■ 16年前の出来事日本代表がW杯初出場を決めたのは1997年11月16日だったので、ちょうど16年が経過した。中立地であるマレーシアのジョホールバルでイラン代表とアジア第3代表決定戦を行って、延長戦の末、FW岡野(浦和)のVゴールによって3対2で勝利するという劇的な展開となった。この試合はフジテレビ系列で生中継されているが、視聴率は47.9%を記録している。4年前は「ドーハの悲劇」で涙を飲んだが、この試合は「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれている。
「もう16年も経つのか・・・。」という人がほとんどだと思うが、このときのアジア最終予選のことを鮮明に記憶している人はたくさんいると思う。イランとのアジア第3代表決定戦での盛り上がりと、W杯出場が決定した後のフィーバーぶりが尋常ではなかったことは言うまでもないが、フランスW杯のアジア最終予選に関しては、初戦のウズベキスタン戦からスタジアムはヒートアップしていて、今、当時の映像を観ても、「異常だ・・・。」と感じるほどである。
この4年半後には日韓W杯を開催している。日韓W杯のときの盛り上がり具合も凄まじいものがあったが、日韓W杯と比較しても、「1997年のフランスW杯のアジア最終予選の方がクレージー。」と感じるほど、物凄い熱気である。ここ最近は、W杯出場が当たり前になっているので、「W杯に出場できることのありがたみ」が薄れているが、何事でもそうであるが、「初めての体験」というときは、2回目以降では味わえない感動とエネルギーがもたらされる。
ただ、最初から日本国内がサッカー一色で盛り上がっていたかというと、そういうわけではなかった。当然、スタジアム(=国立競技場)は盛り上がっていたが、例によって、アジア最終予選の直前の加茂ジャパンのチーム状態はあまり良くなかったので、初出場を期待する人は多かったが、悲観的な見方をする人も多かった。ただ、アジア最終予選が始まってみると、スタジアムの雰囲気が尋常ではなかったので、思わず引き込まれた人は多かった。
当時、サッカーというのは今ほどメジャーではなかった。もちろん、1993年にJリーグが発足して爆発的なブームとなったが、1年半ほどで落ち着いて、その反動もあって、サッカーあるいはJリーグへのバッシングは凄まじいものがあった。「野球・野球・野球」で生きてきた人の一部は、「サッカー」という(日本では)新しい競技が人気スポーツになることは、許しがたいことだったようで、理不尽なほどネガティブに報道されたので、逆風が吹いていた。
もちろん、当時もプロ野球が一番の人気スポーツだったが、スポーツ紙の一面を飾るのは、いつも読売ジャイアンツの話題だった。今では、海外組や日本代表がスポーツ紙の一面を飾ることは、別段、珍しくないが、当時は、ほとんどなかったので、W杯のアジア最終予選が近づいてきて、日本代表のことがスポーツ紙の一面を飾ったときは、ちょっと驚いた。それくらい、今と比べると、サッカーあるいは日本代表の地位は低かったと言える。
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◆ まとめ #639 ジョホールバルの歓喜から16年 (part1) (2013/11/16)
・16年前の出来事
・恵まれたグループのはずだったが・・・
・エースのFW三浦知が大爆発するも・・・
→ 日本が初めてW杯の出場権を獲得したのは、1997年11月16日だったので、ちょうど16年が経過しました。そこで、ジェットコースターのような「スリル満点」だったフランスW杯のアジア最終予選の戦いぶりを振り返ってみました。(part1)から(part5)まで5回に分けて振り返っていきたいと思いますが、今回は1回目です。初戦のウズベキスタン戦(H)と2戦目のUAE戦(A)の2試合がメインです。
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