投稿日:2022-08-29 Mon
この前、先輩のY先生から、シリーズの随筆(<花の随筆>と勝手に呼ばせていただいている)がとどいた。前回は『クチナシ』、前々回は『ハルジョオン』、連作4番目の今回は『キョウチクトウあるいはムクゲ』だった(気になる人もいるかもしれないので第1作の題名も言っておこう。『ハナミズキ』)。広島出身の先生ならではなのかもしれない。「原爆にも耐えたと言われるキョウチクトウ」とまずはひと言石ころを水面に投げておいて、猛暑から八月にと筆を進め(筆者の目の前には文字通りセーラー万年筆かペリカンか存じませんが達筆の原稿があります)、先ほどのキョウチクトウの石ころでできた波紋の輪を広げる。八月は広島に原爆が投下された月なのだ。こうして、先生は«戦争と文学»全20巻中の一巻<死者達の語り>編に収録された小説『流れと叫び』(石田耕治作)をあげて、内容紹介と考察に至る。ピカドンとともに吹き飛ばされた人の座っていた場所に尻の影だけが残っていた、と言う。恥ずかしながらその小説を読んでいない筆者はあわてて図書館に貸出予約をする。その方が先生の話をより近しく聞けるかもしれない。
前日、そのような随筆を読んだせいか「原爆」「ピカドン」「石に焼き付けられた尻の形をした影」というフレーズが頭の中を目まぐるしく行き交ったまま、近くの公園の沼で釣り糸を垂れた。
熱波のせいで水温が上がって、魚までぼんやりしているのかまったく我が餌を喰おうとはしない。どうやら今日は「坊主」だなと考えていると、後ろから女性の声で「すみません、どんな魚が釣れるんですか?」と声がかかる。思わず振り返ると、妙齢の女性がにこやかに立っているではないか。「鮒です。鯉も釣れますが・・・」声をかけられることはしょっちゅうあるが、妙齢の女性からは初めてだ。振り返るともう一人女性がいて、その女性は日本人ばなれしている。思わず「あっ、どちらからいらっしゃったのですか?」と訊く。一人は愛知、もう一人は「ァメリカ」と答える(アの音がほとんど聞こえない)。背後の女性はアメリカ人だった。どちらの女性も、夏の日差しとはまったく無縁な驚くほどの色白だった。
続きを読む >>
投稿日:2022-08-17 Wed
この夏8月9日のブログで、ミハイル・シーシキンの小説『手紙』を紹介した。紹介したのはよいが、この書簡体小説の手紙のやりとり、男と女の時代を超えた二人の描写のリアリティーと美しさは、事あるごとに目に浮かんでくることに気がついた。もしかしたら、久々大傑作を読んだのかもしれない、時間が経つごとにその感が強くなった。そこで、彼が書いた他の小説をwikipédiaで調べて見たが、長編小説の翻訳は今のところ『手紙』以外出版されていないようだ。
たった一つの作品を読んだだけで、予言するのも早計にすぎるかもしれないが、あえて予言したい。「今年のノーベル賞、文学の部門はミハイル・シーシキンだ」
理由は、小説『手紙』の文学的水準の高さ(判断材料が一冊しかないのは残念)はもちろんだが、ロシアによるウクライナ侵攻が大きく影響すると思われるからだ。彼の発言「ロシア人であるということに苦痛を覚える」「この戦争はウクライナのみならず、ロシア人やロシアの文化、私の母語に対する犯罪」(『朝日新聞』への寄稿 沼野恭子監訳)から読み取れる彼の思想や彼のウクライナ人への支援等をスェーデン王国は十分に考慮することだろう(かつてソルジェニーツィンの例もある)。もしこれが、ノーベル賞側のあからさまに過ぎる政治介入と判断すれば、来年もしくは再来年ということになるだろう。
トルストイ、ドストエフスキー以来の作家と言われるシーシキン、彼の小説『手紙』はそんなことを思わせる作品だ。
投稿日:2022-08-15 Mon
