投稿日:2007-10-30 Tue
ところで、作者ユゴーはここで提示、というより吐瀉している膨大な下水道の知識をどうやって仕入れ、保存しておいたのだろうか。解説(訳者の佐藤朔氏)に依ると『レ・ミゼラブル』は一八五十年代のユゴー亡命中に書かれたということだ。この下水道の話に限らないが、この小説全体に詰め込まれた知識のアマルガムの放出はパリから遠く離れた異国の島(英仏海峡)で、一体可能なのだろうか。もちろん可能だった。この小説がそれを証明している。ではどうやって?・・・やめておこう、天才は天才だ。考えてもどうせ凡夫の想像の域を越えることはないだろう。
ヴィクトール・ユゴー像(ロダン作)
ヴィクトール・ユゴーの家にて
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投稿日:2007-10-24 Wed
この度のパリ旅行の目的の一つは、ヴィクトール・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』で描かれたパリをこの目で確認することだった。だから、新潮文庫を携えてパリに行き、今も読み続けている。若い頃はこんな読み方をしなかった。ただストーリーと名文と、情熱だけを追っていた。もちろんそれはそれでいいのかもしれない。どんな読み方をしても名作は名作だ。人に感動となにがしかの知識と教訓を・・・まれに毒気を・・・与えてくれるのは間違いない。年も経て、パリという町になじんで来た今は、どんな小説を読んでも、いや小説ばかりではない、ドキュメントも日記も、さらに映画も、その舞台・背景を必ずトポロジック(地勢学的)に見て、読み解こうとするようになった。

「ラップ通り」十九世紀、バスチーユ東のこの辺りはまさに革命と暴動の温床だった。
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投稿日:2007-10-14 Sun
9月12日(水)快晴パリ滞在最後の日だ。
まず、モディアノの小説『ドーラ・ブリュデール』のドーラが通った高校のあったピクピュス界隈(12区)に行く。彼女の寄宿学校はロトシルドの病院近くにあるとわかっていたので、その辺りを散策する。

ロトシルド(ロスチャイルド)病院
すると、今日は水曜日だからだろう、高校生くらいの少年・少女が群れをなして歩いているではないか。ちょうど下校風景に遭遇したのだ。思わず,シャッターを押しまくる。すると、僕がカメラを持っているのに気付いた女の子が「あっ,カメラを持っている!」と、叫んだ。これはまずかったかな,と思うと,「ねえ,写真,撮ってよ」と言うではないか。もちろん、否やはない(この部分は8月30日「ドランシー」の日記と重複します)。
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投稿日:2007-10-14 Sun
9月11日(火)(快晴)少々寝不足で二日酔いのまま、オペラ座からバスに乗り、シャルル・ド・ゴール空港に行く。チェックインを済ませ、四人は帰国の途についた。
さて一人になると、昨日の仇は今日討てとばかり、早速「Produits de monastere」に行って、クルミのクリームとイチジクのジャムを、休みだったショコラティエに行きショコラを買う。これでおみやげは手に入った。

お気に入りのショコラティエ「L'Atelier du chocolat bayonne」
ベルギー系ではなく、ピレネー山脈のふもとのバイヨンヌ風
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投稿日:2007-10-11 Thu
9月10日(月)快晴今日は旧友たちにとってパリ最後の日となる。だから、おみやげの買い物も視野に入れてパリ観光を目指す。
まずはモンマルトルの丘を散歩する。
モンマルトルという名前は「メルキュール神殿の丘」から来たという説があるが、それよりも面白いのは(失礼!)、「殉教者(マルチール)の丘」という語源だ。250年頃、初代パリ司教のサン・ドニは、ここで打ち首になったが、自らその首をかかえて、北に向かって歩いて行ったそうだ。そしてついに力尽きて倒れた地が、サン・ドニというわけだ。

モンマルトルの丘にある唯一のメトロ駅「アベス」、
この美しい駅はアール・ヌーボーの芸術家ギマールの作品。
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投稿日:2007-10-09 Tue
9月9日(日)快晴今日は日曜日、休みで閑散となるパリ市内でぐずぐずしているよりも、思い切って郊外に出かけよう。そしてどうせ出かけるならば、世界遺産を見学しよう。
というわけで、シャルトル大聖堂とヴェルサイユ宮殿を一日でまわることにした。
モンパルナス駅発9時半の電車に乗って、まずシャルトルに行く。

シャルトル行きの切符をこの自動読み取り機でコンポステ(読み取らせる)しなければならない。
フランスの国鉄は改札口がないからだ。
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投稿日:2007-10-07 Sun
9月8日(土)快晴今日はパリ市内なのでゆっくりとアパルトテルを出る。近くの証券取引所やパッサージュを見ながらメトロの最寄り駅「リシュリュー・ドルーオ」に行く。実際この辺りはパッサージュがたくさんある。それは19世紀には町の中心地だったからだ。

証券取引所
パッサージュは19世紀初頭に流行ったアーケード付き商店街だった。雨が降っても濡れずに買い物を楽しめるパッサージュは当時画期的なものだった。しかしそれも19世紀後半以降、一カ所ですべての買い物のできるデパートの出現(「ボン・マルシェ」が最初)により衰退の一途をたどる。

「ジュフロワ・パッサージュ」最近はむしろおしゃれなポイントとして観光客を引きつけている。
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投稿日:2007-10-05 Fri
9月7日(金)快晴今日は、モン・サン=ミッシェルへの日帰り旅行の日だ。
パリ・モンパルナス駅からレンヌまで高速列車TGVで約2時間、レンヌ駅からモン・サン=ミッシェルまでバスで約1時間、往復約6時間の旅行になる。
TGVの切符は、一ヶ月前に我が家のパソコンで買った。行きは25ユーロで帰りは37ユーロだった。フランスの鉄道はほとんどすべて国鉄だが、かつての日本のように(今でも?)料金は一定ではない。乗客の利用度に応じて様々な値段になるのだ。今回の料金はいずれにしても通常料金が50ユーロ以上はするから、割安であることに変わりはない。
8時5分発のTGVに乗るべく、オペラ座近くのアパルトテルを6時過ぎに出て、メトロでモンパルナス駅に行く。

モンパルナス駅外観、ラグビーのワールドカップ一色だ。
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投稿日:2007-10-02 Tue
9月6日(木)かつての4人の級友(M氏、K氏、マダムS、マダムY)たちと最初に向かったのは、エトワールの凱旋門だ。パリ第一日目にふさわしいポイントは? と、考慮しての結果だ。
1806年、ナポレオンはフランス軍団の栄光を称えるために巨大な凱旋門を建造することを命令し、シャルグラン(1739-1811)の設計案が採用される。
ナポレオンの失脚により中断したが、ルイ=フィリップ王のもと(1836年)で完成する。

「凱旋門」M氏撮影
フィップ・エガリテの息子(ルイ=フィップ)は人気の衰えをナポレオン人気にあやかろうとした。たとえばナポレオンの遺体の帰還(1840年)、それを準備したこの凱旋門の完成など。最終的にはナポレオン3世の到来を招く結果となった。
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