投稿日:2010-11-23 Tue
もうひと月も前になるが、10月10日の「世界死刑廃止デー」を機に、毎日新聞がフィリップ・フォール駐日フランス大使に死刑制度についてインタヴィユーをしていた(10月14日8面)。このブログで再々度死刑制度について書きたいと思い、その記事を切り抜きしておいたのだが、忙しさにかまけて、時が過ぎ、いつの間にか「勤労感謝の日(新嘗祭)」になってしまった。己の怠惰について、我ながらうんざりしてしまう。
そうこうするうちに、勤労感謝のこの日、毎日新聞朝刊に掲載中の死刑制度問題の記事が、フランスの死刑制度廃止の流れをとりあげて、我が国の死刑制度について考察した。
そのなかで、以前フランス大使も言っていたが、死刑廃止が決まった1981年には、死刑廃止派は決して多数ではなく、むしろ死刑存続派が60%以上で反対はたったの30%に過ぎなかったと報告されている。つまり、廃止に踏み切ったのは、ミッテラン大統領と側近の法務大臣(バダンテール)の政治リーダーシップによるものだという。早く言えば、大統領選で勝利して人気沸騰しているうちに、ミッテランは強引に死刑廃止を決定したのだ。
フランスと日本における死刑制度存続派と廃止派の世論の流れ。
日本は足利事件のあった1990頃から死刑存続派が増える。
驚くべきことに、1985年頃には、死刑賛成派の割合はフランスも日本も同じだった。
今日の記事によると、その後18年間、世論調査で死刑廃止賛成派が反対派を上回ったことはないらしい。それどころか、凶悪犯罪の後など、30回も死刑復活法案が議会に提出されたということだ。
つまり、《今でこそ死刑廃止運動の旗振り役を自任するフランス》(朝刊)でも、死刑廃止という勇断が国に完全に定着するのに長い時間がかかった。大衆は常に情に流されやすい。それを知と論理の力で説得し、納得させるのは政治家や司法の仕事ではないか。
フランスでは、その甲斐あって、1999年に賛否が並び、それ以降死刑廃止派が徐々に増え、政権が社会党から他の政党にうつっても、さらに増え続け、ついに2007年、死刑廃止は憲法に明記されるまでになった。フランスにおいて、死刑復活の可能性は限りなくゼロに近い。
さて翻って日本のことだ。今日本では85%を越える声が死刑の存続を求めているらしい。この85%という数字はフランスの60%と比べてみれば明らかに重たい数字だ。どんな首相も大臣も腕力で無視できる数字ではない。
《まず社会での議論だ。ふつうの人々がお茶を飲み食事をしながら、死刑の賛否を話題にするくらいでないと始まらない。・・・(略)・・・死刑反対が多数になるには教育が必要で、1世代はかかる。85%という数字は、まだ議論が行われていないことの表れだ(仏社会学者ガイヤール博士)》(朝刊)
確かに、日本ではまだ死刑廃止が議論にすらなっていない。機会があれば学生に話を持ちかけるが、彼らの大多数はそのことについて常日頃考え、互いに議論しているとは思えない。これからの未来を担う高校生や大学生がこのことについて研究し、議論沸騰させなければなんにもならないだろう。
政治の舞台では、死刑廃止派と自称しながら、《議論を起こすために死刑執行》などと言って人殺しをする、千葉景子前法相のような「とんちんかんな」似非死刑廃止論者もいるから警戒しなければならない。
《民主主義、人権の価値を共有する日本とEUにとって、死刑制度はノドに刺さった骨》(10/14の朝刊)となっているらしい。が今一番大切なことは、情に流されず知と論理を是とする司法は、死刑制度の無力さと有害さを説くべきであり、我々大衆は死刑の本当の意味について、死刑制度のない社会について、絶えず話し合い、議論をしなくてはならないだろう。社会学者などの専門家は、死刑制度のある国とない国についての、様々な参考資料をもっと頻繁に、そして広範に示して欲しい。
この日本から死刑制度がなくなる日、生きているうちは無理かもしれない。せめて、議論だけでも活発になればいいのだが・・・
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