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石田明生

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映画『遠い日の家族』とラフマニノフピアノ協奏曲第二番
 秋日和となった昨日、映画を見に行った。と言っても、映画館に行ったのではない。さいたま市にあるいくつかの図書館のひとつ「大宮西部図書館」にJRの電車とニューシャトルという車両に乗って行った。誕生以来さいたま市に住んでいるがニューシャトルに乗ったのは初めてだ。当然車両にカメラを向けているのは僕だけだった。図書館は大宮駅からひとつ目の「鉄道博物館駅」で降りて、徒歩10分ちょっとばかりのところにある。
 このように遠い図書館にしかも電車賃まで払ってやって来たのは、クロード・ルルーシュ監督の邦題『遠い日の家族』を観るためだ。我が家の近くの図書館で調べたら、この映画はさいたま市にはレーザーディスクでしかなく貸し出しはしていないとのことだったからだ(当たり前だ、借りても鑑賞不可だ)。
 ずいぶん昔テレビの深夜放送の名画座からビデオに録画して何度か見たが、そのビデオを失くしてしまった。時が経ち、映画の内容が記憶から少しずつこぼれ落ちてしまったので、もう一度見たいと以前から思っていたのだ。結果、やはり傑作中の傑作であることが確認できた。できれば映画館で観たかった。
 映画の原題は『Partir, Revenir』、意味は「あの世に旅立ち、この世に立ち戻る」だろうか。邦題はドイツとの戦争中に悲劇を体験した二つの家族という設定からとっているのだろう。

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映画評 | 21:09:30 | Trackback(0) | Comments(0)
映画『バティモン5 望まれざる者』ラジ・リ監督
 昨日、新宿武蔵野館に映画を観に行った。今話題の、と言ってもささやかな話題にすぎないかもしれないが、パリのバンリュー(郊外)問題、すなわち移民・貧困・格差の問題を真っ向から扱っている監督ラジ・リの最新作だ。彼は、以前に『レ・ミゼラブル』で話題になったマリ共和国出身、現在はフランスに住み、フランス国籍をとっている。

解説・あらすじ
『レ・ミゼラブル』などのラジ・リ監督が、フランス・パリ郊外の団地の一画「バティモン5」をめぐる行政と住人たちの抗争を描いた社会派ドラマ。住人たちを排除しようと団地を取り壊す計画を強引に進める市長一派に対し、地域のケアスタッフや住人たちの怒りが高まり、衝突に発展する。出演はアンタ・ディアウ、『レ・ミゼラブル』にも出演したアレクシ・マナンティ、『ランジェ公爵夫人』などのジャンヌ・バリバールなど。
フランスのパリ郊外「バンリュー」には移民やその家族が多く暮らし、「バティモン5」と呼ばれる一画では再開発の計画が進んでいた。新市長のピエール(アレクシ・マナンティ)は、バティモン5を一掃する政策を強行しようとする。それに対し、地域のケアスタッフとして働いてきたアビー(アンタ・ディアウ)や住人たちが反発。ある事件をきっかけに、両者の対立は抗争へと発展する。(公式サイトより)



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映画評 | 10:22:42 | Trackback(0) | Comments(0)
最近の映画五つ
Tout s’est bien passé 『すべてうまく行きますように』フランソワ・オゾン監督 (原題は過去形になっている「すべてうまくいった」)

Benedetta『ベネデッタ』ポール・ヴァーホーベン監督

Une belle course『パリタクシー』クリスチャン・カリオン監督 (原題は「たっぷりのタクシー料金」)

Ilusions perdues『幻滅』グザヴィエ・ジャノリ監督

Un beau matin『それでも私は生きて行く』ミア・ハンセン=ラヴ監督 (原題は「ある朝、ある日」の意)

