kU2jnQA /6qBUS3+GtK6I8T5ujbWoMcf3vRVEAQ= =PATU -----END PGP SIGNATURE-----
私はまともで真面目なキャラクターが好きで、そうじゃないキャラクター全般に嫌悪感を抱く単純な性格をしている。チェンソーマンにはまともで真面目な人間が1人も出てこなかった。だから推しができなかった。
全員変だし何考えてるかわからないから共感も理解もできなくてずっとつまらない。2部入るまでは一応全部読んだけど辛くなってやめた。
ルックバックはフィクション的辻褄合わせが無かったのが嫌だった。
友情努力勝利があって、最後はみんなの夢が叶って悪役も救われて世界には希望が溢れているんだ!と言う終わり方をする漫画が好きだ。現実はそうじゃないのを分かった上で、物語は、少なくとも少年ジャンプの中だけではそうあって欲しい。私はフィクションにはフィクションらしくあって欲しい。リアリティーを評価しないわけではないけれど、藤本タツキは、なんか根暗で関わりたくない人間たちの本性をリアリティーだと思っているのだろう。
藤本タツキは物語の辻褄を合わせないのだと思った。人間味が溢れているみたいな言い方をすれば聞こえはいいけれど、その描かれている人間性も屈折していて根暗で気持ち悪い。雪国育ちと聞いてあーねと思う感じの捻じ曲がった根性を感じた。
短編集を読んでる。アマプラでも見た。すぐセックスの話する。性行為に対してコンプレックスでもあるの?
おおよそ全部の作品で、ルックバックで感じたのと同じ根暗隠キャのひん曲がった根性を感じた。そしてあまりにもセックスや裸の登場頻度が高いうえ、それらに対して登場人物がむけている感情も全体的にキモい。少なくとも思春期から青年期にかけてまともな恋愛ができていたらこうはならないと思う。まともに恋愛した自覚がある上でこれを書いているのであればなんかそれはもう私の手には負えない。
藤本タツキって漫画が上手いの?漫画が上手いから上記の気持ち悪さがあっても評価されてるの?それとも私が気持ち悪いって言ってる部分こそが世間で評価されている部分なの?はたまたそれ以外のどでかい魅力があるから評価されてるの?
友達にレゼ編誘われたけど、終わった後の感想会で相手を不快にさせるのが分かってるから行かなくて正解だったなと思った。みんなが評価してるから読切集までは読んでみてたけど、多分彼の作品をこの先読むことは無いと思う。
https://www.fnn.jp/articles/-/947456
「同時に、今の立憲民主党と政権を共にすることはできないと確信する機会にもなった」とした上で、「立憲民主党には福祉政策などで優れた政策がある一方、安全保障やエネルギー政策など国家運営の基本に関わる基本政策について、埋めがたい違いがあることが改めて明らかになった」と指摘した。
さらに、「野党第一党にふさわしいリアリティーある政策へのアップデートを期待したが、『安保法制には違憲の部分がある』、『原発ゼロ』といった従来の基本政策を変えることはなかった」と振り返った。
まず大前提として
安保法制に違憲があるか否かは最高裁が違憲とも合憲とも判断しておらずはっきりと決まっていない状態なんだよね
だから違憲合憲どっちを主張してもそれは間違いであるとは言えない状態になってる
あと安保法制の集団的自衛権はアメリカが他国に襲われた際に日本の自衛隊が助ける事が出来る
というものだけど
どちらが正しいとはっきり言える様なものじゃない
大規模な事故さえ起きなければ原発を稼働させたり新しく作るメリットは活かせるけど
事故がまた起きたらその損害が原発のメリットを帳消しにするかもしれなくて
安全性のリスクと電力の安定供給で意見が別れててはっきりどちらが正しいかは言えない状態
こうした背景があるのに
でも、人目につかないようにしてる。
そういうんじゃなく、原宿とかで、弱者男性が、美女連れて、オラついてる感じが欲しい。
美女がコビコビして、恋愛リアリティーショー的な感じをやってほしい。
キモいおっさん、チビ、デブ、貧乏人相手に、アイドルみたいなのが、ひたすら媚びる感じで。
俺は、セックスじゃなく、恋愛で媚びる女を見たいんだ。それを、公衆の面前でやって欲しいんだ。
なんで女(主語がデカすぎる!)って自分らが男性に性欲を向けることがキモいって理解しないの?善悪はともかく、それが気持ち悪いことは変わらないよ。
確かに、この二つは違う。少なくとも、私は違う意味で使ってる。(違いを説明しようと思ったのですが、スマホで卑猥な言葉を打つことが恥ずかしいので省略させていただきます)
でもさ、メロいもシコいも相手を性的な対象として見ていることには変わらないんだよ?
