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石田明生

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Starmania
 前期の日程が終わり、採点の山を前にしている。点をつけながら、その対象の学生を思い浮かべている。彼らは、いろいろな18年、19年、いや20、22年を生きて来たのだろう。
 目に浮かぶ若さの狂乱に、これまた愚かな若者の反乱をテーマにしたミュージカルの一曲に耳をすます。曲名は『Complainte de la serveuse automate』、積極的に働く気のしない、いや生きる気のしないと言ったほうがいいだろうか、そんな女給の歌だ。「今日は何をしようか」「明日は?」「何かしたいことをしたいだけなのに、何をしたいかわからない」ずっとずっとあとで、「トマト栽培でもできたら・・・」そんなことをぼんやりと夢見ている。上が1989年版、下が最初の女給役Fabienne。

https://www.youtube.com/watch?v=WnOBbL52kMg


https://www.youtube.com/watch?v=pCD3flnPHFg


 やはり、Michel Berger の『Starmania』はいい。焼酎の水割りを飲みながら、女給の嘆き節に耳を傾ける。彼女の言っていることは本当にそうだと思う。かさかさに渇いた都会の中で、トマト栽培を夢見るのは自然だ。国会中継の安保関連の質疑を耳にすると、つくづく思う : 今、この世は、渇いていない。どころか、べたべたしている。粘着性の時代というのだろうか。この女給のようなふてくされた存在、社会からするりと抜け出したような存在、今はそんなものよりも関係性(絆という人もいるかも)を重んじた人たちの表舞台の時代なのだ。孤独死のない時代、それはそれでよい時代なのか。でも陰湿ないじめの時代(粘着)でもある。

雑感 | 00:23:19 | Trackback(0) | Comments(0)
黒い旗
 2015年7月15日(水)、「安保法案」が強行採決された今日は、黒い旗を掲げる日としよう。戦後70年、この日をもって、日本丸というわれらが船はその針路を大きく転換する。
 心して、見守ろう。

雑感 | 23:33:38 | Trackback(0) | Comments(0)
『ボヴァリー夫人とパン屋』
 今日、銀座で映画『ボヴァリー夫人とパン屋』(監督アンヌ・フォンテーヌ)を見た。
 舞台はもちろんノルマンディー、ストーリーは?
 これまたもちろん小説がたどる物語同様不倫の果ての悲劇だ。
 ところが、全編ユーモラスな気分が漂って、最後にはとうとう腹をかかえて笑ってしまった。不思議な喜劇だ。その微妙な雰囲気の匙加減を、ファブリス・ルキーニが見事に演じている。僕は、映画の最大の欠点は既知の俳優の存在にあると常々思っている者だ。見る前にどうしても先入観ができてしまい、最悪の場合すぐれた作品でも嫌いな俳優が主役を演じるために見る気が起きないということになる。「ああ、あの俳優か」という具合だ。
 前回見たトルコ映画『雪の轍』は、そういう意味ですばらしかった。俳優陣に誰ひとり知るものがいなかったからだ。今回の『ボヴァリー夫人とパン屋』に関しては、主役がなんどもなんども見たことのあるルキーニということで(幸い嫌いな俳優ではない)、少々引き気味だったのは確かだ。が、ルキーニの演技力がその不安を吹き飛ばしてくれた。
 主役以外、とりわけボヴァリー夫人役の女優が、初見だったのはうれしかった。彼女の魅力はじゅうぶん発揮されていたが、エロスの足りなさは時代の流れだろうか。というのも、1990年の映画『髪結いの亭主』(パトリス・ルコント監督)のヒロインは、ジェンマ・ボヴァリーよりもずっと匂い立つエロスを漂わせていたからだ。二つの映画の共通点は、主役の男性は既知で、ヒロインは未知の女優だったこと、両男性俳優は芸の極みに達していた(る)こと、両女優はその魅力をふんだんに振りまいていること。さて軍配は?

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雑感 | 20:48:28 | Trackback(0) | Comments(0)