"Fcitx 5 Mozc for Fcitx 5" was the keyI have been wondering quite for a while if I was right about installing mozc through Muon or other (I forgot the name but predecessors of Muon).
IBUS was (or used to be) the choice of running INPUT methods under Linux.
I noticed a while ago that this Discover (or its predecessors?) had Fcitx in place of IBUS. I did not looked into it as I was used to installing mozc in ancient method I had been used to.
I was aware that current Discover (kind of software center) for Lubuntu 23.04 Lunar Lobster did show "Fcitx 5 Mozc for Fcitx" software package.
I was curious and I had to install it. When I had the chance to do it, I did it. The result was a bit surprising and at the same time pleasing.
It seems that mozc for IBUS was a thing of the past and I imagine current Japanese input method development has been around "Fcitx" but not IBUS.
It has been tweaked so that it meets the need of Japanese speaking (and writing) people.
For example (the only or almost the only thing I hated with mozc for IBUS), it is possible to change the default input mode when one evokes mozc to "Hiragana" mode. With mozc for IBUS, it was not possible.
Now I like Fcitx and I will change other Lubuntu's desktop to use Fcitx instead of IBUS.
続きをどうぞ
"Fcitx 5 Mozc for Fcitx 5"をインストールしてみた実は心に引っかかってたことがあった。映画マトリックスの中でも、モーフィアスが言うセリフにこの「心に引っかかってること」という意味のものがある。確か ... a splinter in your mind ...みたいな表現だった、と記憶してる。このスプリンターはSprinter(スプリンターで、短距離を速く走る人の意味になる)とは違う単語で、裂けた細い形をしたもので、トゲ、ささくれと云うような意味となる。モーフィアスは「心に刺さったトゲ」と言ってた訳だ。
それがUbuntu系でアプリケーションをインストールしたり、削除したりする際に使う際に使う2種類のアプリがあるのだが、初心者向け(一般人向け)のものと、中級者向けのものがあるのだが、それでmozc(日本語入力システム)を探すと、違うものが見つかる(あるいは見つからない)という現象であった。
一昔前は、このmozcをインストールするにはちょっと面倒で、その当時(10年以上前からやってたけど)は、IBUSとモズクを入れておけ、とネット検索で出てきたので、僕はそうしてた。その方法では、中級者以上向けのグラフィカルじゃない難しげなアプリを使って、自分で複数の関連ソフトを選択してインストールしてた。これに慣れてたので、最新のLubuntu 23.04でもMuonというアプリでそうしてた。
一方、初心者向け(語弊があるけど、グラフィカルで、わかりやすいインターフェイスのもの)のDiscoverでmozcを検索もできるが、選択肢が一つだけである。それはIBUSじゃなかった。だから無視してた。
気になった(心に刺さったトゲ)ので、このFcitxとモズクのセットパッケージを試してみた。ひょっとすると、こちらが現時点で日本人の開発者が改良を進めてるものなのかもしれないと、思ったからだ。
すると、どうやらそうらしいと分かった。使いやすいし、ちゃんと日本人が使いやすい様になってる。
IBUS mozcで一番の気に入らない点、それが日本語に切り替えた時点では入力モードがアルファベット入力状態になってることである。それがこのFcitx mozcでは選択して選べて、ディオールとをひらなが入力に固定できる。これが欲しかったのだ。そうか、これだったのか。
いつ頃から、日本語入力の開発・メンテはFcitxベースに移行したのだろう。知らなかった。IBUSで使ってる他の環境も順次、入れ替えて、Fcitxにして行こう。
Mozc for Fcitx 5ってどうやって設定すの最初から(Lubuntu 23.04の初期インストール直後)Fcitx 5とmozcをインストールしたマシン(すべて同じCompaq Presario CQ56でCPUがちょっと違うとか)もあるし、既にIBUSとmozcがインストールされてるマシンもある。それらをメンテしたりした。