今朝、Yahoo France を開いたら、「ミレーヌ・ファルメーヌ、衝撃を受け、襲撃の犠牲者となった旧友に愛情こもるメッセージを出す」という見出しが目に入った。「襲撃の犠牲者」とは、サルマン・ラシュディ氏のことだ。私のような昔からのミレーヌファンとしては見逃せない記事だ。『悪魔の詩』の作者と彼女がこんなにも親しい仲だったとは!記事は次のとおり・・・
«普段極めて控えめで、めったに表に出ることのない彼女が、8月12日にニューヨークで起こった悲劇を聞いて黙っていることができなかった。彼女の友人サルマン・ラシュディが何カ所か短剣で刺されたのだ。ミレーヌ・ファルメールは「日曜新聞」(=JDD 週刊新聞)に言葉を寄せた。
この悲劇に衝撃を受けた大スター(=ミレーヌ)は次のように言っている。「サルマンは何年も前から私が愛し私の心の友である作家です。今、私の頭を占めているのはこの人、この友だけです。彼に私の全愛情を捧げます」
ほとんど知られていない二人の友情は、JDDによると、1990年代のロンドンの画廊での出会いに遡るという。「ミレーヌは友人です。彼女の紡ぐ言葉は、憂愁と官能の間、苦悶と放棄の間をたゆたい、私の心に感動をもたらしてくれます。彼女の声、それは半分この世の半分あの世の、驚嘆すべき声、堕天使の声なのです。ミレーヌは私がかつて出会った最も美しい女性のひとりです」1999年ヴォーグ誌で作家は言っていました。美しい友情があればこそ、『Sans contrefaçon, Libertine, XXL、Les Mots』をレパートリーとする歌手(=ミレーヌ)は2004年に作家がパドゥマ・ラクシュミ(Padma Lakshmi)と結婚した折、式に招待されて出席したのでしょう»
ミレーヌのような歌手は、ラシュディ氏との関係がなくともイスラム原理派やホメイニ信奉者に唾棄すべき存在と見なされる可能性がある。そのうえ、宗教問題とはまったく関係のない存在であっても、このようにファトワー(ここではホメイニ氏の布告)を発せられた者に関係しているとそれだけでも危険がないとはいえない。もちろん、彼女もそんなことは承知だとは思うが、じゅうぶん気をつけてほしい。
以下は、Sans contrefaçon のクリップビデオです。
作詞: ミレーヌ・ファルメール 作曲: ロラン・ブートナ 映像監督: ロラン・ブートナ
https://www.youtube.com/watch?v=d03wJOgoq1k&t=8s
投稿日:2022-08-14 Sun
2022年8月14日(日)NHKの大河ドラマを見終わった後、毎週のことだが、そのまま続くニュースを見ていたら、アメリカで、小説『悪魔の詩』の作者サルマン・ラシュディ(発音ルシュディーとも)氏が、24歳の青年に襲撃されたというショッキングなニュースが飛び込んできた。首など数カ所刺されたらしい。問題はその後だ。アナウンサーは「他の国でも翻訳等に関わった人たちが襲われる事件が多発していた」(おおよその記憶です)と言って、ニュースを締めくくった。
驚いたのは、そこだ。どうしてラシュディ氏襲撃の報道をし、他の国にも同様の事件が多発したと言及しながら、日本で、しかも筑波大学構内で起こった五十嵐一(ひとし)氏殺害事件(1991年)についてひと言もなかったのだろう。時間がなかったとは言わせまい。当時、イスラムに対する恐怖(犯人逮捕どころか、見当もつかなかっただけに)を日本に知らしめた極めて重要なニュースだったはずだ。
氏は小説『悪魔の詩』の翻訳者だった。おそらく危険を承知で翻訳したに違いない。が、日本人なら誰でも、まさか日本で「ムハンマド冒涜」に対する故ホメイニ師の判決(ファトワー)が実行されるなんて考えられなかったと思う。
筆者は翻訳が出るとすぐに読んだ一人だった。イスラムについて浅薄な知識しかなかったせいだろうか、滑稽味は感じたが、ムハンマドに対する冒涜を実感することはなかった。ムハンマドを描くときは常に跪拝の対象でなくては許されないということだろうか。
投稿日:2022-08-12 Fri