メロいって言葉を成人女性が男子高校生に向けるのは違うんじゃない?思うのがダメとかそういうんじゃなくて、成人男性が女子高校生に可愛いって言ったらボコボコに叩くクセに自分らは言ってるのおかしくない?(と主張しましたが、実際に前者と後者の発言を同一アカウントがしている確証は持っていません。私の体感的な話であることにご留意を)
あとさ、私、腐女子なんよ。だから、TwitterでBL作品を描く方やイケメンを描く方のアカウントをフォローしてるわけよ。でも、その中に表現規制派(男性向けエロの表現を規制しようとしている人たちの意)がいるわけよ。二次元美少女に対して文句を言う奴もいるわけよ。自分らが尊いとか言うとるものが他所から見ればきしょの塊だってことに気づいてないんかな。(全員ではありません。少数です)
めちゃくちゃ恥ずかしい。ほんまに。私はTwitterは全く投稿しない主義なんで、わざわざ批判しに行ったりはしないけど、同じ趣味を持った人間として恥ずかしい。性癖がジャストフィットする人がそんなことを言っているのは悲しい。
あとさ、なんでR18の二次創作をしたり、どすけべBL作品を書いたりしてるくせに巨乳のラブドールがゴミを食わされる作品に発売中止を求めたり、あたかもその作品を否定することが正義であるかのように振る舞ったりするの?
特に、某BL小説家さん。恥ずかしくないんですか?あなたの作品を読んだことはないのですが、題名から察するに、あなた、相当な変態さんでしょう。
あの作品は純粋な思考実験としての側面だけでなく、変態さんの性欲に訴えかけるような部分もあると思います。でも、それをあなたが言うんですか?本心から言ってるんですか?
ゴミを食わす部分がダメなんですか?だからこそプレイする価値があると思うのですが。
私はそこまで文句を言うならプレイしろ!と言いたいのではありません。ただ、ご自分が世に出した作品を背負ったアカウントでそれを言っても説得力がないことは分からなかったんですか?
あとさ、なんで低身長が好きな男はやばいみたいなこと言うの?そっちの方が可愛らしく見えるからとかじゃないの?守ってあげたくなるからじゃないの?あんたらだって、高身長が良いって言うじゃん。それは頼り甲斐があったり、単純に見栄えが良かったりするからやろ?
何が違うん?(私が見たのはバ●ェラーっぽい大人の男女の恋愛リアリティーショーの切り抜きと共に低身長が好きな男はやばい(意訳)とツイートされていたものです。切り抜きは参加者の男性の一人が自分は低身長の子の方が好き、と発言した場面でした。その回は高身長の女性が多かったらしく、その場でそれを言うのは空気が読めないといった意見もありましたが、私は好みの女性が居なかったんじゃなかろうか、と勝手に思っております)
Twitterに棲んでる女(主語がデカすぎる!)の悪いところの一つに男から女性への性欲は嬉々として叩くのに、女から男性への性欲については白々しい言い訳をするところだと思う。(性犯罪や性犯罪を予告するような言動を含むつもりはありません。好みのタイプだとかを含めた話です)
やめようや、それ。女オタク(主語がデカすぎる!)のそういうところが嫌だなと思う深夜3時。
めちゃくちゃ面白そう。Steamには触れたことがないので気軽にプレイできるわけではないけれど、ものすごく興味をそそられる。宣伝を見た感じ、某小説へのリスペクトもしっかりあるようなテーマだと思う。なんでラブドールなの?と非難しているツイートもあったが、そこに意義がある作品なんじゃなかろうか。
年齢制限がいるのは確かな作品ではある。だから、フ●ミ通が大々的に宣伝したのがまずかったのかもしれない。私が知らないだけで、年齢制限のかかるゲームをこれまでも紹介してきたのかもしれないけど。
作者さんは気の毒だと言う他ない。頑張ってください。
キモいって言うのは良いんだよ。それをどこで言うかはともかく。でも、私が不快だからやめろ、は駄目なんよ。子どもでもわかるんよ。
なんで女(主語がデカすぎる!)って自分らが男性に性欲を向けることがキモいって理解しないの?善悪はともかく、それが気持ち悪いことは変わらないよ。
確かに、この二つは違う。少なくとも、私は違う意味で使ってる。(違いを説明しようと思ったのですが、スマホで卑猥な言葉を打つことが恥ずかしいので省略させていただきます)
でもさ、メロいもシコいも相手を性的な対象として見ていることには変わらないんだよ?