 上にあげた映画は3月から昨日(5月12日)までに観た作品だ。共通しているのはすべてフランス語作品だったということだけ。Benedettaだけは、イタリアが舞台で、時代背景は中世。ある修道院に起こった(とされる)事件をもとに作られたそうだ。Ilusions perduesは有名なフランスの文豪バルザックの小説を映画化した作品。時代は19世紀初め、革命後の王政復古の頃で舞台はパリ。詩人として身を立てたいと田舎からやってきた青年ルシアンの野心と挫折の物語だ。
 残りの3作品はすべて現代、しかも現代がまさに直面している問題を一つは直球で、後の二つは変化球で表現している。Tout s’est bien passé 「すべてうまく行きますように」は、ズバリ「安楽死」の問題を取り上げている。監督(オゾン)がこの映画を作った後、かのジャン=リュック・ゴダールがまさにこの映画のようにスイスで安楽死を選んだのは記憶に新しい。マクロン大統領も、国家としてこの問題を取り上げる決心をしたと述べている。Une belle courseもUn beau matinも人生の最後という厳粛かつ重大な問題を扱っているのは同じだが、前者は軽やかに笑いを交えて描いているのに対し、後者は重心をその娘の生活に置きながら、認知症・高齢者施設の問題を描いている。どちらの映画もそれぞれの味わいがあり、佳作と言えるだろう。

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映画評 | 17:02:28 | Trackback(0) | Comments(0)
映画『エッフェル塔Eiffel』を観る
 昨日、新宿まで映画を観に行った。映画のタイトルは『エッフェル塔Eiffel』(マルタン・ブルブロンMartin Bourboulon監督)。建設当時の社会、特に塔建設における賛成/反対の世論などがほんの僅かでも描かれていればと期待していたのだが、予告編どおり技師エッフェルの恋愛話が中心で、建設の苦労(資金、労働者のスト)がほんの僅か味付けされているに過ぎなかった。その逆を期待していたものとしては残念のひと言だが、仕方ないだろう(有名人の恋愛は誰でも見たがる)。

 «モーパッサンは、しばしばエッフェル塔のレストランで昼食をとったが、しかし彼はこの塔が好きだったわけではない。「ここはエッフェル塔が見えないパリの唯一の場所だからだ」と彼は言っていた。実際、パリでエッフェル塔を見ないようにするためには、無限に多くの注意を払わなければならない。(ロラン・バルト『エッフェル塔』)»

 この、文豪モーパッサンの逸話はあまりにも有名だ。塔の建設当時、彼は「ベラミ号」というヨットで地中海を周遊し、滋味豊かな旅行記を書いている。「わたしはパリを去り、フランスを去った。けっきょく、エッフェル塔に、つくづくうんざりしたからだ」(『放浪生活』La vie errante)
 冒頭、こう書き出して、ピラミッドはもちろんピサの斜塔からバベルの塔まで引っ張り出して、塔論をぶちまけて一章を使っている。
 ことほど左様に、彼はエッフェル塔を嫌っていた。また、エッフェル塔建設の反対派の急先鋒に、あのオペラ座を作ったガルニエもいる。彼らは塔を「醜い鉄の骸骨」と非難していた。
 そんな話が映画に盛り込まれ、モーパッサンやガルニエが登場したらおもしろかったのだが、登場はおろか、美醜論争は皆無だった。
 ところで、エッフェル塔ができるまで人類が建設した最も高い建物は、エジプトのギザにあるクフ王のピラミッドだったということはあまり知られていない。エッフェルは4千年以上の間世界一の高さを誇ったピラミッドを抜いたのだ。20世紀になってアメリカのクライスラー・ビル(1930年)にその座を譲ることになる。
 パリでは1972年にモンパルナスの駅前にその名もモンパルナス・タワー(59階建て210m)ができた時も、激しい景観論争が巻き起こった。この論争は反対派の勝利と言えるだろう。2年後、パリ市内にこの種のビルの建設は禁止になったからだ。確かにこのビルは、素人目にも、なんの特色もないただののっぽビルでしかないようだ(失礼!)。
 ある時、パリの地下鉄の乗り換え用の通路を歩いていて、ポスターの傑作を見た。モンパルナス・タワーの最上階にあるレストランの宣伝コピーだ。
 ポスターにはそびえ立つモンパルナス・タワーの写真の最上階に吹き出しがあり次のような文句が書かれていた。
「皆さんは、ここから、パリで最も美しい景色を見ることができます。Ici, on peut avoir la plus belle vue de Paris.」(フランス語は記憶のまま、違っていたら失礼)
 この自虐的なフレーズは(素敵な自虐だ!)、先に挙げたモーパッサンの逸話を知らなければなんのおもしろみもない。そう、モンパルナス・タワーの最上階からの眺めは、唯一モンパルナス・タワーの見えない地点だからだ。そこから、パリの街並みにすっかり溶け込んですっくと立つ「貴婦人」エッフェル塔が見える。モーパッサンが生きていたら、なんと言うか。


