「天皇陛下を政治の具に使うな!」という主張がよくなされますけど、これってなかなか難しいのではないでしょうか。
そもそも、天皇という存在自体が、政治の範疇に入らざるを得ないですし、日本の伝統的・文化的「象徴」ですからね。
ただ、それでも、天皇の政治利用に当たっては、慎重であるべきだし、敬意を払う必要があるべきです。
ところが、天皇陛下のことを、まるで「一公務員」であるかの如く考えている輩がいますね。
特に、西欧の民主主義・社会主義にかぶれている”出羽の守”左翼にその傾向が強い。
国民主権の時代なんだから、皇室なんて無用の長物なんだ、くらいにしか思ってないのです。
こうした考えは、余りにも浅慮で、日本の歴史を知らなさ過ぎるものだとしか思えません。
また、政治が、どのような要素で構成されているか、全くわかっていない証左でもあるでしょう。
そもそも、政治には、「権力」とか「権威」とか「正統性」とかが必要とされますが、このうち天皇という存在は、「権威」あるいは「正統性」あたりを担っていると私は考えています。
いわば、天皇陛下は、日本の”権威”の純粋な「軸」なのです。
”権力”とは無縁の「軸」なのです。
日本は、権力と権威の二権分立を、古くは鎌倉時代に確立し、権力の独裁化を防いできた歴史があるわけですが、今日はそのことについて書かれた記述をイザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」から紹介していきたいと思います。
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
(1971/09)
イザヤ・ベンダサン、Isaiah Ben-Dasan 他
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◆政治天才と政治低能~ゼカリヤの夢と恩田木工~
天才乃至は天才的人間というものは確かにこの世に存在する。
私が神戸の小学校に通っていたころ、ずばぬけて数学のできる日本人同級生がいた。
全く癪にさわるほど出来るのである。
彼に言わすと私が予習や復習をするからいけないので、全く白紙の状態で教室に来ればするりと頭に入ってしまう、というのである。私は彼の忠告どおりにした。
するとますます成績が悪くなって落第しそうになった。
政治のことで、うっかり日本人のまねをしたら、これと同じ結果になるのが落ちであろう。
天才乃至は天才的人間の特徴は、自分のやったことを少しも高く評価しない点にある。
そして、他人の目から見れば実に下らぬ児戯に類することを、かえって長々と自慢するものである。
例としてよく引合いに出されるものに、シーザーが自らの発明と称して、『ガリア戦記』で得々と解説している「架橋機械」がある。
日本人も、時々、こういった「架橋機械」の自慢はするが、私の目から見れば、日本人のみが行いえた政治上の一大発明については、だれも黙して語らないし、だれも一顧だに与えていないのである。
私が言うのは「朝廷・幕府併存」という不思議な政治体制である。
これは七百年以上つづいたわけだから日本の歴史の大部分は、この制度の下にあったといえる。
これは一体、だれのアイディアなのだろう。
考えてみれば不思議である。
しかしこの独創的な政治制度も、戦前は「わが国の国体にもとる」ものとされ、あの軍人勅諭では、「世のさまの移り変りてかくなれるは人の力もて引きかえすべきにはあらねど」も、まことに「あさましき次第なりき」とされていて、出来ることなら消してしまいたい事態だとされている。
かわって戦後ともなると、何もかもいっしょにして「封建的」の一言で片づけられ、この不思議な制度は、常に無視され、黙殺されているのである。
朝廷・幕府の併存とは、一種の二権分立といえる。
朝廷がもつのは祭儀・律令権とも言うべきもので、幕府がもつのは行政・司法権とも言うべきものであろう。
統治には、一種の宗教的な祭儀が不可欠であることは、古今東西を問わぬ事実である。
無宗教の共産圏でも、たとえば、レーニンの屍体をミイラにして一種のピラミッドに安置し、その屋上に指導者が並んで人民の行進を閲するのは、まさにファラオの時代を思わせる祭儀である。
誤解されてはこまるが、私は絶対に、こういった行為を野蛮だと言っているのではない。
蛮行とはもっと別のことであって、このような祭儀行為とこの祭儀を主催する権限とは、常に最高の統治権者が把持してきた、非常に重要な権限だ、という事実をのべているのである。
だが、祭儀権と行政権は分立させねば独裁者が出てくる。
この危険を避けるため両者を別々の機関に掌握させ、この二機関を平和裏に併存させるのが良い、と考えた最初の人間は、ユダヤ人の預言者ゼカリヤであった。
近代的な三権分立の前に、まず、二権の分立があらねばならない。
二権の分立がない所で、形式的に三権を分立させても無意味である。
それがいかに無意味かは、ソヴェトの多くの裁判を振りかえってみれば明らかであろう。
西欧の中世において、このことを早くから主張したのはダンテである。
彼は、この二権の分立を教権と帝権すなわち法皇と皇帝の併存という形に求めた。
法皇は一切の俗権が停止されねばならぬ。
皇帝は法皇に絶対に政治的圧力を加えてはならぬ。
そして両者が車の両輪のごとくになって、新しい帝国が運営さるべきであると考えた。
だがダンテの夢は夢で終った。
彼が、日本の朝廷・幕府制度のことを知ったら、羨望の余り、溜息をついたであろう。
ダンテの夢が夢で終ったように、ゼカリヤの夢も夢に終った。
(~中略~)
日本の天皇はヨーロッパ的意味の皇帝ではない。
少なくともインぺラトールではない。
美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は絶対に日本の天皇にはない。
私は、ずいぶん探したのだが、まだ、鎧をつけた天皇の像を見たことがない。
また天皇は必ず「こし」に乗っている。
その外容はヨーロッパ的に見れば、皇帝よりもむしろ法皇に近い。
私は、天皇を、後述する「日本教」の大祭司だと考えている。
そして将軍はまさに総督である。
もう一度問う、このすばらしい制度は、一体どんな政治哲学に基づいて、だれが考案したのであろうか?