スペイン(サフォン作)、フランス(ルメートル作)、ロシア(ソローキン作)と、第一次大戦から第二次大戦までを描いた小説を昨年から読んできた。そんな話をある友人に話したところ、「そういえば岩波少年文庫に、まさにそんな時代、ローザ・ルクセンブルグの時代からナチスドイツの敗戦までが綴られているジュニア向け小説がある。主人公の語り手は少年だし、物語はすべてその少年の視点で語られているが、なかなかどうして、大人が読んでも読み応えがあるよ」と、『ベルリン』三部作を紹介された。作者クラウス・コルドン・酒寄進一訳、題名は以下の通りだ。『ベルリン1919 赤い水兵』上・下 『ベルリン1933 壁を背にして』上・下 『ベルリン1945 はじめての春』上・下
早速、図書館で借り出しを予約したところ、先客はなくすぐに借りることができた。
第一次世界大戦末期(1918-1919)、キール軍港で勃発した水兵たちの反乱は、ベルリンに波及し、本書の主人公=語り手のヘレは両親と共に革命の嵐の中に巻き込まれる。ヘレの父は戦場で右腕を失う傷痍軍人して家族の元に帰ってきたばかりだった。「赤い水兵」とは、共産主義者となった水兵たちのことを指す。彼らは首都ベルリンにやって来て、反戦・平和のデモを展開するも結局弾圧される。デモを見ていたヘレは二人の水兵と知り合う。貧民街に住むヘレとその両親は彼らを家にかくまい、共に理想を持って社会主義的革命を成し遂げようとするが、権力に押しつぶされる。(第一部)
1933年、ナチス党は総選挙において、政権を取り、疑似餌のような公約を突然放棄し、反政府運動を徹底的に弾圧する。第一部の主人公のヘレは共産主義革命を目指していたが夫婦共々逮捕されてしまう。第二部の語り手はヘレの弟ハンスに 引き継がれる。16歳になった彼は近くの工場の労働者として働くが、父や兄が反ナチス側と知られて、工場内でナチス親衛隊の少年たちにいじめられる。彼も反ナチスのシンパとなり、反政府運動に身を捧げるが、結局政治犯として拘束され、行方不明となる。派手好きな姉のマルタ(ヘレの妹)は時流に乗った親衛隊の青年に恋をして、家を出る。(第二部)
1945年、ベルリンは空襲を受けてほとんど廃墟となった。主人公たちの住む貧民街の建物も例外ではない。1933年に生まれたヘレの娘エンネは12歳、祖父母を親と思って育った彼女がこの物語の語り手となる。彼女はナチス政権の崩壊、廃墟となったベルリン、ソ連の占領をつぶさに体験し、ソ連と連合国によるベルリン分断に立ち会う。(第三部)
物語は、ヘレ、ハンス、エンネという労働者階級の子供達の視点をもってベルリンを描く。彼らが求めているのは、高邁な哲学でも難解な政治思想でもない。食を満たすこと、仲良しでいること、人を好きになること、そんな単純な願望でしかないのだが・・・。
投稿日:2022-08-10 Wed
ミステリー小説は、事件の様相と犯人探しのおもしろさもさることながら、舞台となった国・町、その国・町が抱える猥雑な歴史、巷で生きる人々の赤裸な生活、主人公の人物としての魅力、こんなことのアマルガムにこそ魅力がある。ロンドンのポワローしかり、ロサンゼルスのフィリップ・マーロウしかり、パリのメグレ警視しかり、魅力的な彼らと付き合うことによって、読者は社会の暗部をおのずから体験することができる。そういう意味で、モスクワ市警のプロファイリングを専門とする頭脳明晰なアナスタシャ・カメンスカヤという女性刑事の活躍も例外ではない。独身ではあるが数学の教授と半同棲をし、というより家事全般が不得手な彼女はボーイフレンドに家事を押し付けて、仕事にのめり込む。市警内部の位は日本でいえば警視か。ロシアでは軍の位が付与されるので、少佐となっている。彼女の魅力は、あとがきによると、テレビドラマとしても人気を博しているとか。日本のテレビに上がることはぜったいにないだろうが。
