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石田明生

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『戦争と平和』全巻読了
 昨日、『戦争と平和』全四巻を読了した。かつて十代の時にチャレンジして、ストーリーだけを追いながら、ほとんど理解できなかった文豪の傑作を、今は「理解した」と言えるかどうかはわからないが、ほとんど全ての点ではっきりと読むことができたと思っている。そして、彼の行き着いた思想に少しは触れることができたのではないかと自負している。
 この歳になってやっと・・・
 以前ここに書いたように、やはり庶民のカラターエフとの出会いこそ、主人公ピエールにとって重要な生の転機となった。彼は、フランスの啓蒙思想家たちの書物や、フリーメーソンの知識や、様々なインテリとの出会いから仕入れた生き方などよりもはるかに強い影響を素朴な捕虜仲間の生き方と死に方から学んだのだ。それは、第四部の後半部に次のように表現されている。

彼は捕虜生活のあいだに、カラターエフの中にある神のほうが、フリーメーソンの信仰する宇宙の創造者の中にある神よりも、偉大で、無限で、極めがたいものであることを知ったのである。目に力をこめて、遠くへ視線を注いでいたときに、ふと足もとにもとめていたものを発見した人間の感情を、彼は体験した。(新潮文庫四p.379)(注)

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文学雑感 | 17:58:07 | Trackback(0) | Comments(0)
恐ろしき祈り
 今日七月七日は七夕の日だが、これは新暦のこと。旧暦では五月二十八日、この日の雨は「虎の涙」というらしい。曽我兄弟は本懐を遂げたが、兄は殺され、弟は処刑される。曽我祐成の妾遊女の虎御前がその知らせを聞いて、はらはらと涙を流したそうな。それが「虎が雨」または「虎の涙」だ。
 さいわい、関東地方はかの遊女の涙は降らず、曇りのち晴れという天気になった。そこで久々、近くの公園へ釣りに出かけた。驚いたことに、最初の一投で、いきなり25センチほどの鮒が釣れた。今日の釣果はどれほどになるか、気を良くして、しばし釣り糸を垂らす。
 公園の池は、どこにでもよくあるボート池ほどの大きさだが、「沼」と呼ばれている。公園は、「沼」を中心に作られているので大部分は沼が占めている。その沼に、人工か否かわからないが、弁天島と呼ばれる小さな島がある。そう、上野の不忍池を思い出せばよい。全く同じ筋書きだ。島には弁天様が祀られ、弁天堂がある。こちらは、不忍池のそれよりはるかにスケールが小さいが。
 弁天島に渡るのに5メートルほどの橋がある。だから島は岸からせいぜい2メートルほど離れているだけだ。今日は、珍しくその橋の近くで釣り糸を垂れた。大抵は先客がいるのだが、午後だったせいか幸い誰もいなかった。
 2時間ほど立っても、結局4匹ほどしか釣れず、好スタートのわりには残念な結果なので、もう一匹と思って釣り糸を垂れていると、目の前にある例の弁天島から祈願する声が延々と続いていることに気がついた。「マヨネーズ」「野菜」とか台所ものの単語があるかと思えば交通事故から土石流まで、様々な災害の単語もある。よく聞こえないが、同じ男性の声で、少なくとも20分以上続いている。書き上げた文を読んでいるに違いない。すると願い事のひとつがやっと聞き取れた。なんとそれは「石原慎太郎が早く死にますように」だった。それからはすっかり好奇心の虜となって釣りどころではなくなった。祈っている人はどんな人だろう。
 「これらの願い事を必ず叶えてくださいませ」が聞こえた。どうやら終わったらしい。もちろん釣りはそっちのけで、島をつなぐ橋を見ていた。
 すると、リュックを背負った青年が橋を渡った。渡り切ると振り返り、島に向かって両手を揃えて丁寧に一礼した。
 青年の身長は160センチくらいの小柄で小太り、大学生と言ってもおかしくはない20代前半くらいか。まっすぐ公園の出口に向かって歩き出した。表情からは何もうかがえない。前を見て、急ぐこともなく歩をゆるめることもなく、ひたすらすたすた歩いて立ち去った。
 今思えば、彼の願い事をもっと聞いておけばよかった。残念だ。
 まさか、弁財天が彼の祈願を全部受け入れることなんてないだろうと思うが。。。

 人の死を祈る者あり虎が雨 (拙句) 


日常スケッチ | 17:57:36 | Trackback(0) | Comments(0)
『戦争と平和』(四)途中経過
 『戦争と平和』第四巻は、モスクワに捕虜として取り残されたピエールの視点と体験が目をひく。自己啓発にも似た情熱を傾けて利他愛に生きようとして、フリーメーソンに入会したり、農奴解放を目指したり、人の死や苦しみをつぶさに観察しようと戦場を駆け回ったり、さまざまな格闘をしたピエールだった。彼は、貴族たちが次々とモスクワを後にするのを尻目にひとりモスクワに残る決心をする。ところが、逃げ遅れた子供を救おうと火事現場にいたために放火犯と間違えられ逮捕される。幸い、フランス語が流暢な彼は、放火犯として処刑されることなく義勇兵の士官とみなされ、フランス軍の捕虜となって一命を取り止める(処刑する側と処刑される側それぞれの面が如実に現れる処刑シーンは彼の心に深い傷を与える)。
 ナポレオンはモスクワ撤退を決心し、フランス軍は遠い祖国まで長く苦しい行軍を強いられることになる。ピエールを含むモスクワでの捕虜たち何百人(360人いたが解放されるまでに100人足らずとなる)は、当然だがフランス軍以上に劣悪な条件下での強制移動であった。歩けなくなれば処刑された。

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文学雑感 | 17:25:54 | Trackback(0) | Comments(0)