投稿日:2024-12-03 Tue
過ぐる日曜日、後楽園遊園地にて催された「コーヒー・フェスティバル」で美味なるコーヒーをいただき、その足で丸の内のイルミネーション見学に行った。その際驚いたのは、光の飾りではなく中央線のことだった。世の動きによほど鈍感だと我ながらあきれ返ってしまった。丸の内に行く前に、八重洲の地下街で買い物をせねばならなかったので、東京駅へのアプローチは後楽園から歩いて水道橋駅に行き、そこで総武線に乗り、お茶の水駅で同ホームの中央線に乗り換えた。その時慌てて乗り込んだ車両には「グリーン車」と書かれていた。実際普通の乗り合い電車の様相と異なり、二階建てのボックス席になっていたので「あれっ」と思う。振り返ると乗車口の上方に緑色のグリーン車マークとともに「ここはグリーン車のデッキです デッキにお立ちの場合でもグリーン券が必要です」とあるではないか。一瞬本能のようなものが働いて、ほかの車両に移ろうかと降りかけたが間に合わない。「ままよ」とデッキに立った。すると、閉まった乗車口ドアーにもう一枚貼ってあった。「! ただいまこの車両は『普通車』としてご利用いただけます」(ほっとする)その下に「! グリーン車サービス開始後はグリーン券(有料)が必要となります」(現在は区別なしということ)さらに下には「グリーン車の一部設備(トイレ、ゴミ箱等)、サービス(JR-EAST FREE WIFI等)はグリーン車サービス開始後からご利用いただけます」とある。いわゆる普通の通勤電車にはないサービスがあるということらしい。
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投稿日:2024-11-25 Mon
最近、終活と言えば終活だろうか、我が家に残っているVHSのビデオの内容を確認している。捨てる物は捨てなくてはならないからだ。そんなビデオの中に3作もの映画の入ったテープがあった。3作の題名は『黒衣の花嫁』(フランソワ・トリュフォー監督)『恋のエチュード』(フランソワ・トリュフォー監督)『ラヴェンダーの咲く庭で』(チャールズ・ダンス監督)。トリュフォーの作品は観たが、三番目のは全く記憶がない。この際と思い、全部観た。『黒衣の花嫁』の原題は«La mariée était en noir»、邦訳タイトルはほとんど原題通りだ(ただし、映像内に黒衣の花嫁は出てこない。「黒衣」は内面の問題だ)。主演はジャンヌ・モロー、『突然炎のごとく』以来6年ぶりの出演だった。ウィリアム・アイリッシュ原作のこの作品はどちらかと言えば、ジャンヌ・モローの魅力を見せつける、トリュフォーのお遊び的な作品と言っても過言ではない。登場人物の名前は画家なら、ポール・デルヴォーとかダヴィッド(ジャック=ルイ)とか名付けたり、主演のジャンヌ・モローの絵をマネの『オランピア』風の絵にしている。また、彼女は小学校の教師に化けて「ベッケル先生」と名乗っている。もちろんこれは、トリュフォーの敬愛する映画監督ジャック・ベッケルを意識してのことだ。
ストーリーはアイリッシュ風のサスペンスものだ。真っ白なドレスを着ている花嫁姿のジュリーと新郎が腕を組んで教会を出た瞬間、なにものかに新郎が撃ち殺されてしまう。それから数年後、犯人が向かいのホテルの一室で狩猟後の宴会をしていた5人であることを突き止めたジュリーは、ひとりひとり殺害することを決心する。鑑賞している側は、彼女が全員に復讐できるか、それとも・・・よくあるように・・・最後の一人だけ失敗してしまうか。ジュリー演ずるモローの軽快な迫力と魅力、なかなかスリリングだ。
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投稿日:2024-11-09 Sat
カトリックでは11月の1日は諸聖人の日(La Toussaint)、そして翌日2日は死者の日(Défunt)、その前日となると、毎年ハローウィンで騒がしい。渋谷や新宿の10月末の様子がテレビのニュースで見たくなくとも目に入ってしまう。もちろんこんなことは最近のことだ。アメリカで起こった「服部君事件」の頃日本では、人によって温度差はあるだろうがハローウィンのことをあまり知られていなかった。それだけに事件は衝撃的だった。ところが今年はそこにアメリカ合衆国の大統領選挙がぶつかって、これまた大騒ぎ。「もしトラ」などと言って、トランプ氏の当選を低く見積もっていた人たちにとって、トランプ旋風が現実となった。再び「アメリカ・ファースト」「偉大な国アメリカ」のような面妖なフレーズが日本語版となって流行るのだろうか。以前は「都民ファースト」なる政党まで作った都知事がいたし、今もいる。こんな思考がいかに危険で破滅的か。「神奈川県民ファースト」「埼玉県民ファースト」と各県が言い出したらどうなるか考えればわかることだ(国レベルでこれを言い出したとしたら、恐ろしい)。