モスクワ郊外の森の中で、ある民間会社の女性秘書の絞殺死体が発見されたことから小説は始まる。この美人秘書は、大事なクライアントの「夜のお相手」要員だった。この、一見単純とも思える殺人事件は、まだロシアが「ソ連」と呼ばれていた70年代に起こった殺人事件とも繋がり、共産党エリートやKGBをも巻き込む複雑な様相を呈する。さらにそのソ連時代の権力の残滓は、捜査をするモスクワ市警内部にまで影響を及ぼしていた。事件はソ連崩壊から約10年後1992年に起こった。
投稿日:2022-08-09 Tue
『手紙』ミハイル・シーシキン著 奈倉有里訳 新潮社とても不思議な小説だ。題名の「手紙」は厳密にはいわゆる手紙ではないらしい。ロシア語をこのワープロで書くことができないのは残念だが、lettre/letter とは異なる原題だとあとがきにある。原題は18世紀の手紙文例集を指す言葉らしい。奇妙なことに、主人公/書き手二人の書簡は、アベラールとエロイーズの往復書簡のように直接答え会うことは永遠にない。なぜなら、男ワロージャは1900年頃の人物で、恋人サーシャは手紙の内容から判断するに現代に近い。ワロージャは軍隊に所属して、義和団の乱鎮圧のために一兵卒として中国に派遣され、その悲惨な状況を連綿と綴る。日本軍も登場するのが興味深い。対して、サーシャはどの町かわからないが、少なくとも1970年代以降の便利な生活をしていることは確かだ(路面電車はあり、携帯電話はありそうもない)。
愛し合う二人は、一方通行のままに様々なことを語り合う。男の知性が高いことは文の端々から読み取れる。対して女の感性の鋭さと豊かさも彼女の文章が示している。それぞれ一方通行の手紙を交換するうちに、二人の育った状況が明らかになり、二人の世界観が明らかになると同時に、時空を離れた恋人同士に化学反応のような交換作用が生じる。不思議なおもしろさだ。
投稿日:2022-08-09 Tue
二ヶ月ほど前から、現代のロシア小説を読んでいる。簡単に紹介してみよう。ウラジミール・ソローキンの『ブロの道』(松下隆志訳 河出書房新社)は、『氷』三部作の2冊目として刊行されたらしいが、時間的に『氷』三部作の1冊目にあたる。
1908年にシベリアに落ちたツングースカ隕石研究団に加わったアレクサンドル・スネギリョク(隕石発見以降ブロと名乗る)の独白による一人称小説。スネギリョクはロマノフ王朝時代シベリアに巨大隕石が落ちた年(1908年)に誕生する。その後、ロシア革命により、ブルジョワの子どもであった彼は両親を失うもなんとか生き残る。ひょんなことから、ツングースカ隕石探検隊に加わることになり、その隕石落下地点で「氷」と出会う。彼はその氷に胸を強く打ち付け気を失い、ブロとして生き返る。ブロとなった主人公は地球人を超脱し、世界を「心臓(こころ)で見る」能力を持つことができるようになり、氷の近くで出会った女フェルとともに「心臓(こころ)で見る」能力を持つ仲間を集め、兄弟団を形成する。
II部の『氷』は三章に分かれている。
第一章は、現代のモスクワが舞台で、金髪碧眼の«兄弟団»により、人々の拉致が起こる。拉致された者たちは、密かに、胸を殴打され、ほとんどの人が死もしくは重傷を負うが、中には、兄弟団の「心臓で語れ」の声に応えて、「真の名」を告げるものがいる(ブロの兄弟となる)。心の兄弟となった三人、ウラル、ディアル、モホの現代モスクワにおける生活が展開する。
第二章は、兄弟団の2代目、ブロに継ぐ指導者となる女性「フラム」の語りによる自伝的な物語。彼女は1941年生まれで、物語は大戦からスターリン、ゴルバチョフにまで繋ぐ壮大なストーリーとなっている。
第三章はエピローグ的で、「氷」がテレビ・コマーシャルに登場するほどまでに現代社会に浸透していることが示される。
ロシアの現代小説に興味を持ったので、シーシキンを読み始めてしまい、『氷』第三部『23000』は未読です。
△ PAGE UP