投稿日:2008-09-23 Tue
ピーの墓地は海辺の墓地と違いほとんど起伏がなく、平たく広がっていた。ここでも地図がなければ目指す墓地を探し当てることはできないだろう。不安を抱きながら墓地に入ると、幸いにも、入り口に管理事務所があり、年配の管理人がつめていた。「ジョルジュ・ブラッサンスの墓はどこでしょうか?」
管理人はとたんに相好をくずして、立ち上がり、ついてくるように合図をした。小径に立つと、次のように言った。
「ここを真直ぐ行って、三つ目の角を右に曲がりなさい。ほら、あの松の木の下ですよ」
「やはり、松の木があるのですね」にやりとすると・・・
「ええ、もちろん、彼のために植えたのですから」と、ウインクをした。
後ろを振り返ると、ブラッサンスの墓を示す標識が立っていた。訊くまでもなかったのだ。孤高の詩人ヴァレリーと異なり、この吟遊詩人はあくまで民衆を愛し、民衆に愛され、民衆として生きたから、墓参者が絶えないのだろう。見ると、例の松の木の方に、何組かの墓参者の群れがあった。
ジョルジュ・ブラッサンスの墓
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投稿日:2008-09-20 Sat
2008年夏のフランス旅行記は、地中海に面する小さな町、セートから始めよう。ずっと以前から思い入れのあった町だから。セートは、ラング・ドック地方の最東端の町モンペリエから、列車で30分ばかりのところにある、地中海と鹹湖(かんこ)トーに挟まれた《トカゲのように延びた》(Pierre Berruer “Georges Brassens”p.13)町だ。トカゲの背中は、緑濃い「サン・クレール山」(海抜184メートル)に当たるのだろう。背中から腰の部分に運河が縦横にうがたれ、町並みが形成される。昔は漁師の町だったろうが、今はたくさんのヨットが係留されて、ちょっとしたヨット・ハーバーだ。
運河と町並み、緑の丘が「サン・クレール山」
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