事実、祭儀と行政司法と宮廷生活とが混合していた中世ヨーロッパの政府は、「政府」などといえるしろものではなかった。
それと比べれば幕府すなわちヨリトモ政府は、何とすばらしいものであったろう。
おそらく当時の世界の模範であったに相違ない。
これは絶対に私の独断ではない。
少しでも日本の歴史を知っている外国人はみな同じ感慨をもつ。
たとえば世界史を書きながら日本には殆ど言及しなかったH・G・ウェルズにしろ、内心では余り日本を高く評価していなかったネールにしろ、このヨリトモ政府だけは、見逃しえないのである。
だが、これをさらに研究しようとすれば大きな障害につきあたる。
それは日本人自身が、このことを少しも高く評価しない、という現実である。
天才とはそういうものなのであろうか。
いずれにせよ、ここで、政治というものが実務として独立した。
実務である以上、能力あるものがこれを担当する。
北条氏は陪臣にすぎないが、この陪臣が当時の全日本の行政を実に長期間担当している、しかもあくまでも陪臣として。
ということは、行政司法を担当するのは天皇であらねばならぬ、とだれも考えなかったからであろう。
みごとな分立といわねばならない。
そしてこれが、源平二大政党の政権交互担当といった考え方にまでなってくる。
もう一度問う、一体全体、こういった考え方は、どこから生まれたのか?
これも中国の模倣なのか。
私は中国のことはよく知らないが、どう考えてもそうは思えないのだが……。
さらに不思議なことがある。
「民・百姓のためなら、天皇を遠島にするも致し方ない」といった北条義時の考え方、また「天皇様御謀反」といった考え方、だが一方、「もし錦旗を立てて」天皇が先頭に立ってくるなら「馬を下り、弓のつるを切って」いかような御処分にも従えと泰時にいったその言葉。
この朝廷・幕府併存制度の先覚者の言葉は、勝海舟が『氷川清話』で言及しているように、非常に明確で立派な政治理念の裏打ちがあったはずである。
これらの政治理念は、中世ヨーロッパの皇帝や宰相や騎士団の考え方とは、雲泥の差があることは、言うまでもない。
だがこういった問題は、私には余りにむずかしすぎる。
そこでここでは、日本人が、二権分立というユダヤ人が夢みて果たせなかった制度を、何の「予習」もせずにいとも簡単にやってのけ、しかも自らは少しもそれを高く評価していないという事実は、中扉に載せたラビ・ハニナ・ベン・ドーサの言葉を思い起させるということを指摘するにとどめよう。
(後略~)
【引用元:日本人とユダヤ人/政治天才と政治低能~ゼカリヤの夢と恩田木工~/P71~】
確かに、天皇制に肯定的な一般の日本人でも、このことを高く評価している人はあまりいなさそうです。
ましてや、天皇制廃止を唱えている人たちなら尚更でしょう。
皇室を廃止しようとする輩、馬鹿にする輩は、まさに「日本の歴史を知らぬ奴」と評してよいのではないでしょうか。
日本が世界でも稀な二権分立を古くから確立した国であるという「歴史」を持つ国であること。
このことをはっきりと自己評価し、再認識することが、今後の日本国のあり方を考える上で欠かせないと思います。
次回は、天皇の政治利用や今後の皇室はどうあるべきか。
その辺りを書いてみたいと思います。
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