などと、11月初旬にひとり敏感になっているのは、毎年のことながらこのカトリックで言う「死者の日」である11月2日は僕の誕生日だからだ。とはいえ、なにも特別なことをしているわけでも、してもらっているわけでもないが・・・。以前はもし誕生日に意味があるとすれば二十歳までであり、評価してよいのは古希の時くらいだと思っていた。が、実際古希を過ぎてみると70という数字にあまり意味があるとは思えなくなった。時代が変わり、70歳の人間なんて今時まったく「まれ」ではなくなったからだ。そのせいかどうかわからないが、「後期高齢者」なる称号は75歳からとなっている。
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投稿日:2024-10-12 Sat
秋日和となった昨日、映画を見に行った。と言っても、映画館に行ったのではない。さいたま市にあるいくつかの図書館のひとつ「大宮西部図書館」にJRの電車とニューシャトルという車両に乗って行った。誕生以来さいたま市に住んでいるがニューシャトルに乗ったのは初めてだ。当然車両にカメラを向けているのは僕だけだった。図書館は大宮駅からひとつ目の「鉄道博物館駅」で降りて、徒歩10分ちょっとばかりのところにある。このように遠い図書館にしかも電車賃まで払ってやって来たのは、クロード・ルルーシュ監督の邦題『遠い日の家族』を観るためだ。我が家の近くの図書館で調べたら、この映画はさいたま市にはレーザーディスクでしかなく貸し出しはしていないとのことだったからだ(当たり前だ、借りても鑑賞不可だ)。
ずいぶん昔テレビの深夜放送の名画座からビデオに録画して何度か見たが、そのビデオを失くしてしまった。時が経ち、映画の内容が記憶から少しずつこぼれ落ちてしまったので、もう一度見たいと以前から思っていたのだ。結果、やはり傑作中の傑作であることが確認できた。できれば映画館で観たかった。
映画の原題は『Partir, Revenir』、意味は「あの世に旅立ち、この世に立ち戻る」だろうか。邦題はドイツとの戦争中に悲劇を体験した二つの家族という設定からとっているのだろう。
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投稿日:2024-09-29 Sun
P様、「パリ・オリンピック開会式(1)~(6)」を読んでくださり、その上紹介までしてくださり、ありがとうございます。オリンピックにあまりご興味はお持ちではなかったようでしたが、実は私もそれほど強い関心はありませんでした。ただ開会式だけは、どこの国が開催してもその国の歴史、文化、社会観、国家観が出てくるものと思い、真夜中過ぎにもかかわらず見始めました(東京オリンピックの開会式にはこれという主張が見られなかった)。一応録画しておいたのは、途中で眠ってしまうだろうと思ったからです。ところがマリー=アントワネットと思しき女性がおのれの生首を両手で抱え、革命時の歌を歌った映像を見て驚嘆してしまいました(翌日、目にした日本のコメントでもっとも悪評だった場面です。が、フランス人は「やっぱりな」と思ったことでしょう)。また、国立図書館での「愛」の本の紹介では、日本人にはわからなかったかもしれませんが、「純愛」とか「恋愛」とか普通想像される類の小説ではなく背徳的あるいは肉体的な恋愛の本が主でした(フランス人はニヤニヤまたはゲラゲラ笑っていたでしょう。対してNHKのアナウンサーは嬉しそうに「これがパリの愛ですね」と説明していました。たぶん後で本の内容を知ったらびっくりしたでしょう)。こう見ると、この開会式はストレートな見方ではまったく理解できない、ある種難解な作りになっていると思い、解説を書こうと思ったのです(実際多くの人のコメントを見ると誤解/曲解が多数見られました)。
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