メロいって言葉を成人女性が男子高校生に向けるのは違うんじゃない?思うのがダメとかそういうんじゃなくて、成人男性が女子高校生に可愛いって言ったらボコボコに叩くクセに自分らは言ってるのおかしくない?(と主張しましたが、実際に前者と後者の発言を同一アカウントがしている確証は持っていません。私の体感的な話であることにご留意を)
あとさ、私、腐女子なんよ。だから、TwitterでBL作品を描く方やイケメンを描く方のアカウントをフォローしてるわけよ。でも、その中に表現規制派(男性向けエロの表現を規制しようとしている人たちの意)がいるわけよ。二次元美少女に対して文句を言う奴もいるわけよ。自分らが尊いとか言うとるものが他所から見ればきしょの塊だってことに気づいてないんかな。(全員ではありません。少数です)
めちゃくちゃ恥ずかしい。ほんまに。私はTwitterは全く投稿しない主義なんで、わざわざ批判しに行ったりはしないけど、同じ趣味を持った人間として恥ずかしい。性癖がジャストフィットする人がそんなことを言っているのは悲しい。
あとさ、なんでR18の二次創作をしたり、どすけべBL作品を書いたりしてるくせに巨乳のラブドールがゴミを食わされる作品に発売中止を求めたり、あたかもその作品を否定することが正義であるかのように振る舞ったりするの?
特に、某BL小説家さん。恥ずかしくないんですか?あなたの作品を読んだことはないのですが、題名から察するに、あなた、相当な変態さんでしょう。
あの作品は純粋な思考実験としての側面だけでなく、変態さんの性欲に訴えかけるような部分もあると思います。でも、それをあなたが言うんですか?本心から言ってるんですか?
ゴミを食わす部分がダメなんですか?だからこそプレイする価値があると思うのですが。
私はそこまで文句を言うならプレイしろ!と言いたいのではありません。ただ、ご自分が世に出した作品を背負ったアカウントでそれを言っても説得力がないことは分からなかったんですか?
あとさ、なんで低身長が好きな男はやばいみたいなこと言うの?そっちの方が可愛らしく見えるからとかじゃないの?守ってあげたくなるからじゃないの?あんたらだって、高身長が良いって言うじゃん。それは頼り甲斐があったり、単純に見栄えが良かったりするからやろ?
何が違うん?(私が見たのはバ●ェラーっぽい大人の男女の恋愛リアリティーショーの切り抜きと共に低身長が好きな男はやばい(意訳)とツイートされていたものです。切り抜きは参加者の男性の一人が自分は低身長の子の方が好き、と発言した場面でした。その回は高身長の女性が多かったらしく、その場でそれを言うのは空気が読めないといった意見もありましたが、私は好みの女性が居なかったんじゃなかろうか、と勝手に思っております)
Twitterに棲んでる女(主語がデカすぎる!)の悪いところの一つに男から女性への性欲は嬉々として叩くのに、女から男性への性欲については白々しい言い訳をするところだと思う。(性犯罪や性犯罪を予告するような言動を含むつもりはありません。好みのタイプだとかを含めた話です)
やめようや、それ。女オタク(主語がデカすぎる!)のそういうところが嫌だなと思う深夜3時。
めちゃくちゃ面白そう。Steamには触れたことがないので気軽にプレイできるわけではないけれど、ものすごく興味をそそられる。宣伝を見た感じ、某小説へのリスペクトもしっかりあるようなテーマだと思う。なんでラブドールなの?と非難しているツイートもあったが、そこに意義がある作品なんじゃなかろうか。
年齢制限がいるのは確かな作品ではある。だから、フ●ミ通が大々的に宣伝したのがまずかったのかもしれない。私が知らないだけで、年齢制限のかかるゲームをこれまでも紹介してきたのかもしれないけど。
作者さんは気の毒だと言う他ない。頑張ってください。
キモいって言うのは良いんだよ。それをどこで言うかはともかく。でも、私が不快だからやめろ、は駄目なんよ。子どもでもわかるんよ。
逆に終わってほしくない人がいるのかよ。いてたまるかよ。
恋愛リアリティーショーとかで自殺した話を忘れたのか。ネット言論は人を死にまで追い込む。
そのなかで有害さ極まってるのがここだろ。
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これはVeryストレートでリアル。リアリティーのあるテクニカル・プロブレムに、ダイレクトなアクションをリクエストしてるわけよ。まさに “ファクトはフィクションよりストレンジャー” ね。
「We top playersはマーケットでベネフィットをオプティマイズするために、データセントリックなベスト・ストラテジーをアプライします!」
コンプリートにBuzzwordカクテルのワンダーランド!でもね、ミーニングがフローティングしてて、どこにランディングするのかドントアンダースタンド!
「ミーはリアルをトラストするガイ。だから、テックのトークをチョイスしてトラスト!セールスのワードは、もうちょっとグラウンディングしてからトーク・トゥ・ミー!」
ということで、トゥギャザーしようぜ、リアリティと!