投稿日:2025-01-11 Sat
太平洋戦争時、戦艦武蔵の撃沈の際生き残った復員兵の日記(昭和20年9月から21年4月まで)。彼は15歳の時、現人神である天皇のために勇躍志願して海兵となった。それから5年、四等水兵から二等兵曹まで務めた。最後の勤務は戦艦武蔵だったが、撃沈の時戦友のほとんどが戦死したけれども、彼は偶然にも助かった。ほどなく敗戦となり、静岡県の村に帰ってくる。村でも何人かの戦死者が出た中での帰還はつらいものだった。次男坊の彼は家の仕事を手伝いながら、毎日行き当たりばったりの暮らしをする。

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投稿日:2024-12-18 Wed
『日本語に生まれること、フランス語を生きること』水林章著(春秋社)著者の水林章氏はフランス留学から戻ってきて、明治大学、東京外語大学、上智大学で教鞭を振るってきたフランス文学の研究者・教師であるが、ここ十数年前からフランス語でものを書き、フランスで著書を出版し、しかもアカデミー・フランセーズ仏語・仏文学賞(2011年)を始め、多数の文学賞を獲得してきた。当然フランスで話題の作家の一人だ。彼の特異な点は、紹介しようとしている本の題名に見られるとおり、日本で生まれて日本語で育ち(バイリンガルとして育ったのではなく)、大学からの学習によりフランス語を獲得して、フランス語を自家薬籠中のものとし、ついにはフランス語を生きるまでになったという点だ。
ただし、この書は彼が自己の天才ぶりの芸を紹介しているのではない。タイトルだけ見るとそんな誤解を招きかねないが、著者の狙いは日本という国の施政者はもちろん彼らを選出する日本人、その日本人が無自覚に生活している社会の仕組みと日本語の言語構造を歴史的に分析して、言語論から見る日本人の体質を語ることだ。さらに言えば、ジャン=ジャック・ルソーの研究者である著者から見る現代日本の危うさをあぶり出し、天皇を立憲君主以上に担ごうとしている不気味な流れに警鐘を鳴らしてもいる。十五年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)の惨憺たる敗北後、日本は人権宣言に匹敵する日本国憲法を制定したにもかかわらず、自民党を中心とした勢力は「勤労感謝の日」「建国記念日」「君が代斉唱の強制」というように少しずつ外堀を埋めて、今は憲法改正を狙って、ルソーの言う「市民的公共社会」(レス・プブリカ・・・レピュブリックの語源)から日本を再び遠ざけようとしていると主張する。

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投稿日:2024-06-13 Thu
ここに、今や現代詩の世界を代表する詩人野村喜和夫氏の初めての短編小説集『観音移動』(水声社)がある。畏友野村氏はランボーの研究者でもあり、長い詩作の時間のなかで優れたシュルレアリスムの研究者でもある。その彼がまさにアラゴンやブルトンのように小説においても無類の才能を発揮するとは。文学界に一条の光となることは間違いない。(註) 以下に七つの短編小説を順次紹介するが、小説の内容に触れていても、ネタバレになってしまうことはない。作品は紹介文よりはるかに深いのでストーリーの興味も妙味も失われることはない。作品からなによりも十分洗練された文体の美しさを味わうことができる。

表紙に記された詩句は以下の通り(右側より)
«一人よりはふたりのほうが世界は深い»
«クリニックなくとも、パニックよ在れ»
«地の袋小路»
«欲望が生煮えのまま、欲望が生煮えのまま、»
«うるおう、うるう、秒、うるおう、うるう、秒»
«豚は渇きの九階で育っている、»
«鰐と女、揺れ動く閾。»
«風は塔の塵をはこんでいる、»
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投稿日:2024-05-09 Thu
『人類の深奥に秘められた記憶』モアメド・ムブガル・サール作 野崎歓訳 Mohamed Mbougar Sarr “La plus secrète mémoire des hommes”この作品は、かつて若い頃読んだアメリカの黒人文学とは、時代が異なるせいか、全く異質だ。この小説の内なる力は、まさにタイトルに表れているようにアフリカはセネガルの民族の記憶、ひいては人類誕生の昔から宿していたアフリカの記憶そのものだ。1990年生まれというから、この小説の発表年(2021年ゴンクール賞)には31歳、フランスに大型の新人作家がひさしぶりに現れた(とはいえ、後書きによるとムブガル・サールはフランスに住み、フランスの教育機関で学んだけれどもフランス国籍を取っていないので「フランス語圏の作家」としなければならない)。
小説は、第二次世界大戦の直前の1938年23歳で『人でなしの迷宮』という小説を発表し、その直後評論家諸氏に散々な評価をくだされ公から姿を消したセネガル人作家の痕跡を辿りながらパリ、アムステルダム、ブエノスアイレス、そしてムブール(セネガルの町)へと経めぐる。

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投稿日:2023-04-12 Wed
美しい詩集を読んでいる。現代詩の世界から随分と離れていたが、今、再び美しい詩に巡り合った。多分最後の巡り合いになるだろう。その詩集のタイトルは『美しい人生』(港の人)という。手垢どころか汚物にも揉まれてきて、使い古された単純な形容詞「美しい」という語を冠した、あまりに平凡なタイトルの詩集だ。たぶん詩人の名を見ず、タイトルだけ見ていたら手に取ることもなく、僕とは無縁のまま過ぎていったことだろう。詩人は、現代詩人の野村喜和夫だ。このタイトルにただならぬものを感じた。「美しい」というような平凡とは無縁と思われた男があえてつけたタイトル、ヴェルレーヌやランボー、シュルレアリスムの詩人たちに没頭していた詩人の渾身の力を込めたタイトルがこれだ。美しい詩集となり、「大岡信賞」を受賞した。『私は思い出す』という詩が詩集の掉尾を飾っている。同世代なので涙が出るほどに懐かしい。なんという人生だったのだろう。この詩は長いので途中までとし(先を読みたい方はどうか詩集を手にとってください)、「III (いつからか人生は---)」の全編を紹介しよう。
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