インストールしただけじゃ使えないのが困った所でもある。まあ慣れてるから気にならないのだけども。もうLinuxを使って30年程度経つのだから、すっかり慣れた。
使えるようにするためには、細かい点を自分で設定しなくてはならない。多分(まったくの邪推)だが、日本語が標準状態で使えるようにカスタマイズしてLinuxのデスクトップ環境を配布してるディストリビューションでは、日本語入力も既に設定済なのだろう。でないと、絶対に初心者には設定できないような設定である。呆れるほど簡単じゃない。
慣れてれば、なんとなくわかってしまうのだが、この慣れるまでの苦労が結構あったわけです。一度苦労すると、次からはなんとなく勘所が掴めるだけなのです。
仕切り直し前提として、まず一旦インストールしてしまったmozcとIBUSを削除する必要がある。それからmozc for Fcitx 5を入れるのだが、これも初心者向けの範囲じゃない。
Ubuntu系のディストリビューションには(多分)2つのソフトウエア管理アプリが入ってる。LubuntuだとDiscoverとMuon Package Managerである。以前(5年くらい前?)は違った。中級者以上向けの方がMuon Package Managerじゃなかった。当時はそれを使って日本語入力関連のソフトを入れて、日本語を使ってた。当時も今も、英語ベースのLubuntuに追加で日本語入力ができる最低限の環境にしてます。
で、ある時期からこのMuonに変更された。ある時期に(20.04とか、何かだと思うけど)、新規にLubuntuをアップグレードして、以前の通り、日本語入力環境を追加しようとした。Muonに変更されたことを知らないで、それまでの(名前を覚えてないけど、同様のアプリ)アプリが無くなってびっくりして、わざわざそれをインストールして、日本語入力システムを入れて、その後、デスクトップ環境の変更内容をチェックしたら、どうやらMuon Package Managerを使えば良かったことに気づいた。
その頃だと初心者向けのアプリ(Discoverじゃなかった気がする)だと、mozcと検索しても何も見つからなかった(と記憶してる)。そういうもんだとずっと思ってた。ここ数年前から初心者向けアプリの方でもmozcが検索できるようになった。
さて、一旦インストールされたIBUS/mozcをアンインストールするには、やはりMuonじゃ無いとだめだ。しかもmozcで一旦検索して、現在インストールされてるものを削除(Remove)か消去(Purge)しないといけない。僕は後者にした。違いは設定ファイルとかが残るか残らないかのはず。それからIBUSで再度検索し、インストールされてるソフトを消す必要がある。それからMozc for Fcitx 5を入れると上手く行く。
再起動等で一旦精算して、その後にFcitxの設定を始めるのが吉と思う。ここまでで、初心者の心が折れなければ、良いけど。普通は折れる。
それから、やっと設定が始まる。どこかに設定方法のガイド文書があるのかもしれないが、もしあるんなら、Fcitxのインストールと同時にホームディレクトリー(個人の領域)にガイドをそっと置いておけよ。何にも無いじゃないか。それがLinux界では標準だけど。
僕は適当にやった。インストールされてるソフトは、目に見える範囲では、次のようになってる。
プルダウンメニューから、
System Tools -
- Fcitx 5 -
(これを選択しても何も起こらないので、意味不明)
Preferences -
- Fcitx 5 Configuration
(これがメインの設定手段)
- Fcitx 5 Migration Wizard
(Fcitx 4の環境からの移行補助)
- Input Method
(これも無反応なので、意味不明)
- Mozc Setup
タスクバー(と呼ぶのか、メニューバーと呼ぶのか知らんけど)から、
Fcitxのキーボードアイコンか、モズクの「あ」アイコンを右クリックすることで、Configureに行ける。
これらを解説しても良いのだが、誰が読む?このブログは僕の日記なので、誰も読まない。この中のある項目を選んで起動させると、設定とかカスタマイズにたどり着ける。
困ったもんだ。なんとかならないのかな。憂います。確かに細かいカスタマイズが可能というのは良いことかもしれないが、多くの人(9割以上)にとっては、面倒で、複雑なだけです。選択を与えることは良いことだが、「最低限の機能を提供し、もし気に要らないなら、カスタマイズしてください」と云うスタンスで提供できないものか?
映画Matrixシリーズでも繰り返し言われてることがが、多くの人は単純なもの(日常プログラム)をそのまま受け入れる。ほんのひと握りの人達だけが、違う選択肢を求める(現実を受け入れられなくて、ポッドから目覚めようとする)のである。一般人には選択肢を与える必要なんて無いのである。
モズクをインストールしたら、そのままいきなり日本語が入力できるようにしろよ。そうして、選択肢、カスタマイズの範囲を狭くしておくのをインストールのディフォールトにしておけよ。少しくらい押し付けしても誰も文句言わないよ。
Linuxデスクトップ環境を一般ユーザーにもっと広げる「つもり」なら、本気で取り込む必要があるのが、選択肢を狭めて、標準化することだと思う。
まず無数に(有限には違いないけど)あるディストリビューションだが、これもちょっと憂うけど、これに制限は掛けれない。自由だからこそ、Linuxなのだから。