映画評 | 23:38:18 | Trackback(0) | Comments(0)
映画『すべてうまくいきますように』を観る。
 バレンタインデーの今日、新宿まで映画を見に行った。邦題は『すべてうまくいきますように』、原題は Tout s’est bien passé (すべてうまくいった)と過去形になっている。その違いに大した問題はないだろう。視点を物語の途中にとるか、ラストにとるかということだ。前者ならこれからどうなるか、と考えながら見て、 後者ならハッピーエンド(うまくいった)の形はどうなるのかと見る。
 原作者である女性の小説家Emmanuèle Bernheim (エマニュエル・ベルンエムまたはベルンハイム)の家族に実際起こったことが映画にされている。監督は有名なオゾン(François Ozon)監督、彼は彼女の作品を今までなんども映画化している(筆者は『スイミングプール』を見たことがある)。
 さて内容だが、エマニュエルとパスカル姉妹のもとに父親アンドレが脳卒中で倒れたという知らせがくる。2人の娘はほとんど動けなくなった父親の面倒を見るが、不自由な体になった本人は安楽死を希望する。安楽死はフランスでは違法になるので、合法であるスイスで決行しようと画策する。
(映画についてソフィー・マルソーが語る。英語が達者なのに驚きます)
https://www.youtube.com/watch?v=gFguKKb1eWI

 内容にはあまり踏み込まないでおこう。この映画でおもしろいのは、二人の姉妹も父親も母親もその姉妹の夫も、すべて職業も名前も実際のまま使っていることだ。ちなみに、父親が最後に行きたいと言って、最後の晩餐をしたレストラン「ヴォルテール」も実在している。パリに二つあるが、多分高級な方のだろうと思う。それなら7区のヴォルテール河岸にある。
 フランスではかつて体外受精は禁止だったとき、ベルギーではOKだったので、パリからベルギーに行って体外受精をしたものだ。パリからブリュッセルまでの高速列車の名前は「タリス Thalys」というので、ブリュッセルで体外受精してできた子供を「Thalys Baby」と呼んでいた。それなら、映画のようにパリからスイスまで救急車(註)で運ばれて安楽死する人をなんて呼んでいるのだろうか。あるいは、安楽死してパリの墓地に戻ってきた亡骸をなんて呼ぶのだろうか。(註: 映画中、安楽死を決めた患者はスイスに行くのに救急車を使っていた。フランスには、救急車も色々種類があり、搬送料の支払いもある)
 それにしても、何もできず、惨めに、人様の世話になりながら「生かされる」のはごめんこうむりたい。誰でもが思うことだ。日本も、尊厳死や安楽死の問題がもっと盛り上がったらよいと思う。
 映画館内は、主役ソフィー・マルソーやオゾン監督のせいかもしれないが、地味なフランス映画にしては観客数が多かった。もちろん、年配者がほとんどだった。無関心でいられないテーマだったということもあるのだろう。


映画評 | 21:32:40 | Trackback(0) | Comments(0)
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