考えてみれば、先方の「正義」のプラカードを掲げながら、同胞の日本人を糾弾して正義面をしている日本人を、よく見かけますね。
日本人とアメリカ人―日本はなぜ、敗れつづけるのか (ノンセレクト)
(2005/04)
山本 七平
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◆うかつに信頼できぬ「正義の標語」
宇野さんと話し込んでいるうちに「ベトナム反戦」「公害反対」等の、アメリカの市民運動の「錦の御旗」の背後にあるものは何なのだろうと考えた。
「動物愛護」「資源保護」「鯨を殺すな」の標語が額面とは全く違うことを知った今となっては、すべてを徹底的に洗い出さない限り、彼らの「正義の標語」は信頼できない。
うっかり同調すれば、レイシストの片棒かつぎになりかねない。
そしてその時、ふと「モノマネのすきな連中が日本で鯨デモをやっているのではないか」と考え、心配になってきた。
「日本でもやっている」に力づけられた運動が日系市民に与える強烈な打撃は決定的であろう。
それでは本当に「天性のレイシスト」になってしまう。
そして「天皇への公開書簡」の草稿を氏から見せられたとき、この『日米交渉史』の著者の念頭に常にあるものが、祖父の母国に起こる拝米・排米の奇妙な転換や軽薄なアメリカ模倣と同調が、直接間接に日系市民に与えた被害であることを知った。
最初に記したように、レイシズムという語は日本には来なかった。
今後も来ないであろう(註)。
(註)…日本に他民族が流入し続けた場合は、必ずしも断定できないと私は思う。
しかしわれわれはアメリカには「レイシズム」という言葉が存在することは知っておかねばなるまい――少なくとも、相手を知ろうと思うならば。
この点に無知なら、レイシズムA型とB型の間を右往左往し、拝米・排米とくるくると転換し、先方の「正義」をプラカードに掲げながら、結局「天性のレイシスト」といわれる結果になってしまうだろう。
ある二世は、こういう点では個別主義のアメリカ人の方がはるかに信頼できると、はっきり私に明言した。
【引用元:日本人とアメリカ人/第七章 捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気づかぬ日本人/P167~】
反捕鯨活動においては、あまりそうした日本人はいませんが、それでも、かのシー・シェパードにも一人日本人女性が乗り込んでいるとの話。困ったものですね。
しかし、なんと言っても厄介なのが、日本の過去の戦争犯罪を追及している人たちでしょう。
従軍慰安婦問題とか南京大虐殺とか、まさにその典型ですね。
こうした人たちのことを、山本七平は次のように指摘しています。
「常識」の落とし穴 (文春文庫)
(1994/07)
山本 七平
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◆「人種的憎悪」について
(~前略)
戦争が終われば敵への憎悪はやがて消える。
しかし人種的憎悪は戦争・平和に関係なく存在する。
ただ、人種的憎悪はもちろんのこと人種的偏見も表面的には「悪」と規定され、それゆえに世界は南アフリカ政府を非難し制裁しているわけだが、しかし非難している側にも同じものが潜在し、それが別の表現、いわば「正義」や「公正」の仮面をかぶって作用して来ないという保証はない。
たとえば東京裁判の「文明に対する罪」や「人道に対する罪」は、日本人は「野蛮で残酷、無慈悲で狂信的」だから原爆を落とすのを当然としたトルーマンの日記と、前に引用した”人類学者”や、”生物学者”の意見と対応してみるとその真意がよくわかる。
そして戦後、日本人の中にさえこれを継承し、自虐的な自己憎悪、すなわち日本人による日本民族への憎悪が一種の「正義」としてまかり通ってきたこともまた事実である。
(後略~)
【引用元:「常識」の落とし穴/国際社会を読む/P28~】
それでは、こうした「正義」のプラカードを掲げながら日本民族への憎悪を振りまく輩と、本当に戦争犯罪の被害救済に頑張っている人たちを見分けるにはどうしたらいいでしょうか。
岸田秀の次の記述がヒントになります。
日本がアメリカを赦す日
(2001/02)
岸田 秀
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◆第九章 侵略と謝罪
(~前略)
要するに、ことは簡単であって、ある人の意見が本物かどうかの基準となるのは行動だけです。
その人の現実の行動がその意見を裏付けているかどうかを見ればいいのです。
たとえば、日本から被害を受けた国の人たちのために、私財を擲っているとか、多大の時間とエネルギーを捧げているとかのことがあれば、その人の謝罪論は本物でしょう。
要するに、被害を受けた人々のために現実に役立つことをどれほどしているか、そのために自分が現実にどれほどのマイナスを引き受けているかということです。
有名な文学者とか評論家としてどれほど聞こえのいい立派な謝罪論をぶっていようが(それで原稿料が稼げるし、良心的な人として有名になることもできます)、被害を受けた人々への日本国家の補償をどれほど強く主張していようが(自分の懐は痛みませんから)、そういう裏づけのない人たちの謝罪論は偽りではないかと疑っていいでしょう。
(後略~)
【引用元:日本がアメリカを赦す日/第九章 侵略と謝罪/P178~】
人間は自己欺瞞が巧みですから、謝罪を唱え、同調しない日本人を罵る人間が、自らのことをレイシストと自ら認めるようなことは決して無いでしょう。
自らの私財をなげうつような人間なら、まだわからなくもないですが、ただ単に謝罪に同調しない日本人を批難するだけなら、単なる”偽善者”であり、日本人に対するレイシズムと見做されても仕方ないのではないでしょうか。
そしてまた、このような”偽善者”による反省は、単なる懺悔の強要となり、本当の反省とはなりえないことも非常に問題であると考えます。
それはさておき、今回引用したくだりについては、この「日本人とアメリカ人」を執筆するよう依頼した稲垣武氏があとがきで触れていますので、その部分を以下ご紹介して終わりにしたいと思います。
(~前略)
しかし、アメリカ側の「錦の御旗」にも虚偽の仮面といえるものが多々あることを、山本さんは警告している。
その典型的な例は「捕鯨禁止運動」であり、訪米中の両陛下も反対デモに出くわしたが、山本さんはそれは日本人に対する一種の人種差別が根底にあると看破し、こう述べている。
「『動物愛護』『資源保護』『鯨を殺すな』の標語が額面とは全く違うことを知った今となっては、すべてを徹底的に洗い出さない限り、彼らの『正義の標語』は信頼できない。うっかり同調すれば、レイシスト(人種主義者)の片棒かつぎになりかねない」(第七章)
その危険を避けるためには、やはりアメリカ人のエトスをよく理解し、日本人のそれととこがどう違うかを知悉していなければならない。
「国際理解」とは「同じ地球市民としての連帯感」とか「人間同士としての相互理解」などといった美辞麗句ではなく、まず相互の差異を的確に認識することではないか。
そうでなければ日本人はまたぞろ山本さんのいう「拝米・排米の奇妙な転換や軽薄なアメリカ模倣と同調」を性懲りもなく繰り返すだろう。
凡百のルポとは全く違う山本さんのアメリカ人論は、アメリカ人・アメリカ社会の本質に迫っているだけに、今もなお貴重な示唆と教訓を含んでいる。
(後略~)
【引用元:日本人とアメリカ人/解説にかえて/P201~】
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