で、カーネルは一元管理されてる(Linus氏を頂点とする独裁政権的な民主主義?)。
OSとしては、例えばsystemdと非systemdとか、システムを起動する際のプロセス管理だって、ディストリビューションがカスタマイズしてる。もうデスクトップ環境が立ち上がる前から、無数の選択肢があるのである。
さらに、Debian系とかRed Hat系とか、Arch系とかパッケージ方法とかソフトウエア管理体型の違いが複数ある。
もうそこはジャングルである。macOSとかWindowsとかに比べるとジャングルである。
ニーチェ曰く(30年程度前に読んだ本からの記憶なので、正確じゃないけど)、明快さとは暗闇と明るいスポットの配置である、と。
つまり、暗闇じゃ全く先が見えない、つまり明快以前の状態である。しかし、明るいスポットだらけで、見えすぎると、目移りして、筋の通った方向性のある考えにはならない。漠然である。
暗闇に一筋の明るいスポットが丁度飛び石状に配置されてると、人はそれに従うことができる。これが明快性(論理性)である。
木漏れ日のジャングル(樹海?)の中では方向性も、道筋も地図も無い。そこに入った人々は彷徨うだけなのである。
どの方向に進むかを定められてないジャングル状態を「自由、Free」と呼ぶか、単にジャングルと呼ぶのか?を誰かが定義して、多くの人に納得させなくてはならない。
過去30年はジャングルの中を彷徨う時代だった。(過去数年から)現在は、収束の方向に向かってると信じたい。サーバー界ではFreeBSDなり、Linuxが幅を効かせてるだろうが、個人のデスクトップ環境界ではLinuxは超マイナーである。本気でこの個人デスクトップ環境での状況を変えたいなら、収束(選択肢を狭める)させるしかない。ジャングルを抜けて、地図のある道(少なくとも行き先表示のある森林内のハイキングトレイル程度)までにしないと駄目だと思う。
説明責任と云う言葉がある。これを使うのはどうだろう。初心者にも分かるようなガイドを付けることを義務化するのである。すると、どうなるか。ソフトウエアの取り扱い説明を文章化するのはすごく面倒な作業である。だから、当然コピペが発生する。誰かの努力の結果をコピーして、ペーストするのである。すると収束するはずである。
このアイデアは駄目だろうか。上手くゆくと思うのだが。
20年前程度のハリウッド映画とかテレビドラマで使われたセリフだが、裁判途中に、弁護士が証人(専門家)に対して促すセリフだ。(陪審員は一般人なので、しかも平日に裁判の審議にでるような暇な人間で、生活保護で生活してるような教育程度が低い人が多いので、みたいな隠れたメッセージも含むが)「小学校高学年程度でも分かるような言葉で解説してください」である。専門用語を使わず、優しい言葉で解説するのは難しい。
GPL(General Public License)等を改変して、ソフトを改変したら、その分丁寧なガイドを供給することを義務付けるのである。全てのGPL(或いは類似のライセンス)ソフトウエアには丁寧なガイドが付属するようにさせるのである。当然だがmanコマンドで出てくるような解説では不足である。まあアイデアですけどね。
理系の人がプログラミングをして、文系の人がその取り扱い説明書を書くのである。文系の人にも仕事をさせましょう。
またやらかした今日は火曜日で、明日は水曜日(当然)である。予定では郵便局が明日の朝にGoogle Pixel 7を届けてくれる。残念ながら、明日は朝から用事がある。健康診断(極簡単な検査)である。数年に一回労働者が義務付けられてる健康診断である。だから、配達を待つことは出来ない。
多分配達時不在票がポストで入れられることになるだろう。だから引取は明後日(木曜日)となるはず。
で、やらかした。アマゾン(独)でピクセル7、ケース、マグセーフ充電器の3点を注文したのだが、実はケースがピクセル7プロ用だった(泣)。間違った。色の選択などと同時にピクセル7用か、ピクセル7プロ用かも選択する必要があったのだが、見落としてた。
追加でピクセル7用を注文する必要があった。これだけだと、購入価格が低くて、送料がどうのこうのと言われたので、追加でピクセル7用の保護フィルムも注文した。フロント画面の保護(硬いガラス状)と後部カメラの保護フィルム(硬いガラス状)が複数枚入ったセットである。これと保護ケースがあれば、傷を付けたりする可能性は低いはず。
正しいケース等は来週には届くはずだ。
ルクセンブルクの祝日、6月23日(金曜日)一般的にデュークの誕生日と言われてる日である。現在のデュークの誕生日でも無いし、本当の起源も違うものらしい。
ともかく、ルクセンブルクで一番重要な祝日である。他の祝日がカトリック系の祝日なのに対して、この日はルクセンブルク起源である。
日本だと建国記念日みたいなノリである。花火が上がるのである。この祝日の前の日(22日)の夜が花火があがるハイライトである。街にはシャンパンを飲んで騒ぐ連中が溢れる。
祝日の当日にも首都でイベントもあるが、多くの人は前日の馬鹿騒ぎのため、二日酔い?しながら静かに家で過ごす。
コロナ時には当然花火イベントもなかった。
今年は盛大に行うらしい。昨年はどうだったか覚えてない。この花火等に掛かる費用は我々の税金から賄われる。4月頃にイベントの予算が決定すると、4月頃の労働者の給与から天引きされるのである(笑)。天引きである。リアルである。
天気予報では雨が降る。雨の中での花火である。
テーマ:Linux - ジャンル:コンピュータ
- 2023/06/20(火) 21:40:48|
- Linux
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0