投稿日:2010-06-23 Wed
6月22日(火)深夜フランス・南ア戦を見る。
ある程度予想していたことだが、チームの不協和音がそのまま試合に出た。まとまりのないフランスチームが情けないのは仕方ないとして、かわいそうなのは、フランスのためにワールドカップに出場できなかったアイルランドチームだ。この試合を見て、どれほど悔しがったことだろう。察するにあまりある。
投稿日:2010-06-20 Sun
昨日、岩波ホールで映画『パリ20区、僕たちのクラス』(ローラン・カンテ監督)を観た。結論から言うと、カンヌでパルムドール賞をとるのもむべなるかな、すばらしい映画だった。

パンフレットの表紙
映画作品の評価は、まずなにを持ってするのだろうか。作品の現実社会への迫真性、つまりレアリスムを価値観の指標とするならば、この『僕たちのクラス』はトップレベルであることは間違いがない。パンフレットで評論家の土屋好生氏が冒頭で次のように言っている。
《この映画の第一印象は「あまりにもリアルな描写」ではないだろうか。「ひょっとしてこれはドキュメンタリーではないのか」とか、「現実以上にリアル」という最上級の賛辞を贈る人がいるかもしれない。実際その場に居合わせたような臨場感も、自らその渦中に投げ込まれたような現実感も、尋常ではない。》(p.6)
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投稿日:2010-06-13 Sun
この度の菅首相の第一声は「最小不幸社会」を作ると言うことだった。最小不幸社会とはうまく言ったものだ。思わず膝を打ちたくなる。ロシアの文豪トルストイは、傑作『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、「幸福な家庭はみな似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれ不幸である」と言い、不幸な家庭を描いた。
それならば、菅流に言うなら、「幸福な家庭はつまるところ不幸ではないのだから、勝手にやってください。不幸な家庭はみなそれぞれ不幸だと感じているのだから、そういう家庭の不幸感を少しずつ減らすことによって明るい未来がやって来る」ということになるか。だがどうやって? まずは貧乏人をなくす(貧困率を下げる)ことから着手すべきと思われるが、どうだろうか。
幸福な人をいくら作っても、幸福の定義は常に揺れ動くから、意味がない。第一、幸福は次の幸福を望むことになり、きりがない。そういう意味で、「人を幸福にする」と主張する団体はうさんくさい。
そういえば、この前駅前で演説していた人が「幸福を実現する」と言っていた。その団体はある新興宗教が作った政治団体だ。ひどくあやしい。どうせ「彼らの幸福」を押し付けてくるに決まっている。
さて、菅流不幸叩き、どれほど成果を上げるか、お手並み拝見といきたい。
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